【キャンペーン】わたしの福沢一郎・再発見

2018年の生誕120年に向けて、画家福沢一郎とその作品の魅力を「再発見」するキャンペーン、2016年夏からスタートする新企画は、「わたしの福沢一郎・再発見」です。
美術家や評論家はもちろんのこと、さまざまな方々にお気に入りの福沢一郎作品を選んでいただき、あれこれ語っていただきます。


第1回 《基督》制作年不詳、宮城県美術館蔵(洲之内徹コレクション)
  語り手:福沢一也(福沢一郎長男、福沢一郎記念館館長)
福沢一郎 《基督》


第2回 《男(黄土に住む人)》1940年 群馬県立富岡高等学校 蔵
  語り手:平出 豊(彫刻家)
福沢一郎《男(黄土に住む人)》


第3回 《原人のいぶき》1981年 富岡市立図書館 蔵
  語り手:大竹夏紀(染色アーティスト)
福沢一郎《原人のいぶき》


第4回 『秩父山塊』1944年 アトリエ社
  語り手:本間岳史(元埼玉県立自然の博物館館長)
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第5回 《鳥の母子像》1957年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 蔵
  語り手:五十嵐純(アーツ前橋 学芸員)

 


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キャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちらから。

 

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「わたしの福沢一郎・再発見」  #001《基督》

福沢一郎 《基督》

《基督》

制作年不詳 油彩・カンヴァス 33.2×23.9cm
宮城県美術館蔵(洲之内コレクション)

福沢一也
福沢一郎記念館 館長

私の父、福沢一郎の家には基督(キリスト)の磔刑像がコレクションのように保存されていて、私は小さい時から毎日、人形を楽しむように眺めていた。父はこうした像をパリ滞在中に蚤の市で買い集めたのだという。もう今は手に入らないだろうが1900年代の初頭には珍しくなかったのだ。こうしたことがあったせいか、父の絵には基督を描いたものが少なくない。洲之内徹氏が、盗んでも自分のものにしたかった絵を集めた「気まぐれ美術館」に取り入れられた福沢一郎の《基督》もその1点だ。
ところで今回、自分がいちばん気に入っている作品についてのエッセイを書くということになって、この間から、どんな絵が適当かいろいろ考えてみたが、なかなか難しい。考えてみると一番好きな絵というのは、いちばんよくできた絵というのとも違うような気がする。福沢一郎の絵について考えると、最も中心となるのは人間を様々な角度から描いたもの、時代との関わりをテーマとしたもので、表現も力強いいきいきとした傾向だ。今回私はこうした代表作、例えば地獄の絵や神話の世界を描いたものはやめて、この《基督》のような表情の柔らかい作品を好きな1点に選んでみた。
ゴルゴタの丘で磔にあった基督の、寂しくはあるが、高貴な姿に目を向けさせられてしまう。背景となる空が画面のほぼ全体を占めているのも父の見慣れた構成だ。それと雲。福沢一郎の描く白い雲は大好きだが、ここでは7つの同じ形の小さな雲が揃って描かれていて、何とも言えず可愛い。《基督》は33.2×23.9cmの小振りな作品だが、心がすきっとする名作だと思う。

 


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福沢一也(ふくざわ・かずや) 福沢一郎長男。1934(昭和9)年生まれ。一般財団法人福沢一郎記念財団代表理事、福沢一郎記念館館長。


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「わたしの福沢一郎・再発見」特設ページは、→こちら。

生誕120年に向けたキャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちら。

【展覧会】「Words Works」展 5/13 – 6/20, 2016


このたび、当館では、春の展覧会として、「Words Works」展を開催いたします。
画家福沢一郎は、生涯にわたってテーマ(主題)を中心にした絵画制作をおこないました。そのテーマは多岐にわたりますが、ある象徴的ないくつかのことばが示す考えや思いが、それらのテーマの心棒となっています。
また彼は、昭和初期から文筆活動もさかんにおこない、さまざまなことばで美術の動向を、社会を、そして自分自身を語ってきました。それらのことば自体も、彼の鋭くドライな視線と、柔軟な芸術観、そして制作の姿勢を示すものです。
この展覧会は、作品を読み解く鍵として福沢自身の象徴的なことばを取り上げ、時代や作風を超えて作品をピックアップし、展示します。そこから浮かび上がる画家福沢一郎の実像とは、どんなものでしょうか。
福沢の生誕120年に向けたキャンペーン「福沢一郎・再発見」の一環でもあるこの展覧会、ぜひご覧いただきたく思います。

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会 期:2016年5月13日(金)〜6月20日(月)の日・月・水・金開館
    12:00-17:00 
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「福沢一郎 ことばと作品」
講師:伊藤佳之(当館学芸員)
日時:5月25日(水) 14:00〜16:00
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約、先着40名様(電話・FAXにて受付)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405
FAX. 03-3416-1166

