【展覧会】とっておきの福沢一郎Ⅲ 精選・松浦コレクション  5/11 – 6/10


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「とっておきの福沢一郎Ⅲ 精選・松浦コレクション」を開催いたします。

 福沢一郎作品のコレクターとして名高い松浦英夫氏のコレクションは、いまや福沢の制作を知るうえで欠かすことのできないものです。
今回は、鋭い審美眼をもつ氏によって見出された作品の数々から、未公開作品を含む選りすぐり13点を展示します。
画家の造形の豊かさとともに、人間への厳しくもあたたかいまなざしを感じ取っていただけることと思います。この機会にぜひごらんください。


《ハワイの娘》 1989年

《ミラノ雪のカテドラル》 1971年
《バルコニー》 1976年

会 期:2023年5月11日(木)―6月10日(土)の
    木・金・土曜日 13:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


【展覧会】「旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』」会場風景

2022年春の展覧会 「旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』」 の会場風景をご紹介します。

福沢一郎は若い頃から国内外の旅を楽しみ、そこで得たテーマやモティーフを制作に取り入れていました。今回の展覧会は、彼の旅と制作の関わりをさまざまな切り口でご紹介する「旅する福沢一郎」シリーズの第1回で、主に写真と素描から、1953-54年の中南米旅行に迫る試みです。展示された写真パネルの多くは、遺族のもとで大切に保管されていた紙焼写真がもとになっており、令和2年度に公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成を受けた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の際にデジタル化した画像データを使用して、見やすい大きさにプリントしました。

展覧会のはじまり、アトリエ東側の壁には、福沢の1952年から54年、まる2年にわたるたびの行程を示すパネルを掲示しました。彼はまず1952年5月、パリで行われる国際文化祭の日本代表のひとりとしてフランスに渡り、そのまま翌1953年1月まで滞在したあと、ブラジルへと向かいます。

福沢一郎の旅 1952-54年 パネル画像

1953年2月のブラジル(サンパウロ)着から翌1954年5月のメキシコ出発まで、およそ1年3か月にわたって、彼は中南米を旅しました。この展覧会では、その旅程から5つのトピックごとにコーナーを分け、写真やスケッチなどを展示しました。


《コパカバーナ》1953年

はじめのコーナー「1.ブラジル」では、福沢が現地で制作し、ご縁のあったブラジル在住の人に贈ったとされる作品2点が展示されています。上の作品もそのひとつで、所蔵者から福沢の故郷富岡市に寄贈されました。現存するこの時期の作例は少なく、たいへん貴重な作品です。

ブラジル滞在のはじめから、福沢は写真撮影を楽しんでいたようで、サンパウロやリオデジャネイロなどの風景を撮影した写真が多数残っています。戦後急速に開発が進むブラジルの大都会を、彼は大胆に、そしてときにユーモアも交えてカメラに収めています。


アトリエ横の小部屋は、「2.アマゾン」です。ここには1953年11月から翌1954年1月までのアマゾン川流域の旅の間に撮影された写真と、訪れた街の風景のスケッチなどを展示しました。

アマゾン川流域の自然と人々の生活、そしてそれらが織りなす風景は、福沢の興味をおおいにかきたてたようで、著書『アマゾンからメキシコへ』にそのことをよく示す記述がみられます。ただ、そのわりにはこの地を主題とした作品や写真(プリント)が少ないのです。今後、まだ整理が終わっていないスライドフィルムの調査とデジタル化がおこなわれれば、彼にとってのアマゾンがどのようなものであったのかを、垣間見ることができるでしょう。


小部屋から出て時計回りにアトリエを巡ると、舞台はメキシコの旅へと移ってゆきます。1954年2月にメキシコシティに到着した福沢は、同年5月はじめまでこの首都を拠点とし、メキシコ各地の街や遺跡へと取材にでかけます。「3.メキシコの遺跡と美術」では、彼が訪れた遺跡や、同時代の美術家による作品などを撮影した写真をご紹介しました。

今回は、あえてメキシコの遺跡・旧跡と、ディエゴ・リヴェラやホセ・オロスコ・クレメンテらによる壁画やモザイクを撮影した写真を隣どうしに配置してみました。日本や西欧とはひとあじ違う、建物と一体となった造形のありように、福沢が強い興味を示していたことがよくわかります。この地での体験は、彼にとって、建築と美術の結びつきについて深く考えをめぐらせる機会となったようです。

