【展覧会】PROJECT dnF 第8回 渡部未乃「Botanical garden」アーティストトークの記録

渡部未乃 アーティストトークの記録

2019年11月2日
ききて:伊藤佳之(福沢一郎記念館非常勤嘱託(学芸員))


ーーーーーーー
渡部未乃(わたべ・みの)
1989年、東京生まれ。2014年、多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業、福沢一郎賞。2016年、多摩美術大学大学院美術研究科博士前期課程油画研究領域修了。
主な個展:「humanité lab vol.56 渡部未乃展 Horizon 」ギャルリー東京 ユマニテ(2016年)、「FORM」Gallery MoMo projects(2019年)。
主なグループ展、公募展等:シェル美術賞2013 入選、国立新美術館(2013年)/損保ジャパン美術賞FACE2014 入選、損保ジャパン東郷青児美術館(2014年)/「TURNER AWARD2015入選」ターナーギャラリー(2016年)/「ワンダーシード2017入選」トーキョーワンダーサイト(2017年)/「第54回神奈川県美術展」入選、神奈川県民ホールギャラリー(2018年)/「絵画たらしめる」アキバタマビ21 3331 Arts Chiyoda、「アートガイア@城南島」ART FACTORY 城南島(2019年)
主な受賞歴:トーキョーワンダーウォール公募2015 石原慎太郎審査員賞受賞、 TURNER AWARD2014 優秀賞受賞(ともに2015年)

ーーーーーーー



制作について その1

—- まずは自己紹介と、ご自身の制作について、簡単にお話いただけますか。

渡部 私は2014年、多摩美術大学油画専攻卒業時に福沢一郎賞をいただきまして、2016年に大学院を修了しました。在学中からずっと油絵を描いています。実際に自分の目で見たモティーフを絵にすることを大事にしながら、制作しています。

—- 今回の展覧会のタイトルは、「Botanical garden」。出品作はやはり、植物のすがたを髣髴とさせるようなものばかりですね。今回このタイトルで個展を開こうと思ったのにはどんな理由があるのでしょう。

渡部 ふだんから植物をモティーフに絵を描いています。もともと植物に囲まれて育ってきて…家の庭に花がたくさん咲いているような環境で幼少期を送って、その頃から植物を描いていました。最近は植物園に行って、写真を撮って、そのイメージをもとに作品を描くことが多く、そんなところから今回のタイトルを決めました。

—- ところで、渡部さんは春に個展があって、夏にはグループ展もあってと、お忙しい中でしたが、今回はすべて新作で構成してくださいましたね。

渡部 はい、今回は植物園をテーマに描ききろうと思って、がんばりました。



—- 今回の出品作をみると、ぱっと植物のイメージが連想できるものもあれば、これってなに?と思わずじっと観察してしまうような、そんなものもあります。例えば《Overlap XV》(図1)などをみてみると…ご来場のみなさま、何かお気づきになることはありますか?

参加者 植物にしては、まっすぐ過ぎるというか…直線が多いなと思いました。それから、このかたち(画面左半分にある黄緑色のT字形)は一体何なのか、気になります。植物というより、機械的というか、工業的というか…。そんな印象です。



図1 《Overlap XV》 2019年 油彩・キャンバス 194.0×130.5cm

—- ありがとうございます。植物の有機的な印象もありつつ、無機質な、工業的な印象も抱かせる、そんなところでしょうか。私も実は、作品の中にあるかたちが、煙突のように見えたり、道のように見えたり、植物とはちょっと離れたイメージを思い浮かべて、いろんな妄想をしてしまうのです。あるいは、具体的に何とはいえないけれど、どうも気になるかたちもいくつかあって、その謎めいているところが魅力かなと、個人的には思っているのですが、渡部さん、今の感想をお聞きになって、いかがでしょう。

渡部 この作品はバナナの木をモティーフにしているのですが、もともと植物じたいが持っている有機的なかたちを、ある意味無機質なかたちへ変えるというか、省略化していくことが制作の大事なところだと思っています。作品をつくるときはたいてい、何枚もドローイングを描いて、どんどんかたちを省略し、見る人によっていろいろな見方、捉え方ができるようなかたちまで持っていって、それをキャンバスに描くという手法をとっています。

—- 省略化・抽象化を目指してドローイングを積み重ねると。このタブローに至るまでには何枚くらいドローイングをなさるのですか。

渡部 作品によっても違いますが、だいたい20枚から30枚くらいはドローイングを重ねていきます。画用紙に鉛筆だけで。

—- 最初は鉛筆だけ?

