【展覧会】PROJECT dnF 第4回 寺井絢香「どこかに行く」作家インタビュー

寺井絢香 インタビュー

2016年10月29日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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寺井絢香(てらい・あやか)
1989年生まれ。2008年、多摩美術大学絵画学科油画専攻入学。2010年、個展「humanité lab vol.34 寺井絢香展-zokuzoku-」(ギャルリー東京ユマニテ)開催。2011年、グループ展「FIELD OF NOW -新人力-」(銀座洋協ホール)/「ユマニテコレクション −若手作家を中心に」(ギャルリー東京ユマニテ)/「画廊からの発言 ’11 小品展 チャリティーオークション」(ギャラリーなつか)。2012年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2013年、グループ展「“開発も” 新世代への視点」(ギャラリーなつか)。2015年 個展「寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「PAPER DRAWINGS」(ギャラリーなつか)。2016年、個展「新世代への視点2016 寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「現代万葉集」(ギャラリーなつか)。

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1 この展覧会と新作について

—- 展覧会のタイトル「どこかに行く」は、作品のタイトルなんですよね。

寺井 はい、窓のところに並んでいる、真ん中の作品です(図1)。あれはパリに行ったときの空を思い出しながら描きました。

—- このことばを展覧会のタイトルにしたのは、どういう思いからなんでしょう。

寺井 私は、絵を日記のように…というか、記録のように描くことが多いので。旅の印象とか思い出とか。今回、展示のお話をいただいたとき、そういうものを集めたら、自由な感じで、いい展示にできるんじゃないかと思って。ただ「旅」よりも、しっくりくることばが「どこかに行く」だったんです。

—- いろいろな場所の印象、思い出が、ここに集まっているんですね。

寺井 クロアチア、モンテネグロ、パリ、タイのアユタヤ遺跡、そして韮崎のヒマワリ畑。あんまり統一感はないですが(笑)。

—- そして今回の展示のために、新作を作ってくださったんですね(図2)。

寺井 はい。この展覧会の話をいただいたときに、今まで発表したことのない、一番大きな作品を出品してみたらどうか、と言ってくださって、いいなあと思ったんですが、測ってみたら壁におさまらないことが判って。どうしようかと思いましたが、せっかくだから新作を描くことにしました。これはクロアチアを旅したときに見た風景がもとになっています。ドゥブロヴニクという城壁の街の、たしか城壁の上から山のほうを見た風景だと思います。


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図1 《どこかに行く》 2014年 30.0×30.0cm


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図2 《ディナーの始まる頃に》 2016年 243.0×366.0cm

—- こういう話を聞いていると、なんというか、ふつうの旅の風景を描いた絵みたいですが、いやいや、違うんですよね。至るところにマッチのかたちが…。

寺井 建物の屋根とか、山とか。同じ街の城壁を描いたものが、階段のところにあります。小さい絵ですけど。

—- これも城壁の石が、マッチ棒の頭でできていると。西側の壁にはヒマワリの絵が4つ(図3)、これも種のところがマッチ…。

寺井 この夏に、お友達に勧められて、韮崎のヒマワリ畑に行ってきたんです。この大きな新作に取りかかる直前で、時間もないし、どうしようかな…と思ったんですが、やっぱり描いておかなきゃと思って。

—- じゃあ、ヒマワリの絵を4つ描いたあとで、この大きな新作を?

寺井 はい。


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図3 西側壁面の、ヒマワリを描いた作品4点。左手前は《とある冷たい日》2014年。

—- 新作を描くのにどのくらいかかりました?

寺井 だいたい3週間くらいですね。

—- けっこう早いですねえ。

寺井 そうですか? 自分ではそんなに早いとは…あんまり細かく描いてないんで(笑)。まあ、体力は使いましたけど。私、集中力があまり長く続かないので、短期集中で(笑)。

—- この展示のためにがんばってくださって、ありがたいです。いかがですか、今回の展示の率直な感想は。

寺井 なんだか、絵が喜んでる気がします。

—- そうですか?

寺井 はい、ここは福沢一郎さんが使っていたアトリエなので、お家みたいな雰囲気がありますよね。だから、絵もリラックスしているというか…そんな印象です。

—- 展示をする上でこだわったポイントは?

寺井 きっちり並べるというよりは、ちょっとごちゃごちゃした感じの展示にしようかなと思いました。せっかくこういう場所なので、今までやったことがない展示を目指しました。結果、まあ、なんとか形になったので、安心しました(笑)。


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2 マッチのある風景

—- 今回の出品作は、すべて油絵具で描かれたものですね。

寺井 はい。ヒマワリの絵と《アドリアの海》はキャンバスですが、ほかは全部ベニヤで作ったパネルに描いています。

—- 油絵具へのこだわりはありますか?

寺井 特にこだわっているわけではないですが、例えばアクリル絵具だと、乾くのが早いじゃないですか。私、あんまり早く乾くと描きづらいことが多いんです。むしろ絵具が乾ききらないところで、その上に描いていく。

—- 下の層の絵具まで、ぐいっと持っていくことで、できる線とか色とかが、わりと大事なんですね。

寺井 そうかもしれません。ただ紙の作品は、やっぱり油では合わないので、アクリル絵具を使って描きます。

—- 風景や植物の中で、どの部分をマッチのかたちで描くかは、どんなふうに決めるんですか。

寺井 ものや風景を見た瞬間に、あ、これマッチ(のかたち)で描きたい!って思うこともありますし、絵を描きながら、ここはマッチになるかな…と思ってそうすることもあります。例えばこの新作は、まず屋根をマッチで描きたいと思って、そこから始まりました。ああ、韓国の(家々の)屋根も描きたかったんですけど、今回は時間的に間に合わなくて…。ほかにもウィーンとかドイツの街とか…。

—- そういう、行ったことがあっても、まだ絵になっていないところはまだあるわけですね。国内でもそういうところはあるんですか?

寺井 国内は…この間ギャラリーなつかで個展を開いたときは、京都の苔寺の風景を描きました。でも、国内はいろいろなところへ行ってるわりには、あまり作品にはなっていないかもしれません。苔寺も、苔をマッチ(のかたち)で描きたいと思ったから行ったんです。

—- なるほど。まずマッチで描きたい!が来たわけですね。今回の個展のように、旅の風景や印象を描いた作品の場合は、マッチのかたちは自由自在に変化していますよね。その中でも、《とある冷たい日》という作品(図4)は、他のものとちょっと印象が違うように思います。

寺井 これは、パリに行ったときの印象を描いたものです。確か卒業して最初に行った海外旅行です。私、学生時代はアトリエにこもりっきりで、本当にアトリエと家との往復みたいな生活で…もっと学割とか使って、旅しておくんだったなあと思いますけど(笑)。で、行ったのがちょうど3月で、1か月くらい行ってたんですが、けっこう曇っていて、グレーなイメージで。特にこう描こう!と思ってこうなったのではなくて、こういう国だったというか…本当に写真も見ずにイメージだけで描いた作品です。



図4 《とある冷たい日》 2014年 162.0×130.3cm

—- 3月くらいのパリのどんよりした空は、やっぱり特徴的ですよね。

寺井 あとは、パリは日本と違って…日本はなんだか、堅いイメージがあるなあと思って。

—- 海外に行って、改めて日本を考えたときに?

寺井  そう。アートが、国とか街の至る処に溢れている感じだし、街じたいがアートみたいな。ルーブル美術館で子供たちが走っているし。ダ・ヴィンチの作品の前で。アートがあるのが当たり前、というか…うまく言葉に出来ないですけど。そういう日本との違いを感じたんですよね。

—- はい。

寺井  で、私はそれまで、かっちり描かなきゃいけない、みたいなふうに思っていたんですけど、そうじゃなくても…柔らかいというか、言葉は悪いですけど、雑…でもいいかなって、そんなふうに思って描いた記憶があります。

—- それまで、自分の絵はこうじゃなきゃ、と思い込んでいたことを取っ払うみたいな?

寺井  うーん…それまでは、一枚の絵をかっちり完成させなきゃいけないと思っていたんですけど、そうじゃなくてもいいかな、と。自分が描きたいと思うところが描けていれば、それでいいかなって…(逆に)かっちりさせたくないって思いましたね。

—- そんなお話をうかがうと、《とある冷たい日》は、けっこう大事な意味をもつ作品なのかもしれませんね。

寺井  そうですね。言われてみれば。


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3 なぜ「マッチ」なのか

—- いつも尋ねられることだと思うんですが…そもそも、なぜマッチなのか。モティーフとしてマッチ棒を描くようになったきっかけを、教えていただけますか。

寺井 大学2年のときに、「1週間自分で決めた何かをやり続けて、そこから得たものをタブローとして描く」という、授業の課題があったんです。いやだなあ…と(笑)。で、自分で簡単にできるようなものにしようと思ったんですね。私は当時から一人暮らしだったので、家に帰っても話し相手もいないし…何となく、そのあたりにあるいろんなものに話しかけてたんです。まあ、独り言なんですけど(笑)。じゃあ、そうやって、ものに話しかけるのを意識的にやってみようと思って、ビデオでずっと記録したんです。

—- 1週間?

寺井 はい。毎日違うものなんですけど。掃除機とかコンセントとか。その、話しかけたものの中にたまたまマッチ箱があったんです。私、集合体みたいなものが好きで…虫以外は(笑)。マッチって、一本だけでいることって、あまりないじゃないですか。たいてい箱とかに入っている…そんなマッチ棒が、箱の中で会話しているような、そんな気がしたんです。例えば私がでかけたあと、私の悪口言ってるみたいな。「まったく、もうちょっと部屋片付けていきなよ」「そうだそうだ」とか。

—- へええ。

寺井 マッチ棒って、個性がないようで、個性があるんですよね、よく見ると。そんなところに面白みを感じて、課題では擬人化されたようなマッチを描きました。それが意識して描いた最初のマッチですね。それ以来ずっと…。何だか、話としてはつまんないですね(笑)。

—- いやいや(笑)。ひとくちにマッチといっても、寺井さんの作品の中にあらわれるマッチのかたちは、さまざまですよね。時期的な違いもあれば、別のスタイルが同時並行的にあらわれることもある。

寺井 そうですね。初めは擬人化というか、感情を表したりしていましたが、だんだん動物や植物のかたちになることもあって、自然と変化していった感じです。そういうマッチはくねくねしてたりしますが、一度そういう変化をさせないで描こうと思って作った「アリノママッチ」っていうシリーズ(図5)があります。曲げない、折らない。ありのままのマッチのかたちを重ねたり、密集させたりして描きました。

—- 最近の紙のお仕事でも、マッチの頭の密集だけで描いているものがありますね。こういうものと、風景の中でうねるようなマッチを描くのと、何か心持ちの中で違いはあるんでしょうか。

寺井 うーん、こっち(密集しているほう)が、かたちがとりやすいですね。あとは、マッチの存在が近い気がします。でも、風景の中にいるマッチのほうが、発散している気がしますね。

—- マッチが?

