【展覧会】笑う!福沢一郎 4/24 – 5/25, 2019


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 春の展覧会「笑う!福沢一郎」を開催いたします。
前衛絵画の牽引者として活躍した福沢の絵画は、「難しい」「わからない」と言われがちです。しかし、実はウィットに富み、笑いを誘うような作品もたくさん制作しているのです。
今回は、福沢一郎作品の中からさまざまな「笑い」の要素を紹介し、画家の新たな魅力をさぐります。思わずニヤリとしたり、クスリとしたり、ムフフとしたり。そんな作品と出会える、ゆるい展覧会です。ぜひおでかけください。

《位階は高く高く納税は低く低く》1974年頃 アクリル・キャンバス 90.9×72.7cm

《食卓(2)》不明(1950年代か) インク・紙 27.2×19.4cm

《風船遊び(孫の即興)》不明 アクリル・キャンバス 40.8×32.0cm

◯出品予定作品
・《さる大臣達》1974年頃 アクリル・キャンバス 73×90.9cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
・《子そだて餓鬼》1973年頃 アクリル・カンヴァス 52.9×45.6cm
・《西脇順三郎詩集のための挿絵》不明 インク、墨、鉛筆・紙 25.8×18.8cm
・《海底宝探し》《マルクスをやるです》等1930年代の作品写真パネル
その他

会 期:4月24日(水)―5月25日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円

※講演会開催のお知らせ
「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」
で伝えたかったこと

日時:2019年4月27日(土)14:00-15:30
講師:大谷省吾氏(東京国立近代美術館 美術課長)
会費:1,500円(観覧料込)
定員:先着40 名様

【展覧会】FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀 10/18 – 11/17, 2018

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Will The Voltage of Evil rise in 21st/22nd century?


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀」を開催いたします。
昭和初期から平成へと至る65年の間、つねに人間と社会への鋭いまなざしを持ち、自由闊達に描き続けた画家福沢一郎(1898-1992)は、今年生誕120年を迎えました。彼の作品と言論は、近年多くの研究者によって見直されつつあります。
この巨人に、近年活躍めざましい若手アーティスト平川恒太が挑みます。平川は、戦争画を黒一色で描くことで見えない歴史の痕跡をさぐるシリーズ「Trinitite」の手法を応用し、福沢の晩年の大作《悪のボルテージが上昇するか21世紀》(1986年)を黒一色、原寸大(197×333.3cm)で描きます。現代の我々が直面する困難を20世紀末に予見したかのような問題作を、平川はどう解釈し、我々に提示するのでしょうか。
その他、福沢が1965年にニューヨークで撮影した写真や、福沢が生前愛用した絵具などを用いた制作をとおして、平川は現代に生きるアーティストとして福沢作品をの解釈を試み、福沢一郎のアトリエ内に展示します。
2011年の多摩美術大学卒業時「福沢一郎賞」を受賞した平川による、福沢一郎との時を超えたコラボレーションを、ぜひご覧ください。

 


(参考)福沢一郎《悪のボルテージが上昇するか21世紀》1986年
アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 
2018_a_hirakawa_voltage22thのコピー
平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか22世紀》
2018年 アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm
 
 

平川恒太《芸術家たちの対話−私たちはバラなしでは何もできない》 2018年
福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
 
 

福沢一郎《STOP WAR》1967年 アクリル・キャンバス 73×91cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 

◯出品予定作品
・平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか 22 世紀》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス 197×333.3cm
・平川恒太《ニューヨーク・白と黒のダンソウ》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス サイズ未定
 +福沢一郎撮影写真(1965 年) サイズ未定
・平川恒太《芸術家たちの対話-私たちはバラなしでは 何もできない》
 2018 年 福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
・福沢一郎《STOP WAR》1967 年 アクリル・キャンバス 73×91cm
 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
                       その他

会 期:10月18日(木)―11月17日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
 
 
※トークイベント開催のお知らせ
「福沢一郎とその作品から読み解くもの・受け継ぐもの」
日時:2018年10月20日(土)15:00-16:00
語り:平川恒太(出品作家)
   佐原しおり(群馬県立館林美術館 学芸員)
進行:伊藤佳之(福沢一郎記念館)
観覧料のみでご参加可能・定員 40 名・先着順
※10月19日16:45 定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました。


 

【展覧会】「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」会場風景

2018年春の展覧会 「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」 の会場風景をご紹介します。

今回の展覧会は、タイトルの示すとおり、知られざる福沢一郎の魅力を「再発見」しようという試みでした。つまり、今まであまり美術館やギャラリーなどで紹介されてこなかった福沢一郎の制作を前面に出して、その面白さ、豊かさをご紹介することを目的としました。

記念館内東側の大きな壁を飾るのは、主に晩年に描かれた、花と壺の絵です。しかも今回はあえて額に入れず、福沢のアトリエという雰囲気も活かしながら、作品を身近に楽しんでいただこうと考えました。

大きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

南側の壁(上画像左側)には「旅する福沢一郎」と題して、時空を超えた画家の「旅」をお楽しみいただける作品を並べてみました。ブルターニュの海辺やスペインの闘牛場、そしてハワイなど、実際に訪れた場所の風景や人々の印象を描いたものから、ダンテ『神曲・地獄篇』や『ドン・キホーテ』など物語の世界へも、彼は知的な旅を試み、その成果としてユニークな作品を描いています。
また、西側の壁(上画像右側)には、山梨県立美術館所蔵の大作《失楽園》のための習作を展示しました。作品じたいも、またそのために描かれた習作も画家本人はとても気に入っており、「制作資料展」と称して習作による個展を行ったほどです(1980年、ギャラリージェイコ)。力強く闊達に悪魔の肉体が描かれるかと思えば、ほどよく力の抜けた線で動物たちが表現されたりと、習作といえどもたいへんユニークなものばかりです。

北側のコーナーには、ちょっと不思議な作品をふたつ展示しました(上画像参照)。左側は、制作年のわからない《農耕》というタイトルの作品です。使われている絵具の色や、荒涼とした大地に人間を配する作風から、1946年頃の作品ではないかと推測されます。観覧者の方々からは、これはどこの風景? 何を作っているの? ぜんぜん作物が育たなさそう!など、いろいろな疑問やご意見をいただきました。
右側の作品は、マックス・エルンストのコラージュに影響を受けて制作されたと思われる、1930年作の《静物》です。人の手が大きく描かれている「静物」というのもなかなか謎めいていますし、画面の端に塗り残しが多いのも気になります。これは描きかけ? それともこういう絵にしたかったの? それはなぜ? など、こちらもさまざまな疑問が浮かんできます。こうした謎について、あれこれ思いをめぐらすのも、作品を楽しむひとつの方法ですね。

奥の小部屋には、「旅する福沢一郎」の特設コーナーを作りました。テーマは東北・北海道です。
1950年から51年にかけて、福沢はまず北海道、そして次に東北を旅します。浜辺に打ち上げられたクジラやかまくらなど、見知らぬ土地で得たモティーフは、終戦直後やや混沌とした状況にあった彼の制作に、わずかながら転機をもたらすものであったようです。
《山寺新緑》は、岩壁に萌えたつ色鮮やかな若葉が、画家に与えた活力を感じさせる作品です。

この部屋の展示ケースには、1951年に秋田を旅していた福沢のもとに届いた手紙をふたつ展示しました。これらは、服部・島田バレエ団の創立者のひとり島田廣の筆によるもので、バレエ作品「さまよえる肖像」の舞台美術についての相談・要望と、その舞台装飾原画が到着したお礼が、それぞれ記されています。秋田の旅館で彼が新作バレエ(しかも相当観念的でマニアックな!)の舞台美術についての構想をしていたことがわかる、とても面白い資料です。

