福沢一郎に関する文献資料のご紹介です。
凡例・ここでは、福沢一郎に関する文献を「1. 単行書」「2. 画集」「3. 個展カタログ・目録」「4. グループ展、団体展カタログ・目録」「5. 挿画・装幀」「6. 福沢一郎執筆記事・図版掲載」「7. 対談・鼎談・座談会」「8. 福沢一郎関連記事・文献」の8項目に分け、発表年順に記しています。 ・各データの記載は、(装幀・挿画の場合のみその別)、著者、訳者、「記事名」または《作品名》、<特集・シリーズ名>、『書籍名』、出版社(初出のみ)、発行年月日(雑誌は月、新聞は日まで)、頁数(新聞の場合は面/記載のあるもののみ)、その他事項の順序としました。 ・「5 福沢一郎執筆記事・図版掲載」の「図版掲載」作品(《 》で括ったもの)は、記事から独立して掲載されたものを中心に、主要な作品を列記しました。 ・新聞記事の場合、夕刊の場合のみ紙名の後に「夕刊」と記しました。 ・旧漢字は可能な限り新漢字に改め、仮名遣いは原文のままとしました(一部不十分な箇所があります)。 ・各記事の頁・面は、原則として各号ごとに振られた頁番号・面番号を可能な限り記しました。但し、『みづゑ』など各巻通しで番号が振られており、かつ検索の助けとなるものについては括弧で付記しました。なお図版掲載作品については、別刷により頁番号が付されていない場合が多いため、確実にそれと判るもの以外は頁の記載を避けました。 ・本データはまだ未完成であり、今後も調査の進展に従ってアップデートされる予定です。(伊藤佳之) ※ last update: 2 September, 2020 |
[1. 単行書]
[2. 画集]
[3. 個展カタログ・目録]
[4. グループ展カタログ・目録]
[5. 挿画、装丁]
[6. 福沢一郎執筆記事・図版掲載]
[7. 対談、鼎談、座談会]
[8. 福沢一郎関連記事・文献]
『飯田操朗画集』 春鳥会 1937年
『シュールレアリズム』<近代美術思潮講座4> アトリエ社 1937年
『シュールレアリズム』 アトリエ社 1938年
『エルンスト』<西洋美術文庫第23巻> アトリエ社 1939年
『秩父山塊』 アトリエ社 1944年
『みにくいあひるのこ』<小学生絵本> 小峰書房 1950年
共著『現代美術事典』 白揚社 1952年
『アマゾンからメキシコへ』 読売新聞社 1954年
『画家のイメージ 福沢一郎』<別冊アトリエ>第56号 アルス 1960年
土門拳、芹沢長介、坪井清足と共著『日本人の原像』 平凡社 1966年
梅原猛と共著 『魏志倭人伝画文集』 エディション・ミツムラ 1981年3月
『独立美術3 福沢一郎特集』 建設社 1932年
※森口多里 福沢一郎 人及び芸術
外山卯三郎 福沢一郎の芸術
福沢一郎 画題に関して
『福澤一郎画集 美術工芸会』 1933年
※瀧口修造 福沢一郎氏の絵画
中山巍 福沢一郎のこと
高畠達四郎 福沢一郎君の絵
菅藤高徳 友人として
福沢一郎 本画集に就て
清水登之、鈴木保徳と共著『満蒙素描集』 美術工芸会 1935年
『福沢一郎』<日本百選画集> 美術書院 1957年
※土方定一 福沢さんの絵
『福沢一郎』<日本現代画家選 21> 美術出版社 1958年
『福沢一郎画集 蟹のよこばい』 求龍堂 1969年
『福沢一郎画集 人間を求めて ギリシャ神話・ダンテ「神曲」より』 読売新聞社 1972年
※福沢一郎 地獄門(解説)
旅のメモ
イタリア取材の旅(1971年)
ギリシャ旅行(1970年)
オーストラリアの旅(1967年)
随想
軽井沢
かつら
病気あれこれ
美術年鑑について
ふるさと博物譚
瀬木慎一 自由と自律ー福沢一郎の人と芸術
『石版画集<スペイン闘牛>』 現代版画センター 1979年
『文化功労受賞記念 福沢一郎画集<ダンテ「神曲・地獄篇」>』 太陽書林 1980年
『福沢一郎作品集』I, II 小学館 1987年
『福沢一郎全版画集』 玲風書房 2002年
『福澤一郎新作發表展覧會』 日動畫廊 1942年10月
図版:《海(1)》《海(2)》《海(3)》《窓》《人》《渚》《渡り鳥》《残照》
『福沢一郎個展目録』 渋谷東横百貨店 1959年10月
『近代洋画史に生きる福沢一郎展』 西武百貨店 読売新聞社 1968年9月
※あいさつ
福沢一郎 個展に就いて
福沢一郎 わが作品の記
『福沢一郎自選展』 ギャルリー宮脇 1973年7月
※福沢一郎 あいさつ
河北倫明 福沢さんの展覧会に
住谷悦治 福沢画伯とギャルリー宮脇
宮脇一郎 あいさつ
『地獄への誘い 福沢一郎展』 東京セントラル美術館 1973年5月
※福沢一郎 地獄への誘い
武者英二 ステンドグラスの作品=天地創造
『’74 福沢一郎展 厭離穢土・欣求浄土』 東京セントラル美術館 1974年11月
※福沢一郎 出品メモ
『福沢一郎展』 群馬県立近代美術館 1976年4月
『福沢一郎展』 高知県立郷土文化会館 1979年9月
※ごあいさつ
三木多聞 反逆精神を貫く強い個性ー福沢一郎ノートー
『福沢一郎 魏志倭人伝展』 日本経済新聞社 1979年9月
※あいさつ
本間正義 個魏志倭人伝をみて
福沢一郎 「魏志倭人伝」及び「騎馬民族征服王朝説」をどう描いたか
宮脇一郎 あいさつ
『生誕90年 福沢一郎展』 群馬県立近代美術館/世田谷美術館 1988年
福沢一郎展 静岡カントリー浜松コース 1990年8月
『文化勲章受賞記念 福沢一郎展』 群馬県立近代美術館 1991年
『開館記念展 福沢一郎と昭和初期の洋画』 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 1995年10月
『生誕100年記念 福沢一郎展』 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 1998年9月
『福沢一郎とそれぞれの戦後美術』 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 2004年1月
『福沢一郎絵画研究所展 進め!日本のシュルレアリスム』(20世紀検証シリーズNo.2) 板橋区立美術館 2010年11月
第2回東台彫塑会展目録 東台彫塑会 1923年5月
Catalogue du Salon d’Automne 1924, Societe du Salon d’Automne, 1924, p.176
Catalogue du Salon d’Automne 1927, Societe du Salon d’Automne, 1927, p.196