寺井 はい。活き活きしてる…というのともちょっと違うんですが…何て言えばいいか…。うまく言葉にできないですが、そんな感じです(笑)。


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図5 「アリノママッチ」シリーズ 2014年 14.8×21.0cm


4 描き続けること

—- そういえば、寺井さんの作品は、福沢一郎の作品と一緒に展覧会に出品されたことがあるんですよね。豊橋市立美術博物館の企画展で(1)。

寺井 はい、私は忘れていたんですが、記念館に来た父が気がついて。

—- このとき出品されたのは、マッチ棒じゃない絵ですよね。

寺井 このとき出品されたのはまだ学生のとき描いたもので、卵とかちくわとかたけのことか、そういうものを色鉛筆で描いた作品です。ギャルリー東京ユマニテで個展を開かせていただいたときに(2)、その出品作を、コレクターの方が買ってくださったんです。で、「おでんシリーズ」にしたいから、こんにゃくがほしい!と。

—- 「おでんシリーズ」!

寺井 でも、こんにゃくの作品はその前に売れてしまっていたんです。そのあと、また描いてほしいと頼まれたんですが、結局描けていなくて…。で、そのとき買ってくださった作品が、福沢さんと同じ展覧会に…。

—– こんなところでもご縁があったんですねえ。なんだかうれしいです。ギャルリー東京ユマニテでの個展以降は、発表なさる作品はだいたいマッチが登場しますね。

寺井 そうですね。それ以降はマッチの作品以外は発表していないです。


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—- ひとつのモティーフを延々と描き続ける、作り続けると聞くと、例えば耳の三木富雄さん、ドットや網目の草間彌生さんなどを思い出します。こういう人々は、たいてい、オブセッション、つまり何らかの強迫観念に突き動かされて描く、かたちづくるというふうに説明されることが多いようです。「マッチばかり描く」ということばだけ聞くと、私などは、そういう印象をまず持ってしまいます。でも、実際寺井さんのマッチを描いた絵を観ると、何かしらに追いまくられているような、切羽詰まった感じはしないですね。もっとおおらかな、ゆるい感じがします。

寺井 自分でも、そんなに切迫感みたいなことは、感じてはいないと思います。もっとこう…いつも近くにあるもの、みたいな。自分のまわりに作品があって、いつも観ていられるのがいいですね。

—- じゃあ、福沢一郎みたいにいいアトリエをつくらなきゃいけませんね。

寺井 できるんですかねえ…(笑)。

—- 今まで制作につまづいたり、行き詰まったりしたことはあるんでしょうか。

寺井 悩んだ時期はありました。マッチを絵にすると、なんだか、パターンというか、デザインみたいになるんですよね。それを絵画として成り立たせるにはどうすればいいのか、いろいろ考えました。その結果、あまりマッチだけというふうにこだわらないようにしたんです。背景に何が来てもいいし、別のものが入ってもかまわない。卒業制作の《フィナーレ》(図6)は、そんなふうに吹っ切れたところで描いた作品です。

—- 「五美大展」でもけっこう話題になったそうですね。


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図6 《フィナーレ》 2012年 243.0×366.0cm

寺井 いちばん辛かったのは、大学を卒業してすぐくらいの頃ですね。いつも大学で絵を描ける環境にあったのが、自宅で描かなければいけなくなって、そんなに大きなものも描けなくなり…。このままやっていけるのかどうか、悩みました。

—- でも描くのはやめなかった。

寺井 そうですね。どんな小さなものでも、できるだけ毎日描いていました。体力が続かないときはありましたけど。なんだか、絵を描くことが、日記みたいなものだと思えるようになったんです。

—- それが今につながっているということですね。では最後に、これから自分が目指す制作について、教えてください。

寺井 そうですね…。私の絵を見た人が元気になってくれたり…別に絵や美術に興味を持ってくれなくてもいいんですけど、何か今までと違うことを始めるきっかけになるような、そんな絵を描けたらいいなと思っています。

—- なんだか壮大ですね(笑)。でもそのためには、たくさんの人に観てもらわなきゃ。もっと描いて、発表の機会をつくって…。

寺井 はい。行動で示していければと思います! そのためには、自分がもっとエネルギッシュでいなきゃいけないですね。

—- 近々、また旅に出かける予定がおありだとか。

寺井 この年末に、メキシコに行きます。

—- 福沢一郎も旅したメキシコ。そこでまた、いろいろなものを吸収して、ご自分の世界をどんどん広げていっていただきたいです。楽しみにしています。


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10月29日(土)のギャラリー・トーク風景

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インタビュー記事でも触れているが、ある特定のモティーフやかたちを描き、作り続ける芸術家と聞けば、私はどちらかといえば神経質な作家のすがたを想像してしまう。そして作品も、のっぴきならない作家の精神を、細かな棘のように纏っているのではないかと身構えてしまう。
寺井が描く夥しいマッチの集合体には、しかし、視神経の奥底をちりちりと焼いたり、全身の毛をざわつかせたりするような、怖さがない。そして、旅の印象を描いた作品の中に描かれているマッチ棒は、過剰に自己主張したり、恐れおののき震えているのではない。くねったり渦巻いたり波打ったり、驚くほど自由に躍動しているのだ。
寺井の制作は、およそオブセッションとは縁遠いもののようだ。描く対象がマッチ棒の集合体に変換されるプロセスは、おそらく、凝視によってじわじわと染み出したり、背後から覆い被さるように迫り来るのではなく、傍にある親しいかたち、すなわちマッチとの対話によって導かれているのではないか。それが偶然の出会いによって始まったのだとしても、いま作家にとってマッチとともにあることは必然であり、絵画の中をともに旅する伴侶のような関係なのだろうと、私などは想像する。絵具の乾ききらぬうちに一気呵成にぐいぐいと描く力強さも、描くことへの迷いのなさ、つまり行き着く先をともに見つめる存在のなせる業なのかもしれない。
作家が毎日スマホで描く絵日記のようなデジタル画像には、たいてい、愛嬌のあるマッチ棒とともに、いつも笑顔の作家本人が描かれる。マッチ棒との近しい関係は、作家が描き続ける動機であり、作品の心棒でもある。互いに縛られない。押し込められない。この心地よい距離感が続くかぎり、寺井の作品のなかでマッチ棒たちは自由奔放に集まり、ひしめき、渦巻いて、新たな「どこか」を形作るだろう。
マッチ棒とともに続く寺井のはてしない旅のゆくえを、私はこれからも追い続け、楽しみたいと思う。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月29日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。
※図版のない画像は、すべて会場風景。


1 「F氏の絵画コレクション ~福沢一郎から奈良美智世代~」2012年7月28日〜8月26日、豊橋市美術博物館(愛知県豊橋市)
2 「humanité lab vol. 34 寺井絢香展 TERAI Ayaka “zokuzoku”」2010年9月13日〜18日、ギャルリー東京ユマニテ






【展覧会】PROJECT dnF 第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」作家インタビュー

広瀬美帆 インタビュー

2016年10月8日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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広瀬美帆(ひろせ・みほ)
1974年生まれ。1998年、女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻卒業(卒業制作賞) 、1999年、第8回奨学生美術展(佐藤美術館)。2000年、女子美術大学大学院美術研究科美術専攻修士課程美術研究科修了、福沢一郎賞。同年現代日本美術展に出品。2001年、文化庁芸術インターンシップ研修員。2005年、瞬生画廊にて個展。以後毎年同画廊にて個展を開催。2014年、横須賀美術館にて「平成26年度第1期所蔵品展 特集:広瀬美帆」開催。

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1 今回の展示について

—- ここ数年、毎年銀座で個展をなさっている広瀬さん、まずは今回の展示について率直な感想を…。

広瀬 今まで、画廊や美術館で展示をしたことはあったんですが、もちろん画家のアトリエでの展示は初めてです。天井が高くて、北側からの光がきれいに入って、いいですね。こんな場所で個展ができるなんて、とてもうれしいです。ここだと、家や画廊では大きく感じる作品が、ぜんぜん大きく感じない(笑)。でも、いろいろやりたいことが試せたかなと思います。

—- 具体的には?

広瀬 例えば、西側の白くて大きな壁(図1)。ただ横並びに展示するのはもったいないなあと思って、ランダムにばらばらと置いてみました。こういう展示のしかたは初めてなのですが、ちょっとやってみたい気持ちはあったんです。


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図1 展示室西側の壁

—- この壁の作品を位置決めするのがとても早くて、さすがだなあと思いました。

広瀬 そうですか? 感覚としては、絵の構図を決めるときと同じですね。この壁全体が画面みたいな捉え方で。

—- なるほど、納得です。壁じたいが絵だと考えると、そのなかにまた絵がいっぱいあって、「画中画」みたいで面白いですね。絵の構図を決めるときもわりと早く決まるものですか?

広瀬 それがそうでもなくて(笑)。さっと決まるものもあれば、ずいぶん考えることもあります。でも、あんまり苦心しているような絵には見せたくないので…ひそかに苦労していることもある、という感じです。



2 モティーフと制作

— 展覧会のタイトルについても、お話うかがってみましょう。「わたしのまわりのカタチ」は、シンプルですが、広瀬さんご自身の制作のポイントをよくあらわしていることばだと思います。

広瀬 はい、そのものずばりで。

—- そもそも、モティーフのかたちに興味があるのだと。モティーフそのもの、例えばお団子の味だとか食器への愛着とか、そういうモノの背景や思い出などは、はっきりいってあまり興味がないと。

広瀬 そうですね。かたちをどう捉えるか。私がどう見ているかがわかるような構図、切り取り方を、さきほどお話したように、かなり厳密にやるんです。

—- 例えば、《一匹ずつ鯛焼》(図2)は、鯛焼きを焼く型や、それをはさむペンチみたいなものは描かれていますが、人物は描かれていませんね。


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図2 《一匹ずつ鯛焼》2013年 油彩・マゾナイト F100

広瀬 自分が描きたいモティーフ以外のかたちが来るのは、違うと思っているんです。物語ができちゃったり、意味がついちゃうじゃないですか。そうすると、絵を観る人の思いとか考えとかと、違うものになってしまうかもしれない。例えば(鯛焼を)焼いている人がどんな人なのか、お客さんがいるのか、そういうものがわからないほうが、観る人が想像できると思うんですね。もっというと、背景に窓を描いたら、そこは部屋の中とか。そうすると、かたちそのものに眼がいかない。私が考える絵の意味が、半分になっちゃうんです。だったら別々に描けばいい。

—- 窓が描きたければ窓だけ描けばいいと。

広瀬 そうです。それならひとつひとつ意味を持つ。私の絵はそういうものだと思っていて、なるべく(モティーフを)省略することに心を砕いています。

—- そうした、おもしろい!と思ったモノのかたちは、どういうふうに記録しておくんですか。たとえばスケッチするとか。

広瀬 スケッチすることもありますし、雑誌の広告写真みたいなものを使うこともあります。例えば《一匹ずつ鯛焼》は、鯛焼き屋さんにお願いして、スケッチしたり写真を撮らせてもらったりしました。《マスクメロン3個入》(図3)は、広告の写真を使っています。桐の箱に入ったメロンですけど、例えばへたのリズムとか、工業的に作られたのではない、それぞれ個性のあるかたちが面白いなあと思いました。


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図3 《マスクメロン3個入》2016年 油彩・マゾナイト M20

—- ずいぶん前に発見したモノのかたちを、突然描いてみたくなることもあるんでしょうか。

広瀬 そういうこともたまにありますが、だいたいはそのときどきで、描きたいと思ったものを描きますね。

—- もうちょっと作品の描き方、技法についてお聞きしたいと思います。支持体はたいていの場合、マゾナイトという合板ですよね。そもそもこれをお使いになる理由は?

