題名/title: | 《餓鬼》/ Gaki(Preta) |
制作年 /date: |
1972年 |
技法・材質 /materials: |
アクリル・カンヴァス/acrylic on canvas |
寸法/size: | 227×179cm |
所蔵 /collection |
愛知県美術館 Aichi Prefectural Museum of Art |
1970年代前半、ギリシャ神話に取材した一連の作品に引き続き、福沢は「地獄」や「餓鬼」をテーマにした連作に取り組む。1972年には源信の『往生要集』にみられる日本の地獄や餓鬼のすがたを多数描いた。暗い風景の中で蠢き、そして近景に赤く浮かび上がる餓鬼の姿が、陰惨なようでもあり、またユーモラスでもあるのは、逞しく生き続けようとする者達への共感によるものか。 |
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【作品】 レダ / Leda 1992年
題名/title: | 《レダ》/ Leda |
制作年 /date: |
1992年 |
技法・材質 /materials: |
アクリル・カンヴァス/acrylic on canvas |
寸法/size: | 193.0×259.1cm |
所蔵 /collection |
福沢一郎記念美術財団 FUKUZAWA Ichiro Memorial Museum |
1960年代後半から最晩年に至るまで、「レダ」は福沢の作品にしばしばあらわれる。彼は白鳥となった大神ゼウスと、共に戯れるレダの姿を借りて、奔放でおおらかな人間讃歌を描こうとした。 |
【作品】 天の磐戸 / AMA-NO-IWADO 1986年
題名/title: | 《天の磐戸》/ AMA-NO-IWADO |
制作年 /date: |
1986年 |
技法・材質 /materials: |
アクリル・カンヴァス/acrylic on canvas |
寸法/size: | 197.0×333.3cm |
所蔵 /collection |
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 Tomioka City Museum / FUKUZAWA Ichiro Memorial Gallery |
80年代半ば、福沢は古事記に取材した大作に取り組む。時に猥雑で時に奇想天外な神話の世界は、福沢の好んだ奔放で力強い人間のすがたを描くのに格好の主題だった。 |
【作品】 悪のボルテージが上昇するか21世紀 / Will the Voltage of evil rise in 21th century? 1986年
題名/title: | 悪のボルテージが上昇するか21世紀/Will the Voltage of evil rise in 21th century? |
制作年 /date: |
1986年 |
技法・材質 /materials: |
アクリル・カンヴァス/acrylic on canvas |
寸法/size: | 197.0×333.3cm |
所蔵 /collection |
富岡市立美術博物館/福沢一郎記念美術館 Tomioka City Museum / Fukuzawa Ichiro Memorial Gallery |
80年代半ば、日本はバブル経済真っ只中であったが、世界情勢は混乱し戦争と貧困とが広がりつつあった。福沢はそんな現今の世情から、やや警句的に、象徴的に、未来のすがたを描いた。裸体群像がうごめくさまは終戦直後の《敗戦群像》などの連作を彷彿とさせる。 |
【作品】 ノアの箱舟の出来事 / A Scene of Noah’s Ark 1991年
題名/title: | 《ノアの箱舟の出来事》/ A Scene of Noah’s Ark |
制作年 /date: |
1991年 |
技法・材質 /materials: |
アクリル・カンヴァス/acrylic on canvas |
寸法/size: | 193.0×259.1cm |
所蔵 /collection |
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 Tomioka City Museum / FUKUZAWA Ichiro Memorial Gallery |
旧約聖書、ことにノアの箱舟の物語は晩年の福沢にとって重要な主題であった。洪水から逃げ惑う人間像が多く描かれるなか、最晩年の本作品は一転して静かな印象を受けるものである。洪水のあと箱舟から出て来る動物と人間達、そして明るい水辺の風景が画面を支配し、その光景を静かに見つめる人物=ノアが画面右端に描かれる。65年に及ぶ画業をとおして、人間社会を諧謔的に描くことを本領としてきた福沢は、没する前年、人間への確かな信頼をこの大きな画面に込めた。 |
【作品】 船舶兵基地出発 / Seaman goes to war from base 1945年
題名/title: | 《船舶兵基地出発》/ Seaman goes to war from base |
制作年 /date: |
1945年 |