渡部 はい。そのあと色を付けたりしながら、最終的なエスキースは、タブローとほぼ同じイメージを作るところまで持っていきます。

—- 最初はまずかたちを追究するところから始まる、と。この作品でいうと、バナナの木や葉っぱを描きながら、かたちを…やはり、削り落としていくというような感覚でしょうか。

渡部 そうですね。

—- 画面のプロポーションや大きさは、モティーフを決めたときからすでに頭の中にあるのでしょうか。

渡部 ドローイングを描いていくうちにだんだんと決まっていきますね。これは縦長がいい、横長の画面がいい、何号くらいのキャンバスがいいというふうに。

—- モティーフのかたちを検討する過程で、大きさやプロポーションも含めて、完成形のイメージがだんだんと立ち上がってくる、そんな感じでしょうか。

渡部 そうですね。





自立した絵画

—- モティーフが本来持っているかたちを削ぎ落としていくことは、同時に、モティーフが持つ意味じたいも削ぎ落としていくことになりますよね。

渡部 はい、さきほどのご感想にもあったとおり、工業的なものに見えたりすることもある。植物と工業って、意味的にも全く離れたところ、極端にいえば対照的な位置にあるものですよね。私は、例えばその両極のちょうど中間地点に、(作品の中の)かたちを持っていきたいという気持ちがあります。どちらにも解釈できるようなかたち、という意味で。ですから、先ほどのご感想はまさに私の狙いどおりというか…(笑)。

—- うまくハマりましたね!(笑)。なるほど、モティーフの持つ意味を、ドローイングを重ねることで削ぎ落とし、あるいは整理しながら、さまざまな解釈が可能な、ニュートラルな画面づくりを心掛けていらっしゃる、というわけですね。
渡部さんのお書きになった文章の中に、「自立した絵画」ということばが出て来ます。これは、多様な解釈が可能な画面づくりから生まれてくるもの、といえるのでしょうか。

渡部 私が目指す「自立した絵画」は、私のものではなくなっている状態、私の感情や物語を持たない状態…私と鑑賞者の中間にある状態、といってもいいでしょうか。そのうえで、具象か抽象か、有機的か無機的か、など、すべての(解釈/意味性)中間地点にあるようなところを目指して制作しています。

—- 作り手と鑑賞者との中間地点に制作の目標を置くということは、ある意味、作品を自分から遠ざけること、ともいえますね。そして、鑑賞者という不特定多数のかたまりのほうへ、作品を追いやる。そんな感じでしょうか。

渡部 そうですね。

—- そこで一番難しいのは、どこが作り手と鑑賞者の中間地点なのか? その場所を定めることのようにも思えてきますね。

渡部 はい。ただ、ドローイングを何枚も何枚も重ねていくことで、自然とそこに近づいているように思います。私から離れていって、自立していって、という感覚です。そして、ある時点で、ここで止めるべきだと感じるので、それが作品の完成形に近いものになります。とにかく手を動かして、見て、という作業を繰り返して(完成形が)決まっていく感じです。

—- 渡部さんが「自立した絵画」を見定めるのは、非常に感覚的な、直観的な部分が大きい作業の繰り返しなんですね。

渡部 本当に感覚的にすすめていきます。その中で、このモティーフがこんなふうにも、あんなふうにも見える、と気付くこともありますが、こう見せようとか、こう見えるように、ということを考えながら描くことはないですね。

—- つまり、描いている自分と、モティーフと、画面。この三者の対話の繰り返しで画面が出来上がる、という感覚でしょうか。ドローイングという作業が往復書簡みたいなもので…。

渡部 そうですね。

—- その過程で、はっと気付くもの・ことがある。それが制作にはとても重要なものだといえるでしょうか。

渡部 はい、ドローイングという作業は本当に大事にしていて、私の軸となっているものでもあります。タブローを描くよりも時間をかけることが多いです。





新たな試み

—- 渡部さんの制作は、ある特定のモティーフを原点としていて、かつ奥行きのある空間を描き込むようなタイプの画面ではないので、わりとデザイン的に処理されているのかしら、と思われることが多いのではないかと思うんですよ。でもそうではなくて、つとめて絵画的な・・・絵を絵として成立させることを目指して、感覚と思考を積み上げていっている。その先に出来上がった作品なのだということが、お話を聞いてよくわかりました。
で、今回、ちょっと他のものとは違う作品が1点あるんです。《Mimoza》という作品(図2)ですが…。こちらは、描き方が少し違うんですよね。

