寺井絢香 インタビュー
2016年10月29日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))
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寺井絢香(てらい・あやか)
1989年生まれ。2008年、多摩美術大学絵画学科油画専攻入学。2010年、個展「humanité lab vol.34 寺井絢香展-zokuzoku-」(ギャルリー東京ユマニテ)開催。2011年、グループ展「FIELD OF NOW -新人力-」(銀座洋協ホール)/「ユマニテコレクション −若手作家を中心に」(ギャルリー東京ユマニテ)/「画廊からの発言 ’11 小品展 チャリティーオークション」(ギャラリーなつか)。2012年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2013年、グループ展「“開発も” 新世代への視点」(ギャラリーなつか)。2015年 個展「寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「PAPER DRAWINGS」(ギャラリーなつか)。2016年、個展「新世代への視点2016 寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「現代万葉集」(ギャラリーなつか)。
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1 この展覧会と新作について
—- 展覧会のタイトル「どこかに行く」は、作品のタイトルなんですよね。
寺井 はい、窓のところに並んでいる、真ん中の作品です(図1)。あれはパリに行ったときの空を思い出しながら描きました。
—- このことばを展覧会のタイトルにしたのは、どういう思いからなんでしょう。
寺井 私は、絵を日記のように…というか、記録のように描くことが多いので。旅の印象とか思い出とか。今回、展示のお話をいただいたとき、そういうものを集めたら、自由な感じで、いい展示にできるんじゃないかと思って。ただ「旅」よりも、しっくりくることばが「どこかに行く」だったんです。
—- いろいろな場所の印象、思い出が、ここに集まっているんですね。
寺井 クロアチア、モンテネグロ、パリ、タイのアユタヤ遺跡、そして韮崎のヒマワリ畑。あんまり統一感はないですが(笑)。
—- そして今回の展示のために、新作を作ってくださったんですね(図2)。
寺井 はい。この展覧会の話をいただいたときに、今まで発表したことのない、一番大きな作品を出品してみたらどうか、と言ってくださって、いいなあと思ったんですが、測ってみたら壁におさまらないことが判って。どうしようかと思いましたが、せっかくだから新作を描くことにしました。これはクロアチアを旅したときに見た風景がもとになっています。ドゥブロヴニクという城壁の街の、たしか城壁の上から山のほうを見た風景だと思います。
図1 《どこかに行く》 2014年 30.0×30.0cm
図2 《ディナーの始まる頃に》 2016年 243.0×366.0cm
—- こういう話を聞いていると、なんというか、ふつうの旅の風景を描いた絵みたいですが、いやいや、違うんですよね。至るところにマッチのかたちが…。
寺井 建物の屋根とか、山とか。同じ街の城壁を描いたものが、階段のところにあります。小さい絵ですけど。
—- これも城壁の石が、マッチ棒の頭でできていると。西側の壁にはヒマワリの絵が4つ(図3)、これも種のところがマッチ…。
寺井 この夏に、お友達に勧められて、韮崎のヒマワリ畑に行ってきたんです。この大きな新作に取りかかる直前で、時間もないし、どうしようかな…と思ったんですが、やっぱり描いておかなきゃと思って。
—- じゃあ、ヒマワリの絵を4つ描いたあとで、この大きな新作を?
寺井 はい。
図3 西側壁面の、ヒマワリを描いた作品4点。左手前は《とある冷たい日》2014年。
—- 新作を描くのにどのくらいかかりました?
寺井 だいたい3週間くらいですね。
—- けっこう早いですねえ。
寺井 そうですか? 自分ではそんなに早いとは…あんまり細かく描いてないんで(笑)。まあ、体力は使いましたけど。私、集中力があまり長く続かないので、短期集中で(笑)。
—- この展示のためにがんばってくださって、ありがたいです。いかがですか、今回の展示の率直な感想は。
寺井 なんだか、絵が喜んでる気がします。
—- そうですか?
寺井 はい、ここは福沢一郎さんが使っていたアトリエなので、お家みたいな雰囲気がありますよね。だから、絵もリラックスしているというか…そんな印象です。
—- 展示をする上でこだわったポイントは?
寺井 きっちり並べるというよりは、ちょっとごちゃごちゃした感じの展示にしようかなと思いました。せっかくこういう場所なので、今までやったことがない展示を目指しました。結果、まあ、なんとか形になったので、安心しました(笑)。
2 マッチのある風景
—- 今回の出品作は、すべて油絵具で描かれたものですね。
寺井 はい。ヒマワリの絵と《アドリアの海》はキャンバスですが、ほかは全部ベニヤで作ったパネルに描いています。
—- 油絵具へのこだわりはありますか?
