【展覧会】PROJECT dnF 第4回 寺井絢香「どこかに行く」作家インタビュー

寺井絢香 インタビュー

2016年10月29日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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寺井絢香(てらい・あやか)
1989年生まれ。2008年、多摩美術大学絵画学科油画専攻入学。2010年、個展「humanité lab vol.34 寺井絢香展-zokuzoku-」(ギャルリー東京ユマニテ)開催。2011年、グループ展「FIELD OF NOW -新人力-」(銀座洋協ホール)/「ユマニテコレクション −若手作家を中心に」(ギャルリー東京ユマニテ)/「画廊からの発言 ’11 小品展 チャリティーオークション」(ギャラリーなつか)。2012年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2013年、グループ展「“開発も” 新世代への視点」(ギャラリーなつか)。2015年 個展「寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「PAPER DRAWINGS」(ギャラリーなつか)。2016年、個展「新世代への視点2016 寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「現代万葉集」(ギャラリーなつか)。

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1 この展覧会と新作について

—- 展覧会のタイトル「どこかに行く」は、作品のタイトルなんですよね。

寺井 はい、窓のところに並んでいる、真ん中の作品です(図1)。あれはパリに行ったときの空を思い出しながら描きました。

—- このことばを展覧会のタイトルにしたのは、どういう思いからなんでしょう。

寺井 私は、絵を日記のように…というか、記録のように描くことが多いので。旅の印象とか思い出とか。今回、展示のお話をいただいたとき、そういうものを集めたら、自由な感じで、いい展示にできるんじゃないかと思って。ただ「旅」よりも、しっくりくることばが「どこかに行く」だったんです。

—- いろいろな場所の印象、思い出が、ここに集まっているんですね。

寺井 クロアチア、モンテネグロ、パリ、タイのアユタヤ遺跡、そして韮崎のヒマワリ畑。あんまり統一感はないですが(笑)。

—- そして今回の展示のために、新作を作ってくださったんですね(図2)。

寺井 はい。この展覧会の話をいただいたときに、今まで発表したことのない、一番大きな作品を出品してみたらどうか、と言ってくださって、いいなあと思ったんですが、測ってみたら壁におさまらないことが判って。どうしようかと思いましたが、せっかくだから新作を描くことにしました。これはクロアチアを旅したときに見た風景がもとになっています。ドゥブロヴニクという城壁の街の、たしか城壁の上から山のほうを見た風景だと思います。


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図1 《どこかに行く》 2014年 30.0×30.0cm


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図2 《ディナーの始まる頃に》 2016年 243.0×366.0cm

—- こういう話を聞いていると、なんというか、ふつうの旅の風景を描いた絵みたいですが、いやいや、違うんですよね。至るところにマッチのかたちが…。

寺井 建物の屋根とか、山とか。同じ街の城壁を描いたものが、階段のところにあります。小さい絵ですけど。

—- これも城壁の石が、マッチ棒の頭でできていると。西側の壁にはヒマワリの絵が4つ(図3)、これも種のところがマッチ…。

寺井 この夏に、お友達に勧められて、韮崎のヒマワリ畑に行ってきたんです。この大きな新作に取りかかる直前で、時間もないし、どうしようかな…と思ったんですが、やっぱり描いておかなきゃと思って。

—- じゃあ、ヒマワリの絵を4つ描いたあとで、この大きな新作を?

寺井 はい。


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図3 西側壁面の、ヒマワリを描いた作品4点。左手前は《とある冷たい日》2014年。

—- 新作を描くのにどのくらいかかりました?

寺井 だいたい3週間くらいですね。

—- けっこう早いですねえ。

寺井 そうですか? 自分ではそんなに早いとは…あんまり細かく描いてないんで(笑)。まあ、体力は使いましたけど。私、集中力があまり長く続かないので、短期集中で(笑)。

—- この展示のためにがんばってくださって、ありがたいです。いかがですか、今回の展示の率直な感想は。

寺井 なんだか、絵が喜んでる気がします。

—- そうですか?

寺井 はい、ここは福沢一郎さんが使っていたアトリエなので、お家みたいな雰囲気がありますよね。だから、絵もリラックスしているというか…そんな印象です。

—- 展示をする上でこだわったポイントは?

寺井 きっちり並べるというよりは、ちょっとごちゃごちゃした感じの展示にしようかなと思いました。せっかくこういう場所なので、今までやったことがない展示を目指しました。結果、まあ、なんとか形になったので、安心しました(笑)。


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2 マッチのある風景

—- 今回の出品作は、すべて油絵具で描かれたものですね。

寺井 はい。ヒマワリの絵と《アドリアの海》はキャンバスですが、ほかは全部ベニヤで作ったパネルに描いています。

—- 油絵具へのこだわりはありますか?

寺井 特にこだわっているわけではないですが、例えばアクリル絵具だと、乾くのが早いじゃないですか。私、あんまり早く乾くと描きづらいことが多いんです。むしろ絵具が乾ききらないところで、その上に描いていく。

—- 下の層の絵具まで、ぐいっと持っていくことで、できる線とか色とかが、わりと大事なんですね。

寺井 そうかもしれません。ただ紙の作品は、やっぱり油では合わないので、アクリル絵具を使って描きます。

—- 風景や植物の中で、どの部分をマッチのかたちで描くかは、どんなふうに決めるんですか。

寺井 ものや風景を見た瞬間に、あ、これマッチ(のかたち)で描きたい!って思うこともありますし、絵を描きながら、ここはマッチになるかな…と思ってそうすることもあります。例えばこの新作は、まず屋根をマッチで描きたいと思って、そこから始まりました。ああ、韓国の(家々の)屋根も描きたかったんですけど、今回は時間的に間に合わなくて…。ほかにもウィーンとかドイツの街とか…。

—- そういう、行ったことがあっても、まだ絵になっていないところはまだあるわけですね。国内でもそういうところはあるんですか?

寺井 国内は…この間ギャラリーなつかで個展を開いたときは、京都の苔寺の風景を描きました。でも、国内はいろいろなところへ行ってるわりには、あまり作品にはなっていないかもしれません。苔寺も、苔をマッチ(のかたち)で描きたいと思ったから行ったんです。

—- なるほど。まずマッチで描きたい!が来たわけですね。今回の個展のように、旅の風景や印象を描いた作品の場合は、マッチのかたちは自由自在に変化していますよね。その中でも、《とある冷たい日》という作品(図4)は、他のものとちょっと印象が違うように思います。

寺井 これは、パリに行ったときの印象を描いたものです。確か卒業して最初に行った海外旅行です。私、学生時代はアトリエにこもりっきりで、本当にアトリエと家との往復みたいな生活で…もっと学割とか使って、旅しておくんだったなあと思いますけど(笑)。で、行ったのがちょうど3月で、1か月くらい行ってたんですが、けっこう曇っていて、グレーなイメージで。特にこう描こう!と思ってこうなったのではなくて、こういう国だったというか…本当に写真も見ずにイメージだけで描いた作品です。



図4 《とある冷たい日》 2014年 162.0×130.3cm

—- 3月くらいのパリのどんよりした空は、やっぱり特徴的ですよね。

寺井 あとは、パリは日本と違って…日本はなんだか、堅いイメージがあるなあと思って。

—- 海外に行って、改めて日本を考えたときに?

寺井  そう。アートが、国とか街の至る処に溢れている感じだし、街じたいがアートみたいな。ルーブル美術館で子供たちが走っているし。ダ・ヴィンチの作品の前で。アートがあるのが当たり前、というか…うまく言葉に出来ないですけど。そういう日本との違いを感じたんですよね。

—- はい。

寺井  で、私はそれまで、かっちり描かなきゃいけない、みたいなふうに思っていたんですけど、そうじゃなくても…柔らかいというか、言葉は悪いですけど、雑…でもいいかなって、そんなふうに思って描いた記憶があります。

—- それまで、自分の絵はこうじゃなきゃ、と思い込んでいたことを取っ払うみたいな?