Catalogue du Salon d’Automne 1928, Societe du Salon d’Automne, 1928, p.194
『第16回二科美術展覧会目録』 二科会 1929年9月 pp.88-89
『二科画集』 二科会 1929年9月 図版《横タハル女》
『一九三〇年協会第五回洋画展覧会出品目録』 一九三〇年協会 1930年1月
『第一回展覧会 独立美術協会』目録 独立美術協会 1931年1月
『昭和六年 独立展号 アサヒグラフ臨時増刊』 朝日新聞社 1931年1月 pp.1,12,27,37 図版《風車》、《寡婦と誘惑》、《Sous les tois de Paris》、《Il n’est plus bon qu’a regarder les amours des autres.》、《ランファンテリブル》
『独立美術協会秋季展覧会目録』 独立美術協会 1931年9月
『独立美術協会第二回展覧会目録』 独立美術協会 1932年3月 p.2
『独立展号 昭和七年 アサヒグラフ臨時増刊』 朝日新聞社 1932年3月 p.27 図版《両道二つ乍らに》
『独立美術協会第三回展覧会目録』 独立美術協会 1933年3月 pp.6-7
『独立展集 3』 朝日新聞社 1933年3月 pp.6, 61 図版《建たぬ建物》、《海底宝探し》
『独立美術協会第四回展覧会目録』 独立美術協会 1934年3月 pp.14-15
『独立展集 4』 朝日新聞社 1934年3月 pp.21,53 図版《江戸の花》、《ちづかや風景》
『独立美術協会第五回展覧会目録』 独立美術協会 1935年3月 p.22
『独立展集 5』 朝日新聞社 1935年3月 pp.5,26 図版《水泳家族》、《触手のある都会》
『現代綜合美術展覧会図録』 東京府 1935年3月 p.230
『第六回 独立美術展覧会』目録 独立美術協会 1936年4月 p.17
『独立展集 6』 朝日新聞社 1936年5月 p.17 図版《牛》
『第七回 独立美術展覧会』目録 独立美術協会 1937年3月
『独立展集 7』 朝日新聞社 1937年3月 p.11 図版《二重像》
『三聖代名作美術展目録』 朝日新聞社 1937年4月
『明治大正昭和三聖代名作展』第三集 朝日新聞社 1937年6月 p.18 図版《驚けるダイアナ》
『明治・大正・昭和名作美術展覧会図録』 朝日新聞社 1937年11月 図版《驚けるダイアナ》
『第八回 独立美術展覧会』目録 独立美術協会 1938年3月
『独立展集』 朝日新聞社 1938年3月 p.14 図版《雲(夕)》
『第九回 独立美術展覧会』目録 独立美術協会 1939年3月
『独立展集 9』 朝日新聞社 1939年3月 p.2 図版《洪水図》
『美術文化第一回展出品目録』 美術文化協会 1940年4月
『美術文化名古屋グループ展出品目録』 名古屋新聞社 1940年7月
『奉祝紀元2600年 美術文化秋季展出品目録』 美術文化協会 1940年11月
『第2回美術文化展出品目録』 美術文化協会 1941年4月
『美術文化第3回展出品目録』 美術文化協会 1942年5月 p.1
『美術文化 第3回展集』 美術文化協会 1942年5月
『第4回美術文化展出品目録』 美術文化協会 1943年5月
「第5回美術文化展出品目録』 美術文化協会 1944年4月 p.5
『陸軍美術展覧会』 朝日新聞社、陸軍美術協会、日本美術報国会 1945年3月
『第六回美術文化展出品目録』 美術文化協会 1946年5月 pp.6-7
『モダンアート展』目録 日本アヴァンギャルド美術家クラブ 1948年2月 p.3
『第二回現代美術総合展覧会陳列品目録』 東京都美術館 1948年4月 p.6
『第2回美術団体連合展覧会出品目録』 毎日新聞社 1948年5月 p.31
『第2回美術団体連合展』図録(毎日グラフ特集号) 毎日新聞社 1948年7月 p.31 図版《花と人》
『第2回日本アンデパンダン展陳列目録』 日本美術会 1948年11月 p.14
『第1回日本アンデパンダン展目録』 読売新聞社 1949年2月
『第3回美術団体連合展覧会出品目録』 毎日新聞社 1949年5月 p.35
『第3回美術団体連合展画集』(毎日グラフ特集号) 毎日新聞社 1949年 p.32 図版《樹海》
『現代美術自選代表作十五人展』目録 読売新聞社 1950年1月
『第2回日本アンデパンダン展目録』 読売新聞社 1950年2月 p.12
『第1回選抜秀作美術展覧会図録』 朝日新聞企画室 1950年10月 洋34 図版《西遊記》
『第1回群馬県美術展覧会』 群馬県教育委員会・群馬県美術展運営委員会 1950年11月
『第3回日本アンデパンダン展出品目録』 読売新聞社 1951年2月 p.4
『第2回選抜秀作美術展覧会図録』 朝日新聞社 1951年6月 洋28 図版《大地の果て》
『第4回日本アンデパンダン展出品目録』 読売新聞社 1951年2月
『福沢一郎・海老原喜之助展覧会 目録』 神奈川県立近代美術館 1952年3月
『第4回選抜秀作美術展覧会図録』 朝日新聞社 1953年8月 洋13 図版《つららの町》
『第1回現代日本美術展』図録 毎日新聞社 1954年5月 p.15 図版《アマゾンの人間達》
『19人の作家 戦後の絵画・彫刻』展図録 国立近代美術館 1955年2月 p.7 図版《傀儡》
『第15回美術文化協会展目録』 美術文化協会 1955年2月
『第7回読売日本アンデパンダン展目録』 読売新聞社 1955年3月
『第3回日本国際美術展』図録 毎日新聞社 1955年5月 図版《顔》
『第3回日本国際美術展画集』 毎日新聞社 1955年12月 図版《顔》
『第2回現代日本美術展』図録 毎日新聞社 1956年5月 p.14 図版《狩猟》
『世界・今日の美術展目録』 朝日新聞東京本社 1956年11月
『第8回選抜秀作美術展図録』 朝日新聞社 1957年1月 p.23 図版《狩猟》
『第9回読売アンデパンダン展目録』 読売新聞社 1955年2月
『東京国際版画ビエンナーレ展』図録 読売新聞社 1957年6月 図版《夜の鳥》
『第四回日本国際美術展画集』 毎日新聞社 1957年10月 図版《埋葬》
『第9回選抜秀作美術展図録』 朝日新聞社 1958年1月 p.20 図版《埋葬》
『第3回現代日本美術展』図録 毎日新聞社 1958年5月 p.15 図版《祈り》