また、福沢がメキシコで撮影した写真の多くに、働く女性や子供たちのすがたが写っているのも興味深いことです。「4.メキシコ 市井の人々」では、そんな写真とともに、水彩やドローイングなどを展示しました。


《メキシコの母子(Ⅱ)》1954年
「タスコの女」1954年

この時期の福沢作品には「母子」と題したものがいくつかみられますが、実は、他の時期にこのテーマを扱った作例はほとんどないのです。この地で目にした「母子」のすがたが彼にとっていかに印象深いものであったかがしのばれます。


展覧会の最後には、ちいさなコーナーをふたつ設けました。「5.福沢一郎サボテン・コレクション」では、福沢のメキシコ滞在時の写真の中から、サボテンを写したものを集めてみました。うち1点には福沢自身も写っています。乾いた大地ににょきにょきと生えて独特の景観をかたちづくるサボテン。人々の生活ともたいへん近しいこの奇妙な植物に、彼はことのほか強い興味をもったようです。
次の「6.中南米の旅、その後」では、中南米の旅が画家福沢一郎にもたらしたもの、そして調査研究の道なかばで写真資料からみえてきたことなどをご紹介しました。彼の著書『アマゾンからメキシコへ』は写真を豊富に収録した興味深い旅行記ですが、じつは彼自身の制作についてはほとんど書かれておらず、彼がいったい何を見て、何に心を動かされたか、そしてそれらがその後の絵画制作にどう影響したかということは、さらに多くの資料から検討される必要があります。今回デジタル化された写真の画像をくわしく分析することで、わたしたちは彼の中南米旅行の意味をもう少し深く掘り下げることができるかもしれません。


福沢一郎旧蔵のマスク メキシコで購入か

今後も、機会を捉えて福沢一郎の「旅」を追う企画をおこないたいと考えています。どうぞお楽しみに。
今回の展覧会のパンフレットは、こちらから ごらんいただけます。

【展覧会】旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』 5/12 – 6/4


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』」を開催いたします。

 福沢一郎は旅する画家でした。若い頃から国内外のさまざまな土地へでかけ、地元の人々の生活や祭礼、史跡なども興味深く観察し、制作の糧にしていました。とはいっても、旅先の風景や人物などをそのまま描くのではなく、それぞれの土地で得たさまざまな印象と、貪欲に吸収した知識、それらをもとに積み重ねた思考によって、もっと大きなテーマ、たとえば人間のいのちの力強さや社会のダイナミズムなどへと昇華させていきました。

 特に1953-54年の中南米の旅は、彼の制作に強い影響を与え、大きな転換点となったのです。このとき助けとなったのが写真でした。これらの中には、ただ現地のようすを記録するだけでなく、写真としての表現にも挑んでいるようなものが多くあり、画家の興味を知るうえでとても貴重なものです。

 帰国後、これらの写真をふんだんに盛り込んだ紀行文集『アマゾンからメキシコへ』(読売新聞社、1954年)が刊行され、大きな話題となりました。

 今回の展示は『アマゾンからメキシコへ』の記述と、写真やスケッチなどの小品をもとに、彼の中南米の旅のようすに迫る試みです。この機会にぜひご覧ください。

◎この展覧会は、令和2年度 公益財団法人ポーラ美術振興財団助成 「長谷川三郎と福沢一郎の写真に関する調査研究」の成果の一部を 使用し構成しています。

《アマゾン》1954年頃 水彩・紙
物売りの老婆 メリダ(メキシコ) 1954年
《メキシコの母子(Ⅰ)》1954年 インク、水彩・紙

会 期:2022年5月12日(木)―6月4日(土)の
    木・金・土曜日 13:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。


【展覧会】「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」会場風景+作品とことばたち

2021年春-夏の展覧会 「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」 の会場風景と、ご来館くださったみなさまが作品から紡いでくださったことばたちをご紹介します。

今回の展覧会は、当館所蔵作品の中から選りすぐりを展示し、解説パネルやキャプションを設置せず、ご来館くださったみなさまに、自由に作品をみていただこうという趣旨のもと開催しました。また、作品をみて感じたことや考えたことなどを、ふせんに書いて、アトリエ中央のテーブルに貼り付けていただき、たくさんのことばをみなさまと共有できるようにしました。

