保護中: 【イベント案内】オンライントーク 山内隆「巡礼。ぼくが見てきたもの」 10/1(土)20:30-22:00

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【イベント案内】夜のおしゃべり鑑賞会オンライン 10/29(金)20:30-21:30

《Osmantus gigas》 2019年 糸、粘土、水彩絵具 他 縦590×横500mm         

現在開催中の展覧会「川端薫 その日を摘む」に展示中の作品(の画像)をみながら、みなさんで気軽に、自由におしゃべりしてみましょう。
予備知識はいりません! 正しい「みかた」もありません! 
「対話型鑑賞」で作品を語るみなさんのことばが、新しい作品のみかた、楽しみかたをつくります。ぜひお気軽にご参加ください!

◎開催日時:2021年10月29日(金)20:30-21:30

プログラムは以下のとおりです。(約60分/時間は変動する場合があります)
20:30 ごあいさつ、記念館と展覧会のご紹介(10分)
20:40 作品鑑賞とおしゃべり(30分)
まずはじめに、少しの時間、1点の作品(画像)をじっくり、ゆっくりとみてみましょう。
※ どの作品をみるかは、当日までナイショです。
そのあと、感じたこと、気になったこと、発見したことなどなど、いろいろお話してみましょう。
ファシリテーター(進行役)が、みなさんのおしゃべりのお手伝いをいたします。
21:10 作家とおしゃべり、質問タイム(20分)
展示作家の川端薫さんが登場! 作品の感想、鑑賞そのものの感想、作家への疑問質問など
21:30 イベント終了 おつかれさまでした!

参加は無料です!

◎参加方法と申込方法は以下のとおりです。
1.参加方法
オンライン会議システム「Zoom」を使用します。
PC、タブレットまたはスマートフォンをご用意ください。
あらかじめ「Zoom」のアプリケーションをインストールしておいていただくと、ご参加がスムーズです。
2.申込方法
各回の定員は、鑑賞者(おしゃべりする人)8名見学者(おしゃべりのようすを見学する人)15名いずれも先着順です。
以下のリンクから、申込フォーム(Googleフォームを使用)にご入力いただき、送信してください
※ 定員に達した日時と参加形態(鑑賞者・見学者)は、お申込フォームから入力できなくなります。

参加のお申込みは→こちらのリンク←または以下のQRコードからどうぞ!

 参加者のみなさまには、zoomリンクなどのご案内を、ご登録のメールアドレスに、開催日前日までにお送りさせていただきます。
 ※ フォームへのご入力・送信後、フォームからの自動メールが送信されます。迷惑メールフォルダに入ってしまうことがあるので、ご確認ください!
 ※ イベント開始前30分を過ぎてもメールが届かない場合は、ご遠慮なくお問い合わせください。

◎このイベントに関するお問い合わせは、event●fukuzmuseum.com (●をアットマークに替えてください)までどうぞ。

【終了しました/イベント案内】午後の/夜のおしゃべり鑑賞会オンライン

※画像は過去の展覧会会場風景です         

2021年春-夏の展覧会「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」に展示予定の作品(の画像)をみながら、みなさんで気軽に、自由におしゃべりしてみましょう。
予備知識はいりません! 正しい「みかた」もありません! 
「対話型鑑賞」で作品を語るみなさんのことばが、新しい作品のみかた、楽しみかたをつくります。
今回は群馬県を中心に活動する「対話型アート鑑賞ラボ」のご協力をいただき、オンライン形式の鑑賞会に、当館がはじめて挑戦します。ぜひぜひご参加ください。

プログラムは以下のとおりです。(全60分)
1.ごあいさつ、アイスブレイク(5分)
2.作品鑑賞とおしゃべり(30分)
まずはじめに、少しの時間、1点の作品(画像)をじっくり、ゆっくりとみてみましょう。
※ どの作品をみるかは、当日までナイショです。
そのあと、感じたこと、気になったこと、発見したことなどなど、いろいろお話してみましょう。
ファシリテーター(進行役)が、みなさんのおしゃべりのお手伝いをいたします。
3.ふりかえり、質問タイム(15分)
鑑賞とおしゃべりを終えて、どんなことを感じましたか?
ぜひご意見やご質問をお寄せください。

参加は無料です!

日程は以下のとおりです。
1.午後のおしゃべり鑑賞会オンライン(小学生〜一般対象)
 日時:①6月27日(日)14:00〜15:00
    ②7月3日(土)14:00〜15:00
2.夜のおしゃべり鑑賞会オンライン(一般対象)
 日時:①7月2日(金)20:00〜21:00
    ②7月10日(土)20:00〜21:00

◎参加方法と申込方法は以下のとおりです。
1.参加方法
オンライン会議システム「Zoom」を使用します。
PC、タブレットまたはスマートフォンをご用意ください。
あらかじめ「Zoom」のアプリケーションをインストールしておいていただくと、ご参加がスムーズです。
2.申込方法
各回の定員は、鑑賞者(おしゃべりする人)6名見学者(おしゃべりのようすを見学する人)15名いずれも先着順です。
以下のリンクから、申込フォーム(Googleフォームを使用)にご入力いただき、送信してください。
※ 定員に達した日時と参加形態(鑑賞者・見学者)は、お申込フォームから入力できなくなります。

参加のお申込みは→こちらのリンク←または以下のQRコードからどうぞ!

イベントは終了しました。たくさんのお申込・ご参加ありがとうございました!

 参加者のみなさまには、zoomリンクなどのご案内を、ご登録のメールアドレスに、開催日前日までにお送りさせていただきます。
 ※ フォームへのご入力・送信後、フォームからの自動メールが送信されます。迷惑メールフォルダに入ってしまうことがあるので、ご確認ください!
 ※ イベント開始前30分を過ぎてもメールが届かない場合は、ご遠慮なくお問い合わせください。

◎このイベントに関するお問い合わせは、event●fukuzmuseum.com (●をアットマークに替えてください)までどうぞ。

【ご報告】シンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」レポート

新型コロナウイルス感染症拡大による東京都内の緊急事態宣言が続く2021年1月30日、当館では、オンラインシンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」を開催しました。当館では初のオンラインのイベントとなります。

※ このシンポジウムは、今年度、公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成をうけた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の中間報告としておこなわれるものです。
また、このシンポジウムの内容の一部は、科学研究費 基盤研究(C)「写真・映像の 「影響」から見た日本の前衛芸術――昭和戦前期を中心に」(研究代表者・谷口英理)の研究成果に基づくものです。


本シンポジウムは、概ね以下のスケジュールに沿って行われました。

 ◯はじめに 問題の所在と研究の概要(13:30〜13:50)
  谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
  伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
 ◯第1部 研究発表(13:50〜15:50)
 (1)福沢一郎の写真資料 伊藤佳之(13:50〜14:20)
 (2)長谷川三郎の写真資料 谷口英理(14:20〜14:50)
   〈休憩10分〉
 (3)美術館資料としての写真 東京国立近代美術館アートライブラリ所蔵
    『抽象と幻想』展関連写真を中心に(15:00〜15:30)
    長名大地氏(東京国立近代美術館研究員)
 (4)昨今の写真資料の危機(15:30〜15:50)
    肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブサポートセンター所長)
   〈休憩10分〉
 ◯第2部 質疑・意見交換(16:00〜16:30)
 ※ 終了後、希望者は17:00まで意見交換などをおこないました。

今回は非常に多数のお申込があり、予定をはるかに超える43名のご参加がありました。


シンポジウムの冒頭に、谷口氏から、我々が抱えている問題意識と、そこから調査研究を始める過程について発言があり、続いて伊藤からも当館の実例をもとに「画家の写真資料」を考える意義を述べました。

谷口英理氏(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)

研究発表は、まず谷口氏と伊藤から、それぞれ対象となる写真資料の保存処置とデジタル化の過程、またデジタル化された資料の検討からみえてきたことなどをお話しました。
伊藤からは、改めてみえてきた福沢の写真の特質や魅力についてお話しし、また大規模なプロジェクトでなくとも写真資料の保存処置やデジタル化は可能であり、「消耗品費数千円、委託料数万円からのデジタル化」からはじめることをご提案しました。

