【展覧会】「PROJECT dnF」第10回 清水香帆個展、第11回 児玉麻緒個展

title2022dnf_pre

福沢一郎記念美術財団では、1996年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画・版画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回は、清水香帆(女子美術大学大学院洋画専攻修了、2012年受賞)と、児玉麻緒(多摩美術大学油画専攻卒業、2008年受賞)のふたりが展覧会をおこないます。
ふたりは福沢一郎のアトリエで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第10回
清水香帆「漂う光」

smz_senko
《閃光》 2022年 油彩・キャンバス 91.0×72.7cm

架空の世界、異次元の景色。さまざまな想像をかきたてる清水の絵画は、抽象的な形態と鮮やかな色彩、そして大胆な筆のストロークによって形作られます。今回は「光」をテーマとして、近作を中心に展示します。

◯清水 香帆(しみず・かほ)
東京生まれ。2010年、女子美術大学芸術学部洋画専攻卒業、卒業制作賞。2012年、女子美術大学大学院美術研究科博士前期課程美術専攻洋画研究領域修了(福沢一郎賞)。2013年、「第1回損保ジャパン美術賞 FACE2013」入選。同年「トーキョーワンダーウォール公募2013」入選。2015年、「群馬青年ビエンナーレ2015」入選。2016年、「シェル美術賞展2016」入選。

近年の主な個展:
2018年 「果ての波」(KOMAGOME1-14cas、東京)/新世代への視点「清水 香帆展」(ギャラリーQ、東京)
2019年 「在るかたち」/「境を掬う」Creativity continues 2019-2020(いずれもRise Gallery、東京)
2020年 「辿る先」 Creativity continues 2019-2020(Rise Gallery、東京)
2022年 「柔らかい波」 Creativity still continues (Rise Gallery、東京)

近年の主なグループ展:
2016年 「三つの絵」(HIGURE 17-15 cas contemporary art studio、東京)
2017年 「Special Edition 2017」(Rise Gallery、東京)
2020年 「松本藍子+清水香帆」Creativity continues 2019-2020/「松本藍子+清水香帆+江原梨沙子+井上瑞貴+吉田秀行」Creativity continues 2019-2020(いずれもRise Gallery、東京)/「Collaboration Project Vol.3 MASATAKA CONTEMPORARY+RISE GALLERY」(Masataka Contemporary、東京)

◯作家のことば◯
夜道で見える灯のように、見上げた天井のシャンデリアのように、光は時に奥行きや距離を飛び越えてどきりとするほど目の前に迫ってきます。光、色、そして形。日々の生活の中で、あるいは広がる風景の中でふと眼前に現れるそれらは、私にとって謎に満ちていて魅力的なものです。中空に浮遊しながら果てを示す。彼方と此方を行き交い交わる。そんな揺れ動く感覚を含んだ絵を探っています。

会期:2022年10月27日(木)- 11月12日(土)
※木・金・土曜日開館 
13:00 – 17:00 観覧無料


第11回
児玉麻緒「Light falls」

DM_DSC_1652+
《light falls》 2022年 油彩・紙 77.5 × 53.3cm

植物や庭を制作のモティーフとして力強いタブローを制作する児玉は、2014年、クロード・モネが愛したジヴェルニーの庭を訪れ、その後の制作に大きな影響をうけたといいます。今回、児玉は福沢一郎が愛した自宅の庭に強く感じ入り、その場の空気感や季節の変化、植物のうつろいを自身に取り込んで制作をおこないました。「庭」を媒介として、画家どうしの時空を超えた対話が立ちあらわれます。

◯児玉 麻緒(こだま・あさお)
東京生まれ。2008年、多摩美術大学油画専攻卒業、福沢一郎賞。2010年、多摩美術大学大学院博士前期課程絵画専攻油画研究領域修了。2012年、「14th Flag Art 2010」最優秀、日比野克彦賞。同年ホルベイン・スカラシップ奨学生。2013年、Mercedes-Benz Fashion Week in Stockholm A/W 13において、フィンランドのマリメッコ社から自作をモチーフとしたテキスタイルが出展され、プロダクトとしても発売される。2015年、「第3回損保ジャパン美術賞 FACE2015」審査員特別賞。2019年、パリに滞在し制作(Cité internationale des arts)。再訪したジヴェルニーの庭で得た成果をもとに展示をおこなう。

近年の主な個展:
2016年 「project N 65 児玉麻緒」(東京オペラシティアートギャラリー)
2017年 「PLANT」(ANA インターコンチネンタルホテル東京アートギャラリー)

近年の主なグループ展:
2018年 「モネ それからの100年」(横浜美術館、神奈川/名古屋市美術館)
2020年 「Phase 2」(麻生邸、東京)/「Exploring」(銀座 蔦屋書店 GINZA ATRIUM)
2021年 「FUJI TEXTILE WEEK 2021 織りと気配」(富士吉田市)
2022年 「石と花 石黒昭×児玉麻緒」(N&Aアートサイト、東京)

◯作家のことば◯
絵の具が絵の具でなくなる瞬間、私は絵画の光をみる。 雨の中、曇りの中、快晴の中、石はそこに佇み草花は生え重なり、時々の表情の移り変わりに庭という存在の光をみた。庭の光が、カンヴァスで巻き起こる歓びと葛藤と模索の先に見える光と重なる。 花に石に庭のように変化し在り続ける、生きる絵画で在りたい。

会期:2022年11月24日(木)- 12月10日(土)
※木・金・土曜日開館 
13:00 – 17:00 観覧無料


【展覧会】「PROJECT dnF+」山内隆「巡礼。2014−2022」2022.9-10

10月1日(土)20:30より、作家によるオンライントーク「巡礼。ぼくが見てきたもの」を開催します。詳しくは →こちら

福沢一郎記念館では、2014年から継続している「福沢一郎賞」歴代受賞者の方々のための企画「PROJECT dnF」を拡張する試みとして、「PROJECT dnF+」をはじめます。
これは、福沢一郎にゆかりのある方、福沢の制作とひびきあう独自の試みをおこなっている方など、当館で意義ある展覧会を開催してくださる方に、当館を展覧会場としてご提供するものです。
今回は、山内隆(女子美術大学教授)が、「巡礼」をテーマに展覧会をおこないます。

