【展覧会】「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」会場風景

2018年春の展覧会 「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」 の会場風景をご紹介します。

今回の展覧会は、タイトルの示すとおり、知られざる福沢一郎の魅力を「再発見」しようという試みでした。つまり、今まであまり美術館やギャラリーなどで紹介されてこなかった福沢一郎の制作を前面に出して、その面白さ、豊かさをご紹介することを目的としました。

記念館内東側の大きな壁を飾るのは、主に晩年に描かれた、花と壺の絵です。しかも今回はあえて額に入れず、福沢のアトリエという雰囲気も活かしながら、作品を身近に楽しんでいただこうと考えました。

大きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

南側の壁(上画像左側)には「旅する福沢一郎」と題して、時空を超えた画家の「旅」をお楽しみいただける作品を並べてみました。ブルターニュの海辺やスペインの闘牛場、そしてハワイなど、実際に訪れた場所の風景や人々の印象を描いたものから、ダンテ『神曲・地獄篇』や『ドン・キホーテ』など物語の世界へも、彼は知的な旅を試み、その成果としてユニークな作品を描いています。
また、西側の壁(上画像右側)には、山梨県立美術館所蔵の大作《失楽園》のための習作を展示しました。作品じたいも、またそのために描かれた習作も画家本人はとても気に入っており、「制作資料展」と称して習作による個展を行ったほどです(1980年、ギャラリージェイコ)。力強く闊達に悪魔の肉体が描かれるかと思えば、ほどよく力の抜けた線で動物たちが表現されたりと、習作といえどもたいへんユニークなものばかりです。

北側のコーナーには、ちょっと不思議な作品をふたつ展示しました(上画像参照)。左側は、制作年のわからない《農耕》というタイトルの作品です。使われている絵具の色や、荒涼とした大地に人間を配する作風から、1946年頃の作品ではないかと推測されます。観覧者の方々からは、これはどこの風景? 何を作っているの? ぜんぜん作物が育たなさそう!など、いろいろな疑問やご意見をいただきました。
右側の作品は、マックス・エルンストのコラージュに影響を受けて制作されたと思われる、1930年作の《静物》です。人の手が大きく描かれている「静物」というのもなかなか謎めいていますし、画面の端に塗り残しが多いのも気になります。これは描きかけ? それともこういう絵にしたかったの? それはなぜ? など、こちらもさまざまな疑問が浮かんできます。こうした謎について、あれこれ思いをめぐらすのも、作品を楽しむひとつの方法ですね。

奥の小部屋には、「旅する福沢一郎」の特設コーナーを作りました。テーマは東北・北海道です。
1950年から51年にかけて、福沢はまず北海道、そして次に東北を旅します。浜辺に打ち上げられたクジラやかまくらなど、見知らぬ土地で得たモティーフは、終戦直後やや混沌とした状況にあった彼の制作に、わずかながら転機をもたらすものであったようです。
《山寺新緑》は、岩壁に萌えたつ色鮮やかな若葉が、画家に与えた活力を感じさせる作品です。

この部屋の展示ケースには、1951年に秋田を旅していた福沢のもとに届いた手紙をふたつ展示しました。これらは、服部・島田バレエ団の創立者のひとり島田廣の筆によるもので、バレエ作品「さまよえる肖像」の舞台美術についての相談・要望と、その舞台装飾原画が到着したお礼が、それぞれ記されています。秋田の旅館で彼が新作バレエ(しかも相当観念的でマニアックな!)の舞台美術についての構想をしていたことがわかる、とても面白い資料です。

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2018年は福沢一郎の生誕120年。秋から来年春にかけて、福沢一郎の展覧会が続きます。それらの中でも、きっといろいろな「再発見」があることと思いますが、当館による福沢一郎の発掘!は、まだまだ続きます。どうぞお楽しみに。
展覧会詳細は、→こちらから。

【キャンペーン】わたしの福沢一郎・再発見

2018年の生誕120年に向けて、画家福沢一郎とその作品の魅力を「再発見」するキャンペーン、2016年夏からスタートする新企画は、「わたしの福沢一郎・再発見」です。
美術家や評論家はもちろんのこと、さまざまな方々にお気に入りの福沢一郎作品を選んでいただき、あれこれ語っていただきます。


第1回 《基督》制作年不詳、宮城県美術館蔵(洲之内徹コレクション)
  語り手:福沢一也(福沢一郎長男、福沢一郎記念館館長)
福沢一郎 《基督》


第2回 《男(黄土に住む人)》1940年 群馬県立富岡高等学校 蔵
  語り手:平出 豊(彫刻家)
福沢一郎《男(黄土に住む人)》


第3回 《原人のいぶき》1981年 富岡市立図書館 蔵
  語り手:大竹夏紀(染色アーティスト)
福沢一郎《原人のいぶき》


第4回 『秩父山塊』1944年 アトリエ社
  語り手:本間岳史(元埼玉県立自然の博物館館長)
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第5回 《鳥の母子像》1957年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 蔵
  語り手:五十嵐純(アーツ前橋 学芸員)

 


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キャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちらから。

 

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「わたしの福沢一郎・再発見」  #001《基督》

福沢一郎 《基督》

《基督》

制作年不詳 油彩・カンヴァス 33.2×23.9cm
宮城県美術館蔵(洲之内コレクション)

福沢一也
福沢一郎記念館 館長

私の父、福沢一郎の家には基督(キリスト)の磔刑像がコレクションのように保存されていて、私は小さい時から毎日、人形を楽しむように眺めていた。父はこうした像をパリ滞在中に蚤の市で買い集めたのだという。もう今は手に入らないだろうが1900年代の初頭には珍しくなかったのだ。こうしたことがあったせいか、父の絵には基督を描いたものが少なくない。洲之内徹氏が、盗んでも自分のものにしたかった絵を集めた「気まぐれ美術館」に取り入れられた福沢一郎の《基督》もその1点だ。
ところで今回、自分がいちばん気に入っている作品についてのエッセイを書くということになって、この間から、どんな絵が適当かいろいろ考えてみたが、なかなか難しい。考えてみると一番好きな絵というのは、いちばんよくできた絵というのとも違うような気がする。福沢一郎の絵について考えると、最も中心となるのは人間を様々な角度から描いたもの、時代との関わりをテーマとしたもので、表現も力強いいきいきとした傾向だ。今回私はこうした代表作、例えば地獄の絵や神話の世界を描いたものはやめて、この《基督》のような表情の柔らかい作品を好きな1点に選んでみた。
ゴルゴタの丘で磔にあった基督の、寂しくはあるが、高貴な姿に目を向けさせられてしまう。背景となる空が画面のほぼ全体を占めているのも父の見慣れた構成だ。それと雲。福沢一郎の描く白い雲は大好きだが、ここでは7つの同じ形の小さな雲が揃って描かれていて、何とも言えず可愛い。《基督》は33.2×23.9cmの小振りな作品だが、心がすきっとする名作だと思う。

 


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福沢一也(ふくざわ・かずや) 福沢一郎長男。1934(昭和9)年生まれ。一般財団法人福沢一郎記念財団代表理事、福沢一郎記念館館長。


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「わたしの福沢一郎・再発見」特設ページは、→こちら。

生誕120年に向けたキャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちら。