【展覧会】PROJECT dnF 第6回 小林文香「静かな音をみる」アーティストトーク

小林文香 アーティストトークの記録

2016年10月28日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


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小林文香(こばやし・あやか)
1987年生まれ。2010年、女子美術大学洋画専攻卒業。2012年、女子美術大学大学院版画領域修了、福沢一郎賞。在学中から個展やグループ展で活躍。2011年第16回鹿沼市川上澄生木版画大賞展(大賞)、同年第11回やまなし県民文化祭(最優秀賞) など受賞も多数。2014年、第82回日本版画協会版画展にて賞候補。現在、日本版画協会準会員。

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1 制作について

—- まずは、福沢一郎のアトリエで作品の展示をしていただいた、率直な感想をお聞かせ願えますか。

小林 非常に気持がいいです。なんといっても、この天上の高さと明るさ。これまでのギャラリーの展示では感じられなかった、気持ちよさ、開放感があります。また、福沢一郎先生のアトリエという、独特の雰囲気にも助けられて…今までにない展示になりました。

—- 小林さんは木版画を主に制作していらっしゃいますね。今回も展示作品のほとんどが、モノクロを基調とした木版画です。これまでの制作じたい、モノトーンの木版画が多いのでしょうか。

小林 そうですね。絵の内容が静かなものなので、色が入って来ると、どうしてもそちらに目が行ってしまう気がして、内容を見せていくために、主にモノトーンで制作をしています。

—- 絵の内容、つまり、小林さんが木版画で表現したいと考えているものは…ことばにするのは難しいとは思いますが、あえて言うとすると、どんなものでしょう…。作品のタイトルなどは、そのヒントになりそうな気がしますよね。《やさしさの選択》(図1)とか《夢のかけら》とか、《ほしめぐり》とか。

小林 はい、人間の無意識の世界や、宇宙に関するものが、タイトルには多いような気がします。このふたつは、どこかつながっているようにも思えるので。



図1 《やさしさの選択》 2016年 木版・和紙 54.6×84.2cm

—- 人間のうちにある無意識の世界と、途方もなく大きな宇宙という世界。相反するもののようで、実はつながっているのではないかと。

小林 無意識の中にも、記憶や情報が、養分のように漂っている。そういう状態が、宇宙の空間とも通ずるように思います。宇宙も、何もないようでいて、小さな塵のようなものがあって…そこから何かが生まれていく。そういう構造が似ているのではないかと考えています。

—- そうした世界を、木版画で表現しようとしていらっしゃる。今回は版木も展示をしていただきましたね。シナベニヤの版木に、彫刻刀で細かな点を穿っていくという手法で、版面を作っているんですね。
そして、主な作品はモノトーンですが、よく見ると、いくつもグレーの階調が重なっていることがわかります。また、刷られたかたちが微妙にずれて、ちょっとぼやけたような、不思議な効果を生んでいますね。

小林 これは、ひとつの版を使って何度も刷り重ねて作品を作っているのですが、その過程で、墨の水分によって紙が微妙に伸び縮みするんです。抑えようとしても出てしまう。でも、それが逆に味といいますか、面白い効果を生むのではないかと思って、制作に取り入れています。

—- 一版多色刷をモノトーンでなさっていると。そこに思わぬ効果があるんですね。元の版木では本来色が乗らないところにも、かすかにグラデーションがかかっているものもありますね。

小林 作品によっては、ベタの版でグラデーションを刷って、奥行きを出す工夫をしています。それは最後のほうで調整のためにやっています。



2 なぜ「木版画」なのか

—- 今回はとても大きな、額やパネルにおさまらない作品も出品してくださいました(図2)。

小林 これは10回以上版を重ねて刷って、グラデーションと色味を出しています。ぼやけ方の加減によって、色の乗っていない白い大きな粒が手前に出てくるような、そんな目の錯覚が生まれていて、そこが面白いなあと思っています。

—- なるほど。木版画というと、描いたかたちをそのまま明確に刷りだすもの、というふうに思いがちですが、版を重ねることで意識せず生まれるイメージも取り込んで、作品づくりをなさっているんですね。

小林 はい。



図2 《いのちの余韻》 2013年 木版・和紙 90.0×119.0cm

—- そもそも、なぜ木版画なのか。版画でこういう表現をしてみようと考えたのは、なぜなんでしょう。何かきっかけがあったのでしょうか。

小林 私は、はじめ油絵を描いていました。油絵というのは、どこまでも描き足すことができて、絵がどんどん変わっていってしまうんですね。元のイメージから離れたものになってしまうことがあって…。で、女子美の学部2年生のときに、版画の授業がありまして、体験してみたら、これはいいんじゃないかと。はじまりがあって、終わりがあるという、工程の明確さ。そこに惹かれて、木版画を制作するようになりました。

—- 版画をはじめる前も、たとえばドローイングとか油絵とか、そういうものは、今と同じようなイメージを目指して描いていらしたんでしょうか。

小林 はい。根本的なところは同じで、静かな内面の世界を描こうとしていました。

—- それを木版画で表現しようと思ったときに、葛藤とか、悩みみたいなものはありましたか。

小林 いえ、そういうことはありませんでした。刷ることでイメージができる。そこに間違いはない。いえ、間違ってもいいんですけど…引き返しができない。

—- 潔さ、みたいな。

小林 そうです! 版を彫るときの緊張感も含めて、木版画は肌に合っていると思いました。





3 「色」が息抜きに

—- もう少し絵のお話をおうかがいしましょう。例えばこういう絵、画面を作ろうと思ったときに、元になるスケッチやドローイングは、どんなふうに作るのですか。

小林 鉛筆や墨を使って、ドローイングをします。A4くらいのサイズで描くことが多いです。そこで出来たイメージを、版木に拡大して写しています。

—- やはり、最初の下図のとおり正確に、というよりは、彫りながらだんだん変わっていくものですか。

小林 きっちり下図のとおりにはならないですね。彫り進めて試し刷りをしながら、また彫っていく、そんなふうに制作を進めることが多いです。彫ることイコール描くこと、という感覚が強いです。

—- 小林さんの作品づくりはとても細かな作業ですから、制作にはずいぶん時間がかかるのではないかと想像します。例えばこの作品(図1)などは、完成までにどのくらいかかるんでしょう。

小林 制作だけやっていた頃は、例えばこのサイズ(3裁:三六判ベニヤを3つに裁断したもの)ですと、だいたい半月くらいかかっていました。今は平日仕事をしながらの制作なので、ひと月くらいはかかってしまいます。

—- いま、制作にかける時間は1日何時間くらいなんでしょう。

小林 だいたい3〜4時間くらいでしょうか。

—- やりだすと止まらない…みたいな感じですか。

小林 いえ、ずっと彫っていると飽きてしまうので(笑)、途中で小さな色のある作品などを作りながら…息抜きしながら制作しています。

—- 色のある作品づくりが息抜きになる! 

小林 大きな作品の場合、細かな作業をひたすら続けますから、おかしくなってしまいそうで(笑)。ちょっと違うものを作って、ホッとして、また戻って来る、みたいな感じでしょうか。

—- そうすると、何点か同時並行で制作することも…。

小林 はい、そういうこともあります。

—- 今回、窓のところに置いてある、小さな作品(図3)などは、色鉛筆などを使って描いてらっしゃいますね。

小林 これも、大きな作品を作っている合間の、息抜きのようなものですね。モノクロの世界にずっと浸っていますから、色が欲しい!という欲求をここで満たして(笑)、また作品に戻っていきます。



図3 窓際に展示された小作品(一部)


4 光をえがく

—- 細かな点を穿って、モノトーンの画面をつくるという独特の制作は、木版画を始めたときからずっと変わらないのでしょうか。

小林 このスタイルが固まったのは、大学の卒業制作の時です。それまでは、色を使って、大きな彫りもして、という感じだったのですが…。ずっと、光を描きたいと思っていまして、イメージを突き詰めていくと、光子というのは丸いものなのではないか、と。その光子、光の粒を集めて、光をつくる。そんな考えが出てきました。でも、そんなことを卒業制作でやっても絶対笑われる、と思って(笑)。それまでの制作からがらりと変わってしまうこともあり….。でも、そうした考えが、自分の信条というか、性質と合致すると思えたので…。

—- 思い切って変えた、というか変わった、と。それについてのジレンマというか、葛藤みたいなものは…。

小林 恐怖心みたいなものはありました。でも、思い切って飛び越えて、よかったと思います。

—- なるほど。光を描きたい、ということなんですね。考えてみると、版木に小さな穴を穿つということは、結果的に、刷られるイメージの中に光を生み出す、光を作る、ということになりますよね。ならば、小林さんが版画の世界に飛び込み、このようなスタイルで制作をおこなっているのは、ある意味必然的なことのようにも思えます。
小林さんが版面に穿った無数の点は、光だけでなく、生命のようなものも感じさせることがあります。例えば《ひかりにうたう》という作品…。

