【ご報告】シンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」レポート

新型コロナウイルス感染症拡大による東京都内の緊急事態宣言が続く2021年1月30日、当館では、オンラインシンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」を開催しました。当館では初のオンラインのイベントとなります。

※ このシンポジウムは、今年度、公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成をうけた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の中間報告としておこなわれるものです。
また、このシンポジウムの内容の一部は、科学研究費 基盤研究(C)「写真・映像の 「影響」から見た日本の前衛芸術――昭和戦前期を中心に」(研究代表者・谷口英理)の研究成果に基づくものです。


本シンポジウムは、概ね以下のスケジュールに沿って行われました。

 ◯はじめに 問題の所在と研究の概要(13:30〜13:50)
  谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
  伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
 ◯第1部 研究発表(13:50〜15:50)
 (1)福沢一郎の写真資料 伊藤佳之(13:50〜14:20)
 (2)長谷川三郎の写真資料 谷口英理(14:20〜14:50)
   〈休憩10分〉
 (3)美術館資料としての写真 東京国立近代美術館アートライブラリ所蔵
    『抽象と幻想』展関連写真を中心に(15:00〜15:30)
    長名大地氏(東京国立近代美術館研究員)
 (4)昨今の写真資料の危機(15:30〜15:50)
    肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブサポートセンター所長)
   〈休憩10分〉
 ◯第2部 質疑・意見交換(16:00〜16:30)
 ※ 終了後、希望者は17:00まで意見交換などをおこないました。

今回は非常に多数のお申込があり、予定をはるかに超える43名のご参加がありました。


シンポジウムの冒頭に、谷口氏から、我々が抱えている問題意識と、そこから調査研究を始める過程について発言があり、続いて伊藤からも当館の実例をもとに「画家の写真資料」を考える意義を述べました。

谷口英理氏(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)

研究発表は、まず谷口氏と伊藤から、それぞれ対象となる写真資料の保存処置とデジタル化の過程、またデジタル化された資料の検討からみえてきたことなどをお話しました。
伊藤からは、改めてみえてきた福沢の写真の特質や魅力についてお話しし、また大規模なプロジェクトでなくとも写真資料の保存処置やデジタル化は可能であり、「消耗品費数千円、委託料数万円からのデジタル化」からはじめることをご提案しました。

谷口氏からは、《室内(二)》をめぐる解釈と検討の経緯や、今回その全貌が初めて明らかになった、長谷川が中国旅行の際に撮影した写真群について解説がありました。また「作品」というカテゴリに固執すると、作家の重要な部分、例えば造形実験としての写真の重要性を見失う可能性や、長谷川や福沢と同時代の「美術家の写真」をデジタル化等の手段で可視化していくことで、彼らのメディア意識が明らかになるのでは、という展望などが示され、「求む! 未整理・保存の危機にある前衛美術家の写真・映像資料の所在情報」と力強い呼びかけがなされました。


続いて、今回招聘したパネラーのおふたりの発表がおこなわれました。まず長名大地氏による「抽象と幻想」展の写真資料に関する発表では、ガラス乾板の記録写真をデジタル化したことで明らかになった事例が次々と述べられました。記録として不明瞭であった同展の輪郭を浮かび上がらせるだけでなく、戦後の美術館における近現代美術「史観」の提案を考えるうえでも重要な研究資源が、写真のデジタル化によって生み出されたわけで、今後の調査研究の進展がおおいに期待されます。

長名大地氏(東京国立近代美術館 企画課情報資料室 研究員)

また、さまざまな現場でデジタルアーカイブのプロジェクトに関わってこられた肥田氏からは、今回の福沢資料のデジタル化作業についてお話いただいたあと、写真資料が含む情報の大切さと、日々刻々と失われつつある写真資料の危機について、実例をもとにお話いただきました。参加者のみなさまにも「今そこにある危機」を改めて考えるきっかけとしていただけたのではないかと思います。

肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブセンター所長)

発表に続く質疑・意見交換では、現場で写真資料に相対するみなさまから、具体的な資料の取扱や、資料の保存を目指した考え方・基準のようなものについての質問が相次ぎました。以下に質問へのお答え、ご感想等とともにご紹介しますので、ごらんください。(時間内にお寄せいただいたものに限っています。また、ご質問くださったみなさまのお名前は伏せさせていただいております。) 

コロナ禍によりオンラインでの開催となったシンポジウムは、予想以上に参加者のみなさまの関心が高く、現場で日々悩んでおられる様子が伝わってきました。
今回の発表や意見交換が「画家の写真」について考える一助となり、また失われゆく貴重な写真資料を救うひとつのきっかけになれば、大変ありがたく思います。
(伊藤佳之)


◯ご質問と回答
・「フエルアルバム」は写真の保存によくないと東文研の研修で習いましたが、やはり遺族のもとで「フエルアルバム」が発見されることが多々あります。おそらくフエルアルバムの状態で記録写真をとって、台紙から剥がすのだと思うのですが、裏のベトベトがついていたり、反ってきたりしてどうもうまくいかず、良い方法があったら知りたいです。
 →(肥田氏)率直に言って、いい方法はありません。フエルアルバムは画期的なシステムではありましたが、糊分が印画紙の支持体に染みこんで、長い時間をかけて悪さをする例のひとつです。貼った人が几帳面であればあるほど剥がしにくいです。剥がすことが可能であれば、一刻も早くはがして、ノンバッファの紙フォルダで挟むなどして保存するのがいいと思います。
 →(谷口氏)過去に、水濡れしたフエルアルバムを扱ったことがありました。表面の乳剤が溶けだしていて、一刻を争うような状態でした。そのときは堀内カラーさんと資料保存器材さんでチームを組んでもらって、剥がせるものは剥がす。剥がれないものは、台紙から薄く切り取ってフォルダに挟む、という作業をしてもらいました。そうした脆弱なものからデジタル化の優先順位を高くしていくことが必要だと思います。

・遺族がお持ちの写真を美術館の展覧会などで一時的にお借りすると、元々のアルバムとは違うところに戻されてしまったり、借用した時のままの袋でその後、次の展覧会で誰かが借用するまでそこに置かれています。遺族から一時的に借りたものをどうやって保管してもらうのか、何か統一したフォーマットのようなものがあると嬉しいです。
・以前、考古学の学芸員さんと話した時に、資料を発見したときはそれがどこにどんな順番で置かれていたのかも記録すべきだ、とおっしゃっていました。その話を聞いて画家のアトリエの状態もできれば最後に使ったままで一度撮影なり、記録を取るべきだと思いました。しかし、画家のアトリエにも家庭生活が入り込むのでその後、ご家族のかたがどの程度手を入れられたのかが分かりません。それでもある時点で記録を取るべきなのでしょうか?
 →(谷口氏)個人の方に資料を保管していただくためのルールやフォーマットは、ないのが現状だと思います。アーカイブズの基本原則として「出所原則」「原秩序保存の原則」「原型保存の原則」「記録の原則」がありますが、「原秩序」とはどの時点をさすべきか、というのがやはり難しくて、個人文書は公文書などのように完璧に管理するのは無理だと私は思っています。例えば、歴史学の先生が文書の悉皆調査などなさる際、ある倉庫の調査に入るときなどは、その時点で棚など場所ごとに番号をふり、写真を撮って、簡単な概要(目録)を作成し、それをもとに順次細かい目録を作成していくのだと思いますが、そういう方法しかないかな…と。画家のアトリエの場合も、何処に何があるかわかる程度に、写真やメモでざっくりと記録をとっておき、ご遺族などには、元の場所にあることが大事なんです、ということをなるべくご理解いただきながら、調査をすすめる。そういうやり方しかないのかなと思います。
 →(参加者より)東京都写真美術館では、遺族や個人コレクターからお借りした作品の場合は、展示で使用したマットのままお返しすることが多いです。また可能の範囲で間紙などを入れることをお薦めしていました。
 →(伊藤)福沢のアトリエも、ご遺族が記念館を作られるときに資料を整理なさって、富岡市の記念美術館に寄贈したり倉庫に預けたりなどしました。その時点で画家の使っていたアトリエとは違うものになっています。ただ、写真資料に関していえば、それ以降は大きく場所が変わることはなかったので、その場所の記録はつけています。ましてや個人のお宅の場合は生活空間なので、都合によってモノが動くことはあるでしょう。やはり調査に入った時点で記録をとる、必要に応じてそこから紐付けていくという方法しかないように、私も思います。

・1970年以降ビデオ記録も増えていると思われますが、動画のデジタル化に関しての注意点も教えてください。ベータ、VHS、ほか、また同時に音声テープもあるかと思います。併せてお願いします。
 →(谷口氏)国立新美術館に寄贈されたさまざまなメディアの資料は、実際どこまでデジタル化すべきかを考えなければいけません。当館ではまず、業者さんにお願いして、テープやフィルムにどんなものが入っているのか、保存状態などをざっと調べていただきます。その中にはテレビ番組を録画したものなど、デジタル化できないものも入っていたりします。そういうものは除いて、必要と認められるもののみを、予算に応じてデジタル化するようにしています。
 →(肥田氏)ビデオテープはmpeg4などのデジタル動画データに、8mmや16mmなどのフィルムはテレシネという作業を通して動画データにするのが一般的です。6mmの音声テープはWAV形式で保存します。それから、大事なビデオテープなどは、マスターテープからコピーを複数作って残していることがあり、お金をかけてデジタル化してみたら同じものが出てしまうこともあります。業者によっては(記録内容の)タイトルとか、フィルムの頭だけ出してくれたりするので、谷口さんのおっしゃったようなチェックをするのも大事と思います。

・紙焼き写真をスキャンによってデジタル化する方法を進めようとしているのですが、よいのかどうかのか迷いがあります。サイズが大きな写真は無反射ガラスで押さえての撮影を進めています。アドバイスいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
 →(肥田氏)スキャンと撮影どちらがいいかはなかなか言いにくいのですが、写真資料そのものへのダメージは、スキャナのほうが大きいです。特に古い資料や劣化の進んだ脆弱な資料については、安全という意味で、デジタルカメラによる撮影に軍配があがります。画像の品質については、使用する機器によっても違いますので,一概にはいえないと思います。
 →(伊藤)フィルムのデジタル化には、専用のフィルムスキャナを使うのですか?
 →(肥田氏)堀内カラーは写真の現像をする会社だったので、今後はフィルムのデジタル化が必要だろうということで、業務用のフィルムスキャナ…今はもう製造していませんが…それを相当の台数確保しています。フィルムのほうが紙焼に比べて(コマ当たり)圧倒的に早く、安くデジタル化が可能です。

・わたしも紙焼き写真をスキャンでデジタル化することがありますが、毎回、埃の映り込みとの闘いです。何か、アドバイスいただけませんでしょうか。
 →(肥田氏)今の季節は特に静電気が発生しますので、埃がつきますね。当社の撮影のスタジオはクリーンな状態ですが、さらにエアコンプレッサーで塵や埃を飛ばしてスキャンしても、ついてしまうことがあります。なかなか有効な手立てはありません。ですから、作業として、画像加工ソフトで何%まで拡大してゴミをとること、というような仕様が、発注時に入っていることがあります。

・デジタル化して現物は所蔵者に戻す、というのは一般的なのでしょうか。当館では写真を含めて美術資料を寄贈されることが多く、収蔵庫がいっぱいで困っております。アドバイスをいただければ幸いです。
 →(谷口氏)これは一般的、とはいえず、ケースバイケースだと思います。長谷川三郎の場合は著作権が切れているので問題ありませんが、残っている場合だとまた事情が異なります。問題は、美術館に所有権がない資料をデジタル化する権利が美術館側にあるのか、ということです。著作権法上の問題ですね。所有権のある資料であれば、保存のための複製なら法的に許されているのだと思いますが。デジタル化した後にはお返しします、という資料ならば、お借りする際に、デジタル化した画像の使用に関する契約を、所有者や著作権者と結んでおかないと、公開などができないということになってしまうかもしれません。また、資料の現地保存についていえば、展覧会の調査にうかがった際に目録をとったり保護包材に入れ替えたりなどの作業をさせていただいて、そのあとは、きちんと資料が保存されているかどうか、できる限り所有者の方と連絡を密に取り合うことも大事だと思います。

・(谷口氏)長名さんに「抽象と幻想」展について質問です。目録や書籍などの刊行物が出ていますが、そこに出ているデータだけでは、すべての出品作は追えない、ということで、写真から特定なさっている、ということでよろしいですか。
 →(長名氏)両方ありますね。実際に(写真から作成した)デジタル画像にしかない作家・作品もあります。(目録と写真の間に)異同があるので、そこを付き合わせる作業が必要になり、リストも複層的になっています。例えばある雑誌に掲載された図版の列と、デジタル化した画像の列、などを作って対応関係をみていくことで、ちゃんとしたリストが完成するのかなと思います。
 →(谷口氏)つまり美術館が公式に出したリストは完璧ではないと。
 →(長名氏)厳密にいうと、そうですね。それは調査してはじめてわかったことです。

◯ご感想(主に長名氏の発表に関して)
・アドバイス参考になりました。ありがとうございました。和歌山近美は地方ですが県美時代1963年から記録があり、保存、アーカイブ化の必要を感じております。
・本日、良い機会となりありがとうございました。長名さんのお話などで、展覧会自体のアーカイブ化も何か最低限でも考えていかないといけないな、など考えさせられました。
・刺激的でした。展覧会の資料については、貴重だと思うとともに、小規模な展示替えがよくあることなので、結局展覧会の最終的な形とはなにか、つまり学芸的な意図の実現というものをどう解釈するのか、難しいところがあるように考えます。

【終了しました/満員御礼】シンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」開催のお知らせ


【2020.12.10】定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました

福沢一郎記念館では、オンラインによるシンポジウム「画家の写真資料 保存と情報共有の実際」を、2021年1月30日(土)に開催いたします。

「画家」の手による「写真」は、これまでどのように扱われてきたでしょうか。 作品でもなければスケッチでもない、単なる関連資料として扱われることが多く、たとえ美術館・博物館に所蔵されていたとしても、顧みられることは少なかったといえるでしょう。
しかし、長谷川三郎や福沢一郎が活躍した20世紀前半は、写真というメディアが大衆に浸透し、視覚の大きな変容をもたらした時期でもあり、同時代の画家たちの制作にも大きな影響を及ぼしていると、わたしたちは考えます。
今回わたしたちは、学校法人甲南学園が所蔵する長谷川三郎の写真(1930〜40年代撮影)と、遺族が所蔵する福沢一郎の写真(1920〜50年代撮影)を包括的に調査・研究することにより、メディアとしての写真がもたらした画家の視覚の変容とともに、画家の撮影または所有した写真が持つ美術史的意義について検討しました。発表ではその成果の一端をご紹介したいと思います。
また、調査・研究の過程でおこなわれた保存処置とデジタル化の作業をとおして、資料の保存や活用に携わる現場の諸問題も明らかになってきました。そこで、劣化の危機に瀕する写真資料をできる限り救い、アーカイブズ資料としての活用を目指すささやかな一歩として、作業の内容と諸問題についてもご紹介し、 参加者のみなさんとの意見交換をとおして、よりよい資料保存・活用の術をさぐっていきたいと思います。
あわせて、写真資料の保存・活用に取り組むおふたりの識者をゲストとしてお迎えし、それぞれのお立場からご発表いただきます。美術館・博物館等が抱える問題意識と知見を共有する機会となれば幸いです。
ふるってご参加ください。

伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)

※このシンポジウムは、今年度、公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成をうけた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の中間報告としておこなわれるものです。
※このシンポジウムの内容の一部は、科学研究費 基盤研究(C)「写真・映像の 「影響」から見た日本の前衛芸術――昭和戦前期を中心に」(研究代表者・谷口英理)の研究成果に基づくものです。


主  催:福沢一郎記念館
協  力:福沢絵画研究所R
日  時:2021年1月30日(土)13:30 – 16:30
対  象:
・美術館・博物館の現場で、近代美術をご担当なさっている皆様
・作家資料・展覧会資料としての写真の保存と活用についてお悩みの学芸員・研究者の皆様
・昭和の前衛絵画運動に興味をお持ちの皆様
・シンポジウムのテーマに興味をお持ちの皆様

内  容:
◯はじめに 問題の所在と研究の概要(13:30〜13:50)
谷口英理(国立新美術館 学芸課 美術資料室長)
伊藤佳之(福沢一郎記念館 非常勤嘱託)
◯第1部 研究発表(13:50〜15:50)
(1)福沢一郎の写真資料 伊藤佳之(13:50〜14:20)
(2)長谷川三郎の写真資料 谷口英理(14:20〜14:50)
〈休憩10分〉
(3)美術館資料としての写真 東京国立近代美術館アートライブラリ所蔵
『抽象と幻想』展関連写真を中心に(15:00〜15:30)
長名大地氏(東京国立近代美術館研究員)
(4)昨今の写真資料の危機(15:30〜15:50)
肥田康氏(株式会社堀内カラー アーカイブサポートセンター所長)
〈休憩10分〉
◯第2部 質疑・意見交換(16:00〜16:30)

定  員:30名
※ ご参加は無料です。
※ 定員は都合により変更する場合があります。
申込締切は、2021年1月11日(月)といたします。
定員に達した場合、期日前に申込を締め切らせていただきます。
【2020.12.10】定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました

参加方法:オンライン会議システム「ZOOM」を使用します。

注意事項:
1.セキュリティ上の問題から、お申込及び事前登録いただいた方以外の参加はできません。
2.上記リンクやミーティングID、パスコードの公開及びSNS等による拡散はしないでください。
3.入室管理のため、Zoomにて表示される登録名は、事前にご本人のフルネーム(漢字、かな又はローマ字)に設定していただきますよう、お願いいたします。
(Zoomのポータルサイトでサインインし「マイアカウント」からの設定、またはZoomアプリの「設定」から「表示名」を変更してください)
4.このシンポジウムのプログラム全体は、記録のため録画・録音させていただきますので、あらかじめご了承ください。
参加者のみなさまによる録画・録音及びスクリーンショットの撮影は、固くお断りいたします。
なお、録音の書き起こしをもとにしたレポートを、後日『福沢絵画研究所R通信』に掲載予定です。参加者のみなさまには当該号をお送りいたします。
5.ご参加の際は、こちらから指名させていただく場合のほかは、マイクとビデオをOFFにしておいてください(事前に設定済です)。
6.発表に関するご質問・ご意見は、発表中でもかまいませんので、チャット欄に入力していただきますよう、お願いいたします。
7.ご質問・ご意見への回答は、その内容や、意見交換の残り時間によって、選択・調整させていただきます。なお、こちらからご質問内容を確認することがある場合など、マイクをONにしてお話いただくよう、お願いすることがあります。
8.ご質問・ご意見とそれらへの回答等につきましては、当日回答できなかったものを含め、後日福沢一郎記念館ホームページ内にご報告のWebページを作成し、みなさまと情報を共有したいと考えております。

通信環境について
1.光回線等から接続された有線LANまたは、安定したWifi環境のある場所でのご参加をお薦めします。
2.セキュリティ上、公衆LANのご利用によるご参加はご遠慮ください。
3.ZoomはPCのWebブラウザからのご利用も可能ですが、安定した接続環境を保つため、専用アプリのご使用をおすすめいたします。
4.スマートフォンやタブレットからご参加の場合、Wifiではなく4Gや5Gにより接続されますと、データ通信量がたいへん多くなり、通信料金が高額になることがありますので、ご注意ください。
5.当日、回線状況やシステムの利用状況によっては、音声が途切れたり画像が動かなくなったりすることがあります。その場合はミーティングから一度ご退出いただき、上記Zoomリンクから再度入室いただきますと、改善することがあります。


【展覧会】「福沢一郎 ギリシャ神話をえがく」会場風景

2020年秋の展覧会 「福沢一郎 ギリシャ神話をえがく」 の会場風景をご紹介します。

今年春、当館は新型コロナウイルス感染症の拡大により、展覧会の開催を自粛しました。この秋もまだまだ予断を許さない状況ではありましたが、多方面からのご要望もあり、しっかり対策をとったうえで、春に開催するはずだったテーマで展示を作り、短期間ながら開館することを決めました。

今回のテーマは、福沢が70年代以降さかんに描いたギリシャ神話の世界です。青空の下奔放にたわむれる牧神とニンフたち、

記念館内東側の大きな壁を飾るのは、主に晩年に描かれた、花と壺の絵です。しかも今回はあえて額に入れず、福沢のアトリエという雰囲気も活かしながら、作品を身近に楽しんでいただこうと考えました。

大きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

南側の壁(上画像左側)には「旅する福沢一郎」と題して、時空を超えた画家の「旅」をお楽しみいただける作品を並べてみました。ブルターニュの海辺やスペインの闘牛場、そしてハワイなど、実際に訪れた場所の風景や人々の印象を描いたものから、ダンテ『神曲・地獄篇』や『ドン・キホーテ』など物語の世界へも、彼は知的な旅を試み、その成果としてユニークな作品を描いています。
また、西側の壁(上画像右側)には、山梨県立美術館所蔵の大作《失楽園》のための習作を展示しました。作品じたいも、またそのために描かれた習作も画家本人はとても気に入っており、「制作資料展」と称して習作による個展を行ったほどです(1980年、ギャラリージェイコ)。力強く闊達に悪魔の肉体が描かれるかと思えば、ほどよく力の抜けた線で動物たちが表現されたりと、習作といえどもたいへんユニークなものばかりです。

北側のコーナーには、ちょっと不思議な作品をふたつ展示しました(上画像参照)。左側は、制作年のわからない《農耕》というタイトルの作品です。使われている絵具の色や、荒涼とした大地に人間を配する作風から、1946年頃の作品ではないかと推測されます。観覧者の方々からは、これはどこの風景? 何を作っているの? ぜんぜん作物が育たなさそう!など、いろいろな疑問やご意見をいただきました。
右側の作品は、マックス・エルンストのコラージュに影響を受けて制作されたと思われる、1930年作の《静物》です。人の手が大きく描かれている「静物」というのもなかなか謎めいていますし、画面の端に塗り残しが多いのも気になります。これは描きかけ? それともこういう絵にしたかったの? それはなぜ? など、こちらもさまざまな疑問が浮かんできます。こうした謎について、あれこれ思いをめぐらすのも、作品を楽しむひとつの方法ですね。

奥の小部屋には、「旅する福沢一郎」の特設コーナーを作りました。テーマは東北・北海道です。
1950年から51年にかけて、福沢はまず北海道、そして次に東北を旅します。浜辺に打ち上げられたクジラやかまくらなど、見知らぬ土地で得たモティーフは、終戦直後やや混沌とした状況にあった彼の制作に、わずかながら転機をもたらすものであったようです。
《山寺新緑》は、岩壁に萌えたつ色鮮やかな若葉が、画家に与えた活力を感じさせる作品です。

この部屋の展示ケースには、1951年に秋田を旅していた福沢のもとに届いた手紙をふたつ展示しました。これらは、服部・島田バレエ団の創立者のひとり島田廣の筆によるもので、バレエ作品「さまよえる肖像」の舞台美術についての相談・要望と、その舞台装飾原画が到着したお礼が、それぞれ記されています。秋田の旅館で彼が新作バレエ(しかも相当観念的でマニアックな!)の舞台美術についての構想をしていたことがわかる、とても面白い資料です。

