【展覧会】PROJECT dnF 第2回 室井麻未「ある景色」作家インタビュー

室井麻未 インタビュー

2015年6月28日(日)
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託)


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室井 麻未(むろい・まみ)
1987年生まれ。2011年、第2回青木繁記念大賞西日本美術展(石橋美術館)に入選。2012年、女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻卒業 、平成23年度加藤成之記念賞、優秀作品賞受賞。2013年、ヤドカリトーキョーvol.09秘密の部屋-恋する小石川-(ヘルシーライフビル、東京) に参加。2014年、女子美術大学大学院美術研究科美術専攻修士課程洋画研究領域修了、平成25年度福沢一郎賞、女子美術大学美術館賞受賞。同年トーキョーワンダーウォール公募2014に入選。

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1 思い出深い《船》

—— 照沼敦朗さんに続いて、室井さんの展覧会となりましたが、なんと今回が人生初の個展だったんですね。手応えはいかがですか。

室井 そうですね、初めてのことなので、いろいろな方に助けていただきながら、なんとかできた…という感じです。

—— 展示してみて、ご自分のなかで何か変化は?

室井 自分のつくったものひとつひとつに対する責任の持ち方が変わりました。 初めて自分の作品だけで空間を使って展示してみて、絵と空間について新しく見えてくるものがあり、ひとつひとつの存在の意味や関係性をより深く考えるようになりました。

—— 収穫があったようで、なによりです。さて、まず出品作の《船》(図1)について詳しくうかがいたいのですが、これは昨年の修了制作のひとつなんですね(1)

室井 はい、これは修了制作の中でも、いちばん最後に描いたものです。この頃、個人的なことですが、身近な人の死などいろいろな出来事や変化があって、そうした中で描きました。200号という大きさに挑むのもはじめてでした。まず身体を動かしながら作品をつくっていくなかで、いろいろなかたちが出てきて…最初はタイトルも決まっていなかったんですよ。どう作品を仕上げていこうか考えるなかで、亡くなった大切な人にゆかりの深い船というものに着目し、そこからまた船を取材し…そんなふうに制作していきました。


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《船》2014年 油彩・カンヴァス 259.0×194.0cm

—— 実際に船を取材なさったんですね。港まで出かけていって。

室井 はい。「船」の一番のもとになるのは、地元の下関の漁港にある船なんですが、そんなに頻繁には帰れなかったので、鵠沼海岸とか晴海埠頭まで行って船を取材しました。頭の中だけではなく、実際に船を見て、また画面に挑むというかたちで制作をすすめました。

—— 画面のところどころに、船のかたちや、海のような色面がみえますね。

室井 はい、船のかたちを借りながら、でも画面の中でしかできないことをやってみようと思って、描きました。






2 新作と展示構成について

—— さて、今回の展示にむけて制作した新作についてうかがいましょう。

室井 はい、私は昨年の春から、女子美術大学の助手をしているのですが、昨年の5月に、学部の3年生を連れて千葉県の鋸山にスケッチ旅行に行ったんですね。これらの作品は、そのときのことを描いています。



図2 《高速道路》 2015年 油彩・カンヴァス 162.0×97.5cm

—— なるほど、それで《トンネル》から《高速道路》(図2)ですか。旅の軌跡というわけですね。

室井 作品を描いているときにも、なんだか旅の途中にいるような感覚になることがあるんです。描くことが旅そのもの、みたいな感覚でしょうか。なので、そうした感覚が作品でも表せればと。「動く絵」というか…絵のなかで何か動いていくような感覚を表したいと思って、こういう作品を描いています。

—— 描く行為じたいが旅のようなものだとすると、そのなかでいろいろな発見をしていくわけですね。

室井 そうですね。色を置くこととか、筆致とか、そういうこともひとつひとつ確認しながら。そして次の場所に行く、というように。

—— 《鋸山》(図3)にはさまざまなイメージが折り重なっていますね。



図3 《鋸山》 2015年 油彩・カンヴァス 182.0×227.5cm

室井 はい、その場所で体感したものや見たもの、いろいろな要素を、一枚の画面に描いています。

—— おっしゃるとおり、いろいろな要素が重なり合って…前年の作品と比べて、よりレイヤー(層)みたいなものを画面に感じるんですが、ご自身ではいかがですか。特に狙っているわけではない?

室井 特に意識したことはなくて、いつも下の塗りとの調和を考えながら(絵具を)置いていくんですが、最近はレイヤーそれぞれで存在するように描くようになったような気がします。なぜそうなったかはよくわからないのですが…(笑)。おそらく今までの作品は、色と色が支え合って成立させていたところがあると思うんですが、最近は支え合うというより、ひとつひとつで自立するように意識が変わってきたのかなと思います。あとの色を乗せるために下の色があるのではなく、下は下、上は上というふうに。

—— 《トンネル》《高速道路》《鋸山》と、一連の作品に共通するねらいがあるように感じます。そして壁面でもストーリーを意識なさったわけですね(図4)。

室井 はい、ここはなんとなくですが、つながりができるように意識してみました。


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図4 アトリエ南面 画像左、階段付近の緑色の平面作品が《トンネル》2015年

—— そして、もうひとつの新作、《木と窓》(図5)が北側の壁にありますね。《高速道路》や《鋸山》とはちょっと趣が違うように思います。これについても少しお話いただけますか。


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図5 《木と窓》 2015年 油彩・カンヴァス 162.0×97.5cm

室井 私は、はじめからタイトルを決めずに、描いていくうちに決まってくることが多いのですが、これは珍しく、はじめから「木と窓」を描こうと決めて取り組みました。木のイメージは、鋸山での取材からとっていて、窓はというと、このアトリエの窓と呼応するものを描きたかったのです。こんなにたっぷりと光が入ってくる空間はそうないと思うので、その印象も含めて。《鋸山》などとは違った表現を目指したのですが、自分としてはもう少しやりきれていないというか…いろいろ反省の多い作品でもあります。







3 生活と制作の変化

—— さて、《高速道路》の上のほうに、どどんと大きいのを展示してくださいましたね(図6)。ここに作品が展示されるのは、福沢一郎記念館史上初!なのです。初めてこの壁が生きたということですが、ここに展示するアイデアははじめからあったんですか。

室井 はい、展示できると聞いたので、ぜひ使ってみようと思いました。今までは目線の高さを意識して展示することが多かったので、こんなに高い場所に展示したら、絵の見えかたも変わってくるかなあと。もちろん、ここでしかできない展示をしてみたいという気持ちもありました。このアトリエは、福沢先生が制作されていた場所ということで、床に絵具のあとがたくさん残っていたり、何というか、体温を感じられる場所なんですね。なので、特別な展示にしたいと思いました。

—— 確かに、壁面がひととおりでない空間ですから、ホワイトキューブでは実現できない展示を目指していただいたわけですね。さて、この作品は《カモメ》というタイトルですね。アトリエの上のほうを飛んでいるようなイメージです。



図6 《カモメ》 2014年 油彩・カンヴァス 112.0×162.0cm

室井 はい。これはちょうど《船》を描くための取材をしているときに撮影した写真のなかからみつけた題材です。夜、港のあたりを飛んでいたカモメに着想を得ています。白いかたちが夜の光のイメージなのですが、それが描いているうちにだんだん崩れていって…その中に、カモメの色や光がみえるようにと思って、描いています。

—— 《カモメ》を制作されたのは2014年、ちょうど《船》の直後くらいですか。

室井 そうですね。就職してすぐ描き始めたものです。

—— 学生のときは、否が応でも制作に没頭せざるを得ないわけですよね。それがお仕事をはじめて、働きながらの制作になる。このあたりで、ご自分の意識として変わってきたものはありますか。

室井 やはり時間の使い方がすごく変わってきました。学生の頃は、多くの時間を制作に使うことができましたが、仕事をはじめるとかなり時間の制約があり、そのなかで葛藤や悩みもあったんですけど、限られた時間の中でしか制作できないものもあると思いました。

—— 制作のうえでの大きな変化は?