小林 はい、2〜3年前までは、丸いかたまりのようなかたちをモティーフとして使っていまして…半抽象、半具象というか、具体的なもののイメージを固定させないかたちというのがテーマにあったんです。例えば星型を描くと、星をイメージしてしまいますよね。そういう(既成の)イメージにとらわれないかたちって何だろうと考え、見る人の感性や印象に委ねるものを目指しました。

—- これはマリモ?なんていく感想をよく聞きます。

小林 はい、そう言われます(笑)。

—- 光を描こうとしつつ、それが結果的に生命を想起させるような、そんな作品でもありますね。



図4 《ひかりにうたう》 2014年 木版・和紙 60.0×183.0cm


5 これからの制作

—- 今回、版木をぜひ展示してほしい!とお願いしましたが(図5)…。

小林 恥ずかしいですね(笑)。版木はふつう出さないものですから。




図5 《やさしさの選択》版木

—- でも、それによって制作のようすがとてもわかりやすかった、という声もいただきます。版木にも触っていただけるので…。それに、この物質感というか、迫力は、実際に見ていただかないと通じませんし。こういうものに日々取り組んでいらっしゃるのだということを感じていただけたのではないかと思います。

小林 ありがたいです。版画をやってらっしゃる方からは、触りたい!とよく言われるので、今回もお客様にはぜひ触っていただきたいです。

—- では最後に、これからやってみたいこと、目指したいことなどあれば、お聞かせください。

小林 大きな作品をもっと作りたいな、という欲求が出てきました。それと、今回も出品しているのですが(図6、7)、ひとつの版木を使って、複数のイメージを作るということにも、取り組んでみたいです。



図6 右側の壁下段左より《cosmic sound-2》、《cosmic sound-1》、《cosmic sound-3》 2017年 いずれも木版・和紙 45.5×60.0cm




図7 《cosmic sound-4》 2017年 木版・和紙 45.5×60.0cm

—- この4点、全部ひとつの版木から刷られたものなんですか?

小林 そうです。版の位置を変えたりずらしたりして…どこまでイメージを拡げられるか。今後さらに挑戦してみたいと思っています。


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「真摯」ということばが、これほど似合う作家も珍しい。小林の制作は、構想からエスキース、版木作り、そして刷りに至るまで、実に真摯な態度に貫かれている。「ストイック」とは少し違う。なぜなら、作家は極度に完璧さを求めないからだ。あくまで地道に、時には粘っこく、版に立ち向かい、刷りを重ねる。そこに「間違いがあってもいい」と作家がいうのは、あるがままの自分を受け入れ、虚飾や無理なそぎ落としを介入させず、文字通り真摯に制作に向かっていることの表れでもある。
「光を描く」という作家の目標は、絵画の根本問題でもある。だから、古来画家は光の状態、ありようをどう把握するかに腐心してきた。小林は木版に無数の点を穿つことで、この問題に自分なりの答えを示そうとしている。
世界は基本的に闇である。そこに光が差し込むことで、はじめて闇は闇として立ち上がる。彫られる前の版面が漆黒の闇だとすれば、そこにある形態を彫ることで、イリュージョンとしての光が差し込む。作家はイリュージョンの外郭をそのまま線で彫ることを良しとせず、光の状態を点およびその集合体と考え、直径3〜5mmの幾千幾万の点を穿ち、闇に光を浮かべる。静かな、しかし途方もない作業の先にあらわれるかたちは、時に星団や星雲のような果てしない世界へと我々を誘う。
宇宙は、我々の内的世界の状態と近しいもののように感じると小林はいう。こうした幻想は、ともすれば甘美な文学的詩情に耽溺する危うさを持つ。しかし、作家はそれに抗うように、モノクロームの版を重ねることでぐいぐいと押し切る。実はここに、作家の真の力量が示されているのではないだろうか。過度な詩情を排し、絵画における技術と表現の問題を独自のアプローチで追究し続けた福沢一郎の遺伝子は、こんなところにも受け継がれているように思われる。
地味に地道に制作を突き詰めてきた小林は、いま進むべき方向を確かに見定め、版画の新たな可能性をも模索し始めている。今後も自分らしく、真摯に版とイメージの世界を探究してほしいと、切に願う。(伊藤佳之)




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※このインタビュー記事は、10月28日(土)におこなわれたギャラリートークの内容を編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】「PROJECT dnF」第5回 蓬󠄀田真「display」、第6回 小林文香「静かな音をみる」

福沢一郎記念美術財団では、1996年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた2015年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回は、蓬󠄀田真(多摩美術大学卒業、1996年受賞)と、小林文香(女子美術大学大学院修了、2012年受賞)のふたりが展覧会をおこないます。
ふたりは福沢一郎のアトリエで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第5回
蓬󠄀田真「display」


《クラリネット》  2017年 水彩・紙

楽器や果物などの身近なモティーフと、さまざまな柄の布や紙を組み合わせた精緻な静物画を一貫して制作している作家が、受賞作品から近作までの選りすぐりを展示します。
また、近年作家が取り組んでいる「カルトナージュ」(ラッピングペーパーで装飾された小箱)も併せてご紹介します。

10月8日(日)-21日(土) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
レセプション 10月9日(月・祝) 16:00 – 17:00

☆ワークショップ「紙の小箱をつくる」 

さまざまなデザインが施された紙を貼って箱を装飾する「カルトナージュ」の体験ワークショップをおこないます。展示作家の蓬󠄀田真が講師をつとめます。
日時:10月14日(土) 14:00-16:00
費用:無料
人数:先着15名様
応募:メールにて受付けます。
※10/13更新:定員になりました。お申込みありがとうございました。


《イエローテーブル》  1996年 油彩・キャンバス 

第6回
小林文香「静かな音をみる」

無数の点を版木に穿ち、刷る。点の集合体は淡く輝く光となり、ざわざわとうごめく生命や、流動する宇宙を感じさせる。そんな制作をおこなう作家が、当館で新たな展示の可能性をさぐります。

10月27日(金)- 11月8日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月28日(土) 15:00 – 17:00


小林文香 《やさしさの選択》 2016年 木版・和紙

【展覧会】「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展 会場風景

2017年春の展覧会 「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展ー「福沢一郎・再発見」vol.2ー の会場風景をご紹介します。

これまであまり顧みられてこなかった、福沢一郎の装幀や挿絵の仕事。念願かなって、ようやく展覧会というかたちで、みなさまにお見せすることができました。
今回は仕事の特徴がよくわかるよう、時代ごとに区切って、本の仕事と絵画作品を交互に展示しました。画像中央の《雲》(1938年)は、同年春発行の雑誌『アトリエ』第15巻第5号の表紙と、テーマや色遣いがとても近い作品です。表紙の作品《雲(夕)》(現存未確認)は1938年春の独立展の出品作で、今回展示した《雲》は、《雲の峰》というタイトルで同年秋の個展に出品されたものであることがわかっています。

1940年代、太平洋戦争直前と終戦直後の時期は、特に興味深い仕事が多くみられます。
妻一枝が翻訳をつとめたレイチェル・フィールド著『地のさち天の幸』(1940年)や、仙台二高時代からの親友木暮亮(菅藤高徳)の初単行書『檻』(同年)などの装幀は、福沢自身にとっても思い出深い仕事であったことでしょう。
そして大田洋子著『屍の街』(1948年)など、終戦直後の装幀や挿絵には、荒涼とした大地に裸体群像がうごめく様子が描かれます。

展示室南側の白い漆喰壁に掛かるのは、《女性群像》(1949年)。これも裸体群像ですが、黄色や緑などの鮮やかな色が大胆に配置されたユニークな作例です。

階段奥の小部屋には、主に1950年代の仕事を集めました。装幀・挿絵の仕事が最も多彩なのがこの時期です。唯一残る絵本『みにくいあひるのこ』(1950年)や、挿絵を手掛けた『耳なし芳一』(1950年)など、児童書の仕事はこの時期に集中しています。上の画像右側には、『みにくいあひるのこ』で使用されなかったと思われる水彩画を展示しました。

背の高い展示棚には、装幀を手掛けた書物をたくさん収め、主だった仕事をキャプション付きで展示しました。柴田錬三郎の直木賞受賞作『イエスの裔』(1952年)ではコラージュによる装幀を試み、大江健三郎のデビュー作『死者の奢り』(1958年)では中南米旅行後の強烈な色彩と筆遣いを存分に活かして表紙絵を描きました。