近年、巡礼路を辿ることを制作の糧としてきた山内は、昨年福沢一郎著の画文集『秩父山塊』(1944年)に強い関心を示し、それがこの展覧会の種となりました。彼は秩父の山々を注意深く観察し、そこに生きる人々の様子とともに淡々と描きとめた福沢のすがたを、自らの歩みと重ね合わせたのだといいます。
自身の歩みによって過去と現在を結び交感する制作の断片は、福沢一郎のアトリエでどのような景色を切り拓くのでしょうか。


《あるたてもの/出津/長崎》2022年 木材・塗料 h134.4×w64×d46cm

—– 2013年、ポーランドの強制収容所を訪れて以来、絶対的な死の現場に立つ機会を多く持つこととなった。なかでも長崎外海および五島列島の教会群とその周辺の営みに対し、人間が持つ表現に向けた根源的な欲求の部分に深く感じ入り、場を描き留めなければならない特殊な衝動を得た。以後、国内のカトリック教会をめぐる旅を重ね、その旅はスペインの巡礼路の踏破に至り(フランス人の道、ポルトガルの道)、現在「北の道」の踏破を継続中である。長崎のスケッチは発表を前提とせずノートの表裏に描き、スペインの巡礼路では荷物の軽量化のため最低限の色鉛筆と紙に描きとめていった。これらの有るき描きことに没入した、真空のような期間を過ごすことで、あらためて自分の制作の根源が「祈りや奉拝」であることを確信した。

山内隆

山内 隆(やまうち・たかし)

1968 岐阜県生まれ
1993 東京藝術大学 大学院美術研究科 壁画専攻 修士課程 修了
1996 東京藝術大学 大学院美術研究科 油画専攻 満期退学
1996-1999 東京藝術大学 助手
1999 – 現職
2017-2018 ウィーン応用美術大学 Institute of Fine Arts & Media Art Sculpture and Space 研究生

最近の主な個展歴
〈個展〉
2022.6 「山内隆展 巡礼。何処/其所」(iGallery DC 山梨、笛吹市)
2022.3 「山内隆展 巡礼。そらより」(ギャラリー広田美術 東京、銀座)
2018.1 研究発表展示 Wien / Sculpture and Space / exhibition room
2017.11 Unter Sternen Germany / Solingen
2017.9 Takashi Yamauchi Open Studio – Point – JOSHIBI Residency ( Kunstraum Kreuzberg / Bethanien )



◎展覧会 会期:
2022年9月29日(木)-10月15日(土) の 木・金・土曜日開館
13:00 – 17:00  観覧無料

◎イベントのお知らせ
オンライントーク「巡礼。ぼくが見てきたもの」

2022年10月1日(土) 20:30〜 22:00(予定)
オンライン会議システム「Zoom」を使用 参加無料

◇ 作家が近年取り組んでいる「巡礼の路」をたどる旅、そこで得たもの、感じたこと、そしてそこからつながる近年の制作活動について、画像をまじえて語ります。
◇ 参加ご希望の方はこちらのリンク または以下のQRコードから、参加申込フォームにお進みいただき、必要事項にご記入のうえ送信してください。
◇ 定員を大幅に超過した場合、受付を終了いたします。あらかじめご了承ください。


【展覧会】「旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』」会場風景

2022年春の展覧会 「旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』」 の会場風景をご紹介します。

福沢一郎は若い頃から国内外の旅を楽しみ、そこで得たテーマやモティーフを制作に取り入れていました。今回の展覧会は、彼の旅と制作の関わりをさまざまな切り口でご紹介する「旅する福沢一郎」シリーズの第1回で、主に写真と素描から、1953-54年の中南米旅行に迫る試みです。展示された写真パネルの多くは、遺族のもとで大切に保管されていた紙焼写真がもとになっており、令和2年度に公益財団法人ポーラ美術振興財団から助成を受けた「長谷川三郎と福沢一郎の写真資料に関する調査研究」の際にデジタル化した画像データを使用して、見やすい大きさにプリントしました。

展覧会のはじまり、アトリエ東側の壁には、福沢の1952年から54年、まる2年にわたるたびの行程を示すパネルを掲示しました。彼はまず1952年5月、パリで行われる国際文化祭の日本代表のひとりとしてフランスに渡り、そのまま翌1953年1月まで滞在したあと、ブラジルへと向かいます。

福沢一郎の旅 1952-54年 パネル画像

1953年2月のブラジル(サンパウロ)着から翌1954年5月のメキシコ出発まで、およそ1年3か月にわたって、彼は中南米を旅しました。この展覧会では、その旅程から5つのトピックごとにコーナーを分け、写真やスケッチなどを展示しました。


《コパカバーナ》1953年

はじめのコーナー「1.ブラジル」では、福沢が現地で制作し、ご縁のあったブラジル在住の人に贈ったとされる作品2点が展示されています。上の作品もそのひとつで、所蔵者から福沢の故郷富岡市に寄贈されました。現存するこの時期の作例は少なく、たいへん貴重な作品です。

ブラジル滞在のはじめから、福沢は写真撮影を楽しんでいたようで、サンパウロやリオデジャネイロなどの風景を撮影した写真が多数残っています。戦後急速に開発が進むブラジルの大都会を、彼は大胆に、そしてときにユーモアも交えてカメラに収めています。


アトリエ横の小部屋は、「2.アマゾン」です。ここには1953年11月から翌1954年1月までのアマゾン川流域の旅の間に撮影された写真と、訪れた街の風景のスケッチなどを展示しました。

アマゾン川流域の自然と人々の生活、そしてそれらが織りなす風景は、福沢の興味をおおいにかきたてたようで、著書『アマゾンからメキシコへ』にそのことをよく示す記述がみられます。ただ、そのわりにはこの地を主題とした作品や写真(プリント)が少ないのです。今後、まだ整理が終わっていないスライドフィルムの調査とデジタル化がおこなわれれば、彼にとってのアマゾンがどのようなものであったのかを、垣間見ることができるでしょう。


小部屋から出て時計回りにアトリエを巡ると、舞台はメキシコの旅へと移ってゆきます。1954年2月にメキシコシティに到着した福沢は、同年5月はじめまでこの首都を拠点とし、メキシコ各地の街や遺跡へと取材にでかけます。「3.メキシコの遺跡と美術」では、彼が訪れた遺跡や、同時代の美術家による作品などを撮影した写真をご紹介しました。