*   *   *   *   *

2018年は福沢一郎の生誕120年。秋から来年春にかけて、福沢一郎の展覧会が続きます。それらの中でも、きっといろいろな「再発見」があることと思いますが、当館による福沢一郎の発掘!は、まだまだ続きます。どうぞお楽しみに。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】福沢一郎 ギリシャ神話をえがく 10/22 – 11/14


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「福沢一郎 ギリシャ神話をえがく」を開催いたします。
1970(昭和45)年、ギリシャ旅行に出掛けた福沢は、以後ギリシャ神話を題材にした作品を何度も描くようになります。特に奔放な生と愛欲の象徴である「牧神とニンフ」は人間の根源……愚かしくもたくましく生きる人の性……を示すものとして好み、晩年までくりかえし描きました。80年代に入ると、神々にまつわる説話をもとにしながらも、その説明に過ぎることなく、あくまで人間のすがたを追い求めた作品を多く制作しました。
今回は、当館所蔵作品・資料の中から、ギリシャ神話にまつわる福沢作品を展示し、その表現の豊かさをご紹介します。

《踊る》1992年 アクリル・キャンバス 72.7×60.6cm
 

◯出品予定作品
・《ピュグマリオン》1991年 アクリル・キャンバス 72.7×60.6cm
・《海神ポセイドン》1986年 リトグラフ・紙 38.0×50.0cm
・《牧神の午後》制作年不明 コンテ、墨・紙 48.7×36.7cm
・《『ユリシイズ』より へどろばらんこ》1975年 エッチング、ドライポイント・紙 29.5×35.5cm
その他(いずれも当館蔵)

会 期:10月22日(木)―11月14日(土)の木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。 

 

【展覧会】PROJECT dnF 第7回 中里葵「Repetition」アーティストコメント

中里葵 アーティストコメント … 往復メールから

2019年11月〜12月
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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中里葵(なかざと・あおい)
1993年、埼玉県生まれ。2016年、女子美術大学洋画専攻卒業、女子美術大学美術館賞、加藤成之記念賞。2018年、女子美術大学大学院版画領域専攻修了(福沢一郎賞)。
主なグループ展・公募展出品歴: 「第6回山本鼎版画大賞展」(入選)上田市立美術館(2015年)/「EXIST Vol.11」JINEN GALLERY、「街の構図展」フリュウ・ギャラリー、「第52回神奈川県美術展」(横浜/かながわ賞)、「第5回FEI PRINT AWARD」入選 「第84回日本版画協会版画展」入選(賞候補)、「DAWN OF YOUTH」Kato Art Duo(シンガポール)、「ブレラ国立美術学院・女子美術大学交流作品展」(以上2016年)/「PICK UP THE PIECIES 2017」JINEN GALLERY、「スクエア ザ・ダブルVol.11」フリュウ・ギャラリー、「日本版画協会第84回版画展 画廊選抜展」養清堂画廊(以上2017年)
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初の個展/制作について(1)

—- 今回、当館での展示が初の個展だそうですね。展示してみて、率直な感想をお聞かせください。

中里 初めての個展を福沢一郎記念館でさせていただけたことにとても感謝しております。
最初は自分の作品だけで空間が埋められるのか不安でしたが、伊藤さんや記念館の皆様のおかげでなんとか展示することができ、ほっとしています。

—- 今回の出品作のほとんどが、中里さんの制作の重要なモティーフである「団地」で占められていますね。特に福沢のアトリエ内、象徴的な青森ヒバの壁に、大作が並んだのは壮観でした。これらの作品はいずれも90cm角くらいの正方形ですが、この寸法と比率にしているのは何か訳があるんでしょうか?

中里 この寸法と比率にしている訳は、お恥ずかしながら深い意味は何もありません…。
単純に既製品の版木とパネルのサイズが合ったので、このサイズ感になりました。
びっくりするくらい単純な理由で申し訳ないです。

—- いえ、大丈夫です(笑)。ただ正方形というプロポーションが、中里さんの制作テーマのひとつである「画一化する風景」を表現するに、なかなか効果的に働いているなあと思ったのです(図1)。意図せずそういう結果になったのは面白いですね。展示の工夫のしがいもありますし。今回も、縦にも横にも繋げられる…なんなら少しずらして…など、アレンジの可能性が多くて驚きました。こうした展示方法は今までも色々試して来られたのでしょうか?



図1 《画一化する風景9》 2017年 水性木版・紙 91.0×91.0cm

中里 自分でも正方形という形に助けられているな、と感じる時はよくあります。
展示方法は、修了制作として展示する時は4枚のパネルを連結して大きな正方形にしたり、階段のような形にしたこともありました。
少しずらして縦に連結するというのは今回の展示が初めてで、ずっとやってみたいと思っていたので実現できてよかったです。
今までのグループ展では他の作家さんとの兼ね合いもあったので、今回の個展で自分の頭の中にあったことをとことん出来たのはとても幸せなことでした。




画一化する風景

—- 当館の展示が新たな試みの場になったなら、何よりです。
  それにしても、団地の建物を真っ正面から捉えると、こんなに面白い表現になるのかと、最初拝見したときは驚きました。団地をモチーフとした制作は、いつ頃から、どんなきっかけで始められたのでしょう?

中里 団地を作品にし始めたのは大学4年の頃です。
大学3年の頃から自分の興味のあるものや好きなものだけを作品にするのではなく、もっと広く社会に目を向けて作品を作ろう、と指導を受けてきました。
その中で私は自分の生まれ育った「郊外」という場所に着目して作品を制作できないかと模索していました。
ショッピングモールやファミレスなど、全国どこに行っても同じものが手に入るというのはとても便利でありがたいことですが、同時に地域と人々の個性が無くなるような、そんな違和感も抱いていました。
その「違和感」をどのように作品にしようかと考えていたら、帰りのバスの中からたまたま団地の窓の明かりが見えて、これを作品にしよう、と思い立ちました。



—- その最初の作品が、今回出品なさった《standardization》(2016年)ですね(図2)。同じようなかたちをした団地のベランダが並んでいますが、窓の明かりの違いが、そこに住む人たちの存在、つまり個性をじわりと感じさせるような作品です。やはり思い入れの強い作品なのでしょうね。