覗きケースには、装幀の指定原稿や表紙絵の原画などを集めました。こうした原稿が画家の手許に遺されていたのは珍しいことなのではないでしょうか? いずれも福沢の『本』の仕事を知るうえで重要な資料です。

また、この小部屋には《犬と骨》という不思議な作品も展示しました。暗い色調で描かれた犬と、幾何学模様の鮮やかな地面、そして背景の蝙蝠傘が奇妙なコントラストを成しています。この蝙蝠傘、50年代のいくつかの作品と、『渇いた心 黒田三郎詩集』(1957年)の装幀にあらわれる、案外レアなモティーフです。

さて、今回の展覧会では、「特集『秩父山塊』+『アマゾンからメキシコへ』」というコーナーをもうけ、ふたつの特徴ある書物を掘り下げてご紹介しました。
『秩父山塊』(1944年)は、太平洋戦争のさなか、秩父の山々を歩きながらその風景を興味深く眺め描いたスケッチと文章による画文集です。殊に地質学に関する知識をベースにした風景の捉え方はユニークで、その知識の深さは現役の地質学者も舌を巻くほどです。
また『アマゾンからメキシコへ』(1954年)は、カメラ片手に中南米を旅行した際の体験をもとにした書物で、こちらは人類学の知識が豊富に盛り込まれるほか、近現代の美術にも目が向けられています。また、スケッチのかわりに写真図版が豊富に盛り込まれており、時代の変化を感じさせます。
旅した場所や興味の方向は違いますが、このふたつの書物はじつに似た造りになっていて、『秩父山塊』の10年後に『アマゾンからメキシコへ』が出版されたのは、決して偶然ではなく、『秩父山塊』リバイバル!とでもいうような、福沢の強い意志が働いたものではないかと想像されます。

上の画像右側、アトリエ北側のコーナーには、1960年代以降の本の仕事を集めました。地元富岡市の詩人斎藤朋雄の詩集『ムシバガイタイ』(1965年)、約8年間カットや表紙絵を提供していた雑誌『自由』(表紙絵は1969〜1974年)、メキシコ滞在時に知己を得た外交官伊藤武好の訳による、ホルヘ・イカサ著『ワプシンゴ』(1974年)、そして山本太郎著の詩集『ユリシイズ』(1975年)など、多彩な仕事がみられます。この頃になると、装幀をどう考慮するかという問題意識よりも、純粋に画家として「絵」を提供することに主眼が置かれた仕事が目立ちます。

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「福沢一郎・再発見」vol.2として開催した今回の展覧会、意欲的な取り組みと評価をいただいておりますが、「福沢一郎・再発見」の試みはまだまだ続きます。今後もユニークな展覧会や企画、情報発信を続けていきたいと思います。
展覧会詳細は、→こちらから。

【展覧会】「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展 5/12 – 6/19, 2017


このたび、当館では、「福沢一郎・再発見」シリーズの第2弾として、春の展覧会「福沢一郎、『本』の仕事と絵画」展を開催いたします。
読書家であった福沢は、芸術や文学のみならず、地学や考古学、民族学など、じつに幅広い書物を渉猟しました。読書によって得た知見や発想は、絵画作品の重要な主題となるほか、自らの著書に活かされることもありました。
また、彼は画業の初期から晩年に至るまで、多くの装幀や挿絵を手がけました。これらの仕事には、タブローでは成し得ない表現を追究する画家としての矜恃と、書物を愛する穏やかな心持ちが共存しているように感じられます。
今回の展覧会では、これまでまとまって紹介されることのなかった、福沢が手がけた装幀本と挿絵本、およびその原画やデザインを、同時代の作品とともに紹介し、その制作のエッセンスにせまります。
また今回は、1944年刊行の著書『秩父山塊』を取り上げた特集コーナーを設け、本書のなかで実際に使われた挿絵原稿や、地学の知識のもととなった専門書などを展示します。紀行文としても、画集としてもすぐれた本書の魅力を、存分に楽しんでいただけるものとなるでしょう。この機会にぜひごらんください。


左:『福沢一郎画集』1933年 右『秩父山塊』挿絵 1943年頃


『アマゾンからメキシコへ』写真ページ 1954年


左:大田洋子著『屍の街』1948年 中:大江健三郎著『死者の奢り』1958年 右:雑誌『自由』1970年9月号


《習作》1975年頃 アクリル・板



会 期:2017年5月12日(金)〜6月19日(月)の日・月・水・金開館
12:00-17:00
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「もうひとりの福沢一郎―画集『秩父山塊』にみる科学者の眼」
講師:本間岳史氏(地質学者、元埼玉県立自然の博物館館長)
日時:5月24日(水) 14:00〜16:00
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円(観覧料込)
※要予約、先着40名様(電話・FAXにて受付)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405
FAX. 03-3416-1166

【展覧会】PROJECT dnF 第4回 寺井絢香「どこかに行く」作家インタビュー

寺井絢香 インタビュー

2016年10月29日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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寺井絢香(てらい・あやか)
1989年生まれ。2008年、多摩美術大学絵画学科油画専攻入学。2010年、個展「humanité lab vol.34 寺井絢香展-zokuzoku-」(ギャルリー東京ユマニテ)開催。2011年、グループ展「FIELD OF NOW -新人力-」(銀座洋協ホール)/「ユマニテコレクション −若手作家を中心に」(ギャルリー東京ユマニテ)/「画廊からの発言 ’11 小品展 チャリティーオークション」(ギャラリーなつか)。2012年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2013年、グループ展「“開発も” 新世代への視点」(ギャラリーなつか)。2015年 個展「寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「PAPER DRAWINGS」(ギャラリーなつか)。2016年、個展「新世代への視点2016 寺井絢香展」(ギャラリーなつか)、グループ展「現代万葉集」(ギャラリーなつか)。

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1 この展覧会と新作について

—- 展覧会のタイトル「どこかに行く」は、作品のタイトルなんですよね。

寺井 はい、窓のところに並んでいる、真ん中の作品です(図1)。あれはパリに行ったときの空を思い出しながら描きました。

—- このことばを展覧会のタイトルにしたのは、どういう思いからなんでしょう。

寺井 私は、絵を日記のように…というか、記録のように描くことが多いので。旅の印象とか思い出とか。今回、展示のお話をいただいたとき、そういうものを集めたら、自由な感じで、いい展示にできるんじゃないかと思って。ただ「旅」よりも、しっくりくることばが「どこかに行く」だったんです。

—- いろいろな場所の印象、思い出が、ここに集まっているんですね。

寺井 クロアチア、モンテネグロ、パリ、タイのアユタヤ遺跡、そして韮崎のヒマワリ畑。あんまり統一感はないですが(笑)。

—- そして今回の展示のために、新作を作ってくださったんですね(図2)。

寺井 はい。この展覧会の話をいただいたときに、今まで発表したことのない、一番大きな作品を出品してみたらどうか、と言ってくださって、いいなあと思ったんですが、測ってみたら壁におさまらないことが判って。どうしようかと思いましたが、せっかくだから新作を描くことにしました。これはクロアチアを旅したときに見た風景がもとになっています。ドゥブロヴニクという城壁の街の、たしか城壁の上から山のほうを見た風景だと思います。


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図1 《どこかに行く》 2014年 30.0×30.0cm


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図2 《ディナーの始まる頃に》 2016年 243.0×366.0cm

—- こういう話を聞いていると、なんというか、ふつうの旅の風景を描いた絵みたいですが、いやいや、違うんですよね。至るところにマッチのかたちが…。

寺井 建物の屋根とか、山とか。同じ街の城壁を描いたものが、階段のところにあります。小さい絵ですけど。

—- これも城壁の石が、マッチ棒の頭でできていると。西側の壁にはヒマワリの絵が4つ(図3)、これも種のところがマッチ…。

寺井 この夏に、お友達に勧められて、韮崎のヒマワリ畑に行ってきたんです。この大きな新作に取りかかる直前で、時間もないし、どうしようかな…と思ったんですが、やっぱり描いておかなきゃと思って。

—- じゃあ、ヒマワリの絵を4つ描いたあとで、この大きな新作を?

寺井 はい。


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図3 西側壁面の、ヒマワリを描いた作品4点。左手前は《とある冷たい日》2014年。

—- 新作を描くのにどのくらいかかりました?

寺井 だいたい3週間くらいですね。

—- けっこう早いですねえ。

寺井 そうですか? 自分ではそんなに早いとは…あんまり細かく描いてないんで(笑)。まあ、体力は使いましたけど。私、集中力があまり長く続かないので、短期集中で(笑)。

—- この展示のためにがんばってくださって、ありがたいです。いかがですか、今回の展示の率直な感想は。

寺井 なんだか、絵が喜んでる気がします。

—- そうですか?