谷口氏からは、《室内(二)》をめぐる解釈と検討の経緯や、今回その全貌が初めて明らかになった、長谷川が中国旅行の際に撮影した写真群について解説がありました。また「作品」というカテゴリに固執すると、作家の重要な部分、例えば造形実験としての写真の重要性を見失う可能性や、長谷川や福沢と同時代の「美術家の写真」をデジタル化等の手段で可視化していくことで、彼らのメディア意識が明らかになるのでは、という展望などが示され、「求む! 未整理・保存の危機にある前衛美術家の写真・映像資料の所在情報」と力強い呼びかけがなされました。


続いて、今回招聘したパネラーのおふたりの発表がおこなわれました。まず長名大地氏による「抽象と幻想」展の写真資料に関する発表では、ガラス乾板の記録写真をデジタル化したことで明らかになった事例が次々と述べられました。記録として不明瞭であった同展の輪郭を浮かび上がらせるだけでなく、戦後の美術館における近現代美術「史観」の提案を考えるうえでも重要な研究資源が、写真のデジタル化によって生み出されたわけで、今後の調査研究の進展がおおいに期待されます。

長名大地氏(東京国立近代美術館 企画課情報資料室 研究員)

また、さまざまな現場でデジタルアーカイブのプロジェクトに関わってこられた肥田氏からは、今回の福沢資料のデジタル化作業についてお話いただいたあと、写真資料が含む情報の大切さと、日々刻々と失われつつある写真資料の危機について、実例をもとにお話いただきました。参加者のみなさまにも「今そこにある危機」を改めて考えるきっかけとしていただけたのではないかと思います。

肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブセンター所長)

発表に続く質疑・意見交換では、現場で写真資料に相対するみなさまから、具体的な資料の取扱や、資料の保存を目指した考え方・基準のようなものについての質問が相次ぎました。以下に質問へのお答え、ご感想等とともにご紹介しますので、ごらんください。(時間内にお寄せいただいたものに限っています。また、ご質問くださったみなさまのお名前は伏せさせていただいております。) 

コロナ禍によりオンラインでの開催となったシンポジウムは、予想以上に参加者のみなさまの関心が高く、現場で日々悩んでおられる様子が伝わってきました。
今回の発表や意見交換が「画家の写真」について考える一助となり、また失われゆく貴重な写真資料を救うひとつのきっかけになれば、大変ありがたく思います。
(伊藤佳之)


◯ご質問と回答
・「フエルアルバム」は写真の保存によくないと東文研の研修で習いましたが、やはり遺族のもとで「フエルアルバム」が発見されることが多々あります。おそらくフエルアルバムの状態で記録写真をとって、台紙から剥がすのだと思うのですが、裏のベトベトがついていたり、反ってきたりしてどうもうまくいかず、良い方法があったら知りたいです。
 →(肥田氏)率直に言って、いい方法はありません。フエルアルバムは画期的なシステムではありましたが、糊分が印画紙の支持体に染みこんで、長い時間をかけて悪さをする例のひとつです。貼った人が几帳面であればあるほど剥がしにくいです。剥がすことが可能であれば、一刻も早くはがして、ノンバッファの紙フォルダで挟むなどして保存するのがいいと思います。
 →(谷口氏)過去に、水濡れしたフエルアルバムを扱ったことがありました。表面の乳剤が溶けだしていて、一刻を争うような状態でした。そのときは堀内カラーさんと資料保存器材さんでチームを組んでもらって、剥がせるものは剥がす。剥がれないものは、台紙から薄く切り取ってフォルダに挟む、という作業をしてもらいました。そうした脆弱なものからデジタル化の優先順位を高くしていくことが必要だと思います。

・遺族がお持ちの写真を美術館の展覧会などで一時的にお借りすると、元々のアルバムとは違うところに戻されてしまったり、借用した時のままの袋でその後、次の展覧会で誰かが借用するまでそこに置かれています。遺族から一時的に借りたものをどうやって保管してもらうのか、何か統一したフォーマットのようなものがあると嬉しいです。
・以前、考古学の学芸員さんと話した時に、資料を発見したときはそれがどこにどんな順番で置かれていたのかも記録すべきだ、とおっしゃっていました。その話を聞いて画家のアトリエの状態もできれば最後に使ったままで一度撮影なり、記録を取るべきだと思いました。しかし、画家のアトリエにも家庭生活が入り込むのでその後、ご家族のかたがどの程度手を入れられたのかが分かりません。それでもある時点で記録を取るべきなのでしょうか?
 →(谷口氏)個人の方に資料を保管していただくためのルールやフォーマットは、ないのが現状だと思います。アーカイブズの基本原則として「出所原則」「原秩序保存の原則」「原型保存の原則」「記録の原則」がありますが、「原秩序」とはどの時点をさすべきか、というのがやはり難しくて、個人文書は公文書などのように完璧に管理するのは無理だと私は思っています。例えば、歴史学の先生が文書の悉皆調査などなさる際、ある倉庫の調査に入るときなどは、その時点で棚など場所ごとに番号をふり、写真を撮って、簡単な概要(目録)を作成し、それをもとに順次細かい目録を作成していくのだと思いますが、そういう方法しかないかな…と。画家のアトリエの場合も、何処に何があるかわかる程度に、写真やメモでざっくりと記録をとっておき、ご遺族などには、元の場所にあることが大事なんです、ということをなるべくご理解いただきながら、調査をすすめる。そういうやり方しかないのかなと思います。
 →(参加者より)東京都写真美術館では、遺族や個人コレクターからお借りした作品の場合は、展示で使用したマットのままお返しすることが多いです。また可能の範囲で間紙などを入れることをお薦めしていました。
 →(伊藤)福沢のアトリエも、ご遺族が記念館を作られるときに資料を整理なさって、富岡市の記念美術館に寄贈したり倉庫に預けたりなどしました。その時点で画家の使っていたアトリエとは違うものになっています。ただ、写真資料に関していえば、それ以降は大きく場所が変わることはなかったので、その場所の記録はつけています。ましてや個人のお宅の場合は生活空間なので、都合によってモノが動くことはあるでしょう。やはり調査に入った時点で記録をとる、必要に応じてそこから紐付けていくという方法しかないように、私も思います。

・1970年以降ビデオ記録も増えていると思われますが、動画のデジタル化に関しての注意点も教えてください。ベータ、VHS、ほか、また同時に音声テープもあるかと思います。併せてお願いします。
 →(谷口氏)国立新美術館に寄贈されたさまざまなメディアの資料は、実際どこまでデジタル化すべきかを考えなければいけません。当館ではまず、業者さんにお願いして、テープやフィルムにどんなものが入っているのか、保存状態などをざっと調べていただきます。その中にはテレビ番組を録画したものなど、デジタル化できないものも入っていたりします。そういうものは除いて、必要と認められるもののみを、予算に応じてデジタル化するようにしています。
 →(肥田氏)ビデオテープはmpeg4などのデジタル動画データに、8mmや16mmなどのフィルムはテレシネという作業を通して動画データにするのが一般的です。6mmの音声テープはWAV形式で保存します。それから、大事なビデオテープなどは、マスターテープからコピーを複数作って残していることがあり、お金をかけてデジタル化してみたら同じものが出てしまうこともあります。業者によっては(記録内容の)タイトルとか、フィルムの頭だけ出してくれたりするので、谷口さんのおっしゃったようなチェックをするのも大事と思います。