29eme biennale de Venise : Japon, Biennale di Venezia/Pavillion du Japon, 1958
『第3回現代日本美術展図録』(画集) 毎日新聞社 1958年12月(ママ)
『第5回日本国際美術展』図録 毎日新聞社 1959年5月 図版《地獄門》
『第5回日本国際美術展』(画集) 毎日新聞社 1960年2月 図版《地獄門》
『第10回選抜秀作美術展図録』 朝日新聞社 1959年1月 p.24 図版《祈り》
『戦後の秀作』展図録 国立近代美術館 1959年1月 図版《祈り》
『毎日美術賞十年記念展』図録 毎日新聞社 1959年11月 図版《埋葬》
『第11回選抜秀作美術展図録』 朝日新聞社 1960年1月 p.19 図版《人》
『アメリカ巡回 近代日本の素描』展 国立近代美術館 1960年1月 p.11
『第5回日本国際美術展画集』 毎日新聞社 1960年2月
『第4回現代日本美術展』図録 毎日新聞社 1960年5月 図版《コナラックにて》
『第4回現代日本美術展』画集 毎日新聞社 1960年9月 図版《コナラックにて》
挿画 正木不如丘「實験動物列伝(16) 人間」〈第二診察簿 余白(完)〉 『アサヒグラフ』第17巻第15号 朝日新聞社 1931年10月7日 p.27
表紙絵 『独立展号 昭和七年 アサヒグラフ臨時増刊』 朝日新聞社 1932年3月
挿画 高田保「三代の門」『アサヒグラフ』第18巻第11号(通巻第435号) 朝日新聞社 1932年3月9日 p.35
表紙絵 『文學』第3号(『詩と詩論』改題)』 厚生閣書店 1932年9月
装幀 ボオドレエル著 矢野文夫訳 『悪の華』(第三版) 耕進社 1935年
挿絵 舟橋聖一「翳ある舞台」〈小説〉 『ホーム・ライフ』第1年第3号 大阪朝日新聞社 1935年10月 pp.60-61
口絵「ハルピン 太陽島にて」 『みづゑ』第368号 1935年10月
扉絵(デツサン) 『三田文学』第11巻第2号 1936年2月
表紙絵 『みづゑ』第389号 春鳥会 1937年6月
表紙絵 『行動文学』第1巻第1号〜第2巻第1号 1936年6月〜1937年2月
カット 『雑記帳』第2巻第2-4,11号 綜合工房 1937年2-4,12月
扉絵・カット 『作家精神』第3巻第2号 作家精神社 1938年7月
装幀 伊藤武雄著『左手の書』 萬里閣 1940年
装幀 シュニッツラア著、植村敏夫訳『夢と愛の小説』 萬里閣 1940年
装幀 レイチェル・フィールド著、北村孝、福澤一枝訳『地のさち 天の幸』 萬里閣 1940年
装幀 ヘルマン・ヘッセ著、植村敏夫訳『惜春の賦』 萬里閣 1940年
装幀 木暮亮著『檻』 赤門書房 1941年
装幀 豊田三郎著『秩父医院』 昭和書房 1941年
表紙絵 『NIPPON 31』 国際報道株式会社 1943年
装幀 川瀬一貫著『戦力叢書 戦力ゴム』 文松堂出版株式会社 1945年
表紙絵 『新生活』第2巻第4号 新生活社 1946年5月
扉絵 『人間』第1巻第8号 鎌倉文庫 1946年8月
カット 『人間』第2巻第9-11号 鎌倉文庫 1947年9-11月
表紙 『人間小説集1』〈人間別冊〉 鎌倉文庫 1947年12月
カット「學藝」欄 『読売新聞』1946年12月30日 2面
カット「學藝」欄 『朝日新聞』 1947年1月13日 2面
カット 『人間』第2巻第9-11号 1947年9-11月
装幀 『人間小説集』<人間別冊1> 鎌倉文庫 1947年12月
カット 『文芸時代』第1巻第1号-第2巻第6号 新世代社 1948年1月-1949年7月
表紙絵 『文芸大学』第2巻第2,3号 竹井出版 1948年2,3月
表紙絵 『文芸時代』第1巻第3号 1948年3月
挿画 高橋正雄「特攻精神の再現」 『前進』第11号 板垣書店 1948年6月 pp.3-10
挿画 シャミッソー著、高橋義孝訳 「フロイト的寓話:アーデルベルトの夢」 『世界小説』第1巻第4号 新人社 1948年6月 pp.10-14
装幀 『人間作品集』〈人間別冊2〉 鎌倉文庫 1948年6月
カット 『改造文芸』第2号 改造社 1948年7月
挿画 ヘッペル著、片山俊彦訳 「画家の秘密」 『世界小説』第1巻第6号 新人社 1948年8月 pp.18-23
装幀 『現代思想の展望』<現代思想講座1> 白鴎社 1948年9月
挿画 「人間像(デッサン)」 『光 CLARTE’』第4巻第10号 光文社 1948年10月 p.3
表紙絵 『白木綿』第1巻第2号-第3巻第1号 鏑書房 1948年10月-1950年1月
カット 『文学会議』第6号 大日本雄弁会講談社 1948年12月
口絵 植村鷹千代著『現代繪畫の感覺』 新人社 1948年
挿画 菊池一夫著 『鐘の鳴る丘 第一篇 隆太の巻』 ラジオ新聞社 1948年
装幀 井上友一郎著 『虚栄と含羞』 講談社 1948年
装幀 土方定一著 『現代美術 近代美術とレアリズム』 吾妻書房 1948年
装幀 鶴見祐輔著『最後の舞踏』 太平洋出版社 1948年
装幀 土井虎賀寿著『斎藤茂吉とヨーロッパ的世界』 永言社 1948年
装幀 大田洋子著 『屍の街』 中央公論社 1948年
挿画 トーマス・マン著、加藤子明訳『十誡』 世界の日本社 1948年
装幀 鶴見祐輔著『成城だより 1 冬來りなば』 太平洋出版社 1948年
装幀・挿画 橘外男著 『泥濘』 板垣書店 1948年
装画 シェリー夫人作、山本政喜訳『巨人の復習:フランケンシュタイン』〈世界大衆文学全集:第11〉 新人社 1948年
挿画 恵那新吉「冬の夜ものがたり アリスのゆくえ」 『銀河』2月号(第4巻第2号) 新潮社 1949年2月 pp.30-35
挿画 飯島正「白骨になった恋人」 『ジョーカー』第2巻第1号 廿世紀社 1949年1月 pp.32-37
挿画 田村隆一「世界は新しい(詩)」 『少年少女の銀河』第4巻第1号 新潮社 1949年1月 p.51
挿画 『少年少女の銀河』第4巻第2号 新潮社 1949年2月
表紙絵、扉 『風花』第11,12号 風花書房 1949年2,3月
表紙 『ニューエポック』創刊号 東西出版社 1949年4月
表紙及びカット 『群盗』復刊第2号 青壁社 1949年8月
装幀 北原健著 『言寄せ』 鏑書房 1949年
装幀 鶴見祐輔著『成城だより 4 文明のゆくえ』 太平洋出版社 1949年
装幀 鶴見祐輔著『成城だより 6 筆は劍よりも強し』 太平洋出版社 1949年