今回は、あえてメキシコの遺跡・旧跡と、ディエゴ・リヴェラやホセ・オロスコ・クレメンテらによる壁画やモザイクを撮影した写真を隣どうしに配置してみました。日本や西欧とはひとあじ違う、建物と一体となった造形のありように、福沢が強い興味を示していたことがよくわかります。この地での体験は、彼にとって、建築と美術の結びつきについて深く考えをめぐらせる機会となったようです。

また、福沢がメキシコで撮影した写真の多くに、働く女性や子供たちのすがたが写っているのも興味深いことです。「4.メキシコ 市井の人々」では、そんな写真とともに、水彩やドローイングなどを展示しました。


《メキシコの母子(Ⅱ)》1954年
「タスコの女」1954年

この時期の福沢作品には「母子」と題したものがいくつかみられますが、実は、他の時期にこのテーマを扱った作例はほとんどないのです。この地で目にした「母子」のすがたが彼にとっていかに印象深いものであったかがしのばれます。


展覧会の最後には、ちいさなコーナーをふたつ設けました。「5.福沢一郎サボテン・コレクション」では、福沢のメキシコ滞在時の写真の中から、サボテンを写したものを集めてみました。うち1点には福沢自身も写っています。乾いた大地ににょきにょきと生えて独特の景観をかたちづくるサボテン。人々の生活ともたいへん近しいこの奇妙な植物に、彼はことのほか強い興味をもったようです。
次の「6.中南米の旅、その後」では、中南米の旅が画家福沢一郎にもたらしたもの、そして調査研究の道なかばで写真資料からみえてきたことなどをご紹介しました。彼の著書『アマゾンからメキシコへ』は写真を豊富に収録した興味深い旅行記ですが、じつは彼自身の制作についてはほとんど書かれておらず、彼がいったい何を見て、何に心を動かされたか、そしてそれらがその後の絵画制作にどう影響したかということは、さらに多くの資料から検討される必要があります。今回デジタル化された写真の画像をくわしく分析することで、わたしたちは彼の中南米旅行の意味をもう少し深く掘り下げることができるかもしれません。


福沢一郎旧蔵のマスク メキシコで購入か

今後も、機会を捉えて福沢一郎の「旅」を追う企画をおこないたいと考えています。どうぞお楽しみに。
今回の展覧会のパンフレットは、こちらから ごらんいただけます。

【展覧会】旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』 5/12 – 6/4


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「旅する福沢一郎 vol.1 写真と素描でたどる『アマゾンからメキシコへ』」を開催いたします。

 福沢一郎は旅する画家でした。若い頃から国内外のさまざまな土地へでかけ、地元の人々の生活や祭礼、史跡なども興味深く観察し、制作の糧にしていました。とはいっても、旅先の風景や人物などをそのまま描くのではなく、それぞれの土地で得たさまざまな印象と、貪欲に吸収した知識、それらをもとに積み重ねた思考によって、もっと大きなテーマ、たとえば人間のいのちの力強さや社会のダイナミズムなどへと昇華させていきました。

 特に1953-54年の中南米の旅は、彼の制作に強い影響を与え、大きな転換点となったのです。このとき助けとなったのが写真でした。これらの中には、ただ現地のようすを記録するだけでなく、写真としての表現にも挑んでいるようなものが多くあり、画家の興味を知るうえでとても貴重なものです。

 帰国後、これらの写真をふんだんに盛り込んだ紀行文集『アマゾンからメキシコへ』(読売新聞社、1954年)が刊行され、大きな話題となりました。

 今回の展示は『アマゾンからメキシコへ』の記述と、写真やスケッチなどの小品をもとに、彼の中南米の旅のようすに迫る試みです。この機会にぜひご覧ください。

◎この展覧会は、令和2年度 公益財団法人ポーラ美術振興財団助成 「長谷川三郎と福沢一郎の写真に関する調査研究」の成果の一部を 使用し構成しています。

《アマゾン》1954年頃 水彩・紙
物売りの老婆 メリダ(メキシコ) 1954年
《メキシコの母子(Ⅰ)》1954年 インク、水彩・紙

会 期:2022年5月12日(木)―6月4日(土)の
    木・金・土曜日 13:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。


【展覧会】PROJECT dnF 第9回  川端薫「その日を摘む」アーティストコメント

川端薫 アーティストコメント … 往復メールから

2021年11月〜12月
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


——-
川端薫(かわばた・かおる)
1990年 福井県出身 2016年 女子美術大学大学院洋画研究領域 修了(福沢一郎賞)
主な個展・グループ展: 2018年 「川端薫 展 -ミクロコスモス- 」JINEN GALLERY(小伝馬町) / 2019年 「川端薫 展 -GARDEN- 」JINEN GALLERY / 「山口茉莉 / 川端薫 展」JINEN GALLERY 2020年 「川端薫 展 -透明な温室-」JINEN GALLERY / 「それぞれの景の色」Gallery FACE TO FACE(西荻窪) / 「One Man Show + plus」Gallery FACE TO FACE 2021年 「川端薫 展 -或る惑星の細胞-」JINEN GALLERY / 「The PLANTS」アートコンプレックスセンター(四谷) / 「5つのいきものがたり」Gallery FACE TO FACE
主な受賞歴: 2016年 福沢一郎賞 / 「床の間アートコンペ」 (佐賀・古湯温泉ONCRI)優秀賞
——-

制作について … 展覧会パンフレットより
「生命体とは自己複製する術をもつものである」という定義をもとに、制作を自己複製、作品を生命体と捉えている。その形は記憶の中にある物事のイメージを複数組み合わせることで作っている。木彫を支持体とし、油絵具で彩色する手法を用いることが多いが、作りたい形に合わせて材料や手法を選んでいる。 こうして自らの制作を振り返ってみると、私は「持ち合わせている知識と技術を使って何ができるのかを実験している」のだと思う。繰り返される実験の果てに完成する生命体はどんな形をしているだろうか。会えるその日を楽しみに待つ。


展示風景

タイトル「その日を摘む」について

—- 本来ならば昨年(2020年)の秋、記念館で個展をしていただく予定でした。一年越しに実現しましたね。実際に福沢一郎のアトリエで作品を展示してみて、いかがですか。率直な感想をお聞かせください。

川端 率直に嬉しかったです。学生のときに初めて訪れたのですが、そのときに「素敵な場所だな。いつか私も展示してみたいな」と思っていました。
一年越しの開催については、結果的によかったと思ってます。展示のお話をいただいた当時は過去作の粗が許せず、やるなら全部新作だと息巻いていましたが、期間が空いたことで過去のもそんなに悪くないじゃないと思えるようになりました。

—- 過去作から新作まで集めていただいたことは、結果的に川端さんの作品が醸す世界を、より広く深く紹介することにつながったのではないかしら、と私などは思っています。このことについてはのちほど…。
さて、今回の展覧会タイトルは、「その日を摘む」ですね。このタイトルが示すのはどんなことでしょう?