【キャンペーン】福沢一郎のことば・再発見

福沢一郎記念館のホームページバナーには、福沢一郎作品の部分画像がランダムに表示されています。
2016年1月、そのバナー画像が変わりました。
それらは、福沢一郎が発したことばや、彼の意図をあらわすフレーズを、彼の肖像写真とともにご紹介するもの。2018年の生誕120年に向けて、これからどんどん増えていく予定です。ランダムに表示されるので、タブをクリック、あるいはページ更新して、ぜひ全部見つけてください。
さて、福沢のことばには、どんな意味が、どんな思いが隠されているのでしょう。

現在公開中の「ことば」バナー画像(5つ)は、↓こちら↓

 

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「俺ぁ、シュルレアリストなんかじゃあ、ねえよ」

 おそらく、福沢が新聞記者や美術記者たちに対して、最も多く発したことばが、これでしょう。昭和初期にいわゆる「シュルレアリスム絵画」に影響を受けた作品を発表してから数十年、なのに記者たちが訊くことといったら、いつも「シュルレアリスム」のことばかり。
画家はいつでも現在進行形。昔のことばかり話題にされてはたまらない。俺はいつでも、「いま」を生きて、「いま」を描いているんだ。その自負と、すこしばかりの悪戯心が、こんなことばに込められているようです。
「日本のシュルレアリスト」の取材をしてこいと言われた記者たちは、さぞ困ったことでしょうが…。

 

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「変わったのは政府であって、私ではない」

1965(昭和40)年、雑誌『三彩』に寄せた文章のタイトルです。
1950年代の後半になると、福沢は画家としての功績を高く評価され、芸術選奨文部大臣賞の受賞、ヴェネツィア・ビエンナーレへの副代表としての参加、国内の企画展への出品などが相次ぎます。そしてこの年、福沢は国立近代美術館京都分館の「前衛芸術の先駆者たち」展に、戦前の前衛絵画をリードしていた頃の作品を出品し、日本近代美術史に標した足跡が広く認められることになります。
しかし、それら出品作品や、戦前の盛んな活動のために、彼は1941(昭和16)年4月に、治安維持法違反の疑いで逮捕・拘留されたのです。自分はなにも変わらない。変わったのは政府だ。まことに諧謔に満ちた福沢らしいことばではありませんか。

 

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「フクザワイズムを、超えてみろ」

1930年代、前衛芸術の紹介者として、また論客として活躍した福沢のもとには、彼を尊敬する若い画家たちが集まりました。彼らの中には、福沢の画風にとても近くなる者もあり、それを揶揄して「フクザワイズム」なることばが、美術雑誌に踊ることもありました。
そんなとき福沢は、彼らが優れた画家ならば「フクザワイズム」なるものは必ず超えられ、彼ら独自の境地に到るべき、またそうでなければならないのだと、事あるごとに述べています。自分を慕う人々を擁護しつつ、しかしハッパをかけることも忘れない、そんな福沢の心持ちは、生涯変わることがありませんでした。

 

「フィフス・アベニューよりもハーレムに、天衣よりもつづれに、従順よりも反逆に、美は閃光を放つのではないか」

1966年の個展のパンフレットに、福沢自身が寄せたことばです。
個展の前年、彼はシカゴ近郊とニューヨークに滞在し、かの地で目にした事物を作品に描きました。特に、当時のアメリカに巻き起こっていた公民権運動に衝き動かされるアフリカ系住民のすがたに、彼は強い興味を持ちました。
辛い現実のなかで差別に抗いながらも、人間本来の力強さを失わない彼らを、福沢は「ひときわ美しい」と感じ、画面にそのすがたを塗り込めました。恵まれた、豊かで理想的な世界よりも、抑圧に抵抗する人間の強さがあらわれた世界に、画家はある種の共感を寄せ、そこに渦巻く人間の存在に「美の閃光」をみたのでしょう。この視点は、画家福沢一郎が終生失わずに持ち続けたものでした。

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「長い仕事の遍歴の間、私に巣くうていたものは叛骨の精神だったろう」

1960年2月発行の雑誌『造形』で「特集 福沢一郎」の巻頭言に、画家自身が書いたことばです。
このことばのあとに、「創意工夫は仕事の性質をだんだん変えてゆくが、これを推進させるものは、私の場合そういつた否定精神だ。」とも書いていて、画家にとって反逆・叛骨の精神が自身にとっていかに大切なものであるかを物語っています。
この姿勢は彼が芸術家を志して以来、一貫して抱き続けてきたプライドのようなものだと思われます。新しい芸術の潮流には敏感に反応し、その魅力的な部分を取り入れはするものの、それに追従することはそれを「既成概念」としてしまうことになり、あくまでそれらの思想や運動からは距離を保ち続けました。また、古典芸術に対しても、凝り固まった伝統や慣習には反発したものの、型破りで独自な表現の展開にはつねに関心を持ち、敬意を払ってきました。
福沢が反逆するのは停滞と固定化であり、叛骨精神は芸術家たちを取り巻く無気力にこそ発揮されたといっていいでしょう。

 

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「福沢一郎のことば・再発見」は、まだまだ続きます!

キャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちらから。

 

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