装幀 シンクレア・ルイス著、龍口直太郎訳『血の宣言 上巻』 リスナー社 1949年
装幀 P.G.ウッドハウス著 黒豹介訳 『笑ガス』 東西出版社 1949年
表紙 『人間』第5巻第6号 目黒書店 1950年6月
装幀 日夏耿之介、小林秀雄、西脇順三郎、瀧口修造他著 『詩とは何か』〈現代詩講座1〉 創元社 1950年
装幀 吉田一穂、日夏耿之介、北園克衛、西脇順三郎他著 『詩の技法』〈現代詩講座2〉 創元社 1950年
装幀 金子光晴他著 『詩の鑑賞』〈現代詩講座3〉 創元社 1950年
装幀 瀧口修造、吉田健一、西脇順三郎、堀口大学他著 『海外の詩』〈現代詩講座4〉 創元社 1950年
装幀 シンクレア・ルイス著、龍口直太郎訳『血の宣言 下巻』 リスナー社 1950年
挿画 山宮允訳 『耳なし芳一』<日本童話小説文庫11> 小峰書店 1950年
装幀 林房雄著『わが海は碧なりき』 創元社 1950年
表紙絵 『ペンギン(春山行夫エッセイ雑誌)』創刊号 技術資料刊行会 1951年1月
装幀 クロード・ロア編、金子光晴訳『アラゴン詩集』〈世界現代詩叢書1〉 創元社 1951年
装幀 ピエール・デゲロープ編、大山定一等訳『リルケ詩集』〈世界現代詩叢書2〉 創元社 1951年
装幀 ロジェ・ランヌ解説、アンリ・パリソ編、堀口大学訳『コクトオ詩集』〈世界現代詩叢書3〉 創元社 1951年
装幀 クロード・ロワ編、中村眞一郎訳『シュペルヴィエル詩集』〈世界現代詩叢書4〉 創元社 1951年
装幀 ルイ・パロオ編・解説、加藤周一他訳『エリュアール詩集』〈世界現代詩叢書5〉 創元社 1951年
装幀 井上靖著『ある偽作家の生涯』 創元社 1951年
装幀 ジルベール・ジゴー著 白井健三郎訳 『狂犬』 月曜書房 1951年
装幀 柳沢健著 『琴と尺八』 世界の日本社 1951年
装幀 林房雄編『白井明遺稿集 匿名批評 東西南北』 創元社 1951年
装幀 林房雄著『晴れて雲間に』 創元社 1951年
カット「パリ祭風景」 『読売新聞』夕刊 1952年7月23日
装幀 エルザ・トリオレ著、神西清訳『マヤコーフスキイ -詩と思い出-』〈世界現代詩叢書6〉 1952年
カット「パリのシャンソン小屋」 『読売新聞』夕刊 1953年4月24日 4縁
装幀 パリゾ編、ビー解説、堀口大学訳『アポリネール詩集』〈世界現代詩叢書7〉 1953年
表紙絵 『文学界』第9巻第1号〜8号 文芸春秋社 1955年1~8月
カット 『文学界』第9巻第2~6号 文芸春秋社 1955年2~6月
<p目次・カット『新潮』第52巻第10号 新潮社 1955年10月
装幀 ヘミングウェイ著 高村勝治訳 『武器よさらば』 (上下巻) 河出書房 1955年
装幀 竹内文祥著 『女体検診』 鱒書房 1955年
カット 山本有三編著 『心に太陽を持て』<新編・日本少国民文庫1> 新潮社 1956年
装画 ジョージ・マイクス著、斉藤数衛訳『自由への舞踏−バレリーナの恋−』 時事通信社 1956年
カット「東海讃歌」 『読売新聞』 1957年1月1日 17面
挿画 「母と子」〈学芸〉欄 『朝日新聞』1957年1月5日 5面
表紙 『詩界』第50〜149号 日本詩人クラブ 1957年8月〜1980年8月
表紙 『文芸広場』第5巻第10号〜12号 公立学校共済組合本部 1957年10月〜12月
装幀 黒田三郎著 『渇いた心』 昭森社 1957年
装幀 三井ふたばこ著『後半球』小山書店新社 1957年
箱絵 L・ブロムフィールド著 瀧口直太郎訳 『ボムベイの夜』(上下巻) 世界大ロマン全集19、20 創元社 1957年
挿画 三井ふたばこ「あしおと」 『新潟日報』1958年1月31日2面、2月1日 6面
装幀 河竹繁俊忠著『忠臣蔵物語』〈日本少年少女古典文学全集20〉挿絵:山本舜山 弘文堂 1958年
装幀 大江健三郎 『死者の奢り』 文藝春秋社 1958年
挿画 山本太郎「カニの歌」 『朝日新聞』1959年5月3日 15面
装幀 『早水草之助遺歌集 魚鱗』 同刊行会 1959年7月
装幀 J.ギャスケル著 三井ふたばこ訳 『奇妙な悪魔』 小山書店新社 1959年
装幀・カット 早水草之助著『魚鱗 遺歌集 早水草之助』 早水草之助遺歌集刊行会 1959年
井上靖・詩/福沢一郎・絵「元旦に」岐阜日日新聞 1960年1月7日 9面
カット 『声(三島由紀夫同人誌)』 第8~9号 丸善 1960年7,10月
装画 高橋邦彦著 『詩集愛のcaricature』 昭森社 1960年
装幀 丹波文雄著 『ふき溜りの人生』 新潮社 1960年
口絵と題字「本と雑誌」 『朝日新聞』夕刊 1962年1月18日 3面
絵 写真:土門拳、解説:芹沢長介、坪井清足「日本人はどこからきたか」 『太陽』第1巻第1号(通巻1号)〜第2巻第8号(通巻14号) 平凡社 1963年7月-1964年8月
挿絵 佐藤春夫編著『愛の世界』 朝日新聞社 1963年
カット「浅間の鬼押し出し」 『読売新聞』1963年9月15日 17面
挿画 「新人国記 群馬県」 『朝日新聞』 1964年1月11-29日
挿絵「ノリとハサミ」〈新・人國記 のメモから〉『朝日新聞 群馬版』 1964年2月13日 16面
カット「ほん」欄 『読売新聞』1964年4月5日 18面
挿絵「声援——東京五輪開会式から——」 『読売新聞』 1964年10月11日 3面
装幀 登張竹風遺稿・追想集刊行会編集『登張竹風遺稿追想集』郁文堂出版 1965年
目次・扉カット『自由』第8巻第9号〜第11巻第7号 自由社 1966年9月〜1969年6月
挿絵 アナイス・ニン著 中田耕治訳 『愛の家のスパイ』<人間の文学・第18> 河出書房新社 1966年
カット 『月刊けんぽ』第85号 社会保険法規研究会 1967年5月
装幀 三井ふたばこ著『空気の痣』 昭森社 1968年
挿画 「中央オーストラアの原住民のスケッチから」 『毎日新聞』 1968年1月9日 3面
装幀 木暮亮著『木暮亮作品集』(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ) 木暮亮作品集刊行会 1969-1971年
挿画 「「新しい日に」福沢一郎 元日 第二部」<人間回復> 『朝日新聞』 1969年1月1日
挿画 「「新しい日に」福沢一郎 元日 第二部」<人間回復> 『朝日新聞』 1969年1月1日
表紙絵 『自由』第11巻第8号〜第16巻第5号 自由社 1969年6月〜1974年5月