川端 展覧会のタイトルをどうしようかと悩んでいるときにたまたま「カルペ・ディエム」という言葉を知り、これにしようと思いました。
よく知られている「メメント・モリ」と関連する言葉で、日本語訳すると「その日を摘め」。一日一日を大切に生きろといった意味です。『今この時』という感じが私のスタンスに合っているように思いました。日を摘むという表現も素敵です。
ただ、命令形には違和感があったので「摘め」から「摘む」にしました。あくまで自分の行動としての表現にしたかったんだと思います。

—- なるほど、《死を想え》と関連する言葉でしたか。川端さんの作品は、どれも生き物を創造させるものですから、生があって死がある、ゆえに一瞬を生きているのだと自覚する、そんな作品たちのいきざまのようなものにも思えてきます。ただ、そんなにがつがつと暑苦しく生きるのではなく、どの作品も主張しすぎずに、じつにマイペースに生きているように、私などは感じてしまいます。「摘む」という表現も、作品の様態によく合うように感じます。
展覧会のパンフレットに掲載させていただいたステートメントには「『生命体とは自己複製する術をもつものである』という定義をもとに、制作を自己複製、作品を生命体と捉えている。 」とあります。つまり作品は自身のDNAから生み出されたような、いわば分身のようなものであると、そんなふうにお考えなのでしょうか。先程述べた作品たちの「いきざま」と川端さんのそれが、なんだかとても近しいもののように感じてしまったもので…。

川端 そうですね、作品は自分の分身みたいなものだと考えています。そのステートメントの文は修了制作のときに書いた文章の冒頭とほぼ同じ内容です。『自己複製』という言葉は福岡伸一さんの著書「生物と無生物のあいだ」を読んで初めて知りました。修了時の文章を書く際にかなり影響を受けています。
当時、私はぼんやりと生命体を制作のテーマに置きつつも、その定義についてはあまり考えたことがありませんでした。
生命体のような作品があって、その作者である私が生命体であることは間違いない。だとすれば制作という行為は自己複製にあたるのでは?…という風に紐付けしていったんですね。
なので、作品と私の「いきざま」が近しいというのはおそらくその通りなのだと思います。


《hands》(2016年)

作品について…《hands》

—- では、それぞれの出品作についてもお話うかがっていきたいと思います。ギャラリーの中央に置かれた《hands》(2016年)は、ご来館のみなさまにとても人気があったように思います。その丸みを帯びたかたちに、触りたい!とおっしゃる方もたくさんいらっしゃいましたね。この作品を出品しようと考えた理由、そしてこの作品への思い入れなど教えてください。

川端 《hands》は元々、修了制作のうちのひとつでした。(修了制作は複数の立体作品を設置した場をひとつの作品としました。)
先にも述べたように、最初は過去作を出品しようとは思っていなかったのですが、展示までの期間が空いたことで考えが変わってきました。単に少し歳を重ねたことで性格が丸くなったのか、コロナ禍の影響なのかは分かりませんが、過去のものに対しての心持ちが穏やかになったのは確かです。
この作品には明確なモデルがいます。熊童子という名の多肉植物です。本当にこんな感じの、丸く膨らみ、爪のような突起がある形の葉を持っています。元々がそういうかわいい形なので、ご来館の方々にも親しみやすかったのかもしれません。そして膝くらいの背丈なので触りたいと感じられたのかもしれません。実際に作者自身が時折なでていました。たぶん結構気に入っているのです。しかしいざ展示してみるとやはり粗いなぁと思いました…。

—- 私などは、《hands》の葉のような手のようなかたちの付け根、上から見ると真ん中の凹んでいるところが、いつ見ても光っているように感じられて…いえ、目の錯覚なのだと思いますが…いつもそこを覗き込んでいました(笑)。ノミの跡、作家の手が中心に向かって進んでいく軌跡というか、そんなものが感じられたからかもしれないと思っています。
この作品は樟の一木造ですよね。この作品のような大きな木の塊に取り組んだのは、このときが初めてだったのでしょうか?

川端 真ん中の凹部はノミ跡が粗いため、光が当たるといい感じに反射してくれたのかもしれません。記念館には高いところに北窓があり、柔らかい自然光が入ってくるので、そのおかげかなと思いますが、光っているように感じられたと言っていただけるとなんだか嬉しい気持ちです。
木彫がある程度の大きさになり始めたのは学部4年の前半あたりです。それ以降大きめの作品をぽつぽつと作っています。《hands》を制作したのは大学院2年のときなので、木を彫るのに少しずつ慣れてきた頃です。

—- なるほど。木との付き合い方がわかってきた頃、それが修了制作の頃だったというわけですね。


木や粘土、針金などを駆使して作られた小品の数々 左から《Lamproderma triceratops》, 《Entacmeae hydrangea》, 《Terradens floris》, 《Palythoa staticia (yellow)》, 《Palythoa staticia (pink)》, 《Palythoa staticia (purple)》

さまざまな素材による制作/「絵じゃなくてもいいんだ」

—- ただ、その後は木に限らず、さまざまな素材を使って制作を展開なさってらっしゃいますよね。針金とか樹脂とか糸とか…。以前個展にうかがった際…確か2018年だったと記憶しますが…その時もじつに多彩な素材を駆使して、いきもののかたちを生み出してらっしゃるのがとても印象的でした。
あるかたちを作り出すために、さまざまな素材や技法を駆使して制作する、つまり特定の素材や技法への強いこだわりがないのが、川端さんの造形の特徴だと思うのですが、以前からずっとそうだったのでしょうか? 例えば修了制作の以前と以後など、素材や技法への考え、こだわりが変わったことはあったのでしょうか?