こうした試みは初めてのことで、どんなご感想をいただけるのか正直不安に思っていましたが、ことのほか楽しんでいただけた方が多く、テーブルの上はたくさんのふせんで埋め尽くされました。

これらの、作品にお寄せいただいたことばたちは、このページ下のリンクから各作品ごとにごらんいただけます。

きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

階段下の展示ケースには、ちょっと不思議な雰囲気のあるスケッチや挿絵などを展示し、こちらもことばをお寄せいただけるようにしました。


大きさも年代も、絵画表現じたいもじつに多彩な作品が並んだ今回の展覧会。作品を選んだポイントは、ただただ「見た目の面白さ」だったのですが、そんな単純な意図をこえて、とても豊かなことばをみなさまが生み出してくださったのは、みなさまの豊かな想像力と、福沢一郎作品の懐の深さゆえだと感じています。

興味深かったのは、ちいさなスケッチも大きな油絵も、同じようにたくさんのことばが紡がれたことです。ふだんあまり日の目を見ないささやかなものたちが持つ力を、改めて知ることができました。

   *   *   *   *   *

では、ご来館のみなさまが紡いでくださったことばたちとともに、作品のちょっとした解説を、お楽しみいただきましょう。以下の画像をクリックすると、その作品からうまれたことばたちのページにジャンプします。

【展覧会】所蔵作品選 絵からうまれることばたち 6/24 – 7/10


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」を開催いたします。

福沢一郎は、自らの制作や個々の作品についてたびたびコメントしていますが、作品を受け取る側=鑑賞者の自由な解釈も尊重していました。実際、福沢の絵画は過度な説明的描写がなく、さまざまな解釈が可能なものばかりです。
 では、わたしたちはどこまで、福沢の絵画世界を自由に解釈し、想像をふくらませることができるでしょう? 今回は、制作年も技法も大きさも違う作品をランダムに選び、タイトルや制作年等を明記せずに展示しました。これらの作品の中でどんなことが起こっているでしょう? どんな印象を受けるでしょう? どんな疑問がわいてくるでしょう? そんな作品との対話のなかから、たくさんのことばが紡ぎ出されてくると思います。それこそが、今回の展覧会のテーマです。
 みなさんのことばを共有するための、ちょっとした仕掛けも準備しています。また、自分だけの解釈でじっくり絵画の世界を楽しみたい!という方も大歓迎です。ぜひおでかけください。

この作品のなかで、どんなことが起こっているでしょうか?

会 期:6月24日(木)―7月10日(土)の
    木・金・土曜日 12:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。


【イベント情報】
午後の/夜のおしゃべり鑑賞会オンライン
6月27日(日)14:00〜15:00
7月2日(金)20:00〜21:00
7月3日(土)14:00〜15:00
7月10日(土)20:00〜21:00
詳しくは こちらのページ をごらんください。

【ご報告】シンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」レポート

新型コロナウイルス感染症拡大による東京都内の緊急事態宣言が続く2021年1月30日、当館では、オンラインシンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」を開催しました。当館では初のオンラインのイベントとなります。

※ このシンポジウムは、今年度、公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成をうけた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の中間報告としておこなわれるものです。
また、このシンポジウムの内容の一部は、科学研究費 基盤研究(C)「写真・映像の 「影響」から見た日本の前衛芸術――昭和戦前期を中心に」(研究代表者・谷口英理)の研究成果に基づくものです。


本シンポジウムは、概ね以下のスケジュールに沿って行われました。

 ◯はじめに 問題の所在と研究の概要(13:30〜13:50)
  谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
  伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
 ◯第1部 研究発表(13:50〜15:50)
 (1)福沢一郎の写真資料 伊藤佳之(13:50〜14:20)
 (2)長谷川三郎の写真資料 谷口英理(14:20〜14:50)
   〈休憩10分〉
 (3)美術館資料としての写真 東京国立近代美術館アートライブラリ所蔵
    『抽象と幻想』展関連写真を中心に(15:00〜15:30)
    長名大地氏(東京国立近代美術館研究員)
 (4)昨今の写真資料の危機(15:30〜15:50)
    肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブサポートセンター所長)
   〈休憩10分〉
 ◯第2部 質疑・意見交換(16:00〜16:30)
 ※ 終了後、希望者は17:00まで意見交換などをおこないました。