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2018年は福沢一郎の生誕120年。秋から来年春にかけて、福沢一郎の展覧会が続きます。それらの中でも、きっといろいろな「再発見」があることと思いますが、当館による福沢一郎の発掘!は、まだまだ続きます。どうぞお楽しみに。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】発掘!福沢一郎 120年めの「再発見」 5/24 – 6/24, 2018

 

このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、春の展覧会「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」を開催いたします。
当館は開館以来24年にわたって、画家福沢一郎とその作品を紹介する展覧会や講演会、定期刊行物の発行など、さまざまな活動を続けてきました。福沢は昭和初期に前衛絵画の牽引役として活躍し、「シュルレアリスム絵画の紹介者」という美術史上の位置づけが、彼を語ることばの中で大きな意味を持ち続けてきました。
しかし、福沢の画家としての活動はひととおりではなく、いわゆる「シュルレアリスム絵画」の前後にも興味深い制作を数多く遺しています。その後現代絵画の旗振り役としての役割から脱し、神話や歴史物語の世界を多く描くようになってからも、今なお輝きを放つ作品を数多く生み出しています。
福沢一郎生誕120年を迎える2018年春の展覧会は、多様な福沢作品の魅力を改めて「発掘」し、その多彩な輝きを作品・資料の展示によってご紹介します。
この機会にぜひごらんください。

 


《海辺》1929年 油彩・キャンバス 個人蔵

 


《農耕》1946年頃 キャンバス

 


《無題(ハワイの女)》1980年代 アクリル・キャンバス

 


《花(イラン デザート ミラクル)》1990年 キャンバス

 


会 期:2018年5月24日(木)〜6月24日(日)の木・金・土・日開館
12:00-17:00
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「〈世界〉という構造ー福沢一郎の場所」
講師:沢山 遼 氏(美術批評家)

◎終了しました 多数のご参加ありがとうございました◎

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シュルレアリスムにおけるコラージュ(デペイズマン)とは、従来それがあった場からイメージを奪い去り、それを別の場に移動させ、未知のイメージとイメージを遭遇させることである。大戦間の極度に緊迫した社会情勢のなか、マックス・エルンストの絵画を通じて、福沢一郎は、こうしたコラージュの技法に、徹底的にリアリスティックな力学的諸関係を見出した。なぜなら、コラージュにおいては、イメージの場の移動が、イメージ相互に構造的な落差、偏差をもたらす。それゆえコラージュの実践は、さまざまな落差や偏差をもつ社会構造や権力構造の分析に直結する。ともすると福沢は、オリジネーターであるエルンストよりも明晰にそのことに気づいていた。
そして福沢一郎は旅する人だった。彼自身が、彼のイメージと同様に、移動する存在だった。福沢は、パリ、満州、ニューヨークのハーレム、メキシコ、ギリシャなど、世界の各地に出かけ、その旅行のたびに、自らの絵画を大きく展開させた。それは、世界に存在する構造的な不均衡や亀裂、矛盾が、彼の絵画にその都度大きな意味を与えたことを示している。福沢はそのような場に、人間的諸関係がむき出しになった神話的世界を見た。そして実際に、神話を描いたのである。そこに認められるのは、純粋化する近代絵画の理念に逆らうように、世界が構造的に抱え込んだ葛藤や亀裂を捉えようとする福沢の姿である。不和と分断が強まる世界において、福沢の絵画は古びるどころか、ますます力強さを増している。
本講演では、生誕120年を迎え、東京国立近代美術館での大規模な回顧展も控える福沢一郎の芸術を再考してみたいと思う。

日時:6月10日(日) 14:00〜15:30
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円(観覧料込)
 

【展覧会】PROJECT dnF 第5回 蓬󠄀田真「display」アーティストコメント

蓬󠄀田真 アーティストコメント … 往復メールから

2016年10月〜12月
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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蓬󠄀田真(よもぎだ・まこと)
1971年生まれ。1996年、多摩美術大学絵画科油画専攻卒業(福沢一郎賞)、同年 第14回上野の森美術館大賞展入選・賞候補。2000年、個展「蓬󠄀田真展」(横浜トヨペット本社ショールーム ウエインズ21)。2002年、第12回全日本アートサロン絵画大賞展入選。2007年、個展「ものを見て描く~油彩・水彩・染付から~ 蓬󠄀田真展」(横浜・相鉄ギャラリー)。2012年、DESIGN FESTA vol.35に出展(東京ビッグサイト)。ほか個展、グループ展多数。

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1 第1回「福沢一郎賞」受賞作品

—- 今回の記念館での個展、展示してみて、いかがですか。率直な感想をおきかせください。

蓬󠄀田 ひとことで言うと「ありがとうございました」というのが展示させていただいた感想です。まず記念館の皆様には、第1回福沢一郎賞受賞者として個展を開催させていただき、大変感謝しております。そして観に来てくださった皆様にもお礼を言いたいです。
今回記念館での展示が決まったことは作品制作の大きな励みとなりました。またギャラリーではなく、福沢一郎さんのアトリエという空間のおかげで、来てくださった方々にゆったりと鑑賞していただけたようです。記念館は私自身にとっても、展示しやすく、居心地のよい場所でした。

—- こちらとしても、ありがたいことです。今回は第1回福沢一郎賞受賞作品「イエローテーブル」から最近作、そして陶器やカルトナージュなど、いろいろな作品を展示していただきました。この展示の意図というか、ねらいを、おきかせ願えますか。

蓬󠄀田 賑やかで、気軽にみていただける雰囲気を心がけました。展覧会名を「display」としたのは、作品を「展示する」というよりも「陳列する」「並べる」感じにしたかったからです。また静物画で、ものを並べる時には、自分だけのショーウィンドウを作るイメージがあり、displayという言葉が合っていると感じたからでもあります。

—- なるほど。ではまず、福沢一郎賞受賞の《イエローテーブル》(1996年、図1)についてお話うかがいたいと思います。白や黄色のモティーフで占められたテーブル。所々グリーンもありますが…。電話やボウル、洗剤、レモンなど、わりと身近なモティーフが多いですね。しかし、背景には何処の街なのか判然としない地図が、薄暗い中に描かれていて、明るいテーブルの上との強いコントラストを感じます。リアルなのにリアルじゃない室内、といいますか…そんな印象を私などは受けます。じっさい、この作品はどのように描かれたのでしょう?



図1 《イエローテーブル》 1996年 油彩 F100

蓬󠄀田 自宅の自分の部屋で、モチーフを並べて描きました。「暗い部屋に黄色いかたまりがある」イメージで、黄色いものを探し回った記憶があります。自宅に転がっていたものもあれば、街に出て買ってきたものもあります。モチーフを並べる時は楽しく、作品もちょうど1ヶ月で完成しました。背景は黄色いモチーフとのコントラストを強められるよう、暗くしました。地図は柄として見るとすごく面白く、テーブルにかけたレモン柄の布と対比させる意味で後ろに配置しました。

—- 実際に部屋の中に構成されたモティーフを見ながら、「黄色いかたまり」を強調するような画面づくりを心がけられたということなんですね。地図が柄として面白いという感覚、わかるような気がします。でも、これはどこの地図ですか?という質問を受けることもあったのではないでしょうか? 実際、今回展覧会場ではそんな声も聞かれました。

蓬󠄀田 ご覧いただいた方から「ロンドンではないか」と教えていただきました。そう言われるとロンドンだったような気がしますが、正確にはどこの地図かわかりません。川のうねった形と、四角い建築物の対比がおもしろくて選びました。





2 静物画を中心に

—- そもそも、静物を中心に制作をし続けておられるのは、どうしてなんでしょう? 人物とか風景とか幻想の世界とか…そうしたものでなく、静物を。

蓬󠄀田 ものを目の前に置いて、それを見て描くのが好きなんです。植物や果物は時間が経つにつれて枯れたり腐ったりしていきますが、基本的には時間が経っても状態は変わらないのでじっくり制作できます。時間をかけて少しずつ画面を作っていきたいから、静物を描いています。絵を描き終えて、ずっと組みっぱなしだったモチーフをくずす時はすごくうれしいです。

—- あくまで、モノが集まってできるヴィジョン、あるいは図像そのものにご興味がおありなんですね。だから、作品の集積である個展の場合も、「展示」ではなく「陳列」、displayを目指したわけですね。確かに「展示」という場合、作品の並べ方にストーリーや意味、関連性をもたせたりして、何かしらの意図、メッセージを込める場合が多いです。蓬󠄀田さんの場合は、あくまでヴィジュアルにこだわる。意味やメッセージはある意味余計な要素、という感じなのでしょうか。

蓬󠄀田 余計な要素、とまでは言いませんが、私自身は「これいいな」と思ったものを納得いくまで描くだけで十分なんです。ものを描いていくことで画面ができていき、作家の言いたいことは絵の中のものに隠れて見えてこないような。例えば昆虫図鑑の虫の絵は小さい頃からずっと好きですし、植物画にも興味があります。

—- 今回は植物画も何点か展示していただきました(図2)。モティーフとなる植物はどんなふうに選ぶのでしょう?