室井 主題を見つけるのが早くなったというか…あまり悩んでもいられないので(笑)。

—— タイトルを決めるときに、社会の大きな出来事とか、事件とか、そうしたものではなくて、わりと日常のひとこまのようなところから持ってきているような印象を受けたのですが。

室井 そうですね、言葉としてはそういうものが多いのですが、社会の出来事もやはり日常の一部といえるので、まったく関係がないわけではないと思います。

—— なるほど。そうしたものは、自然と画面に塗りこめられていくのだという意識で。

室井 はい。特別なものではなく、あくまで自分の日常のなかにあるという。

—— 色彩についてもうかがいましょうか。特に新作は、青と緑が画面の中で重要な位置を占めているように思うのですが、そうした色についての意識などがありましたら。

室井 単純なんですけど、小さい頃から海と山に囲まれた街で育ったので、海の青と山の緑というのは、自分にとって象徴的な色で、自然に出てくるのかなあと思っています。もちろん、画面の中では色をたくさん使っているので、それぞれ色の役割は…例えば緑なら赤に対する補色の関係などを考えながら、画面をつくるうえでの大きなポイントとして使っています。あとは、青は自分にとって色幅を出しやすい色なので、画面に深みを出したり、表現の幅を広げるために使うことが多いかなと思います。
もうひとつ、色をたくさん使っていることに関していえば、日頃見ているものや感じていることがとても多くの要素で成り立っているので、それを表現するために、色を限定するのではなくさまざまな色を使って画面を成立させたいと思っています。






4 制作の鍵

—— 今回はタブローのほかに、ドローイングも展示していますね。展示しきれなかったものはクリアファイルに入れて、来館者が自由に見られるようになっています。それにしてもいっぱいありますね。

室井 ちょっと持って来すぎたかもしれません(笑)。




—— 持って来ていただいたドローイングは、だいたい同じくらいのサイズの画用紙に描かれていますが、こういうものばかりではないですよね。

室井 もちろん、大きさや紙の質はばらばらです。今回はしっかり選んで持って来たので、結局こうなりました。

—— ドローイングは日常的に描いてらっしゃる。

室井 必ず毎日、と決めているわけではないですが、自然と何かしら描いていることが多いです。それが制作の参考になることもありますし、かたちや色の、文字通り習作だったりもします。

—— そういえば、この記念館の内部をイメージしたドローイングも、今回展示されているんですよね。

室井 はい、この展示が決まって初めておじゃました時、ここの印象を強く感じて、それを描いておこうと思って。でもこれ、天地が逆なんです(笑)。

—— え? ああ、ほんとだ! でもこのほうがしっくりきますね。

室井 そうなんです(笑)。この展覧会のことを考えながら描いたので、思い入れがあります。入り口から入ってすぐのところに貼り付けてみました。




—— そうそう、会場でお友達とお話されていたのを耳にしまして、それが面白いなと思いました。点を置いて…別に点を描いているわけではないけれど、そうしたタッチのひとつひとつがつながって、いずれかたちを成していくという。

室井 (タッチの)全部が全部計画的なものというわけではなくて…ある程度予測している部分もあるんですけど、はじめから線を描くという意識ではないことが多いです。

—— まず(絵具を)置いてみるという。

室井 そうですね。それが点であったり矩形であったり、筆のストロークであったり。で、そこでつくられた線というのも、単なる線ではなく、全体の一部という意識で描いています。

—— そもそも、抽象で描いていこうと思ったきっかけは、何かあるんでしょうか。

室井 具象的に描くと、それは何であっても自分自身を描いているような気がして…私は自分を見られるのが嫌で(笑)。それで抽象的な表現に向かったともいえます。大学2年のときに、女子美の先生方の作品をみて、あ、こういうことやってもいいんだ、と励まされたというか、背中を押してもらった気がします。

—— でも、結局、抽象に進むと、より鮮明に自分の内面が出てしまうという…

室井 そうなんですよね(笑)。でも、いろいろな描き方を試してきたことで、結局自分は描くことそのものを追求するのが合っているんだなと思うんです。ですから、今のスタイルというか、画面にむかう姿勢は、必然的なものかもしれません。



5 これからの制作

—— 修了制作の図録に書いていらした文章のなかで、視覚の問題についてふれておられたので(2)、そこのところをもう少し。2000年以降の絵画のうごきをみると、具体的な形象を伴った制作が多いように思うんです。例えば木というもの、山というもの、など。それらが何処のどんなものであるかはさておき、それらを何かしらの意味を持たせるために使う。そういう制作が多いような気が、私などはするんです。

室井 はい。

—— 室井さんは、画面を誰しもが同じように捉えられるわけではないと、文章のなかで書いてらっしゃいますね。そして制作も、そうしたかたちが塗り込められることもあるけれど、実際は色、筆の動き、それらの重なりでつくられる、抽象的なイメージで出来ている。こうした、現代においてこうした制作をする自分の立ち位置みたいなものについて、何か意識してらっしゃることはありますか。

室井 意識しないこともないんですが…そうですね…現代に至るいろいろな絵画の流れがあって、過去の作家からも知らず知らずのうちにいろいろな影響を受けてきた分、それらと自分との違いもちゃんと見つけていきたいな、ということは考えています。

—— ひょっとすると、具体的な形象を扱うことを、意識的に避けていらっしゃるのではないかと思ったりもするのですが…。

室井 意識的に離れていることはあると思います。でも、現代の生活のなかで触れられる映像とか、マンガとかアニメとかにインスパイアされた作品とか、そういうものにはとても興味があって、画像情報が氾濫する状況にいま生きているんだなと。これだけたくさんのイメージが氾濫していると、どれを選ぶか迷ってしまうこともありますけど、逆に自分の好きなものがわかってくるというか…。

—— ああ、なるほど。

室井 そのなかで、自分の作品も、もちろんそうしたものたちの影響を受けながら、抽象であれ具象であれ、動いていくものだと思います。ううん…でも、どうでしょう。ちゃんと消化できていないかもしれません(笑)。

—— さて、今後ご自身の制作は、どんなふうに変化していくと思いますか。

室井 新作の《鋸山》を描いていくなかで、自分のなかで新たな発見がいろいろあったので、それを追究してみたいなと思っています。例えば筆致、筆を置く速度であったり…。描くということそのものを突き詰めたい、と思っています。

—— 展示についての意識も変わったと思いますが、これから目指すところがあれば…。

室井 もっと展示空間を揺さぶりたいとも感じました。 今回は展示をするにあたって絵と絵の関係、ドローイングの関係を探りながら展示をしてみましたが、その為には、もっと空間の調査が必要でしたし、絵ひとつひとつの強度をあげることが必要だな、と感じました。