寺井 はい、ここは福沢一郎さんが使っていたアトリエなので、お家みたいな雰囲気がありますよね。だから、絵もリラックスしているというか…そんな印象です。

—- 展示をする上でこだわったポイントは?

寺井 きっちり並べるというよりは、ちょっとごちゃごちゃした感じの展示にしようかなと思いました。せっかくこういう場所なので、今までやったことがない展示を目指しました。結果、まあ、なんとか形になったので、安心しました(笑)。


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2 マッチのある風景

—- 今回の出品作は、すべて油絵具で描かれたものですね。

寺井 はい。ヒマワリの絵と《アドリアの海》はキャンバスですが、ほかは全部ベニヤで作ったパネルに描いています。

—- 油絵具へのこだわりはありますか?

寺井 特にこだわっているわけではないですが、例えばアクリル絵具だと、乾くのが早いじゃないですか。私、あんまり早く乾くと描きづらいことが多いんです。むしろ絵具が乾ききらないところで、その上に描いていく。

—- 下の層の絵具まで、ぐいっと持っていくことで、できる線とか色とかが、わりと大事なんですね。

寺井 そうかもしれません。ただ紙の作品は、やっぱり油では合わないので、アクリル絵具を使って描きます。

—- 風景や植物の中で、どの部分をマッチのかたちで描くかは、どんなふうに決めるんですか。

寺井 ものや風景を見た瞬間に、あ、これマッチ(のかたち)で描きたい!って思うこともありますし、絵を描きながら、ここはマッチになるかな…と思ってそうすることもあります。例えばこの新作は、まず屋根をマッチで描きたいと思って、そこから始まりました。ああ、韓国の(家々の)屋根も描きたかったんですけど、今回は時間的に間に合わなくて…。ほかにもウィーンとかドイツの街とか…。

—- そういう、行ったことがあっても、まだ絵になっていないところはまだあるわけですね。国内でもそういうところはあるんですか?

寺井 国内は…この間ギャラリーなつかで個展を開いたときは、京都の苔寺の風景を描きました。でも、国内はいろいろなところへ行ってるわりには、あまり作品にはなっていないかもしれません。苔寺も、苔をマッチ(のかたち)で描きたいと思ったから行ったんです。

—- なるほど。まずマッチで描きたい!が来たわけですね。今回の個展のように、旅の風景や印象を描いた作品の場合は、マッチのかたちは自由自在に変化していますよね。その中でも、《とある冷たい日》という作品(図4)は、他のものとちょっと印象が違うように思います。

寺井 これは、パリに行ったときの印象を描いたものです。確か卒業して最初に行った海外旅行です。私、学生時代はアトリエにこもりっきりで、本当にアトリエと家との往復みたいな生活で…もっと学割とか使って、旅しておくんだったなあと思いますけど(笑)。で、行ったのがちょうど3月で、1か月くらい行ってたんですが、けっこう曇っていて、グレーなイメージで。特にこう描こう!と思ってこうなったのではなくて、こういう国だったというか…本当に写真も見ずにイメージだけで描いた作品です。



図4 《とある冷たい日》 2014年 162.0×130.3cm

—- 3月くらいのパリのどんよりした空は、やっぱり特徴的ですよね。

寺井 あとは、パリは日本と違って…日本はなんだか、堅いイメージがあるなあと思って。

—- 海外に行って、改めて日本を考えたときに?

寺井  そう。アートが、国とか街の至る処に溢れている感じだし、街じたいがアートみたいな。ルーブル美術館で子供たちが走っているし。ダ・ヴィンチの作品の前で。アートがあるのが当たり前、というか…うまく言葉に出来ないですけど。そういう日本との違いを感じたんですよね。

—- はい。

寺井  で、私はそれまで、かっちり描かなきゃいけない、みたいなふうに思っていたんですけど、そうじゃなくても…柔らかいというか、言葉は悪いですけど、雑…でもいいかなって、そんなふうに思って描いた記憶があります。

—- それまで、自分の絵はこうじゃなきゃ、と思い込んでいたことを取っ払うみたいな?

寺井  うーん…それまでは、一枚の絵をかっちり完成させなきゃいけないと思っていたんですけど、そうじゃなくてもいいかな、と。自分が描きたいと思うところが描けていれば、それでいいかなって…(逆に)かっちりさせたくないって思いましたね。

—- そんなお話をうかがうと、《とある冷たい日》は、けっこう大事な意味をもつ作品なのかもしれませんね。

寺井  そうですね。言われてみれば。


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3 なぜ「マッチ」なのか

—- いつも尋ねられることだと思うんですが…そもそも、なぜマッチなのか。モティーフとしてマッチ棒を描くようになったきっかけを、教えていただけますか。

寺井 大学2年のときに、「1週間自分で決めた何かをやり続けて、そこから得たものをタブローとして描く」という、授業の課題があったんです。いやだなあ…と(笑)。で、自分で簡単にできるようなものにしようと思ったんですね。私は当時から一人暮らしだったので、家に帰っても話し相手もいないし…何となく、そのあたりにあるいろんなものに話しかけてたんです。まあ、独り言なんですけど(笑)。じゃあ、そうやって、ものに話しかけるのを意識的にやってみようと思って、ビデオでずっと記録したんです。

—- 1週間?

寺井 はい。毎日違うものなんですけど。掃除機とかコンセントとか。その、話しかけたものの中にたまたまマッチ箱があったんです。私、集合体みたいなものが好きで…虫以外は(笑)。マッチって、一本だけでいることって、あまりないじゃないですか。たいてい箱とかに入っている…そんなマッチ棒が、箱の中で会話しているような、そんな気がしたんです。例えば私がでかけたあと、私の悪口言ってるみたいな。「まったく、もうちょっと部屋片付けていきなよ」「そうだそうだ」とか。

—- へええ。

寺井 マッチ棒って、個性がないようで、個性があるんですよね、よく見ると。そんなところに面白みを感じて、課題では擬人化されたようなマッチを描きました。それが意識して描いた最初のマッチですね。それ以来ずっと…。何だか、話としてはつまんないですね(笑)。

—- いやいや(笑)。ひとくちにマッチといっても、寺井さんの作品の中にあらわれるマッチのかたちは、さまざまですよね。時期的な違いもあれば、別のスタイルが同時並行的にあらわれることもある。

寺井 そうですね。初めは擬人化というか、感情を表したりしていましたが、だんだん動物や植物のかたちになることもあって、自然と変化していった感じです。そういうマッチはくねくねしてたりしますが、一度そういう変化をさせないで描こうと思って作った「アリノママッチ」っていうシリーズ(図5)があります。曲げない、折らない。ありのままのマッチのかたちを重ねたり、密集させたりして描きました。

—- 最近の紙のお仕事でも、マッチの頭の密集だけで描いているものがありますね。こういうものと、風景の中でうねるようなマッチを描くのと、何か心持ちの中で違いはあるんでしょうか。

寺井 うーん、こっち(密集しているほう)が、かたちがとりやすいですね。あとは、マッチの存在が近い気がします。でも、風景の中にいるマッチのほうが、発散している気がしますね。

—- マッチが?

寺井 はい。活き活きしてる…というのともちょっと違うんですが…何て言えばいいか…。うまく言葉にできないですが、そんな感じです(笑)。


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図5 「アリノママッチ」シリーズ 2014年 14.8×21.0cm


4 描き続けること

—- そういえば、寺井さんの作品は、福沢一郎の作品と一緒に展覧会に出品されたことがあるんですよね。豊橋市立美術博物館の企画展で(1)。

寺井 はい、私は忘れていたんですが、記念館に来た父が気がついて。

—- このとき出品されたのは、マッチ棒じゃない絵ですよね。

寺井 このとき出品されたのはまだ学生のとき描いたもので、卵とかちくわとかたけのことか、そういうものを色鉛筆で描いた作品です。ギャルリー東京ユマニテで個展を開かせていただいたときに(2)、その出品作を、コレクターの方が買ってくださったんです。で、「おでんシリーズ」にしたいから、こんにゃくがほしい!と。

—- 「おでんシリーズ」!