図2 《リンゴ》 2005年 水彩 74×56cm

蓬󠄀田 その季節に咲いたり、実ったりしているものを選びます。
静物を制作する時には当然自分で描くものをいろいろ準備しなければならないのですが、植物を描く場合は時期が来れば、それだけでよいモチーフになるところがありがたいです。花や実は早く描ききってしまわないと枯れたりしおれたりしてしまうので集中して制作しなければならず、静物画とは違った魅力があると思います。

—- 植物画の制作で得たイメージが、(油彩の)作品のなかに登場したりすることはあるのでしょうか?

蓬󠄀田 絵画作品についてはありませんが、今回、絵と一緒に展示した染付の皿には、魚や水辺の生き物を描いています。かっこいいな、面白いな、と感じた生き物を皿に絵付けし、その上から透明な釉薬をかけて焼きます。完成すると、呉須と呼ばれる顔料で描いた魚などの絵が釉薬でコーティングされるので、実際に料理をのせて使うことができます。皿に料理をのせるのは当たり前のことですが、陶芸を始めた頃「自分が描いた絵が生活の中で使えるんだ」と考えると、なんだか無性に嬉しくなったことを覚えています。




3 さまざまな制作

—- そうでした。今回は染付のお皿も展示していただきましたね(図3)。蓬󠄀田さんの制作の幅広さがうかがえます。陶芸はいつごろからなさっているのですか?



図3 陶器の展示の様子

蓬󠄀田 初めて陶芸を体験したのはもう20年ほど前です。紙やキャンバスのかわりに、素焼きのお皿に絵を描くようなイメージで制作しています。ただ私は形を作るのが得意ではなく、何を作ってもふにゃっとした形になってしまいます。
やきものの場合、描いた絵の仕上がりは窯から出てくるまでわかりません。それが楽しみでもあり、心配でもあります。

—- そして今回は、『カルトナージュ』という、紙や布で装飾した箱も展示なさっていましたね(図4)。これを制作するようになったきっかけはどんなものでしょう。

蓬󠄀田 モチーフとして集めていた柄布がたまり、何かできないかと考えていたところ、厚紙で作った箱に布を貼るカルトナージュを知りました。先ほどの染付の皿と同様、身近な生活の中で使えますし、形や大きさも自分が入れたいものに合わせて変えられます。内側に貼る布についても、外側の布と響き合う色にするか、開けた人が「意外」と感じる色にするかを考えることができ、楽しいです。



図4 カルトナージュ制作例


4 教師という立場で

—- 今は高校で美術の教師をなさっていますが、「美術」という教科を「教える」ことの難しさ、そして面白さはどんなものでしょう。

蓬󠄀田 高校では、生徒は芸術科目の一つとして美術を選択する形になります。当然ですが、選択した全員が美術関係の進路に進むわけではありませんので、美術の専門家を育てるのではなく、少しでも美術を好きになってもらえたらいいな、そういうきっかけになったらいいな、と思って授業をしています。
高校生の作品には、私にはとても思いつかない新鮮な発想や大胆な表現があります。一人一人の違いや生きてきた時間が作品として、目に見える形でできあがる場に立ち会えるのは幸せなことです。
また、美術関係に進学した生徒と卒業後に話したり、卒業生の作品展を見に行ったりするのはすごく楽しいし、この職業でしか味わえない喜びだと思います。

—- また、画家と教師の両立という問題は、どのように考えていらっしゃいますか。私が思うに、蓬󠄀田さんはそこのところは、あまり強く意識せず、自然体で仕事も制作もすすめていらっしゃるように思うのですが。

蓬󠄀田 ありがたいお言葉ですが、仕事も制作も、自然体にはほど遠い状態です…。確かに「両立させるぞ」と考えたことはなく、仕事が終わってからの時間をどう制作に生かすかを考えています。忙しいのはどんな仕事でも同じでしょうし、働いたからこそ、また制作に集中できる部分もあると思います。
大学でお世話になった先生方からいただいたお手紙にも、「頑張って制作を続けるように」とか「粘ってください」とあり、自分が小さい頃から好きで続けてきたことを、これからも続けていきたいです。





—- 最後に、今後の制作で、大事にしたいこと、挑戦してみたいことなどがあれば、教えてください。

蓬󠄀田 これからも、一つ一つ丁寧に制作していきたいです。そして平面作品以外にも、まだやったことのない工芸的な分野などにも挑戦してみたいと思っています。



図5 《白のテーブル》 2002年 油彩 F20






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第1回「福沢一郎賞」受賞者を世に送り出してから22年。受賞者の数は昨年までで252名になる。当然のことながら、受賞者の「その後」はさまざまである。海外を拠点に活動する者、美術館やギャラリーの展覧会で引っ張りだこの人気者もあれば、ひっそりと自らの愉しみとして制作を続ける者もいる。中には制作を全く止めてしまった者もいると聞く。それでも、受賞の喜びが現在までの活動の原動力になっている、と受賞者の方からことばをいただくたび、ささやかな賞も決して無駄ではなかったと思える。
蓬󠄀田は、決して華々しい活躍とはいえないかもしれないが、高校教諭をつとめながら、地道な活動を継続してきた。その制作は、描く対象のヴィジュアルに純粋に迫ろうという、至ってシンプルなものである。モティーフとの対話を愚直に繰り返し、明瞭な描画によってそのヴィジュアルを鮮やかに浮かび上がらせる。第1回福沢一郎賞受賞作《イエローテーブル》から今日の制作まで、その態度は一貫している。
自らが挑んだ100号の画面を生徒たちに見せた瞬間「やっと教師として認めてもらえるんです」と照れたように笑う画家のうちには、ひたむきに対象と画面との対話を繰り返した、その膨大な積み重ねによる確かな自負がある。ゆるがない制作によって生徒たちに画家のありよう、そして絵画のありようを示す。蓬󠄀田は疑いなく、そんな教師であり続けるだろう。
彼のもとから巣立つ子どもたちの中から、次の「福沢一郎賞」受賞者がうまれる日も、そう遠くない将来やってくるかもしれない。(伊藤佳之)


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※この記事は、展覧会終了後、ききてと作家との間で交わされた往復メールを編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】PROJECT dnF 第6回 小林文香「静かな音をみる」アーティストトーク

小林文香 アーティストトークの記録

2016年10月28日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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小林文香(こばやし・あやか)
1987年生まれ。2010年、女子美術大学洋画専攻卒業。2012年、女子美術大学大学院版画領域修了、福沢一郎賞。在学中から個展やグループ展で活躍。2011年第16回鹿沼市川上澄生木版画大賞展(大賞)、同年第11回やまなし県民文化祭(最優秀賞) など受賞も多数。2014年、第82回日本版画協会版画展にて賞候補。現在、日本版画協会準会員。