広瀬 大学生のときに、いろいろな支持体を試していて…私、油絵の具で描いてますけど、いわゆる油絵のベトっとした感じや、テカった感じよりも、日本画みたいなマットな感じが好きなんです。そういう感じを出しやすい表現を試行錯誤していて、板に下地を作って描くのがいいかなと。で、大学の先生に、こんなのがあるよ、保存にも適してるよ、と教えていただいたのが、マゾナイトだったんです。


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—- 保存のこと、あまり気にしない作家が多いですが、それはいいアドバイスでしたね。画材のことをもう少しお聞きします。油絵の具を主に使っていらっしゃいますが、他にも鉛筆など、けっこう細かいところで、いろいろ使っていらっしゃるように思います。《マスクメロン3個入》のメロンも、網目に鉛筆の線が使われていますよね。

広瀬 筆と絵の具じゃ出せないニュアンスが必要なときって、あるんです。例えば、グラファイトという、鉛筆の芯の大きいやつで背景を塗ったり、羊の毛を表現するときは(鉛筆で)ぐりぐりしたりしています。絵具の色のひとつのように捉えて使っています。

—- それにしても、どの作品も、背景がそれぞれ特徴的だなあと思います。

広瀬 背景は、実はけっこう作り込んでいるんですよ。色を何層も重ねたり、一度塗って拭き取ったりしながら作ります。モティーフとの関係を考えながら、当たり前の色じゃなくて…。

—- ああ、例えば《じんじん仁丹》(図3)とか、ピンクですよね!


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図3 《じんじん仁丹》 2011年 油彩・マゾナイト F4

広瀬 そうそう。あれがグレーとか茶色みたいな、オジサンのスーツの色だったら、なんだか普通じゃないですか。ああ、仁丹か、って。そうじゃなくて、もっとモティーフのかたちに目が行く色にしたいと思っているんです。え、こんなかたちだったっけ、面白い!みたいな。《マスクメロン3個入》も、メロンは桐の箱に入って、白い紙に包まれているんですけど、白・白の背景だと、ちょっとなあ…と思って。なんというか…三姉妹的な。

—- 三兄弟ではなく三姉妹!

広瀬 美人めの三姉妹みたいな(笑)。そんな雰囲気が出るような…かたちの面白さ、個性が出るような、そんな絵になればと思って描きました。

—- それにしても、この画面づくりは、残念ながら写真やデジタル画像ではなかなか再現できませんねえ。ちょっと損かもしれません。

広瀬 そうですね(笑)。展覧会のDMなど作っても、作品とぜんぜんちがうね!と言われることが多いです。

—- これはぜひ、実物を観ていただかねば…。私などは、広瀬さんの描くものに、いろいろ感じ入ってしまうんですよ。ビールうまそう!とか、メロン…メロンいいなあ…とか。食べ物ばかりで恐縮ですけど(笑)。たぶん、広瀬さんとモティーフとのほどよい距離感、いってみればあまり強く思い入れをつっこまない、フラットな関係というのが、我々の思い入れを受けとめる間口の広さ、奥行きの深さのもとになっているのかな、と私などは思うんです。

広瀬 そうかもしれません。先ほどもちょっと話しましたけど、私、観る人にゆだねちゃうんです。どうぞ好きに観てくださいって。観る人の想像が膨らめばいいかなと思っています。もちろん自分の感情や思い入れがぜんぜんないわけじゃないですけど、自由に感じてくれればそれが一番いいかなと。


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3 影響を受けた画家たち

—- ちょっと話題を変えまして…今まで影響を受けた画家について、お話をうかがいたいと思います。『タウンニュース 横須賀版』の2014年4月の記事で(1)、美大受験のための予備校に通っていらしたとき、フランスの画家ヴュイヤールを知ったことが書かれていました。

広瀬 はい。その頃、いろんな画家に影響を受けていたんです。それで先生に「ああ、これは誰々だよね」とか、すぐ指摘されてしまって。それと、私、奥行きのある絵とか…例えば、水晶の球をリアルに描く!みたいなのが下手なんですよ(笑)。そんなこともあって、なかなか自分らしい絵が描けなかった。そんなとき、東京藝大在学中で予備校に教えに来ていた講師の方に、「広瀬なら、これかな」と、たくさんある本の中からひょいと取りだして渡されたのが、ヴュイヤールの画集だったんです。

—- ヴュイヤールのどんなところに惹かれたんでしょう。

広瀬 なんというか、平面的なのに、まわりの空気感があるというか。すんなり自分に入ってきました。そしてその講師の方が、「こういう絵が描ければ、大学受かるよ!」って言われて(笑)。

—- ほんとですか!?

広瀬 はい(笑)。それで、一生懸命研究しました。そのときにヴュイヤールの絵から学んだことは、たくさんあります。全体的に柔らかい色あいの中で、赤みたいな強い色を(要所に)配して画面をきっちり締めるとか。意識的に塗り残して、前に塗った絵の具層の色をちらりと見せるとか。筆で塗った線じゃできない表現ですよね。


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—- ほかに影響を受けた画家さんは?

広瀬 熊谷守一。今でも大好きな画家ですけど、ああいう平面的なのに奥深いというか、画面の作り方に惹かれました。

—- やはりなんとなく傾向が…。

広瀬 そうなんです(笑)。やっぱり平面的にものを捉える方に惹かれます。私も、それでいいんだと思えて、救われたので。例えば予備校で人物を描いているとき、他の人ががっつり奥行き!みたいな絵を描いている横で、私は人物の背景に柄を入れて…。

—- 柄?

広瀬 はい、模様というか柄というか。それだけで世界ができるじゃないですか。だから、いろんな模様、柄を描けるように、たくさん描いて頭と腕に叩き込みました(笑)。

—- やっぱり独特ですねえ。


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広瀬 私の通った予備校では、受験のための勉強というよりは、画家として長く続けていけるような、そういう教え方をすると言ってくださるところだったんです。

—- じゃあ大学の受験の課題もそんなふうに…。

広瀬 そうです。なんとか受かりました。でも、卒業するとき、ある先生に、「私、あなたの受験の絵がとても印象に残っているの」と言われて、すごく嬉しかったです。認めてくださる人がいてよかった、って。

—- へえ。そのときの課題の作品は?

広瀬 廃棄されました! 答案なので、やっぱり返してはくれなかったです。

—- 残念です…。


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4 人物像から身近なものたちへ

—- 大学に入ってからは、主に人物をモティーフに描いてらっしゃいましたね。

広瀬 ほぼ全部、自分です。自分のこともよくわかっていないんですけど(笑)、でも、そんな自分が、もっとよくわからない他人なんて描けるわけないって思って、ひたすら自分を描いていました。ワイヤー構造みたいなもので彫刻を作るように描いて、でも画面に現れるときは、逆光のシルエットみたいな、そんな感じを目指していましたね。

—- やはり、どっしり量感、ではないんですね。

広瀬 はい。で、その後、麻生三郎さんの作品を間近でみたときに、びっくりしたんです。これ、私がやりたいことじゃん!って。もうやられちゃってるよ!みたいな(笑)。

—- ああ…。

広瀬 麻生三郎さんがここまでやり尽くしていることを、私がまたやってもしょうがないと思ったんですよ。じゃ私ができることは何だろうって、いろいろ考えました。その後大学から離れて、自宅で絵を描くようになったときに、大きな作品を描くのが難しくなって…私、人物は等身大くらいで描かないといけないと思っていたんです。だから大学で人物を描いていたときは、いつもだいたい150号でした。自宅じゃちょっと無理ですよね…。そんなこんなが重なって、自然と身近なものたちに目を向けるようになったんです。

—- 身近なものたちも、人物の場合と同じく、あまりスケールダウンしては描きたくないんですね。

広瀬 そうですね。自分の視点がしっかり表現できる大きさを意識しています。


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—- 今回の出品作のなかでは《錘刀》(図4)が一番早い時期の作品ですね。この頃から本格的に身近なものたちを描き始めたと。それにしてもなぜこんなマニアックなものを…。

広瀬 ああ、ちょうどこれを描いていた頃、スパイにはまってまして(笑)。


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図4 《錘刀》 2001年 油彩・マゾナイト F20

—- スパイ?

広瀬 なんだか、私、マイブームがいろいろあるんです。錘刀って、密かに懐とかに忍ばせておいて、ブスリ!みたいな道具なんですね。そのかたちが面白いなあと思って。指を通す穴が3つあるんですが、そのうちのひとつ、薬指を通す穴だけ、ちょっとずれてるんですよ。そこに惹かれて、描いてみました。

—- 背景が黒っぽく塗られて、そこに赤く妖しく錘刀が浮き上がっているような…。

広瀬 いちおう、武器に染み付いた血みたいなものもイメージしました。ちょっと怖いですね(笑)。

—- 最近の作品とはずいぶん印象が違いますが、視点としてはあまり変わらずにいるわけですね。

広瀬 はい、あくまで「カタチ」にこだわりたい。それは一貫しています。



5 これからの制作

—- お話をうかがっていて、私などには、福沢一郎の絵画との共通点が浮かび上がってきました。例えば、背景の色の作り方。ヴュイヤールの絵などにもありますが、初めに塗った色を最後まで辛抱強く残して、それを活かしたり、要所要所に強い色を配して画面を締めるような方法。初期から晩年まで、かなり意識していたようです。

広瀬 ああ、言われてみれば…ですね。

—- やっぱりご縁があったんだなあと。

広瀬 なんだかうれしいです。

—- 最後に、画家としてこれから目指すところを、お聞かせください。

広瀬 あまり深く考えていないんですけど…ずっと身近なもののかたちを描いていて、それは変わらないと思うんですが、たぶん、自分が年をとって、子供が大きくなって、両親が老いて、そんな時間の流れのなかで、かたちに対する意識とか気持ちとか、そういうものは少しずつ変わっていくと思うんですね。そんな中でも、身近なかたちに寄り添いながら、ずっと制作を続けられればいいなと。そして、作品がもっと売れるといいなと思います(笑)。


