【展覧会】PROJECT dnF 第11回  中村花絵「May I have a large container of coffee ?」アーティストコメント

《Meme 01》2023年

中村花絵 アーティストコメント … 往復メールから

2023年12月〜2024年3月
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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中村花絵(なかむら・はなえ)
北海道網走郡生まれ。2015年女子美術大学大学院美術研究科博士前期課程美術専攻版画研究領域修了(福沢一郎賞、美術館賞、美術館収蔵作品賞)。
主な発表歴:2015年、「個展」(Oギャラリー/銀座)、2016年「FINE ART/UNIVERSITY SELECTION 2016-2017」(茨城県つくば美術館)、2017年「cross references: 協働のためのケーススタディ」(アートラボはしもと)、2018年「Who are you? 松浦進 × 中村花絵 Contemporary Print Exhibition」(網走市立美術館)、2022年「帯広美術館開館30周年記念道東アートファイル2022+道東新世代」(北海道立帯広美術館)、2023年「第12回高知国際版画トリエンナーレ展」(いの町紙の博物館/高知)
パブリックコレクション:町田市立国際版画美術館、沼津市庄司美術館、女子美術大学美術館、士別市立博物館
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展示風景

展示空間について考える

—- 福沢一郎記念館での個展について、まずは率直な感想をお聞かせ願えますか。

中村 画家のアトリエとして使用されていた建物の空間を生かしたいと思いながら展覧会を組み立てました。アトリエという現場性を尊重し、イーゼルを使った作品やフレーム(額)に収めない作品、展示台をダンボールの寄せ集めで作るということをしてみたのですが、良い意味で隙のある空間になったのではないかと思っています。

—- 「隙」というのは、具体的にどんなことでしょう?

中村 私の言う「隙」は、不完全である状態を肯定している様を指しています。
アトリエは作品を見る場というよりも圧倒的に作る場として機能しています。また、FIX(完成作品)とRAW(未完成作品や習作、試作)が同居する場というイメージもあり、もともとアトリエであったこの場の現場性はむしろ蔑ろにしないで作品と関与させていった方が空間に意味が出て面白く映るのではと考え、展示作品の多くはRAW的な形態での展示方法を採用しました。
アトリエに在る状態を想起できる「隙」のある形態(不完全さ)を模すことで、作る行為やプロセスなどの構造的な側面をより明示的に述べられる効果を与えられたのではないかと思います。私の作品は制作手法が強度の幹となっている節があるので、そこがクリアに見えるのはこの場所の力もあったのではないかと感じています。

—- これまでの個展やグループ展でも、展示計画にあたっては、個々の作品ばかりでなく展示そのものの意味や、伝わりかたについて、あれこれ考えを巡らせることは多かったのでしょうか。

中村 そうですね。ホワイトキューブのような空間は、作品を積極的に見るための構造となっており、作品と鑑賞者の間にそれなりの緊張感があるように感じることが多いのですが、記念館はそれとは対照的な印象がありました。生活の延長線上に在るような佇まいで、作品以外つまり背景も良く見える空間なので、作品と建物の二つの立場を分断せずに地も図も見える空間を作ることを目標にしていました。

—- なるほど。そのような意識は、中村さんの制作に関する考えが強く影響しているように思えます。

中村 私は制作という行為を、その時に関心を持った事柄について探求するための手段として利用しています。
制作には写真に頼ることが多いのですが、その大きい理由として、
①実存する像を捉えることができる
②感情に左右されずその状況のみを切り取ることができる
の2つが挙げられます。版表現との相性が良いことや自分自身の描く線に抵抗があるということもありますが、とにかく写真は私の中で極めて重要なメディウムです。
作品を通して共感を求めたり強い主張を唱えたりしたいということはあまり思っておらず、この仕組みってこういうこと?とか、具体的にあらわすとしたらこんな感じ?と考えながら自分の中で捏ねくり回していたら、いつのまにか生まれてきた!という状況がとことん多いように思います。表層に表れるイメージは自分の良いと思うフォルムや色感、リズムを自然と成してくれるので、最近はその感性をシンプルに受け入れるようにしています。
このように、私は「制作」をある関心事を考えたり整理するための営み、「作品」はそれらを具象化する試みの最中にできた副次的な産物と見なしています。
故に、表層上には核となる関心事が表れにくいので、よくわからないと言われることがとても多いです。ただ、私はそのわからないという感情を肯定的に捉えています。わからないという感情は考えた結果で生まれる感情です。
展覧会は自分自身の関心事を振り返ったりそれらをまとめる場になるよう課していますが、鑑賞者には、わからなさに立ち会ってもらい、直感的に作品を楽しんでもらえる場にできたら、と考えています。


展示風景

作品について –見ることの意味

—- さて、それではそれぞれの作品についてもお話うかがっていきましょう。
まずは、東側の木の壁に3点並んで飾られた、少しレトロな雰囲気の漂う作品(図1、2)。昔の集合写真のようですが、よくみると顔がものすごく単純な線と点で描かれていて、いったいこれは何?そもそもどんな人たちなの?と不思議に思う方が多くいらっしゃいました。これらの作品のモチーフはどんなものですか? 

図1 東壁の展示 左から《BASEBALL BOYS(1932)》, 《CAFE STAFFS(1935)》, 《INVESTIGAORS(1930)》
《CAFE STAFFS(1935)》 2023年

中村 これらは地元の博物館に所蔵されていた戦前の写真がもとになっています。
写真機を目の前にして、動かないようにジッとしている人々の様子がお地蔵さんのような石の塊のように見えて可愛らしく思い、その人たちを切り取りました。

—- なるほど、お地蔵さんのような…。しかし、ただ可愛らしいだけではなく、どことなくシニカルな視線もうかがえます。

中村 現在はいつでも誰でもパシャパシャ撮影できるような時代なので、写真で何かを残すこと自体の価値観が格段に違うことが被写体のポーズや身なりの整え方などから現れているように思います。
また、集合写真のあり方にも私は疑問を持っていて、その行事があったことの証明のための儀式のようだと昔から感じていました。今回の制作にあたっても、最初のうちは現在に至るまでにどんな行事があったのかという内容を追いながら所蔵写真を眺めていたのですが、眺めているうちに被写体に映るその人たち自体を見ていないことに気付きました。個が喪失されて全体として認識してしまう統制的な処理が自分の中で無意識に行われていることを危惧し、自分への警鐘という意味合いでも作品にして残しておこうと思いました。

—- 作品はモノクロで刷られているようにみえますが、黒というわけではないですよね。少し明るめのグレーのようにもみえます。インクはどんなものを使っていますか?

中村 インクはパール顔料などの極小の粒子が入ったアクリル絵の具を使っています。スクリーンプリントは型紙やステンシルのように孔からインクを落として図像を写しとる技術なので、その特性を活かせるインクを採用しました。
 被写体の中には彫像のようにしっかりとしたポーズで写っている人もいて、そこから着想を得て石膏のような色合いを考えました。石膏像の強い発色の白よりは落ち着いた彩色ですが、紙の白を起点としたゆるやかな階調で主張しすぎない完成形を目指した結果です。

—- そういえば今回、石膏粘土でつくられた可愛らしい彫像が展示されていますね。また、その彫像をまるで木炭デッサンのようにプリントした作品もあります(図3、4)。私などは、石膏像とデッサン的な版画の関係に思いを巡らせるうち、ちょっと不思議な気分になってしまいます。これらの制作の意図はどんなところにあるのでしょう?