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1 制作について

—- まずは、福沢一郎のアトリエで作品の展示をしていただいた、率直な感想をお聞かせ願えますか。

小林 非常に気持がいいです。なんといっても、この天上の高さと明るさ。これまでのギャラリーの展示では感じられなかった、気持ちよさ、開放感があります。また、福沢一郎先生のアトリエという、独特の雰囲気にも助けられて…今までにない展示になりました。

—- 小林さんは木版画を主に制作していらっしゃいますね。今回も展示作品のほとんどが、モノクロを基調とした木版画です。これまでの制作じたい、モノトーンの木版画が多いのでしょうか。

小林 そうですね。絵の内容が静かなものなので、色が入って来ると、どうしてもそちらに目が行ってしまう気がして、内容を見せていくために、主にモノトーンで制作をしています。

—- 絵の内容、つまり、小林さんが木版画で表現したいと考えているものは…ことばにするのは難しいとは思いますが、あえて言うとすると、どんなものでしょう…。作品のタイトルなどは、そのヒントになりそうな気がしますよね。《やさしさの選択》(図1)とか《夢のかけら》とか、《ほしめぐり》とか。

小林 はい、人間の無意識の世界や、宇宙に関するものが、タイトルには多いような気がします。このふたつは、どこかつながっているようにも思えるので。



図1 《やさしさの選択》 2016年 木版・和紙 54.6×84.2cm

—- 人間のうちにある無意識の世界と、途方もなく大きな宇宙という世界。相反するもののようで、実はつながっているのではないかと。

小林 無意識の中にも、記憶や情報が、養分のように漂っている。そういう状態が、宇宙の空間とも通ずるように思います。宇宙も、何もないようでいて、小さな塵のようなものがあって…そこから何かが生まれていく。そういう構造が似ているのではないかと考えています。

—- そうした世界を、木版画で表現しようとしていらっしゃる。今回は版木も展示をしていただきましたね。シナベニヤの版木に、彫刻刀で細かな点を穿っていくという手法で、版面を作っているんですね。
そして、主な作品はモノトーンですが、よく見ると、いくつもグレーの階調が重なっていることがわかります。また、刷られたかたちが微妙にずれて、ちょっとぼやけたような、不思議な効果を生んでいますね。

小林 これは、ひとつの版を使って何度も刷り重ねて作品を作っているのですが、その過程で、墨の水分によって紙が微妙に伸び縮みするんです。抑えようとしても出てしまう。でも、それが逆に味といいますか、面白い効果を生むのではないかと思って、制作に取り入れています。

—- 一版多色刷をモノトーンでなさっていると。そこに思わぬ効果があるんですね。元の版木では本来色が乗らないところにも、かすかにグラデーションがかかっているものもありますね。

小林 作品によっては、ベタの版でグラデーションを刷って、奥行きを出す工夫をしています。それは最後のほうで調整のためにやっています。



2 なぜ「木版画」なのか

—- 今回はとても大きな、額やパネルにおさまらない作品も出品してくださいました(図2)。

小林 これは10回以上版を重ねて刷って、グラデーションと色味を出しています。ぼやけ方の加減によって、色の乗っていない白い大きな粒が手前に出てくるような、そんな目の錯覚が生まれていて、そこが面白いなあと思っています。

—- なるほど。木版画というと、描いたかたちをそのまま明確に刷りだすもの、というふうに思いがちですが、版を重ねることで意識せず生まれるイメージも取り込んで、作品づくりをなさっているんですね。

小林 はい。



図2 《いのちの余韻》 2013年 木版・和紙 90.0×119.0cm

—- そもそも、なぜ木版画なのか。版画でこういう表現をしてみようと考えたのは、なぜなんでしょう。何かきっかけがあったのでしょうか。

小林 私は、はじめ油絵を描いていました。油絵というのは、どこまでも描き足すことができて、絵がどんどん変わっていってしまうんですね。元のイメージから離れたものになってしまうことがあって…。で、女子美の学部2年生のときに、版画の授業がありまして、体験してみたら、これはいいんじゃないかと。はじまりがあって、終わりがあるという、工程の明確さ。そこに惹かれて、木版画を制作するようになりました。

—- 版画をはじめる前も、たとえばドローイングとか油絵とか、そういうものは、今と同じようなイメージを目指して描いていらしたんでしょうか。

小林 はい。根本的なところは同じで、静かな内面の世界を描こうとしていました。

—- それを木版画で表現しようと思ったときに、葛藤とか、悩みみたいなものはありましたか。

小林 いえ、そういうことはありませんでした。刷ることでイメージができる。そこに間違いはない。いえ、間違ってもいいんですけど…引き返しができない。

—- 潔さ、みたいな。

小林 そうです! 版を彫るときの緊張感も含めて、木版画は肌に合っていると思いました。





3 「色」が息抜きに

—- もう少し絵のお話をおうかがいしましょう。例えばこういう絵、画面を作ろうと思ったときに、元になるスケッチやドローイングは、どんなふうに作るのですか。

小林 鉛筆や墨を使って、ドローイングをします。A4くらいのサイズで描くことが多いです。そこで出来たイメージを、版木に拡大して写しています。

—- やはり、最初の下図のとおり正確に、というよりは、彫りながらだんだん変わっていくものですか。

小林 きっちり下図のとおりにはならないですね。彫り進めて試し刷りをしながら、また彫っていく、そんなふうに制作を進めることが多いです。彫ることイコール描くこと、という感覚が強いです。

—- 小林さんの作品づくりはとても細かな作業ですから、制作にはずいぶん時間がかかるのではないかと想像します。例えばこの作品(図1)などは、完成までにどのくらいかかるんでしょう。

小林 制作だけやっていた頃は、例えばこのサイズ(3裁:三六判ベニヤを3つに裁断したもの)ですと、だいたい半月くらいかかっていました。今は平日仕事をしながらの制作なので、ひと月くらいはかかってしまいます。

—- いま、制作にかける時間は1日何時間くらいなんでしょう。

小林 だいたい3〜4時間くらいでしょうか。

—- やりだすと止まらない…みたいな感じですか。

小林 いえ、ずっと彫っていると飽きてしまうので(笑)、途中で小さな色のある作品などを作りながら…息抜きしながら制作しています。

—- 色のある作品づくりが息抜きになる! 

小林 大きな作品の場合、細かな作業をひたすら続けますから、おかしくなってしまいそうで(笑)。ちょっと違うものを作って、ホッとして、また戻って来る、みたいな感じでしょうか。

—- そうすると、何点か同時並行で制作することも…。

小林 はい、そういうこともあります。

—- 今回、窓のところに置いてある、小さな作品(図3)などは、色鉛筆などを使って描いてらっしゃいますね。

小林 これも、大きな作品を作っている合間の、息抜きのようなものですね。モノクロの世界にずっと浸っていますから、色が欲しい!という欲求をここで満たして(笑)、また作品に戻っていきます。



図3 窓際に展示された小作品(一部)


4 光をえがく

—- 細かな点を穿って、モノトーンの画面をつくるという独特の制作は、木版画を始めたときからずっと変わらないのでしょうか。

小林 このスタイルが固まったのは、大学の卒業制作の時です。それまでは、色を使って、大きな彫りもして、という感じだったのですが…。ずっと、光を描きたいと思っていまして、イメージを突き詰めていくと、光子というのは丸いものなのではないか、と。その光子、光の粒を集めて、光をつくる。そんな考えが出てきました。でも、そんなことを卒業制作でやっても絶対笑われる、と思って(笑)。それまでの制作からがらりと変わってしまうこともあり….。でも、そうした考えが、自分の信条というか、性質と合致すると思えたので…。