・紙焼き写真をスキャンによってデジタル化する方法を進めようとしているのですが、よいのかどうかのか迷いがあります。サイズが大きな写真は無反射ガラスで押さえての撮影を進めています。アドバイスいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
 →(肥田氏)スキャンと撮影どちらがいいかはなかなか言いにくいのですが、写真資料そのものへのダメージは、スキャナのほうが大きいです。特に古い資料や劣化の進んだ脆弱な資料については、安全という意味で、デジタルカメラによる撮影に軍配があがります。画像の品質については、使用する機器によっても違いますので,一概にはいえないと思います。
 →(伊藤)フィルムのデジタル化には、専用のフィルムスキャナを使うのですか?
 →(肥田氏)堀内カラーは写真の現像をする会社だったので、今後はフィルムのデジタル化が必要だろうということで、業務用のフィルムスキャナ…今はもう製造していませんが…それを相当の台数確保しています。フィルムのほうが紙焼に比べて(コマ当たり)圧倒的に早く、安くデジタル化が可能です。

・わたしも紙焼き写真をスキャンでデジタル化することがありますが、毎回、埃の映り込みとの闘いです。何か、アドバイスいただけませんでしょうか。
 →(肥田氏)今の季節は特に静電気が発生しますので、埃がつきますね。当社の撮影のスタジオはクリーンな状態ですが、さらにエアコンプレッサーで塵や埃を飛ばしてスキャンしても、ついてしまうことがあります。なかなか有効な手立てはありません。ですから、作業として、画像加工ソフトで何%まで拡大してゴミをとること、というような仕様が、発注時に入っていることがあります。

・デジタル化して現物は所蔵者に戻す、というのは一般的なのでしょうか。当館では写真を含めて美術資料を寄贈されることが多く、収蔵庫がいっぱいで困っております。アドバイスをいただければ幸いです。
 →(谷口氏)これは一般的、とはいえず、ケースバイケースだと思います。長谷川三郎の場合は著作権が切れているので問題ありませんが、残っている場合だとまた事情が異なります。問題は、美術館に所有権がない資料をデジタル化する権利が美術館側にあるのか、ということです。著作権法上の問題ですね。所有権のある資料であれば、保存のための複製なら法的に許されているのだと思いますが。デジタル化した後にはお返しします、という資料ならば、お借りする際に、デジタル化した画像の使用に関する契約を、所有者や著作権者と結んでおかないと、公開などができないということになってしまうかもしれません。また、資料の現地保存についていえば、展覧会の調査にうかがった際に目録をとったり保護包材に入れ替えたりなどの作業をさせていただいて、そのあとは、きちんと資料が保存されているかどうか、できる限り所有者の方と連絡を密に取り合うことも大事だと思います。

・(谷口氏)長名さんに「抽象と幻想」展について質問です。目録や書籍などの刊行物が出ていますが、そこに出ているデータだけでは、すべての出品作は追えない、ということで、写真から特定なさっている、ということでよろしいですか。
 →(長名氏)両方ありますね。実際に(写真から作成した)デジタル画像にしかない作家・作品もあります。(目録と写真の間に)異同があるので、そこを付き合わせる作業が必要になり、リストも複層的になっています。例えばある雑誌に掲載された図版の列と、デジタル化した画像の列、などを作って対応関係をみていくことで、ちゃんとしたリストが完成するのかなと思います。
 →(谷口氏)つまり美術館が公式に出したリストは完璧ではないと。
 →(長名氏)厳密にいうと、そうですね。それは調査してはじめてわかったことです。

◯ご感想(主に長名氏の発表に関して)
・アドバイス参考になりました。ありがとうございました。和歌山近美は地方ですが県美時代1963年から記録があり、保存、アーカイブ化の必要を感じております。
・本日、良い機会となりありがとうございました。長名さんのお話などで、展覧会自体のアーカイブ化も何か最低限でも考えていかないといけないな、など考えさせられました。
・刺激的でした。展覧会の資料については、貴重だと思うとともに、小規模な展示替えがよくあることなので、結局展覧会の最終的な形とはなにか、つまり学芸的な意図の実現というものをどう解釈するのか、難しいところがあるように考えます。

【終了しました/満員御礼】シンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」開催のお知らせ


【2020.12.10】定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました

福沢一郎記念館では、オンラインによるシンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」を、2021年1月30日(土)に開催いたします。

「画家」の手による「写真」は、これまでどのように扱われてきたでしょうか。 作品でもなければスケッチでもない、単なる関連資料として扱われることが多く、たとえ美術館・博物館に所蔵されていたとしても、顧みられることは少なかったといえるでしょう。
しかし、長谷川三郎や福沢一郎が活躍した20世紀前半は、写真というメディアが大衆に浸透し、視覚の大きな変容をもたらした時期でもあり、同時代の画家たちの制作にも大きな影響を及ぼしていると、わたしたちは考えます。
今回わたしたちは、学校法人甲南学園が所蔵する長谷川三郎の写真(1930〜40年代撮影)と、遺族が所蔵する福沢一郎の写真(1920〜50年代撮影)を包括的に調査・研究することにより、メディアとしての写真がもたらした画家の視覚の変容とともに、画家の撮影または所有した写真が持つ美術史的意義について検討しました。発表ではその成果の一端をご紹介したいと思います。
また、調査・研究の過程でおこなわれた保存処置とデジタル化の作業をとおして、資料の保存や活用に携わる現場の諸問題も明らかになってきました。そこで、劣化の危機に瀕する写真資料をできる限り救い、アーカイブズ資料としての活用を目指すささやかな一歩として、作業の内容と諸問題についてもご紹介し、 参加者のみなさんとの意見交換をとおして、よりよい資料保存・活用の術をさぐっていきたいと思います。
あわせて、写真資料の保存・活用に取り組むおふたりの識者をゲストとしてお迎えし、それぞれのお立場からご発表いただきます。美術館・博物館等が抱える問題意識と知見を共有する機会となれば幸いです。
ふるってご参加ください。

伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)

※このシンポジウムは、今年度、公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成をうけた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の中間報告としておこなわれるものです。
※このシンポジウムの内容の一部は、科学研究費 基盤研究(C)「写真・映像の 「影響」から見た日本の前衛芸術――昭和戦前期を中心に」(研究代表者・谷口英理)の研究成果に基づくものです。


主  催:福沢一郎記念館
協  力:福沢絵画研究所R
日  時:2021年1月30日(土)13:30 – 16:30
対  象:
・美術館・博物館の現場で、近代美術をご担当なさっている皆様
・作家資料・展覧会資料としての写真の保存と活用についてお悩みの学芸員・研究者の皆様
・昭和の前衛絵画運動に興味をお持ちの皆様
・シンポジウムのテーマに興味をお持ちの皆様

内  容:
◯はじめに 問題の所在と研究の概要(13:30〜13:50)
谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
◯第1部 研究発表(13:50〜15:50)
(1)福沢一郎の写真資料 伊藤佳之(13:50〜14:20)
(2)長谷川三郎の写真資料 谷口英理(14:20〜14:50)
〈休憩10分〉
(3)美術館資料としての写真 東京国立近代美術館アートライブラリ所蔵
『抽象と幻想』展関連写真を中心に(15:00〜15:30)
長名大地氏(東京国立近代美術館研究員)
(4)昨今の写真資料の危機(15:30〜15:50)
肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブサポートセンター所長)
〈休憩10分〉
◯第2部 質疑・意見交換(16:00〜16:30)

定  員:30名
※ ご参加は無料です。
※ 定員は都合により変更する場合があります。
申込締切は、2021年1月11日(月)といたします。
定員に達した場合、期日前に申込を締め切らせていただきます。
【2020.12.10】定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました

参加方法:オンライン会議システム「ZOOM」を使用します。

注意事項:
1.セキュリティ上の問題から、お申込及び事前登録いただいた方以外の参加はできません。
2.上記リンクやミーティングID、パスコードの公開及びSNS等による拡散はしないでください。
3.入室管理のため、Zoomにて表示される登録名は、事前にご本人のフルネーム(漢字、かな又はローマ字)に設定していただきますよう、お願いいたします。
(Zoomのポータルサイトでサインインし「マイアカウント」からの設定、またはZoomアプリの「設定」から「表示名」を変更してください)
4.このシンポジウムのプログラム全体は、記録のため録画・録音させていただきますので、あらかじめご了承ください。
参加者のみなさまによる録画・録音及びスクリーンショットの撮影は、固くお断りいたします。
なお、録音の書き起こしをもとにしたレポートを、後日『福沢絵画研究所R通信』に掲載予定です。参加者のみなさまには当該号をお送りいたします。
5.ご参加の際は、こちらから指名させていただく場合のほかは、マイクとビデオをOFFにしておいてください(事前に設定済です)。
6.発表に関するご質問・ご意見は、発表中でもかまいませんので、チャット欄に入力していただきますよう、お願いいたします。
7.ご質問・ご意見への回答は、その内容や、意見交換の残り時間によって、選択・調整させていただきます。なお、こちらからご質問内容を確認することがある場合など、マイクをONにしてお話いただくよう、お願いすることがあります。
8.ご質問・ご意見とそれらへの回答等につきましては、当日回答できなかったものを含め、後日福沢一郎記念館ホームページ内にご報告のWebページを作成し、みなさまと情報を共有したいと考えております。

通信環境について
1.光回線等から接続された有線LANまたは、安定したWifi環境のある場所でのご参加をお薦めします。
2.セキュリティ上、公衆LANのご利用によるご参加はご遠慮ください。
3.ZoomはPCのWebブラウザからのご利用も可能ですが、安定した接続環境を保つため、専用アプリのご使用をおすすめいたします。
4.スマートフォンやタブレットからご参加の場合、Wifiではなく4Gや5Gにより接続されますと、データ通信量がたいへん多くなり、通信料金が高額になることがありますので、ご注意ください。
5.当日、回線状況やシステムの利用状況によっては、音声が途切れたり画像が動かなくなったりすることがあります。その場合はミーティングから一度ご退出いただき、上記Zoomリンクから再度入室いただきますと、改善することがあります。


【展覧会】FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀 10/18 – 11/17, 2018

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Will The Voltage of Evil rise in 21st/22nd century?


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀」を開催いたします。
昭和初期から平成へと至る65年の間、つねに人間と社会への鋭いまなざしを持ち、自由闊達に描き続けた画家福沢一郎(1898-1992)は、今年生誕120年を迎えました。彼の作品と言論は、近年多くの研究者によって見直されつつあります。
この巨人に、近年活躍めざましい若手アーティスト平川恒太が挑みます。平川は、戦争画を黒一色で描くことで見えない歴史の痕跡をさぐるシリーズ「Trinitite」の手法を応用し、福沢の晩年の大作《悪のボルテージが上昇するか21世紀》(1986年)を黒一色、原寸大(197×333.3cm)で描きます。現代の我々が直面する困難を20世紀末に予見したかのような問題作を、平川はどう解釈し、我々に提示するのでしょうか。
その他、福沢が1965年にニューヨークで撮影した写真や、福沢が生前愛用した絵具などを用いた制作をとおして、平川は現代に生きるアーティストとして福沢作品をの解釈を試み、福沢一郎のアトリエ内に展示します。
2011年の多摩美術大学卒業時「福沢一郎賞」を受賞した平川による、福沢一郎との時を超えたコラボレーションを、ぜひご覧ください。

 


(参考)福沢一郎《悪のボルテージが上昇するか21世紀》1986年
アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 
2018_a_hirakawa_voltage22thのコピー
平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか22世紀》
2018年 アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm
 
 

平川恒太《芸術家たちの対話−私たちはバラなしでは何もできない》 2018年
福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
 
 

福沢一郎《STOP WAR》1967年 アクリル・キャンバス 73×91cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 

◯出品予定作品
・平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか 22 世紀》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス 197×333.3cm
・平川恒太《ニューヨーク・白と黒のダンソウ》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス サイズ未定
 +福沢一郎撮影写真(1965 年) サイズ未定
・平川恒太《芸術家たちの対話-私たちはバラなしでは 何もできない》
 2018 年 福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
・福沢一郎《STOP WAR》1967 年 アクリル・キャンバス 73×91cm
 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
                       その他

会 期:10月18日(木)―11月17日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
 
 
※トークイベント開催のお知らせ
「福沢一郎とその作品から読み解くもの・受け継ぐもの」
日時:2018年10月20日(土)15:00-16:00
語り:平川恒太(出品作家)
   佐原しおり(群馬県立館林美術館 学芸員)
進行:伊藤佳之(福沢一郎記念館)
観覧料のみでご参加可能・定員 40 名・先着順
※10月19日16:45 定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました。


 

【展覧会】PROJECT dnF 第6回 小林文香「静かな音をみる」アーティストトーク

小林文香 アーティストトークの記録

2016年10月28日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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小林文香(こばやし・あやか)
1987年生まれ。2010年、女子美術大学洋画専攻卒業。2012年、女子美術大学大学院版画領域修了、福沢一郎賞。在学中から個展やグループ展で活躍。2011年第16回鹿沼市川上澄生木版画大賞展(大賞)、同年第11回やまなし県民文化祭(最優秀賞) など受賞も多数。2014年、第82回日本版画協会版画展にて賞候補。現在、日本版画協会準会員。

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1 制作について

—- まずは、福沢一郎のアトリエで作品の展示をしていただいた、率直な感想をお聞かせ願えますか。

小林 非常に気持がいいです。なんといっても、この天上の高さと明るさ。これまでのギャラリーの展示では感じられなかった、気持ちよさ、開放感があります。また、福沢一郎先生のアトリエという、独特の雰囲気にも助けられて…今までにない展示になりました。

—- 小林さんは木版画を主に制作していらっしゃいますね。今回も展示作品のほとんどが、モノクロを基調とした木版画です。これまでの制作じたい、モノトーンの木版画が多いのでしょうか。

小林 そうですね。絵の内容が静かなものなので、色が入って来ると、どうしてもそちらに目が行ってしまう気がして、内容を見せていくために、主にモノトーンで制作をしています。

—- 絵の内容、つまり、小林さんが木版画で表現したいと考えているものは…ことばにするのは難しいとは思いますが、あえて言うとすると、どんなものでしょう…。作品のタイトルなどは、そのヒントになりそうな気がしますよね。《やさしさの選択》(図1)とか《夢のかけら》とか、《ほしめぐり》とか。

小林 はい、人間の無意識の世界や、宇宙に関するものが、タイトルには多いような気がします。このふたつは、どこかつながっているようにも思えるので。



図1 《やさしさの選択》 2016年 木版・和紙 54.6×84.2cm

—- 人間のうちにある無意識の世界と、途方もなく大きな宇宙という世界。相反するもののようで、実はつながっているのではないかと。

小林 無意識の中にも、記憶や情報が、養分のように漂っている。そういう状態が、宇宙の空間とも通ずるように思います。宇宙も、何もないようでいて、小さな塵のようなものがあって…そこから何かが生まれていく。そういう構造が似ているのではないかと考えています。

—- そうした世界を、木版画で表現しようとしていらっしゃる。今回は版木も展示をしていただきましたね。シナベニヤの版木に、彫刻刀で細かな点を穿っていくという手法で、版面を作っているんですね。
そして、主な作品はモノトーンですが、よく見ると、いくつもグレーの階調が重なっていることがわかります。また、刷られたかたちが微妙にずれて、ちょっとぼやけたような、不思議な効果を生んでいますね。

小林 これは、ひとつの版を使って何度も刷り重ねて作品を作っているのですが、その過程で、墨の水分によって紙が微妙に伸び縮みするんです。抑えようとしても出てしまう。でも、それが逆に味といいますか、面白い効果を生むのではないかと思って、制作に取り入れています。

—- 一版多色刷をモノトーンでなさっていると。そこに思わぬ効果があるんですね。元の版木では本来色が乗らないところにも、かすかにグラデーションがかかっているものもありますね。