図3 左から《plaster cast drawing 02》, 《plaster cast drawing 01》, 《plaster cast 02》(右壁の台の上), 《plaster cast 01》(同)
図4《plaster cast drawing 02》2021年

中村 石膏デッサンは自身の観察力や手による技術を養うための訓練として行われることが一般的ですが、この作品は石膏を撮影してデッサンのような画像処理を行ったのちに版を通して印刷をしています。あたかも石膏デッサンをしているような形式を装っていますが、全くその行為は行っていません。見えている結果と実際のプロセスは全く乖離していて、その行為の意味、つまり描くこととはなにかを考えるために制作しています。

《contrapposto》2023年

作品について  –版画と複製技術

—- 今回の展覧会のメインビジュアルになっている《Meme 01》は、他の版画作品とはまた違った「不思議」を放っていますね。誰しも見たことがあるようで、ちょっと違う…。そして、この画像がどんなふうにできているのか…とても謎めいています。いったいどんなふうにつくられているのでしょう?

中村 対象を撮影した印刷物を大部数用意し、その印刷物を1㎜ずつずらして折り込んだ後にそれらを積み重ねてイメージを復元していくという手法で制作しています。積み重ねの工程で、その順番を変えたり減らしたりするなどの人為的なエラーを加えてイメージを操作し、最後にスキャンをして完成に導いています。

—- 複雑な制作工程を経ているんですね。でも、そうした手わざを思い起こさせない軽やかさを作品から感じますし、やはり何かこう、中村さんの批判精神というか、シニカルな視線をここにも感じます。

中村 現代はイメージが複製されることやそれらを編集・公開することがとても容易な時代です。本物(オリジナル)が意図している内容や機能から本来の意味がどんどん離れ拡散されていく現象を目の当たりにすることが多くあります。そんな中、ヴァルター・ベンヤミンという批評家が1936年に発表した『複製技術時代の芸術作品』のある文章を思い出しました。
ベンヤミンは、公共的かつ同時的な作品鑑賞が可能な、映画館という場での大衆の批判的/享受的態度が融けあう反応を肯定的に評した一方で、1回性や礼拝的な価値を持った絵画作品の鑑賞は、ヒエラルキーの序列に従うことを余儀なくされ、大衆は保守的な反応しか示さないという主旨の内容を記し、映画などの複製技術による文化の民主化を大いに歓迎していました。彼の反ファシズム的な主張が強く反映されていますが、政治的な観点から切り離しても複製技術のあり方について考えさせられる文章であるように思います。
現代は文化の民主化が急進し、SNS等を通じて誰もが意見や創作物を発信することができますが、そうした中で過剰な表現が目立って拡散されるようになりました。複製技術も更に発展した中で起きている氾濫を、ベンヤミンだったらどう見るのだろうかと、ふと考えてしまいます。

《Meme 03》2023年

—- それにしても、複製され流布するイメージいえば、やはり版画という技法がその端緒であったことを思い起こさずにはいられません。中村さんご自身が版画制作に関わるなかで、これら「複製技術」が抱える現今の問題について、深く考えるようになったということでしょうか。

中村 日常の中で無意識に版画との連関を持たせながらなにかを思考していたことが多いかもしれません。自分自身の作品も全てにおいて版画という技術を取り入れてはいませんが、ものの見方の根底として「層(レイヤー)の意識」や「複製されていくこと」、「身体から少し距離を置いて物事を考えてみること」などは版画の制作の中で仕込まれたように思います。

—- 版画という技法によって育まれた思考とその方向性が、いまの中村さんの制作のバックボーンになっているというわけですね。それでは、今後ご自身の制作が目指すもの、あるいは探りたいと考えているところがありましたら、教えてください。

中村 ざっくりですが、現代を形作っているものの嚆矢はなんだろうと気になることがしばしばあります。どうしてこうなったんだろうと思う事柄が、私的な範囲にも、社会的な規模でも数えきれないくらい蔓延していると日々感じますが、それを整理して自分の立ち位置を確かめるために私は制作という手段を取っています。
目に見えない物事の構造を視覚化できる造形芸術に頼りながら、そうしたこと/特に忘れたくないことを題材に表現していければと思います。


左から 《Meme 02》2023年, 《Meme 03》2023年, 《Meme 04》2023年(段ボールの台上の作品)

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中村の制作の興味は、わたしたちが日々体感する視覚そのものに向けられている。 見ることで認知するもの・ことと、その実態は決してイコールではない。見ているものに関する情報の量やその偏り、先入観などによって、印象や感覚に個人差が生じてしまうことは日常茶飯事だ。雑多な視覚情報が日々とてつもない量で氾濫する現代において、その傾向はいっそう強まっているように思われる。
この現状にまず疑いの眼を向け、わたしたちが視るものの実在ではなく、視た、あるいは視てきたもの・ことを批判的に問い直すのが、中村の制作の骨子であるようだ。それは大学院の修了制作以来、多少の振幅を伴いながら強さを増して、文字通り作品のバックボーンとなっている。
作家が今回新たに取り組んだ制作は、20世紀前半に活躍した思想家・批評家ヴァルター・ベンヤミンの著作に触発をうけ、大量消費される特定の、アイコニックな商品のイメージを細分化し、人為的にエラーを加え再構築することで、その実体をあやふやにしてしまうものだった。確かに見たことはあるけれど、何か違う。その違和感こそが、社会に大量に流布しながら変容・変質してゆくイメージのありようを示している。
イメージやことばが、消費される過程でずれや転置を起こし/起こされ、本来の意味や意義をうしない、ついに全く異なる存在へと変貌してしまう。このことに着目し、既成概念の破壊と反逆を試みたのが、20世紀初頭の芸術運動ダダであり、それを創造的に継承したのがシュルレアリスムであった。彼らの運動と制作には確かに、時代を反映した重要な働きがあった。翻って現代に眼を向けると、もはや芸術上のイズムは霧散し、表現手法やその理念は、見かけ上は、完全に個人の掌中に帰するものとなった。
絵画や彫刻などの造形芸術の一回性、すなわち「ほんもの」であることを重視する芸術観に前時代的な権威をみて、それを無効化する「複製技術」による芸術作品、たとえば写真や映画に、同時代的な意義を見出したベンヤミンは、ダダの破壊的な芸術運動の意義が、20年近い時を経てはじめて実感できるようになったと、1930年代後半の著作で述べている。しかし彼の称揚した写真や映画、そしてダダの「作品」までも、彼が捨て去ろうとした「ほんもの」の芸術の権威に取り込まれてしまい、アクチュアルな意義はすでに過去のものとなりつつある。それらに取って代わるように、デジタルデータが織りなす画像・動画や仮想空間がわたしたちの周りを取り囲み、現実と仮象のあいだすらあやふやにしている。
だからこそ、わたしたちは、いま視ているもの・ことが、自らにとってどんな意味をもつのか、時折考えてみる必要があるだろう。中村の制作は、そんな現代的な視覚の問題を、改めて思い起こさせる。しかしその「それはほんとうか」という問いかけ、すなわち制作は、鋭い切れ味を伴うものではなく、どちらかといえば皮肉やおかしみをまとった、ややレアな状態でわたしたちの前にあらわれている。近年その傾向はいっそう強くなっているようだ。
「『制作』をある関心事を考えたり整理するための営み、『作品』はそれらを具象化する試みの最中にできた副次的な産物」と捉える作家の態度は、問いの切っ先を研ぎ澄ませるよりも、ゆるやかな造形でもって表現することへとつながっている。その問いがじかに届かなくてもかまわない。さまざまな思考や疑問が視る者の中に、静かにわきおこってくれれば、それでよい。そんな作家の心持ちは、それぞれの作品に親しみと、ある種の強さを付与している。
シニカルで理智に富んだ作家の制作は、これからもゆるやかに変転し、わたしたちに問いかけるだろう。あなたが視ているものは、ほんとうなのか、と。