寺井 特にこだわっているわけではないですが、例えばアクリル絵具だと、乾くのが早いじゃないですか。私、あんまり早く乾くと描きづらいことが多いんです。むしろ絵具が乾ききらないところで、その上に描いていく。
—- 下の層の絵具まで、ぐいっと持っていくことで、できる線とか色とかが、わりと大事なんですね。
寺井 そうかもしれません。ただ紙の作品は、やっぱり油では合わないので、アクリル絵具を使って描きます。
—- 風景や植物の中で、どの部分をマッチのかたちで描くかは、どんなふうに決めるんですか。
寺井 ものや風景を見た瞬間に、あ、これマッチ(のかたち)で描きたい!って思うこともありますし、絵を描きながら、ここはマッチになるかな…と思ってそうすることもあります。例えばこの新作は、まず屋根をマッチで描きたいと思って、そこから始まりました。ああ、韓国の(家々の)屋根も描きたかったんですけど、今回は時間的に間に合わなくて…。ほかにもウィーンとかドイツの街とか…。
—- そういう、行ったことがあっても、まだ絵になっていないところはまだあるわけですね。国内でもそういうところはあるんですか?
寺井 国内は…この間ギャラリーなつかで個展を開いたときは、京都の苔寺の風景を描きました。でも、国内はいろいろなところへ行ってるわりには、あまり作品にはなっていないかもしれません。苔寺も、苔をマッチ(のかたち)で描きたいと思ったから行ったんです。
—- なるほど。まずマッチで描きたい!が来たわけですね。今回の個展のように、旅の風景や印象を描いた作品の場合は、マッチのかたちは自由自在に変化していますよね。その中でも、《とある冷たい日》という作品(図4)は、他のものとちょっと印象が違うように思います。
寺井 これは、パリに行ったときの印象を描いたものです。確か卒業して最初に行った海外旅行です。私、学生時代はアトリエにこもりっきりで、本当にアトリエと家との往復みたいな生活で…もっと学割とか使って、旅しておくんだったなあと思いますけど(笑)。で、行ったのがちょうど3月で、1か月くらい行ってたんですが、けっこう曇っていて、グレーなイメージで。特にこう描こう!と思ってこうなったのではなくて、こういう国だったというか…本当に写真も見ずにイメージだけで描いた作品です。
図4 《とある冷たい日》 2014年 162.0×130.3cm
—- 3月くらいのパリのどんよりした空は、やっぱり特徴的ですよね。
寺井 あとは、パリは日本と違って…日本はなんだか、堅いイメージがあるなあと思って。
—- 海外に行って、改めて日本を考えたときに?
寺井 そう。アートが、国とか街の至る処に溢れている感じだし、街じたいがアートみたいな。ルーブル美術館で子供たちが走っているし。ダ・ヴィンチの作品の前で。アートがあるのが当たり前、というか…うまく言葉に出来ないですけど。そういう日本との違いを感じたんですよね。
—- はい。
寺井 で、私はそれまで、かっちり描かなきゃいけない、みたいなふうに思っていたんですけど、そうじゃなくても…柔らかいというか、言葉は悪いですけど、雑…でもいいかなって、そんなふうに思って描いた記憶があります。
—- それまで、自分の絵はこうじゃなきゃ、と思い込んでいたことを取っ払うみたいな?
寺井 うーん…それまでは、一枚の絵をかっちり完成させなきゃいけないと思っていたんですけど、そうじゃなくてもいいかな、と。自分が描きたいと思うところが描けていれば、それでいいかなって…(逆に)かっちりさせたくないって思いましたね。
—- そんなお話をうかがうと、《とある冷たい日》は、けっこう大事な意味をもつ作品なのかもしれませんね。
寺井 そうですね。言われてみれば。
3 なぜ「マッチ」なのか
—- いつも尋ねられることだと思うんですが…そもそも、なぜマッチなのか。モティーフとしてマッチ棒を描くようになったきっかけを、教えていただけますか。
寺井 大学2年のときに、「1週間自分で決めた何かをやり続けて、そこから得たものをタブローとして描く」という、授業の課題があったんです。いやだなあ…と(笑)。で、自分で簡単にできるようなものにしようと思ったんですね。私は当時から一人暮らしだったので、家に帰っても話し相手もいないし…何となく、そのあたりにあるいろんなものに話しかけてたんです。まあ、独り言なんですけど(笑)。じゃあ、そうやって、ものに話しかけるのを意識的にやってみようと思って、ビデオでずっと記録したんです。
—- 1週間?