技法・材質 /materials: |
油彩・カンヴァス/oil on canvas |
寸法/size: | 182.0×258.0cm |
所蔵 /collection |
東京国立近代美術館(アメリカ合衆国より無期限貸与) The National Museum of Modern Art, Tokyo(eternal loan from United States of America) |
1945年4月の「戦争記録画展」に同名の作品が出品されているが、同展を紹介した雑誌記事に掲載された同名の作品図版と本作品は異なり、また特攻艇がまさに大型船に激突しようとするような場面を描いていることから、出品歴と題名について更なる検討を要する。描かれた特攻艇は四式肉薄攻撃艇「マルレ」か。穏やかな筆遣いがドラマティックな画面構成を伴って現れるのは、戦争画を描いていた時期に限ってみられる特徴である。 |
【作品】 魚雷攻撃(マレー沖海戦) / The Naval Battle off Malaya 1942年
題名/title: | 《魚雷攻撃(マレー沖会戦)》/ The Naval Battle off Malaya |
制作年 /date: |
1942年 |
技法・材質 /materials: |
油彩・カンヴァス/oil on canvas |
寸法/size: | 60.8×90.3cm |
所蔵 /collection |
福富太郎コレクション FUKUTOMI Taro Collection |
1941年に治安維持法違反の嫌疑で逮捕されて後、福沢は美術文化協会に復帰し、国策に沿った活動を行ってゆこうとする。1942年5月の第三回展には「企画作品」として《帰雁》《狂乱のエクゼター》など南方の海戦にまつわる作品を描いている。本作品は出品作ではないが、そうした一連の海洋画連作の一部といえよう。 |
【作品】 黒い幻想 / Black Fantasy 1959年
題名/title: | 《黒い幻想》/ Black Fantasy |
制作年 /date: |
1959年頃 |
技法・材質 /materials: |
油彩・カンヴァス / oil on canvas |
寸法/size: | 116.7×91.0cm |
所蔵 /collection |
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 Tomioka City Museum/FUKUZAWA Ichiro Memorial Gallery |
黒一色の不気味な画面は、油で溶いた絵の具を画面に流し、くしゃくしゃにした布などを貼り付け、そのまま放置して固着させたり、あるいは引き剥がしたりして作られたものと思われる。「モノクロームで一種デカルコマニーの方法をキャンバスに応用し、唐突で偶成的なイマージュの世界を楽しんだ」と画家自身が述べるように、1930年代にシュルレアリスムの画家達が行ったような無意識の世界の探求を、福沢はこのとき試していたようである。即物的な表現に傾斜した時期なればこその、「シュルレアリスムの復活」か。 |
【作品】 女 / Woman 1937年
題名/title: | 《女》/ Woman |
制作年 /date: |
1937年 |
技法・材質 /materials: |
油彩・カンヴァス/oil on canvas |
寸法/size: | 162.1×112.1cm |
所蔵 /collection |
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 Tomioka City Museum/FUKUZAWA Ichiro Memorial Gallery |
雲に影が映るほど巨大なスケールで描かれた人物像は、マザッチオの《楽園追放》のエヴァのポーズを借りて描かれている。不自然な構図と無機質な配色は、観る者に漠然とした不安を起こさせる。 |
【作品】 雪男 / Snowman 1959-60年頃
題名/title: | 《雪男》/ Snowman |
制作年 /date: |
1959-60年頃 |
技法・材質 /materials: |
高圧メラミン化粧板(デコラ)・ベニヤ板 / High Pressure Laminates(Decola) on plywood |
寸法/size: | 91.0×61.6cm |
所蔵 /collection |
富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 Tomioka City Museum/FUKUZAWA Ichiro Memorial Gallery |
平滑なメラミン化粧板を象嵌細工のようにはめ込んで作った珍しい作例。いわゆる「アンフォルメル」に刺激を受けた時期のものは技法が多岐に亘るが、こうした抽象的かつ平面的な作品は他にほとんどみられない。ただ、メラミン化粧板を用いた技法は、ある工房によって壁画の制作に使われたという証言・資料があり、本作品はその試作品であるという。技術革新によって生まれる新たな技法に対して、福沢が強い興味を示していたことが判る。 |