渡部 これは、自分の中でもチャレンジだったのですが、先ほどお話ししたように、私はいつもエスキースを決めてからタブローを描くんですけど、これはドローイングもエスキースも作らずに、モティーフを見てそのままキャンバスに描いた作品です。そうしたら、油絵具の表情にも変化が出て来て、躍動感が出た作品になりました。
実は、キャンバス上のイメージを探りながら描くのは、ちょっと苦手、という意識があったので・・・。



図2 《Mimoza》 2019年 油彩・キャンバス 53.0×41.0cm

—- なるほど。今回は小さめのサイズで、思い切ってやってみようと。やはり、前もって設定したかたちを描くのではないから、筆のストロークが画面の中で重要な意味を持ってきますよね。それによって生まれる、かたちのゆらぎとか、崩れみたいなものも楽しんでみよう、そんな気持ちだったのでしょうか。

渡部 はい。

参加者 例えば今回の出品作で一番大きい、150号くらいのサイズで、即興的に描くと、どうなりそうですか。

渡部 どうでしょう…。延々と描き続けるような…というと言い過ぎですけど(笑)。即興的な制作からしばらく離れていたので、あまり画面が大きいと、身体的に把握しきれないというか・・・客観視できないところがあるように思います。

—- 描くときの身体感覚って、大切なんですね。そこを固めるために、客観視するために、事前のイメージづくりが、大きな作品を描く際には必要だと。

渡部 そうです。

—- でも、こういう試みを続けていくことで、これから変わるかもしれませんよね。身体感覚とキャンバスの大きさの関係が変化して、もっと大きな作品の制作へとつながっていくかもしれない。あるいは(即興的な描画を)部分的に取り入れていくとか。そんな変化も個人的には楽しみです。





制作について その2

—- いつも、アトリエに何点くらい制作中の作品を置いていますか。

渡部 だいたい3点くらい置いて、同時に描いています。油絵具は乾くのに時間がかかるので、ある程度描いたら別の絵に移って…を繰り返しています。

—- 今回の出品作のうち、小さなスクエアの作品はアクリル絵具で描かれていますね。大きなものは油絵具ですね。この違いというか…。両方試してみて、率直にどんな感想を持ちましたか。

渡部 やっぱり油絵具のほうがいいですね。絵の厚みが違うというか…。油絵具だと下に塗った色が透けて見えたり、筆跡がしっかり残ったりするので…。

—- 絵具の乾くスピードも、好みと関係あるんでしょうか。先ほども少しおっしゃっていましたが、描いて、乾かして…という作業の流れとか。

渡部 ありますね。今回アクリルで描いた小さな作品は、1日で完成してしまうので…。時間をかけたほうが、絵を描いたぞ!という気持ちになりますし(笑)。

—- 描く時間の感覚も大事なんですね。完成までの、絵とつきあう時間といいますか…。さきほども出てきた、絵との対話の時間。それと油絵具で描いていく時間が合っていると。

渡部 そうです。

—- このあたりは、絵描きさんによって感覚がずいぶん違いますね。福沢一郎は、(いちど描いたあとに)すぐ描きたいので、アクリル絵具が性に合っていた。でも不思議なのは、最近の若い絵描きさんたち、アクリル絵具よりも油絵具に感じ入って、親しむ方が増えているように思うんです。このあたりについて何か考えていること、感じていることはありますか。

渡部 アクリル絵具よりも、油絵具で描いたほうが、作品が末永く残るんじゃないかな、ということもありますね…。まだ歴史的な検証が(アクリル絵具は)済んでいないので。

—- 確かに、まだアクリル絵具が出来て60〜70年くらいですもんね。自分の作品を末永く残したい!と。 

渡部 はい、そう思います(笑)。

—- 昭和初期の油絵などを勉強していると、渡部さんが使っていらっしゃるようなヴィヴィッドな色の油絵具に驚いてしまいます。この作品のオレンジとか(図3)。当時はこんなに鮮やかな、蛍光色みたいな絵具はなかったので。

渡部 絵具そのものの色を活かして、(混色せず)そのまま描くことが多いんです。画面の上で混ぜることはありますが、パレットで混ぜることはあまりしないですね。今は本当にいろいろな色が出ているので…。