—- 思い切って変えた、というか変わった、と。それについてのジレンマというか、葛藤みたいなものは…。

小林 恐怖心みたいなものはありました。でも、思い切って飛び越えて、よかったと思います。

—- なるほど。光を描きたい、ということなんですね。考えてみると、版木に小さな穴を穿つということは、結果的に、刷られるイメージの中に光を生み出す、光を作る、ということになりますよね。ならば、小林さんが版画の世界に飛び込み、このようなスタイルで制作をおこなっているのは、ある意味必然的なことのようにも思えます。
小林さんが版面に穿った無数の点は、光だけでなく、生命のようなものも感じさせることがあります。例えば《ひかりにうたう》という作品…。

小林 はい、2〜3年前までは、丸いかたまりのようなかたちをモティーフとして使っていまして…半抽象、半具象というか、具体的なもののイメージを固定させないかたちというのがテーマにあったんです。例えば星型を描くと、星をイメージしてしまいますよね。そういう(既成の)イメージにとらわれないかたちって何だろうと考え、見る人の感性や印象に委ねるものを目指しました。

—- これはマリモ?なんていく感想をよく聞きます。

小林 はい、そう言われます(笑)。

—- 光を描こうとしつつ、それが結果的に生命を想起させるような、そんな作品でもありますね。



図4 《ひかりにうたう》 2014年 木版・和紙 60.0×183.0cm


5 これからの制作

—- 今回、版木をぜひ展示してほしい!とお願いしましたが(図5)…。

小林 恥ずかしいですね(笑)。版木はふつう出さないものですから。




図5 《やさしさの選択》版木

—- でも、それによって制作のようすがとてもわかりやすかった、という声もいただきます。版木にも触っていただけるので…。それに、この物質感というか、迫力は、実際に見ていただかないと通じませんし。こういうものに日々取り組んでいらっしゃるのだということを感じていただけたのではないかと思います。

小林 ありがたいです。版画をやってらっしゃる方からは、触りたい!とよく言われるので、今回もお客様にはぜひ触っていただきたいです。

—- では最後に、これからやってみたいこと、目指したいことなどあれば、お聞かせください。

小林 大きな作品をもっと作りたいな、という欲求が出てきました。それと、今回も出品しているのですが(図6、7)、ひとつの版木を使って、複数のイメージを作るということにも、取り組んでみたいです。



図6 右側の壁下段左より《cosmic sound-2》、《cosmic sound-1》、《cosmic sound-3》 2017年 いずれも木版・和紙 45.5×60.0cm




図7 《cosmic sound-4》 2017年 木版・和紙 45.5×60.0cm

—- この4点、全部ひとつの版木から刷られたものなんですか?

小林 そうです。版の位置を変えたりずらしたりして…どこまでイメージを拡げられるか。今後さらに挑戦してみたいと思っています。


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「真摯」ということばが、これほど似合う作家も珍しい。小林の制作は、構想からエスキース、版木作り、そして刷りに至るまで、実に真摯な態度に貫かれている。「ストイック」とは少し違う。なぜなら、作家は極度に完璧さを求めないからだ。あくまで地道に、時には粘っこく、版に立ち向かい、刷りを重ねる。そこに「間違いがあってもいい」と作家がいうのは、あるがままの自分を受け入れ、虚飾や無理なそぎ落としを介入させず、文字通り真摯に制作に向かっていることの表れでもある。
「光を描く」という作家の目標は、絵画の根本問題でもある。だから、古来画家は光の状態、ありようをどう把握するかに腐心してきた。小林は木版に無数の点を穿つことで、この問題に自分なりの答えを示そうとしている。
世界は基本的に闇である。そこに光が差し込むことで、はじめて闇は闇として立ち上がる。彫られる前の版面が漆黒の闇だとすれば、そこにある形態を彫ることで、イリュージョンとしての光が差し込む。作家はイリュージョンの外郭をそのまま線で彫ることを良しとせず、光の状態を点およびその集合体と考え、直径3〜5mmの幾千幾万の点を穿ち、闇に光を浮かべる。静かな、しかし途方もない作業の先にあらわれるかたちは、時に星団や星雲のような果てしない世界へと我々を誘う。
宇宙は、我々の内的世界の状態と近しいもののように感じると小林はいう。こうした幻想は、ともすれば甘美な文学的詩情に耽溺する危うさを持つ。しかし、作家はそれに抗うように、モノクロームの版を重ねることでぐいぐいと押し切る。実はここに、作家の真の力量が示されているのではないだろうか。過度な詩情を排し、絵画における技術と表現の問題を独自のアプローチで追究し続けた福沢一郎の遺伝子は、こんなところにも受け継がれているように思われる。
地味に地道に制作を突き詰めてきた小林は、いま進むべき方向を確かに見定め、版画の新たな可能性をも模索し始めている。今後も自分らしく、真摯に版とイメージの世界を探究してほしいと、切に願う。(伊藤佳之)




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※このインタビュー記事は、10月28日(土)におこなわれたギャラリートークの内容を編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】「PROJECT dnF」第5回 蓬󠄀田真「display」、第6回 小林文香「静かな音をみる」

福沢一郎記念美術財団では、1996年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回は、蓬󠄀田真(多摩美術大学卒業、1996年受賞)と、小林文香(女子美術大学大学院修了、2012年受賞)のふたりが展覧会をおこないます。
ふたりは福沢一郎のアトリエで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第5回
蓬󠄀田真「display」


《クラリネット》  2017年 水彩・紙

楽器や果物などの身近なモティーフと、さまざまな柄の布や紙を組み合わせた精緻な静物画を一貫して制作している作家が、受賞作品から近作までの選りすぐりを展示します。
また、近年作家が取り組んでいる「カルトナージュ」(ラッピングペーパーで装飾された小箱)も併せてご紹介します。

10月8日(日)-21日(土) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
レセプション 10月9日(月・祝) 16:00 – 17:00

☆ワークショップ「紙の小箱をつくる」 

さまざまなデザインが施された紙を貼って箱を装飾する「カルトナージュ」の体験ワークショップをおこないます。展示作家の蓬󠄀田真が講師をつとめます。
日時:10月14日(土) 14:00-16:00
費用:無料
人数:先着15名様
応募:メールにて受付けます。
※10/13更新:定員になりました。お申込みありがとうございました。


《イエローテーブル》  1996年 油彩・キャンバス 

第6回
小林文香「静かな音をみる」

無数の点を版木に穿ち、刷る。点の集合体は淡く輝く光となり、ざわざわとうごめく生命や、流動する宇宙を感じさせる。そんな制作をおこなう作家が、当館で新たな展示の可能性をさぐります。

10月27日(金)- 11月8日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月28日(土) 15:00 – 17:00


小林文香 《やさしさの選択》 2016年 木版・和紙

【展覧会】「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展 会場風景

2017年春の展覧会 「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展ー「福沢一郎・再発見」vol.2ー の会場風景をご紹介します。

これまであまり顧みられてこなかった、福沢一郎の装幀や挿絵の仕事。念願かなって、ようやく展覧会というかたちで、みなさまにお見せすることができました。
今回は仕事の特徴がよくわかるよう、時代ごとに区切って、本の仕事と絵画作品を交互に展示しました。画像中央の《雲》(1938年)は、同年春発行の雑誌『アトリエ』第15巻第5号の表紙と、テーマや色遣いがとても近い作品です。表紙の作品《雲(夕)》(現存未確認)は1938年春の独立展の出品作で、今回展示した《雲》は、《雲の峰》というタイトルで同年秋の個展に出品されたものであることがわかっています。

1940年代、太平洋戦争直前と終戦直後の時期は、特に興味深い仕事が多くみられます。
妻一枝が翻訳をつとめたレイチェル・フィールド著『地のさち天の幸』(1940年)や、仙台二高時代からの親友木暮亮(菅藤高徳)の初単行書『檻』(同年)などの装幀は、福沢自身にとっても思い出深い仕事であったことでしょう。
そして大田洋子著『屍の街』(1948年)など、終戦直後の装幀や挿絵には、荒涼とした大地に裸体群像がうごめく様子が描かれます。