今回は非常に多数のお申込があり、予定をはるかに超える43名のご参加がありました。


シンポジウムの冒頭に、谷口氏から、我々が抱えている問題意識と、そこから調査研究を始める過程について発言があり、続いて伊藤からも当館の実例をもとに「画家の写真資料」を考える意義を述べました。

谷口英理氏(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)

研究発表は、まず谷口氏と伊藤から、それぞれ対象となる写真資料の保存処置とデジタル化の過程、またデジタル化された資料の検討からみえてきたことなどをお話しました。
伊藤からは、改めてみえてきた福沢の写真の特質や魅力についてお話しし、また大規模なプロジェクトでなくとも写真資料の保存処置やデジタル化は可能であり、「消耗品費数千円、委託料数万円からのデジタル化」からはじめることをご提案しました。

谷口氏からは、《室内(二)》をめぐる解釈と検討の経緯や、今回その全貌が初めて明らかになった、長谷川が中国旅行の際に撮影した写真群について解説がありました。また「作品」というカテゴリに固執すると、作家の重要な部分、例えば造形実験としての写真の重要性を見失う可能性や、長谷川や福沢と同時代の「美術家の写真」をデジタル化等の手段で可視化していくことで、彼らのメディア意識が明らかになるのでは、という展望などが示され、「求む! 未整理・保存の危機にある前衛美術家の写真・映像資料の所在情報」と力強い呼びかけがなされました。


続いて、今回招聘したパネラーのおふたりの発表がおこなわれました。まず長名大地氏による「抽象と幻想」展の写真資料に関する発表では、ガラス乾板の記録写真をデジタル化したことで明らかになった事例が次々と述べられました。記録として不明瞭であった同展の輪郭を浮かび上がらせるだけでなく、戦後の美術館における近現代美術「史観」の提案を考えるうえでも重要な研究資源が、写真のデジタル化によって生み出されたわけで、今後の調査研究の進展がおおいに期待されます。

長名大地氏(東京国立近代美術館 企画課情報資料室 研究員)

また、さまざまな現場でデジタルアーカイブのプロジェクトに関わってこられた肥田氏からは、今回の福沢資料のデジタル化作業についてお話いただいたあと、写真資料が含む情報の大切さと、日々刻々と失われつつある写真資料の危機について、実例をもとにお話いただきました。参加者のみなさまにも「今そこにある危機」を改めて考えるきっかけとしていただけたのではないかと思います。

肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブセンター所長)

発表に続く質疑・意見交換では、現場で写真資料に相対するみなさまから、具体的な資料の取扱や、資料の保存を目指した考え方・基準のようなものについての質問が相次ぎました。以下に質問へのお答え、ご感想等とともにご紹介しますので、ごらんください。(時間内にお寄せいただいたものに限っています。また、ご質問くださったみなさまのお名前は伏せさせていただいております。) 

コロナ禍によりオンラインでの開催となったシンポジウムは、予想以上に参加者のみなさまの関心が高く、現場で日々悩んでおられる様子が伝わってきました。
今回の発表や意見交換が「画家の写真」について考える一助となり、また失われゆく貴重な写真資料を救うひとつのきっかけになれば、大変ありがたく思います。
(伊藤佳之)


◯ご質問と回答
・「フエルアルバム」は写真の保存によくないと東文研の研修で習いましたが、やはり遺族のもとで「フエルアルバム」が発見されることが多々あります。おそらくフエルアルバムの状態で記録写真をとって、台紙から剥がすのだと思うのですが、裏のベトベトがついていたり、反ってきたりしてどうもうまくいかず、良い方法があったら知りたいです。
 →(肥田氏)率直に言って、いい方法はありません。フエルアルバムは画期的なシステムではありましたが、糊分が印画紙の支持体に染みこんで、長い時間をかけて悪さをする例のひとつです。貼った人が几帳面であればあるほど剥がしにくいです。剥がすことが可能であれば、一刻も早くはがして、ノンバッファの紙フォルダで挟むなどして保存するのがいいと思います。
 →(谷口氏)過去に、水濡れしたフエルアルバムを扱ったことがありました。表面の乳剤が溶けだしていて、一刻を争うような状態でした。そのときは堀内カラーさんと資料保存器材さんでチームを組んでもらって、剥がせるものは剥がす。剥がれないものは、台紙から薄く切り取ってフォルダに挟む、という作業をしてもらいました。そうした脆弱なものからデジタル化の優先順位を高くしていくことが必要だと思います。