寺井 でも、こんにゃくの作品はその前に売れてしまっていたんです。そのあと、また描いてほしいと頼まれたんですが、結局描けていなくて…。で、そのとき買ってくださった作品が、福沢さんと同じ展覧会に…。

—– こんなところでもご縁があったんですねえ。なんだかうれしいです。ギャルリー東京ユマニテでの個展以降は、発表なさる作品はだいたいマッチが登場しますね。

寺井 そうですね。それ以降はマッチの作品以外は発表していないです。


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—- ひとつのモティーフを延々と描き続ける、作り続けると聞くと、例えば耳の三木富雄さん、ドットや網目の草間彌生さんなどを思い出します。こういう人々は、たいてい、オブセッション、つまり何らかの強迫観念に突き動かされて描く、かたちづくるというふうに説明されることが多いようです。「マッチばかり描く」ということばだけ聞くと、私などは、そういう印象をまず持ってしまいます。でも、実際寺井さんのマッチを描いた絵を観ると、何かしらに追いまくられているような、切羽詰まった感じはしないですね。もっとおおらかな、ゆるい感じがします。

寺井 自分でも、そんなに切迫感みたいなことは、感じてはいないと思います。もっとこう…いつも近くにあるもの、みたいな。自分のまわりに作品があって、いつも観ていられるのがいいですね。

—- じゃあ、福沢一郎みたいにいいアトリエをつくらなきゃいけませんね。

寺井 できるんですかねえ…(笑)。

—- 今まで制作につまづいたり、行き詰まったりしたことはあるんでしょうか。

寺井 悩んだ時期はありました。マッチを絵にすると、なんだか、パターンというか、デザインみたいになるんですよね。それを絵画として成り立たせるにはどうすればいいのか、いろいろ考えました。その結果、あまりマッチだけというふうにこだわらないようにしたんです。背景に何が来てもいいし、別のものが入ってもかまわない。卒業制作の《フィナーレ》(図6)は、そんなふうに吹っ切れたところで描いた作品です。

—- 「五美大展」でもけっこう話題になったそうですね。


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図6 《フィナーレ》 2012年 243.0×366.0cm

寺井 いちばん辛かったのは、大学を卒業してすぐくらいの頃ですね。いつも大学で絵を描ける環境にあったのが、自宅で描かなければいけなくなって、そんなに大きなものも描けなくなり…。このままやっていけるのかどうか、悩みました。

—- でも描くのはやめなかった。

寺井 そうですね。どんな小さなものでも、できるだけ毎日描いていました。体力が続かないときはありましたけど。なんだか、絵を描くことが、日記みたいなものだと思えるようになったんです。

—- それが今につながっているということですね。では最後に、これから自分が目指す制作について、教えてください。

寺井 そうですね…。私の絵を見た人が元気になってくれたり…別に絵や美術に興味を持ってくれなくてもいいんですけど、何か今までと違うことを始めるきっかけになるような、そんな絵を描けたらいいなと思っています。

—- なんだか壮大ですね(笑)。でもそのためには、たくさんの人に観てもらわなきゃ。もっと描いて、発表の機会をつくって…。

寺井 はい。行動で示していければと思います! そのためには、自分がもっとエネルギッシュでいなきゃいけないですね。

—- 近々、また旅に出かける予定がおありだとか。

寺井 この年末に、メキシコに行きます。

—- 福沢一郎も旅したメキシコ。そこでまた、いろいろなものを吸収して、ご自分の世界をどんどん広げていっていただきたいです。楽しみにしています。


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10月29日(土)のギャラリー・トーク風景

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インタビュー記事でも触れているが、ある特定のモティーフやかたちを描き、作り続ける芸術家と聞けば、私はどちらかといえば神経質な作家のすがたを想像してしまう。そして作品も、のっぴきならない作家の精神を、細かな棘のように纏っているのではないかと身構えてしまう。
寺井が描く夥しいマッチの集合体には、しかし、視神経の奥底をちりちりと焼いたり、全身の毛をざわつかせたりするような、怖さがない。そして、旅の印象を描いた作品の中に描かれているマッチ棒は、過剰に自己主張したり、恐れおののき震えているのではない。くねったり渦巻いたり波打ったり、驚くほど自由に躍動しているのだ。
寺井の制作は、およそオブセッションとは縁遠いもののようだ。描く対象がマッチ棒の集合体に変換されるプロセスは、おそらく、凝視によってじわじわと染み出したり、背後から覆い被さるように迫り来るのではなく、傍にある親しいかたち、すなわちマッチとの対話によって導かれているのではないか。それが偶然の出会いによって始まったのだとしても、いま作家にとってマッチとともにあることは必然であり、絵画の中をともに旅する伴侶のような関係なのだろうと、私などは想像する。絵具の乾ききらぬうちに一気呵成にぐいぐいと描く力強さも、描くことへの迷いのなさ、つまり行き着く先をともに見つめる存在のなせる業なのかもしれない。
作家が毎日スマホで描く絵日記のようなデジタル画像には、たいてい、愛嬌のあるマッチ棒とともに、いつも笑顔の作家本人が描かれる。マッチ棒との近しい関係は、作家が描き続ける動機であり、作品の心棒でもある。互いに縛られない。押し込められない。この心地よい距離感が続くかぎり、寺井の作品のなかでマッチ棒たちは自由奔放に集まり、ひしめき、渦巻いて、新たな「どこか」を形作るだろう。
マッチ棒とともに続く寺井のはてしない旅のゆくえを、私はこれからも追い続け、楽しみたいと思う。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月29日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。
※図版のない画像は、すべて会場風景。


1 「F氏の絵画コレクション ~福沢一郎から奈良美智世代~」2012年7月28日〜8月26日、豊橋市美術博物館(愛知県豊橋市)
2 「humanité lab vol. 34 寺井絢香展 TERAI Ayaka “zokuzoku”」2010年9月13日〜18日、ギャルリー東京ユマニテ






【展覧会】PROJECT dnF 第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」作家インタビュー

広瀬美帆 インタビュー

2016年10月8日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))

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広瀬美帆(ひろせ・みほ)
1974年生まれ。1998年、女子美術大学芸術学部絵画学科洋画専攻卒業(卒業制作賞) 、1999年、第8回奨学生美術展(佐藤美術館)。2000年、女子美術大学大学院美術研究科美術専攻修士課程美術研究科修了、福沢一郎賞。同年現代日本美術展に出品。2001年、文化庁芸術インターンシップ研修員。2005年、瞬生画廊にて個展。以後毎年同画廊にて個展を開催。2014年、横須賀美術館にて「平成26年度第1期所蔵品展 特集:広瀬美帆」開催。

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1 今回の展示について

—- ここ数年、毎年銀座で個展をなさっている広瀬さん、まずは今回の展示について率直な感想を…。

広瀬 今まで、画廊や美術館で展示をしたことはあったんですが、もちろん画家のアトリエでの展示は初めてです。天井が高くて、北側からの光がきれいに入って、いいですね。こんな場所で個展ができるなんて、とてもうれしいです。ここだと、家や画廊では大きく感じる作品が、ぜんぜん大きく感じない(笑)。でも、いろいろやりたいことが試せたかなと思います。

—- 具体的には?

広瀬 例えば、西側の白くて大きな壁(図1)。ただ横並びに展示するのはもったいないなあと思って、ランダムにばらばらと置いてみました。こういう展示のしかたは初めてなのですが、ちょっとやってみたい気持ちはあったんです。


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図1 展示室西側の壁

—- この壁の作品を位置決めするのがとても早くて、さすがだなあと思いました。

広瀬 そうですか? 感覚としては、絵の構図を決めるときと同じですね。この壁全体が画面みたいな捉え方で。

—- なるほど、納得です。壁じたいが絵だと考えると、そのなかにまた絵がいっぱいあって、「画中画」みたいで面白いですね。絵の構図を決めるときもわりと早く決まるものですか?