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10月8日(土)のギャラリー・トーク風景

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ポップなのに緻密。堅牢なのに柔らか。二律背反が心地よく同居する画面が、広瀬作品の最大の魅力だ。その画面は、画家が自分らしくありたいと研究を重ねてきた技術に裏打ちされている。
広瀬の考える「自分らしく描くこと」は、インタビューの回答にも明かなように、もののかたちを平面的に、奥行きを伴うことにこだわらずに捉え、自らの設定した視線によって厳しく配置するところからはじまる。それに続くのは、イリュージョンとしての絵画から距離を置き、形態と色彩のせめぎ合いから画面を生み出す、ある意味非常にストイックな作業だ。しかし厳しさが画面からにじみ出して来ないのは、心地よくデフォルメされたモティーフそれ自体のゆるさのせいかもしれない。厳しさとゆるさが反応しあって、一種のしなやかな緊張が画面に満ちる。それが広瀬の理想的な作品のありようだといえる。
身近なもののカタチを追究し続ける広瀬は「いま(私は)何を描くべきか」という現実的な課題につとめて意識的に取り組み、成功している画家だと、私などは考えている。自分にしか実現し得ない絵画表現を、試行錯誤の末に獲得し、背伸びをせず、しかし果敢に描き続けているのだ。思想や主題におぼれ、素材やモティーフに惑わされ、何をしたいのかさえ見失う表現者のほうが、いま圧倒的に多い。これでいいのかという迷いが、表現者をさいなみ、やがて諦めへと誘ってしまう。
広瀬の作品を見ていると、厳しさに裏打ちされた優しさが「これでいいのだ」と語りかけてくる。いま描くべきもの・ことは、すぐそこにある。それを見いだせるかどうか。そこから画家の挑戦がはじまるのだ。
広瀬自身がヴュイヤールや熊谷守一の絵に救われたように、広瀬の絵が若い表現者を救う日が来るかもしれない。いや、すでに何人か、救っているのかもしれない。いま描くことの意味を、「これでいいのだ」と優しく語りかける広瀬の制作が、これからも自分らしく、しなやかに、ずっと続いていくことを願っている。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月8日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。


1 「4月12日から横須賀美術館で所蔵品展を行う 広瀬 美帆さん」『タウンニュース 横須賀版』2014年4月11日号 http://www.townnews.co.jp/0501/2014/04/11/232752.html

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】「PROJECT dnF」第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」、第4回 寺井絢香「どこかに行く」

 

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福沢一郎記念美術財団では、1995年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた昨年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回も昨年に続き、ふたりの作家が展示をおこないます。広瀬美帆(女子美術大学大学院修了、2000年受賞)と、寺井絢香(多摩美術大学卒業、2012年受賞)です。
ふたりは福沢一郎のアトリエとで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第3回
広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」 ※終了しました

ときに柔らかく、ときにヴィヴィッドに、いつもすぐそばにある身近なものたちを描く広瀬の制作は、確かな観察眼と、モティーフへの愛着に裏打ちされています。
画家の身近な「カタチ」の数々が、福沢一郎のアトリエいっぱいに広がります。

9月30日(金)- 10月12日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月8日(土) 15:00 – 17:00

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広瀬美帆 《マスクメロン3個入》  2016年 油彩・マゾナイト 72.7×50.0cm

 


第4回
寺井絢香「どこかに行く」

学生時代から「マッチ棒」をモティーフに描き続ける寺井の制作は、モティーフに縛られているかと思いきや驚くほど自由で、絵画の可能性にあふれています。今回の展示は新作を中心に、その絵画世界を押し広げる試みとなります。

作家公式ホームページ http://teraiayaka.jimdo.com/

10月21日(金)- 11月2日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月29日(土) 15:00 – 17:00

 

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寺井絢香 《とある冷たい日》 2014年 油彩・パネル 162.0×130.3cm

 

 


【展覧会】「Words Works」展 会場風景

2016年春の展覧会 「Words Works」展ー「福沢一郎・再発見」vol.1ー の会場風景をご紹介します。

 

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今回の展覧会は、福沢一郎のことばを、文字通りキーワードとして、時代や作風に関わりなくピックアップして展示するという試みでした。ですから、《海》(1942、左端)の横に《政治家地獄》(1974、左から2番目)が来るという、ちょっと奇抜な並べ方になっています。この壁面のキーワードは「変わったのは政府であって、私ではない」。

 

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《海》(1942)は、以前熱海の旅館に掛かっていたもので、近年富岡市に寄贈され、修復がおこなわれました。福沢が治安維持法違反の疑いで逮捕された年(1941)の翌年に描かれたもので、戦時下の制作を知るうえで貴重な作例です。

 

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階段手前の漆喰の壁に掛かっているのは、滞欧作《装へる女》(1927、右端)。第16回二科展(1929)の出品作で、当時の雑誌にも図版が載っています。絵画に本格的に取り組みはじめた頃の作品と考えられており、ちょっとあやしいムードも漂う不思議な作品です。「こんな色のストッキングが当時あったのかしら?」「日本にはなかったかもしれないけど、パリならあったんじゃない?」という会話が、おしゃれな女性観覧者の間から、ちらほらと聞こえてきました。

 

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この南側漆喰壁から西側、そして北側のコーナーまでに展示された作品のキーワードは「俺ぁ、シュルレアリストなんかじゃあ、ねえよ」です。今なおシュルレアリスム絵画の紹介者として語られることの多い福沢一郎ですが、彼はひとつのイズムにこだわらず、つねに新しい美術の動向に興味を示し、必要とあらばそれをためらいなく試行しました。ここではそんな画家の姿勢を示す作品を集めました。先にご紹介した《装へる女》のほか、科学雑誌の図版からイメージを引用している《蝶(習作)》(1930、下段中央)、黒一色の不定形のイメージが支配する《黒い幻想》(1959、下段左)、そして「デコラ板」という新素材(当時)を用いた壁画の習作としてつくられた《雪男》(1959〜60頃、下段右)を展示しました。

 

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階段脇から入る小部屋には、「美しき幻想は至る処にあり」という、作品のタイトルからとったキーワードをもとに作品・資料を集めてみました。福沢は地学や考古学、人類学などの学問に強い興味を示し、そこから主題や表現の幅を広げるヒントを得ていました。雑誌《太陽》の創刊特集「日本人はどこからきたか」の挿絵原画として描かれたとされる作品(1962頃)は、挿絵の機能を果たすことに終始するのではなく、絵画としてどう成り立たせるかに強い興味が向けられているように思えます。

 

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また、ここには小品ですが不思議な魅力をたたえた《顔》(1955、右端)と、素描《オーストラリア2》(1968頃、右から2番目)も展示してみました。前者は中南米旅行から帰ってから描いた「中南米シリーズ」の1点で、後者はオーストラリアのネイティブの人々を題材に描いたものです。いずれも福沢の人類学への興味が発端となって描かれたものと考えられています。しかし《顔》などは、大きく描かれた顔の、右には廃墟のような都市風景、左には荒涼とした大地が広がり、人類社会への警鐘をうかがわせるような作品でもあります。

 

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展示ケースの中には、このコーナーのキーワード「美しき幻想は至る処にあり」のもととなった作品(1931)の解説パネルと、『秩父山塊』(1944)を展示しました。『秩父山塊』は戦争中の著書ですが、当時の山村風景が洒脱な筆致で描かれているだけでなく、地質学や同時代の社会への強い興味が示され、専門家も驚くほどの知識と見識に満ちている好著です。ドイツ文学者の池内紀さん推薦で復刊もされており(1998)、手軽に楽しめます。

 

   *   *   *   *   *

 

今回の「Words Works」展は、「福沢一郎・再発見」vol.1と銘打って開催しました。今後も画家福沢一郎とその作品の魅力を「再発見」していただけるような展覧会を企画していきたいと思います。
展覧会詳細は、→こちらから。

 

【展覧会】「Words Works」展 5/13 – 6/20, 2016


このたび、当館では、春の展覧会として、「Words Works」展を開催いたします。
画家福沢一郎は、生涯にわたってテーマ(主題)を中心にした絵画制作をおこないました。そのテーマは多岐にわたりますが、ある象徴的ないくつかのことばが示す考えや思いが、それらのテーマの心棒となっています。
また彼は、昭和初期から文筆活動もさかんにおこない、さまざまなことばで美術の動向を、社会を、そして自分自身を語ってきました。それらのことば自体も、彼の鋭くドライな視線と、柔軟な芸術観、そして制作の姿勢を示すものです。
この展覧会は、作品を読み解く鍵として福沢自身の象徴的なことばを取り上げ、時代や作風を超えて作品をピックアップし、展示します。そこから浮かび上がる画家福沢一郎の実像とは、どんなものでしょうか。
福沢の生誕120年に向けたキャンペーン「福沢一郎・再発見」の一環でもあるこの展覧会、ぜひご覧いただきたく思います。

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会 期:2016年5月13日(金)〜6月20日(月)の日・月・水・金開館
    12:00-17:00 
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「福沢一郎 ことばと作品」
講師:伊藤佳之(当館学芸員)
日時:5月25日(水) 14:00〜16:00
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約、先着40名様(電話・FAXにて受付)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405
FAX. 03-3416-1166

【展覧会】「福沢一郎のヴァーミリオン」展 会場風景

秋の展覧会 「福沢一郎のヴァーミリオン」展 の会場風景をご紹介します。

 

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記念館のメインウォールともいうべき青森ヒバの壁では、《闘牛》(1978)の大作がしっくりおさまっています。その右側には比較的小さいですが、同じ描法を用いたものを2点。「この絵を見るといつも元気が出るわ〜」とおっしゃるお客様も。

 

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白い漆喰の壁には、青い空と真っ赤な牛が印象的な《闘牛》を、ぜいたくに1点だけ展示しました。ちいさな作品ですが、力があります。
その上には《花と鳥》(1970)。春の「PROJECT dnF」で室井麻未さんが初めてここに作品を展示してくださったので、どうしてもこのスペースを使いたくなってしまいました…。
そして、西側の壁には最晩年の大作《卑弥呼》(1991)。輿に乗って群衆の中をゆく卑弥呼にスポットをあて、その存在を強調してみました。

 

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北側の壁には、1965年のニューヨーク滞在の頃に描かれた《争う男》。ハーレムの喧噪が赤で表現されています。その隣には、赤を多く使ったちょっと珍しい《ノアの洪水》(1970)。赤で描かれた人間たちのさまざまな姿にご注目ください。

 

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階段脇から小部屋へと向かいます。部屋の入り口では《食水餓鬼》(1972)がお出迎え。部屋に入ると、ピンクの服と大地、黄緑色の空のコントラストが印象的な《オーストラリアの砂漠にて》(1967)と、今回唯一の水彩作品《インディオの女》(1954)が右手に並んでいます。

 

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小部屋左手には《アダムとイヴ》(1958)と《鳥の母子像》(1957年)の50年代コンビ。ステンドグラスのような《鳥の母子像》も美しいですが、デコボコとした《アダムとイヴ》の渋い存在感もなかなか。もちろんどちらにも「赤」が効いています。

 

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資料展示のケースには、福沢一郎の本棚から、赤い本をチョイスして並べてみました。まず『独立美術3 福沢一郎特集』(1932)。この中には、1932年当時の福沢のパレットをうかがい知ることができるカットがあります。ゆるいイラストがたまりません…。
それから、福沢一郎著『エルンスト』(1939)と、大江健三郎著・福沢一郎装幀『死者の奢り』(1958)。後者は、大江の小説家デビュー作を収録した初の単行本。この原画は今どこにあるのでしょうか? いつか巡り会えたらいいなと思います。

 

「赤」にこだわって選び抜いた作品たちは、それぞれ強い輝きを放っていますが、ただ単に派手というわけではなく、むしろ空間にしっくりとおさまって、画題や時代ごとの描き方をくっきりと浮かび上がらせています。
ぜひ、たくさんのかたにご覧いただきたいです。

