【展覧会】PROJECT dnF+ vol.1 報告: 山内隆 個展「巡礼。2014-2022」を終えて

PROJECT dnF+ vol.1 報告: 山内隆 個展「巡礼。2014-2022」を終えて

山内 隆(女子美術大学 教授)



山内 隆(やまうち・たかし)
1968年岐阜県生まれ。1993年東京藝術大学 大学院美術研究科 壁画専攻修士課程修了。1996年同学大学院美術研究科油画専攻 満期退学。同年より東京藝術大学 助手。1999年より女子美術大学芸術学部講師。現在同学教授。2017―18年ウィーン応用美術大学Institute of Fine Arts & Media Art Sculpture and Space研究生。
主な個展:2017年 Takashi Yamauchi Open Studio ‒ Point ‒ JOSHIBI Residency(Kunstraum Kreuzberg / Bethanien,Berlin, Germany) / Unter Sternen(Solingen,Germany)、2018年 研究発表展示 Sculpture and Space (exhibition room,Wien, Austria)、2022年「山内隆展 巡礼。そらより」(ギャラリー広田美術 東京、銀座 ) /「山内隆展 巡礼。何処/其所」(iGallery DC 山梨、笛吹市)
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展示風景

私は長らく「祈りと奉拝の場」をコンセプトに創作を続けてきました。この度、福沢一郎記念館における個展「巡礼。2014-2022」でその一部を発表いたしましたので、あらためて報告をさせて頂きたいと思います。

今回展示した作品制作のきっかけを紐解くと、2010年頃に拝聴した、故南嶌宏先生(女子美術大学教授)の講演「芸術の根拠~アウシュヴィッツ、以後」のなかで、『絶対的な死の現場と、表現の根源的欲求』という言葉に触れたことに遡ります。その言葉は私の心に残り続け、2013 年に実際にアウシュヴィッツに訪れることで、その意味を現場で反芻することとなりました。訪問後しばらくして起きた変化として、それまでの私の制作は「永続する魂」を主題にした、ひとのフォルムの彫刻であり、自分の心の内側から発露した心情や分身としての作品だったことに対し、以降、創作の衝動が旅や歴史洞察など外的な要因からも起こるようになりました。今回の展示作品にあったスケッチ群はその過程として介在しています。

強制収容所訪問ののち、九州地方での仕事の流れで長崎浦上の原子爆弾爆心地に寄り、なんのきなしに船に乗り、五島の福江島へと向かいました。予習もせずに無計画な状態で島に上陸し、島の観光案内所に紹介されていた教会群の一つ一つを目指して車を走らせていきました。旅を終えた後も、それらの小さな島々に点在する簡素な教会の印象がずっと頭から離れず、のちに潜伏キリシタンの営みから教会献堂までの長い歴史を詳しく知ることで、得体の知れぬ場のもつ求心力、祈りのかたちというものの正体をなぞることとなりました。私は南嶌先生の言葉にあった“絶対的な死の現場と、表現の根源的欲求”の意味を、長崎の教会群から強く感じ取ったのだと思います。以後、私は五島の島々や外海、生月、平戸、雲仙、天草など潜伏キリシタンゆかりの長崎の地をひとつひとつ訪れ、また再訪を繰り返していきました。

長崎や五島の領域に足を踏み入れると、何かに「接続」したような感覚に陥ります。初めて入る教会の扉を開け、そこに立ち入った瞬間も同様です。夏場に木造の教会に入るとムッと熱気を感じ、あっという間に汗ばんでいきます。古い建築や、劣化の進んだコンクリート建築には何ともいえない匂いがあり、時間帯や気候、四季によって様々な「接続」の感覚があります。長崎に行く度にその感覚は高まり、気がつくと私は罫線入りのノートに簡易な筆記用具で目の前の教会や聖堂内のスケッチを描き始めていました。それは接続の場への敬意から湧いた創作への衝動とでもいうのか、長崎から始まった教会巡礼とスケッチは奄美大島から北海道まで時間をかけてゆっくりとその範囲を広げ、それはやがてスペインの巡礼路へと繋がっていきました。

 

展示風景 長崎、五島ほか「巡礼」スケッチ

 

スペインの巡礼路では、誰かに見せるわけでもないスケッチをただ無心に描き重ねる日々があり、その時間が私には新鮮でした。日の出と共に出発し、日没まで歩き、描く。旅の目的地こそあるものの、美術的なねらいも、宗教的な祈願の成就も、贖罪もない毎日の繰り返しでした。何も持たないからこそ、巡礼という行為そのままを身体に取り込み、結果そこに今までの制作やドローイングとは違う、ただ描くことだけを行うという空白のような時間が生まれました。奉拝の場でスケッチを続け、覚書を記す時間を持つこと。それが私なりの祈りの儀式であり、巡礼なのだと思います。

 

展示風景 中央;スペイン巡礼の記録、GPS映像展示 右:「あるたてもの / 出津 / 長崎」

 

2020年以降、ちょうどコロナ禍が始まる頃に予定していたスペイン巡礼路の別ルートの旅(北の道)は頓挫することとなりました。しかし、合間を縫っては奉拝の場を求め、地元の里山や関東近辺の史跡を洞察することであらたな展開に導かれました。地元である相模原市橋本の川尻八幡宮には良い顔をしたお稲荷様がおり、それらのドローイングからはじまり、周り回って関甲信地方の山岳信仰の場や神社に辿り着きました。今回の展示に含まれた彫刻作品《巡礼。そらより》は、それらの地域に多く鎮座する御眷属信仰(おいぬさま)から創作の着想を得たものです。また、2022年の3月末に再訪した長崎、出津の心象である彫刻作品《あるたてもの》も今回の展示の構成に含めました。空白のスケッチ期間から時が経ち、祈りの場での時間がドローイングや彫刻に転化されていったように思います。

 

展示風景 画面中央の立体作品2点は「巡礼。そらより(阿形、吽形)

 

奉拝の場のスケッチというシンプルな行為から、現在の制作への繋がりを展示した「巡礼。2014-2022」は、故福沢一郎氏のご遺族である福沢誉子さんが長崎のキリシタン史跡への造詣が深く、さらにスペインの巡礼路に対する関心を強く持っていらしたことや、福沢一郎氏が戦時中に発行した記録集である「秩父山塊」を学芸員の伊藤佳之さんからご紹介いただいたことなど、様々な要素が重なることで実現に至りました。前述したように、スケッチはノートの裏表に描くなど発表を前提としていなかったため、展示のタイミングや方法が思い浮かばず、引き出しの奥底に眠らせているような状態でしたが、記念館のご縁から展示開催へと呼び覚ましていただいたように感じています。また教会建築を模したようなアトリエ建築である福沢一郎記念館の空間で、これらの教会群のスケッチの展示ができたということは、私にとって意味のあることでした。

南嶌先生の遺した言葉や、福沢一郎氏の遺した秩父山塊との出会い、また記念館を護る皆様との時間など、様々な円環から導かれるように進んでいった今回の展示ですが、ある形として提示できたことを、この場をお借りして関係者の皆さまに御礼申し上げます。ありがとうございました。コロナ禍の現状もあり今回は叶いませんでしたが、いつの日か「秩父山塊」を巡礼としてなぞるような教育プログラムが実行できたらと心に温めております。以上、ご報告とさせていただきます。

— Photo by Ujin Matsuo