広瀬 それがそうでもなくて(笑)。さっと決まるものもあれば、ずいぶん考えることもあります。でも、あんまり苦心しているような絵には見せたくないので…ひそかに苦労していることもある、という感じです。



2 モティーフと制作

— 展覧会のタイトルについても、お話うかがってみましょう。「わたしのまわりのカタチ」は、シンプルですが、広瀬さんご自身の制作のポイントをよくあらわしていることばだと思います。

広瀬 はい、そのものずばりで。

—- そもそも、モティーフのかたちに興味があるのだと。モティーフそのもの、例えばお団子の味だとか食器への愛着とか、そういうモノの背景や思い出などは、はっきりいってあまり興味がないと。

広瀬 そうですね。かたちをどう捉えるか。私がどう見ているかがわかるような構図、切り取り方を、さきほどお話したように、かなり厳密にやるんです。

—- 例えば、《一匹ずつ鯛焼》(図2)は、鯛焼きを焼く型や、それをはさむペンチみたいなものは描かれていますが、人物は描かれていませんね。


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図2 《一匹ずつ鯛焼》2013年 油彩・マゾナイト F100

広瀬 自分が描きたいモティーフ以外のかたちが来るのは、違うと思っているんです。物語ができちゃったり、意味がついちゃうじゃないですか。そうすると、絵を観る人の思いとか考えとかと、違うものになってしまうかもしれない。例えば(鯛焼を)焼いている人がどんな人なのか、お客さんがいるのか、そういうものがわからないほうが、観る人が想像できると思うんですね。もっというと、背景に窓を描いたら、そこは部屋の中とか。そうすると、かたちそのものに眼がいかない。私が考える絵の意味が、半分になっちゃうんです。だったら別々に描けばいい。

—- 窓が描きたければ窓だけ描けばいいと。

広瀬 そうです。それならひとつひとつ意味を持つ。私の絵はそういうものだと思っていて、なるべく(モティーフを)省略することに心を砕いています。

—- そうした、おもしろい!と思ったモノのかたちは、どういうふうに記録しておくんですか。たとえばスケッチするとか。

広瀬 スケッチすることもありますし、雑誌の広告写真みたいなものを使うこともあります。例えば《一匹ずつ鯛焼》は、鯛焼き屋さんにお願いして、スケッチしたり写真を撮らせてもらったりしました。《マスクメロン3個入》(図3)は、広告の写真を使っています。桐の箱に入ったメロンですけど、例えばへたのリズムとか、工業的に作られたのではない、それぞれ個性のあるかたちが面白いなあと思いました。


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図3 《マスクメロン3個入》2016年 油彩・マゾナイト M20

—- ずいぶん前に発見したモノのかたちを、突然描いてみたくなることもあるんでしょうか。

広瀬 そういうこともたまにありますが、だいたいはそのときどきで、描きたいと思ったものを描きますね。

—- もうちょっと作品の描き方、技法についてお聞きしたいと思います。支持体はたいていの場合、マゾナイトという合板ですよね。そもそもこれをお使いになる理由は?

広瀬 大学生のときに、いろいろな支持体を試していて…私、油絵の具で描いてますけど、いわゆる油絵のベトっとした感じや、テカった感じよりも、日本画みたいなマットな感じが好きなんです。そういう感じを出しやすい表現を試行錯誤していて、板に下地を作って描くのがいいかなと。で、大学の先生に、こんなのがあるよ、保存にも適してるよ、と教えていただいたのが、マゾナイトだったんです。


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—- 保存のこと、あまり気にしない作家が多いですが、それはいいアドバイスでしたね。画材のことをもう少しお聞きします。油絵の具を主に使っていらっしゃいますが、他にも鉛筆など、けっこう細かいところで、いろいろ使っていらっしゃるように思います。《マスクメロン3個入》のメロンも、網目に鉛筆の線が使われていますよね。

広瀬 筆と絵の具じゃ出せないニュアンスが必要なときって、あるんです。例えば、グラファイトという、鉛筆の芯の大きいやつで背景を塗ったり、羊の毛を表現するときは(鉛筆で)ぐりぐりしたりしています。絵具の色のひとつのように捉えて使っています。

—- それにしても、どの作品も、背景がそれぞれ特徴的だなあと思います。

広瀬 背景は、実はけっこう作り込んでいるんですよ。色を何層も重ねたり、一度塗って拭き取ったりしながら作ります。モティーフとの関係を考えながら、当たり前の色じゃなくて…。

—- ああ、例えば《じんじん仁丹》(図3)とか、ピンクですよね!


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図3 《じんじん仁丹》 2011年 油彩・マゾナイト F4

広瀬 そうそう。あれがグレーとか茶色みたいな、オジサンのスーツの色だったら、なんだか普通じゃないですか。ああ、仁丹か、って。そうじゃなくて、もっとモティーフのかたちに目が行く色にしたいと思っているんです。え、こんなかたちだったっけ、面白い!みたいな。《マスクメロン3個入》も、メロンは桐の箱に入って、白い紙に包まれているんですけど、白・白の背景だと、ちょっとなあ…と思って。なんというか…三姉妹的な。

—- 三兄弟ではなく三姉妹!

広瀬 美人めの三姉妹みたいな(笑)。そんな雰囲気が出るような…かたちの面白さ、個性が出るような、そんな絵になればと思って描きました。

—- それにしても、この画面づくりは、残念ながら写真やデジタル画像ではなかなか再現できませんねえ。ちょっと損かもしれません。

広瀬 そうですね(笑)。展覧会のDMなど作っても、作品とぜんぜんちがうね!と言われることが多いです。

—- これはぜひ、実物を観ていただかねば…。私などは、広瀬さんの描くものに、いろいろ感じ入ってしまうんですよ。ビールうまそう!とか、メロン…メロンいいなあ…とか。食べ物ばかりで恐縮ですけど(笑)。たぶん、広瀬さんとモティーフとのほどよい距離感、いってみればあまり強く思い入れをつっこまない、フラットな関係というのが、我々の思い入れを受けとめる間口の広さ、奥行きの深さのもとになっているのかな、と私などは思うんです。

広瀬 そうかもしれません。先ほどもちょっと話しましたけど、私、観る人にゆだねちゃうんです。どうぞ好きに観てくださいって。観る人の想像が膨らめばいいかなと思っています。もちろん自分の感情や思い入れがぜんぜんないわけじゃないですけど、自由に感じてくれればそれが一番いいかなと。


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3 影響を受けた画家たち

—- ちょっと話題を変えまして…今まで影響を受けた画家について、お話をうかがいたいと思います。『タウンニュース 横須賀版』の2014年4月の記事で(1)、美大受験のための予備校に通っていらしたとき、フランスの画家ヴュイヤールを知ったことが書かれていました。

広瀬 はい。その頃、いろんな画家に影響を受けていたんです。それで先生に「ああ、これは誰々だよね」とか、すぐ指摘されてしまって。それと、私、奥行きのある絵とか…例えば、水晶の球をリアルに描く!みたいなのが下手なんですよ(笑)。そんなこともあって、なかなか自分らしい絵が描けなかった。そんなとき、東京藝大在学中で予備校に教えに来ていた講師の方に、「広瀬なら、これかな」と、たくさんある本の中からひょいと取りだして渡されたのが、ヴュイヤールの画集だったんです。

—- ヴュイヤールのどんなところに惹かれたんでしょう。

広瀬 なんというか、平面的なのに、まわりの空気感があるというか。すんなり自分に入ってきました。そしてその講師の方が、「こういう絵が描ければ、大学受かるよ!」って言われて(笑)。

—- ほんとですか!?

広瀬 はい(笑)。それで、一生懸命研究しました。そのときにヴュイヤールの絵から学んだことは、たくさんあります。全体的に柔らかい色あいの中で、赤みたいな強い色を(要所に)配して画面をきっちり締めるとか。意識的に塗り残して、前に塗った絵の具層の色をちらりと見せるとか。筆で塗った線じゃできない表現ですよね。


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—- ほかに影響を受けた画家さんは?

広瀬 熊谷守一。今でも大好きな画家ですけど、ああいう平面的なのに奥深いというか、画面の作り方に惹かれました。

—- やはりなんとなく傾向が…。

広瀬 そうなんです(笑)。やっぱり平面的にものを捉える方に惹かれます。私も、それでいいんだと思えて、救われたので。例えば予備校で人物を描いているとき、他の人ががっつり奥行き!みたいな絵を描いている横で、私は人物の背景に柄を入れて…。

—- 柄?

広瀬 はい、模様というか柄というか。それだけで世界ができるじゃないですか。だから、いろんな模様、柄を描けるように、たくさん描いて頭と腕に叩き込みました(笑)。

—- やっぱり独特ですねえ。


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広瀬 私の通った予備校では、受験のための勉強というよりは、画家として長く続けていけるような、そういう教え方をすると言ってくださるところだったんです。

—- じゃあ大学の受験の課題もそんなふうに…。

広瀬 そうです。なんとか受かりました。でも、卒業するとき、ある先生に、「私、あなたの受験の絵がとても印象に残っているの」と言われて、すごく嬉しかったです。認めてくださる人がいてよかった、って。

—- へえ。そのときの課題の作品は?