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描くことでしかたどり着けない世界。それは画家であれば誰もが目指す理想の境地であるかもしれない。その道のりはひととおりではなく、画家自身が切り拓き、踏み固めて進まねばならない荒野のようなものだろう。
室井はおそらく感覚的に、絵具と支持体、そして画家自身とのあいだに横たわる荒野の歩き方を体得している。それをことばにするのはとても苦手だと画家はいう。だが今回、ぽつぽつと口からこぼれることばの端々から、困難な旅への強いこだわりと、描くことでしかみえない荒野のありさまをさぐろうとする強い意志が感じられた。
正直なところ、まだその足どりはおぼつかない印象だ。しかしこの危なっかしさをも含めて、画面に真っ正直に取り組む真摯さが室井の原動力でもある。あるとき画面から、ひょいとハードルを飛び越えたときのような爽快感や、するりと視線を巧みにあやつるしなやかさを見つけるのは、失敗を重ねながら成長する画家のすがたそのものが、画面にしっかりと投影されているからかもしれない。
力強さのなかにも柔らかさと鋭敏さが同居する、絵画という旅の道を、室井は選んだ。我々はこれからもその足取りを追い続けていくだろう。(伊藤佳之)

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1 1 「船」『2013 女子美術大学大学院 美術研究科 修士作品・論文要旨集』女子美術大学大学院美術研究科、2014年、p.17 を参照のこと。
2 同上、p.16。

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】PROJECT dnF 第1回 照沼敦朗「惑星の端」作家インタビュー

照沼敦朗 インタビュー

2015年6月4日(木)
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託)

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照沼敦朗(てるぬま・あつろう)
1983年生まれ。2006年、鑓水美術館(多摩美術大学内)にて初個展。学生時代から映像作品を制作。2007年、多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞受賞。同年就職するが翌年退職、作家活動を専らにする。映像と平面・立体作品を融合させたインスタレーションで注目を集める。2010年、アキバタマビ21プレオープン展「A NEW NORMAL」に出品。2011年、「第14回岡本太郎現代美術賞」展に出品、インスタレーション《見えるか?》が特別賞を受賞。同年Gallery Jin Projectにて個展「想定外見聞録」開催。2012年「黄金町バザール2012」に参加。以後個展、グループ展、アート・イン・レジデンスなどで活躍。

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1 アトリエを宇宙に

—- 福沢一郎記念館での新たな試み「PROJECT dnF」の第1回に、照沼敦朗さんが個展を開いてくださいました。展示してみて、手応えはいかがですか。

照沼 けっこういいんじゃないですか。僕は映像とまわりの風景が溶け込むようなインスタレーションを目指して制作していて、今までで一番やりきった感があります。

—- 正直なはなし、福沢一郎賞受賞者のかたの展示を当館で…と呼びかけて、ここまで反応の早い方がいるとは思いませんでした。確かtwitterでメッセージをくださったんですよね。この時期に、ここで!と思ったのはなぜですか。

照沼 いや、たまたま展示がなかったから…まあ僕は何にでも食いつくんで。

—- そうですか? 新宿眼科画廊で昨年の12月に個展(1)があって…。

照沼 ああ、そうですね。そのあと1月に「ごった煮展」(2)があって、取手のレジデンスが2月(3)にあって、その展示を取手でやって(4)、こんどは黄金町で巡回展(5)みたいなかたちでやって。

—- けっこう忙しかったじゃないですか。よくやってくれたなと私などは思うのですが。

照沼 だから、今回は平面は絶対に無理だと思って、まだやっていないから映像主体の展示をやろうという気持ちだったんです。

—- なるほど。今回は3つの映像を主にして、平面は《Toride》の背景になった布の作品だけにして、あとは会場にちりばめられたオブジェとドローイングのみと。現在(展覧会会期中:2015年6月4日)も各所で増殖中ですが。

照沼 増えてますねえ。今キッチンの上に描いてます。なんだか、あそこは野球場のスコアボードみたいに見えるので、そこを埋めようと思って(図1)。



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図1 画像右側、キッチン上のドローイング

—- 埋める気満々ですね。そもそもこういうギャラリー然としてない空間での展示は初めてじゃないですか。

照沼 いや、黄金町バザールのとき(6)は、僕だけホワイトキューブじゃないところでした。僕の展示会場は確か以前は食堂で、ちょっと広くて、木の梁が出ていて。いちおう白くは塗ってあったんですけどね、けっこうかたちが複雑で。そしてそれを窓閉じたり真っ暗にしたり、いろいろやりました。

—- ここに初めていらっしゃった時、つまり展示をやりたいといって来てくださった時、展示のアイデアはすでにあったんですか?

照沼 さっき言ったように、いちおう映像を主にした展示にする予定はあったんですけど、全体的な構想はできていませんでした。取手で作った作品がすでにあったので、今回はそれをベースに抽象的なものをつくろうとは思っていたんですけど、会場のアトリエを見て、ドアや階段がとても面白いと感じたので、ドアに映像を投影しようという考えがすぐ思いつきました。

—- 展示で苦労したことはどんなことでしょう?

照沼 窓(の遮光)ですね。もともとアトリエだった空間ですから、画家は窓からの光を取り入れることを考えてつくるから、どうしても窓が大きいじゃないですか。そこをどうやって塞ごうかと考えました。
塩ビシートで仮の天井を張ってしまおうかとも考えたんですけど、結局外に貼ることになり…。そしてどうせならそこに絵を描いてしまおうと思って、試行錯誤しました。友達にも助けてもらって。あと、階段のところにもプロジェクションマッピングをしようと思ったんですけど、それはあまりに大変なので断念しました。


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—- でも、結果的に整理された感じにはなったんじゃないでしょうか。

照沼 まあ、そうですね。ドアのところだけでもプロジェクションマッピングが出来て、実際にそこを人が行き来するという、現実と映像が重なり合う面白さを実現出来たので、そこは満足しています。
それから、床にラインをひいて、プロジェクターの投影の邪魔にならないように人を誘導してるんですけど、これは小学校の屋上にあった自転車の練習場がもとになっていて、宇宙みたいな空間にこんな通路があったら面白いかな、と。

—- けっこういろいろやっていただきましたが、さて、今回の展覧会のタイトルが「惑星の端」ということで、真っ暗、真っ黒な宇宙空間をこのアトリエ内につくってしまったわけですね。色々なものが壁や床にいますね。宇宙なのに魚が飛んでいたり、キノコ星人みたいなのがいたり…(図2,3)。


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図2 画像左側、壁に貼り付けられているオブジェ

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図3 キノコ星人?

照沼 キノコ星人じゃないですよ!パラグライダーで降りてくる人です。

—- パラグライダー!? 宇宙なのに?

照沼 そうです。これは友達の作品から感化されて作ってみたんです。宇宙服を着てパラグライダーで降りてくるという。
で、魚はというと、これは深海魚をイメージしています。光の届かないところで生きている深海魚って、眼が退化していて見えない。暗黒の世界っていうことでいえば、宇宙も深海も似たようなもの、というか、宇宙にもこんな生物がいてもおかしくないかなと思って。で、宇宙船もあるんですけど、そのかたちも結局は魚みたいなものになるんじゃないかなと。だいたい機械ってのは動物のかたちから学んだりしてますからね。まあ、そんな僕の想像の産物です。


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図4 メインスクリーン 投影されているのは《Life》


2 出品作について

—- そんなファンタジーが詰まった宇宙空間で、今回は3方向への映像投影に挑戦しましたね。これまでは複数の映像を同時に投影というインスタレーションは?