図2 展示風景 右の作品が《standardization》 2016年 水性木版・紙 61.6×91.5cm

中里 最初の作品はもう世間に出すことはないだろうと思っていたのですが、せっかく福沢一郎記念館で個展の機会をいただけたのでシリーズのきっかけとなった作品も展示してみるか、と思って引っ張り出してきました。
この時は団地という規格化された中の個性みたいなものを描いていましたが、そこからどんどん画一的、無個性などをキーワードに制作していきました。

—- おっしゃるとおり、最近作はその無個性、画一化というテーマが、ますます研ぎ澄まされてきていますね。《画一化する風景23》(2018年)などは、もう抽象画のようです。しかもモノクロのとてもストイックな造形ですね(図3)。

中里 画一化、無個性ということを主張する時に別に団地である必要もないのかなと思い、抽象画のようになりました。
抽象画のようになったからこそ、パネルを連結して正方形や長方形、階段式など様々な形で遊ぶような展示ができるようになったのかもしれません。



図3 《画一化する風景》 2018年 水性木版・紙 各91.0×91.0cm(2点組での展示)



制作について(2)

—- なるほど。意味を削ぎ落としていった結果、このようなシンプルな造形に至ったというわけですね。でも、とてもかっちりしている印象があるいっぽうで、木版独得の柔らかさや、刷りのあじわいがあって、ある意味ミスマッチといいますか…。まあ、こういうテーマ・造形を、他の技法で…例えばシルクスクリーンなどでやろうとすると、かなり印象が変わってくるでしょうね。やはり木版にこだわって制作なさっているのでしょうか? そうだとすれば、その理由はどんなところにあるでしょう?

中里 木版にこだわっている理由というのは特にないのですが、ただ単純に木版の素材が私の肌に合っていたのかもしれません。
私はひたすら同じ形を彫っているのですが、その行為の繰り返しが「無」になれるといいますか、自分にとっては大切な時間なのかもしれません。

—- 中里さんが、本格的に木版画の制作をしようと思い立ったきっかけは、どんなものだったのでしょうか。

中里 本格的に木版画の制作をしようと思ったのは、銅版やリトグラフなど色々な版種を体験して木版はもう一度やったら次はもう少し上手くできるかもしれない、と思ったからです。
私は水性木版なので試しやちょっとした実験みたいなことがしやすかったというのもきっかけかもしれません。

—- 団地の制作に至るまでには、どんなモティーフを扱ってこられたのでしょう?

中里 団地の制作に至るまでは 全国どこに行っても同じ商品が手に入るという部分に興味があって、先ほど例に挙げた ファミレスやコンビニ、ショッピングモールなどをモチーフにしていました。
これらのモチーフは1枚の絵で画一化や無個性といったことを主張するのが難しく、またシリーズとして制作したいな、と思っています。


これからの制作

—- 今挙げていただいた、ファミレスやコンビニなどのほかに、無個性や画一化というテーマをもって取り組んでみたいモティーフはありますか? あるいは、無個性・画一化というテーマ以外に、何か取り組んでみたいテーマはあるでしょうか?

中里 今興味があるモティーフは高速道路やパーキングエリアなどです。高速道路はずっと同じ道で左右が高い壁で囲われていて今どこに自分がいるのか分からなくなる感覚があります。 そのようなところから地域性が無くなるとか、画一化みたいなことを言えたらと思っています。
また、無個性・画一化というテーマと並行して版画の特質である複数性とか間接性などそういった版画の機能についてじっくり考えて作品にも取り込んでいきたいと思っています。



—- 「無個性・画一化」と「複数性・間接性」とが綿密に織り込まれたとき、どんな作品ができるのか楽しみです。
 ちょっと話題は変わりますが、無個性・画一化という問題は、産業革命による大量生産に端を発する規格化、公的教育の普及、マスコミュニケーションの発達、そしてデジタル化社会というふうに、近代から現代へとつづく人間をとりまく環境を語るとき欠かせないことであるように思います。
 中里さんはこうしたテーマを意識的に取り上げて作品に反映させているので、社会的課題としての無個性・画一化に対し、どんな考え、思いをもっているのか、ぜひ教えてください。

中里 社会的課題としての「無個性・画一化」に対して私自身は肯定でも否定的な立場でもありません。
きっと時代が変化していく上で無個性・画一化というのは必然だったのだと思います。
でも物事には何でも良い面と悪い面があるように、無個性・画一化によって失われるものもあると思います。
自分が制作したもので「無個性・画一化」について何かを考えてくれる人がいてくれたら…と思っています。






訥々と、じっくり言葉を選びながら語る作家のことばの印象は、対面して話すときも、往復メールでの対話のときも、ほとんど変わらない。何事にも誠実に向き合う作家の個性がそのまま、ことばにもあらわれているようだ。
制作にもその人間性がそのまま反映…などと簡単に言ってしまうのはもったいない。確かに制作への地道で誠実な取り組みのうえに、あのおびただしい数の扉やベランダが並ぶ鮮烈でソリッドな魅力をもった作品が成り立っていることは間違いない。しかしただ誠実を貫くだけでは、団地のファサードというモティーフと、制作のテーマ、そして制作技法をここまで強力に結びつけることはできないだろう。
「画一化する風景」というテーマで制作を続けてきた作家が今回選んだ個展タイトルは「Repetition(反復)」。同じことを繰り返すだけなら、それは画一化された所作そのものといえる。しかしある所作とそれによって生まれたナニモノかは、反復すればするほど、次第にずれ、ありようを変えていくものだ。反復とは差異のはじまりでもある。作家が用いる水性木版という技法じたい、そうした宿命を負っている。同質・同型のイメージを複製する技術としての版画でありながら、差異を孕むことを余儀なくされているのだ。
画面のなかでずらずらと並ぶ団地のベランダは、画一化されたかたちを保持しつつ、水性木版特有の刷りムラや濃淡によって画一化・パターン化に抵抗し、われわれの眼前に広がる風景が決してひととおりではないと主張する。均質化と個のゆらぎを内包し、じりじりと発熱する。そんなところが中里の制作の魅力と私は考えている。作家はこのテーマについて強く主張することはない。ただ眼前のありようを、自分らしく誠実にあらわしているだけなのだろう。しかしそれだけに、二律背反する社会の事象への批判的な精神が、実は作家の奥底で、じりじりと発熱しているのではないか。そんな妄想を私などはかき立てられてしまう。
作家自身も気付いていない熱量が、埋み火のように作品のむこうで息づく。それがいつか、大きな炎のように燃えさかる日が来るかもしれない。(伊藤佳之)