寺井  うーん…それまでは、一枚の絵をかっちり完成させなきゃいけないと思っていたんですけど、そうじゃなくてもいいかな、と。自分が描きたいと思うところが描けていれば、それでいいかなって…(逆に)かっちりさせたくないって思いましたね。

—- そんなお話をうかがうと、《とある冷たい日》は、けっこう大事な意味をもつ作品なのかもしれませんね。

寺井  そうですね。言われてみれば。


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3 なぜ「マッチ」なのか

—- いつも尋ねられることだと思うんですが…そもそも、なぜマッチなのか。モティーフとしてマッチ棒を描くようになったきっかけを、教えていただけますか。

寺井 大学2年のときに、「1週間自分で決めた何かをやり続けて、そこから得たものをタブローとして描く」という、授業の課題があったんです。いやだなあ…と(笑)。で、自分で簡単にできるようなものにしようと思ったんですね。私は当時から一人暮らしだったので、家に帰っても話し相手もいないし…何となく、そのあたりにあるいろんなものに話しかけてたんです。まあ、独り言なんですけど(笑)。じゃあ、そうやって、ものに話しかけるのを意識的にやってみようと思って、ビデオでずっと記録したんです。

—- 1週間?

寺井 はい。毎日違うものなんですけど。掃除機とかコンセントとか。その、話しかけたものの中にたまたまマッチ箱があったんです。私、集合体みたいなものが好きで…虫以外は(笑)。マッチって、一本だけでいることって、あまりないじゃないですか。たいてい箱とかに入っている…そんなマッチ棒が、箱の中で会話しているような、そんな気がしたんです。例えば私がでかけたあと、私の悪口言ってるみたいな。「まったく、もうちょっと部屋片付けていきなよ」「そうだそうだ」とか。

—- へええ。

寺井 マッチ棒って、個性がないようで、個性があるんですよね、よく見ると。そんなところに面白みを感じて、課題では擬人化されたようなマッチを描きました。それが意識して描いた最初のマッチですね。それ以来ずっと…。何だか、話としてはつまんないですね(笑)。

—- いやいや(笑)。ひとくちにマッチといっても、寺井さんの作品の中にあらわれるマッチのかたちは、さまざまですよね。時期的な違いもあれば、別のスタイルが同時並行的にあらわれることもある。

寺井 そうですね。初めは擬人化というか、感情を表したりしていましたが、だんだん動物や植物のかたちになることもあって、自然と変化していった感じです。そういうマッチはくねくねしてたりしますが、一度そういう変化をさせないで描こうと思って作った「アリノママッチ」っていうシリーズ(図5)があります。曲げない、折らない。ありのままのマッチのかたちを重ねたり、密集させたりして描きました。

—- 最近の紙のお仕事でも、マッチの頭の密集だけで描いているものがありますね。こういうものと、風景の中でうねるようなマッチを描くのと、何か心持ちの中で違いはあるんでしょうか。

寺井 うーん、こっち(密集しているほう)が、かたちがとりやすいですね。あとは、マッチの存在が近い気がします。でも、風景の中にいるマッチのほうが、発散している気がしますね。

—- マッチが?

寺井 はい。活き活きしてる…というのともちょっと違うんですが…何て言えばいいか…。うまく言葉にできないですが、そんな感じです(笑)。


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図5 「アリノママッチ」シリーズ 2014年 14.8×21.0cm


4 描き続けること

—- そういえば、寺井さんの作品は、福沢一郎の作品と一緒に展覧会に出品されたことがあるんですよね。豊橋市立美術博物館の企画展で(1)。

寺井 はい、私は忘れていたんですが、記念館に来た父が気がついて。

—- このとき出品されたのは、マッチ棒じゃない絵ですよね。

寺井 このとき出品されたのはまだ学生のとき描いたもので、卵とかちくわとかたけのことか、そういうものを色鉛筆で描いた作品です。ギャルリー東京ユマニテで個展を開かせていただいたときに(2)、その出品作を、コレクターの方が買ってくださったんです。で、「おでんシリーズ」にしたいから、こんにゃくがほしい!と。

—- 「おでんシリーズ」!

寺井 でも、こんにゃくの作品はその前に売れてしまっていたんです。そのあと、また描いてほしいと頼まれたんですが、結局描けていなくて…。で、そのとき買ってくださった作品が、福沢さんと同じ展覧会に…。

—– こんなところでもご縁があったんですねえ。なんだかうれしいです。ギャルリー東京ユマニテでの個展以降は、発表なさる作品はだいたいマッチが登場しますね。

寺井 そうですね。それ以降はマッチの作品以外は発表していないです。


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—- ひとつのモティーフを延々と描き続ける、作り続けると聞くと、例えば耳の三木富雄さん、ドットや網目の草間彌生さんなどを思い出します。こういう人々は、たいてい、オブセッション、つまり何らかの強迫観念に突き動かされて描く、かたちづくるというふうに説明されることが多いようです。「マッチばかり描く」ということばだけ聞くと、私などは、そういう印象をまず持ってしまいます。でも、実際寺井さんのマッチを描いた絵を観ると、何かしらに追いまくられているような、切羽詰まった感じはしないですね。もっとおおらかな、ゆるい感じがします。

寺井 自分でも、そんなに切迫感みたいなことは、感じてはいないと思います。もっとこう…いつも近くにあるもの、みたいな。自分のまわりに作品があって、いつも観ていられるのがいいですね。

—- じゃあ、福沢一郎みたいにいいアトリエをつくらなきゃいけませんね。

寺井 できるんですかねえ…(笑)。

—- 今まで制作につまづいたり、行き詰まったりしたことはあるんでしょうか。

寺井 悩んだ時期はありました。マッチを絵にすると、なんだか、パターンというか、デザインみたいになるんですよね。それを絵画として成り立たせるにはどうすればいいのか、いろいろ考えました。その結果、あまりマッチだけというふうにこだわらないようにしたんです。背景に何が来てもいいし、別のものが入ってもかまわない。卒業制作の《フィナーレ》(図6)は、そんなふうに吹っ切れたところで描いた作品です。

—- 「五美大展」でもけっこう話題になったそうですね。


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図6 《フィナーレ》 2012年 243.0×366.0cm

寺井 いちばん辛かったのは、大学を卒業してすぐくらいの頃ですね。いつも大学で絵を描ける環境にあったのが、自宅で描かなければいけなくなって、そんなに大きなものも描けなくなり…。このままやっていけるのかどうか、悩みました。

—- でも描くのはやめなかった。

寺井 そうですね。どんな小さなものでも、できるだけ毎日描いていました。体力が続かないときはありましたけど。なんだか、絵を描くことが、日記みたいなものだと思えるようになったんです。

—- それが今につながっているということですね。では最後に、これから自分が目指す制作について、教えてください。

寺井 そうですね…。私の絵を見た人が元気になってくれたり…別に絵や美術に興味を持ってくれなくてもいいんですけど、何か今までと違うことを始めるきっかけになるような、そんな絵を描けたらいいなと思っています。