照沼 いえ、今回が初めてです。今まではたいていひとつのスクリーンやディスプレイでやってましたから。やっぱり映像をメインに作家活動しているからには、このくらいのことをやってみたいとは常々思っていました。だいたいうまくいったと思っています。

—- メインスクリーンには3つの映像作品が順番に映し出されていますね(図4)。

照沼 まず《終わりのない初まりの夢》(図5)は、昨年作ったものです。冒頭に出て来ることばがテーマそのもので、「OUROBOROS(ウロボロス)」、つまり終わりもはじまりもない、ぐるぐると流転する世界という意味です。僕の分身ともいえる、片目にレンズをつけたキャラクター「ミエテルノゾム君」(7)が街を旅していきます。ほんとうは原発事故のことを表現したかったのですが、直接的に表現するのはいやで、重力がこわれて空から雲が落ちてきて街が破壊され、そして再生されていくという設定にしました。


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図5 《終わりのない初まりの夢》より 2014年 映像 3分35秒

—- 背景の都市の画像は、平面作品を使っているのですか。

照沼 はい、前の年の個展(8)で描いた絵を撮影して使っています。鉛筆でダーッと長く描いて。A3横サイズで縦3枚、横14枚くらいかな。

—- 画材は何を?

照沼 これは鉛筆ですね。鉛筆は描くのが早いし、細かく描けるのでよく使います。鉛筆って色が薄いじゃないですか。だから作品作って売るとなるとなかなかツラいので…ドローイングの扱いになっちゃいますよね。でも一番愛着があります。長く使っているので。

—- 《終わりのない初まりの夢》に続いて投影される今年制作の映像作品ふたつは、より抽象的なかたちが多く使われたり、色も今までの使われ方とは違ってきているように思えます。

照沼 そうですね。このふたつは実写を取り入れています。《Toride》(図6)は、取手でのレジデンスで2週間くらいで制作した映像なんですけど、利根川のほとりに「小堀の渡し(おおほりのわたし)」というのがありまして、昔、隣町とを繋ぐ住民の足として通勤・通学や、日常生活に使われてたそうです。今は観光船として運行してて、それを撮影して、船の動きとか人の動きをトリミングしたり加工したりして作品に使っています。
あと最近、過疎化が話題になっていまして、それと船の車内アナウンスで聞いた利根川でのイベント紹介で、「子供天国」というフレーズが耳に残り、それは、なんぞや?と想像して、だから作品では、子供の形がもやもやと出て来て、色と遊んで街が、だんだんと明るくなってくような抽象的なイメージで作った作品なんです。


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図6 《Toride》より 2015年 映像 2分8秒


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図7 画像上辺、階段上の平面作品

—- 《Toride》の背景には、階段上に掛けられている絵が使われているんですよね(図7)。これは布に…。

照沼 ペンキで描いてます。ペンキもよく使うんですが、卒業制作のときに使ったのが初めてです。ライヴペインティングをやろうってなったときに…僕、なんでも思いつきで、その時になって使うんで。

—- そして次の《Life》(図8)では、過去の作品と《Toride》のイメージが重なっているような感じですね。


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図8 《Life》より 2015年 映像 2分5秒

照沼 これは、冒頭で《Toride》の映像にも出て来た渡し船が宇宙に飛んで行くところからはじまるんですけど、「生活」がテーマになっています。宇宙にこんな都市が造られても、結局人間のすることはそんなに変わらないだろうと。自然を壊して戦争して政治もごたごたあって、でもそんなことおかまいなしに楽しいことして、っていう、僕の予想というか考えで…まあそんな自虐的なことばが出てきます。
で、今回は詩を英語にしてみたんですが、映像のなかでは字幕みたいな感覚で、ネオンサイン風に日本語の文字を出して、読んでもらえるようにしています。

—- カラフルな人物が映像にたくさん登場しますね。

照沼 ここでは、著作権の切れている昔の映画のシーンを切り取って加工して使っています。

—- なるほど。やはり《Toride》は象徴的ですね。実写を加工・合成して取り入れることで抽象的なイメージが強くなっていて、色の使い方も変わってくる。このレジデンスでの成果が次の《Life》に、技法的にもつながっていると。

照沼 はい。

—- そういえば、照沼さんのメインキャラクター「ミエテルノゾム君」の現れ方が、新作では少し変わっているように思えます。《終わりのない初まりの夢》ではメインキャラとして登場しますが、《Life》では、サブキャラのような役割を演じていますね。

照沼 ああ、最後にちょこっと出てくるやつ。あれは、2013年に作った木箱の作品(9)を背景に使っているので、そこにいるんです。木箱の一連の作品は、ミエテルノゾム君が必ずどこかにいるというものだったんで。

—- かわりに、《Toride》に出てくる、ぼんやりした子供のイメージが…。

照沼 はい、《Life》にも、《惑星の端》(図9)と《不器用な矢は飛び続ける》(図10)にも、かたちを変えてそのまま反映されています。


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図9 《惑星の端》 2015年 映像 1分


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図10 《不器用な矢は飛び続ける》より 2015年 映像 2分

—- 抽象的な、生命そのものを表現しているようにも思えますが、この子供も、やっぱり自分の分身みたいな意味合いはあるんですかね。

照沼 まあ、そうですね。今回はあまり眼のことに関する話じゃなかったんで、ミエテルノゾム君がメインというかたちにはしたくなかったんです。ただ、新しいキャラクターを生み出そうとしたんですけど、うまくいかなくて、抽象的な存在になりました。キャラが前に出るとどうもよくないような気もして…最近(ゆるキャラなどの)かぶり物が多いじゃないですか。別にそれに乗っかるつもりもないので(笑)。

—- 《惑星の端》に出て来る子供のキャラクターは、他のよりも比較的具体的なメッセージを背負って出て来ますね。

照沼 あの子供は、ビッグバンで出来た惑星の種みたいなものをイメージしています。そのまわりの世界、つまり惑星の端は、やっぱり宇宙だということで、展示空間を宇宙にしてしまったわけです。まあ惑星は球体なので、どこが端かよく判らないという見方もできて…。いかにもあいまいなものですね、「端」って。

—- そもそも今回、惑星だったり宇宙だったりというテーマがあらわれてきたのは、なぜなんですか?

照沼 ええと、僕が30歳になったときに、《人生の縮図》(9)という作品をつくったんです。そのあと「夢」、そしてこんどは「Life」と、なんだかテーマがどんどん大きなものになっていって、まあ最終的には宇宙くらい大きくてもいいかなと。

—- 30歳でそんな節目を感じてしまったんですか。

照沼 はい(笑)。


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3 制作のエッセンス

—- 今回、制作のようすを拝見していて、絵画を制作すること自体へのこだわりは、ものすごくあるように感じるのですが、自分の作品を残そうという意識は、どうでしょう。

照沼 いや残したいけど、残らないですね(笑)。アキバタマビのとき(10)も24m描いたけど(図11)、結局残らないです。3×6のコンパネ何枚も、保存場所に困りますから。


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図11 「A NEW NORMAL」展示室外の廊下、照沼敦朗作画の壁画 2010年 アキバタマビ21(アーツ千代田)にて

—- なんだかもったいないような気も…。さて、どうも造形とか映像のことばかり聞いてしまいますが、映像に乗せて放たれる音楽と詩もやはり大事な表現の要素ですよね。作曲の機材はどんなものを?