—- 絵具本来の色を極力活かして描くことが、自分としても大事なことと考えていらっしゃるんですね。

渡部 そうです。



図3 画面中央:《Overlap XIX》 2019年 油彩・キャンバス 112.0×162.0cm



これからの制作

—- さて、参加者のみなさまから何かご質問などあれば…。

参加者 作品を描くとき、例えばこの作品(図1)などは、何層くらい重ねているんでしょうか。

渡部 これだと4層くらいですね。いちばん最初に塗った層も残しています。

参加者 絵具でいうと、透明色、不透明色の使い分けなども意識してなさっているんでしょうか。

渡部 しますね。(色・画面を)前に出したいときは、不透明色を使います。水色の部分などは、チタニウムホワイトを混ぜています。逆に奥行きを出したいときは、透明色を使います。

—- 第1層の暗いグリーンがその透明色にあたるんですね。明るいオレンジの塗も、水色のあいだにちらちらと見えています。こういう対比は面白いなあと思います。

渡部 前面に出て来る色の下地に使う色は、補色関係にある色を使うことが多いです。そのほうが厚みが出てくるというか…。そのあたりは意識して描いています。

—- かたちと色のせめぎあい。絵画の根本的な問題ですね。これからも描き続けながら追究していただきたいと思います。
さて、そろそろお時間がきてしまいました。最後に、これから目指すところ、描いてみたいものなどあれば、お話いただきたいと思います。

渡部 そうですね…。今回、植物は描ききった感があるので…(笑)全然違うモティーフに取り組んでみたいです。今までの海辺や植物以外で…描き方も、即興的なものを取り入れたり…。そんな挑戦をしてみたいと考えています。

—- 今後の制作に期待しています。ありがとうございました






ヴィヴィッドな色とシャープな形態。それらが画面の中で周到に組み合わされているように思えたので、私は渡部の制作に対して、どちらかといえば理智的な印象をもっていた。
しかし作家の描画は、1作品あたり数十枚に及ぶドローイングの積み重ねに裏打ちされたものであり、それはすなわちモティーフと画面、そして作家自身とのあいだで繰り返される、感覚的な対話なのだという。理智よりも感覚が、熟考よりもひらめきが、制作のうえでは重要なのだと。
手を動かしながらモティーフの諸要素に向かい、「自立する絵画」、すなわち誰のものでもない、ただ絵画が絵画として在るところまでイメージを押し遣る。純粋抽象でもなく、具象でもない、じつに曖昧な着地点を、感覚的な手仕事によってのみ探ることができる。そう作家は語る。
とはいえ、それらのドローイングから絵画としてのイメージが立ち上がり、大きなキャンバスに転写されるとき、画面はやはり理智をまとって立ち上がるのだと思う。多少の誤差や改変が生ずるとはいえ、より正確を期して転写がおこなわれるとすれば、それはつとめて理智的な作業であるからだ。作家はそうして、感性と理智のはざまを模索しながら、自分なりの絵画を追究し続けてきたように、私などには思える。近年の個展・グループ展でのめざましい活躍と高い評価は、旺盛な筆力と絵画への情熱のたまものというだけでなく、作家自身がいま描くべきこと・ものを、ぶれることなく捉えてきた証左といえるだろう。
今回の出品作《Mimoza》で、作家は久し振りに、ドローイングの蓄積に依らず、直にキャンバスにむかい描いたという。いわば生の筆跡からうまれたゆらぐ形態、そしてそこにある不確かさは、作家にとってひとつの転換点を示すのかもしれない。これまでの制作で試みてきたイメージ生成の過程を巻き戻し、絵画が絵画たる所以をいま一度、作家は自分自身に問うている。不確かさに挑み模索を続けることで、画面は強くなれるのか。絵画はそれ自身の力で立ち上がることができるのか。なにより作家自身、その不確かさを超克し、我が物として画面に塗り込めてゆくことを是とするべきなのか。困難な自問ではあるが、作家はすでにその答えの端っこを握りしめているようだ。
旺盛な筆力と、描くことへのあくなき情熱によって、作家が新たな「自立した絵画」のすがたを我々に提示してくれるそのときを、私は心待ちにしている。
(伊藤佳之)


ーーーーーーー

※このインタビュー記事は、2019年11月2日(土)におこなわれたギャラリートークの内容を編集し、再構成したものです。
※ 図番号のない画像は、すべて会場風景および外観