川端 洋画専攻にいながら木彫を始めた時点で表現手法へのこだわりは薄かったのかもしれません。「べつに絵じゃなくてもいいんだ」と思ったのを覚えています。
それからは色々な素材や技法を使い始めました。技法ありきで何を制作するかを考えるよりも、何を作りたいかによって技法を変えるほうが制作の幅が増えると考えるようになったんです。気になる材料を試してみたり、大学院のときは他の専攻の授業にお邪魔したりして学びました。修了制作でもすでにいくつかの木彫に樹脂粘土や針金で作ったパーツを使っています。

—- 今は洋画専攻でも、映像とかガラスとかパフォーマンスとか、さまざまな表現で制作する人がたくさんいらっしゃいますよね。でも、みなさんはじめは絵を描いていたという人が多いようで…。川端さんが『べつに絵でなくてもいい』と思えた、そのきっかけはどんなことでしたか?

川端 きっかけは大学3年のときの木彫の授業です。
入学当初はもちろん絵を描いていくつもりでした。洋画専攻を選択した人のほとんどはそうだと思います。最初のうちは人物や静物など、何か描く対象物があってそれを描いていれば良かったのですが、次第に自分自身の制作テーマを持たなければならなくなってきます。
当時の私は何を描きたいのか分かりませんでした。絵画の歴史を知るほど、新しい表現はすでに試し尽くされているように思えました。絵を描くのが好きだったはずなのに、楽しくなくなってしまった。
そんな折に、少人数ゼミでの木彫の授業があるとのことで応募してみたという訳です。いざやってみたらものすごく楽しかったんですね。そして少し自分のテーマが見えた気がしました。
このような流れで「絵じゃなくてもいいんだ」と思うに至りました。

—- そこから、制作を『自己複製』と捉えるような現在のテーマ・コンセプトにつながっていくと…。面白いですね。


《Platycerium teneros ‘Living Trophy’》2021年

新作について

—- さて、ここで新作《Platycerium teneros ‘Living Trophy’》についてお話うかがいたいと思います。福沢のアトリエの一番大きな壁にどん!と据えていただきましたね。これは来館者のみなさまから質問の多かった作品のひとつでもあります。タイトルの「Living Trophy」とはいったいどんな意味を持っているのですか?」

川端 ハンティング・トロフィー(hunting trophy)というものがあります。狩りで捕まえた鹿などを剥製にして壁に飾れるようにしたものです。
この作品のモデルはビカクシダという植物です。この植物は板に付けることができ、壁にかけたり吊るしたりして育てることができます。まさにハンティング・トロフィーのようにして飾っている方もいらっしゃいます。
そういうわけでこのような形になったのですが、私の作品は生命体ということになっているので、ハンティングの部分を変えて「Living Trophy」としました。
そうして出来た名前から考えると、ハンティング・トロフィーが狩りの腕前を讃えるものであるとすれば、リビング・トロフィーは生きていることを讃えるものになるのかなと思います。

《Musa megalopiscis ‘skin rug’》 2021年

—- もうひとつの新作、《Musa megalopiscis ‘skin rug’》も、質問の多かった作品でした。学名らしき言葉に「skin rug」という二つ名がついています。「敷皮」もハンティングの成果を示すものですよね。でもやはり《Platycerium teneros ‘Living Trophy’》の場合と同じく、いきもののありようを色々想像させる作品だと思います。

川端 新作のふたつは記念館での展示に向けて制作したものでした。記念館はもともとはアトリエですが、居住空間に近い空気を持っていると思うので、どちらもインテリアにまつわる作品になったのは自然なことだったのかもしれません。
また、どちらも動物の亡骸を連想させるものになりました。(このへんはメメント・モリ的な感じかもしれません。)私は最近、植物のような形の作品を作ることが多いのですが、少し前は主に骨とか臓器とか、動物の身体の一部から発想を得て制作していました。後になって思い出したことですが、ハンティング・トロフィーのような作品を作ろうと考えていたこともありました。原点回帰というわけでもないですが、以前の要素が少し出てきているのかもしれません。


これからの制作について

—- 結果的に、今回の個展は、川端さんご自身にとっても、制作の来し方を考える契機になった、といえるかもしれませんね。

川端 私もなんとなくそう思います。今回の会期が終わったときに寂しいと思ったんです。いつもなら展示が終わると達成感があると言いますか、「終わったー!」みたいなすっきりとした気持ちになるのですが、今回は「あぁ、終わってしまったなぁ…」という感じでした。
この展覧会は自分の中で過渡期にあたるかもしれない、大事なものだったと思います。この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

—- いえいえ、こちらこそありがとうございます。私は今後のご活躍がとても楽しみです! さて、今回の個展を終えて、何かみえてきたこと、さらに挑戦してみたいことなどあれば、ぜひ教えてください。

川端 今後については、全く面白くない回答で申し訳ないのですが…今までどおりの制作方針でやっていけたらと思います。いつものように興味のあるものを取り入れつつ新しいことができないか模索していくつもりです。常に変わっていくことを維持していきたいです。


《Osmantus gigas》2019年

展示風景

—–


川端が展覧会のタイトルに選んだ「その日を摘む」は、古代ローマの詩人ホラティウスによる『カルミナ(Carmina: 頌歌)』第1巻第11歌の最後にあらわれる有名な一節からとられたものである。