装幀 井上正治著 『対決のなかの学問』 読売新聞社 1969年
挿画 遠藤周作「海と毒薬」「母なるもの」 『日本の文学72 中村真一郎 福永武彦 遠藤周作』 中央公論社 1969年
カバー装幀、イラスト 御巫清允著『あなた痛風?』 中央企画社 1971年
挿画 「ギリシャ回想 画・福沢一郎」 朝日新聞 1973年4月1日
挿画 「踊る牧神 画・福沢一郎」 『朝日新聞』 1973年4月8日
挿画 「美神の粧い 画・福沢一郎」 『朝日新聞』 1973年4月15日
挿画 「牧神の戯れ 画・福沢一郎」 『朝日新聞』 1973年4月22日
挿画 「ニンフと牧神 画・福沢一郎」 『朝日新聞』 1973年4月29日
表紙 『真珠 絵と随筆』第30号 真珠社 1973年12月
カット 草野心平著 『蛙の全体』 落合書店 1974年
装幀 ホルヘ・イカサ著、伊藤武好訳『ワシプンゴ』 朝日新聞社 1974年
挿画 山本太郎著 『長篇叙事詩<ユリシイズ>』 思潮社 1975年
装幀、挿画 福永武彦著 『異邦の薫り』 新潮社 1979年
装幀 多田智満子著 『花の神話学』 白水社 1984年6月
装幀 斎田朋雄著 『詩集 近代を牽引するローカル列車』 あさを社 1984年
装幀 御巫清允『忙中忙』 同文書院 1987年
カバー絵 日本聖公会東京教区 聖愛協会 百年史編集委員会編『聖愛協会百年史 聖愛の友』 聖愛協会 管理司祭 関正勝 1989年
《横タハル女》 石井柏亭編『二科画集』 二科会 1929年9月 頁なし No.46
《装へる女》 『アトリエ』第6巻第10号 アトリエ社 1929年10月 p.35
《クリストの頭と花》 『美術新論』第4巻第10号 美術新論社 1929年10月 p.29
《装へる女 二科出品 福沢一郎》 『みづゑ』第296号 春鳥会 1929年10月
《風景》 福沢一郎」 『美之国』第6巻第2号 美之国社 1930年2月
《骨董屋》 『みづゑ』第300号 1930年2月 (p.83)
《骨董店》 『美術新論』第5巻第3号 美術新論社 1930年3月 p.109
《驚けるダイアナ》 『東京朝日新聞』 1931年1月14日 3面
《驚けるダイアナ》 『読売新聞』 1931年1月14日 4面
《驚けるダイヤナ》 『アトリエ』第8巻第2号 1931年2月 p.1
《驚けるダイアナ》 『美術新論』第6巻第2号 1931年2月
《驚けるダイアナ》 『美之国』第7巻第2号 1931年2月 p.60
《驚けるダイアナ》 『若草』第7巻第2号 1931年2月 口絵頁(三色版)
「第二次元の世界へ帰りて」 『アトリエ』第8巻第8号 アトリエ社 1931年8月 pp.60-63
《習作》 福沢一郎」 『みづゑ』第319号 春鳥会 1931年9月
「仏蘭西画壇展望」 『みづゑ』 第319号 1931年9月 pp.5-8(125-128)
「二科評」 『アトリエ』第8巻第10号 1931年10月 pp.30-37
《My dear》 『アトリエ』第8巻第10号 1931年10月
「二科評」 『みづゑ』第320号 1931年10月 pp.10-12(226-228)
「スカート」<もだん衣装哲学> 『週刊朝日』第20巻第15号 朝日新聞社 1931年10月1日 pp.99-101
「帝展洋画評」 『美之国』第7巻第11号 1931年11月 pp.44-47
「帰朝身辺風景(11) 」(カット共)『東京朝日新聞』朝刊 1932年1月14日 5面
「美しき幻想は至るところにあり/福沢一郎氏作 独立美術協会展出品」<絵画> 『東京朝日新聞』 1932年3月12日 3面
《母性愛》 (独立展) 福沢一郎」 『アトリエ』第9巻第4号 1932年4月
《慰問袋に美人画を入れよ》 『美術新論』第7巻第4号 1932年4月 p.55
《慰問袋に美人画を入れよ》 『美之国』第8巻第4号 1932年4月
「ダダイズム・シュルレアリズム・ピュリズム」<特集 現代絵画の諸傾向> 『美術新論』第7巻第5号(第67号) 1932年5月 pp.54-60
「葬送曲」 『美術新論』第7巻第5号 1932年5月 pp.102-103
「「形」の問題(一)」 『みづゑ』第327号 1932年5月 pp.13-15(337-339)
「「形」の問題(二)」『みづゑ』第328号 1932年6月 pp.5-7(389-391)
「素描社洋画展評」 『アトリエ』第9巻第7号 1932年7 pp.59-60
「二科評」 『アトリエ』第9巻第10号 1932年10月 pp.19-21
「二科展の第五室」 『セルパン』第20号 第一書房 1932年10月 pp.33-35
《人間嫌ひ・福沢一郎》 『独立美術1 林武特集』 建設社 1932年10月
「新形式論(一)」 『独立美術1 林武特集』 1932年10月 pp.95-99
「二科其他」 『独立美術クロニック』1 建設社 1932年10月 p.3
「No.5 二科の前衛室」 『みづゑ』第332号 1932年10月 pp.8-10(678-680)
「新形式論(承前)」 『独立美術2 高畠達四郎特集』 1932年11月 pp.87-93
「批評の批評・帝展評」『独立美術クロニック』2 1932年11月 p.6
「パラディ・ザルティフィシェル」(カット共) 『独立美術クロニック』3 1932年12月 p.2(14)
「巴里東京新興美術展覧会を観る」 『アトリエ』第10巻第1号 1933年1月 pp.76-78
「巴里東京新興絵画展其他」 『独立美術クロニック』4 1933年1月 p.3
《女性出生鑑》 『独立美術4 三岸好太郎特集』 1933年1月 pp.79-83
「モンパルナス人」 『独立美術4 三岸好太郎特集』 1933年1月 pp.79-83
《メトロ工事・福沢一郎》 『独立美術5 鈴木亜夫特集』 1933年2月
「フェルナン・レジェーの近作」 『独立美術クロニック』5 1933年2月 pp.1,4(21,24)
「川口軌外論」 『独立美術6 川口軌外特集』 1933年3月 pp.41-46
《ブルトンヌ・福沢一郎》 『独立美術6 川口軌外特集』 1933年3月
「展覧会を前にして物申す」 『独立美術クロニック』6 1933年3月 pp.3-4(27-28)
「レアリズム私見」 『みづゑ』第337号 1933年3月 pp.2-4(116-118)
「『日本漫画大サロン』評」 『東京朝日新聞』 1933年3月20日 9面
《A家の没落を描く(独立展) 福沢一郎》 『アトリエ』第10巻第4号 1933年4月