照沼 作曲に関しては、Macのソフトや関連機材でやってます。特別なものはなくて…まあ単純なものが一番使いやすいので。僕は機械オンチだから(笑)。

—- えー。映像やってる人なのに。音楽づくりはいつ頃から始めたんですか。

照沼 音楽は、大学で映像を作り始めてからですね。2年生くらいかな。最初はピアノを生録音して使ってました。

—- もともと音楽やってたんですよね。小・中学の時は吹奏楽部だったとか。だから音楽のベースみたいなものはすでにあったと。

照沼 ええ、まあ。

—- 作品づくりの過程で、詩と音楽はどんな関係になっているんですか。

照沼 まず詩が絶対先にあって、音楽はそれに合わせて、暗いとか明るいとか、雰囲気をつけていくものみたいな感じですね。

—- 音楽は世界観を表すために作り込んでいくものだと。

照沼 そうです。


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—- わりと気に入っている音って、決まってきませんか。

照沼 重厚な音が好きなので、電子音とかパイプオルガンとか…。ほんとうはオーケストラを使いたい。なかなか明るい音にならないんですよね。

—- で、詩なんですが、照沼さんの作品はやはりことばがとても大事な役割を果たしていると思います。単なるつぶやきのようでもあり、シニカルなメッセージのようでもあり。とらえ方によってずいぶん印象の変わることばたちだと思います。そういうところもやはり自分らしさとして持っておきたいところでしょうか。

照沼 そうですね。もともと小さい頃から詩を書いたり、ずっと日記を書いたりしていたので。作品を作るときは、最初はキャッチフレーズというか、ことばを色々書き出して、そこから詩を作って、音楽ができて、そこに映像を作り込むという制作方法をとることが多いです。でも《終わりのない初まりの夢》みたいに、まず背景の平面作品があって、そこから詩を書いて、そして音楽、という場合もあります。

—- そうそう、音楽とともに聞こえる詩の声は、ご自分の声ですか。

照沼 そうです。機械を通してエフェクトをかけて。なにしろ絵も描くし詩も書くし音楽も作るしで、何でもひとりでやらなきゃいけないから大変です。

—- 山下裕二さん曰く「自画・自刻・自摺」の作家ということですね(11)

はい(笑)。


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4 これからの照沼ワールド

—- 照沼さんの映像作品を学生時代からみていくと、造形のスタンスは、初期のクレイアニメを取り入れたものから、徐々に平面へ、つまり絵画や実写の画像、ディスプレイ上の表現へと変化しているようにみえます。この変化はわりと自然におこっていったのでしょうか。

照沼 まあ、そうですね。意識したことはないです。

—- またクレイアニメみたいなことをやってみたいと思います?

照沼 どうですかねえ。次のプロジェクトが、壁に絵を描いてそれをもとに映像を構成するみたいなことなんで、またペンキで描くのかなあ。最近はやはり絵画を映像に撮って合成するというやりかたが増えているように思います。

—- 新作では実写を取り入れましたが、ほんとうは手描きにこだわりたいところもある?

照沼 はい。出来ることならアナログでやりたい。デジタルにはあまり頼りたくないです。手で描いたほうが愛情がわくというか。まあ限られた時間でどうやるかも常に考えてやらないと…。

—- それから、今回の出品作《終わりのない初まりの夢》みたいな、社会的な問題をテーマにした作品づくりというのは、ずっと意識してこられたことでしょうか。

照沼 そうですね。ニュースで見た事件とか、社会問題みたいなことはけっこう作品に入れ込んでいます。一番強烈だったのは《デスドミノ》(2005年)かな。《キロウサギ》(2008-9年)は、イギリスのニュースで、高速道路で横転したトラックから逃げ出したウサギの話があったんですけど、それをウサギ目線で人間の行動をシニカルに捉えるというようなものもつくってます。

—- やっぱり、正面きってメッセージを訴えるのではなく、ちょっと斜に構えて、ぼそぼそとつぶやくような…。

照沼 そうですね。ちょっと気付けよ、見りゃわかるだろ、みたいな。


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—- そんな照沼さんが、今後取り組みたいテーマは、何かありますか?

照沼 テーマねえ…。「Life」の次は、幸福かなあ。ああ、なんだか危ない方向に…(笑)。

—- そうそう、先日、多摩美術大学美術館の小林宏道さんがギャラリートークにいらしていて、「惑星の端」っていうタイトルがいい!とおっしゃっていました。

照沼 え〜、けっこう自虐な気がするけど…。

—- つまり「端」というのは、中心に対する周縁というよりは、別の世界とつねに接する、実体のない皮膜のようなものだと。

照沼 ああ。まあ今回のインスタレーションでは、外の世界に通じるドアもありますしね。

—- で、その皮膜がスクリーンそのものなんだと。照沼君はそこまで考えている。まさに映像作品のテーマにふさわしい!とのことでした。

照沼 ははああ、すごいなあ、そこまで考えてもらったなんて(笑)。いいなあそれ。

—- さて、直近の展示では、アキバタマビ21での映像作品展示(アキバタマビ映像特別展(仮) 7/25-9/6)がありますね。

照沼 はい、そこでは《終わりのない初まりの夢》を出品する予定です。出品作家が31人もいるんですが、多摩美術大学の70周年を記念して開催される展覧会です。

—- その後は?

照沼 9月に取手アートプロジェクトの仕事で、取手駅前のロータリーに映像を写すっていうのをやることになってるんです。それもレジデンスで新作を作る予定です。

—- もりだくさんじゃないですか。

照沼 まあ…(笑)

—- 例えば、まだ実現していないけれど、今後やってみたい、チャレンジしてみたいことはありますか?

照沼 そうですねえ…舞台をやってみたいです。

—- 舞台!?

照沼 はい。現代劇みたいなものを。僕がシナリオを書いてつくって、いろんな人が踊ったり演じたり。で、背景を僕が描くというのを、機会があればやってみたいですね。

・いっそ主役もどうですか。「自画・自刻・自摺・自演」で。

照沼 いやそこまでは(笑)。


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惑星の端

私は塊(つちくれ)
生物や動物を宿す惑星になれるか
ただ毒素を吐くことしか出来ない惑星になるのか
私という塊は得体の知れない固まり
私の生まれたキッカケが
運命とか必然偶然の確率の問題より
私の上で成り立つ生命の物語を
この目で見てみたい
私が産まれたきっかけを話せる時
それは君達が私のことを見つけた時
私は輝いて見えるだけの惑星でない事を
その目で足で確かめに来てほしい

—-映像作品《惑星の端》2015年 より—-

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近年、「ミエテルノゾム君」という作家の分身ともいうべきキャラクターが雑踏のなかを闊歩するという、スタイルのはっきりした作品づくりが目立った照沼は、今回あえてそこから離れることにしたようだ。彼は福沢一郎のアトリエに、新作の映像ばかりでなく、わき上がるさまざまなアイデアをこれでもかと詰め込んだ。結果、会場全体が彼なりの「宇宙」というファンタジーで満たされ、アトリエ然とした内観はほとんど姿を消してしまった。薄暗い展示空間は、彼を衝き動かしてきた「視覚」への根本的な問いかけを彷彿とさせつつも、膨張し拡散していく作家の新たな「宇宙」を感じさせるものとなった。
屈託のない笑顔が印象的な作家は、シャイなわりに、何事にも臆せずトライする肝っ玉の持ち主である。福沢一郎という美術史上の存在、そしてクセのあるアトリエという空間にまったくひるむことなく、自分自身のやりたいことをやりきるというある種の見本を、彼は示してくれた。これは後に続くであろう多くの作家たちにとって、大きな励みとなるに違いない。
さて、照沼の今後の活動はどのように展開していくだろう。再び「ミエテルノゾム君」となって、見えそうで見えない雑踏の中へ分け入っていくだろうか。それとも、新たな宇宙を開拓するため、深海魚のすがたをした宇宙船で未知の世界へ旅立っていくだろうか。いずれにせよ、今回の展示が、彼にとってひとつのステップとなり、次の実りを準備してくれるなら、それが何よりと思う。(伊藤佳之)