展示室南側の白い漆喰壁に掛かるのは、《女性群像》(1949年)。これも裸体群像ですが、黄色や緑などの鮮やかな色が大胆に配置されたユニークな作例です。

階段奥の小部屋には、主に1950年代の仕事を集めました。装幀・挿絵の仕事が最も多彩なのがこの時期です。唯一残る絵本『みにくいあひるのこ』(1950年)や、挿絵を手掛けた『耳なし芳一』(1950年)など、児童書の仕事はこの時期に集中しています。上の画像右側には、『みにくいあひるのこ』で使用されなかったと思われる水彩画を展示しました。

背の高い展示棚には、装幀を手掛けた書物をたくさん収め、主だった仕事をキャプション付きで展示しました。柴田錬三郎の直木賞受賞作『イエスの裔』(1952年)ではコラージュによる装幀を試み、大江健三郎のデビュー作『死者の奢り』(1958年)では中南米旅行後の強烈な色彩と筆遣いを存分に活かして表紙絵を描きました。

覗きケースには、装幀の指定原稿や表紙絵の原画などを集めました。こうした原稿が画家の手許に遺されていたのは珍しいことなのではないでしょうか? いずれも福沢の『本』の仕事を知るうえで重要な資料です。

また、この小部屋には《犬と骨》という不思議な作品も展示しました。暗い色調で描かれた犬と、幾何学模様の鮮やかな地面、そして背景の蝙蝠傘が奇妙なコントラストを成しています。この蝙蝠傘、50年代のいくつかの作品と、『渇いた心 黒田三郎詩集』(1957年)の装幀にあらわれる、案外レアなモティーフです。

さて、今回の展覧会では、「特集『秩父山塊』+『アマゾンからメキシコへ』」というコーナーをもうけ、ふたつの特徴ある書物を掘り下げてご紹介しました。
『秩父山塊』(1944年)は、太平洋戦争のさなか、秩父の山々を歩きながらその風景を興味深く眺め描いたスケッチと文章による画文集です。殊に地質学に関する知識をベースにした風景の捉え方はユニークで、その知識の深さは現役の地質学者も舌を巻くほどです。
また『アマゾンからメキシコへ』(1954年)は、カメラ片手に中南米を旅行した際の体験をもとにした書物で、こちらは人類学の知識が豊富に盛り込まれるほか、近現代の美術にも目が向けられています。また、スケッチのかわりに写真図版が豊富に盛り込まれており、時代の変化を感じさせます。
旅した場所や興味の方向は違いますが、このふたつの書物はじつに似た造りになっていて、『秩父山塊』の10年後に『アマゾンからメキシコへ』が出版されたのは、決して偶然ではなく、『秩父山塊』リバイバル!とでもいうような、福沢の強い意志が働いたものではないかと想像されます。

上の画像右側、アトリエ北側のコーナーには、1960年代以降の本の仕事を集めました。地元富岡市の詩人斎藤朋雄の詩集『ムシバガイタイ』(1965年)、約8年間カットや表紙絵を提供していた雑誌『自由』(表紙絵は1969〜1974年)、メキシコ滞在時に知己を得た外交官伊藤武好の訳による、ホルヘ・イカサ著『ワプシンゴ』(1974年)、そして山本太郎著の詩集『ユリシイズ』(1975年)など、多彩な仕事がみられます。この頃になると、装幀をどう考慮するかという問題意識よりも、純粋に画家として「絵」を提供することに主眼が置かれた仕事が目立ちます。

*   *   *   *   *

「福沢一郎・再発見」vol.2として開催した今回の展覧会、意欲的な取り組みと評価をいただいておりますが、「福沢一郎・再発見」の試みはまだまだ続きます。今後もユニークな展覧会や企画、情報発信を続けていきたいと思います。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展 5/12 – 6/19, 2017


このたび、当館では、「福沢一郎・再発見」シリーズの第2弾として、春の展覧会「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展を開催いたします。
読書家であった福沢は、芸術や文学のみならず、地学や考古学、民族学など、じつに幅広い書物を渉猟しました。読書によって得た知見や発想は、絵画作品の重要な主題となるほか、自らの著書に活かされることもありました。
また、彼は画業の初期から晩年に至るまで、多くの装幀や挿絵を手がけました。これらの仕事には、タブローでは成し得ない表現を追究する画家としての矜恃と、書物を愛する穏やかな心持ちが共存しているように感じられます。
今回の展覧会では、これまでまとまって紹介されることのなかった、福沢が手がけた装幀本と挿絵本、およびその原画やデザインを、同時代の作品とともに紹介し、その制作のエッセンスにせまります。
また今回は、1944年刊行の著書『秩父山塊』を取り上げた特集コーナーを設け、本書のなかで実際に使われた挿絵原稿や、地学の知識のもととなった専門書などを展示します。紀行文としても、画集としてもすぐれた本書の魅力を、存分に楽しんでいただけるものとなるでしょう。この機会にぜひごらんください。


左:『福沢一郎画集』1933年 右『秩父山塊』挿絵 1943年頃


『アマゾンからメキシコへ』写真ページ 1954年


左:大田洋子著『屍の街』1948年 中:大江健三郎著『死者の奢り』1958年 右:雑誌『自由』1970年9月号


《習作》1975年頃 アクリル・板



会 期:2017年5月12日(金)〜6月19日(月)の日・月・水・金開館
12:00-17:00
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「もうひとりの福沢一郎―画集『秩父山塊』にみる科学者の眼」
講師:本間岳史氏(地質学者、元埼玉県立自然の博物館館長)
日時:5月24日(水) 14:00〜16:00
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円(観覧料込)
※要予約、先着40名様(電話・FAXにて受付)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405
FAX. 03-3416-1166

【展覧会】PROJECT dnF 第4回 寺井絢香「どこかに行く」作家インタビュー

寺井絢香 インタビュー

2016年10月29日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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寺井絢香(てらい・あやか)
1989年生まれ。2008年、多摩美術大学絵画学科油画専攻入学。2010年、個展「humanité lab vol.34 寺井絢香展-zokuzoku-」(ギャルリー東京ユマニテ)開催。2011年、グループ展「FIELD OF NOW -新人力-」(銀座洋協ホール)/「ユマニテコレクション −若手作家を中心に」(ギャルリー東京ユマニテ)/「画廊からの発言 ’11 小品展 チャリティーオークション」(ギャラリーなつか)。2012年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2013年、グループ展「“開発も” 新世代への視点」(ギャラリーなつか)。2015年 個展「寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「PAPER DRAWINGS」(ギャラリーなつか)。2016年、個展「新世代への視点2016 寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「現代万葉集」(ギャラリーなつか)。

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1 この展覧会と新作について

—- 展覧会のタイトル「どこかに行く」は、作品のタイトルなんですよね。

寺井 はい、窓のところに並んでいる、真ん中の作品です(図1)。あれはパリに行ったときの空を思い出しながら描きました。

—- このことばを展覧会のタイトルにしたのは、どういう思いからなんでしょう。

寺井 私は、絵を日記のように…というか、記録のように描くことが多いので。旅の印象とか思い出とか。今回、展示のお話をいただいたとき、そういうものを集めたら、自由な感じで、いい展示にできるんじゃないかと思って。ただ「旅」よりも、しっくりくることばが「どこかに行く」だったんです。

—- いろいろな場所の印象、思い出が、ここに集まっているんですね。

寺井 クロアチア、モンテネグロ、パリ、タイのアユタヤ遺跡、そして韮崎のヒマワリ畑。あんまり統一感はないですが(笑)。

—- そして今回の展示のために、新作を作ってくださったんですね(図2)。

寺井 はい。この展覧会の話をいただいたときに、今まで発表したことのない、一番大きな作品を出品してみたらどうか、と言ってくださって、いいなあと思ったんですが、測ってみたら壁におさまらないことが判って。どうしようかと思いましたが、せっかくだから新作を描くことにしました。これはクロアチアを旅したときに見た風景がもとになっています。ドゥブロヴニクという城壁の街の、たしか城壁の上から山のほうを見た風景だと思います。


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図1 《どこかに行く》 2014年 30.0×30.0cm


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図2 《ディナーの始まる頃に》 2016年 243.0×366.0cm

—- こういう話を聞いていると、なんというか、ふつうの旅の風景を描いた絵みたいですが、いやいや、違うんですよね。至るところにマッチのかたちが…。

寺井 建物の屋根とか、山とか。同じ街の城壁を描いたものが、階段のところにあります。小さい絵ですけど。

—- これも城壁の石が、マッチ棒の頭でできていると。西側の壁にはヒマワリの絵が4つ(図3)、これも種のところがマッチ…。

寺井 この夏に、お友達に勧められて、韮崎のヒマワリ畑に行ってきたんです。この大きな新作に取りかかる直前で、時間もないし、どうしようかな…と思ったんですが、やっぱり描いておかなきゃと思って。

—- じゃあ、ヒマワリの絵を4つ描いたあとで、この大きな新作を?