carpe diem quam minimum credula postero.
… その日(いま)を摘め、明日(未来)はなるべく信用せずに。

対照的に扱われることの多い「メメント・モリ(memento mori : 死を想え/忘れるな)」は、西欧キリスト教社会における禁欲と懺悔による謙虚さや慎ましさに裏打ちされたことばとなって今に伝わるが(もともとは古代ローマ軍の凱旋式にまつわることばのようだ)、「カルペ・ディエム」は、明日どうなるか判らぬ我が身を案じるのではなく、その日ごと楽しく過ごすよう促すことばとして人口に膾炙する。ただ、享楽的かつ刹那的な生きざまを煽るものではないようだ。戦乱続く古代ローマ帝国で、実際に戦にも赴いたことのあるホラティウスが、さまざまな苦難を経てあるいま、すなわち人生を肯定的に生きようと歌いあげた詩句であるらしい。
川端は「カルペ・ディエム」から命令形を取り去り、一人称のつぶやきのように「その日を摘む」と綴った。「摘む」はささやかに恵みを受け取る「私」の謙虚な所作を想起させる。ここで想定される「私」とは、むろん造形作家としての川端自身であり、また形をなしてこの世にうまれた作品たちであるともいえるだろう。
動物なのか植物なのか判然としない、謎のいきもの。いやむしろ動/植物へと分かれる以前の原始的な生命体−−例えば菌類のような−−を思わせるものが、川端の作品には多い。派手にアピールしたり突然襲いかかって来たりはしない。しかしその内には、確かに生命がさざめいている。そんな印象を受けるものばかりだ。そしてそれらは、木や紙、針金、樹脂などさまざまな素材によって形作られている。私などは、手練手管を尽くして進化の筋道をさぐろうと生を模索する、かれらのありようを妄想してしまう。
川端の個展のため『福沢一郎記念館ニュース』に山内隆さん(女子美術大学教授)がお寄せくださった文章には、学生時代の川端の制作に関する、興味深いエピソードが含まれている。大学3年の時、川端は木彫の課題で心臓を、さらには喉仏を掘り出したという。特に前者は、彫り進めるうち樟の内部の湿りけを感じ、素材となる以前の木の生命を感じたそうだ。動物の生命の象徴ともいうべき心臓を彫りながら、香気とともにたちのぼる植物のかつての息吹にふれるという体験は、やはり作家にとって制作の方向を確かめる大きな道標となっただろうと想像する。
いま作家は「持ち合わせている知識と技術を使って何ができるのかを実験」しながら、生命のかたちを追い求めているという。そのきっかけは生物の学名や未知の素材との出会いであったり、ふと自分の内に沸き起こる形態への興味であったりと、さまざまだ。日々外的・内的変化に晒されながら進化をつづける生命は、川端の場合、無限の可能性を秘めた未分化の状態がふさわしい。制作を「自己複製」であると定義する作家とその作品は、やや逆説的であるかもしれないが、これからも未分化の状態を保ったまま進化し続けるのだろう。

コロナ禍のもとで苦労の多かった今回の展覧会は、予想に反して多くの来館者があり、皆さんは川端の作品との対話、そして作家との対話も存分に楽しんだ。福沢一郎のアトリエに、まるでずっと昔から在ったかのようなふりをして居座った作品たちに、多くの来館者が親しみを感じ、時間と空間を共有することに言いしれぬ居心地の良さを感じたそうだ(むろん私もそのひとりだが)。
未分化である≒ナニモノか判然としないからこそ、川端の作品とともに「いま・ここに在る」楽しさ、居心地のよさは醸し出されるのかもしれない。私たちの内でさまざまに変異を遂げ、謎めいた解釈となって脳内に棲み着いてしまう。そんなかれらのしたたかささえ、私などは妄想してしまう。
日々の恵みをささやかに摘み取りながらささやかに変貌してゆく、川端の制作とその作品のありようを、これからも追い続けてみたい。(伊藤佳之)


【展覧会】「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」会場風景+作品とことばたち

2021年春-夏の展覧会 「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」 の会場風景と、ご来館くださったみなさまが作品から紡いでくださったことばたちをご紹介します。

今回の展覧会は、当館所蔵作品の中から選りすぐりを展示し、解説パネルやキャプションを設置せず、ご来館くださったみなさまに、自由に作品をみていただこうという趣旨のもと開催しました。また、作品をみて感じたことや考えたことなどを、ふせんに書いて、アトリエ中央のテーブルに貼り付けていただき、たくさんのことばをみなさまと共有できるようにしました。

こうした試みは初めてのことで、どんなご感想をいただけるのか正直不安に思っていましたが、ことのほか楽しんでいただけた方が多く、テーブルの上はたくさんのふせんで埋め尽くされました。

これらの、作品にお寄せいただいたことばたちは、このページ下のリンクから各作品ごとにごらんいただけます。

きくて生命力の強そうな花は、福沢の描く人間像に似た存在感を放ちます。また壺の絵は、おそらくは古代ギリシャの壺をヒントにしていると思われますが、モティーフはエジプト壁画、イランの建築レリーフ、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画、そして卑弥呼など、じつに多彩です。彼がその都度想像をふくらませ、独自の世界をつくりあげようとしていたことがわかります。

階段下の展示ケースには、ちょっと不思議な雰囲気のあるスケッチや挿絵などを展示し、こちらもことばをお寄せいただけるようにしました。


大きさも年代も、絵画表現じたいもじつに多彩な作品が並んだ今回の展覧会。作品を選んだポイントは、ただただ「見た目の面白さ」だったのですが、そんな単純な意図をこえて、とても豊かなことばをみなさまが生み出してくださったのは、みなさまの豊かな想像力と、福沢一郎作品の懐の深さゆえだと感じています。

興味深かったのは、ちいさなスケッチも大きな油絵も、同じようにたくさんのことばが紡がれたことです。ふだんあまり日の目を見ないささやかなものたちが持つ力を、改めて知ることができました。

   *   *   *   *   *

では、ご来館のみなさまが紡いでくださったことばたちとともに、作品のちょっとした解説を、お楽しみいただきましょう。以下の画像をクリックすると、その作品からうまれたことばたちのページにジャンプします。

【展覧会】所蔵作品選 絵からうまれることばたち 6/24 – 7/10


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、展覧会「所蔵作品選 絵からうまれることばたち」を開催いたします。

福沢一郎は、自らの制作や個々の作品についてたびたびコメントしていますが、作品を受け取る側=鑑賞者の自由な解釈も尊重していました。実際、福沢の絵画は過度な説明的描写がなく、さまざまな解釈が可能なものばかりです。
 では、わたしたちはどこまで、福沢の絵画世界を自由に解釈し、想像をふくらませることができるでしょう? 今回は、制作年も技法も大きさも違う作品をランダムに選び、タイトルや制作年等を明記せずに展示しました。これらの作品の中でどんなことが起こっているでしょう? どんな印象を受けるでしょう? どんな疑問がわいてくるでしょう? そんな作品との対話のなかから、たくさんのことばが紡ぎ出されてくると思います。それこそが、今回の展覧会のテーマです。
 みなさんのことばを共有するための、ちょっとした仕掛けも準備しています。また、自分だけの解釈でじっくり絵画の世界を楽しみたい!という方も大歓迎です。ぜひおでかけください。

この作品のなかで、どんなことが起こっているでしょうか?