—- なんだか壮大ですね(笑)。でもそのためには、たくさんの人に観てもらわなきゃ。もっと描いて、発表の機会をつくって…。

寺井 はい。行動で示していければと思います! そのためには、自分がもっとエネルギッシュでいなきゃいけないですね。

—- 近々、また旅に出かける予定がおありだとか。

寺井 この年末に、メキシコに行きます。

—- 福沢一郎も旅したメキシコ。そこでまた、いろいろなものを吸収して、ご自分の世界をどんどん広げていっていただきたいです。楽しみにしています。


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10月29日(土)のギャラリー・トーク風景

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インタビュー記事でも触れているが、ある特定のモティーフやかたちを描き、作り続ける芸術家と聞けば、私はどちらかといえば神経質な作家のすがたを想像してしまう。そして作品も、のっぴきならない作家の精神を、細かな棘のように纏っているのではないかと身構えてしまう。
寺井が描く夥しいマッチの集合体には、しかし、視神経の奥底をちりちりと焼いたり、全身の毛をざわつかせたりするような、怖さがない。そして、旅の印象を描いた作品の中に描かれているマッチ棒は、過剰に自己主張したり、恐れおののき震えているのではない。くねったり渦巻いたり波打ったり、驚くほど自由に躍動しているのだ。
寺井の制作は、およそオブセッションとは縁遠いもののようだ。描く対象がマッチ棒の集合体に変換されるプロセスは、おそらく、凝視によってじわじわと染み出したり、背後から覆い被さるように迫り来るのではなく、傍にある親しいかたち、すなわちマッチとの対話によって導かれているのではないか。それが偶然の出会いによって始まったのだとしても、いま作家にとってマッチとともにあることは必然であり、絵画の中をともに旅する伴侶のような関係なのだろうと、私などは想像する。絵具の乾ききらぬうちに一気呵成にぐいぐいと描く力強さも、描くことへの迷いのなさ、つまり行き着く先をともに見つめる存在のなせる業なのかもしれない。
作家が毎日スマホで描く絵日記のようなデジタル画像には、たいてい、愛嬌のあるマッチ棒とともに、いつも笑顔の作家本人が描かれる。マッチ棒との近しい関係は、作家が描き続ける動機であり、作品の心棒でもある。互いに縛られない。押し込められない。この心地よい距離感が続くかぎり、寺井の作品のなかでマッチ棒たちは自由奔放に集まり、ひしめき、渦巻いて、新たな「どこか」を形作るだろう。
マッチ棒とともに続く寺井のはてしない旅のゆくえを、私はこれからも追い続け、楽しみたいと思う。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月29日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。
※図版のない画像は、すべて会場風景。


1 「F氏の絵画コレクション ~福沢一郎から奈良美智世代~」2012年7月28日〜8月26日、豊橋市美術博物館(愛知県豊橋市)
2 「humanité lab vol. 34 寺井絢香展 TERAI Ayaka “zokuzoku”」2010年9月13日〜18日、ギャルリー東京ユマニテ






メールマガジン第20号(2016年10月21日発行)

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福沢一郎記念館 メールマガジン No.20
FUKUZAWA Ichiro Memorial Museum
— Setagaya,Tokyo
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□■□   現在当館は開館中です   □■□
■□■ 現在の展示は11月2日までです ■□■

[1] PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展
[2] 「わたしの福沢一郎・再発見」第3回
[3] ココで観られる福沢一郎作品
[4] 賛助会員のお誘い

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[1]
□ PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展
 第4回 寺井絢香「どこかに行く」

昨年春からはじまった企画「PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞
作家展」は、歴代の「福沢一郎賞」受賞者の方々に当館の展示
スペース、つまり福沢一郎のアトリエを、個展会場として提供
し、制作・発表の機会としていただくものです。
今月12日(水)、女子美術大学大学院洋画専攻出身の広瀬美帆
(2000年受賞)による個展「わたしのまわりのカタチ」が終わ
り、本日より多摩美術大学油画専攻出身の寺井絢香(2012年受
賞)による個展「どこかに行く」がはじまります。

寺井は、マッチ棒をモティーフとして絵画を制作しています。
ただマッチ棒のかたちをそのまま描くだけでなく、時に雲、波、
風、屋根瓦、森、苔、そして人物など、さまざまなものをマッ
チ棒のかたちを借りて描き出しています。寺井にとってマッチ
棒はモティーフであるだけでなく、テーマでもあります。
今回は、画家自身が国内外を旅した印象をもとに描いた作品を
集め「どこかに行く」と題して展示をおこないます。パリの空、
アユタヤ遺跡、アドリア海の岸辺など、さまざまな風景のなか
にめくるめく、マッチ棒の世界。自由奔放で力強い作品の数々
を、どうぞお楽しみください。

 * * *

PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展 第4回
寺井絢香「どこかに行く」
10月21日(金)- 11月2日(水) 12:00 – 17:00
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション
 10月29日(土) 15:00 – 17:00

今年の「PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展」については、
↓こちら↓をご覧ください。
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/09/16/dnf_3hirose_4terai/

※ 9月30日(金)〜10月12日(水)まで個展を開催した広瀬
美帆のインタビュー記事を、ホームページにアップしました。
↓こちら↓もぜひどうぞ。
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/10/20/dnf3_hirose/

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[2]
□ 「わたしの福沢一郎・再発見」第3回
 染色アーティスト 大竹夏紀さんによる《原人のいぶき》

先月からはじまった新企画「わたしの福沢一郎・再発見」。
美術家・評論家のほか、いろいろな人々に、お気に入りの福沢
一郎作品について語っていただきます。
第3回は群馬県富岡市出身の染色アーティスト 大竹夏紀さんが、
富岡市立図書館所蔵の《原人のいぶき》1981年 について語り
ます。
大竹さんは「理想のアイドル像」をモティーフに色鮮やかな染
色絵画を制作し、近年めざましい活躍をみせています。今年は
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館で、地元初の大規模
な個展を開催しました。
そんな大竹さんが、幼い頃から慣れ親しんだ福沢作品の印象と、
地元ならではの思い入れについて、語ってくださいました。
ぜひお読みください。

「わたしの福沢一郎・再発見」第3回は、こちらから↓
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/10/18/myfukuz_003_otake/

来月も新たな記事を掲載予定。どうぞお楽しみに!

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[3]
□ ココで見られる福沢一郎作品
 《水瓜を持つ男》1955年 油彩・カンヴァス
  群馬県立近代美術館蔵
  @「日本におけるキュビスム−ピカソ・インパクト」
   鳥取県立博物館ほか

近現代日本の美術におけるキュビスム、そしてピカソの影響に
ついて真っ正面から取り組む意欲的な展覧会に、福沢の1955年
の作品《水瓜を持つ男》が出品されています。1951年に東京と
大阪で開催された大規模な「ピカソ展」以後あらわれた影響の
ひとつという位置づけです。
福沢は、1931年にパリから帰って以来、事あるごとにピカソの
制作や人物について言及してきました。あるときは彼を暴風に
たとえ、あるときは彼の作品を豊かで強いと評価しながらも、
「限界がある」と行き詰まりを指摘するなど、称賛と批判の入
り混じった発言が目立ちます。もちろん、そうしたことばが何
度もあらわれるのは、常に画家ピカソに注目していたからに他
なりません。
そして、1953〜54年の中南米旅行から帰った後、福沢は鮮やか
な色彩と力強い描線でデフォルメした人間像を多く描きます。
それらは、かの地で得た原初的な人間の生命力に惹かれたものと
いわれますが、自動筆記的に描かれた自由で太い輪郭線と、ステ
ンドグラスのような色彩の配置は、1930年代以降のピカソの作
品によく似たもののように思われます。《水瓜を持つ男》にも、
そうしたピカソ作品との類似がみられます。戦時中に失った力
強さを再び画面に取り戻す格闘のなかで、ピカソの再発見が、
福沢にとって大きな意味を持ったのかもしれません。
天才ピカソに反駁しながら惹かれた福沢一郎。その思いを最も
反映しているのは、このことばではないでしょうか。