広瀬 廃棄されました! 答案なので、やっぱり返してはくれなかったです。

—- 残念です…。


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4 人物像から身近なものたちへ

—- 大学に入ってからは、主に人物をモティーフに描いてらっしゃいましたね。

広瀬 ほぼ全部、自分です。自分のこともよくわかっていないんですけど(笑)、でも、そんな自分が、もっとよくわからない他人なんて描けるわけないって思って、ひたすら自分を描いていました。ワイヤー構造みたいなもので彫刻を作るように描いて、でも画面に現れるときは、逆光のシルエットみたいな、そんな感じを目指していましたね。

—- やはり、どっしり量感、ではないんですね。

広瀬 はい。で、その後、麻生三郎さんの作品を間近でみたときに、びっくりしたんです。これ、私がやりたいことじゃん!って。もうやられちゃってるよ!みたいな(笑)。

—- ああ…。

広瀬 麻生三郎さんがここまでやり尽くしていることを、私がまたやってもしょうがないと思ったんですよ。じゃ私ができることは何だろうって、いろいろ考えました。その後大学から離れて、自宅で絵を描くようになったときに、大きな作品を描くのが難しくなって…私、人物は等身大くらいで描かないといけないと思っていたんです。だから大学で人物を描いていたときは、いつもだいたい150号でした。自宅じゃちょっと無理ですよね…。そんなこんなが重なって、自然と身近なものたちに目を向けるようになったんです。

—- 身近なものたちも、人物の場合と同じく、あまりスケールダウンしては描きたくないんですね。

広瀬 そうですね。自分の視点がしっかり表現できる大きさを意識しています。


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—- 今回の出品作のなかでは《錘刀》(図4)が一番早い時期の作品ですね。この頃から本格的に身近なものたちを描き始めたと。それにしてもなぜこんなマニアックなものを…。

広瀬 ああ、ちょうどこれを描いていた頃、スパイにはまってまして(笑)。


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図4 《錘刀》 2001年 油彩・マゾナイト F20

—- スパイ?

広瀬 なんだか、私、マイブームがいろいろあるんです。錘刀って、密かに懐とかに忍ばせておいて、ブスリ!みたいな道具なんですね。そのかたちが面白いなあと思って。指を通す穴が3つあるんですが、そのうちのひとつ、薬指を通す穴だけ、ちょっとずれてるんですよ。そこに惹かれて、描いてみました。

—- 背景が黒っぽく塗られて、そこに赤く妖しく錘刀が浮き上がっているような…。

広瀬 いちおう、武器に染み付いた血みたいなものもイメージしました。ちょっと怖いですね(笑)。

—- 最近の作品とはずいぶん印象が違いますが、視点としてはあまり変わらずにいるわけですね。

広瀬 はい、あくまで「カタチ」にこだわりたい。それは一貫しています。



5 これからの制作

—- お話をうかがっていて、私などには、福沢一郎の絵画との共通点が浮かび上がってきました。例えば、背景の色の作り方。ヴュイヤールの絵などにもありますが、初めに塗った色を最後まで辛抱強く残して、それを活かしたり、要所要所に強い色を配して画面を締めるような方法。初期から晩年まで、かなり意識していたようです。

広瀬 ああ、言われてみれば…ですね。

—- やっぱりご縁があったんだなあと。

広瀬 なんだかうれしいです。

—- 最後に、画家としてこれから目指すところを、お聞かせください。

広瀬 あまり深く考えていないんですけど…ずっと身近なもののかたちを描いていて、それは変わらないと思うんですが、たぶん、自分が年をとって、子供が大きくなって、両親が老いて、そんな時間の流れのなかで、かたちに対する意識とか気持ちとか、そういうものは少しずつ変わっていくと思うんですね。そんな中でも、身近なかたちに寄り添いながら、ずっと制作を続けられればいいなと。そして、作品がもっと売れるといいなと思います(笑)。


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10月8日(土)のギャラリー・トーク風景

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ポップなのに緻密。堅牢なのに柔らか。二律背反が心地よく同居する画面が、広瀬作品の最大の魅力だ。その画面は、画家が自分らしくありたいと研究を重ねてきた技術に裏打ちされている。
広瀬の考える「自分らしく描くこと」は、インタビューの回答にも明かなように、もののかたちを平面的に、奥行きを伴うことにこだわらずに捉え、自らの設定した視線によって厳しく配置するところからはじまる。それに続くのは、イリュージョンとしての絵画から距離を置き、形態と色彩のせめぎ合いから画面を生み出す、ある意味非常にストイックな作業だ。しかし厳しさが画面からにじみ出して来ないのは、心地よくデフォルメされたモティーフそれ自体のゆるさのせいかもしれない。厳しさとゆるさが反応しあって、一種のしなやかな緊張が画面に満ちる。それが広瀬の理想的な作品のありようだといえる。
身近なもののカタチを追究し続ける広瀬は「いま(私は)何を描くべきか」という現実的な課題につとめて意識的に取り組み、成功している画家だと、私などは考えている。自分にしか実現し得ない絵画表現を、試行錯誤の末に獲得し、背伸びをせず、しかし果敢に描き続けているのだ。思想や主題におぼれ、素材やモティーフに惑わされ、何をしたいのかさえ見失う表現者のほうが、いま圧倒的に多い。これでいいのかという迷いが、表現者をさいなみ、やがて諦めへと誘ってしまう。
広瀬の作品を見ていると、厳しさに裏打ちされた優しさが「これでいいのだ」と語りかけてくる。いま描くべきもの・ことは、すぐそこにある。それを見いだせるかどうか。そこから画家の挑戦がはじまるのだ。
広瀬自身がヴュイヤールや熊谷守一の絵に救われたように、広瀬の絵が若い表現者を救う日が来るかもしれない。いや、すでに何人か、救っているのかもしれない。いま描くことの意味を、「これでいいのだ」と優しく語りかける広瀬の制作が、これからも自分らしく、しなやかに、ずっと続いていくことを願っている。(伊藤佳之)

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※このインタビュー記事は、10月8日(土)におこなわれたギャラリートークの内容と、事前におこなったインタビューを編集し、再構成したものです。


1 「4月12日から横須賀美術館で所蔵品展を行う 広瀬 美帆さん」『タウンニュース 横須賀版』2014年4月11日号 http://www.townnews.co.jp/0501/2014/04/11/232752.html

※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観






【展覧会】「PROJECT dnF」第3回 広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」、第4回 寺井絢香「どこかに行く」

 

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福沢一郎記念美術財団では、1995年から毎年、福沢一郎とゆかりの深い多摩美術大学油画専攻卒業生と女子美術大学大学院洋画専攻修了生の成績優秀者に、「福沢一郎賞」をお贈りしています。
この賞が20回めを迎えた昨年、当館では新たな試みとして、「PROJECT dnF ー「福沢一郎賞」受賞作家展ー」をはじめました。
これは、「福沢一郎賞」の歴代受賞者の方々に、記念館のギャラリーを個展会場としてご提供し、情報発信拠点のひとつとして当館を活用いただくことで、活動を応援するものです。

福沢一郎は昭和初期から前衛絵画の旗手として活躍し、さまざまな表現や手法に挑戦して、新たな絵画の可能性を追求してきました。またつねに諧謔の精神をもって時代、社会、そして人間をみつめ、その鋭い視線は初期から晩年にいたるまで一貫して作品のなかにあらわれています。
こうした「新たな絵画表現の追究」「時代・社会・人間への視線」は、現代の美術においても大きな課題といえます。こうした課題に真摯に取り組む作家たちに受け継がれてゆく福沢一郎の精神を、DNA(遺伝子)になぞらえて、当館の新たな試みを「PROJECT dnF」と名付けました。

今回も昨年に続き、ふたりの作家が展示をおこないます。広瀬美帆(女子美術大学大学院修了、2000年受賞)と、寺井絢香(多摩美術大学卒業、2012年受賞)です。
ふたりは福沢一郎のアトリエとで、どのような世界をつくりあげるのでしょうか。

なお、アトリエ奥の部屋にて、福沢一郎の作品・資料もご覧いただけます。


第3回
広瀬美帆「わたしのまわりのカタチ」 ※終了しました

ときに柔らかく、ときにヴィヴィッドに、いつもすぐそばにある身近なものたちを描く広瀬の制作は、確かな観察眼と、モティーフへの愛着に裏打ちされています。
画家の身近な「カタチ」の数々が、福沢一郎のアトリエいっぱいに広がります。

9月30日(金)- 10月12日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月8日(土) 15:00 – 17:00

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広瀬美帆 《マスクメロン3個入》  2016年 油彩・マゾナイト 72.7×50.0cm

 


第4回
寺井絢香「どこかに行く」

学生時代から「マッチ棒」をモティーフに描き続ける寺井の制作は、モティーフに縛られているかと思いきや驚くほど自由で、絵画の可能性にあふれています。今回の展示は新作を中心に、その絵画世界を押し広げる試みとなります。

作家公式ホームページ http://teraiayaka.jimdo.com/

10月21日(金)- 11月2日(水) 12:00 – 17:00  観覧無料
木曜定休
ギャラリートーク、レセプション 10月29日(土) 15:00 – 17:00

 

