【展覧会】「Words Works」展 会場風景

2016年春の展覧会 「Words Works」展ー「福沢一郎・再発見」vol.1ー の会場風景をご紹介します。

 

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今回の展覧会は、福沢一郎のことばを、文字通りキーワードとして、時代や作風に関わりなくピックアップして展示するという試みでした。ですから、《海》(1942、左端)の横に《政治家地獄》(1974、左から2番目)が来るという、ちょっと奇抜な並べ方になっています。この壁面のキーワードは「変わったのは政府であって、私ではない」。

 

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《海》(1942)は、以前熱海の旅館に掛かっていたもので、近年富岡市に寄贈され、修復がおこなわれました。福沢が治安維持法違反の疑いで逮捕された年(1941)の翌年に描かれたもので、戦時下の制作を知るうえで貴重な作例です。

 

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階段手前の漆喰の壁に掛かっているのは、滞欧作《装へる女》(1927、右端)。第16回二科展(1929)の出品作で、当時の雑誌にも図版が載っています。絵画に本格的に取り組みはじめた頃の作品と考えられており、ちょっとあやしいムードも漂う不思議な作品です。「こんな色のストッキングが当時あったのかしら?」「日本にはなかったかもしれないけど、パリならあったんじゃない?」という会話が、おしゃれな女性観覧者の間から、ちらほらと聞こえてきました。

 

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この南側漆喰壁から西側、そして北側のコーナーまでに展示された作品のキーワードは「俺ぁ、シュルレアリストなんかじゃあ、ねえよ」です。今なおシュルレアリスム絵画の紹介者として語られることの多い福沢一郎ですが、彼はひとつのイズムにこだわらず、つねに新しい美術の動向に興味を示し、必要とあらばそれをためらいなく試行しました。ここではそんな画家の姿勢を示す作品を集めました。先にご紹介した《装へる女》のほか、科学雑誌の図版からイメージを引用している《蝶(習作)》(1930、下段中央)、黒一色の不定形のイメージが支配する《黒い幻想》(1959、下段左)、そして「デコラ板」という新素材(当時)を用いた壁画の習作としてつくられた《雪男》(1959〜60頃、下段右)を展示しました。

 

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階段脇から入る小部屋には、「美しき幻想は至る処にあり」という、作品のタイトルからとったキーワードをもとに作品・資料を集めてみました。福沢は地学や考古学、人類学などの学問に強い興味を示し、そこから主題や表現の幅を広げるヒントを得ていました。雑誌《太陽》の創刊特集「日本人はどこからきたか」の挿絵原画として描かれたとされる作品(1962頃)は、挿絵の機能を果たすことに終始するのではなく、絵画としてどう成り立たせるかに強い興味が向けられているように思えます。

 

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また、ここには小品ですが不思議な魅力をたたえた《顔》(1955、右端)と、素描《オーストラリア2》(1968頃、右から2番目)も展示してみました。前者は中南米旅行から帰ってから描いた「中南米シリーズ」の1点で、後者はオーストラリアのネイティブの人々を題材に描いたものです。いずれも福沢の人類学への興味が発端となって描かれたものと考えられています。しかし《顔》などは、大きく描かれた顔の、右には廃墟のような都市風景、左には荒涼とした大地が広がり、人類社会への警鐘をうかがわせるような作品でもあります。

 

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展示ケースの中には、このコーナーのキーワード「美しき幻想は至る処にあり」のもととなった作品(1931)の解説パネルと、『秩父山塊』(1944)を展示しました。『秩父山塊』は戦争中の著書ですが、当時の山村風景が洒脱な筆致で描かれているだけでなく、地質学や同時代の社会への強い興味が示され、専門家も驚くほどの知識と見識に満ちている好著です。ドイツ文学者の池内紀さん推薦で復刊もされており(1998)、手軽に楽しめます。

 

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今回の「Words Works」展は、「福沢一郎・再発見」vol.1と銘打って開催しました。今後も画家福沢一郎とその作品の魅力を「再発見」していただけるような展覧会を企画していきたいと思います。
展覧会詳細は、→こちらから。