「私達がピカソから啓示として受け取るものは、作品の模倣で
はないのだ。彼の反逆精神の体得だ。」
(福沢一郎「ピカソのグワッシュ クレヨン 石版画」『みづゑ』
 第554号 1951年10月) 

展覧会「日本におけるキュビスム−ピカソ・インパクト」は、
鳥取県立博物館にて11月13日(日)まで開催。以後巡回。
詳細はこちらから↓

http://site5.tori-info.co.jp/p/museum/exhibition/planning/40/

作品画像は、当館ホームページの「作品集」から。↓
https://fukuzmm.wordpress.com/works/

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[4]
□ 賛助会員のお誘い

一般財団法人福沢一郎記念美術財団では、その美術振興活動を
より広範囲に、積極的にすすめるために、賛助会員を募ってい
ます。
一人でも多くの方に参加していただくことで、若い美術家の顕
彰、美術研究への助成など財団の活動が充実しますので、どう
ぞよろしくお願いいたします。

◯賛助会員の区分と会費
(1) 一般会員 3,000円(年会費)
(2) 維持会員 30,000円(年会費)
(3) 特別会員 300,000円(永久会員)

◯特典
(1) 福沢一郎記念館入館料無料
(2) 福沢一郎記念館ニュース送付
(3) 記念館主催の催し物に優先的にご招待

◯会費のお振込先
●郵便局振替口座 00190-2-695591
 福沢一郎記念館
●りそな銀行 祖師谷支店 普通口座 1000201
 (一財) 福沢一郎記念美術財団

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福沢一郎記念館 メールマガジン No.20
2016年10月21日発行
編集・発行 一般財団法人 福沢一郎記念美術財団

福沢一郎記念館

【ホームページを移転しました】


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※配信停止を希望される場合はそのままご返送ください。
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【展覧会】PROJECT dnF 第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」作家インタビュー

広瀬美帆 インタビュー

2016年10月8日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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広瀬美帆(ひろせ・みほ)
1974年生まれ。1998年、女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻卒業(卒業制作賞) 、1999年、第8回奨学生美術展(佐藤美術館)。2000年、女子美術大学大学院美術研究科美術専攻修士課程美術研究科修了、福沢一郎賞。同年現代日本美術展に出品。2001年、文化庁芸術インターンシップ研修員。2005年、瞬生画廊にて個展。以後毎年同画廊にて個展を開催。2014年、横須賀美術館にて「平成26年度第1期所蔵品展 特集:広瀬美帆」開催。

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1 今回の展示について

—- ここ数年、毎年銀座で個展をなさっている広瀬さん、まずは今回の展示について率直な感想を…。

広瀬 今まで、画廊や美術館で展示をしたことはあったんですが、もちろん画家のアトリエでの展示は初めてです。天井が高くて、北側からの光がきれいに入って、いいですね。こんな場所で個展ができるなんて、とてもうれしいです。ここだと、家や画廊では大きく感じる作品が、ぜんぜん大きく感じない(笑)。でも、いろいろやりたいことが試せたかなと思います。

—- 具体的には?

広瀬 例えば、西側の白くて大きな壁(図1)。ただ横並びに展示するのはもったいないなあと思って、ランダムにばらばらと置いてみました。こういう展示のしかたは初めてなのですが、ちょっとやってみたい気持ちはあったんです。


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図1 展示室西側の壁

—- この壁の作品を位置決めするのがとても早くて、さすがだなあと思いました。

広瀬 そうですか? 感覚としては、絵の構図を決めるときと同じですね。この壁全体が画面みたいな捉え方で。

—- なるほど、納得です。壁じたいが絵だと考えると、そのなかにまた絵がいっぱいあって、「画中画」みたいで面白いですね。絵の構図を決めるときもわりと早く決まるものですか?

広瀬 それがそうでもなくて(笑)。さっと決まるものもあれば、ずいぶん考えることもあります。でも、あんまり苦心しているような絵には見せたくないので…ひそかに苦労していることもある、という感じです。



2 モティーフと制作

— 展覧会のタイトルについても、お話うかがってみましょう。「わたしのまわりのカタチ」は、シンプルですが、広瀬さんご自身の制作のポイントをよくあらわしていることばだと思います。

広瀬 はい、そのものずばりで。

—- そもそも、モティーフのかたちに興味があるのだと。モティーフそのもの、例えばお団子の味だとか食器への愛着とか、そういうモノの背景や思い出などは、はっきりいってあまり興味がないと。

広瀬 そうですね。かたちをどう捉えるか。私がどう見ているかがわかるような構図、切り取り方を、さきほどお話したように、かなり厳密にやるんです。

—- 例えば、《一匹ずつ鯛焼》(図2)は、鯛焼きを焼く型や、それをはさむペンチみたいなものは描かれていますが、人物は描かれていませんね。


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図2 《一匹ずつ鯛焼》2013年 油彩・マゾナイト F100

広瀬 自分が描きたいモティーフ以外のかたちが来るのは、違うと思っているんです。物語ができちゃったり、意味がついちゃうじゃないですか。そうすると、絵を観る人の思いとか考えとかと、違うものになってしまうかもしれない。例えば(鯛焼を)焼いている人がどんな人なのか、お客さんがいるのか、そういうものがわからないほうが、観る人が想像できると思うんですね。もっというと、背景に窓を描いたら、そこは部屋の中とか。そうすると、かたちそのものに眼がいかない。私が考える絵の意味が、半分になっちゃうんです。だったら別々に描けばいい。

—- 窓が描きたければ窓だけ描けばいいと。

広瀬 そうです。それならひとつひとつ意味を持つ。私の絵はそういうものだと思っていて、なるべく(モティーフを)省略することに心を砕いています。

—- そうした、おもしろい!と思ったモノのかたちは、どういうふうに記録しておくんですか。たとえばスケッチするとか。

広瀬 スケッチすることもありますし、雑誌の広告写真みたいなものを使うこともあります。例えば《一匹ずつ鯛焼》は、鯛焼き屋さんにお願いして、スケッチしたり写真を撮らせてもらったりしました。《マスクメロン3個入》(図3)は、広告の写真を使っています。桐の箱に入ったメロンですけど、例えばへたのリズムとか、工業的に作られたのではない、それぞれ個性のあるかたちが面白いなあと思いました。


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図3 《マスクメロン3個入》2016年 油彩・マゾナイト M20

—- ずいぶん前に発見したモノのかたちを、突然描いてみたくなることもあるんでしょうか。

広瀬 そういうこともたまにありますが、だいたいはそのときどきで、描きたいと思ったものを描きますね。

—- もうちょっと作品の描き方、技法についてお聞きしたいと思います。支持体はたいていの場合、マゾナイトという合板ですよね。そもそもこれをお使いになる理由は?

広瀬 大学生のときに、いろいろな支持体を試していて…私、油絵の具で描いてますけど、いわゆる油絵のベトっとした感じや、テカった感じよりも、日本画みたいなマットな感じが好きなんです。そういう感じを出しやすい表現を試行錯誤していて、板に下地を作って描くのがいいかなと。で、大学の先生に、こんなのがあるよ、保存にも適してるよ、と教えていただいたのが、マゾナイトだったんです。


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—- 保存のこと、あまり気にしない作家が多いですが、それはいいアドバイスでしたね。画材のことをもう少しお聞きします。油絵の具を主に使っていらっしゃいますが、他にも鉛筆など、けっこう細かいところで、いろいろ使っていらっしゃるように思います。《マスクメロン3個入》のメロンも、網目に鉛筆の線が使われていますよね。

広瀬 筆と絵の具じゃ出せないニュアンスが必要なときって、あるんです。例えば、グラファイトという、鉛筆の芯の大きいやつで背景を塗ったり、羊の毛を表現するときは(鉛筆で)ぐりぐりしたりしています。絵具の色のひとつのように捉えて使っています。

—- それにしても、どの作品も、背景がそれぞれ特徴的だなあと思います。

広瀬 背景は、実はけっこう作り込んでいるんですよ。色を何層も重ねたり、一度塗って拭き取ったりしながら作ります。モティーフとの関係を考えながら、当たり前の色じゃなくて…。

—- ああ、例えば《じんじん仁丹》(図3)とか、ピンクですよね!