「独立展のヴィヴァシテ」 『セルパン』第26号 1933年4月 pp.62-65
「プロテスタシヨン二つ」 『新美術研究』第5巻第4号 1933年4月 pp.9-11
「伊太利ルネッサンスのレアリズム(一)」 『独立美術7 林重義特集』 建設社 1933年4月 pp.84-91
「第三室」<独立美術展評> 『独立美術クロニック』7 1933年4月 p.2
《開墾・福沢一郎》 『独立美術7 林重義特集』 1933年4月 pp.92
《動かぬ機械》 『美術新論』第8巻第4号 1933年4月
「独立展入選作品評」 『みづゑ』第338号 1933年4月 pp.5-8(207-210)
「伊太利ルネッサンスのレアリズム(二)」 『 独立美術8 鈴木保徳特集』 1933年6月 pp.79-89
「新油絵第一回展覧会」 『アトリエ』第10巻第7号 1933年7月 pp.60-61
「独立十七人展覧会/新油絵第一回展」<展覧会評> 『みづゑ』第341号 1933年7月 p.23
「NINI展評」 『アトリエ』第10巻第8号 1933年8月 pp.68-69
「ニイニイ展」 『美術新論』第8巻第8号 1933年8月 p.99
「伊太利ルネッサンスのレアリズム(三)」 『独立美術9 清水登之特集』 1933年8月 pp.80-93
「今春の諸展覧会に現はれた最も注目すべき作家と作品」 『洋画研究』第4号 マタン社 1933年8月 p.112
「二科の新傾向絵画」 『美之国』第9巻第10号 1933年10月 pp.62-63
「スーチンの苦痛」 『中央美術』復興第4号 中央美術会 1933年11月 pp.14-19
《聖母子像》 『みづゑ』第345号 1933年11月
《軍国的静物》 『独立美術10 小島善太郎特集』 1933年11月
「仏蘭西十九世紀のレアリズム」 『独立美術10 小島善太郎特集』 1933年11月 pp.81-95
「九知会展評/古賀春江氏遺作水彩画展」<展覧会評> 『みづゑ』第345号 1933年11月 pp.29-30(321-322)
《神の失墜 福沢一郎》 『アトリエ』第10巻第12号 1933年12月
「一九四〇年協会展評」 『美術』第8巻第12号 美術発行所 1933年12月 pp.45-46
《蟹》 『みづゑ』第346号 1933年12月
「苦悩の絵画」 『みづゑ』第346号 1933年12月 pp.2-3(328-329)
「「青年美術家集団」展評」 『みづゑ』第346号 1933年12月 pp.29-30(373-374)
《神の失墜》 『原色版 現代洋画コレクション』1 アトリエ社 1934年
「美術ビルディング」<素描と随筆> 『アトリエ』第11巻第1号 1934年1月 pp.36-37
「サ・マジェステ・ラ・マシーヌ」 『独立美術クロニック 11』 1934年1月 p.4(48)
「東京を問題的に見る(絵と文)」 『セルパン」第35号 1934年1月 pp.18-19
「巴里貼布帖」 『行動』第2巻第2号 紀伊国屋出版部 1934年2月 pp.95-98
「NOVA展評」 『みづゑ』第348号 1934年2月 pp.28-29(150-155)
《なみのり船》、《建たぬ建物》 『独立美術12 児島善三郎特集』 1934年3月
「仏蘭西十九世紀のレアリズム」 『独立美術12 児島善三郎特集』 1934年3月 pp.88-99
「らく書」 『独立美術クロニック 12』 1934年3月 pp.2-3(50-51)
「ギカ論」 『みづゑ』第349号 1934年3月 pp.2-4(162-164)
《江戸の花》 『アトリエ』第11巻第4号 1934年4月
《失題》 『独立美術13 里見勝蔵特集』 1934年4月 p.82
「雑談例の如し」 『独立美術クロニック 14』 1934年4月 pp.2-3
《江戸の花 福沢一郎》 『美之国』第10巻第4号 1934年4月
《ちづかや風景》 『アトリエ』第11巻第5号 1934年5月
《ちづかや風景》 『美術』第9巻第5号 1934年5月
「独立不出品同盟事件」 『現代美術』第1巻第6号 現代美術社 1934年6月 pp.52-54
「素顔社展」 『みづゑ』第352号 1934年6月 p.25(391)
「絵画と映画」 『アトリエ』第11巻第7号 1934年7月 pp.4-6
「中山君と僕」 『独立美術14 中山巍特集』 1934年8月 pp.35-38
《神の失墜》 『独立美術14 中山巍特集』 1934年8月
「三岸好太郎君を悼む」 『みづゑ』第354号 1934年8月 pp.18-19(68-69)
《水の底》 『みづゑ』第354号 1934年8月
「美術時評」 『都新聞』 1934年9月9-12日 いずれも1面
「新聞の挿絵」 『レツエンゾ』(紀伊國屋月報) 1934年9月 pp.5-6
「二科評」 『アトリエ』第11巻第10号 1934年10月 pp.4-7
「二科評」 『行動』第2巻第10号 1934年10月 pp.274-275
「二科院展構造社彫刻評」 『みづゑ』第356号 1934年10月 pp.17-19(28-229)
「『古賀春江』其他」 『詩法』第4号 1934年11月 p.70
「帝展の彫刻」 『美之国』第10巻第11号 1934年11月 pp.92-93
「帝展評」 『みづゑ』第357号 1934年11月 pp.9-10(311-312)
「女艸会展評/一九四〇年社展評」<展覧会批評> 『みづゑ』第357号 1934年11月 pp.29-30(335-336)
《ちづかや》、《風景》 『独立美術15 野口弥太郎特集』 1934年12月
《獅子》 『美之国』第10巻第12号 1934年12月
「画廊のプロムナアド」 『セルパン』第47号 1935年1月 pp.86-87
「レアリズムの多様性」 『綜合美術』創刊号 綜合美術研究所 1935年1月 pp.14-18
「J.A.N(美術新青年)展」 『アトリエ』第12巻第2号 1935年2月 pp.54-55
「巴里で観た前衛映画」<随筆> 『セルパン』第48号 1935年2月 pp.78-81
「新造形美術展を観る」 『美術』第10巻第2号 1935年2月 pp.76-77
「NOVA展を観る」 『みづゑ』第360号 1935年2月 p.25(149)
「気韻生動とエスプリ」 『阿々土』別巻第1号 1935年3月 pp.2-3
「シヤガアルの『自叙伝』」 『詩法』第8号 1935年3月 p.?