・遺族がお持ちの写真を美術館の展覧会などで一時的にお借りすると、元々のアルバムとは違うところに戻されてしまったり、借用した時のままの袋でその後、次の展覧会で誰かが借用するまでそこに置かれています。遺族から一時的に借りたものをどうやって保管してもらうのか、何か統一したフォーマットのようなものがあると嬉しいです。
・以前、考古学の学芸員さんと話した時に、資料を発見したときはそれがどこにどんな順番で置かれていたのかも記録すべきだ、とおっしゃっていました。その話を聞いて画家のアトリエの状態もできれば最後に使ったままで一度撮影なり、記録を取るべきだと思いました。しかし、画家のアトリエにも家庭生活が入り込むのでその後、ご家族のかたがどの程度手を入れられたのかが分かりません。それでもある時点で記録を取るべきなのでしょうか?
 →(谷口氏)個人の方に資料を保管していただくためのルールやフォーマットは、ないのが現状だと思います。アーカイブズの基本原則として「出所原則」「原秩序保存の原則」「原型保存の原則」「記録の原則」がありますが、「原秩序」とはどの時点をさすべきか、というのがやはり難しくて、個人文書は公文書などのように完璧に管理するのは無理だと私は思っています。例えば、歴史学の先生が文書の悉皆調査などなさる際、ある倉庫の調査に入るときなどは、その時点で棚など場所ごとに番号をふり、写真を撮って、簡単な概要(目録)を作成し、それをもとに順次細かい目録を作成していくのだと思いますが、そういう方法しかないかな…と。画家のアトリエの場合も、何処に何があるかわかる程度に、写真やメモでざっくりと記録をとっておき、ご遺族などには、元の場所にあることが大事なんです、ということをなるべくご理解いただきながら、調査をすすめる。そういうやり方しかないのかなと思います。
 →(参加者より)東京都写真美術館では、遺族や個人コレクターからお借りした作品の場合は、展示で使用したマットのままお返しすることが多いです。また可能の範囲で間紙などを入れることをお薦めしていました。
 →(伊藤)福沢のアトリエも、ご遺族が記念館を作られるときに資料を整理なさって、富岡市の記念美術館に寄贈したり倉庫に預けたりなどしました。その時点で画家の使っていたアトリエとは違うものになっています。ただ、写真資料に関していえば、それ以降は大きく場所が変わることはなかったので、その場所の記録はつけています。ましてや個人のお宅の場合は生活空間なので、都合によってモノが動くことはあるでしょう。やはり調査に入った時点で記録をとる、必要に応じてそこから紐付けていくという方法しかないように、私も思います。

・1970年以降ビデオ記録も増えていると思われますが、動画のデジタル化に関しての注意点も教えてください。ベータ、VHS、ほか、また同時に音声テープもあるかと思います。併せてお願いします。
 →(谷口氏)国立新美術館に寄贈されたさまざまなメディアの資料は、実際どこまでデジタル化すべきかを考えなければいけません。当館ではまず、業者さんにお願いして、テープやフィルムにどんなものが入っているのか、保存状態などをざっと調べていただきます。その中にはテレビ番組を録画したものなど、デジタル化できないものも入っていたりします。そういうものは除いて、必要と認められるもののみを、予算に応じてデジタル化するようにしています。
 →(肥田氏)ビデオテープはmpeg4などのデジタル動画データに、8mmや16mmなどのフィルムはテレシネという作業を通して動画データにするのが一般的です。6mmの音声テープはWAV形式で保存します。それから、大事なビデオテープなどは、マスターテープからコピーを複数作って残していることがあり、お金をかけてデジタル化してみたら同じものが出てしまうこともあります。業者によっては(記録内容の)タイトルとか、フィルムの頭だけ出してくれたりするので、谷口さんのおっしゃったようなチェックをするのも大事と思います。

・紙焼き写真をスキャンによってデジタル化する方法を進めようとしているのですが、よいのかどうかのか迷いがあります。サイズが大きな写真は無反射ガラスで押さえての撮影を進めています。アドバイスいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
 →(肥田氏)スキャンと撮影どちらがいいかはなかなか言いにくいのですが、写真資料そのものへのダメージは、スキャナのほうが大きいです。特に古い資料や劣化の進んだ脆弱な資料については、安全という意味で、デジタルカメラによる撮影に軍配があがります。画像の品質については、使用する機器によっても違いますので,一概にはいえないと思います。
 →(伊藤)フィルムのデジタル化には、専用のフィルムスキャナを使うのですか?
 →(肥田氏)堀内カラーは写真の現像をする会社だったので、今後はフィルムのデジタル化が必要だろうということで、業務用のフィルムスキャナ…今はもう製造していませんが…それを相当の台数確保しています。フィルムのほうが紙焼に比べて(コマ当たり)圧倒的に早く、安くデジタル化が可能です。