会 期:6月24日(木)―7月10日(土)の
    木・金・土曜日 12:00 -17:00(入館は16:30まで)
観覧料:300円


※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。


【イベント情報】
午後の/夜のおしゃべり鑑賞会オンライン
6月27日(日)14:00〜15:00
7月2日(金)20:00〜21:00
7月3日(土)14:00〜15:00
7月10日(土)20:00〜21:00
詳しくは こちらのページ をごらんください。

【展覧会】福沢一郎 ギリシャ神話をえがく 10/22 – 11/14


このたび、福沢一郎記念館(世田谷)では、 秋の展覧会「福沢一郎 ギリシャ神話をえがく」を開催いたします。
1970(昭和45)年、ギリシャ旅行に出掛けた福沢は、以後ギリシャ神話を題材にした作品を何度も描くようになります。特に奔放な生と愛欲の象徴である「牧神とニンフ」は人間の根源……愚かしくもたくましく生きる人の性……を示すものとして好み、晩年までくりかえし描きました。80年代に入ると、神々にまつわる説話をもとにしながらも、その説明に過ぎることなく、あくまで人間のすがたを追い求めた作品を多く制作しました。
今回は、当館所蔵作品・資料の中から、ギリシャ神話にまつわる福沢作品を展示し、その表現の豊かさをご紹介します。

《踊る》1992年 アクリル・キャンバス 72.7×60.6cm
 

◯出品予定作品
・《ピュグマリオン》1991年 アクリル・キャンバス 72.7×60.6cm
・《海神ポセイドン》1986年 リトグラフ・紙 38.0×50.0cm
・《牧神の午後》制作年不明 コンテ、墨・紙 48.7×36.7cm
・《『ユリシイズ』より へどろばらんこ》1975年 エッチング、ドライポイント・紙 29.5×35.5cm
その他(いずれも当館蔵)

会 期:10月22日(木)―11月14日(土)の木・金・土曜日
12:00 -17:00
観覧料 300円
※ 新型コロナウィルス感染拡大防止のため、ご来館時にはマスクをご着用ください。みなさまのご協力をお願いいたします。 

 

【展覧会】PROJECT dnF 第7回 中里葵「Repetition」アーティストコメント

中里葵 アーティストコメント … 往復メールから

2019年11月〜12月
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


ーーーーーーー
中里葵(なかざと・あおい)
1993年、埼玉県生まれ。2016年、女子美術大学洋画専攻卒業、女子美術大学美術館賞、加藤成之記念賞。2018年、女子美術大学大学院版画領域専攻修了(福沢一郎賞)。
主なグループ展・公募展出品歴: 「第6回山本鼎版画大賞展」(入選)上田市立美術館(2015年)/「EXIST Vol.11」JINEN GALLERY、「街の構図展」フリュウ・ギャラリー、「第52回神奈川県美術展」(横浜/かながわ賞)、「第5回FEI PRINT AWARD」入選 「第84回日本版画協会版画展」入選(賞候補)、「DAWN OF YOUTH」Kato Art Duo(シンガポール)、「ブレラ国立美術学院・女子美術大学交流作品展」(以上2016年)/「PICK UP THE PIECIES 2017」JINEN GALLERY、「スクエア ザ・ダブルVol.11」フリュウ・ギャラリー、「日本版画協会第84回版画展 画廊選抜展」養清堂画廊(以上2017年)
ーーーーーーー



初の個展/制作について(1)

—- 今回、当館での展示が初の個展だそうですね。展示してみて、率直な感想をお聞かせください。

中里 初めての個展を福沢一郎記念館でさせていただけたことにとても感謝しております。
最初は自分の作品だけで空間が埋められるのか不安でしたが、伊藤さんや記念館の皆様のおかげでなんとか展示することができ、ほっとしています。

—- 今回の出品作のほとんどが、中里さんの制作の重要なモティーフである「団地」で占められていますね。特に福沢のアトリエ内、象徴的な青森ヒバの壁に、大作が並んだのは壮観でした。これらの作品はいずれも90cm角くらいの正方形ですが、この寸法と比率にしているのは何か訳があるんでしょうか?

中里 この寸法と比率にしている訳は、お恥ずかしながら深い意味は何もありません…。
単純に既製品の版木とパネルのサイズが合ったので、このサイズ感になりました。
びっくりするくらい単純な理由で申し訳ないです。

—- いえ、大丈夫です(笑)。ただ正方形というプロポーションが、中里さんの制作テーマのひとつである「画一化する風景」を表現するに、なかなか効果的に働いているなあと思ったのです(図1)。意図せずそういう結果になったのは面白いですね。展示の工夫のしがいもありますし。今回も、縦にも横にも繋げられる…なんなら少しずらして…など、アレンジの可能性が多くて驚きました。こうした展示方法は今までも色々試して来られたのでしょうか?



図1 《画一化する風景9》 2017年 水性木版・紙 91.0×91.0cm

中里 自分でも正方形という形に助けられているな、と感じる時はよくあります。
展示方法は、修了制作として展示する時は4枚のパネルを連結して大きな正方形にしたり、階段のような形にしたこともありました。
少しずらして縦に連結するというのは今回の展示が初めてで、ずっとやってみたいと思っていたので実現できてよかったです。
今までのグループ展では他の作家さんとの兼ね合いもあったので、今回の個展で自分の頭の中にあったことをとことん出来たのはとても幸せなことでした。




画一化する風景

—- 当館の展示が新たな試みの場になったなら、何よりです。
  それにしても、団地の建物を真っ正面から捉えると、こんなに面白い表現になるのかと、最初拝見したときは驚きました。団地をモチーフとした制作は、いつ頃から、どんなきっかけで始められたのでしょう?

中里 団地を作品にし始めたのは大学4年の頃です。
大学3年の頃から自分の興味のあるものや好きなものだけを作品にするのではなく、もっと広く社会に目を向けて作品を作ろう、と指導を受けてきました。
その中で私は自分の生まれ育った「郊外」という場所に着目して作品を制作できないかと模索していました。
ショッピングモールやファミレスなど、全国どこに行っても同じものが手に入るというのはとても便利でありがたいことですが、同時に地域と人々の個性が無くなるような、そんな違和感も抱いていました。
その「違和感」をどのように作品にしようかと考えていたら、帰りのバスの中からたまたま団地の窓の明かりが見えて、これを作品にしよう、と思い立ちました。



—- その最初の作品が、今回出品なさった《standardization》(2016年)ですね(図2)。同じようなかたちをした団地のベランダが並んでいますが、窓の明かりの違いが、そこに住む人たちの存在、つまり個性をじわりと感じさせるような作品です。やはり思い入れの強い作品なのでしょうね。



図2 展示風景 右の作品が《standardization》 2016年 水性木版・紙 61.6×91.5cm

中里 最初の作品はもう世間に出すことはないだろうと思っていたのですが、せっかく福沢一郎記念館で個展の機会をいただけたのでシリーズのきっかけとなった作品も展示してみるか、と思って引っ張り出してきました。
この時は団地という規格化された中の個性みたいなものを描いていましたが、そこからどんどん画一的、無個性などをキーワードに制作していきました。