伊藤佳之

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【展覧会】シュルレアリスム100年記念特別企画 福沢一郎にとってシュルレアリスムとは何だったのか 5/9-6/8



このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「シュルレアリスム100年記念特別企画 福沢一郎にとってシュルレアリスムとは何だったのか」を開催いたします。

 福沢一郎は、「日本における本格的なシュルレアリスム絵画の紹介者」と評されてきました。もちろん、彼が昭和初期の前衛絵画、特にシュルレアリスム絵画の展開にたいへん重要な役割を果たしたことは事実で、その足跡は無視できないものです。

 しかし、彼はシュルレアリスムというフランス発の芸術思想、そしてそれに共鳴した芸術家たちの運動を、そのまま日本に移入しようとしたわけではなく、またその思想や運動に全面的に共感していたわけではありません。

 では、彼にとってシュルレアリスムとはいったい何だったのでしょう? 単なる一過性の現象にすぎなかったのでしょうか? あるいは、それ以上の重要な意味をもって、彼の画業に影響をあたえ続けたのでしょうか? そして、福沢にとっての「シュルレアリスム」理解とそれに基づく制作や論評は、同時代の美術の動向にどのように作用したのでしょう?

 この展覧会は、福沢一郎のいわゆる「シュルレアリスム絵画」を展示するほか、日本のアートシーンに衝撃をあたえた「第1回独立美術協会展」の出品作の複製パネルや、未公開の福沢旧蔵文献資料などを展示し、彼の考える「シュルレアリスム」、彼が「シュルレアリスム絵画」で実現したかったこと、そしてそれらの意味・意義をさぐるささやかな試みです。


《蝶(習作)》 1930年

《教授たち―会議で他のことを考えている》 1931年

《水泳群像》 1935年(複製パネルを展示予定)

会 期:2024年5月9日(木)―6月8日(土)の
    木・金・土曜日 13:00 -17:00(入館は16:30まで)
    ※ 5月25日(土)は講演会を聴講される方のみの観覧となります 
観覧料:300円


※講演会開催のお知らせ

「シュルレアリスムと福沢と日本の前衛」

全国3会場を巡回している展覧会「シュルレアリスムと日本」の企画者であり、日本のシュルレアリスム絵画の先駆的研究者のひとり、三重県立美術館館長の 速水豊氏 をお招きし、日本の前衛絵画の展開について、独自の視点でお話いただきます。

日時:2024年5月25日(土)14:00-15:30
講師:速水 豊 氏(三重県立美術館 館長)
会費:1,000円(観覧料込)
定員:先着30名様(定員になり次第締め切ります)

お申込はGoogleフォームにて承ります(5/9より)。
【5/13】定員に達しましたため、受け付けを終了いたしました。
たくさんのお申込ありがとうございました。


【展覧会】「PROJECT dnF」第12回 中村花絵個展「May I have a large container of coffee?」11/9-25

福沢一郎記念美術財団では、1996年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画・版画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回は、中村花絵(女子美術大学大学院版画研究領域修了、2015年受賞)の展覧会を開催いたします。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


中村花絵
May I have a large container of coffee?


《Meme 01》 2023年
 
 

シルクスクリーンを中心に、さまざまな版画技法を駆使して街の風景や歴史、さらには複製され伝播する視覚そのものに切り込む制作をおこなう中村花絵の制作を、新作を中心にご紹介します。

◯中村 花絵(なかむら・はなえ)
1990年北海道網走郡生まれ。2013年、女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻版画コース卒業〈加藤成之記念賞,美術館賞〉。2015年、女子美術大学大学院美術研究科修士課程美術専攻版画研究領域修了〈福沢一郎賞,美術館賞,美術館収蔵作品賞〉。

主な発表歴
2015 個展(Oギャラリー/銀座)
2016 女子美の新星(女子美術大学美術館)
2016 FINE ART/UNIVERSITY SELECTION 2016-2017(茨城県つくば美術館)
2017 cross references: 協働のためのケーススタディ(アートラボはしもと)
2018 現在への起点 —女子美収蔵作品を中心に—(女子美術大学美術館)
2018 Who are you? 松浦進 × 中村花絵 Contemporary Print Exhibition(網走市立美術館)
2022 帯広美術館開館30周年記念 道東アートファイル2022+道東新世代(北海道立帯広美術館)
2022 めくられるページ、横切るハト。(小金井アートスポット シャトー2F/武蔵小金井)
2023 第12回高知国際版画トリエンナーレ展(いの町紙の博物館/高知)

パブリックコレクション:
町田市立国際版画美術館, 沼津市庄司美術館, 女子美術大学美術館, 士別市立博物館

◯作家のことば◯
「大きい容器でコーヒーをいただけますか?」と訳せるタイトルのフレーズは英語圏での円周率の記憶法らしい。それぞれのスペルの数をカウントしてみると、少数第七位までを示すことができる。実のところ、コーヒーは所望していない。円周率を覚えるためにどれくらい汎用されているかは想像しえないけれども、「May I have a large container of coffee ?」というフレーズとスペルのリズム形態を模倣して別の着地点を見つけ伝播した事実はおもしろい。
姿かたちは同じでも公の意味から離れて滑稽あるいは斬新な態度を示した途端、その対象への認識が根本的に変化するケースはザラにある。コーヒーが円周率に飛躍したように、既知の事柄を模倣し伝達される過程で進化や変異を起こして築かれた文化もきっと多く存在しているはず。現にネットスラングにはそうした事例が多く登場し、小さなコミュニティの中で繁栄と衰退を繰り返している。
模倣されたものの拡散を助けたのは複製技術にほかならない。ヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術作品」(1936年)の中で当時のファシズムの潮流に背き、大衆文化の発展を促進する手段として芸術作品の複製技術を肯定した。多様性という言葉がポジティブに拡散した現代、私たちはSNSなどのメディアを通してさまざまな意見を交わし議論できる環境に在る。しかしながら、卑劣なユーモアや過剰な反応も目立ち、その全てには首肯しかねる。映画「バービー」と「オッペンハイマー」がアメリカで同日に公開されることを理由に、SNS上で原爆を軽視しているとみられる「#BARBENHEIMER」の件は記憶に新しい。模倣・複製・拡散のオペレーションが唾棄すべき発想を世の中に定着させてしまった。
改めてベンヤミンの思弁を想う。複製される(あるいはされた)ものを扱いながら考えてみる。

 

 

会期:2023年11月9日(木)- 25日(土)
※木・金・土曜日開館 
13:00 – 17:00 観覧無料


【展覧会】知られざる福沢一郎 Kコレクションからひもとく人間像  10/5 – 28


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「知られざる福沢一郎 Kコレクションからひもとく人間像」を開催いたします。

 春の展覧会「とっておきの福沢一郎Ⅲ 精選・松浦コレクション」に続き、この秋も、個人コレクターの所蔵作品から、福沢の描く人間像に迫ります。
これまでほとんど紹介されることのなかった、小粒でピリリとアクセントの効いた作品の数々。そこには福沢の「人間」に向けた鋭いまなざしがあらわれています。この機会にぜひごらんください。