・わたしも紙焼き写真をスキャンでデジタル化することがありますが、毎回、埃の映り込みとの闘いです。何か、アドバイスいただけませんでしょうか。
 →(肥田氏)今の季節は特に静電気が発生しますので、埃がつきますね。当社の撮影のスタジオはクリーンな状態ですが、さらにエアコンプレッサーで塵や埃を飛ばしてスキャンしても、ついてしまうことがあります。なかなか有効な手立てはありません。ですから、作業として、画像加工ソフトで何%まで拡大してゴミをとること、というような仕様が、発注時に入っていることがあります。

・デジタル化して現物は所蔵者に戻す、というのは一般的なのでしょうか。当館では写真を含めて美術資料を寄贈されることが多く、収蔵庫がいっぱいで困っております。アドバイスをいただければ幸いです。
 →(谷口氏)これは一般的、とはいえず、ケースバイケースだと思います。長谷川三郎の場合は著作権が切れているので問題ありませんが、残っている場合だとまた事情が異なります。問題は、美術館に所有権がない資料をデジタル化する権利が美術館側にあるのか、ということです。著作権法上の問題ですね。所有権のある資料であれば、保存のための複製なら法的に許されているのだと思いますが。デジタル化した後にはお返しします、という資料ならば、お借りする際に、デジタル化した画像の使用に関する契約を、所有者や著作権者と結んでおかないと、公開などができないということになってしまうかもしれません。また、資料の現地保存についていえば、展覧会の調査にうかがった際に目録をとったり保護包材に入れ替えたりなどの作業をさせていただいて、そのあとは、きちんと資料が保存されているかどうか、できる限り所有者の方と連絡を密に取り合うことも大事だと思います。

・(谷口氏)長名さんに「抽象と幻想」展について質問です。目録や書籍などの刊行物が出ていますが、そこに出ているデータだけでは、すべての出品作は追えない、ということで、写真から特定なさっている、ということでよろしいですか。
 →(長名氏)両方ありますね。実際に(写真から作成した)デジタル画像にしかない作家・作品もあります。(目録と写真の間に)異同があるので、そこを付き合わせる作業が必要になり、リストも複層的になっています。例えばある雑誌に掲載された図版の列と、デジタル化した画像の列、などを作って対応関係をみていくことで、ちゃんとしたリストが完成するのかなと思います。
 →(谷口氏)つまり美術館が公式に出したリストは完璧ではないと。
 →(長名氏)厳密にいうと、そうですね。それは調査してはじめてわかったことです。

◯ご感想(主に長名氏の発表に関して)
・アドバイス参考になりました。ありがとうございました。和歌山近美は地方ですが県美時代1963年から記録があり、保存、アーカイブ化の必要を感じております。
・本日、良い機会となりありがとうございました。長名さんのお話などで、展覧会自体のアーカイブ化も何か最低限でも考えていかないといけないな、など考えさせられました。
・刺激的でした。展覧会の資料については、貴重だと思うとともに、小規模な展示替えがよくあることなので、結局展覧会の最終的な形とはなにか、つまり学芸的な意図の実現というものをどう解釈するのか、難しいところがあるように考えます。

【展覧会】福沢一郎 ギリシャ神話をえがく 10/22 – 11/14


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「福沢一郎 ギリシャ神話をえがく」を開催いたします。
1970(昭和45)年、ギリシャ旅行に出掛けた福沢は、以後ギリシャ神話を題材にした作品を何度も描くようになります。特に奔放な生と愛欲の象徴である「牧神とニンフ」は人間の根源……愚かしくもたくましく生きる人の性……を示すものとして好み、晩年までくりかえし描きました。80年代に入ると、神々にまつわる説話をもとにしながらも、その説明に過ぎることなく、あくまで人間のすがたを追い求めた作品を多く制作しました。
今回は、当館所蔵作品・資料の中から、ギリシャ神話にまつわる福沢作品を展示し、その表現の豊かさをご紹介します。