 

   *   *   *   *   *

福沢一郎記念館は、展覧会会期中の日、月、水、金の開館となります。
皆様のお越しをお待ちしております。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】「福沢一郎のヴァーミリオン」展 10/16 – 11/15, 2015


このたび、当館では、秋の展覧会として、「福沢一郎のヴァーミリオン」展を開催いたします。

「ヴァーミリオン(Vermilion)」とは、鮮やかな明るい赤色の顔料、またはその赤色そのものを指すことばです。今回は「ヴァーミリオン」ということばを「赤」を象徴するものと捉えて「赤」から福沢絵画の色彩に迫ってみようと思います。
福沢一郎はしばしば「カラリスト」と評されてきました。とりわけ赤の使い方はユニークで、ときに画面全体を覆い、ときに上塗りの陰からちらりとのぞき、画面にさまざまな趣を与えています。
今回は、年代やテーマにかかわらず「赤」が印象的な福沢作品を集めました。それぞれの「赤」の鮮やかさや面白さ、そしてそこに込められた意味を感じ取っていただければと思います。
この機会に、ぜひお出かけください。

・出品予定作品

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《インディオの女》1954年


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《争う男》1965年


1978_a_bullfight_m_c123p140
《闘牛》1978年


1991_a_himiko149md
《卑弥呼》1991年 


会 期:2015年10月16日(金)〜11月15日(日)の日・月・水・金開館
    12:00-17:00 
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「“赤”から読み解く福沢絵画」
講師:伊藤佳之(当館学芸員)
日時:10月30日(金) 14:00〜15:30
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約、先着40名様(FAXも可)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405
FAX. 03-3416-1166

【展覧会】PROJECT dnF 第2回 室井麻未「ある景色」作家インタビュー

室井麻未 インタビュー

2015年6月28日(日)
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託)


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室井 麻未(むろい・まみ)
1987年生まれ。2011年、第2回青木繁記念大賞西日本美術展(石橋美術館)に入選。2012年、女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻卒業 、平成23年度加藤成之記念賞、優秀作品賞受賞。2013年、ヤドカリトーキョーvol.09秘密の部屋-恋する小石川-(ヘルシーライフビル、東京) に参加。2014年、女子美術大学大学院美術研究科美術専攻修士課程洋画研究領域修了、平成25年度福沢一郎賞、女子美術大学美術館賞受賞。同年トーキョーワンダーウォール公募2014に入選。

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1 思い出深い《船》

—— 照沼敦朗さんに続いて、室井さんの展覧会となりましたが、なんと今回が人生初の個展だったんですね。手応えはいかがですか。

室井 そうですね、初めてのことなので、いろいろな方に助けていただきながら、なんとかできた…という感じです。

—— 展示してみて、ご自分のなかで何か変化は?

室井 自分のつくったものひとつひとつに対する責任の持ち方が変わりました。 初めて自分の作品だけで空間を使って展示してみて、絵と空間について新しく見えてくるものがあり、ひとつひとつの存在の意味や関係性をより深く考えるようになりました。

—— 収穫があったようで、なによりです。さて、まず出品作の《船》(図1)について詳しくうかがいたいのですが、これは昨年の修了制作のひとつなんですね(1)

室井 はい、これは修了制作の中でも、いちばん最後に描いたものです。この頃、個人的なことですが、身近な人の死などいろいろな出来事や変化があって、そうした中で描きました。200号という大きさに挑むのもはじめてでした。まず身体を動かしながら作品をつくっていくなかで、いろいろなかたちが出てきて…最初はタイトルも決まっていなかったんですよ。どう作品を仕上げていこうか考えるなかで、亡くなった大切な人にゆかりの深い船というものに着目し、そこからまた船を取材し…そんなふうに制作していきました。


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《船》2014年 油彩・カンヴァス 259.0×194.0cm

—— 実際に船を取材なさったんですね。港まで出かけていって。

室井 はい。「船」の一番のもとになるのは、地元の下関の漁港にある船なんですが、そんなに頻繁には帰れなかったので、鵠沼海岸とか晴海埠頭まで行って船を取材しました。頭の中だけではなく、実際に船を見て、また画面に挑むというかたちで制作をすすめました。

—— 画面のところどころに、船のかたちや、海のような色面がみえますね。

室井 はい、船のかたちを借りながら、でも画面の中でしかできないことをやってみようと思って、描きました。






2 新作と展示構成について

—— さて、今回の展示にむけて制作した新作についてうかがいましょう。

室井 はい、私は昨年の春から、女子美術大学の助手をしているのですが、昨年の5月に、学部の3年生を連れて千葉県の鋸山にスケッチ旅行に行ったんですね。これらの作品は、そのときのことを描いています。



図2 《高速道路》 2015年 油彩・カンヴァス 162.0×97.5cm

—— なるほど、それで《トンネル》から《高速道路》(図2)ですか。旅の軌跡というわけですね。

室井 作品を描いているときにも、なんだか旅の途中にいるような感覚になることがあるんです。描くことが旅そのもの、みたいな感覚でしょうか。なので、そうした感覚が作品でも表せればと。「動く絵」というか…絵のなかで何か動いていくような感覚を表したいと思って、こういう作品を描いています。

—— 描く行為じたいが旅のようなものだとすると、そのなかでいろいろな発見をしていくわけですね。

室井 そうですね。色を置くこととか、筆致とか、そういうこともひとつひとつ確認しながら。そして次の場所に行く、というように。

—— 《鋸山》(図3)にはさまざまなイメージが折り重なっていますね。



図3 《鋸山》 2015年 油彩・カンヴァス 182.0×227.5cm

室井 はい、その場所で体感したものや見たもの、いろいろな要素を、一枚の画面に描いています。

—— おっしゃるとおり、いろいろな要素が重なり合って…前年の作品と比べて、よりレイヤー(層)みたいなものを画面に感じるんですが、ご自身ではいかがですか。特に狙っているわけではない?

室井 特に意識したことはなくて、いつも下の塗りとの調和を考えながら(絵具を)置いていくんですが、最近はレイヤーそれぞれで存在するように描くようになったような気がします。なぜそうなったかはよくわからないのですが…(笑)。おそらく今までの作品は、色と色が支え合って成立させていたところがあると思うんですが、最近は支え合うというより、ひとつひとつで自立するように意識が変わってきたのかなと思います。あとの色を乗せるために下の色があるのではなく、下は下、上は上というふうに。

—— 《トンネル》《高速道路》《鋸山》と、一連の作品に共通するねらいがあるように感じます。そして壁面でもストーリーを意識なさったわけですね(図4)。

室井 はい、ここはなんとなくですが、つながりができるように意識してみました。


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図4 アトリエ南面 画像左、階段付近の緑色の平面作品が《トンネル》2015年

—— そして、もうひとつの新作、《木と窓》(図5)が北側の壁にありますね。《高速道路》や《鋸山》とはちょっと趣が違うように思います。これについても少しお話いただけますか。


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図5 《木と窓》 2015年 油彩・カンヴァス 162.0×97.5cm

室井 私は、はじめからタイトルを決めずに、描いていくうちに決まってくることが多いのですが、これは珍しく、はじめから「木と窓」を描こうと決めて取り組みました。木のイメージは、鋸山での取材からとっていて、窓はというと、このアトリエの窓と呼応するものを描きたかったのです。こんなにたっぷりと光が入ってくる空間はそうないと思うので、その印象も含めて。《鋸山》などとは違った表現を目指したのですが、自分としてはもう少しやりきれていないというか…いろいろ反省の多い作品でもあります。







3 生活と制作の変化

—— さて、《高速道路》の上のほうに、どどんと大きいのを展示してくださいましたね(図6)。ここに作品が展示されるのは、福沢一郎記念館史上初!なのです。初めてこの壁が生きたということですが、ここに展示するアイデアははじめからあったんですか。

室井 はい、展示できると聞いたので、ぜひ使ってみようと思いました。今までは目線の高さを意識して展示することが多かったので、こんなに高い場所に展示したら、絵の見えかたも変わってくるかなあと。もちろん、ここでしかできない展示をしてみたいという気持ちもありました。このアトリエは、福沢先生が制作されていた場所ということで、床に絵具のあとがたくさん残っていたり、何というか、体温を感じられる場所なんですね。なので、特別な展示にしたいと思いました。

—— 確かに、壁面がひととおりでない空間ですから、ホワイトキューブでは実現できない展示を目指していただいたわけですね。さて、この作品は《カモメ》というタイトルですね。アトリエの上のほうを飛んでいるようなイメージです。



図6 《カモメ》 2014年 油彩・カンヴァス 112.0×162.0cm

室井 はい。これはちょうど《船》を描くための取材をしているときに撮影した写真のなかからみつけた題材です。夜、港のあたりを飛んでいたカモメに着想を得ています。白いかたちが夜の光のイメージなのですが、それが描いているうちにだんだん崩れていって…その中に、カモメの色や光がみえるようにと思って、描いています。

—— 《カモメ》を制作されたのは2014年、ちょうど《船》の直後くらいですか。

室井 そうですね。就職してすぐ描き始めたものです。

—— 学生のときは、否が応でも制作に没頭せざるを得ないわけですよね。それがお仕事をはじめて、働きながらの制作になる。このあたりで、ご自分の意識として変わってきたものはありますか。

室井 やはり時間の使い方がすごく変わってきました。学生の頃は、多くの時間を制作に使うことができましたが、仕事をはじめるとかなり時間の制約があり、そのなかで葛藤や悩みもあったんですけど、限られた時間の中でしか制作できないものもあると思いました。

—— 制作のうえでの大きな変化は?