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図3 《じんじん仁丹》 2011年 油彩・マゾナイト F4

広瀬 そうそう。あれがグレーとか茶色みたいな、オジサンのスーツの色だったら、なんだか普通じゃないですか。ああ、仁丹か、って。そうじゃなくて、もっとモティーフのかたちに目が行く色にしたいと思っているんです。え、こんなかたちだったっけ、面白い!みたいな。《マスクメロン3個入》も、メロンは桐の箱に入って、白い紙に包まれているんですけど、白・白の背景だと、ちょっとなあ…と思って。なんというか…三姉妹的な。

—- 三兄弟ではなく三姉妹!

広瀬 美人めの三姉妹みたいな(笑)。そんな雰囲気が出るような…かたちの面白さ、個性が出るような、そんな絵になればと思って描きました。

—- それにしても、この画面づくりは、残念ながら写真やデジタル画像ではなかなか再現できませんねえ。ちょっと損かもしれません。

広瀬 そうですね(笑)。展覧会のDMなど作っても、作品とぜんぜんちがうね!と言われることが多いです。

—- これはぜひ、実物を観ていただかねば…。私などは、広瀬さんの描くものに、いろいろ感じ入ってしまうんですよ。ビールうまそう!とか、メロン…メロンいいなあ…とか。食べ物ばかりで恐縮ですけど(笑)。たぶん、広瀬さんとモティーフとのほどよい距離感、いってみればあまり強く思い入れをつっこまない、フラットな関係というのが、我々の思い入れを受けとめる間口の広さ、奥行きの深さのもとになっているのかな、と私などは思うんです。

広瀬 そうかもしれません。先ほどもちょっと話しましたけど、私、観る人にゆだねちゃうんです。どうぞ好きに観てくださいって。観る人の想像が膨らめばいいかなと思っています。もちろん自分の感情や思い入れがぜんぜんないわけじゃないですけど、自由に感じてくれればそれが一番いいかなと。


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3 影響を受けた画家たち

—- ちょっと話題を変えまして…今まで影響を受けた画家について、お話をうかがいたいと思います。『タウンニュース 横須賀版』の2014年4月の記事で(1)、美大受験のための予備校に通っていらしたとき、フランスの画家ヴュイヤールを知ったことが書かれていました。

広瀬 はい。その頃、いろんな画家に影響を受けていたんです。それで先生に「ああ、これは誰々だよね」とか、すぐ指摘されてしまって。それと、私、奥行きのある絵とか…例えば、水晶の球をリアルに描く!みたいなのが下手なんですよ(笑)。そんなこともあって、なかなか自分らしい絵が描けなかった。そんなとき、東京藝大在学中で予備校に教えに来ていた講師の方に、「広瀬なら、これかな」と、たくさんある本の中からひょいと取りだして渡されたのが、ヴュイヤールの画集だったんです。

—- ヴュイヤールのどんなところに惹かれたんでしょう。

広瀬 なんというか、平面的なのに、まわりの空気感があるというか。すんなり自分に入ってきました。そしてその講師の方が、「こういう絵が描ければ、大学受かるよ!」って言われて(笑)。

—- ほんとですか!?

広瀬 はい(笑)。それで、一生懸命研究しました。そのときにヴュイヤールの絵から学んだことは、たくさんあります。全体的に柔らかい色あいの中で、赤みたいな強い色を(要所に)配して画面をきっちり締めるとか。意識的に塗り残して、前に塗った絵の具層の色をちらりと見せるとか。筆で塗った線じゃできない表現ですよね。


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—- ほかに影響を受けた画家さんは?

広瀬 熊谷守一。今でも大好きな画家ですけど、ああいう平面的なのに奥深いというか、画面の作り方に惹かれました。

—- やはりなんとなく傾向が…。

広瀬 そうなんです(笑)。やっぱり平面的にものを捉える方に惹かれます。私も、それでいいんだと思えて、救われたので。例えば予備校で人物を描いているとき、他の人ががっつり奥行き!みたいな絵を描いている横で、私は人物の背景に柄を入れて…。

—- 柄?

広瀬 はい、模様というか柄というか。それだけで世界ができるじゃないですか。だから、いろんな模様、柄を描けるように、たくさん描いて頭と腕に叩き込みました(笑)。

—- やっぱり独特ですねえ。


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広瀬 私の通った予備校では、受験のための勉強というよりは、画家として長く続けていけるような、そういう教え方をすると言ってくださるところだったんです。

—- じゃあ大学の受験の課題もそんなふうに…。

広瀬 そうです。なんとか受かりました。でも、卒業するとき、ある先生に、「私、あなたの受験の絵がとても印象に残っているの」と言われて、すごく嬉しかったです。認めてくださる人がいてよかった、って。

—- へえ。そのときの課題の作品は?

広瀬 廃棄されました! 答案なので、やっぱり返してはくれなかったです。

—- 残念です…。


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4 人物像から身近なものたちへ

—- 大学に入ってからは、主に人物をモティーフに描いてらっしゃいましたね。

広瀬 ほぼ全部、自分です。自分のこともよくわかっていないんですけど(笑)、でも、そんな自分が、もっとよくわからない他人なんて描けるわけないって思って、ひたすら自分を描いていました。ワイヤー構造みたいなもので彫刻を作るように描いて、でも画面に現れるときは、逆光のシルエットみたいな、そんな感じを目指していましたね。

—- やはり、どっしり量感、ではないんですね。

広瀬 はい。で、その後、麻生三郎さんの作品を間近でみたときに、びっくりしたんです。これ、私がやりたいことじゃん!って。もうやられちゃってるよ!みたいな(笑)。

—- ああ…。

広瀬 麻生三郎さんがここまでやり尽くしていることを、私がまたやってもしょうがないと思ったんですよ。じゃ私ができることは何だろうって、いろいろ考えました。その後大学から離れて、自宅で絵を描くようになったときに、大きな作品を描くのが難しくなって…私、人物は等身大くらいで描かないといけないと思っていたんです。だから大学で人物を描いていたときは、いつもだいたい150号でした。自宅じゃちょっと無理ですよね…。そんなこんなが重なって、自然と身近なものたちに目を向けるようになったんです。

—- 身近なものたちも、人物の場合と同じく、あまりスケールダウンしては描きたくないんですね。

広瀬 そうですね。自分の視点がしっかり表現できる大きさを意識しています。


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—- 今回の出品作のなかでは《錘刀》(図4)が一番早い時期の作品ですね。この頃から本格的に身近なものたちを描き始めたと。それにしてもなぜこんなマニアックなものを…。

広瀬 ああ、ちょうどこれを描いていた頃、スパイにはまってまして(笑)。


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図4 《錘刀》 2001年 油彩・マゾナイト F20

—- スパイ?