寺井 はい。


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図3 西側壁面の、ヒマワリを描いた作品4点。左手前は《とある冷たい日》2014年。

—- 新作を描くのにどのくらいかかりました?

寺井 だいたい3週間くらいですね。

—- けっこう早いですねえ。

寺井 そうですか? 自分ではそんなに早いとは…あんまり細かく描いてないんで(笑)。まあ、体力は使いましたけど。私、集中力があまり長く続かないので、短期集中で(笑)。

—- この展示のためにがんばってくださって、ありがたいです。いかがですか、今回の展示の率直な感想は。

寺井 なんだか、絵が喜んでる気がします。

—- そうですか?

寺井 はい、ここは福沢一郎さんが使っていたアトリエなので、お家みたいな雰囲気がありますよね。だから、絵もリラックスしているというか…そんな印象です。

—- 展示をする上でこだわったポイントは?

寺井 きっちり並べるというよりは、ちょっとごちゃごちゃした感じの展示にしようかなと思いました。せっかくこういう場所なので、今までやったことがない展示を目指しました。結果、まあ、なんとか形になったので、安心しました(笑)。


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2 マッチのある風景

—- 今回の出品作は、すべて油絵具で描かれたものですね。

寺井 はい。ヒマワリの絵と《アドリアの海》はキャンバスですが、ほかは全部ベニヤで作ったパネルに描いています。

—- 油絵具へのこだわりはありますか?

寺井 特にこだわっているわけではないですが、例えばアクリル絵具だと、乾くのが早いじゃないですか。私、あんまり早く乾くと描きづらいことが多いんです。むしろ絵具が乾ききらないところで、その上に描いていく。

—- 下の層の絵具まで、ぐいっと持っていくことで、できる線とか色とかが、わりと大事なんですね。

寺井 そうかもしれません。ただ紙の作品は、やっぱり油では合わないので、アクリル絵具を使って描きます。

—- 風景や植物の中で、どの部分をマッチのかたちで描くかは、どんなふうに決めるんですか。

寺井 ものや風景を見た瞬間に、あ、これマッチ(のかたち)で描きたい!って思うこともありますし、絵を描きながら、ここはマッチになるかな…と思ってそうすることもあります。例えばこの新作は、まず屋根をマッチで描きたいと思って、そこから始まりました。ああ、韓国の(家々の)屋根も描きたかったんですけど、今回は時間的に間に合わなくて…。ほかにもウィーンとかドイツの街とか…。

—- そういう、行ったことがあっても、まだ絵になっていないところはまだあるわけですね。国内でもそういうところはあるんですか?

寺井 国内は…この間ギャラリーなつかで個展を開いたときは、京都の苔寺の風景を描きました。でも、国内はいろいろなところへ行ってるわりには、あまり作品にはなっていないかもしれません。苔寺も、苔をマッチ(のかたち)で描きたいと思ったから行ったんです。

—- なるほど。まずマッチで描きたい!が来たわけですね。今回の個展のように、旅の風景や印象を描いた作品の場合は、マッチのかたちは自由自在に変化していますよね。その中でも、《とある冷たい日》という作品(図4)は、他のものとちょっと印象が違うように思います。

寺井 これは、パリに行ったときの印象を描いたものです。確か卒業して最初に行った海外旅行です。私、学生時代はアトリエにこもりっきりで、本当にアトリエと家との往復みたいな生活で…もっと学割とか使って、旅しておくんだったなあと思いますけど(笑)。で、行ったのがちょうど3月で、1か月くらい行ってたんですが、けっこう曇っていて、グレーなイメージで。特にこう描こう!と思ってこうなったのではなくて、こういう国だったというか…本当に写真も見ずにイメージだけで描いた作品です。



図4 《とある冷たい日》 2014年 162.0×130.3cm

—- 3月くらいのパリのどんよりした空は、やっぱり特徴的ですよね。

寺井 あとは、パリは日本と違って…日本はなんだか、堅いイメージがあるなあと思って。

—- 海外に行って、改めて日本を考えたときに?

寺井  そう。アートが、国とか街の至る処に溢れている感じだし、街じたいがアートみたいな。ルーブル美術館で子供たちが走っているし。ダ・ヴィンチの作品の前で。アートがあるのが当たり前、というか…うまく言葉に出来ないですけど。そういう日本との違いを感じたんですよね。

—- はい。

寺井  で、私はそれまで、かっちり描かなきゃいけない、みたいなふうに思っていたんですけど、そうじゃなくても…柔らかいというか、言葉は悪いですけど、雑…でもいいかなって、そんなふうに思って描いた記憶があります。

—- それまで、自分の絵はこうじゃなきゃ、と思い込んでいたことを取っ払うみたいな?

寺井  うーん…それまでは、一枚の絵をかっちり完成させなきゃいけないと思っていたんですけど、そうじゃなくてもいいかな、と。自分が描きたいと思うところが描けていれば、それでいいかなって…(逆に)かっちりさせたくないって思いましたね。

—- そんなお話をうかがうと、《とある冷たい日》は、けっこう大事な意味をもつ作品なのかもしれませんね。

寺井  そうですね。言われてみれば。


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3 なぜ「マッチ」なのか

—- いつも尋ねられることだと思うんですが…そもそも、なぜマッチなのか。モティーフとしてマッチ棒を描くようになったきっかけを、教えていただけますか。

寺井 大学2年のときに、「1週間自分で決めた何かをやり続けて、そこから得たものをタブローとして描く」という、授業の課題があったんです。いやだなあ…と(笑)。で、自分で簡単にできるようなものにしようと思ったんですね。私は当時から一人暮らしだったので、家に帰っても話し相手もいないし…何となく、そのあたりにあるいろんなものに話しかけてたんです。まあ、独り言なんですけど(笑)。じゃあ、そうやって、ものに話しかけるのを意識的にやってみようと思って、ビデオでずっと記録したんです。

—- 1週間?