室井 主題を見つけるのが早くなったというか…あまり悩んでもいられないので(笑)。

—— タイトルを決めるときに、社会の大きな出来事とか、事件とか、そうしたものではなくて、わりと日常のひとこまのようなところから持ってきているような印象を受けたのですが。

室井 そうですね、言葉としてはそういうものが多いのですが、社会の出来事もやはり日常の一部といえるので、まったく関係がないわけではないと思います。

—— なるほど。そうしたものは、自然と画面に塗りこめられていくのだという意識で。

室井 はい。特別なものではなく、あくまで自分の日常のなかにあるという。

—— 色彩についてもうかがいましょうか。特に新作は、青と緑が画面の中で重要な位置を占めているように思うのですが、そうした色についての意識などがありましたら。

室井 単純なんですけど、小さい頃から海と山に囲まれた街で育ったので、海の青と山の緑というのは、自分にとって象徴的な色で、自然に出てくるのかなあと思っています。もちろん、画面の中では色をたくさん使っているので、それぞれ色の役割は…例えば緑なら赤に対する補色の関係などを考えながら、画面をつくるうえでの大きなポイントとして使っています。あとは、青は自分にとって色幅を出しやすい色なので、画面に深みを出したり、表現の幅を広げるために使うことが多いかなと思います。
もうひとつ、色をたくさん使っていることに関していえば、日頃見ているものや感じていることがとても多くの要素で成り立っているので、それを表現するために、色を限定するのではなくさまざまな色を使って画面を成立させたいと思っています。






4 制作の鍵

—— 今回はタブローのほかに、ドローイングも展示していますね。展示しきれなかったものはクリアファイルに入れて、来館者が自由に見られるようになっています。それにしてもいっぱいありますね。

室井 ちょっと持って来すぎたかもしれません(笑)。




—— 持って来ていただいたドローイングは、だいたい同じくらいのサイズの画用紙に描かれていますが、こういうものばかりではないですよね。

室井 もちろん、大きさや紙の質はばらばらです。今回はしっかり選んで持って来たので、結局こうなりました。

—— ドローイングは日常的に描いてらっしゃる。

室井 必ず毎日、と決めているわけではないですが、自然と何かしら描いていることが多いです。それが制作の参考になることもありますし、かたちや色の、文字通り習作だったりもします。

—— そういえば、この記念館の内部をイメージしたドローイングも、今回展示されているんですよね。

室井 はい、この展示が決まって初めておじゃました時、ここの印象を強く感じて、それを描いておこうと思って。でもこれ、天地が逆なんです(笑)。

—— え? ああ、ほんとだ! でもこのほうがしっくりきますね。

室井 そうなんです(笑)。この展覧会のことを考えながら描いたので、思い入れがあります。入り口から入ってすぐのところに貼り付けてみました。




—— そうそう、会場でお友達とお話されていたのを耳にしまして、それが面白いなと思いました。点を置いて…別に点を描いているわけではないけれど、そうしたタッチのひとつひとつがつながって、いずれかたちを成していくという。

室井 (タッチの)全部が全部計画的なものというわけではなくて…ある程度予測している部分もあるんですけど、はじめから線を描くという意識ではないことが多いです。

—— まず(絵具を)置いてみるという。

室井 そうですね。それが点であったり矩形であったり、筆のストロークであったり。で、そこでつくられた線というのも、単なる線ではなく、全体の一部という意識で描いています。

—— そもそも、抽象で描いていこうと思ったきっかけは、何かあるんでしょうか。

室井 具象的に描くと、それは何であっても自分自身を描いているような気がして…私は自分を見られるのが嫌で(笑)。それで抽象的な表現に向かったともいえます。大学2年のときに、女子美の先生方の作品をみて、あ、こういうことやってもいいんだ、と励まされたというか、背中を押してもらった気がします。

—— でも、結局、抽象に進むと、より鮮明に自分の内面が出てしまうという…

室井 そうなんですよね(笑)。でも、いろいろな描き方を試してきたことで、結局自分は描くことそのものを追求するのが合っているんだなと思うんです。ですから、今のスタイルというか、画面にむかう姿勢は、必然的なものかもしれません。



5 これからの制作

—— 修了制作の図録に書いていらした文章のなかで、視覚の問題についてふれておられたので(2)、そこのところをもう少し。2000年以降の絵画のうごきをみると、具体的な形象を伴った制作が多いように思うんです。例えば木というもの、山というもの、など。それらが何処のどんなものであるかはさておき、それらを何かしらの意味を持たせるために使う。そういう制作が多いような気が、私などはするんです。

室井 はい。

—— 室井さんは、画面を誰しもが同じように捉えられるわけではないと、文章のなかで書いてらっしゃいますね。そして制作も、そうしたかたちが塗り込められることもあるけれど、実際は色、筆の動き、それらの重なりでつくられる、抽象的なイメージで出来ている。こうした、現代においてこうした制作をする自分の立ち位置みたいなものについて、何か意識してらっしゃることはありますか。

室井 意識しないこともないんですが…そうですね…現代に至るいろいろな絵画の流れがあって、過去の作家からも知らず知らずのうちにいろいろな影響を受けてきた分、それらと自分との違いもちゃんと見つけていきたいな、ということは考えています。

—— ひょっとすると、具体的な形象を扱うことを、意識的に避けていらっしゃるのではないかと思ったりもするのですが…。

室井 意識的に離れていることはあると思います。でも、現代の生活のなかで触れられる映像とか、マンガとかアニメとかにインスパイアされた作品とか、そういうものにはとても興味があって、画像情報が氾濫する状況にいま生きているんだなと。これだけたくさんのイメージが氾濫していると、どれを選ぶか迷ってしまうこともありますけど、逆に自分の好きなものがわかってくるというか…。

—— ああ、なるほど。

室井 そのなかで、自分の作品も、もちろんそうしたものたちの影響を受けながら、抽象であれ具象であれ、動いていくものだと思います。ううん…でも、どうでしょう。ちゃんと消化できていないかもしれません(笑)。

—— さて、今後ご自身の制作は、どんなふうに変化していくと思いますか。

室井 新作の《鋸山》を描いていくなかで、自分のなかで新たな発見がいろいろあったので、それを追究してみたいなと思っています。例えば筆致、筆を置く速度であったり…。描くということそのものを突き詰めたい、と思っています。

—— 展示についての意識も変わったと思いますが、これから目指すところがあれば…。

室井 もっと展示空間を揺さぶりたいとも感じました。 今回は展示をするにあたって絵と絵の関係、ドローイングの関係を探りながら展示をしてみましたが、その為には、もっと空間の調査が必要でしたし、絵ひとつひとつの強度をあげることが必要だな、と感じました。




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描くことでしかたどり着けない世界。それは画家であれば誰もが目指す理想の境地であるかもしれない。その道のりはひととおりではなく、画家自身が切り拓き、踏み固めて進まねばならない荒野のようなものだろう。
室井はおそらく感覚的に、絵具と支持体、そして画家自身とのあいだに横たわる荒野の歩き方を体得している。それをことばにするのはとても苦手だと画家はいう。だが今回、ぽつぽつと口からこぼれることばの端々から、困難な旅への強いこだわりと、描くことでしかみえない荒野のありさまをさぐろうとする強い意志が感じられた。
正直なところ、まだその足どりはおぼつかない印象だ。しかしこの危なっかしさをも含めて、画面に真っ正直に取り組む真摯さが室井の原動力でもある。あるとき画面から、ひょいとハードルを飛び越えたときのような爽快感や、するりと視線を巧みにあやつるしなやかさを見つけるのは、失敗を重ねながら成長する画家のすがたそのものが、画面にしっかりと投影されているからかもしれない。
力強さのなかにも柔らかさと鋭敏さが同居する、絵画という旅の道を、室井は選んだ。我々はこれからもその足取りを追い続けていくだろう。(伊藤佳之)

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1 1 「船」『2013 女子美術大学大学院 美術研究科 修士作品・論文要旨集』女子美術大学大学院美術研究科、2014年、p.17 を参照のこと。
2 同上、p.16。

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】PROJECT dnF 第1回 照沼敦朗「惑星の端」作家インタビュー

照沼敦朗 インタビュー

2015年6月4日(木)
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託)

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照沼敦朗(てるぬま・あつろう)
1983年生まれ。2006年、鑓水美術館(多摩美術大学内)にて初個展。学生時代から映像作品を制作。2007年、多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞受賞。同年就職するが翌年退職、作家活動を専らにする。映像と平面・立体作品を融合させたインスタレーションで注目を集める。2010年、アキバタマビ21プレオープン展「A NEW NORMAL」に出品。2011年、「第14回岡本太郎現代美術賞」展に出品、インスタレーション《見えるか?》が特別賞を受賞。同年Gallery Jin Projectにて個展「想定外見聞録」開催。2012年「黄金町バザール2012」に参加。以後個展、グループ展、アート・イン・レジデンスなどで活躍。

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1 アトリエを宇宙に

—- 福沢一郎記念館での新たな試み「PROJECT dnF」の第1回に、照沼敦朗さんが個展を開いてくださいました。展示してみて、手応えはいかがですか。

照沼 けっこういいんじゃないですか。僕は映像とまわりの風景が溶け込むようなインスタレーションを目指して制作していて、今までで一番やりきった感があります。

—- 正直なはなし、福沢一郎賞受賞者のかたの展示を当館で…と呼びかけて、ここまで反応の早い方がいるとは思いませんでした。確かtwitterでメッセージをくださったんですよね。この時期に、ここで!と思ったのはなぜですか。

照沼 いや、たまたま展示がなかったから…まあ僕は何にでも食いつくんで。

—- そうですか? 新宿眼科画廊で昨年の12月に個展(1)があって…。

照沼 ああ、そうですね。そのあと1月に「ごった煮展」(2)があって、取手のレジデンスが2月(3)にあって、その展示を取手でやって(4)、こんどは黄金町で巡回展(5)みたいなかたちでやって。

—- けっこう忙しかったじゃないですか。よくやってくれたなと私などは思うのですが。

照沼 だから、今回は平面は絶対に無理だと思って、まだやっていないから映像主体の展示をやろうという気持ちだったんです。

—- なるほど。今回は3つの映像を主にして、平面は《Toride》の背景になった布の作品だけにして、あとは会場にちりばめられたオブジェとドローイングのみと。現在(展覧会会期中:2015年6月4日)も各所で増殖中ですが。

照沼 増えてますねえ。今キッチンの上に描いてます。なんだか、あそこは野球場のスコアボードみたいに見えるので、そこを埋めようと思って(図1)。



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図1 画像右側、キッチン上のドローイング

—- 埋める気満々ですね。そもそもこういうギャラリー然としてない空間での展示は初めてじゃないですか。

照沼 いや、黄金町バザールのとき(6)は、僕だけホワイトキューブじゃないところでした。僕の展示会場は確か以前は食堂で、ちょっと広くて、木の梁が出ていて。いちおう白くは塗ってあったんですけどね、けっこうかたちが複雑で。そしてそれを窓閉じたり真っ暗にしたり、いろいろやりました。

—- ここに初めていらっしゃった時、つまり展示をやりたいといって来てくださった時、展示のアイデアはすでにあったんですか?

照沼 さっき言ったように、いちおう映像を主にした展示にする予定はあったんですけど、全体的な構想はできていませんでした。取手で作った作品がすでにあったので、今回はそれをベースに抽象的なものをつくろうとは思っていたんですけど、会場のアトリエを見て、ドアや階段がとても面白いと感じたので、ドアに映像を投影しようという考えがすぐ思いつきました。

—- 展示で苦労したことはどんなことでしょう?

照沼 窓(の遮光)ですね。もともとアトリエだった空間ですから、画家は窓からの光を取り入れることを考えてつくるから、どうしても窓が大きいじゃないですか。そこをどうやって塞ごうかと考えました。
塩ビシートで仮の天井を張ってしまおうかとも考えたんですけど、結局外に貼ることになり…。そしてどうせならそこに絵を描いてしまおうと思って、試行錯誤しました。友達にも助けてもらって。あと、階段のところにもプロジェクションマッピングをしようと思ったんですけど、それはあまりに大変なので断念しました。


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—- でも、結果的に整理された感じにはなったんじゃないでしょうか。

照沼 まあ、そうですね。ドアのところだけでもプロジェクションマッピングが出来て、実際にそこを人が行き来するという、現実と映像が重なり合う面白さを実現出来たので、そこは満足しています。
それから、床にラインをひいて、プロジェクターの投影の邪魔にならないように人を誘導してるんですけど、これは小学校の屋上にあった自転車の練習場がもとになっていて、宇宙みたいな空間にこんな通路があったら面白いかな、と。

—- けっこういろいろやっていただきましたが、さて、今回の展覧会のタイトルが「惑星の端」ということで、真っ暗、真っ黒な宇宙空間をこのアトリエ内につくってしまったわけですね。色々なものが壁や床にいますね。宇宙なのに魚が飛んでいたり、キノコ星人みたいなのがいたり…(図2,3)。


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図2 画像左側、壁に貼り付けられているオブジェ

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図3 キノコ星人?