《水泳家族》 『アトリエ』第12巻第4号 1935年4月
「「水泳群像」に就いて」(図版解説) 『美術』第10巻第4号 1935年4月
《触手のある都會》『みづゑ』第362号 1935年4月 図版頁
「新美術家協会展評」 『みづゑ』第362号 1935年4月 pp.34-35(306-307)
《水泳群像》、「「水泳群像」に就いて」(図版解説) 『美術』第10巻第4号 1935年4月
「Xの價」<美術人は語る> 『セルパン』第52号 1935年6月 pp.116-117
《蛇とネオン》 『畫壇』第1巻第1号 畫壇社 1935年6月 図版no.9
「フランス畫壇の動向」 『畫壇』第1巻第1号 1935年6月 pp.42-43
「秋の同人展」 『セルパン』第56号 1935年9月 pp.112-113
「佐伯君との交遊」 『銀座画廊ニュースNo.2 佐伯祐三回顧展号』 1935年10月 p.3
「満洲」 『みづゑ』第368号 1935年10月 p.28(298)
「はるぴんの太陽」 『帝国大学新聞』第593号 1935年10月7日 8面
《夏(はるぴん)》(獨立秋季展) 『アトリエ』第12巻第11号 1935年11月 図版頁
「飾画」 『みづゑ』 第369号 1935年11月 p.33(393)
「第二部会展評」 『みづゑ』第369号 1935年11月 pp.4-5(364-365)
「「アニマ」展」 『みづゑ』第369号 1935年11月 pp.32-33(392-393)
《砂丘》 『みづゑ』第370号 1935年12月
《神の失墜》 『原色版 現代洋画コレクション 1』 1935年 アトリエ社
《夏》『現代洋画大全集』第4巻 アトリエ社 1936年2月
「太陽島にて」 『アトリエ』第13巻第1号 1936年1月 原色版解説
「ヨーロッパの伝統的技術への追求と克服、その他」<我が芸術観1> 『アトリエ』第13巻第1号 1936年1月 pp.9-11
「二月のノート」 『みづゑ』第372号 1936年2月 pp.12-13(120-125)
「アニマ第四回展」 『みづゑ』第372号 1936年2月 p.38(174)
「絵画と民族性」 『阿々土』第11号 1936年3月 pp.2-3
《砂丘》 『阿々土』第11号 1936年3月 p.31
「断層を求めて」 『邦画』第1巻第3号、1936年3月、pp.38-40
「福沢一郎 デッサン集」 『みづゑ』第374号 1936年4月 p.8-9間(281,282)
「五月のノート 不可解ー變革ー事件」『みづゑ』第375号 1936年5月 pp.2-4(344-346)
《牛》 『アトリエ』第13巻第6号 1936年6月
「絵画の進歩性」 『行動文学』第1巻第1号 西東書林 1936年6月 pp.45-48
《雪山》 『美術』第11巻第6号 1936年6月
《牛》 『美之国』第12巻第6号 1936年6月
「名無草(画と文)」 『三田新聞』 三田新聞学会 1936年6月5日 5面
《牛》『みづゑ』第376号 1936年6月 図版頁
「壁画風談義」 『アトリエ』第13巻第7号 1936年7月 pp.12-13
「帝展問題の批判」 『改造』第18巻第7号 1936年7月 pp.178-185
「新興美術の危惧」 『行動文学』第1巻第2号 1936年7月 pp.61-63
「アヴアン・ガルト芸術家クラブ結成」<美術時評> 『行動文学』第1巻第3号 1936年8月 pp.25-26
「海景(絵と文)」 『セルパン』第66号 1936年8月 pp.90-01
「立陣展評」<諸展覧会評> 『美術』第11巻第8号 1936年8月 p.70
「二科」 『報知新聞』1936年9月7-9日 いずれも5面
「二科概観」 『アトリエ』第13巻第10号 1936年10月 pp.7-9
「二科評」 『美術』第11巻第10号 1936年10月 pp.6-8
「二科展」<新秋在野展世評集> 『美之国』第12巻第10号 1936年10月 p.64
「文展評」 『報知新聞』 1936年10月19-21日 いずれも5面
「サルバドール・ダリ」 『行動文学』第1巻第5号 1936年11月 pp.111-114
「故飯田操朗君」<飯田操朗追悼> 『美之国』第12巻第11号 1936年11月 p.80
《人質》 『現代洋画大全集』第13巻 1936年11月
「文展二部評」 『みづゑ』第381号 1936年11月 pp.5-7(398-401)
「新文展の功罪」 『新愛知』 1936年11月27-29日 いずれも3面
「絵画のヒユマニズム(フランス)」 『行動文学』第1巻第6号 1936年12月 pp.74-76
「1936年のフィナーレ:美術会の新傾向」 『セルパン』第71号 1936年12月 pp.85-88
《自動車ポスター》 『美』一九三六年版 平凡社 1936年12月 p.22(目次ではp.19)
「新制作派展評」 『美之国』第12巻第12号 1936年12月 pp.44-45
《エチユウド》 『美術』第11巻第12号 1936年12月
「招待展洋画」 『美術』第11巻第12号 1936年12月 pp.10-12
「井上君の仕事」 『井上長三郎画集』 美術工芸会 1937年
「「飾画」第三回展」<諸展覧会評> 『美術』第12巻第1号 1937年1月 p.45
「ピカソ」 『アトリエ』第14巻第2号 1937年2月 pp.2-5
「日本的なものゝ明日」<特集・日本的なものゝ明日> 『雑記帳』第2巻第2号 1937年2月 pp.20-22
「批評の弾圧に就て-ある対話」 『美術及美術人』第2巻第1号 学而書院 1937年2月 pp.2-3
「福沢一郎氏」<前奏曲> 『美之国』第13巻第2号 1937年2月
「造形性に就て」 『美之国』第13巻第2号 1937年2月 pp.72-76
「東京派展」 『美之国』第13巻第2号 1937年2月 pp.40-41間(差込)
「絵画のヒユマニズム」 『行動文学』第2巻第1号 1937年2月 p.25-27
「人」 『みづゑ』第385号 1937年3月 原色版解説