広瀬 なんだか、私、マイブームがいろいろあるんです。錘刀って、密かに懐とかに忍ばせておいて、ブスリ!みたいな道具なんですね。そのかたちが面白いなあと思って。指を通す穴が3つあるんですが、そのうちのひとつ、薬指を通す穴だけ、ちょっとずれてるんですよ。そこに惹かれて、描いてみました。

—- 背景が黒っぽく塗られて、そこに赤く妖しく錘刀が浮き上がっているような…。

広瀬 いちおう、武器に染み付いた血みたいなものもイメージしました。ちょっと怖いですね(笑)。

—- 最近の作品とはずいぶん印象が違いますが、視点としてはあまり変わらずにいるわけですね。

広瀬 はい、あくまで「カタチ」にこだわりたい。それは一貫しています。



5 これからの制作

—- お話をうかがっていて、私などには、福沢一郎の絵画との共通点が浮かび上がってきました。例えば、背景の色の作り方。ヴュイヤールの絵などにもありますが、初めに塗った色を最後まで辛抱強く残して、それを活かしたり、要所要所に強い色を配して画面を締めるような方法。初期から晩年まで、かなり意識していたようです。

広瀬 ああ、言われてみれば…ですね。

—- やっぱりご縁があったんだなあと。

広瀬 なんだかうれしいです。

—- 最後に、画家としてこれから目指すところを、お聞かせください。

広瀬 あまり深く考えていないんですけど…ずっと身近なもののかたちを描いていて、それは変わらないと思うんですが、たぶん、自分が年をとって、子供が大きくなって、両親が老いて、そんな時間の流れのなかで、かたちに対する意識とか気持ちとか、そういうものは少しずつ変わっていくと思うんですね。そんな中でも、身近なかたちに寄り添いながら、ずっと制作を続けられればいいなと。そして、作品がもっと売れるといいなと思います(笑)。


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10月8日(土)のギャラリー・トーク風景

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ポップなのに緻密。堅牢なのに柔らか。二律背反が心地よく同居する画面が、広瀬作品の最大の魅力だ。その画面は、画家が自分らしくありたいと研究を重ねてきた技術に裏打ちされている。
広瀬の考える「自分らしく描くこと」は、インタビューの回答にも明かなように、もののかたちを平面的に、奥行きを伴うことにこだわらずに捉え、自らの設定した視線によって厳しく配置するところからはじまる。それに続くのは、イリュージョンとしての絵画から距離を置き、形態と色彩のせめぎ合いから画面を生み出す、ある意味非常にストイックな作業だ。しかし厳しさが画面からにじみ出して来ないのは、心地よくデフォルメされたモティーフそれ自体のゆるさのせいかもしれない。厳しさとゆるさが反応しあって、一種のしなやかな緊張が画面に満ちる。それが広瀬の理想的な作品のありようだといえる。
身近なもののカタチを追究し続ける広瀬は「いま(私は)何を描くべきか」という現実的な課題につとめて意識的に取り組み、成功している画家だと、私などは考えている。自分にしか実現し得ない絵画表現を、試行錯誤の末に獲得し、背伸びをせず、しかし果敢に描き続けているのだ。思想や主題におぼれ、素材やモティーフに惑わされ、何をしたいのかさえ見失う表現者のほうが、いま圧倒的に多い。これでいいのかという迷いが、表現者をさいなみ、やがて諦めへと誘ってしまう。
広瀬の作品を見ていると、厳しさに裏打ちされた優しさが「これでいいのだ」と語りかけてくる。いま描くべきもの・ことは、すぐそこにある。それを見いだせるかどうか。そこから画家の挑戦がはじまるのだ。
広瀬自身がヴュイヤールや熊谷守一の絵に救われたように、広瀬の絵が若い表現者を救う日が来るかもしれない。いや、すでに何人か、救っているのかもしれない。いま描くことの意味を、「これでいいのだ」と優しく語りかける広瀬の制作が、これからも自分らしく、しなやかに、ずっと続いていくことを願っている。(伊藤佳之)

ーーーーーーー
※このインタビュー記事は、10月8日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。


1 「4月12日から横須賀美術館で所蔵品展を行う 広瀬 美帆さん」『タウンニュース 横須賀版』2014年4月11日号 http://www.townnews.co.jp/0501/2014/04/11/232752.html

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






「わたしの福沢一郎・再発見」  #003《原人のいぶき》

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《原人のいぶき》

1981年 アクリル・カンヴァス 200.0×600.0cm
富岡市立図書館 蔵

大竹夏紀
染色アーティスト

 私は福沢一郎の出身地である富岡市に生まれ、幼少期を過ごしました。そんな私にとって福沢一郎とは我が市民が誇る偉大な芸術家という印象です。その思いは子供のころから根付いたものです。市内の公共施設の至る所で福沢一郎の絵を目にしましたし、市の広報誌などにも紹介されていたと思います。市内には立派な福沢一郎記念美術館もあります。家族に聞くと、祖父の時代では小学校の遠足に福沢一郎の実家見学が遠足に組み込まれていたとか。何より周りの大人たちや学校の先生が、幼い私に場面場面で説明してくれました。みんなが偉大な芸術家を誇らしく思っているのがしみじみと伝わり、私の心にも根付いたのだと思います。
 福沢一郎の絵は、いわゆる田舎の市民が許容して考える普通の美しいだけの絵とは違ってかなり独特で個性的なものに感じました。神話や古代の男たちのゴツゴツした荒々しい姿。ちょっとこわい。でもパワフルでかっこいい!これが真の芸術か!なんて幼心に納得していました。
 福沢一郎の絵で一番印象に残っているのは、市立図書館に今でも飾られている《原人のいぶき》という幅6メートルにも及ぶ大きな絵です。古代人の家族でしょうか。青空の下で地面に寝転んだりくつろぐ姿が描かれています。力強くダイナミックで、広く清々しい世界観を感じます。子供のころは絵本を、小中学生になっても本を借りに行く度に、この絵を目にして、偉大な芸術家が同じまちにいたことをじんわりと誇りに思った、幸せな思い出です。

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Natsuki Otake

大竹夏紀(おおたけ・なつき) 染色アーティスト。1982年、群馬県富岡市生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科デザイン専攻修了。ろうけつ染めによる絵画作品で注目を集める。2010年度東京モード学園テレビCMに作品が起用される。個展・グループ展多数。2014年第11回上毛芸術文化賞受賞。2016年富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館にて個展開催。
公式ホームページ http://bamboosummer.main.jp


   *   *   *

「わたしの福沢一郎・再発見」特設ページは、→こちら。

生誕120年に向けたキャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちら。

メールマガジン第19号(2016年9月21日発行)

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福沢一郎記念館 メールマガジン No.19
FUKUZAWA Ichiro Memorial Museum
— Setagaya,Tokyo
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□■□   現在当館は閉館中です   □■□
■□■  次の展示は9月30日からです ■□■

[1] PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展
[2] 「わたしの福沢一郎・再発見」第2回
[3] 賛助会員のお誘い

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[1]
□ PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展
 第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」
 
昨年春からはじまった企画「PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞
作家展」は、歴代の「福沢一郎賞」受賞者の方々に当館の展示
スペース、つまり福沢一郎のアトリエを、個展会場として提供
し、制作・発表の機会としていただくものです。
今年もふたりの作家が、個展を開催することになりました。
まず9月30日から、女子美術大学大学院洋画専攻出身の、広瀬
美帆(2000年受賞)による個展がはじまります。

広瀬は一貫して道具や家具、食べ物など、生活の中にある身近
なかたちを描き続けています。画家の確かな観察眼は、なにげ
ない日常のひとこまを、ときに柔らかく、ときにヴィヴィッド
に立ち上がらせます。
今回は新作・旧作とりまぜて、画家の身の「まわりのカタチ」
が、福沢一郎のアトリエにちりばめられるという趣向です。
着実に自らの制作を深めてきた画家の軌跡とともに、確かな画
家のまなざし、そして豊かな絵画表現を楽しんでいただければ
と思います。

 * * *

PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展 第3回
広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」
9月30日(金)- 10月12日(水) 12:00 – 17:00
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月8日(土) 15:00 – 17:00

今年の「PROJECT dnF 福沢一郎賞受賞作家展」については、
↓こちら↓をご覧下さい。
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/09/16/dnf_3hirose_4terai/

※来月は、第4回 寺井絢香「どこかに行く」についてお知らせ
します!