《顔》 1955年

《牧神》

会 期:2023年10月5日(木)―28日(土)の
    木・金・土曜日 13:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


【展覧会】PROJECT dnF 第10回  清水香帆「漂う光」アーティストコメント

《閃光》2022年

清水香帆 アーティストコメント … 往復メールから

2022年12月〜2023年3月
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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清水香帆(しみず・かほ)
東京生まれ。2012年女子美術大学大学院美術研究科博士前期課程美術専攻洋画研究領域修了(福沢一郎賞)。2013年「第1回損保ジャパン美術賞 FACE2013」入選、「トーキョーワンダーウォール公募2013」入選。2015年「群馬青年ビエンナーレ2015」入選。2016年「シェル美術賞展2016」入選。
近年の主な個展:2020年 「辿る先」 Creativity continues 2019-2020(Rise Gallery、東京)、2022年「柔らかい波」 Creativity still continues (Rise Gallery、東京)。近年の主なグループ展:2020年 「松本藍子+清水香帆」Creativity continues 2019-2020/「松本藍子+清水香帆+江原梨沙子+井上瑞貴+吉田秀行」Creativity continues 2019-2020(いずれもRise Gallery、東京)/「Collaboration Project Vol.3 MASATAKACONTEMPORARY+RISE GALLERY」(Masataka Contemporary、東京)。
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展示風景

タイトル「漂う光」について

—- まずは、福沢一郎記念館で個展を開催した、率直な感想をお願いします。

清水 今回、過去作と新作を同時に展示させていただいたのですが、実は今までそのような機会は殆どなく、自分にとって新鮮な体験となりました。 記念館は大学院生の時にはじめて訪れたのですが、高い天井に明るい光、木目で構成された内装が印象的でとても素敵な場所だと感じていました。その後、記念館でPROJECT dnFの企画がはじまり、いつか自分も展示させていただけたら…と密かに思っていたので、お話をいただいた時は素直に嬉しかったです。

—- そう言っていただけて、うれしいです。やはり、当館での展示を意義深いと感じてくださる方にこそ、福沢のアトリエを使っていただきたいと考えておりますので。 さて、これまでの個展は、主に新作の発表の機会としてらっしゃったのですね。今回、新作と過去作を取り合わせた展示づくりをしてみて、例えば作品選びのポイントなど、考えたことや意識したことがあれば、教えてください。

清水 作品一点一点の存在だけでなく、作品同士の関係や差異によって見えてくるものがあると思いますが、今回過去作を選ぶにあたって、朧げでも点と点が繋がるような、あるいは言葉には出来ずとも何か漂うものを掬いとることができるような構成にしたいと考えました。
個展タイトルが『漂う光』でしたが、実際に展示した作品も、時に距離や奥行きを飛び越えて眼前に迫ってくる『光』という存在を意識したものが多かったように感じています。

—- そうそう、「漂う光」という個展タイトル、とても気になっていました。ここ数年の清水さんの個展タイトルをみると、「波」とか「境」あるいは「かたち」ということばが出てくるので、描き出す形象というか輪郭というか…そうしたところに意識が向かっているのかな、と思っていたのです。今回は、光というかたちのないものをテーマに掲げていらっしゃる。しかも「漂う」という、ちょっと不確かな印象をもつことばで修飾しているところが、今までとずいぶん違っているように思いますが、ご自身の意識はどうですか?
今回のタイトルを「漂う光」とした理由とあわせて、教えてください。

清水 伊藤さんにご指摘いただいて、いま気づきました(笑)自分では光が[かたちのないものである]と意識していなかったようです。話が少し変わりますが、私は生まれつき強い飛蚊症なんですね。
 ※参考:「飛蚊症とは」(参天製薬HPより)
なので、視界には常に薄暗い影が無数に漂っているんです。明るい場所や真っ白い壁面は影が露骨に見えるのでかなり辛いのですが、そのように見ること(光を感じること)は自分の中の影の形を感じることでもあり、光という存在も私の中では形体と繋がっているのかもしれません。光が実体のないものだとは分かっていても、浮かび上がるようなもの、捉え所のないもの、そんな[存在や形]であるようにどこかで考えている。ですから「漂う光」というタイトルも、「漂う」という揺れ動くような、曖昧に滲んでいくような感覚と、実体のない存在でありながら、私にとっては形体や距離を想起させる両儀的なものでもある「光」を合わせたものになりますね。
何故このタイトルにしたのかという点については、今回の展示作品や会場を考えた際にしっくりきた、というのが正直な気持ちです。


展示風景

—- なるほど! ご自身のなかでは「かたち」や「境」と、「光」いうテーマは一貫したものだったのですね。
そういえば、清水さんの作品にあらわれるかたちは、どんなものであれ、くっきりとした輪郭線や、強烈な明暗のコントラストを伴わないですよね。輪郭や陰影でかたちの強さを出すのではなく、むしろ色彩の対比とか筆のストロークとか…そんなものが、かたちの存在感を生み出しているというか…そんなふうに、私などには思えるのです。ご自身ではどのように捉えていらっしゃるのでしょう?

清水 そうですね。伊藤さんの仰る通り、輪郭線や強烈な明暗を使用することは少なく、色彩の対比や筆致で形や空間を存在させたい思いが強くあります。感覚的なこともありますが、やはり目指したいものが具体的なものごとや現実の抽象化ではないという点が一番の理由かもしれません。色やストローク、物質感やタッチ。そういったもので形体の浮遊感や距離感等、未知なものへ近寄りたいという感情で絵に向き合っています。


描き続け、画家となる

—- ではここでちょっと話題を変えまして…。絵を描くことには、ちいさな頃から興味を持っていらしたのですか?

清水 はい、絵を描くことや物を作ることはちいさな時から好きでした。ただ全然上手ではなかったです。

—- でも、美大を受験して、画家を目指してゆかれたのですから、好きなことをずっと続けておられるわけですよね。清水さんが画家を目指そうと思ったのは何時頃でしょうか? また、何かきっかけがあったら教えていただけますでしょうか。

清水 そうですね。地元の絵画教室に小学生から高校生まで通っていたので、ずっと絵は描き続けていました。
ただ画家を目指しはじめたのは大学生の後半です。卒業制作で自作について深く考えるようになったり、作品を発表する機会をいただくにつれて作家として活動していきたいという気持ちが強くなりました。

—- 絵画教室に通っていた頃に影響を受けた人、あるいは出来事などあったら教えてください。例えば絵を描くことや画家として生きることなどについて…。

清水 やはり教室の先生ですね。抽象画を描いている方なのですが、展示も拝見していたので作家活動についてなんとなく触れることができましたし、抽象画を見ることや描くことに抵抗がなかったのもその先生の影響かもしれません。

—- 抽象形態へとむかう素地は、子供の頃から形成されていた、ということですね。

清水 はい、そう思っています。

展示風景

—- 大学生の後半、作品発表の機会が画家を目指すきっかけのひとつになったというお話ですが、それはどんなものだったのでしょう? 個展とかグループ展とか…。また、そのときにどんなことに気づいたり、考えたりしたか、よろしければ教えてください。