《踊る》1992年 アクリル・キャンバス 72.7×60.6cm
 

◯出品予定作品
・《ピュグマリオン》1991年 アクリル・キャンバス 72.7×60.6cm
・《海神ポセイドン》1986年 リトグラフ・紙 38.0×50.0cm
・《牧神の午後》制作年不明 コンテ、墨・紙 48.7×36.7cm
・《『ユリシイズ』より へどろばらんこ》1975年 エッチング、ドライポイント・紙 29.5×35.5cm
その他(いずれも当館蔵)

会 期:10月22日(木)―11月14日(土)の木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。 

 

【展覧会】笑う!福沢一郎 4/24 – 5/25, 2019


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 春の展覧会「笑う!福沢一郎」を開催いたします。
前衛絵画の牽引者として活躍した福沢の絵画は、「難しい」「わからない」と言われがちです。しかし、実はウィットに富み、笑いを誘うような作品もたくさん制作しているのです。
今回は、福沢一郎作品の中からさまざまな「笑い」の要素を紹介し、画家の新たな魅力をさぐります。思わずニヤリとしたり、クスリとしたり、ムフフとしたり。そんな作品と出会える、ゆるい展覧会です。ぜひおでかけください。

《位階は高く高く納税は低く低く》1974年頃 アクリル・キャンバス 90.9×72.7cm

《食卓(2)》不明(1950年代か) インク・紙 27.2×19.4cm

《風船遊び(孫の即興)》不明 アクリル・キャンバス 40.8×32.0cm

◯出品予定作品
・《さる大臣達》1974年頃 アクリル・キャンバス 73×90.9cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
・《子そだて餓鬼》1973年頃 アクリル・カンヴァス 52.9×45.6cm
・《西脇順三郎詩集のための挿絵》不明 インク、墨、鉛筆・紙 25.8×18.8cm
・《海底宝探し》《マルクスをやるです》等1930年代の作品写真パネル
その他

会 期:4月24日(水)―5月25日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円

※講演会開催のお知らせ
「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」
で伝えたかったこと

日時:2019年4月27日(土)14:00-15:30
講師:大谷省吾氏(東京国立近代美術館 美術課長)
会費:1,500円(観覧料込)
定員:先着40 名様

【展覧会】FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀 10/18 – 11/17, 2018

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Will The Voltage of Evil rise in 21st/22nd century?


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀」を開催いたします。
昭和初期から平成へと至る65年の間、つねに人間と社会への鋭いまなざしを持ち、自由闊達に描き続けた画家福沢一郎(1898-1992)は、今年生誕120年を迎えました。彼の作品と言論は、近年多くの研究者によって見直されつつあります。
この巨人に、近年活躍めざましい若手アーティスト平川恒太が挑みます。平川は、戦争画を黒一色で描くことで見えない歴史の痕跡をさぐるシリーズ「Trinitite」の手法を応用し、福沢の晩年の大作《悪のボルテージが上昇するか21世紀》(1986年)を黒一色、原寸大(197×333.3cm)で描きます。現代の我々が直面する困難を20世紀末に予見したかのような問題作を、平川はどう解釈し、我々に提示するのでしょうか。
その他、福沢が1965年にニューヨークで撮影した写真や、福沢が生前愛用した絵具などを用いた制作をとおして、平川は現代に生きるアーティストとして福沢作品をの解釈を試み、福沢一郎のアトリエ内に展示します。
2011年の多摩美術大学卒業時「福沢一郎賞」を受賞した平川による、福沢一郎との時を超えたコラボレーションを、ぜひご覧ください。

 


(参考)福沢一郎《悪のボルテージが上昇するか21世紀》1986年
アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 
2018_a_hirakawa_voltage22thのコピー
平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか22世紀》
2018年 アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm
 
 

平川恒太《芸術家たちの対話−私たちはバラなしでは何もできない》 2018年
福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
 
 

福沢一郎《STOP WAR》1967年 アクリル・キャンバス 73×91cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 

◯出品予定作品
・平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか 22 世紀》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス 197×333.3cm
・平川恒太《ニューヨーク・白と黒のダンソウ》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス サイズ未定
 +福沢一郎撮影写真(1965 年) サイズ未定
・平川恒太《芸術家たちの対話-私たちはバラなしでは 何もできない》
 2018 年 福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
・福沢一郎《STOP WAR》1967 年 アクリル・キャンバス 73×91cm
 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
                       その他