—- おっしゃるとおり、最近作はその無個性、画一化というテーマが、ますます研ぎ澄まされてきていますね。《画一化する風景23》(2018年)などは、もう抽象画のようです。しかもモノクロのとてもストイックな造形ですね(図3)。

中里 画一化、無個性ということを主張する時に別に団地である必要もないのかなと思い、抽象画のようになりました。
抽象画のようになったからこそ、パネルを連結して正方形や長方形、階段式など様々な形で遊ぶような展示ができるようになったのかもしれません。



図3 《画一化する風景》 2018年 水性木版・紙 各91.0×91.0cm(2点組での展示)



制作について(2)

—- なるほど。意味を削ぎ落としていった結果、このようなシンプルな造形に至ったというわけですね。でも、とてもかっちりしている印象があるいっぽうで、木版独得の柔らかさや、刷りのあじわいがあって、ある意味ミスマッチといいますか…。まあ、こういうテーマ・造形を、他の技法で…例えばシルクスクリーンなどでやろうとすると、かなり印象が変わってくるでしょうね。やはり木版にこだわって制作なさっているのでしょうか? そうだとすれば、その理由はどんなところにあるでしょう?

中里 木版にこだわっている理由というのは特にないのですが、ただ単純に木版の素材が私の肌に合っていたのかもしれません。
私はひたすら同じ形を彫っているのですが、その行為の繰り返しが「無」になれるといいますか、自分にとっては大切な時間なのかもしれません。

—- 中里さんが、本格的に木版画の制作をしようと思い立ったきっかけは、どんなものだったのでしょうか。

中里 本格的に木版画の制作をしようと思ったのは、銅版やリトグラフなど色々な版種を体験して木版はもう一度やったら次はもう少し上手くできるかもしれない、と思ったからです。
私は水性木版なので試しやちょっとした実験みたいなことがしやすかったというのもきっかけかもしれません。

—- 団地の制作に至るまでには、どんなモティーフを扱ってこられたのでしょう?

中里 団地の制作に至るまでは 全国どこに行っても同じ商品が手に入るという部分に興味があって、先ほど例に挙げた ファミレスやコンビニ、ショッピングモールなどをモチーフにしていました。
これらのモチーフは1枚の絵で画一化や無個性といったことを主張するのが難しく、またシリーズとして制作したいな、と思っています。


これからの制作

—- 今挙げていただいた、ファミレスやコンビニなどのほかに、無個性や画一化というテーマをもって取り組んでみたいモティーフはありますか? あるいは、無個性・画一化というテーマ以外に、何か取り組んでみたいテーマはあるでしょうか?

中里 今興味があるモティーフは高速道路やパーキングエリアなどです。高速道路はずっと同じ道で左右が高い壁で囲われていて今どこに自分がいるのか分からなくなる感覚があります。 そのようなところから地域性が無くなるとか、画一化みたいなことを言えたらと思っています。
また、無個性・画一化というテーマと並行して版画の特質である複数性とか間接性などそういった版画の機能についてじっくり考えて作品にも取り込んでいきたいと思っています。



—- 「無個性・画一化」と「複数性・間接性」とが綿密に織り込まれたとき、どんな作品ができるのか楽しみです。
 ちょっと話題は変わりますが、無個性・画一化という問題は、産業革命による大量生産に端を発する規格化、公的教育の普及、マスコミュニケーションの発達、そしてデジタル化社会というふうに、近代から現代へとつづく人間をとりまく環境を語るとき欠かせないことであるように思います。
 中里さんはこうしたテーマを意識的に取り上げて作品に反映させているので、社会的課題としての無個性・画一化に対し、どんな考え、思いをもっているのか、ぜひ教えてください。

中里 社会的課題としての「無個性・画一化」に対して私自身は肯定でも否定的な立場でもありません。
きっと時代が変化していく上で無個性・画一化というのは必然だったのだと思います。
でも物事には何でも良い面と悪い面があるように、無個性・画一化によって失われるものもあると思います。
自分が制作したもので「無個性・画一化」について何かを考えてくれる人がいてくれたら…と思っています。






訥々と、じっくり言葉を選びながら語る作家のことばの印象は、対面して話すときも、往復メールでの対話のときも、ほとんど変わらない。何事にも誠実に向き合う作家の個性がそのまま、ことばにもあらわれているようだ。
制作にもその人間性がそのまま反映…などと簡単に言ってしまうのはもったいない。確かに制作への地道で誠実な取り組みのうえに、あのおびただしい数の扉やベランダが並ぶ鮮烈でソリッドな魅力をもった作品が成り立っていることは間違いない。しかしただ誠実を貫くだけでは、団地のファサードというモティーフと、制作のテーマ、そして制作技法をここまで強力に結びつけることはできないだろう。
「画一化する風景」というテーマで制作を続けてきた作家が今回選んだ個展タイトルは「Repetition(反復)」。同じことを繰り返すだけなら、それは画一化された所作そのものといえる。しかしある所作とそれによって生まれたナニモノかは、反復すればするほど、次第にずれ、ありようを変えていくものだ。反復とは差異のはじまりでもある。作家が用いる水性木版という技法じたい、そうした宿命を負っている。同質・同型のイメージを複製する技術としての版画でありながら、差異を孕むことを余儀なくされているのだ。
画面のなかでずらずらと並ぶ団地のベランダは、画一化されたかたちを保持しつつ、水性木版特有の刷りムラや濃淡によって画一化・パターン化に抵抗し、われわれの眼前に広がる風景が決してひととおりではないと主張する。均質化と個のゆらぎを内包し、じりじりと発熱する。そんなところが中里の制作の魅力と私は考えている。作家はこのテーマについて強く主張することはない。ただ眼前のありようを、自分らしく誠実にあらわしているだけなのだろう。しかしそれだけに、二律背反する社会の事象への批判的な精神が、実は作家の奥底で、じりじりと発熱しているのではないか。そんな妄想を私などはかき立てられてしまう。
作家自身も気付いていない熱量が、埋み火のように作品のむこうで息づく。それがいつか、大きな炎のように燃えさかる日が来るかもしれない。(伊藤佳之)


ーーーーーーー

※この記事は、展覧会終了後、ききてと作家との間で交わされた往復メールを編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観