小林 作品によっては、ベタの版でグラデーションを刷って、奥行きを出す工夫をしています。それは最後のほうで調整のためにやっています。



2 なぜ「木版画」なのか

—- 今回はとても大きな、額やパネルにおさまらない作品も出品してくださいました(図2)。

小林 これは10回以上版を重ねて刷って、グラデーションと色味を出しています。ぼやけ方の加減によって、色の乗っていない白い大きな粒が手前に出てくるような、そんな目の錯覚が生まれていて、そこが面白いなあと思っています。

—- なるほど。木版画というと、描いたかたちをそのまま明確に刷りだすもの、というふうに思いがちですが、版を重ねることで意識せず生まれるイメージも取り込んで、作品づくりをなさっているんですね。

小林 はい。



図2 《いのちの余韻》 2013年 木版・和紙 90.0×119.0cm

—- そもそも、なぜ木版画なのか。版画でこういう表現をしてみようと考えたのは、なぜなんでしょう。何かきっかけがあったのでしょうか。

小林 私は、はじめ油絵を描いていました。油絵というのは、どこまでも描き足すことができて、絵がどんどん変わっていってしまうんですね。元のイメージから離れたものになってしまうことがあって…。で、女子美の学部2年生のときに、版画の授業がありまして、体験してみたら、これはいいんじゃないかと。はじまりがあって、終わりがあるという、工程の明確さ。そこに惹かれて、木版画を制作するようになりました。

—- 版画をはじめる前も、たとえばドローイングとか油絵とか、そういうものは、今と同じようなイメージを目指して描いていらしたんでしょうか。

小林 はい。根本的なところは同じで、静かな内面の世界を描こうとしていました。

—- それを木版画で表現しようと思ったときに、葛藤とか、悩みみたいなものはありましたか。

小林 いえ、そういうことはありませんでした。刷ることでイメージができる。そこに間違いはない。いえ、間違ってもいいんですけど…引き返しができない。

—- 潔さ、みたいな。

小林 そうです! 版を彫るときの緊張感も含めて、木版画は肌に合っていると思いました。





3 「色」が息抜きに

—- もう少し絵のお話をおうかがいしましょう。例えばこういう絵、画面を作ろうと思ったときに、元になるスケッチやドローイングは、どんなふうに作るのですか。

小林 鉛筆や墨を使って、ドローイングをします。A4くらいのサイズで描くことが多いです。そこで出来たイメージを、版木に拡大して写しています。

—- やはり、最初の下図のとおり正確に、というよりは、彫りながらだんだん変わっていくものですか。

小林 きっちり下図のとおりにはならないですね。彫り進めて試し刷りをしながら、また彫っていく、そんなふうに制作を進めることが多いです。彫ることイコール描くこと、という感覚が強いです。

—- 小林さんの作品づくりはとても細かな作業ですから、制作にはずいぶん時間がかかるのではないかと想像します。例えばこの作品(図1)などは、完成までにどのくらいかかるんでしょう。

小林 制作だけやっていた頃は、例えばこのサイズ(3裁:三六判ベニヤを3つに裁断したもの)ですと、だいたい半月くらいかかっていました。今は平日仕事をしながらの制作なので、ひと月くらいはかかってしまいます。

—- いま、制作にかける時間は1日何時間くらいなんでしょう。

小林 だいたい3〜4時間くらいでしょうか。

—- やりだすと止まらない…みたいな感じですか。

小林 いえ、ずっと彫っていると飽きてしまうので(笑)、途中で小さな色のある作品などを作りながら…息抜きしながら制作しています。

—- 色のある作品づくりが息抜きになる! 

小林 大きな作品の場合、細かな作業をひたすら続けますから、おかしくなってしまいそうで(笑)。ちょっと違うものを作って、ホッとして、また戻って来る、みたいな感じでしょうか。

—- そうすると、何点か同時並行で制作することも…。

小林 はい、そういうこともあります。

—- 今回、窓のところに置いてある、小さな作品(図3)などは、色鉛筆などを使って描いてらっしゃいますね。

小林 これも、大きな作品を作っている合間の、息抜きのようなものですね。モノクロの世界にずっと浸っていますから、色が欲しい!という欲求をここで満たして(笑)、また作品に戻っていきます。



図3 窓際に展示された小作品(一部)


4 光をえがく

—- 細かな点を穿って、モノトーンの画面をつくるという独特の制作は、木版画を始めたときからずっと変わらないのでしょうか。

小林 このスタイルが固まったのは、大学の卒業制作の時です。それまでは、色を使って、大きな彫りもして、という感じだったのですが…。ずっと、光を描きたいと思っていまして、イメージを突き詰めていくと、光子というのは丸いものなのではないか、と。その光子、光の粒を集めて、光をつくる。そんな考えが出てきました。でも、そんなことを卒業制作でやっても絶対笑われる、と思って(笑)。それまでの制作からがらりと変わってしまうこともあり….。でも、そうした考えが、自分の信条というか、性質と合致すると思えたので…。

—- 思い切って変えた、というか変わった、と。それについてのジレンマというか、葛藤みたいなものは…。

小林 恐怖心みたいなものはありました。でも、思い切って飛び越えて、よかったと思います。

—- なるほど。光を描きたい、ということなんですね。考えてみると、版木に小さな穴を穿つということは、結果的に、刷られるイメージの中に光を生み出す、光を作る、ということになりますよね。ならば、小林さんが版画の世界に飛び込み、このようなスタイルで制作をおこなっているのは、ある意味必然的なことのようにも思えます。
小林さんが版面に穿った無数の点は、光だけでなく、生命のようなものも感じさせることがあります。例えば《ひかりにうたう》という作品…。

小林 はい、2〜3年前までは、丸いかたまりのようなかたちをモティーフとして使っていまして…半抽象、半具象というか、具体的なもののイメージを固定させないかたちというのがテーマにあったんです。例えば星型を描くと、星をイメージしてしまいますよね。そういう(既成の)イメージにとらわれないかたちって何だろうと考え、見る人の感性や印象に委ねるものを目指しました。

—- これはマリモ?なんていく感想をよく聞きます。

小林 はい、そう言われます(笑)。

—- 光を描こうとしつつ、それが結果的に生命を想起させるような、そんな作品でもありますね。



図4 《ひかりにうたう》 2014年 木版・和紙 60.0×183.0cm


5 これからの制作

—- 今回、版木をぜひ展示してほしい!とお願いしましたが(図5)…。

小林 恥ずかしいですね(笑)。版木はふつう出さないものですから。




図5 《やさしさの選択》版木

—- でも、それによって制作のようすがとてもわかりやすかった、という声もいただきます。版木にも触っていただけるので…。それに、この物質感というか、迫力は、実際に見ていただかないと通じませんし。こういうものに日々取り組んでいらっしゃるのだということを感じていただけたのではないかと思います。

小林 ありがたいです。版画をやってらっしゃる方からは、触りたい!とよく言われるので、今回もお客様にはぜひ触っていただきたいです。

—- では最後に、これからやってみたいこと、目指したいことなどあれば、お聞かせください。

小林 大きな作品をもっと作りたいな、という欲求が出てきました。それと、今回も出品しているのですが(図6、7)、ひとつの版木を使って、複数のイメージを作るということにも、取り組んでみたいです。



図6 右側の壁下段左より《cosmic sound-2》、《cosmic sound-1》、《cosmic sound-3》 2017年 いずれも木版・和紙 45.5×60.0cm




図7 《cosmic sound-4》 2017年 木版・和紙 45.5×60.0cm

—- この4点、全部ひとつの版木から刷られたものなんですか?