会 期:10月18日(木)―11月17日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
 
 
※トークイベント開催のお知らせ
「福沢一郎とその作品から読み解くもの・受け継ぐもの」
日時:2018年10月20日(土)15:00-16:00
語り:平川恒太(出品作家)
   佐原しおり(群馬県立館林美術館 学芸員)
進行:伊藤佳之(福沢一郎記念館)
観覧料のみでご参加可能・定員 40 名・先着順
※10月19日16:45 定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました。


 

【展覧会】「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」会場風景

2018年春の展覧会 「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」 の会場風景をご紹介します。

今回の展覧会は、タイトルの示すとおり、知られざる福沢一郎の魅力を「再発見」しようという試みでした。つまり、今まであまり美術館やギャラリーなどで紹介されてこなかった福沢一郎の制作を前面に出して、その面白さ、豊かさをご紹介することを目的としました。

記念館内東側の大きな壁を飾るのは、主に晩年に描かれた、花と壺の絵です。しかも今回はあえて額に入れず、福沢のアトリエという雰囲気も活かしながら、作品を身近に楽しんでいただこうと考えました。

大きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

南側の壁(上画像左側)には「旅する福沢一郎」と題して、時空を超えた画家の「旅」をお楽しみいただける作品を並べてみました。ブルターニュの海辺やスペインの闘牛場、そしてハワイなど、実際に訪れた場所の風景や人々の印象を描いたものから、ダンテ『神曲・地獄篇』や『ドン・キホーテ』など物語の世界へも、彼は知的な旅を試み、その成果としてユニークな作品を描いています。
また、西側の壁(上画像右側)には、山梨県立美術館所蔵の大作《失楽園》のための習作を展示しました。作品じたいも、またそのために描かれた習作も画家本人はとても気に入っており、「制作資料展」と称して習作による個展を行ったほどです(1980年、ギャラリージェイコ)。力強く闊達に悪魔の肉体が描かれるかと思えば、ほどよく力の抜けた線で動物たちが表現されたりと、習作といえどもたいへんユニークなものばかりです。

北側のコーナーには、ちょっと不思議な作品をふたつ展示しました(上画像参照)。左側は、制作年のわからない《農耕》というタイトルの作品です。使われている絵具の色や、荒涼とした大地に人間を配する作風から、1946年頃の作品ではないかと推測されます。観覧者の方々からは、これはどこの風景? 何を作っているの? ぜんぜん作物が育たなさそう!など、いろいろな疑問やご意見をいただきました。
右側の作品は、マックス・エルンストのコラージュに影響を受けて制作されたと思われる、1930年作の《静物》です。人の手が大きく描かれている「静物」というのもなかなか謎めいていますし、画面の端に塗り残しが多いのも気になります。これは描きかけ? それともこういう絵にしたかったの? それはなぜ? など、こちらもさまざまな疑問が浮かんできます。こうした謎について、あれこれ思いをめぐらすのも、作品を楽しむひとつの方法ですね。

奥の小部屋には、「旅する福沢一郎」の特設コーナーを作りました。テーマは東北・北海道です。
1950年から51年にかけて、福沢はまず北海道、そして次に東北を旅します。浜辺に打ち上げられたクジラやかまくらなど、見知らぬ土地で得たモティーフは、終戦直後やや混沌とした状況にあった彼の制作に、わずかながら転機をもたらすものであったようです。
《山寺新緑》は、岩壁に萌えたつ色鮮やかな若葉が、画家に与えた活力を感じさせる作品です。

この部屋の展示ケースには、1951年に秋田を旅していた福沢のもとに届いた手紙をふたつ展示しました。これらは、服部・島田バレエ団の創立者のひとり島田廣の筆によるもので、バレエ作品「さまよえる肖像」の舞台美術についての相談・要望と、その舞台装飾原画が到着したお礼が、それぞれ記されています。秋田の旅館で彼が新作バレエ(しかも相当観念的でマニアックな!)の舞台美術についての構想をしていたことがわかる、とても面白い資料です。

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2018年は福沢一郎の生誕120年。秋から来年春にかけて、福沢一郎の展覧会が続きます。それらの中でも、きっといろいろな「再発見」があることと思いますが、当館による福沢一郎の発掘!は、まだまだ続きます。どうぞお楽しみに。
展覧会詳細は、→こちらから。