照沼 キノコ星人じゃないですよ!パラグライダーで降りてくる人です。

—- パラグライダー!? 宇宙なのに?

照沼 そうです。これは友達の作品から感化されて作ってみたんです。宇宙服を着てパラグライダーで降りてくるという。
で、魚はというと、これは深海魚をイメージしています。光の届かないところで生きている深海魚って、眼が退化していて見えない。暗黒の世界っていうことでいえば、宇宙も深海も似たようなもの、というか、宇宙にもこんな生物がいてもおかしくないかなと思って。で、宇宙船もあるんですけど、そのかたちも結局は魚みたいなものになるんじゃないかなと。だいたい機械ってのは動物のかたちから学んだりしてますからね。まあ、そんな僕の想像の産物です。


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図4 メインスクリーン 投影されているのは《Life》


2 出品作について

—- そんなファンタジーが詰まった宇宙空間で、今回は3方向への映像投影に挑戦しましたね。これまでは複数の映像を同時に投影というインスタレーションは?

照沼 いえ、今回が初めてです。今まではたいていひとつのスクリーンやディスプレイでやってましたから。やっぱり映像をメインに作家活動しているからには、このくらいのことをやってみたいとは常々思っていました。だいたいうまくいったと思っています。

—- メインスクリーンには3つの映像作品が順番に映し出されていますね(図4)。

照沼 まず《終わりのない初まりの夢》(図5)は、昨年作ったものです。冒頭に出て来ることばがテーマそのもので、「OUROBOROS(ウロボロス)」、つまり終わりもはじまりもない、ぐるぐると流転する世界という意味です。僕の分身ともいえる、片目にレンズをつけたキャラクター「ミエテルノゾム君」(7)が街を旅していきます。ほんとうは原発事故のことを表現したかったのですが、直接的に表現するのはいやで、重力がこわれて空から雲が落ちてきて街が破壊され、そして再生されていくという設定にしました。


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図5 《終わりのない初まりの夢》より 2014年 映像 3分35秒

—- 背景の都市の画像は、平面作品を使っているのですか。

照沼 はい、前の年の個展(8)で描いた絵を撮影して使っています。鉛筆でダーッと長く描いて。A3横サイズで縦3枚、横14枚くらいかな。

—- 画材は何を?

照沼 これは鉛筆ですね。鉛筆は描くのが早いし、細かく描けるのでよく使います。鉛筆って色が薄いじゃないですか。だから作品作って売るとなるとなかなかツラいので…ドローイングの扱いになっちゃいますよね。でも一番愛着があります。長く使っているので。

—- 《終わりのない初まりの夢》に続いて投影される今年制作の映像作品ふたつは、より抽象的なかたちが多く使われたり、色も今までの使われ方とは違ってきているように思えます。

照沼 そうですね。このふたつは実写を取り入れています。《Toride》(図6)は、取手でのレジデンスで2週間くらいで制作した映像なんですけど、利根川のほとりに「小堀の渡し(おおほりのわたし)」というのがありまして、昔、隣町とを繋ぐ住民の足として通勤・通学や、日常生活に使われてたそうです。今は観光船として運行してて、それを撮影して、船の動きとか人の動きをトリミングしたり加工したりして作品に使っています。
あと最近、過疎化が話題になっていまして、それと船の車内アナウンスで聞いた利根川でのイベント紹介で、「子供天国」というフレーズが耳に残り、それは、なんぞや?と想像して、だから作品では、子供の形がもやもやと出て来て、色と遊んで街が、だんだんと明るくなってくような抽象的なイメージで作った作品なんです。


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図6 《Toride》より 2015年 映像 2分8秒


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図7 画像上辺、階段上の平面作品

—- 《Toride》の背景には、階段上に掛けられている絵が使われているんですよね(図7)。これは布に…。

照沼 ペンキで描いてます。ペンキもよく使うんですが、卒業制作のときに使ったのが初めてです。ライヴペインティングをやろうってなったときに…僕、なんでも思いつきで、その時になって使うんで。

—- そして次の《Life》(図8)では、過去の作品と《Toride》のイメージが重なっているような感じですね。


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図8 《Life》より 2015年 映像 2分5秒

照沼 これは、冒頭で《Toride》の映像にも出て来た渡し船が宇宙に飛んで行くところからはじまるんですけど、「生活」がテーマになっています。宇宙にこんな都市が造られても、結局人間のすることはそんなに変わらないだろうと。自然を壊して戦争して政治もごたごたあって、でもそんなことおかまいなしに楽しいことして、っていう、僕の予想というか考えで…まあそんな自虐的なことばが出てきます。
で、今回は詩を英語にしてみたんですが、映像のなかでは字幕みたいな感覚で、ネオンサイン風に日本語の文字を出して、読んでもらえるようにしています。

—- カラフルな人物が映像にたくさん登場しますね。

照沼 ここでは、著作権の切れている昔の映画のシーンを切り取って加工して使っています。

—- なるほど。やはり《Toride》は象徴的ですね。実写を加工・合成して取り入れることで抽象的なイメージが強くなっていて、色の使い方も変わってくる。このレジデンスでの成果が次の《Life》に、技法的にもつながっていると。

照沼 はい。

—- そういえば、照沼さんのメインキャラクター「ミエテルノゾム君」の現れ方が、新作では少し変わっているように思えます。《終わりのない初まりの夢》ではメインキャラとして登場しますが、《Life》では、サブキャラのような役割を演じていますね。

照沼 ああ、最後にちょこっと出てくるやつ。あれは、2013年に作った木箱の作品(9)を背景に使っているので、そこにいるんです。木箱の一連の作品は、ミエテルノゾム君が必ずどこかにいるというものだったんで。

—- かわりに、《Toride》に出てくる、ぼんやりした子供のイメージが…。

照沼 はい、《Life》にも、《惑星の端》(図9)と《不器用な矢は飛び続ける》(図10)にも、かたちを変えてそのまま反映されています。


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図9 《惑星の端》 2015年 映像 1分


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図10 《不器用な矢は飛び続ける》より 2015年 映像 2分

—- 抽象的な、生命そのものを表現しているようにも思えますが、この子供も、やっぱり自分の分身みたいな意味合いはあるんですかね。

照沼 まあ、そうですね。今回はあまり眼のことに関する話じゃなかったんで、ミエテルノゾム君がメインというかたちにはしたくなかったんです。ただ、新しいキャラクターを生み出そうとしたんですけど、うまくいかなくて、抽象的な存在になりました。キャラが前に出るとどうもよくないような気もして…最近(ゆるキャラなどの)かぶり物が多いじゃないですか。別にそれに乗っかるつもりもないので(笑)。

—- 《惑星の端》に出て来る子供のキャラクターは、他のよりも比較的具体的なメッセージを背負って出て来ますね。

照沼 あの子供は、ビッグバンで出来た惑星の種みたいなものをイメージしています。そのまわりの世界、つまり惑星の端は、やっぱり宇宙だということで、展示空間を宇宙にしてしまったわけです。まあ惑星は球体なので、どこが端かよく判らないという見方もできて…。いかにもあいまいなものですね、「端」って。

—- そもそも今回、惑星だったり宇宙だったりというテーマがあらわれてきたのは、なぜなんですか?

照沼 ええと、僕が30歳になったときに、《人生の縮図》(9)という作品をつくったんです。そのあと「夢」、そしてこんどは「Life」と、なんだかテーマがどんどん大きなものになっていって、まあ最終的には宇宙くらい大きくてもいいかなと。

—- 30歳でそんな節目を感じてしまったんですか。

照沼 はい(笑)。


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3 制作のエッセンス

—- 今回、制作のようすを拝見していて、絵画を制作すること自体へのこだわりは、ものすごくあるように感じるのですが、自分の作品を残そうという意識は、どうでしょう。

照沼 いや残したいけど、残らないですね(笑)。アキバタマビのとき(10)も24m描いたけど(図11)、結局残らないです。3×6のコンパネ何枚も、保存場所に困りますから。


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図11 「A NEW NORMAL」展示室外の廊下、照沼敦朗作画の壁画 2010年 アキバタマビ21(アーツ千代田)にて

—- なんだかもったいないような気も…。さて、どうも造形とか映像のことばかり聞いてしまいますが、映像に乗せて放たれる音楽と詩もやはり大事な表現の要素ですよね。作曲の機材はどんなものを?

照沼 作曲に関しては、Macのソフトや関連機材でやってます。特別なものはなくて…まあ単純なものが一番使いやすいので。僕は機械オンチだから(笑)。

—- えー。映像やってる人なのに。音楽づくりはいつ頃から始めたんですか。

照沼 音楽は、大学で映像を作り始めてからですね。2年生くらいかな。最初はピアノを生録音して使ってました。

—- もともと音楽やってたんですよね。小・中学の時は吹奏楽部だったとか。だから音楽のベースみたいなものはすでにあったと。

照沼 ええ、まあ。

—- 作品づくりの過程で、詩と音楽はどんな関係になっているんですか。

照沼 まず詩が絶対先にあって、音楽はそれに合わせて、暗いとか明るいとか、雰囲気をつけていくものみたいな感じですね。

—- 音楽は世界観を表すために作り込んでいくものだと。

照沼 そうです。


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—- わりと気に入っている音って、決まってきませんか。

照沼 重厚な音が好きなので、電子音とかパイプオルガンとか…。ほんとうはオーケストラを使いたい。なかなか明るい音にならないんですよね。

—- で、詩なんですが、照沼さんの作品はやはりことばがとても大事な役割を果たしていると思います。単なるつぶやきのようでもあり、シニカルなメッセージのようでもあり。とらえ方によってずいぶん印象の変わることばたちだと思います。そういうところもやはり自分らしさとして持っておきたいところでしょうか。

照沼 そうですね。もともと小さい頃から詩を書いたり、ずっと日記を書いたりしていたので。作品を作るときは、最初はキャッチフレーズというか、ことばを色々書き出して、そこから詩を作って、音楽ができて、そこに映像を作り込むという制作方法をとることが多いです。でも《終わりのない初まりの夢》みたいに、まず背景の平面作品があって、そこから詩を書いて、そして音楽、という場合もあります。

—- そうそう、音楽とともに聞こえる詩の声は、ご自分の声ですか。

照沼 そうです。機械を通してエフェクトをかけて。なにしろ絵も描くし詩も書くし音楽も作るしで、何でもひとりでやらなきゃいけないから大変です。

—- 山下裕二さん曰く「自画・自刻・自摺」の作家ということですね(11)

はい(笑)。


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4 これからの照沼ワールド

—- 照沼さんの映像作品を学生時代からみていくと、造形のスタンスは、初期のクレイアニメを取り入れたものから、徐々に平面へ、つまり絵画や実写の画像、ディスプレイ上の表現へと変化しているようにみえます。この変化はわりと自然におこっていったのでしょうか。

照沼 まあ、そうですね。意識したことはないです。

—- またクレイアニメみたいなことをやってみたいと思います?