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インスタレーションの360°パノラマビューは以下のリンクから↓
http://photosynth.net/view/2b6c6b4c-e231-4e8e-ab58-2f0484ada39e


1 照沼敦朗個展「夢の歩き方」@新宿眼科画廊、2014年12月12日〜17日。
2 「ごった煮」展@新宿眼科画廊、2015年1月23日〜28日。参加アーティスト:清水大 / 内田佳那 / カトコト / 照沼敦朗 /BUNNY BISSOUX / ene / カミクボユウスケ / ササベ翔太 / タカハシユリ / もり いちか / 平井さぶ / 依田梓 / 羽多野加与 / 河原奈苗 / 久保萌菜 / 宮田瑞稀 / 三ツ井優香 / 山田裕介 / 若杉真魅 / 松丸陽子 / 舛屋早矢香 / 前田祐作 / 村田エリー
3 黄金町夏の陣実行委員会《黄金町vs拝借景 夏の陣》@黄金町高架下スペース(横浜市)+拝借景(取手市)、2014年8月1日〜11月3日。会期中を3期に分け、観覧者の投票で黄金町と拝借景双方のアーティストの勝敗を決める。負けた側は買った側の要求をのまなくてはならない。結果は拝借景の勝利となり、参加作家が期間限定で黄金町と拝借景のレジデンススペースを交換することとなった。照沼は黄金町側のアーティストとして2月に拝借景に滞在し、作品制作をおこなった。
4 「拝借景×黄金町交流展2015(仮)」@コンフリ(取手市)、2015年3月5日〜21日、参加アーティスト:杉山孝貴 / 照沼敦朗 / 山田裕介 / 吉本伊織
5 「拝借景×黄金町交流展2015(仮)」@八番館(横浜市)、2015年3月29日〜4月5日、参加アーティスト:阿部乳坊 / 市川ヂュン / 荻原貴裕 / 葛谷允宏 / 杉山孝貴 / 照沼敦朗 / 山田裕介 / 吉本伊織
6 「黄金町バザール2012」@横浜市初黄・日ノ出町地区各所、2012年10月19日〜12月16日。照沼の展示は「八番館」にて開催。
7 「ミエテルノゾム君」は、照沼が大学生のときに作品制作を通じて生み出したキャラクター。片方の目に複数のレンズのついた単眼鏡をはめている。作家自身が弱視であることから、世界の見え方が他人と違うことや、遠くでぼんやりと見えていたものが近づいてみると全く予想と違ったものだったことなどの体験をふまえ、「全てが見えることを望む」という作家の願いや、そこから生まれる世界観のズレなどを体現する存在である。
8 照沼敦朗ー破壊と再生 オムニバスー展@Gallery Jin Project(アーツ千代田3331内)、2013 年10月4日~20日。
9 《World in microcosm II》2012年、映像、3分35秒、DVD『人生の縮図 World in microcosm I&II』所載。
10 アキバタマビ21 プレ・オープン展 「A NEW NORMAL」@アキバタマビ21(アーツ千代田3331内)、2010年5月8日〜6月6日。照沼はこのとき、展示室外の廊下の壁に、長さ24mにわたる長大な壁画を描いた。
11 山下裕二「vol.91・92 照沼敦朗『自画・自刻・自摺』のアニメーション(上・下)」〈山下裕二の今月の隠し球〉、『美術の窓』第346・347号、2012年6・7月。

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観

【展覧会】「PROJECT dnF」第1回 照沼敦朗「惑星の端」、第2回 室井麻未「ある景色」




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福沢一郎記念美術財団では、1995年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎える2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめます。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。
今回は、ふたりの作家が展示をおこないます。学生時代から映像表現に取り組み、平面や立体の作品とあわせてモノクロームの雑踏を思わせるインスタレーションをおこなってきた照沼敦朗(多摩美術大学卒、2007年受賞)と、ゆるやかに解きほぐされたような形態を、鮮やかな色彩によって重層的に描く室井麻未(女子美術大学大学院修了、2014年受賞)です。
かれらは福沢一郎のアトリエとで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。今回は1950〜80年代の珍しい小品5点と、福沢愛用のカメラや書籍資料を展示しております。


第1回
照沼敦朗「惑星の端」

これまで、モノクロームを基調とした都市の雑踏をキャラクターが闊歩する映像や平面作品を多く手がけてきた照沼は、今回、より抽象的なイメージと鮮やかな色彩を取り入れた映像作品を発表します。この映像とドローイング、ペインティングによるインスタレーションが、福沢一郎のアトリエ内に繰り広げられます。

作家公式ホームページ http://www.terunuma-atsuro.com/

5月28日(木)- 6月10日(水) 11:00 – 17:00
会期中無休
オープニングレセプション 5月30日(土) 17:00 – 19:00
ギャラリートーク 5月31日(日) 14:00 – 15:00

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照沼敦朗 《Life》  2015年 映像 2分5秒


第2回
室井麻未「ある景色」

視覚で捉えられる世界と、そのあいだ、そのむこうにある世界。室井は両者のはざまを揺れ動きながら、その揺れ幅を塗り込めるように、ゆるやかな「絵画」のありようを探りつつ制作します。今回は新作を中心に、近年の探究の成果を発表します。

6月15日(月)- 28日(日) 11:00 – 17:00
会期中無休
オープニングレセプション 6月20日(土) 17:00 – 19:00
ギャラリートーク 6月21日(日) 14:00 – 15:00

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室井麻未 《船》 2015 年 油彩・キャンバス 259.0×194.0cm



【他館展覧会情報】「福沢一郎展 沖縄の子どもたちへ贈られた34点」@那覇市民ギャラリーの報告

2015年2月3日(火)から8日(日)まで、展覧会「福沢一郎展 沖縄の子どもたちへ贈られた34点」が、沖縄県那覇市の那覇市民ギャラリーで開催されました。
すでにご紹介したとおり、この展覧会の出品作は、平凡社の雑誌『太陽』創刊時の連載(1963-64年)のために描かれ、1966(昭和41)年に平凡社社長の下中邦彦氏により「沖縄少年会館」へ寄贈されたもので、今回はその寄贈作品34点すべてが一同に展示されました。
会場には福沢作品が『太陽』の記事掲載順、つまり日本人のあゆんできた時代の流れにそって展示されたので、「ヴィジュアル日本古代史」のような楽しみ方をした観覧者も多くいらしたとか。
また、雑誌『太陽』の福沢作品掲載ページや、掲載記事がその後まとめられた書籍『日本人の原像』、寄贈先の「沖縄少年会館」に関する資料なども展示され、当時の雰囲気を伝えていました。
さまざまなかたちで福沢作品に親しむ格好の機会となったこの展覧会、会期が短かったのが残念です。ぜひこれらの作品が、東京など沖縄県外でも展示される機会に恵まれることを願います。

以下、会場風景

会場入り口

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展示会場1

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展示室2

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年表と展示台

【展覧会】「福沢一郎と山下菊二 師弟は時代とどう向き合ったか」 会場風景

開館20周年の展覧会 「福沢一郎と山下菊二 師弟は時代とどう向き合ったか」 の会場風景をご紹介します。

 

