《基督》
制作年不詳 油彩・カンヴァス 33.2×23.9cm
宮城県美術館蔵(洲之内コレクション)
福沢一也
福沢一郎記念館 館長
私の父、福沢一郎の家には基督(キリスト)の磔刑像がコレクションのように保存されていて、私は小さい時から毎日、人形を楽しむように眺めていた。父はこうした像をパリ滞在中に蚤の市で買い集めたのだという。もう今は手に入らないだろうが1900年代の初頭には珍しくなかったのだ。こうしたことがあったせいか、父の絵には基督を描いたものが少なくない。洲之内徹氏が、盗んでも自分のものにしたかった絵を集めた「気まぐれ美術館」に取り入れられた福沢一郎の《基督》もその1点だ。
ところで今回、自分がいちばん気に入っている作品についてのエッセイを書くということになって、この間から、どんな絵が適当かいろいろ考えてみたが、なかなか難しい。考えてみると一番好きな絵というのは、いちばんよくできた絵というのとも違うような気がする。福沢一郎の絵について考えると、最も中心となるのは人間を様々な角度から描いたもの、時代との関わりをテーマとしたもので、表現も力強いいきいきとした傾向だ。今回私はこうした代表作、例えば地獄の絵や神話の世界を描いたものはやめて、この《基督》のような表情の柔らかい作品を好きな1点に選んでみた。
ゴルゴタの丘で磔にあった基督の、寂しくはあるが、高貴な姿に目を向けさせられてしまう。背景となる空が画面のほぼ全体を占めているのも父の見慣れた構成だ。それと雲。福沢一郎の描く白い雲は大好きだが、ここでは7つの同じ形の小さな雲が揃って描かれていて、何とも言えず可愛い。《基督》は33.2×23.9cmの小振りな作品だが、心がすきっとする名作だと思う。
福沢一也(ふくざわ・かずや) 福沢一郎長男。1934(昭和9)年生まれ。一般財団法人福沢一郎記念財団代表理事、福沢一郎記念館館長。
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