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[2]
□ 「わたしの福沢一郎・再発見」第2回
 彫刻家 平出豊さんによる《男(黄土に住む人)》
 
先月からはじまった新企画「わたしの福沢一郎・再発見」。
美術家・評論家のほか、いろいろな人々に、お気に入りの福沢
一郎作品について語っていただきます。
第2回は彫刻家 平出豊さんが、群馬県立富岡高等学校所蔵の
《男(黄土に住む人)》1940年 について語ります。
富岡高等学校の前身は旧制富岡中学校。つまり平出さんと福沢
は同窓生ということになります。同窓ならではの興味深いエピ
ソード。ぜひお読みください。

「わたしの福沢一郎・再発見」第2回は、こちらから↓
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/09/16/myfukuz_002_hiraide/

来月も新たな記事を掲載予定。どうぞお楽しみに!

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[3]
□ 賛助会員のお誘い

一般財団法人福沢一郎記念美術財団では、その美術振興活動を
より広範囲に、積極的にすすめるために、賛助会員を募ってい
ます。
一人でも多くの方に参加していただくことで、若い美術家の顕
彰、美術研究への助成など財団の活動が充実しますので、どう
ぞよろしくお願いいたします。

◯賛助会員の区分と会費
(1) 一般会員 3,000円(年会費)
(2) 維持会員 30,000円(年会費)
(3) 特別会員 300,000円(永久会員)

◯特典
(1) 福沢一郎記念館入館料無料
(2) 福沢一郎記念館ニュース送付
(3) 記念館主催の催し物に優先的にご招待

◯会費のお振込先
●郵便局振替口座 00190-2-695591
 福沢一郎記念館
●りそな銀行 祖師谷支店 普通口座 1000201
 (一財) 福沢一郎記念美術財団

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福沢一郎記念館 メールマガジン No.19
2016年9月21日発行
編集・発行 一般財団法人 福沢一郎記念美術財団

福沢一郎記念館

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All Rights Reserved.

※バックナンバーは記念館ホームページでご覧いただけます。
※配信停止を希望される場合はそのままご返送ください。
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「わたしの福沢一郎・再発見」  #002《男(黄土に住む人)》

福沢一郎 《男(黄土に住む人)

《男(黄土に住む人)》

1940年 油彩・カンヴァス 116.7×91.0cm
群馬県立富岡高等学校 蔵

平出 豊
彫刻家

私は1968年4月、福沢一郎先生の母校である群馬県立富岡高等学校に入学しました。そして美術部に入部、その時はまだ「福沢一郎」の名前も作品も知らずにいます。
13歳の時、父が50歳で亡くなった、父は20歳で徴集、日中戦争・中国大陸にて左足被弾、太平洋戦争が始まり再び徴集・ビルマ(現ミャンマー)戦線、ビルマにて、2年間の捕虜後、帰国。父の青春(10年間余)は全て戦争であった。私は戦争を憎悪する様になります。
富岡高校1年生5月・べ平連バッジ『DO NOT KILL IN VIETNAM(殺すな、ベトナムで)文字・岡本太郎』を胸に付け登校。政治活動として校長室に引きずられていく。校長室で問い詰められながら、壁を見上げると、50号程の絵が掛けてあり、それを眺めて、学校長、先生の言葉が、聞こえなくなった。襤褸を纏った人が坐りこみ上奥に猛禽がいるその絵は、私の心に体の奥まで浸み込んだのです。(後の数度の処分で出会い、救われる)。
1972年私が彫刻を志した時に、その年の美術手帖4月号特集「年表:現代美術の50年1916-1968(上)」を読んでいると1940年のページにその絵があったのです(美術文化協会 第一回展 東京府美術館4・11-19 小さなモノクロ画像、タイトル「男」1940)。小さな写真ですが、その再会にかつての浸み込んだ気が硬直し心が弛緩して、時折そのページを開くようになります。
《男(黄土に住む人)》が発表された翌年に太平洋戦争が始まり、思想も人格も圧せられる時代に、その絵(あるモノ(小さな頭にも診える)に人差し指と親指を浮かし添えて、悲哀、抑怒ともつかぬ顔で凝固してそれを見詰める人)を描くことの福沢一郎先生の眼を開いた厳しい思慮が響いています。
1998年頃、池内紀編『福沢一郎の秩父山塊』を拝読、デッサンと文に、描き造る事の外の関わりの思考実践に揺れる出会いでした。
芸術が人を救い動かすとは簡単に言えませんが、私にとって福沢一郎作《男(黄土に住む人)》が、眼を開き、耳を欹(そばだ)て体を揺すり、次の体をと、教えてくれたことを、私の細胞が確かに覚えて動いています。

 


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平出 豊(ひらいで・ゆたか) 彫刻家。1953(昭和28)年、群馬県安中市生まれ。小畠廣志に師事。1980年第5回群馬青年美術展大賞受賞。1982年第5回上毛芸術奨励賞受賞。群馬県を中心に個展・グループ展多数。
公式ホームページ http://www.hiraide.info


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【展覧会】「PROJECT dnF」第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」、第4回 寺井絢香「どこかに行く」

 

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福沢一郎記念美術財団では、1995年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた昨年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回も昨年に続き、ふたりの作家が展示をおこないます。広瀬美帆(女子美術大学大学院修了、2000年受賞)と、寺井絢香(多摩美術大学卒業、2012年受賞)です。
ふたりは福沢一郎のアトリエとで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第3回
広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」 ※終了しました

ときに柔らかく、ときにヴィヴィッドに、いつもすぐそばにある身近なものたちを描く広瀬の制作は、確かな観察眼と、モティーフへの愛着に裏打ちされています。
画家の身近な「カタチ」の数々が、福沢一郎のアトリエいっぱいに広がります。

9月30日(金)- 10月12日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月8日(土) 15:00 – 17:00

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広瀬美帆 《マスクメロン3個入》  2016年 油彩・マゾナイト 72.7×50.0cm

 


第4回
寺井絢香「どこかに行く」

学生時代から「マッチ棒」をモティーフに描き続ける寺井の制作は、モティーフに縛られているかと思いきや驚くほど自由で、絵画の可能性にあふれています。今回の展示は新作を中心に、その絵画世界を押し広げる試みとなります。

作家公式ホームページ http://teraiayaka.jimdo.com/

10月21日(金)- 11月2日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月29日(土) 15:00 – 17:00

 

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寺井絢香 《とある冷たい日》 2014年 油彩・パネル 162.0×130.3cm

 

 


【キャンペーン】わたしの福沢一郎・再発見

2018年の生誕120年に向けて、画家福沢一郎とその作品の魅力を「再発見」するキャンペーン、2016年夏からスタートする新企画は、「わたしの福沢一郎・再発見」です。
美術家や評論家はもちろんのこと、さまざまな方々にお気に入りの福沢一郎作品を選んでいただき、あれこれ語っていただきます。