寺井 はい。毎日違うものなんですけど。掃除機とかコンセントとか。その、話しかけたものの中にたまたまマッチ箱があったんです。私、集合体みたいなものが好きで…虫以外は(笑)。マッチって、一本だけでいることって、あまりないじゃないですか。たいてい箱とかに入っている…そんなマッチ棒が、箱の中で会話しているような、そんな気がしたんです。例えば私がでかけたあと、私の悪口言ってるみたいな。「まったく、もうちょっと部屋片付けていきなよ」「そうだそうだ」とか。
—- へええ。
寺井 マッチ棒って、個性がないようで、個性があるんですよね、よく見ると。そんなところに面白みを感じて、課題では擬人化されたようなマッチを描きました。それが意識して描いた最初のマッチですね。それ以来ずっと…。何だか、話としてはつまんないですね(笑)。
—- いやいや(笑)。ひとくちにマッチといっても、寺井さんの作品の中にあらわれるマッチのかたちは、さまざまですよね。時期的な違いもあれば、別のスタイルが同時並行的にあらわれることもある。
寺井 そうですね。初めは擬人化というか、感情を表したりしていましたが、だんだん動物や植物のかたちになることもあって、自然と変化していった感じです。そういうマッチはくねくねしてたりしますが、一度そういう変化をさせないで描こうと思って作った「アリノママッチ」っていうシリーズ(図5)があります。曲げない、折らない。ありのままのマッチのかたちを重ねたり、密集させたりして描きました。
—- 最近の紙のお仕事でも、マッチの頭の密集だけで描いているものがありますね。こういうものと、風景の中でうねるようなマッチを描くのと、何か心持ちの中で違いはあるんでしょうか。
寺井 うーん、こっち(密集しているほう)が、かたちがとりやすいですね。あとは、マッチの存在が近い気がします。でも、風景の中にいるマッチのほうが、発散している気がしますね。
—- マッチが?
寺井 はい。活き活きしてる…というのともちょっと違うんですが…何て言えばいいか…。うまく言葉にできないですが、そんな感じです(笑)。
図5 「アリノママッチ」シリーズ 2014年 14.8×21.0cm
4 描き続けること
—- そういえば、寺井さんの作品は、福沢一郎の作品と一緒に展覧会に出品されたことがあるんですよね。豊橋市立美術博物館の企画展で(1)。
寺井 はい、私は忘れていたんですが、記念館に来た父が気がついて。
—- このとき出品されたのは、マッチ棒じゃない絵ですよね。
寺井 このとき出品されたのはまだ学生のとき描いたもので、卵とかちくわとかたけのことか、そういうものを色鉛筆で描いた作品です。ギャルリー東京ユマニテで個展を開かせていただいたときに(2)、その出品作を、コレクターの方が買ってくださったんです。で、「おでんシリーズ」にしたいから、こんにゃくがほしい!と。
—- 「おでんシリーズ」!
寺井 でも、こんにゃくの作品はその前に売れてしまっていたんです。そのあと、また描いてほしいと頼まれたんですが、結局描けていなくて…。で、そのとき買ってくださった作品が、福沢さんと同じ展覧会に…。
—– こんなところでもご縁があったんですねえ。なんだかうれしいです。ギャルリー東京ユマニテでの個展以降は、発表なさる作品はだいたいマッチが登場しますね。
寺井 そうですね。それ以降はマッチの作品以外は発表していないです。
—- ひとつのモティーフを延々と描き続ける、作り続けると聞くと、例えば耳の三木富雄さん、ドットや網目の草間彌生さんなどを思い出します。こういう人々は、たいてい、オブセッション、つまり何らかの強迫観念に突き動かされて描く、かたちづくるというふうに説明されることが多いようです。「マッチばかり描く」ということばだけ聞くと、私などは、そういう印象をまず持ってしまいます。でも、実際寺井さんのマッチを描いた絵を観ると、何かしらに追いまくられているような、切羽詰まった感じはしないですね。もっとおおらかな、ゆるい感じがします。
寺井 自分でも、そんなに切迫感みたいなことは、感じてはいないと思います。もっとこう…いつも近くにあるもの、みたいな。自分のまわりに作品があって、いつも観ていられるのがいいですね。
—- じゃあ、福沢一郎みたいにいいアトリエをつくらなきゃいけませんね。
寺井 できるんですかねえ…(笑)。
—- 今まで制作につまづいたり、行き詰まったりしたことはあるんでしょうか。