清水 特に印象残っているものは、院生の時に参加させていただいたグループ展です。他大学の院生の方との3人展だったのですが、各大学の先生が推薦してくださった院生の展示だったこともあり、たくさんの方が作品を見に来てくださいました。そこで色々な方と話して自分の絵の弱さを痛感しました。勿論嬉しかったこともあったように思うのですが、あまり覚えていません。もっとどうにかよい絵を描きたい、もっと勉強したいと思ったことを覚えています。それ以降も制作する度、展示する度そんな風に感じており、気付いたらここまできたという気がします。「画家になろうと思った」出来事があったというより、絵を続けていたら画家になっていたという感覚かもしれません。

—- 2011年の展覧会「Switchers 3×3」(藍画廊)ですね。このとき清水さんを推薦なさった中村一美さんも、動きのある色鮮やかな抽象形態によってダイナミックな画面をつくる方ですよね。
中村さんの影響も、清水さんにとってはかなり大きかったのではないでしょうか? 作品制作だけでなく、画家としてのありようというか、考え方というか…。

清水 そうですね。中村先生に教えていただいたから今の制作があると思うくらいです。仰る通り絵の中のことだけでなく、考え方も影響を受けているかもしれません。


展示風景

色と制作

—- 清水さんの制作の特徴として、鮮やかな色彩、特に蛍光色や金銀など、まるで光を放つような強さをもった色を使っていらっしゃるところが挙げられると、私などは考えているのですが、こうした色遣いはかなり早い時期から取り入れていらっしゃるのでしょうか? また、色選びについて意識なさっていることがあれば、教えてください。

清水 はい、ピンクをはじめとする鮮やかな色彩は大学に入る以前から好んで使っていました。絵は現実を再現しなければならないという感覚が昔から薄かったので、具象的な絵でも比較的自由に色を使っていたと思います。
色選びについてですが、はじめから「この色とこの色を使った絵にしよう」と考えるのではなく、ひとつの色を置いた後に次の色を選んでいくことが多いです。特に抽象的な絵を描き始めてから強く感じますが、色って様々な距離がありますよね。マットな緑は奥に沈みますし、蛍光色のような鮮やかな色彩はポッと浮かび上がるように眼前に現れます。メタリックな色合いは光を反射しやすいからか独特の奥行きがあるように感じますし…そんな色を使って絵を作りあげたいと試行錯誤しています。
そういえば、中村先生に指導していただいた際に「色に救われることってあるよね」と言われたことがあるのですが、全くもってその通りだなと思います。色だけで絵は出来ないですが、色によって自分が作りたいものに近付いていくことが出来ると考えています。

—- 清水さん独特の色がもつ距離感…とても興味深いです。美術用語のいわゆる「色価(ヴァルール)」とはちょっと違うように私などは感じます。「色に救われる」という中村一美さんのおことばも示唆に富んでいますね。それだけ色彩と画面との関係を強く意識しているということなのですね。
キャンバスを前にして、色≒絵具や、それらがつくりだすかたちと対話を繰り返しながら、作品ができあがっていくさまを創造すると、清水さんご自身が見知らぬ世界に分け入っていくような、そんな妄想をしてしまいます。なぜかというと、清水さんの作品は、奥行きのある壮大な空間を感じさせることがとても多いので、未知の、我々が体験したことのないような世界を、私などは想像するからなのです。
そんな感想を、作品をごらんになった方から聞いたことはありますか? また、そんな感想を聞いて、ご自身はどのように感じていらっしゃるのでしょう?

清水 伊藤さんに仰っていただいたような感想を伝えていただくことは度々あります。特に大きな作品は、私自身が空間性を強く意識しているためか、そう言っていただくことが多いような気がします。もともとニューマンやロスコなどの抽象表現主義の作品が好きなので、絵を目の前にした時の身体的な感覚に興味があるのだと思います。勿論そこを目指している訳ではないのですが、オールオーバーやイリュージョン…さまざまな奥行きや距離感を許容しながら絵を考えたいと思っています。


新作《咲く明かり》について

—- そういえば、今回展示してくださった作品のなかで、《咲く明かり》(2022年)は、他のものと少し印象が違うように、私などは思います。キャンバスの縁の塗り重ねがマーク・ロスコの作品を彷彿とさせたり、かたちもエッジが立っているというよりは少し柔らかく感じたり…そう、清水さんの作品から私が感じていたクールでソリッドな感覚から、もっとソフトで、どちらかというと空気感のようなものを感じさせるような、そんな印象を私などは持っています。ご自身ではどんなふうにこの作品を捉えていらっしゃいますか?

《咲く明かり》 2022年

清水 仰る通り、柔らかさや浮き上がるような感覚を追ってみたいと思い描いた作品です。それが空気感に繋がっているのかもしれませんね。
自分としてはこの作品も空間を重視して描いているのですが、線的な要素よりも面や層を重ねて緩やかな空間を作ったのは確かです。このようなタイプの絵を描くことはあるのですが、身体と同じくらい大きな作品は今回初めて描いたので、自分の中でもまだ消化しきれていないところがあります。

—- 初めての挑戦、課題も手応えも、それぞれに感じていらっしゃるのですね。私はこの作品をみて、清水さんの制作がより豊かに、厚みを増したように感じました。これからの展開がとても楽しみです!
では最後に、ご自身の今後の制作に関して、展望や、目指してみたいこと、実現したいことなどがあれば、教えてください。

清水 地味な話になりますが、とにかく描いて考えて…を繰り返して、今回描いたような柔らかな作品やドローイング類も含め、絵をより強くしていきたいですね。自分の中では様々な課題があるので、制作を淡々と続けていくことで新たな展開に繋げていけたらと思います。


《渦流》2022年

《薄明》2022年

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まるで万華鏡のようだ。
清水の作品にはじめて出会った頃、そんな感想を抱いたことを憶えている。
画面にゆらめくかたちと色は、一瞬たりとも静止せず、私の視覚を揺さぶった。画面の中に広大な空間を感じるものもあれば、平面的・意匠的な印象が強いものもあるが、どれも大胆なストロークと鮮やかな色彩がめくるめく躍動し、私は作品との新鮮な対話を楽しんだ。
その後何度か作家自身と会い、話をうかがう機会を得たが、いつも作家は「いやあ、まだまだ…」と首をひねりながら苦笑する。最近の若い作家は謙虚な人が多い印象だが、快活で笑顔の絶えない清水の場合は、その人柄もあいまって、特に自作の評価に対して控えめに思えるのだ。自信満々で筆のストロークを重ねる作家のすがたを、私が勝手に想像しているせいかも知れない。
もちろん、清水はある確信をもって、迷うことなく自身の制作を追究し続けている。ただその確信は、歴史上絵画に求められてきた「強さ」とは違うところに向けられているようだ。私が妄想するに、作家の向く先にあるのは、わたしたちの視覚を揺さぶってやまない、形態と色彩の両方に関わる、ずれやゆらぎ、傾き、すなわち「不安定」という要素ではないか。

抽象形態を効果的に用い、すぐれて「不安定」な絵画表現を成した画家は多い。《水》(1941年)にみられるような菱形によって、静謐かつ不穏な風景を描出した山口薫(やまぐち・かおる 1907-1968)や、傾き重なりあう「きっこう」(六角形)で画面を揺り動かした杉全直(すぎまた・ただし 1914-1994)はその好例といえる。彼らは頼りなく危なっかしい形態によって、観る者を画面の内側へと強く惹きつけた。
清水の作品も、ゆらゆらと浮遊し、すうっと画面の端まで視線をさそう糸口を画面のそこかしこに準備して、観る者の視覚を捉える。ぎゅうと掴まえるのではない。なだらかな斜面を流れる水のように、わたしたちをさそうのだ。その先には、万華鏡のような、ひとつ処にとどまらない視覚の法悦がある。
ことさらに強く、盤石である必要はない。絵画のなかにひらかれた対話の窓は、作家それぞれのありようで、その向こうの広がりを示すことができれば、それでよい。さまざまな作家や教師との出会いによって、そのことに確信をもっている清水の制作は、これからもめくるめく変化をとげて、わたしたちの眼前で輝きを放つだろう。