第1回 《基督》制作年不詳、宮城県美術館蔵(洲之内徹コレクション)
  語り手:福沢一也(福沢一郎長男、福沢一郎記念館館長)
福沢一郎 《基督》


第2回 《男(黄土に住む人)》1940年 群馬県立富岡高等学校 蔵
  語り手:平出 豊(彫刻家)
福沢一郎《男(黄土に住む人)》


第3回 《原人のいぶき》1981年 富岡市立図書館 蔵
  語り手:大竹夏紀(染色アーティスト)
福沢一郎《原人のいぶき》


第4回 『秩父山塊』1944年 アトリエ社
  語り手:本間岳史(元埼玉県立自然の博物館館長)
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第5回 《鳥の母子像》1957年 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 蔵
  語り手:五十嵐純(アーツ前橋 学芸員)

 


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キャンペーン「福沢一郎・再発見」の詳細は、→こちらから。

 

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「わたしの福沢一郎・再発見」  #001《基督》

福沢一郎 《基督》

《基督》

制作年不詳 油彩・カンヴァス 33.2×23.9cm
宮城県美術館蔵(洲之内コレクション)

福沢一也
福沢一郎記念館 館長

私の父、福沢一郎の家には基督(キリスト)の磔刑像がコレクションのように保存されていて、私は小さい時から毎日、人形を楽しむように眺めていた。父はこうした像をパリ滞在中に蚤の市で買い集めたのだという。もう今は手に入らないだろうが1900年代の初頭には珍しくなかったのだ。こうしたことがあったせいか、父の絵には基督を描いたものが少なくない。洲之内徹氏が、盗んでも自分のものにしたかった絵を集めた「気まぐれ美術館」に取り入れられた福沢一郎の《基督》もその1点だ。
ところで今回、自分がいちばん気に入っている作品についてのエッセイを書くということになって、この間から、どんな絵が適当かいろいろ考えてみたが、なかなか難しい。考えてみると一番好きな絵というのは、いちばんよくできた絵というのとも違うような気がする。福沢一郎の絵について考えると、最も中心となるのは人間を様々な角度から描いたもの、時代との関わりをテーマとしたもので、表現も力強いいきいきとした傾向だ。今回私はこうした代表作、例えば地獄の絵や神話の世界を描いたものはやめて、この《基督》のような表情の柔らかい作品を好きな1点に選んでみた。
ゴルゴタの丘で磔にあった基督の、寂しくはあるが、高貴な姿に目を向けさせられてしまう。背景となる空が画面のほぼ全体を占めているのも父の見慣れた構成だ。それと雲。福沢一郎の描く白い雲は大好きだが、ここでは7つの同じ形の小さな雲が揃って描かれていて、何とも言えず可愛い。《基督》は33.2×23.9cmの小振りな作品だが、心がすきっとする名作だと思う。

 


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福沢一也(ふくざわ・かずや) 福沢一郎長男。1934(昭和9)年生まれ。一般財団法人福沢一郎記念財団代表理事、福沢一郎記念館館長。


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メールマガジン第18号(2016年8月19日発行)

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福沢一郎記念館 メールマガジン No.18
FUKUZAWA Ichiro Memorial Museum
― Setagaya,Tokyo
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■□■ 次の開館は9月末の予定です ■□■

[1] 新企画「わたしの福沢一郎・再発見」始動!
[2] ココで観られる福沢一郎作品
[3] 賛助会員のお誘い

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[1]
□ 新企画「わたしの福沢一郎・再発見」始動!
 第1回は《基督》です
 
当館ホームページ上でささやかに開催中のキャンペーン「福沢
一郎・再発見」。画家福沢一郎の魅力をさまざまな角度から発
信するこの試み、いよいよ新企画がはじまりました。
題して「わたしの福沢一郎・再発見」。美術家・評論家のほか、
いろいろな人々に、お気に入りの福沢一郎作品について語って
いただこうという企画です。
第1回は、当館館長の福沢一也(福沢一郎長男)が、ちょっと
珍しい作品《基督》(宮城県美術館蔵)について語ります。

「わたしの福沢一郎・再発見」第1回は、こちらから↓
https://fukuzmm.wordpress.com/2016/08/19/myfukuz_001_kafukuz/

これからも、いろいろな方の「福沢一郎・再発見」をご紹介し
ていく予定ですので、どうぞお楽しみに!

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[2]
□ ココで観られる福沢一郎作品
《卑弥呼宮室に入る》 1980年 
 53.0×45.2cm 世田谷美術館蔵
 @「神話の森 美と神々の世界 ミュージアムコレクションⅡ」

赤に支配された巨大な画面の中、輿に乗った卑弥呼が、ゆらり
ゆらりとこちらに向かってきます。そのまわりはたくさんの人
物によって埋め尽くされ、鮮やかすぎるほどの赤と、右奥の暗
い背景ともあいまって、ただならぬ気配が充ち満ちているよう
です。
福沢一郎は1980年代に入ると、日本の古代神話や、考古学の
学説などを画題に取り上げ、多くの作品を描きます。
特に中国の歴史書『魏志倭人伝』にあらわれる邪馬台国には強
い興味をもち、さまざまな学説の解説書を読みあさります。さ
らには、九州に旅行したときに偶然見かけた女性のすがたに、
邪馬台国の女王卑弥呼の面影をみるなど、すっかりその物語に
魅せられていたようです。
1981(昭和56)年の個展「福沢一郎魏志倭人伝展」はまさに
画家の思い描いた邪馬台国の幻想があふれ出たものとなりまし
た。本作は出品作のなかでもひときわ大きく、強烈な赤と力強
い黒の描線、そして所々に配される褐色や緑が響き合い、神の
声を聞くシャーマンとして権勢を振るった卑弥呼をとりまく妖
しい空気と、うごめく人々の生命感をあらわしています。原初
的な人間の力強さを描くことは福沢の一貫したテーマであり、
『魏志倭人伝』はまさにうってつけの画題であったといえるで
しょう。
古代日本と邪馬台国、そして卑弥呼は、その後福沢にとって重
要なテーマとなり、繰り返し描かれました。本作はその出発点
として重要であるだけでなく、古代日本の幻想に寄せる福沢の
思いが強烈に塗り込められた、記念碑的作品です。

この作品は、世田谷美術館で開催中のコレクション展示「神話
の森 美と神々の世界 ミュージアム コレクションⅡ」にて
展示中です。難波田龍起、山口薫、利根山光人らのすぐれた作
品とともに、ぜひお楽しみください。
同展は10月23日(日)まで開催中です。詳しくは同館のホーム
ページをごらんください。↓
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/collection.html

また、企画展「アルバレス・ブラボ写真展 ―メキシコ、静かな
る光と時」も、あわせてぜひどうぞ。↓
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

作品画像は、当館ホームページの「作品集」から。↓
https://fukuzmm.wordpress.com/works/

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[3]
□ 賛助会員のお誘い

一般財団法人福沢一郎記念美術財団では、その美術振興活動を
より広範囲に、積極的にすすめるために、賛助会員を募ってい
ます。
一人でも多くの方に参加していただくことで、若い美術家の顕
彰、美術研究への助成など財団の活動が充実しますので、どう
ぞよろしくお願いいたします。

◯賛助会員の区分と会費
(1) 一般会員 3,000円(年会費)
(2) 維持会員 30,000円(年会費)
(3) 特別会員 300,000円(永久会員)

◯特典
(1) 福沢一郎記念館入館料無料
(2) 福沢一郎記念館ニュース送付
(3) 記念館主催の催し物に優先的にご招待

◯会費のお振込先
●郵便局振替口座 00190-2-695591
 福沢一郎記念館
●りそな銀行 祖師谷支店 普通口座 1000201
 (一財) 福沢一郎記念美術財団

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福沢一郎記念館 メールマガジン No.18
2016年8月19日発行
編集・発行 一般財団法人 福沢一郎記念美術財団

福沢一郎記念館

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