小林 そうです。版の位置を変えたりずらしたりして…どこまでイメージを拡げられるか。今後さらに挑戦してみたいと思っています。


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「真摯」ということばが、これほど似合う作家も珍しい。小林の制作は、構想からエスキース、版木作り、そして刷りに至るまで、実に真摯な態度に貫かれている。「ストイック」とは少し違う。なぜなら、作家は極度に完璧さを求めないからだ。あくまで地道に、時には粘っこく、版に立ち向かい、刷りを重ねる。そこに「間違いがあってもいい」と作家がいうのは、あるがままの自分を受け入れ、虚飾や無理なそぎ落としを介入させず、文字通り真摯に制作に向かっていることの表れでもある。
「光を描く」という作家の目標は、絵画の根本問題でもある。だから、古来画家は光の状態、ありようをどう把握するかに腐心してきた。小林は木版に無数の点を穿つことで、この問題に自分なりの答えを示そうとしている。
世界は基本的に闇である。そこに光が差し込むことで、はじめて闇は闇として立ち上がる。彫られる前の版面が漆黒の闇だとすれば、そこにある形態を彫ることで、イリュージョンとしての光が差し込む。作家はイリュージョンの外郭をそのまま線で彫ることを良しとせず、光の状態を点およびその集合体と考え、直径3〜5mmの幾千幾万の点を穿ち、闇に光を浮かべる。静かな、しかし途方もない作業の先にあらわれるかたちは、時に星団や星雲のような果てしない世界へと我々を誘う。
宇宙は、我々の内的世界の状態と近しいもののように感じると小林はいう。こうした幻想は、ともすれば甘美な文学的詩情に耽溺する危うさを持つ。しかし、作家はそれに抗うように、モノクロームの版を重ねることでぐいぐいと押し切る。実はここに、作家の真の力量が示されているのではないだろうか。過度な詩情を排し、絵画における技術と表現の問題を独自のアプローチで追究し続けた福沢一郎の遺伝子は、こんなところにも受け継がれているように思われる。
地味に地道に制作を突き詰めてきた小林は、いま進むべき方向を確かに見定め、版画の新たな可能性をも模索し始めている。今後も自分らしく、真摯に版とイメージの世界を探究してほしいと、切に願う。(伊藤佳之)




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※このインタビュー記事は、10月28日(土)におこなわれたギャラリートークの内容を編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【イベント情報】講演会「「もうひとりの福沢一郎―画集『秩父山塊』にみる科学者の眼」」報告

2017年春の展覧会「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展の関連イベントとして、講演会「もうひとりの福沢一郎―画集『秩父山塊』にみる科学者の眼」が、5月24日(水)に開催されました。

講師にお招きしたのは、地質学者で元埼玉県立自然の博物館館長の、本間岳史さん。本間さんのお父様、本間正義さんは、国立国際美術館や埼玉県立近代美術館の館長を歴任された美術史学者で、東京帝国大学在学中に「福沢一郎絵画研究所」に通っていたこともあり、福沢一郎と親交がありました。「畑違いだったので全くそんなことは知らなかった」とおっしゃる本間さんでしたが、お父様の本棚から偶然見つけた『福澤一郎の秩父山塊』(池内紀のちいさな図書館、1998年刊)から、その原本が1944年に刊行されたことを知り、その本にちりばめられた地学の知識に驚いたそうです。さらに福沢は、現地へ出かけるに際しては、地質学的な疑問や課題を自分なりに設定し、それを念頭におきながら歩き、観察し、スケッチしました。そこには、画家であると同時に自然科学者としての眼をもった、もうひとりの福沢像を見い出すことができるとのことです。

※詳しくは、本間岳史さんによる「わたしの福沢一郎・再発見」#004『秩父山塊』をお読みください。


(講師の本間岳史さん。右手には『秩父山塊』原本(1944年刊))

今回の講演会では、福沢一郎が辿った秩父の山々、その地形の特徴や、『秩父山塊』に挿入されたスケッチと実際の地形の比較など、まさに『秩父山塊』の魅力を地学的に解きほぐす、非常に刺激的なものでした。特に、福沢一郎が本に記した地形の特徴や魅力を、その生成過程や地学的重要性などから語ってくださる本間さんの口調は、穏やかな中にも熱意がこもり、聴講なさった皆さんも、時間の経つのを忘れて、本間さんのお話に聞き入っていました。

講演会の内容は今秋発行の『記念館ニュース』に掲載予定です。

(2017年7月30日)

【展覧会】PROJECT dnF 第4回 寺井絢香「どこかに行く」作家インタビュー

寺井絢香 インタビュー

2016年10月29日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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寺井絢香(てらい・あやか)
1989年生まれ。2008年、多摩美術大学絵画学科油画専攻入学。2010年、個展「humanité lab vol.34 寺井絢香展-zokuzoku-」(ギャルリー東京ユマニテ)開催。2011年、グループ展「FIELD OF NOW -新人力-」(銀座洋協ホール)/「ユマニテコレクション −若手作家を中心に」(ギャルリー東京ユマニテ)/「画廊からの発言 ’11 小品展 チャリティーオークション」(ギャラリーなつか)。2012年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2013年、グループ展「“開発も” 新世代への視点」(ギャラリーなつか)。2015年 個展「寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「PAPER DRAWINGS」(ギャラリーなつか)。2016年、個展「新世代への視点2016 寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「現代万葉集」(ギャラリーなつか)。

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1 この展覧会と新作について

—- 展覧会のタイトル「どこかに行く」は、作品のタイトルなんですよね。

寺井 はい、窓のところに並んでいる、真ん中の作品です(図1)。あれはパリに行ったときの空を思い出しながら描きました。

—- このことばを展覧会のタイトルにしたのは、どういう思いからなんでしょう。

寺井 私は、絵を日記のように…というか、記録のように描くことが多いので。旅の印象とか思い出とか。今回、展示のお話をいただいたとき、そういうものを集めたら、自由な感じで、いい展示にできるんじゃないかと思って。ただ「旅」よりも、しっくりくることばが「どこかに行く」だったんです。

—- いろいろな場所の印象、思い出が、ここに集まっているんですね。

寺井 クロアチア、モンテネグロ、パリ、タイのアユタヤ遺跡、そして韮崎のヒマワリ畑。あんまり統一感はないですが(笑)。

—- そして今回の展示のために、新作を作ってくださったんですね(図2)。

寺井 はい。この展覧会の話をいただいたときに、今まで発表したことのない、一番大きな作品を出品してみたらどうか、と言ってくださって、いいなあと思ったんですが、測ってみたら壁におさまらないことが判って。どうしようかと思いましたが、せっかくだから新作を描くことにしました。これはクロアチアを旅したときに見た風景がもとになっています。ドゥブロヴニクという城壁の街の、たしか城壁の上から山のほうを見た風景だと思います。


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図1 《どこかに行く》 2014年 30.0×30.0cm


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図2 《ディナーの始まる頃に》 2016年 243.0×366.0cm

—- こういう話を聞いていると、なんというか、ふつうの旅の風景を描いた絵みたいですが、いやいや、違うんですよね。至るところにマッチのかたちが…。

寺井 建物の屋根とか、山とか。同じ街の城壁を描いたものが、階段のところにあります。小さい絵ですけど。

—- これも城壁の石が、マッチ棒の頭でできていると。西側の壁にはヒマワリの絵が4つ(図3)、これも種のところがマッチ…。

寺井 この夏に、お友達に勧められて、韮崎のヒマワリ畑に行ってきたんです。この大きな新作に取りかかる直前で、時間もないし、どうしようかな…と思ったんですが、やっぱり描いておかなきゃと思って。

—- じゃあ、ヒマワリの絵を4つ描いたあとで、この大きな新作を?

寺井 はい。


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図3 西側壁面の、ヒマワリを描いた作品4点。左手前は《とある冷たい日》2014年。

—- 新作を描くのにどのくらいかかりました?

寺井 だいたい3週間くらいですね。

—- けっこう早いですねえ。

寺井 そうですか? 自分ではそんなに早いとは…あんまり細かく描いてないんで(笑)。まあ、体力は使いましたけど。私、集中力があまり長く続かないので、短期集中で(笑)。

—- この展示のためにがんばってくださって、ありがたいです。いかがですか、今回の展示の率直な感想は。

寺井 なんだか、絵が喜んでる気がします。

—- そうですか?

寺井 はい、ここは福沢一郎さんが使っていたアトリエなので、お家みたいな雰囲気がありますよね。だから、絵もリラックスしているというか…そんな印象です。

—- 展示をする上でこだわったポイントは?