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なんといっても、今回は福沢一郎以外の画家の作品が、記念館開設以来初めて!展示されたのです。そしてそれが、福沢とゆかりの深い山下菊二であることは、私たちスタッフにとって大きな喜びです。
まずは、福沢の1《寡婦と誘惑》(1930年、写真左)。「これ、80年以上前の絵ですか!?」と驚かれる方が多いのは、決して修復がしっかりされているからだけではありません。今なお新鮮さを感じる面白い作品だと思います。
その右にある山下の《日本の敵米国の崩壊》は、《寡婦と誘惑》など福沢の滞欧作が飾られたアトリエで制作されたといいます。およそ70年の時を経て、このふたつの作品がふたたび出会ったことになりますね。さまざまな敵国アメリカのイメージ(中には?と思うものもありますが…)が描きこまれています。当時は戦意高揚のための絵として展覧会に出品されたのでしょうが、今見るといろいろなことを考えさせられる、これまた面白い絵です。

 

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階段下のスペースには、山下の初期作品《裸婦》(1939年、写真中央)と福沢の《フクロウ》(1939年頃、写真右)。ほぼ同じ頃に描かれたふたつを並べてみました。ところで、山下はフクロウ好きとして知られていますが、今回は福沢のフクロウが登場しています。これは、ふたりの関係を考えるうえでとても面白い作品なのです。詳しくは、ご来館のうえ、作品横の解説パネルをぜひお読みください!

 

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さて、ここでアトリエ奥の小部屋に入っていきましょう。ここにはふたりの50年代末の作品を展示してあります。まずは福沢の《網にかかった人》(1959年)。いびつな形の人体が、石膏を盛り上げたところに凹んだ線で描かれています。50年代末、福沢はこのように石膏や板、砂などを使って、立体的な画面作りを試みていました。日本で「アンフォルメル旋風」が吹き荒れた後のことです。

 

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同じ頃、山下もまた、ざらざらした絵肌を画面づくりに取り入れたり、不定形のイメージを活かしたりと、「アンフォルメル」に影響を受けたような表現を試みています。《黒いクチバシ》(1959年)にも、そんな山下の試みのあとが見られます。

 

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さて、この小部屋にあるガラスケース内には、福沢一郎のスケッチが展示されていますが、これらはすべて、福沢が山下に贈ったものです。《国引き》(1943年)という作品のデッサンなどは、山下がモデルを勤めていると自分で書き込んでおり、さらに日付まで入っているという、思い入れの強さを感じさせるものです。また、その左にある1976年に山下が福沢に宛てた手紙には、山下のアトリエへのまことに詳細な地図が同封されており、ここにも師への思いの深さが強く感じられます。

 

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小部屋を出て、書斎両脇の壁に移りましょう。ここには福沢《自由か死を》(1965年、写真左)と、山下《葬列(ベトナム)》(1967年、写真右)を展示してあります。60年代は国外ではベトナム戦争やアメリカでの公民権運動があり、国内では学生運動がさかんに行われるなど、政治や社会に対して強い疑念や不信が向けられた時代でもありました。福沢は滞在先のニューヨークで、デモに参加するアフリカ系住民を題材にして、鮮やかな色彩と力強い筆遣いにより多くの作品を制作しました。また山下は、足袋を履いた骨だけの足によって、戦争に追従する日本の政府のすがたを象徴的に描きました。時代をそれぞれの視点で見つめたふたりのまなざしが、これらの作品に如実にあらわれています。

 

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アトリエ北側のコーナー(写真右側)には、ふたりの70年代の作品を展示しました。この時期福沢は「地獄」や「餓鬼」をテーマに多くの作品を制作しており、今回は《蛾を食う餓鬼》(1972年、写真右から2番目)を展示しています。素早い筆致で描かれた餓鬼は、明るくユーモラスな姿をみせています。山下の《鶏群地獄〈水声〉地獄絵〉(1973年、写真右端)は、絵具の滲みから人や鳥の顔が浮かび上がってくるようで、少し不気味で恐ろしげな印象を受けます。
虐げられながらもしぶとく生きる餓鬼の生命力を描いた福沢と、謎めいた社会という暗闇にうごめく人々の愚かしいすがたを描いた山下。ふたりの画風や視点は全く対照的です。しかし不思議なことに、となりどうしに展示しても、ふたりの作品はさほど違和感を感じさせず、かえって互いを引き立てるような効果を持っているように思えるのです。これが、40年以上続いた師弟の絆のなせるわざなのでしょうか。
ぜひこの充実した展示空間を、ひとりでも多くの方々に楽しんでいただきたいです。

 

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福沢一郎記念館は、展覧会会期中の日、月、水、金の開館となります。
皆様のお越しをお待ちしております。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】開館20周年記念 「福沢一郎と山下菊二 師弟は時代とどう向き合ったか」 11/2 – 30, 2014


このたび、当館では、秋の展覧会として、開館20周年記念 「福沢一郎と山下菊二 師弟は時代とどう向き合ったか」を開催いたします。

この秋、福沢一郎記念館は、開館20周年を迎えました。今回は、長らく夢想しながらもなかなか実現しなかった、福沢一郎とかかわりの深い画家との二人展に挑戦します。選ばれた画家は、山下菊二(1919-1986)。戦後日本を代表する画家として高く評価されています。
骨太な造形力と旺盛な批判精神によって、人間のすがたを描き続けた福沢一郎。社会や制度の矛盾を凝視し、その奥底にあるただならぬ世界を描き出した山下菊二。日本の近現代美術を語るうえで欠かすことのできないふたりの画家のあいだに、とても深いつながりがあったことは、案外知られていないのではないでしょうか?
福沢は1936年に「福沢一郎絵画研究所」を開設し、後進の指導にあたります。山下はこの研究所に19歳のとき入門しました。以後ふたりは戦争の時代をくぐり抜け、活躍の場を変えながら、大きな意義のある仕事を続けてゆきます。
ふたりの関係はどんなものだったのでしょう。また、山下が福沢から学んだものは何なのでしょう。今回はそれを、時代と向き合う姿勢、あるいは時代を見つめる眼に着目し、それぞれ5点の作品と関連資料によってさぐってみようと思います。
ふたりの作品によって、刺激的な場が生まれることでしょう。この機会に、ぜひお出かけください。

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福沢一郎《寡婦と誘惑》1930年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館蔵


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山下菊二《日本の敵 米国の崩壊》1943年 日本画廊蔵


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福沢一郎《自由か死を》1965年 個人蔵


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山下菊二《葬列》1967年 日本画廊蔵


会 期:2014年11月2日(日)〜30日(日)の日・月・水・金開館  11:00-17:00 
※ 11月3日(月)、23日(日)、24日(月)は祝日ですが開館します。
入館料:300円
協 力:日本画廊

※トークの会開催のお知らせ
「福沢一郎と山下菊二 いま語る・ふたりの実像」
語り手:江川佳秀氏(徳島県立近代美術館 美術調査課長)
    伊藤佳之(当館嘱託)
日時:11月16日(日) 14:00〜15:30
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約、11/2より電話のみにて受付開始、先着40名様
定員になりましたので受付を締め切りました。たくさんのお申込ありがとうございました。

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405

【展覧会】「福沢一郎の“写真” 画家のレンズが捉えたもの。」 会場風景

展覧会 「福沢一郎の“写真” 画家のレンズが捉えたもの。」 の会場風景をご紹介します。

 

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今回の展示は、主にアルバムからの複写パネルや、ネガからプリントし直した写真で構成されています。特に1924〜31年のパリ滞在中に福沢が撮影した写真については、ネガが現存せず、プリントも非常に小さいので、画像を楽しんでいただくために、デジタル複写によるパネルを並べてみました。パネル作成にあたっては、多摩美術大学美術館の皆様に多大なるご協力を賜りました。