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※この記事は、展覧会終了後、ききてと作家との間で交わされた往復メールを編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】「PROJECT dnF」  第7回 中里葵「Repetition」、第8回 渡部未乃「Botanical garden」

福沢一郎記念美術財団では、1996年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画・版画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回は、中里葵(女子美術大学大学院版画専攻修了、2018年受賞)と、渡部未乃(多摩美術大学油画専攻卒業、2014年受賞)のふたりが展覧会をおこないます。
ふたりは福沢一郎のアトリエで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第7回
中里 葵「Repetition」


《画一化する風景9》 2016年、91×91cm、水性木版/和紙
 

団地や大型マンションを思わせる建築物を真正面からとらえたイメージをもちいて制作する版画家・中里葵。まるで幾何学的な抽象絵画のようにもみえますが、その中には無個性、並列化、連続性といった都市と人間のありようが込められているようです。今回は近作を含め、これまでの制作を概観します。

 

◯作家のことば◯
私が「版画」という技法で作品を制作する意味は何か、と考えていました。
版画には他の絵画表現にはない様々な特質があります。〈版〉という〈型〉を一度作れば同一のイメージを複数生み出すことができたり、または色彩を変化させたり、層を重ねたり、様々なことができます。
そのような版画の特質から、無限に続いていくような作品や、展示空間に合わせて変形できる作品のような「版画」だからこそ生み出せる作品を模索しています。

2019年10月8日(火)-19日(土) 12:00 – 17:00  観覧無料
月曜休

※10月13日(日)の中里葵「Repetition」トーク&レセプションは、台風19号の影響を考慮し、中止とさせていただきます。
※ 当館は12日(土)に休館とさせていただきます。 15:00 – 17:00


第8回
渡部未乃「Botanical garden」


《Overlap XV》 2019年、194.0×130.5cm、油彩・キャンバス
 

渡部未乃の作品には、風景や植物を連想させるものが多くあります。抽象化されて普遍的な「絵画」へ進む途上、画面は理智と感性のはざまで揺れ動きながら、輝きを獲得していくようです。今回はこの個展のために制作した最新作のほか、植物のイメージから派生した絵画を中心に構成し、作家の新たな可能性をさぐります。

 

◯作家のことば◯
植物の形からドローイングを重ね、要素を削ぎ落とし抽象化した形を描いている。その際に自身の感情やモチーフの意味も取り除いていく。
絵と私の間に繰り返される対話により作品は徐々に自身から離れ、私のものでも誰のものでもなくなっていく。見る人によって様々な見方ができるような、自立した絵画を目指している。

2019年10月29日(火)- 11月9日(土) 12:00 – 17:00  観覧無料
月曜定休
ギャラリートーク、レセプション 11月2日(土) 15:00 – 17:00


【展覧会】笑う!福沢一郎 4/24 – 5/25, 2019


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 春の展覧会「笑う!福沢一郎」を開催いたします。
前衛絵画の牽引者として活躍した福沢の絵画は、「難しい」「わからない」と言われがちです。しかし、実はウィットに富み、笑いを誘うような作品もたくさん制作しているのです。
今回は、福沢一郎作品の中からさまざまな「笑い」の要素を紹介し、画家の新たな魅力をさぐります。思わずニヤリとしたり、クスリとしたり、ムフフとしたり。そんな作品と出会える、ゆるい展覧会です。ぜひおでかけください。

《位階は高く高く納税は低く低く》1974年頃 アクリル・キャンバス 90.9×72.7cm

《食卓(2)》不明(1950年代か) インク・紙 27.2×19.4cm

《風船遊び(孫の即興)》不明 アクリル・キャンバス 40.8×32.0cm

◯出品予定作品
・《さる大臣達》1974年頃 アクリル・キャンバス 73×90.9cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
・《子そだて餓鬼》1973年頃 アクリル・カンヴァス 52.9×45.6cm
・《西脇順三郎詩集のための挿絵》不明 インク、墨、鉛筆・紙 25.8×18.8cm
・《海底宝探し》《マルクスをやるです》等1930年代の作品写真パネル
その他

会 期:4月24日(水)―5月25日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円

※講演会開催のお知らせ
「福沢一郎展 このどうしようもない世界を笑いとばせ」
で伝えたかったこと

日時:2019年4月27日(土)14:00-15:30
講師:大谷省吾氏(東京国立近代美術館 美術課長)
会費:1,500円(観覧料込)
定員:先着40 名様

【展覧会】FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀 10/18 – 11/17, 2018

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Will The Voltage of Evil rise in 21st/22nd century?