寺井 きっちり並べるというよりは、ちょっとごちゃごちゃした感じの展示にしようかなと思いました。せっかくこういう場所なので、今までやったことがない展示を目指しました。結果、まあ、なんとか形になったので、安心しました(笑)。


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2 マッチのある風景

—- 今回の出品作は、すべて油絵具で描かれたものですね。

寺井 はい。ヒマワリの絵と《アドリアの海》はキャンバスですが、ほかは全部ベニヤで作ったパネルに描いています。

—- 油絵具へのこだわりはありますか?

寺井 特にこだわっているわけではないですが、例えばアクリル絵具だと、乾くのが早いじゃないですか。私、あんまり早く乾くと描きづらいことが多いんです。むしろ絵具が乾ききらないところで、その上に描いていく。

—- 下の層の絵具まで、ぐいっと持っていくことで、できる線とか色とかが、わりと大事なんですね。

寺井 そうかもしれません。ただ紙の作品は、やっぱり油では合わないので、アクリル絵具を使って描きます。

—- 風景や植物の中で、どの部分をマッチのかたちで描くかは、どんなふうに決めるんですか。

寺井 ものや風景を見た瞬間に、あ、これマッチ(のかたち)で描きたい!って思うこともありますし、絵を描きながら、ここはマッチになるかな…と思ってそうすることもあります。例えばこの新作は、まず屋根をマッチで描きたいと思って、そこから始まりました。ああ、韓国の(家々の)屋根も描きたかったんですけど、今回は時間的に間に合わなくて…。ほかにもウィーンとかドイツの街とか…。

—- そういう、行ったことがあっても、まだ絵になっていないところはまだあるわけですね。国内でもそういうところはあるんですか?

寺井 国内は…この間ギャラリーなつかで個展を開いたときは、京都の苔寺の風景を描きました。でも、国内はいろいろなところへ行ってるわりには、あまり作品にはなっていないかもしれません。苔寺も、苔をマッチ(のかたち)で描きたいと思ったから行ったんです。

—- なるほど。まずマッチで描きたい!が来たわけですね。今回の個展のように、旅の風景や印象を描いた作品の場合は、マッチのかたちは自由自在に変化していますよね。その中でも、《とある冷たい日》という作品(図4)は、他のものとちょっと印象が違うように思います。

寺井 これは、パリに行ったときの印象を描いたものです。確か卒業して最初に行った海外旅行です。私、学生時代はアトリエにこもりっきりで、本当にアトリエと家との往復みたいな生活で…もっと学割とか使って、旅しておくんだったなあと思いますけど(笑)。で、行ったのがちょうど3月で、1か月くらい行ってたんですが、けっこう曇っていて、グレーなイメージで。特にこう描こう!と思ってこうなったのではなくて、こういう国だったというか…本当に写真も見ずにイメージだけで描いた作品です。



図4 《とある冷たい日》 2014年 162.0×130.3cm

—- 3月くらいのパリのどんよりした空は、やっぱり特徴的ですよね。

寺井 あとは、パリは日本と違って…日本はなんだか、堅いイメージがあるなあと思って。

—- 海外に行って、改めて日本を考えたときに?

寺井  そう。アートが、国とか街の至る処に溢れている感じだし、街じたいがアートみたいな。ルーブル美術館で子供たちが走っているし。ダ・ヴィンチの作品の前で。アートがあるのが当たり前、というか…うまく言葉に出来ないですけど。そういう日本との違いを感じたんですよね。

—- はい。

寺井  で、私はそれまで、かっちり描かなきゃいけない、みたいなふうに思っていたんですけど、そうじゃなくても…柔らかいというか、言葉は悪いですけど、雑…でもいいかなって、そんなふうに思って描いた記憶があります。

—- それまで、自分の絵はこうじゃなきゃ、と思い込んでいたことを取っ払うみたいな?

寺井  うーん…それまでは、一枚の絵をかっちり完成させなきゃいけないと思っていたんですけど、そうじゃなくてもいいかな、と。自分が描きたいと思うところが描けていれば、それでいいかなって…(逆に)かっちりさせたくないって思いましたね。

—- そんなお話をうかがうと、《とある冷たい日》は、けっこう大事な意味をもつ作品なのかもしれませんね。

寺井  そうですね。言われてみれば。


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3 なぜ「マッチ」なのか

—- いつも尋ねられることだと思うんですが…そもそも、なぜマッチなのか。モティーフとしてマッチ棒を描くようになったきっかけを、教えていただけますか。

寺井 大学2年のときに、「1週間自分で決めた何かをやり続けて、そこから得たものをタブローとして描く」という、授業の課題があったんです。いやだなあ…と(笑)。で、自分で簡単にできるようなものにしようと思ったんですね。私は当時から一人暮らしだったので、家に帰っても話し相手もいないし…何となく、そのあたりにあるいろんなものに話しかけてたんです。まあ、独り言なんですけど(笑)。じゃあ、そうやって、ものに話しかけるのを意識的にやってみようと思って、ビデオでずっと記録したんです。

—- 1週間?

寺井 はい。毎日違うものなんですけど。掃除機とかコンセントとか。その、話しかけたものの中にたまたまマッチ箱があったんです。私、集合体みたいなものが好きで…虫以外は(笑)。マッチって、一本だけでいることって、あまりないじゃないですか。たいてい箱とかに入っている…そんなマッチ棒が、箱の中で会話しているような、そんな気がしたんです。例えば私がでかけたあと、私の悪口言ってるみたいな。「まったく、もうちょっと部屋片付けていきなよ」「そうだそうだ」とか。

—- へええ。

寺井 マッチ棒って、個性がないようで、個性があるんですよね、よく見ると。そんなところに面白みを感じて、課題では擬人化されたようなマッチを描きました。それが意識して描いた最初のマッチですね。それ以来ずっと…。何だか、話としてはつまんないですね(笑)。

—- いやいや(笑)。ひとくちにマッチといっても、寺井さんの作品の中にあらわれるマッチのかたちは、さまざまですよね。時期的な違いもあれば、別のスタイルが同時並行的にあらわれることもある。

寺井 そうですね。初めは擬人化というか、感情を表したりしていましたが、だんだん動物や植物のかたちになることもあって、自然と変化していった感じです。そういうマッチはくねくねしてたりしますが、一度そういう変化をさせないで描こうと思って作った「アリノママッチ」っていうシリーズ(図5)があります。曲げない、折らない。ありのままのマッチのかたちを重ねたり、密集させたりして描きました。

—- 最近の紙のお仕事でも、マッチの頭の密集だけで描いているものがありますね。こういうものと、風景の中でうねるようなマッチを描くのと、何か心持ちの中で違いはあるんでしょうか。

寺井 うーん、こっち(密集しているほう)が、かたちがとりやすいですね。あとは、マッチの存在が近い気がします。でも、風景の中にいるマッチのほうが、発散している気がしますね。

—- マッチが?

寺井 はい。活き活きしてる…というのともちょっと違うんですが…何て言えばいいか…。うまく言葉にできないですが、そんな感じです(笑)。


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図5 「アリノママッチ」シリーズ 2014年 14.8×21.0cm


4 描き続けること

—- そういえば、寺井さんの作品は、福沢一郎の作品と一緒に展覧会に出品されたことがあるんですよね。豊橋市立美術博物館の企画展で(1)。

寺井 はい、私は忘れていたんですが、記念館に来た父が気がついて。

—- このとき出品されたのは、マッチ棒じゃない絵ですよね。

寺井 このとき出品されたのはまだ学生のとき描いたもので、卵とかちくわとかたけのことか、そういうものを色鉛筆で描いた作品です。ギャルリー東京ユマニテで個展を開かせていただいたときに(2)、その出品作を、コレクターの方が買ってくださったんです。で、「おでんシリーズ」にしたいから、こんにゃくがほしい!と。

—- 「おでんシリーズ」!