寺井 悩んだ時期はありました。マッチを絵にすると、なんだか、パターンというか、デザインみたいになるんですよね。それを絵画として成り立たせるにはどうすればいいのか、いろいろ考えました。その結果、あまりマッチだけというふうにこだわらないようにしたんです。背景に何が来てもいいし、別のものが入ってもかまわない。卒業制作の《フィナーレ》(図6)は、そんなふうに吹っ切れたところで描いた作品です。
—- 「五美大展」でもけっこう話題になったそうですね。
図6 《フィナーレ》 2012年 243.0×366.0cm
寺井 いちばん辛かったのは、大学を卒業してすぐくらいの頃ですね。いつも大学で絵を描ける環境にあったのが、自宅で描かなければいけなくなって、そんなに大きなものも描けなくなり…。このままやっていけるのかどうか、悩みました。
—- でも描くのはやめなかった。
寺井 そうですね。どんな小さなものでも、できるだけ毎日描いていました。体力が続かないときはありましたけど。なんだか、絵を描くことが、日記みたいなものだと思えるようになったんです。
—- それが今につながっているということですね。では最後に、これから自分が目指す制作について、教えてください。
寺井 そうですね…。私の絵を見た人が元気になってくれたり…別に絵や美術に興味を持ってくれなくてもいいんですけど、何か今までと違うことを始めるきっかけになるような、そんな絵を描けたらいいなと思っています。
—- なんだか壮大ですね(笑)。でもそのためには、たくさんの人に観てもらわなきゃ。もっと描いて、発表の機会をつくって…。
寺井 はい。行動で示していければと思います! そのためには、自分がもっとエネルギッシュでいなきゃいけないですね。
—- 近々、また旅に出かける予定がおありだとか。
寺井 この年末に、メキシコに行きます。
—- 福沢一郎も旅したメキシコ。そこでまた、いろいろなものを吸収して、ご自分の世界をどんどん広げていっていただきたいです。楽しみにしています。
10月29日(土)のギャラリー・トーク風景
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インタビュー記事でも触れているが、ある特定のモティーフやかたちを描き、作り続ける芸術家と聞けば、私はどちらかといえば神経質な作家のすがたを想像してしまう。そして作品も、のっぴきならない作家の精神を、細かな棘のように纏っているのではないかと身構えてしまう。
寺井が描く夥しいマッチの集合体には、しかし、視神経の奥底をちりちりと焼いたり、全身の毛をざわつかせたりするような、怖さがない。そして、旅の印象を描いた作品の中に描かれているマッチ棒は、過剰に自己主張したり、恐れおののき震えているのではない。くねったり渦巻いたり波打ったり、驚くほど自由に躍動しているのだ。
寺井の制作は、およそオブセッションとは縁遠いもののようだ。描く対象がマッチ棒の集合体に変換されるプロセスは、おそらく、凝視によってじわじわと染み出したり、背後から覆い被さるように迫り来るのではなく、傍にある親しいかたち、すなわちマッチとの対話によって導かれているのではないか。それが偶然の出会いによって始まったのだとしても、いま作家にとってマッチとともにあることは必然であり、絵画の中をともに旅する伴侶のような関係なのだろうと、私などは想像する。絵具の乾ききらぬうちに一気呵成にぐいぐいと描く力強さも、描くことへの迷いのなさ、つまり行き着く先をともに見つめる存在のなせる業なのかもしれない。
作家が毎日スマホで描く絵日記のようなデジタル画像には、たいてい、愛嬌のあるマッチ棒とともに、いつも笑顔の作家本人が描かれる。マッチ棒との近しい関係は、作家が描き続ける動機であり、作品の心棒でもある。互いに縛られない。押し込められない。この心地よい距離感が続くかぎり、寺井の作品のなかでマッチ棒たちは自由奔放に集まり、ひしめき、渦巻いて、新たな「どこか」を形作るだろう。
マッチ棒とともに続く寺井のはてしない旅のゆくえを、私はこれからも追い続け、楽しみたいと思う。(伊藤佳之)
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※このインタビュー記事は、10月29日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。
※図版のない画像は、すべて会場風景。
1 「F氏の絵画コレクション ~福沢一郎から奈良美智世代~」2012年7月28日〜8月26日、豊橋市美術博物館(愛知県豊橋市)
2 「humanité lab vol. 34 寺井絢香展 TERAI Ayaka “zokuzoku”」2010年9月13日〜18日、ギャルリー東京ユマニテ