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寺井絢香 《とある冷たい日》 2014年 油彩・パネル 162.0×130.3cm

 

 


【展覧会】「Words Works」展 会場風景

2016年春の展覧会 「Words Works」展ー「福沢一郎・再発見」vol.1ー の会場風景をご紹介します。

 

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今回の展覧会は、福沢一郎のことばを、文字通りキーワードとして、時代や作風に関わりなくピックアップして展示するという試みでした。ですから、《海》(1942、左端)の横に《政治家地獄》(1974、左から2番目)が来るという、ちょっと奇抜な並べ方になっています。この壁面のキーワードは「変わったのは政府であって、私ではない」。

 

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《海》(1942)は、以前熱海の旅館に掛かっていたもので、近年富岡市に寄贈され、修復がおこなわれました。福沢が治安維持法違反の疑いで逮捕された年(1941)の翌年に描かれたもので、戦時下の制作を知るうえで貴重な作例です。

 

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階段手前の漆喰の壁に掛かっているのは、滞欧作《装へる女》(1927、右端)。第16回二科展(1929)の出品作で、当時の雑誌にも図版が載っています。絵画に本格的に取り組みはじめた頃の作品と考えられており、ちょっとあやしいムードも漂う不思議な作品です。「こんな色のストッキングが当時あったのかしら?」「日本にはなかったかもしれないけど、パリならあったんじゃない?」という会話が、おしゃれな女性観覧者の間から、ちらほらと聞こえてきました。

 

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この南側漆喰壁から西側、そして北側のコーナーまでに展示された作品のキーワードは「俺ぁ、シュルレアリストなんかじゃあ、ねえよ」です。今なおシュルレアリスム絵画の紹介者として語られることの多い福沢一郎ですが、彼はひとつのイズムにこだわらず、つねに新しい美術の動向に興味を示し、必要とあらばそれをためらいなく試行しました。ここではそんな画家の姿勢を示す作品を集めました。先にご紹介した《装へる女》のほか、科学雑誌の図版からイメージを引用している《蝶(習作)》(1930、下段中央)、黒一色の不定形のイメージが支配する《黒い幻想》(1959、下段左)、そして「デコラ板」という新素材(当時)を用いた壁画の習作としてつくられた《雪男》(1959〜60頃、下段右)を展示しました。

 

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階段脇から入る小部屋には、「美しき幻想は至る処にあり」という、作品のタイトルからとったキーワードをもとに作品・資料を集めてみました。福沢は地学や考古学、人類学などの学問に強い興味を示し、そこから主題や表現の幅を広げるヒントを得ていました。雑誌《太陽》の創刊特集「日本人はどこからきたか」の挿絵原画として描かれたとされる作品(1962頃)は、挿絵の機能を果たすことに終始するのではなく、絵画としてどう成り立たせるかに強い興味が向けられているように思えます。

 

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また、ここには小品ですが不思議な魅力をたたえた《顔》(1955、右端)と、素描《オーストラリア2》(1968頃、右から2番目)も展示してみました。前者は中南米旅行から帰ってから描いた「中南米シリーズ」の1点で、後者はオーストラリアのネイティブの人々を題材に描いたものです。いずれも福沢の人類学への興味が発端となって描かれたものと考えられています。しかし《顔》などは、大きく描かれた顔の、右には廃墟のような都市風景、左には荒涼とした大地が広がり、人類社会への警鐘をうかがわせるような作品でもあります。

 

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展示ケースの中には、このコーナーのキーワード「美しき幻想は至る処にあり」のもととなった作品(1931)の解説パネルと、『秩父山塊』(1944)を展示しました。『秩父山塊』は戦争中の著書ですが、当時の山村風景が洒脱な筆致で描かれているだけでなく、地質学や同時代の社会への強い興味が示され、専門家も驚くほどの知識と見識に満ちている好著です。ドイツ文学者の池内紀さん推薦で復刊もされており(1998)、手軽に楽しめます。

 

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今回の「Words Works」展は、「福沢一郎・再発見」vol.1と銘打って開催しました。今後も画家福沢一郎とその作品の魅力を「再発見」していただけるような展覧会を企画していきたいと思います。
展覧会詳細は、→こちらから。

 

【展覧会】「Words Works」展 5/13 – 6/20, 2016


このたび、当館では、春の展覧会として、「Words Works」展を開催いたします。
画家福沢一郎は、生涯にわたってテーマ(主題)を中心にした絵画制作をおこないました。そのテーマは多岐にわたりますが、ある象徴的ないくつかのことばが示す考えや思いが、それらのテーマの心棒となっています。
また彼は、昭和初期から文筆活動もさかんにおこない、さまざまなことばで美術の動向を、社会を、そして自分自身を語ってきました。それらのことば自体も、彼の鋭くドライな視線と、柔軟な芸術観、そして制作の姿勢を示すものです。
この展覧会は、作品を読み解く鍵として福沢自身の象徴的なことばを取り上げ、時代や作風を超えて作品をピックアップし、展示します。そこから浮かび上がる画家福沢一郎の実像とは、どんなものでしょうか。
福沢の生誕120年に向けたキャンペーン「福沢一郎・再発見」の一環でもあるこの展覧会、ぜひご覧いただきたく思います。

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会 期:2016年5月13日(金)〜6月20日(月)の日・月・水・金開館
    12:00-17:00 
入館料:300円

※講演会開催のお知らせ
「福沢一郎 ことばと作品」
講師:伊藤佳之(当館学芸員)
日時:5月25日(水) 14:00〜16:00
場所:福沢一郎記念館
会費:1,500円
※要予約、先着40名様(電話・FAXにて受付)

<お問い合わせ:お申し込みはこちらまで>
TEL. 03-3415-3405
FAX. 03-3416-1166

【展覧会】「福沢一郎のヴァーミリオン」展 会場風景

秋の展覧会 「福沢一郎のヴァーミリオン」展 の会場風景をご紹介します。

 

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記念館のメインウォールともいうべき青森ヒバの壁では、《闘牛》(1978)の大作がしっくりおさまっています。その右側には比較的小さいですが、同じ描法を用いたものを2点。「この絵を見るといつも元気が出るわ〜」とおっしゃるお客様も。

 

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白い漆喰の壁には、青い空と真っ赤な牛が印象的な《闘牛》を、ぜいたくに1点だけ展示しました。ちいさな作品ですが、力があります。
その上には《花と鳥》(1970)。春の「PROJECT dnF」で室井麻未さんが初めてここに作品を展示してくださったので、どうしてもこのスペースを使いたくなってしまいました…。
そして、西側の壁には最晩年の大作《卑弥呼》(1991)。輿に乗って群衆の中をゆく卑弥呼にスポットをあて、その存在を強調してみました。

 

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北側の壁には、1965年のニューヨーク滞在の頃に描かれた《争う男》。ハーレムの喧噪が赤で表現されています。その隣には、赤を多く使ったちょっと珍しい《ノアの洪水》(1970)。赤で描かれた人間たちのさまざまな姿にご注目ください。

 

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階段脇から小部屋へと向かいます。部屋の入り口では《食水餓鬼》(1972)がお出迎え。部屋に入ると、ピンクの服と大地、黄緑色の空のコントラストが印象的な《オーストラリアの砂漠にて》(1967)と、今回唯一の水彩作品《インディオの女》(1954)が右手に並んでいます。

 

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小部屋左手には《アダムとイヴ》(1958)と《鳥の母子像》(1957年)の50年代コンビ。ステンドグラスのような《鳥の母子像》も美しいですが、デコボコとした《アダムとイヴ》の渋い存在感もなかなか。もちろんどちらにも「赤」が効いています。

 

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資料展示のケースには、福沢一郎の本棚から、赤い本をチョイスして並べてみました。まず『独立美術3 福沢一郎特集』(1932)。この中には、1932年当時の福沢のパレットをうかがい知ることができるカットがあります。ゆるいイラストがたまりません…。
それから、福沢一郎著『エルンスト』(1939)と、大江健三郎著・福沢一郎装幀『死者の奢り』(1958)。後者は、大江の小説家デビュー作を収録した初の単行本。この原画は今どこにあるのでしょうか? いつか巡り会えたらいいなと思います。

 

「赤」にこだわって選び抜いた作品たちは、それぞれ強い輝きを放っていますが、ただ単に派手というわけではなく、むしろ空間にしっくりとおさまって、画題や時代ごとの描き方をくっきりと浮かび上がらせています。
ぜひ、たくさんのかたにご覧いただきたいです。

 

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福沢一郎記念館は、展覧会会期中の日、月、水、金の開館となります。
皆様のお越しをお待ちしております。
展覧会詳細は、→こちらから。