その他、全紙大の額にて展示しているプリントは、富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館からお借りしたものです。同館が1996-98年の展示のために福沢家所蔵のネガフィルムからプリントし直したもので、その中から1958年のヨーロッパ〜インド旅行や、1965年のニューヨーク滞在の際に撮影されたものなどを、今回ご紹介することにしました。

下の画像の右端にある写真は、1939年12月頃に福沢が中国の山西省に旅行した際撮影した写真で、貴重なオリジナルプリントです。この写真については阿部芳文(展也)が雑誌『フォトタイムス』(1940年5月号)で「福沢一郎氏のアルバムから」という記事を書いて紹介しており、「卓抜な構成を示すもの」と高く評価しています。解説パネルとあわせてご覧ください。

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福沢が1965年のニューヨーク滞在時に撮影した写真は、非常に魅力的なものが多く、会場の都合で展示点数を4点に絞らなければならなかったのが残念です。この頃の写真はネガが比較的良い状態で残っているので、いずれ何らかのかたちで世に問うことができればいいなと、ひそかに思っております。

 

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今回は写真のほか、福沢一郎愛用のカメラも、出来るだけ多く展示してみました。ライカシリーズのほか、コンタックスIIIやニコンFなどでも撮影を楽しんだようです。

また、1924〜31年のオリジナルプリントも、幾つかアルバムごとケースに入れて展示していますので、こちらもぜひお見逃しなく。

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福沢一郎記念館は、展覧会会期中の月、水、金の開館となります。
皆様のお越しをお待ちしております。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】「福沢一郎の“写真” 画家のレンズが捉えたもの。」 4/30 – 6/2, 2014

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このたび、福沢一郎記念館では、春の展覧会として「福沢一郎の“写真” 画家のレンズが捉えたもの。」を開催いたします。

福沢一郎は、1924(大正13)年の初渡欧の頃から、写真撮影を趣味にしていました。その後も戦争中の中国、戦後のブラジル、フランス、インド、そしてアメリカなど海外へ赴くとき、彼はカメラを常に持ち歩き、気になった風景や事物、ひとびとの姿などに向けてシャッターを切りました。彼の写真からは、巧みなフレーミングやクローズアップの効果により、ときに絵画作品にはみられない叙情的な感覚が盛り込まれ、鮮烈な印象を受けるものが多くあります。
今回はそうした福沢一郎の「写真」そのものに迫る展覧会です。1924〜31年の滞欧期に撮影された写真の複製パネルや、90年代にプリントし直した50〜60年代の写真とともに、滞欧当時のアルバム、福沢愛用のカメラ、レンズなどを展示します。彼がどのように写真に取り組んでいたかを知っていただく格好の機会といえましょう。
絵画とはまた違った、ファインダー越しの福沢一郎の視線を感じていただけるこの展覧会、福沢絵画が好きな方にも、写真やカメラが好きな方にも、楽しんでいただけるものと思います。この機会に、ぜひご覧ください。

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ニューヨークにて撮影 1965年

会 期:2014年4月30日(水)〜6月2日(月)11:00-17:00 月・水・金開館
※ 5月5日(月)は祝日ですが開館します。
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「近代写真の成立と福沢一郎の写真」
講師:金子隆一氏(写真史家)
日時:5月14日(水) 14:00〜15:30
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約(電話またはFAXにて/先着40名様)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405 / FAX. 03-3416-1166

【展覧会】「CURIOUSな実験。福沢一郎<素描>の魅力」展 会場風景

展覧会 「CURIOUSな実験。福沢一郎<素描>の魅力」展 の会場風景をご紹介します。

 

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大きな青森ヒバの壁には、1980年頃に集中して制作された「失楽園」の悪魔のシリーズを展示しました。どれもかなり大きな作品なので、迫力満点です。右奥には《楽園から逃亡する動物たち》という、珍しく動物だけを描いた作品があります。またその右隣には、これまた珍しい水彩の《レダ》を展示してみました。

 

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今回は解説パネルやキャプションをほとんど掲示していませんが、この一角だけは唯一解説パネルをつけております。1951年頃に制作された「バレエのコスチューム」についてです。戦後日本のバレエ界を牽引した服部・島田バレエ団の1952年(昭和27年)新春公演のために福沢が描いたとされるデザイン画が2点展示されているので、それらについて簡単にふれてみました。10月30日(水)の、神奈川県立近代美術館学芸員 西澤晴美さんの講演会では、そこのところをもっと詳しくうかがうことができるはずです。

 

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すでに書きましたとおり、今回は解説パネルは1点のみ、作品キャプションはつけておりません。ただ、作品の配置とデータがわかるパンフレットを会場にて配布しております。それを片手にご覧いただければ幸いです。

福沢一郎記念館は、展覧会会期中の月、水、金の開館となります。11月4日(月)は祝日ですが開館いたします。
皆様のお越しをお待ちしております。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】「CURIOUSな実験。福沢一郎<素描>の魅力」展 10/16 – 12/2, 2013

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《バレエのコスチューム(ミス生存)》1951年頃



このたび、福沢一郎記念館では、秋の展覧会として「CURIOUSな実験。福沢一郎<素描>の魅力」を開催いたします。

約65年に及ぶ絵画制作のなかで、福沢一郎は非常に多岐にわたる主題に取り組み、そのつど多彩な絵画世界を生み出してきました。その原動力は、つねに変わることなく画家の内にあった、人間や社会への旺盛な「好奇心」であるといえましょう。

福沢の「好奇心」とは、鋭い観察力と豊富な智識に裏付けされており、あるときは冷徹に、あるときは諧謔味たっぷりに、人間の存在や社会のありようを暴きだしてゆきます。今回はそうした画家の「好奇心=CURIOUS」をキーワードに、イメージの源泉ともいうべき素描の世界を探ってみたいと思います。
今回は、山村の風景やモデルの男など、いかにもオーソドックスな素描から、バレエのコスチューム原画、勢いのよい曲線を活かした人物画、ユーモアたっぷりの諷刺画、そして本画と見まごうばかりの重厚な悪魔の図など、未発表作品を含む計32点を展示します。画家にとって紙の上はまさにイメージの実験場。福沢一郎はどのような「CURIOUSな実験」を展開していったのでしょう。たかが素描と侮るなかれ。湧き出すイメージの魅力を、きっとお楽しみいただけると思います。

主な出品作:
《バレエのコスチューム(ミス生存)》1951年頃 鉛筆、水彩・紙 (上図)

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《ノー・モア・ウォー》 1951年 鉛筆、水彩・紙

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《失楽園 悪魔 エチュウド》 1980年 アクリル、水彩・紙

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《人物素描》 1953年 油彩 ボールペン・紙

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《オーストラリヤにて》 1967年 コンテ、水彩・紙

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《政治家地獄 叙勲は高く高く 納税は低く低く》 制作年不明 ボールペン・紙


会 期:2013年10月16日(水)〜12月2日(月)11:00-17:00 月・水・金開館
※ 11月4日(月)は祝日ですが開館します。
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「舞台と美術家 —福沢一郎のバレエ美術を一例として」
講師:西澤晴美氏(神奈川県立近代美術館 学芸員)
日時:10月30日(水) 14:00〜15:30
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約(電話またはFAXにて/先着40名様)

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TEL. 03-3415-3405 / FAX. 03-3416-1166