伊藤佳之

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《water drawing 2022 (Fukuzawa Ichiro Memorial Museum) 》1, 2 2022年

【展覧会】とっておきの福沢一郎Ⅲ 精選・松浦コレクション  5/11 – 6/10


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「とっておきの福沢一郎Ⅲ 精選・松浦コレクション」を開催いたします。

 福沢一郎作品のコレクターとして名高い松浦英夫氏のコレクションは、いまや福沢の制作を知るうえで欠かすことのできないものです。
今回は、鋭い審美眼をもつ氏によって見出された作品の数々から、未公開作品を含む選りすぐり13点を展示します。
画家の造形の豊かさとともに、人間への厳しくもあたたかいまなざしを感じ取っていただけることと思います。この機会にぜひごらんください。


《ハワイの娘》 1989年

《ミラノ雪のカテドラル》 1971年
《バルコニー》 1976年

会 期:2023年5月11日(木)―6月10日(土)の
    木・金・土曜日 13:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


【展覧会】PROJECT dnF+ vol.1 報告: 山内隆 個展「巡礼。2014-2022」を終えて

PROJECT dnF+ vol.1 報告: 山内隆 個展「巡礼。2014-2022」を終えて

山内 隆(女子美術大学 教授)



山内 隆(やまうち・たかし)
1968年岐阜県生まれ。1993年東京藝術大学 大学院美術研究科 壁画専攻修士課程修了。1996年同学大学院美術研究科油画専攻 満期退学。同年より東京藝術大学 助手。1999年より女子美術大学芸術学部講師。現在同学教授。2017―18年ウィーン応用美術大学Institute of Fine Arts & Media Art Sculpture and Space研究生。
主な個展:2017年 Takashi Yamauchi Open Studio ‒ Point ‒ JOSHIBI Residency(Kunstraum Kreuzberg / Bethanien,Berlin, Germany) / Unter Sternen(Solingen,Germany)、2018年 研究発表展示 Sculpture and Space (exhibition room,Wien, Austria)、2022年「山内隆展 巡礼。そらより」(ギャラリー広田美術 東京、銀座 ) /「山内隆展 巡礼。何処/其所」(iGallery DC 山梨、笛吹市)
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展示風景

私は長らく「祈りと奉拝の場」をコンセプトに創作を続けてきました。この度、福沢一郎記念館における個展「巡礼。2014-2022」でその一部を発表いたしましたので、あらためて報告をさせて頂きたいと思います。

今回展示した作品制作のきっかけを紐解くと、2010年頃に拝聴した、故南嶌宏先生(女子美術大学教授)の講演「芸術の根拠~アウシュヴィッツ、以後」のなかで、『絶対的な死の現場と、表現の根源的欲求』という言葉に触れたことに遡ります。その言葉は私の心に残り続け、2013 年に実際にアウシュヴィッツに訪れることで、その意味を現場で反芻することとなりました。訪問後しばらくして起きた変化として、それまでの私の制作は「永続する魂」を主題にした、ひとのフォルムの彫刻であり、自分の心の内側から発露した心情や分身としての作品だったことに対し、以降、創作の衝動が旅や歴史洞察など外的な要因からも起こるようになりました。今回の展示作品にあったスケッチ群はその過程として介在しています。

強制収容所訪問ののち、九州地方での仕事の流れで長崎浦上の原子爆弾爆心地に寄り、なんのきなしに船に乗り、五島の福江島へと向かいました。予習もせずに無計画な状態で島に上陸し、島の観光案内所に紹介されていた教会群の一つ一つを目指して車を走らせていきました。旅を終えた後も、それらの小さな島々に点在する簡素な教会の印象がずっと頭から離れず、のちに潜伏キリシタンの営みから教会献堂までの長い歴史を詳しく知ることで、得体の知れぬ場のもつ求心力、祈りのかたちというものの正体をなぞることとなりました。私は南嶌先生の言葉にあった“絶対的な死の現場と、表現の根源的欲求”の意味を、長崎の教会群から強く感じ取ったのだと思います。以後、私は五島の島々や外海、生月、平戸、雲仙、天草など潜伏キリシタンゆかりの長崎の地をひとつひとつ訪れ、また再訪を繰り返していきました。

長崎や五島の領域に足を踏み入れると、何かに「接続」したような感覚に陥ります。初めて入る教会の扉を開け、そこに立ち入った瞬間も同様です。夏場に木造の教会に入るとムッと熱気を感じ、あっという間に汗ばんでいきます。古い建築や、劣化の進んだコンクリート建築には何ともいえない匂いがあり、時間帯や気候、四季によって様々な「接続」の感覚があります。長崎に行く度にその感覚は高まり、気がつくと私は罫線入りのノートに簡易な筆記用具で目の前の教会や聖堂内のスケッチを描き始めていました。それは接続の場への敬意から湧いた創作への衝動とでもいうのか、長崎から始まった教会巡礼とスケッチは奄美大島から北海道まで時間をかけてゆっくりとその範囲を広げ、それはやがてスペインの巡礼路へと繋がっていきました。

 

展示風景 長崎、五島ほか「巡礼」スケッチ

 

スペインの巡礼路では、誰かに見せるわけでもないスケッチをただ無心に描き重ねる日々があり、その時間が私には新鮮でした。日の出と共に出発し、日没まで歩き、描く。旅の目的地こそあるものの、美術的なねらいも、宗教的な祈願の成就も、贖罪もない毎日の繰り返しでした。何も持たないからこそ、巡礼という行為そのままを身体に取り込み、結果そこに今までの制作やドローイングとは違う、ただ描くことだけを行うという空白のような時間が生まれました。奉拝の場でスケッチを続け、覚書を記す時間を持つこと。それが私なりの祈りの儀式であり、巡礼なのだと思います。

 

展示風景 中央;スペイン巡礼の記録、GPS映像展示 右:「あるたてもの / 出津 / 長崎」

 

2020年以降、ちょうどコロナ禍が始まる頃に予定していたスペイン巡礼路の別ルートの旅(北の道)は頓挫することとなりました。しかし、合間を縫っては奉拝の場を求め、地元の里山や関東近辺の史跡を洞察することであらたな展開に導かれました。地元である相模原市橋本の川尻八幡宮には良い顔をしたお稲荷様がおり、それらのドローイングからはじまり、周り回って関甲信地方の山岳信仰の場や神社に辿り着きました。今回の展示に含まれた彫刻作品《巡礼。そらより》は、それらの地域に多く鎮座する御眷属信仰(おいぬさま)から創作の着想を得たものです。また、2022年の3月末に再訪した長崎、出津の心象である彫刻作品《あるたてもの》も今回の展示の構成に含めました。空白のスケッチ期間から時が経ち、祈りの場での時間がドローイングや彫刻に転化されていったように思います。

 

展示風景 画面中央の立体作品2点は「巡礼。そらより(阿形、吽形)

 