照沼 どうですかねえ。次のプロジェクトが、壁に絵を描いてそれをもとに映像を構成するみたいなことなんで、またペンキで描くのかなあ。最近はやはり絵画を映像に撮って合成するというやりかたが増えているように思います。

—- 新作では実写を取り入れましたが、ほんとうは手描きにこだわりたいところもある?

照沼 はい。出来ることならアナログでやりたい。デジタルにはあまり頼りたくないです。手で描いたほうが愛情がわくというか。まあ限られた時間でどうやるかも常に考えてやらないと…。

—- それから、今回の出品作《終わりのない初まりの夢》みたいな、社会的な問題をテーマにした作品づくりというのは、ずっと意識してこられたことでしょうか。

照沼 そうですね。ニュースで見た事件とか、社会問題みたいなことはけっこう作品に入れ込んでいます。一番強烈だったのは《デスドミノ》(2005年)かな。《キロウサギ》(2008-9年)は、イギリスのニュースで、高速道路で横転したトラックから逃げ出したウサギの話があったんですけど、それをウサギ目線で人間の行動をシニカルに捉えるというようなものもつくってます。

—- やっぱり、正面きってメッセージを訴えるのではなく、ちょっと斜に構えて、ぼそぼそとつぶやくような…。

照沼 そうですね。ちょっと気付けよ、見りゃわかるだろ、みたいな。


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—- そんな照沼さんが、今後取り組みたいテーマは、何かありますか?

照沼 テーマねえ…。「Life」の次は、幸福かなあ。ああ、なんだか危ない方向に…(笑)。

—- そうそう、先日、多摩美術大学美術館の小林宏道さんがギャラリートークにいらしていて、「惑星の端」っていうタイトルがいい!とおっしゃっていました。

照沼 え〜、けっこう自虐な気がするけど…。

—- つまり「端」というのは、中心に対する周縁というよりは、別の世界とつねに接する、実体のない皮膜のようなものだと。

照沼 ああ。まあ今回のインスタレーションでは、外の世界に通じるドアもありますしね。

—- で、その皮膜がスクリーンそのものなんだと。照沼君はそこまで考えている。まさに映像作品のテーマにふさわしい!とのことでした。

照沼 ははああ、すごいなあ、そこまで考えてもらったなんて(笑)。いいなあそれ。

—- さて、直近の展示では、アキバタマビ21での映像作品展示(アキバタマビ映像特別展(仮) 7/25-9/6)がありますね。

照沼 はい、そこでは《終わりのない初まりの夢》を出品する予定です。出品作家が31人もいるんですが、多摩美術大学の70周年を記念して開催される展覧会です。

—- その後は?

照沼 9月に取手アートプロジェクトの仕事で、取手駅前のロータリーに映像を写すっていうのをやることになってるんです。それもレジデンスで新作を作る予定です。

—- もりだくさんじゃないですか。

照沼 まあ…(笑)

—- 例えば、まだ実現していないけれど、今後やってみたい、チャレンジしてみたいことはありますか?

照沼 そうですねえ…舞台をやってみたいです。

—- 舞台!?

照沼 はい。現代劇みたいなものを。僕がシナリオを書いてつくって、いろんな人が踊ったり演じたり。で、背景を僕が描くというのを、機会があればやってみたいですね。

・いっそ主役もどうですか。「自画・自刻・自摺・自演」で。

照沼 いやそこまでは(笑)。


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惑星の端

私は塊(つちくれ)
生物や動物を宿す惑星になれるか
ただ毒素を吐くことしか出来ない惑星になるのか
私という塊は得体の知れない固まり
私の生まれたキッカケが
運命とか必然偶然の確率の問題より
私の上で成り立つ生命の物語を
この目で見てみたい
私が産まれたきっかけを話せる時
それは君達が私のことを見つけた時
私は輝いて見えるだけの惑星でない事を
その目で足で確かめに来てほしい

—-映像作品《惑星の端》2015年 より—-

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近年、「ミエテルノゾム君」という作家の分身ともいうべきキャラクターが雑踏のなかを闊歩するという、スタイルのはっきりした作品づくりが目立った照沼は、今回あえてそこから離れることにしたようだ。彼は福沢一郎のアトリエに、新作の映像ばかりでなく、わき上がるさまざまなアイデアをこれでもかと詰め込んだ。結果、会場全体が彼なりの「宇宙」というファンタジーで満たされ、アトリエ然とした内観はほとんど姿を消してしまった。薄暗い展示空間は、彼を衝き動かしてきた「視覚」への根本的な問いかけを彷彿とさせつつも、膨張し拡散していく作家の新たな「宇宙」を感じさせるものとなった。
屈託のない笑顔が印象的な作家は、シャイなわりに、何事にも臆せずトライする肝っ玉の持ち主である。福沢一郎という美術史上の存在、そしてクセのあるアトリエという空間にまったくひるむことなく、自分自身のやりたいことをやりきるというある種の見本を、彼は示してくれた。これは後に続くであろう多くの作家たちにとって、大きな励みとなるに違いない。
さて、照沼の今後の活動はどのように展開していくだろう。再び「ミエテルノゾム君」となって、見えそうで見えない雑踏の中へ分け入っていくだろうか。それとも、新たな宇宙を開拓するため、深海魚のすがたをした宇宙船で未知の世界へ旅立っていくだろうか。いずれにせよ、今回の展示が、彼にとってひとつのステップとなり、次の実りを準備してくれるなら、それが何よりと思う。(伊藤佳之)

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インスタレーションの360°パノラマビューは以下のリンクから↓
http://photosynth.net/view/2b6c6b4c-e231-4e8e-ab58-2f0484ada39e


1 照沼敦朗個展「夢の歩き方」@新宿眼科画廊、2014年12月12日〜17日。
2 「ごった煮」展@新宿眼科画廊、2015年1月23日〜28日。参加アーティスト:清水大 / 内田佳那 / カトコト / 照沼敦朗 /BUNNY BISSOUX / ene / カミクボユウスケ / ササベ翔太 / タカハシユリ / もり いちか / 平井さぶ / 依田梓 / 羽多野加与 / 河原奈苗 / 久保萌菜 / 宮田瑞稀 / 三ツ井優香 / 山田裕介 / 若杉真魅 / 松丸陽子 / 舛屋早矢香 / 前田祐作 / 村田エリー
3 黄金町夏の陣実行委員会《黄金町vs拝借景 夏の陣》@黄金町高架下スペース(横浜市)+拝借景(取手市)、2014年8月1日〜11月3日。会期中を3期に分け、観覧者の投票で黄金町と拝借景双方のアーティストの勝敗を決める。負けた側は買った側の要求をのまなくてはならない。結果は拝借景の勝利となり、参加作家が期間限定で黄金町と拝借景のレジデンススペースを交換することとなった。照沼は黄金町側のアーティストとして2月に拝借景に滞在し、作品制作をおこなった。
4 「拝借景×黄金町交流展2015(仮)」@コンフリ(取手市)、2015年3月5日〜21日、参加アーティスト:杉山孝貴 / 照沼敦朗 / 山田裕介 / 吉本伊織
5 「拝借景×黄金町交流展2015(仮)」@八番館(横浜市)、2015年3月29日〜4月5日、参加アーティスト:阿部乳坊 / 市川ヂュン / 荻原貴裕 / 葛谷允宏 / 杉山孝貴 / 照沼敦朗 / 山田裕介 / 吉本伊織
6 「黄金町バザール2012」@横浜市初黄・日ノ出町地区各所、2012年10月19日〜12月16日。照沼の展示は「八番館」にて開催。
7 「ミエテルノゾム君」は、照沼が大学生のときに作品制作を通じて生み出したキャラクター。片方の目に複数のレンズのついた単眼鏡をはめている。作家自身が弱視であることから、世界の見え方が他人と違うことや、遠くでぼんやりと見えていたものが近づいてみると全く予想と違ったものだったことなどの体験をふまえ、「全てが見えることを望む」という作家の願いや、そこから生まれる世界観のズレなどを体現する存在である。
8 照沼敦朗ー破壊と再生 オムニバスー展@Gallery Jin Project(アーツ千代田3331内)、2013 年10月4日~20日。
9 《World in microcosm II》2012年、映像、3分35秒、DVD『人生の縮図 World in microcosm I&II』所載。
10 アキバタマビ21 プレ・オープン展 「A NEW NORMAL」@アキバタマビ21(アーツ千代田3331内)、2010年5月8日〜6月6日。照沼はこのとき、展示室外の廊下の壁に、長さ24mにわたる長大な壁画を描いた。
11 山下裕二「vol.91・92 照沼敦朗『自画・自刻・自摺』のアニメーション(上・下)」〈山下裕二の今月の隠し球〉、『美術の窓』第346・347号、2012年6・7月。

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観

【展覧会】「PROJECT dnF」第1回 照沼敦朗「惑星の端」、第2回 室井麻未「ある景色」




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福沢一郎記念美術財団では、1995年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎える2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめます。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。
今回は、ふたりの作家が展示をおこないます。学生時代から映像表現に取り組み、平面や立体の作品とあわせてモノクロームの雑踏を思わせるインスタレーションをおこなってきた照沼敦朗(多摩美術大学卒、2007年受賞)と、ゆるやかに解きほぐされたような形態を、鮮やかな色彩によって重層的に描く室井麻未(女子美術大学大学院修了、2014年受賞)です。
かれらは福沢一郎のアトリエとで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。今回は1950〜80年代の珍しい小品5点と、福沢愛用のカメラや書籍資料を展示しております。


第1回
照沼敦朗「惑星の端」

これまで、モノクロームを基調とした都市の雑踏をキャラクターが闊歩する映像や平面作品を多く手がけてきた照沼は、今回、より抽象的なイメージと鮮やかな色彩を取り入れた映像作品を発表します。この映像とドローイング、ペインティングによるインスタレーションが、福沢一郎のアトリエ内に繰り広げられます。

作家公式ホームページ http://www.terunuma-atsuro.com/

5月28日(木)- 6月10日(水) 11:00 – 17:00
会期中無休
オープニングレセプション 5月30日(土) 17:00 – 19:00
ギャラリートーク 5月31日(日) 14:00 – 15:00

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照沼敦朗 《Life》  2015年 映像 2分5秒


第2回
室井麻未「ある景色」

視覚で捉えられる世界と、そのあいだ、そのむこうにある世界。室井は両者のはざまを揺れ動きながら、その揺れ幅を塗り込めるように、ゆるやかな「絵画」のありようを探りつつ制作します。今回は新作を中心に、近年の探究の成果を発表します。

6月15日(月)- 28日(日) 11:00 – 17:00
会期中無休
オープニングレセプション 6月20日(土) 17:00 – 19:00
ギャラリートーク 6月21日(日) 14:00 – 15:00

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室井麻未 《船》 2015 年 油彩・キャンバス 259.0×194.0cm