寺井 はい。毎日違うものなんですけど。掃除機とかコンセントとか。その、話しかけたものの中にたまたまマッチ箱があったんです。私、集合体みたいなものが好きで…虫以外は(笑)。マッチって、一本だけでいることって、あまりないじゃないですか。たいてい箱とかに入っている…そんなマッチ棒が、箱の中で会話しているような、そんな気がしたんです。例えば私がでかけたあと、私の悪口言ってるみたいな。「まったく、もうちょっと部屋片付けていきなよ」「そうだそうだ」とか。

—- へええ。

寺井 マッチ棒って、個性がないようで、個性があるんですよね、よく見ると。そんなところに面白みを感じて、課題では擬人化されたようなマッチを描きました。それが意識して描いた最初のマッチですね。それ以来ずっと…。何だか、話としてはつまんないですね(笑)。

—- いやいや(笑)。ひとくちにマッチといっても、寺井さんの作品の中にあらわれるマッチのかたちは、さまざまですよね。時期的な違いもあれば、別のスタイルが同時並行的にあらわれることもある。

寺井 そうですね。初めは擬人化というか、感情を表したりしていましたが、だんだん動物や植物のかたちになることもあって、自然と変化していった感じです。そういうマッチはくねくねしてたりしますが、一度そういう変化をさせないで描こうと思って作った「アリノママッチ」っていうシリーズ(図5)があります。曲げない、折らない。ありのままのマッチのかたちを重ねたり、密集させたりして描きました。

—- 最近の紙のお仕事でも、マッチの頭の密集だけで描いているものがありますね。こういうものと、風景の中でうねるようなマッチを描くのと、何か心持ちの中で違いはあるんでしょうか。

寺井 うーん、こっち(密集しているほう)が、かたちがとりやすいですね。あとは、マッチの存在が近い気がします。でも、風景の中にいるマッチのほうが、発散している気がしますね。

—- マッチが?

寺井 はい。活き活きしてる…というのともちょっと違うんですが…何て言えばいいか…。うまく言葉にできないですが、そんな感じです(笑)。


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図5 「アリノママッチ」シリーズ 2014年 14.8×21.0cm


4 描き続けること

—- そういえば、寺井さんの作品は、福沢一郎の作品と一緒に展覧会に出品されたことがあるんですよね。豊橋市立美術博物館の企画展で(1)。

寺井 はい、私は忘れていたんですが、記念館に来た父が気がついて。

—- このとき出品されたのは、マッチ棒じゃない絵ですよね。

寺井 このとき出品されたのはまだ学生のとき描いたもので、卵とかちくわとかたけのことか、そういうものを色鉛筆で描いた作品です。ギャルリー東京ユマニテで個展を開かせていただいたときに(2)、その出品作を、コレクターの方が買ってくださったんです。で、「おでんシリーズ」にしたいから、こんにゃくがほしい!と。

—- 「おでんシリーズ」!

寺井 でも、こんにゃくの作品はその前に売れてしまっていたんです。そのあと、また描いてほしいと頼まれたんですが、結局描けていなくて…。で、そのとき買ってくださった作品が、福沢さんと同じ展覧会に…。

—– こんなところでもご縁があったんですねえ。なんだかうれしいです。ギャルリー東京ユマニテでの個展以降は、発表なさる作品はだいたいマッチが登場しますね。

寺井 そうですね。それ以降はマッチの作品以外は発表していないです。


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—- ひとつのモティーフを延々と描き続ける、作り続けると聞くと、例えば耳の三木富雄さん、ドットや網目の草間彌生さんなどを思い出します。こういう人々は、たいてい、オブセッション、つまり何らかの強迫観念に突き動かされて描く、かたちづくるというふうに説明されることが多いようです。「マッチばかり描く」ということばだけ聞くと、私などは、そういう印象をまず持ってしまいます。でも、実際寺井さんのマッチを描いた絵を観ると、何かしらに追いまくられているような、切羽詰まった感じはしないですね。もっとおおらかな、ゆるい感じがします。

寺井 自分でも、そんなに切迫感みたいなことは、感じてはいないと思います。もっとこう…いつも近くにあるもの、みたいな。自分のまわりに作品があって、いつも観ていられるのがいいですね。

—- じゃあ、福沢一郎みたいにいいアトリエをつくらなきゃいけませんね。

寺井 できるんですかねえ…(笑)。

—- 今まで制作につまづいたり、行き詰まったりしたことはあるんでしょうか。

寺井 悩んだ時期はありました。マッチを絵にすると、なんだか、パターンというか、デザインみたいになるんですよね。それを絵画として成り立たせるにはどうすればいいのか、いろいろ考えました。その結果、あまりマッチだけというふうにこだわらないようにしたんです。背景に何が来てもいいし、別のものが入ってもかまわない。卒業制作の《フィナーレ》(図6)は、そんなふうに吹っ切れたところで描いた作品です。

—- 「五美大展」でもけっこう話題になったそうですね。


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図6 《フィナーレ》 2012年 243.0×366.0cm

寺井 いちばん辛かったのは、大学を卒業してすぐくらいの頃ですね。いつも大学で絵を描ける環境にあったのが、自宅で描かなければいけなくなって、そんなに大きなものも描けなくなり…。このままやっていけるのかどうか、悩みました。

—- でも描くのはやめなかった。

寺井 そうですね。どんな小さなものでも、できるだけ毎日描いていました。体力が続かないときはありましたけど。なんだか、絵を描くことが、日記みたいなものだと思えるようになったんです。

—- それが今につながっているということですね。では最後に、これから自分が目指す制作について、教えてください。

寺井 そうですね…。私の絵を見た人が元気になってくれたり…別に絵や美術に興味を持ってくれなくてもいいんですけど、何か今までと違うことを始めるきっかけになるような、そんな絵を描けたらいいなと思っています。

—- なんだか壮大ですね(笑)。でもそのためには、たくさんの人に観てもらわなきゃ。もっと描いて、発表の機会をつくって…。

寺井 はい。行動で示していければと思います! そのためには、自分がもっとエネルギッシュでいなきゃいけないですね。

—- 近々、また旅に出かける予定がおありだとか。

寺井 この年末に、メキシコに行きます。

—- 福沢一郎も旅したメキシコ。そこでまた、いろいろなものを吸収して、ご自分の世界をどんどん広げていっていただきたいです。楽しみにしています。


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10月29日(土)のギャラリー・トーク風景

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インタビュー記事でも触れているが、ある特定のモティーフやかたちを描き、作り続ける芸術家と聞けば、私はどちらかといえば神経質な作家のすがたを想像してしまう。そして作品も、のっぴきならない作家の精神を、細かな棘のように纏っているのではないかと身構えてしまう。
寺井が描く夥しいマッチの集合体には、しかし、視神経の奥底をちりちりと焼いたり、全身の毛をざわつかせたりするような、怖さがない。そして、旅の印象を描いた作品の中に描かれているマッチ棒は、過剰に自己主張したり、恐れおののき震えているのではない。くねったり渦巻いたり波打ったり、驚くほど自由に躍動しているのだ。
寺井の制作は、およそオブセッションとは縁遠いもののようだ。描く対象がマッチ棒の集合体に変換されるプロセスは、おそらく、凝視によってじわじわと染み出したり、背後から覆い被さるように迫り来るのではなく、傍にある親しいかたち、すなわちマッチとの対話によって導かれているのではないか。それが偶然の出会いによって始まったのだとしても、いま作家にとってマッチとともにあることは必然であり、絵画の中をともに旅する伴侶のような関係なのだろうと、私などは想像する。絵具の乾ききらぬうちに一気呵成にぐいぐいと描く力強さも、描くことへの迷いのなさ、つまり行き着く先をともに見つめる存在のなせる業なのかもしれない。
作家が毎日スマホで描く絵日記のようなデジタル画像には、たいてい、愛嬌のあるマッチ棒とともに、いつも笑顔の作家本人が描かれる。マッチ棒との近しい関係は、作家が描き続ける動機であり、作品の心棒でもある。互いに縛られない。押し込められない。この心地よい距離感が続くかぎり、寺井の作品のなかでマッチ棒たちは自由奔放に集まり、ひしめき、渦巻いて、新たな「どこか」を形作るだろう。
マッチ棒とともに続く寺井のはてしない旅のゆくえを、私はこれからも追い続け、楽しみたいと思う。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月29日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。
※図版のない画像は、すべて会場風景。


1 「F氏の絵画コレクション ~福沢一郎から奈良美智世代~」2012年7月28日〜8月26日、豊橋市美術博物館(愛知県豊橋市)
2 「humanité lab vol. 34 寺井絢香展 TERAI Ayaka “zokuzoku”」2010年9月13日〜18日、ギャルリー東京ユマニテ