寺井 でも、こんにゃくの作品はその前に売れてしまっていたんです。そのあと、また描いてほしいと頼まれたんですが、結局描けていなくて…。で、そのとき買ってくださった作品が、福沢さんと同じ展覧会に…。

—– こんなところでもご縁があったんですねえ。なんだかうれしいです。ギャルリー東京ユマニテでの個展以降は、発表なさる作品はだいたいマッチが登場しますね。

寺井 そうですね。それ以降はマッチの作品以外は発表していないです。


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—- ひとつのモティーフを延々と描き続ける、作り続けると聞くと、例えば耳の三木富雄さん、ドットや網目の草間彌生さんなどを思い出します。こういう人々は、たいてい、オブセッション、つまり何らかの強迫観念に突き動かされて描く、かたちづくるというふうに説明されることが多いようです。「マッチばかり描く」ということばだけ聞くと、私などは、そういう印象をまず持ってしまいます。でも、実際寺井さんのマッチを描いた絵を観ると、何かしらに追いまくられているような、切羽詰まった感じはしないですね。もっとおおらかな、ゆるい感じがします。

寺井 自分でも、そんなに切迫感みたいなことは、感じてはいないと思います。もっとこう…いつも近くにあるもの、みたいな。自分のまわりに作品があって、いつも観ていられるのがいいですね。

—- じゃあ、福沢一郎みたいにいいアトリエをつくらなきゃいけませんね。

寺井 できるんですかねえ…(笑)。

—- 今まで制作につまづいたり、行き詰まったりしたことはあるんでしょうか。

寺井 悩んだ時期はありました。マッチを絵にすると、なんだか、パターンというか、デザインみたいになるんですよね。それを絵画として成り立たせるにはどうすればいいのか、いろいろ考えました。その結果、あまりマッチだけというふうにこだわらないようにしたんです。背景に何が来てもいいし、別のものが入ってもかまわない。卒業制作の《フィナーレ》(図6)は、そんなふうに吹っ切れたところで描いた作品です。

—- 「五美大展」でもけっこう話題になったそうですね。


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図6 《フィナーレ》 2012年 243.0×366.0cm

寺井 いちばん辛かったのは、大学を卒業してすぐくらいの頃ですね。いつも大学で絵を描ける環境にあったのが、自宅で描かなければいけなくなって、そんなに大きなものも描けなくなり…。このままやっていけるのかどうか、悩みました。

—- でも描くのはやめなかった。

寺井 そうですね。どんな小さなものでも、できるだけ毎日描いていました。体力が続かないときはありましたけど。なんだか、絵を描くことが、日記みたいなものだと思えるようになったんです。

—- それが今につながっているということですね。では最後に、これから自分が目指す制作について、教えてください。

寺井 そうですね…。私の絵を見た人が元気になってくれたり…別に絵や美術に興味を持ってくれなくてもいいんですけど、何か今までと違うことを始めるきっかけになるような、そんな絵を描けたらいいなと思っています。

—- なんだか壮大ですね(笑)。でもそのためには、たくさんの人に観てもらわなきゃ。もっと描いて、発表の機会をつくって…。

寺井 はい。行動で示していければと思います! そのためには、自分がもっとエネルギッシュでいなきゃいけないですね。

—- 近々、また旅に出かける予定がおありだとか。

寺井 この年末に、メキシコに行きます。

—- 福沢一郎も旅したメキシコ。そこでまた、いろいろなものを吸収して、ご自分の世界をどんどん広げていっていただきたいです。楽しみにしています。


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10月29日(土)のギャラリー・トーク風景

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インタビュー記事でも触れているが、ある特定のモティーフやかたちを描き、作り続ける芸術家と聞けば、私はどちらかといえば神経質な作家のすがたを想像してしまう。そして作品も、のっぴきならない作家の精神を、細かな棘のように纏っているのではないかと身構えてしまう。
寺井が描く夥しいマッチの集合体には、しかし、視神経の奥底をちりちりと焼いたり、全身の毛をざわつかせたりするような、怖さがない。そして、旅の印象を描いた作品の中に描かれているマッチ棒は、過剰に自己主張したり、恐れおののき震えているのではない。くねったり渦巻いたり波打ったり、驚くほど自由に躍動しているのだ。
寺井の制作は、およそオブセッションとは縁遠いもののようだ。描く対象がマッチ棒の集合体に変換されるプロセスは、おそらく、凝視によってじわじわと染み出したり、背後から覆い被さるように迫り来るのではなく、傍にある親しいかたち、すなわちマッチとの対話によって導かれているのではないか。それが偶然の出会いによって始まったのだとしても、いま作家にとってマッチとともにあることは必然であり、絵画の中をともに旅する伴侶のような関係なのだろうと、私などは想像する。絵具の乾ききらぬうちに一気呵成にぐいぐいと描く力強さも、描くことへの迷いのなさ、つまり行き着く先をともに見つめる存在のなせる業なのかもしれない。
作家が毎日スマホで描く絵日記のようなデジタル画像には、たいてい、愛嬌のあるマッチ棒とともに、いつも笑顔の作家本人が描かれる。マッチ棒との近しい関係は、作家が描き続ける動機であり、作品の心棒でもある。互いに縛られない。押し込められない。この心地よい距離感が続くかぎり、寺井の作品のなかでマッチ棒たちは自由奔放に集まり、ひしめき、渦巻いて、新たな「どこか」を形作るだろう。
マッチ棒とともに続く寺井のはてしない旅のゆくえを、私はこれからも追い続け、楽しみたいと思う。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月29日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。
※図版のない画像は、すべて会場風景。


1 「F氏の絵画コレクション ~福沢一郎から奈良美智世代~」2012年7月28日〜8月26日、豊橋市美術博物館(愛知県豊橋市)
2 「humanité lab vol. 34 寺井絢香展 TERAI Ayaka “zokuzoku”」2010年9月13日〜18日、ギャルリー東京ユマニテ






【イベント情報】トークの会「福沢一郎と山下菊二 いま語る・ふたりの実像」報告

開館20周年記念 「福沢一郎と山下菊二 師弟は時代とどう向き合ったか」の関連イベントとして、トークの会「福沢一郎と山下菊二 いま語る・ふたりの実像」が、11月16日(日)に開催されました。

今回は徳島県立近代美術館 学芸調査課長の江川佳秀さんにお越しいただき、当館嘱託の伊藤とともに、福沢一郎と山下菊二の関わり、それぞれの作品、そして彼らが向き合った時代についてお話させていただきました。徳島県は山下の郷里で、県立近代美術館ではご遺族から寄贈された多数の山下作品・資料をお持ちです。その中にはもちろん、福沢との交流を示すものが多数あります。
江川さんからお話いただいた山下の従軍時代の辛い経験、それを受けての戦後の「ルポルタージュ絵画」の展開などは、今回展示された作品の理解にもおおいに役立つものでした。また、先述の山下菊二資料から福沢と関わりの深い貴重なものが紹介され、ふたりの関係が特別なものであったことが、改めて浮き彫りになりました。
終戦直後に形のうえでは袂を分かったふたりの画家のあいだには、その後も個人的な師弟関係が続きます。そして社会をみる視点や絵画表現は非常に対照的なものがあります。しかし、会場にお越しくださった方にはよくおわかりいただけたと思いますが、隣に並べてもほとんど破綻のない、むしろ両者を引き立てるような作品どうしの面白い関係をみるにつけ、やはりふたりは特別な師弟であり、時代や社会、人間を、それぞれの視点で見つめ、真摯に制作に取り組んだ画家の生きざまというものは、結局このように作品となって立ちあらわれるのだなあと、お話を聞きながら改めて感じ入りました。
スライドが思うように映写されないなどのハプニング(!)もあり、大幅に時間を延長して行われたトークの会でしたが、満員御礼の熱気あふれる会場で、聴講者の皆様はとても興味深くお話に聞き入っていました。

講演会の内容は今春発行の『記念館ニュース』に掲載予定です。

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(スクリーン手前右側:山下菊二作品を解説する江川佳秀さん)

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(2014年11月29日)