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「FUKUZAWA×HIRAKAWA 悪のボルテージが上昇するか21世紀」を開催いたします。
昭和初期から平成へと至る65年の間、つねに人間と社会への鋭いまなざしを持ち、自由闊達に描き続けた画家福沢一郎(1898-1992)は、今年生誕120年を迎えました。彼の作品と言論は、近年多くの研究者によって見直されつつあります。
この巨人に、近年活躍めざましい若手アーティスト平川恒太が挑みます。平川は、戦争画を黒一色で描くことで見えない歴史の痕跡をさぐるシリーズ「Trinitite」の手法を応用し、福沢の晩年の大作《悪のボルテージが上昇するか21世紀》(1986年)を黒一色、原寸大(197×333.3cm)で描きます。現代の我々が直面する困難を20世紀末に予見したかのような問題作を、平川はどう解釈し、我々に提示するのでしょうか。
その他、福沢が1965年にニューヨークで撮影した写真や、福沢が生前愛用した絵具などを用いた制作をとおして、平川は現代に生きるアーティストとして福沢作品をの解釈を試み、福沢一郎のアトリエ内に展示します。
2011年の多摩美術大学卒業時「福沢一郎賞」を受賞した平川による、福沢一郎との時を超えたコラボレーションを、ぜひご覧ください。

 


(参考)福沢一郎《悪のボルテージが上昇するか21世紀》1986年
アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 
2018_a_hirakawa_voltage22thのコピー
平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか22世紀》
2018年 アクリル・キャンバス 197.0×333.3cm
 
 

平川恒太《芸術家たちの対話−私たちはバラなしでは何もできない》 2018年
福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
 
 

福沢一郎《STOP WAR》1967年 アクリル・キャンバス 73×91cm
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
 
 

◯出品予定作品
・平川恒太《ケイショウ 悪のボルテージが上昇するか 22 世紀》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス 197×333.3cm
・平川恒太《ニューヨーク・白と黒のダンソウ》
 2018年 油彩、アクリル・キャンバス サイズ未定
 +福沢一郎撮影写真(1965 年) サイズ未定
・平川恒太《芸術家たちの対話-私たちはバラなしでは 何もできない》
 2018 年 福沢一郎の赤と青(アクリル)、アクリル・キャンバス 72.7×53.0cm
・福沢一郎《STOP WAR》1967 年 アクリル・キャンバス 73×91cm
 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵
                       その他

会 期:10月18日(木)―11月17日(土)の水・木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
 
 
※トークイベント開催のお知らせ
「福沢一郎とその作品から読み解くもの・受け継ぐもの」
日時:2018年10月20日(土)15:00-16:00
語り:平川恒太(出品作家)
   佐原しおり(群馬県立館林美術館 学芸員)
進行:伊藤佳之(福沢一郎記念館)
観覧料のみでご参加可能・定員 40 名・先着順
※10月19日16:45 定員に達しました。たくさんのお申込ありがとうございました。


 

【展覧会】「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」会場風景

2018年春の展覧会 「発掘!福沢一郎 120年めの『再発見』」 の会場風景をご紹介します。

今回の展覧会は、タイトルの示すとおり、知られざる福沢一郎の魅力を「再発見」しようという試みでした。つまり、今まであまり美術館やギャラリーなどで紹介されてこなかった福沢一郎の制作を前面に出して、その面白さ、豊かさをご紹介することを目的としました。

記念館内東側の大きな壁を飾るのは、主に晩年に描かれた、花と壺の絵です。しかも今回はあえて額に入れず、福沢のアトリエという雰囲気も活かしながら、作品を身近に楽しんでいただこうと考えました。

大きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

南側の壁(上画像左側)には「旅する福沢一郎」と題して、時空を超えた画家の「旅」をお楽しみいただける作品を並べてみました。ブルターニュの海辺やスペインの闘牛場、そしてハワイなど、実際に訪れた場所の風景や人々の印象を描いたものから、ダンテ『神曲・地獄篇』や『ドン・キホーテ』など物語の世界へも、彼は知的な旅を試み、その成果としてユニークな作品を描いています。
また、西側の壁(上画像右側)には、山梨県立美術館所蔵の大作《失楽園》のための習作を展示しました。作品じたいも、またそのために描かれた習作も画家本人はとても気に入っており、「制作資料展」と称して習作による個展を行ったほどです(1980年、ギャラリージェイコ)。力強く闊達に悪魔の肉体が描かれるかと思えば、ほどよく力の抜けた線で動物たちが表現されたりと、習作といえどもたいへんユニークなものばかりです。

北側のコーナーには、ちょっと不思議な作品をふたつ展示しました(上画像参照)。左側は、制作年のわからない《農耕》というタイトルの作品です。使われている絵具の色や、荒涼とした大地に人間を配する作風から、1946年頃の作品ではないかと推測されます。観覧者の方々からは、これはどこの風景? 何を作っているの? ぜんぜん作物が育たなさそう!など、いろいろな疑問やご意見をいただきました。
右側の作品は、マックス・エルンストのコラージュに影響を受けて制作されたと思われる、1930年作の《静物》です。人の手が大きく描かれている「静物」というのもなかなか謎めいていますし、画面の端に塗り残しが多いのも気になります。これは描きかけ? それともこういう絵にしたかったの? それはなぜ? など、こちらもさまざまな疑問が浮かんできます。こうした謎について、あれこれ思いをめぐらすのも、作品を楽しむひとつの方法ですね。

奥の小部屋には、「旅する福沢一郎」の特設コーナーを作りました。テーマは東北・北海道です。
1950年から51年にかけて、福沢はまず北海道、そして次に東北を旅します。浜辺に打ち上げられたクジラやかまくらなど、見知らぬ土地で得たモティーフは、終戦直後やや混沌とした状況にあった彼の制作に、わずかながら転機をもたらすものであったようです。
《山寺新緑》は、岩壁に萌えたつ色鮮やかな若葉が、画家に与えた活力を感じさせる作品です。

この部屋の展示ケースには、1951年に秋田を旅していた福沢のもとに届いた手紙をふたつ展示しました。これらは、服部・島田バレエ団の創立者のひとり島田廣の筆によるもので、バレエ作品「さまよえる肖像」の舞台美術についての相談・要望と、その舞台装飾原画が到着したお礼が、それぞれ記されています。秋田の旅館で彼が新作バレエ(しかも相当観念的でマニアックな!)の舞台美術についての構想をしていたことがわかる、とても面白い資料です。

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2018年は福沢一郎の生誕120年。秋から来年春にかけて、福沢一郎の展覧会が続きます。それらの中でも、きっといろいろな「再発見」があることと思いますが、当館による福沢一郎の発掘!は、まだまだ続きます。どうぞお楽しみに。
展覧会詳細は、→こちらから。