奉拝の場のスケッチというシンプルな行為から、現在の制作への繋がりを展示した「巡礼。2014-2022」は、故福沢一郎氏のご遺族である福沢誉子さんが長崎のキリシタン史跡への造詣が深く、さらにスペインの巡礼路に対する関心を強く持っていらしたことや、福沢一郎氏が戦時中に発行した記録集である「秩父山塊」を学芸員の伊藤佳之さんからご紹介いただいたことなど、様々な要素が重なることで実現に至りました。前述したように、スケッチはノートの裏表に描くなど発表を前提としていなかったため、展示のタイミングや方法が思い浮かばず、引き出しの奥底に眠らせているような状態でしたが、記念館のご縁から展示開催へと呼び覚ましていただいたように感じています。また教会建築を模したようなアトリエ建築である福沢一郎記念館の空間で、これらの教会群のスケッチの展示ができたということは、私にとって意味のあることでした。

南嶌先生の遺した言葉や、福沢一郎氏の遺した秩父山塊との出会い、また記念館を護る皆様との時間など、様々な円環から導かれるように進んでいった今回の展示ですが、ある形として提示できたことを、この場をお借りして関係者の皆さまに御礼申し上げます。ありがとうございました。コロナ禍の現状もあり今回は叶いませんでしたが、いつの日か「秩父山塊」を巡礼としてなぞるような教育プログラムが実行できたらと心に温めております。以上、ご報告とさせていただきます。

— Photo by Ujin Matsuo


【展覧会】PROJECT dnF+ vol.2 「つくるこども展 成城学園初等学校美術教員による展覧会」2023/3/2-20

福沢一郎記念館では、2014年から継続している「福沢一郎賞」歴代受賞者の方々のための企画「PROJECT dnF」を拡張する試みとして、昨年から「PROJECT dnF+」をはじめました。 これは、福沢一郎にゆかりのある方、福沢の制作とひびきあう独自の試みをおこなっている方など、当館で意義ある展覧会を開催してくださる方に、当館を展覧会場としてご提供するものです。
今回は、福沢一郎とその家族にゆかりのある成城学園初等学校の、美術教員4人による展覧会をおこないます。

福沢一郎の妻一枝は、成城学園で英語の教師をつとめていました。その縁で長男一也は幼稚園から高校まで成城学園に通っていました。現在も、福沢家と学園の縁は続いています。
成城学園初等学校の美術教育は、「図工」のひとくくりではなく、絵、彫塑、工芸の3分野を独立した教科としておこなっているところに大きな特色があります。専門性の高い教員が各教科を担当し、それぞれの表現から得られる感受性や、子供たちの興味・関心を伸ばしていくことを目指しているといいます。
今回の展覧会は、この3分野を担当する4人の教員によるグループ展です。日々子供たちと向き合いながら、各々が取り組んできた造形表現の豊かさを、堪能していただければ幸いです。 この機会にぜひご覧ください。

 


  
秋山朋也《喫水・波紋》(部分)アクリル 1300×500mm

 


粟津謙吾《untitled2023-1》 楠 W200×D180×H265mm

 


シオノシオドンマサキ《時のつながり- 昴》 古民家鯉のぼり支柱、旧国立駅舎古材、等 600×600×1800mm

 


橋本正裕《だとしても》 陶土、木材、黄銅 W67×D67×H260mm

 

◎作家略歴

秋山朋也 AKIYAMA Tomoya

1978 福島県浜通り生まれ
2002 多摩美術大学油画科卒業
2005 成城学園初等学校 着任

グループ展
2015 「たまたま展」 大森 パロスギャラリー
2021 「タマタマ展」 大森 パロスギャラリー
2016~2019 つくるこども展 成城さくらさくギャラリー/東京
2022 アート6人展 和 ギャラリー絵夢/東京

受賞歴
2002年 第56回福島県総合美術展覧会 
福島県美術賞 受賞「流木」

粟津 謙吾 Awazu Kengo

1979 フィリピンに生まれる
2002 大阪芸術大学大学院 芸術制作研究科 修了
2010-2017 桐蔭学園小学部にて勤務
2018 成城学園初等学校 着任
   
個展
2006 個展 番画廊/大阪
2007 個展/森から杜へ 番画廊/大阪

グループ展 その他
2004 石のアートフェスティバル 福島県須賀川市
2005 BEYOND THE BORDER 茶屋町画廊/大阪
2006 thing matter time2006 信濃橋画廊/大阪
2007 浪速アラモード ギャラリーES/東京
2008 宮ノ前24展 MSギャラリー/和歌山
       GEISAI 11 東京ビッグサイト/東京
2013~2018 造組展 澁谷画廊/東京
2018~2019 つくるこども展 成城さくらさくギャラリー/東京
2022 アート6人展 和 ギャラリー絵夢/東京 
その他グループ展多数

シオノシオドンマサキ(塩野雅樹)SHIONO Shiodon Masaki

1952 東京都青梅市生まれ
1975 多摩美術大学絵画科卒

個展
1976、1978,1980、1982、1984,1986,1989,1991,1993,みゆき画廊
1995 銀座Gアートギャラリー
1995 GALERIARASEN国立
1997 銀座Gアートギャラリー
2000 GALERIARASEN国立
2001 GALERIARASEN国立
2009 KCCギャラリー

グループ展
1975 椿近代画廊
1980 コラージュ展 大阪プチフォルム画廊 
1985 気配展 新宿文化センター
1993 気配展 銀座清月堂ギャラリー 
1996 ラセン展 GARERIARASEN国立
    紙の作家展 GALERIARASEN国立
    三人展 ギャラリー銀座アレー
1997 ミューズ新春美術展 所沢文化センター 
    97展 GALERIARASEN国立
    あれから52年展 ボッパルトホール青梅 
1998 GALERIARASEN SERECT98 
    多摩平和いのち展 ボッパルトホール青梅
1999 GALERIARASEN SERECT’99 
    多摩平和いのち展 ボッパルトホール青梅
2000 GALERIARASEN SERECT2000 
    多摩平和いのち展 ボッパルトホール青梅
    今日的日本の紙木土展 オーストラリア Cairns Regional Gallery
2001 ALERIARASEN SERECT2001 
2008 記憶展 さくらギャラリー
    チャリティーグリーティングカード展 みゆき画廊 
2015 たまたま展 PAROS GALLERY大森 
2016 みゆき画廊50周年記念展 
    カレンダー展 銀座うしお画廊 
    つくるこども展 成城さくらさくギャラリー 
2017 つくるこども展 成城さくらさくギャラリー 
    カレンダー展 銀座うしお画廊 
2018 つくるこども展 成城さくらさくギャラリー 
    カレンダー展 銀座うしお画廊 
2019-2022 あなたのためのカレンダー展 銀座うしお画廊
2022 アート6人展 和 ギャラリー絵夢新宿

橋本正裕 HANSHIMOTO Masahiro

1986 東京都墨田区向島生まれ
2005 東京都立工芸高等学校 卒業
2010 多摩美術大学彫刻学科 卒業
2010 神奈川県立弥栄高等学校 美術授業補佐(〜2012,3)
2012 多摩美術大学大学院 修了
2012 成城学園中学校 着任
    一般財団法人 東京私立中学校高等学校協会運営役員(2013〜2015)
2015 成城学園初等学校 着任
 向島二丁目睦町会 青年部(2003,3〜現在)
 造形教育センター 事業部長(2016,10〜現在)

教育活動
2012 高千穂大学 長谷川ゼミ講演会「児童生徒への図工美術指導について」
2015 世田谷区立保育園 講演会 「こどもの心を開放する表現活動」
2018 造形教育センター ワークショップ
2019 高千穂大学 長谷川ゼミ 講演会「こどもを支えるプロフェッショナルになろう」
2020 『誰でもできる!オンライン学級の作り方』(東洋館出版 共著)
    高千穂大学 長谷川ゼミ 講演会「教員の働き方について」
    東京初等学校協会メディア部会 講演 「図工におけるICT活用の可能性」
2021 高千穂大学 長谷川ゼミ 講演会「オンライン学級の作り方について」
    母親アップデートコミュニティ 講演「子どもの作品の見方・向き合い方」
    東京初等学校協会図工部会 講演「図工のおけるICT活用の模索」
    東京初等学校協会図工部会 授業研究「感触から広がる発想」

制作活動
2008 「サイトウシンゴタカハシマコトハシモトマサヒロ彫刻展」 神保町 ギャラリーアミュレット
    「gardens展 多摩美術大学イイオ食堂ギャラリー
    劇団パパ・タラフマラ 「新・シンデレラ」小道具制作
2010 川崎市立子ども夢パーク 噴水オブジェ制作
    在日ファンク プロモーションビデオ制作
    「via art 2010展」入選 銀座シンワアートギャラリー
2011 「鬼の居ぬ間に洗濯展」 多摩美術大学彫刻ギャラリー
2015 「たまたま展」 大森 パロスギャラリー
2016 「つくるこども展」 成城さくらさくギャラリー
2017 「つくるこども展ⅱ」 成城さくらさくギャラリー
2018 「つくるこども展ⅲ」 成城さくらさくギャラリー
2019 「つくるこども展ⅳ」 成城さくらさくギャラリー


◎展覧会 会期: 2023年3月2日(木)-20日(月)
◎休館日:火・水曜日
◎開館時間 13:00 – 19:00(20日は16:00まで)
◎観覧無料

 


【展覧会】「PROJECT dnF」第10回 清水香帆個展、第11回 児玉麻緒個展

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福沢一郎記念美術財団では、1996年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画・版画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回は、清水香帆(女子美術大学大学院洋画専攻修了、2012年受賞)と、児玉麻緒(多摩美術大学油画専攻卒業、2008年受賞)のふたりが展覧会をおこないます。
ふたりは福沢一郎のアトリエで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第10回
清水香帆「漂う光」

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《閃光》 2022年 油彩・キャンバス 91.0×72.7cm

架空の世界、異次元の景色。さまざまな想像をかきたてる清水の絵画は、抽象的な形態と鮮やかな色彩、そして大胆な筆のストロークによって形作られます。今回は「光」をテーマとして、近作を中心に展示します。

◯清水 香帆(しみず・かほ)
東京生まれ。2010年、女子美術大学芸術学部洋画専攻卒業、卒業制作賞。2012年、女子美術大学大学院美術研究科博士前期課程美術専攻洋画研究領域修了(福沢一郎賞)。2013年、「第1回損保ジャパン美術賞 FACE2013」入選。同年「トーキョーワンダーウォール公募2013」入選。2015年、「群馬青年ビエンナーレ2015」入選。2016年、「シェル美術賞展2016」入選。

近年の主な個展:
2018年 「果ての波」(KOMAGOME1-14cas、東京)/新世代への視点「清水 香帆展」(ギャラリーQ、東京)
2019年 「在るかたち」/「境を掬う」Creativity continues 2019-2020(いずれもRise Gallery、東京)
2020年 「辿る先」 Creativity continues 2019-2020(Rise Gallery、東京)
2022年 「柔らかい波」 Creativity still continues (Rise Gallery、東京)

近年の主なグループ展:
2016年 「三つの絵」(HIGURE 17-15 cas contemporary art studio、東京)
2017年 「Special Edition 2017」(Rise Gallery、東京)
2020年 「松本藍子+清水香帆」Creativity continues 2019-2020/「松本藍子+清水香帆+江原梨沙子+井上瑞貴+吉田秀行」Creativity continues 2019-2020(いずれもRise Gallery、東京)/「Collaboration Project Vol.3 MASATAKA CONTEMPORARY+RISE GALLERY」(Masataka Contemporary、東京)

◯作家のことば◯
夜道で見える灯のように、見上げた天井のシャンデリアのように、光は時に奥行きや距離を飛び越えてどきりとするほど目の前に迫ってきます。光、色、そして形。日々の生活の中で、あるいは広がる風景の中でふと眼前に現れるそれらは、私にとって謎に満ちていて魅力的なものです。中空に浮遊しながら果てを示す。彼方と此方を行き交い交わる。そんな揺れ動く感覚を含んだ絵を探っています。

会期:2022年10月27日(木)- 11月12日(土)
※木・金・土曜日開館 
13:00 – 17:00 観覧無料


第11回
児玉麻緒「Light falls」

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《light falls》 2022年 油彩・紙 77.5 × 53.3cm

植物や庭を制作のモティーフとして力強いタブローを制作する児玉は、2014年、クロード・モネが愛したジヴェルニーの庭を訪れ、その後の制作に大きな影響をうけたといいます。今回、児玉は福沢一郎が愛した自宅の庭に強く感じ入り、その場の空気感や季節の変化、植物のうつろいを自身に取り込んで制作をおこないました。「庭」を媒介として、画家どうしの時空を超えた対話が立ちあらわれます。

◯児玉 麻緒(こだま・あさお)
東京生まれ。2008年、多摩美術大学油画専攻卒業、福沢一郎賞。2010年、多摩美術大学大学院博士前期課程絵画専攻油画研究領域修了。2012年、「14th Flag Art 2010」最優秀、日比野克彦賞。同年ホルベイン・スカラシップ奨学生。2013年、Mercedes-Benz Fashion Week in Stockholm A/W 13において、フィンランドのマリメッコ社から自作をモチーフとしたテキスタイルが出展され、プロダクトとしても発売される。2015年、「第3回損保ジャパン美術賞 FACE2015」審査員特別賞。2019年、パリに滞在し制作(Cité internationale des arts)。再訪したジヴェルニーの庭で得た成果をもとに展示をおこなう。

近年の主な個展:
2016年 「project N 65 児玉麻緒」(東京オペラシティアートギャラリー)
2017年 「PLANT」(ANA インターコンチネンタルホテル東京アートギャラリー)

近年の主なグループ展:
2018年 「モネ それからの100年」(横浜美術館、神奈川/名古屋市美術館)
2020年 「Phase 2」(麻生邸、東京)/「Exploring」(銀座 蔦屋書店 GINZA ATRIUM)
2021年 「FUJI TEXTILE WEEK 2021 織りと気配」(富士吉田市)
2022年 「石と花 石黒昭×児玉麻緒」(N&Aアートサイト、東京)

◯作家のことば◯
絵の具が絵の具でなくなる瞬間、私は絵画の光をみる。 雨の中、曇りの中、快晴の中、石はそこに佇み草花は生え重なり、時々の表情の移り変わりに庭という存在の光をみた。庭の光が、カンヴァスで巻き起こる歓びと葛藤と模索の先に見える光と重なる。 花に石に庭のように変化し在り続ける、生きる絵画で在りたい。

会期:2022年11月24日(木)- 12月10日(土)
※木・金・土曜日開館 
13:00 – 17:00 観覧無料