「抽象芸術」 『みづゑ』第385号 1937年3月 pp.2-8(212-222)
《二重像》(独立展) 『東京朝日新聞』 1937年3月18日 16面
《二重像》(獨立展) 『アトリエ』第14巻第4号 1937年4月 図版頁
《二重像》 『美術』第12巻第4号 1937年4月
《人》 『美之国』第13巻第4号 1937年4月
「国画展評」 『報知新聞』 1937年4月16-17日 16日は10面、17日は5面
《女》 『みづゑ』第386号 1937年4月
「附記」 『飯田操朗画集』 春鳥会 1937年 p.13
「文化ニュース:春の美術界」 『セルパン』第76号 1937年5月 pp.120-122
「前衛絵画論」 『アトリエ』第14巻第6号 1937年6月 pp.2-4
「動向展」 『アトリエ』第14巻第6号 1937年6月 pp.101-12
「超現実主義とレアリズム」 『国民美術』第1巻第3号 国民社 1937年6月 pp.7-11
「初期ルネツサンス」 『美術』第12巻第6号 1937年6月 pp.17-19
「出題(アンケット)に答ふ」 『美之国』第13巻第6号 1937年6月 pp.50-51
「米倉寿仁・阿部芳文二人展」 『みづゑ』第388(389)号 1937年6月 pp.39(609)
「超現実主義について」 『都新聞』 1937年6月23-26日 いずれも1面
「表現展」 『アトリエ』第14巻第7号 1937年7月 pp.72-73
「問題二つ」〈トオチカ〉 『文藝』第5巻第8号 1937年8月 pp.105-106
「禅と超現実主義」 『みづゑ』第390号 1937年8月 pp.27-29(198-200)
「海(画と文)」 『三田新聞』 1937年8月5日 1面
「日本画と洋画」 『美術時代』第1巻第1号 美術時代社 1937年9月 pp.7-9
「二科展」(一)-(三)<美術批評> 『中外商業新報』 1937年9月11,12,14日 いずれも5面
「東京派秋季展」 『美之国』第13巻第10号 1937年10月 pp.84-85
「戦争と美術」<戦争と美術> 『美術』第12巻第11号 1937年11月 pp.34-35
《影のある女》 『美術時代』第1巻第2号 1937年11月 p.126
「美術界の新精神」 『セルパン』第83号 1937年12月 pp.37-39
「今年度の前衛画壇」 『美之国』第13巻第12号 1937年12月 pp.7-9
「レアリズム論の余白へ」 『アトリエ』第15巻第1号 1938年1月 pp.6-10
「新制作派展評」 『美之国』第14巻第1号 1938年1月 pp.48-50
「ジュンヌ・オム第一回展」 『アトリエ』第15巻第3号 1938年3月 p.62
《雲》(原色版) 『美術時代』第2巻第2号 1938年3月
「時局と美術」〈「日本の現実」に直面して〉 『美術時代』第2巻第2号 1938年3月 pp.8-11
「自然の怪奇」 『美之国』第14巻第3号 1938年3月 p.26
表紙《雲(夕)》 『アトリエ』第15巻第5号 1938年4月
《夕雲》 『美術』第13巻第4号 1938年4月
「時代との折衝」 『美術』第13巻第4号 1938年4月 pp.48-49
《雲(夕)》 『美之国』第14巻第4号 1938年4月
《雲(昼)》 『みづゑ』第398号 1938年4月
《雲》 『みづゑ』第402号 1938年8月
「エルンストの博物学」 『アトリエ』第15巻第12号 1938年9月
「画壇越境」 『改造』第20巻第9号 改造社 1938年9月 pp.21-29
「豆探訪記「池田永一治、池部鈎、藤田嗣治、福沢一郎」」 『カリカレ』第1巻第4号 東京漫画研究会 1938年9月
「現下の絵画問題」 『教育美術』第4巻第9号 教育美術振興会1938年9月 pp.4-10
「二科画評」 『中外商業新報』 1938年9月7-9日 いずれもp.5
「二科展評」<事変下の画壇> 『福岡日日新聞』 1938年9月11,13-16日 いずれも11面
「写真の超現実主義」 『写真文化』第1集 国際報道写真協会 1938年10月 pp.53-65
《風景》<新作洋画選 下巻> 『アトリエ』第15巻第13号 1938年11月
「瀧口修造著『近代美術』(三笠全書)」 『学芸』第73号 1938年11月 pp.50-51
「レアリテ(写実)といふ事」 『阿々土』第24号 1938年12月 p.3
「惟軌会展評」<展覧会評> 『アトリエ』第15巻第17号 1938年12月 pp.94-95
《風景》 『美之国』第14巻第12号 1938年12月
「新制作派展」 『読売新聞』夕刊 1938年12月1日 2面
「「汎」第一回展評」<展覧会評> 『アトリエ』第16巻第1号 1939年1月 pp.76-77
「歯医者ビエ氏と僕・一九二九年滞欧作」 『カリカレ』第2巻第1号 1939年1月
「前衛絵画を中心に」 『美之国』第15巻第2号 1939年2月 pp.6-7
《雲の峰》 『みづゑ』第409号 1939年2月 p.48-49間
「洪水図」 『みづゑ』第410号 1939年3月 原色版解説
「春光」<絵と文> 『ホーム・ライフ』第5巻第3号 大阪毎日新聞社 1939年3月 p.53
《洪水図》 『美術』第14巻第4号 1939年4月
《洪水図》 『美之国』第15巻第4号 1939年4月
「転換期の症状」<槍騎兵> 『東京朝日新聞』 1939年4月7日 7面
「明日の前衛絵画」 『帝国大学新聞』第762号 1939年4月17日 10面
「洋画壇の課題」 『都新聞』 1939年4月19,20日 いずれも1面
「行動する絵画」 『中外商業新報』 1939年4月25,27日 いずれも5面
《洪水図(A)》 『みづゑ』第411号 1939年4月
「前衛絵画の方向」 『改造』第21巻第5号 1939年5月 pp.122-125
「連袖会展」 『美術』第14巻第5号 1939年5月 p.46
「「土」を観て」<映画評> 『アトリエ』第16巻第6号 1939年6月 pp.59-60
「美術文化協会は如何に創立されたか」 『みづゑ』第414号 1939年6月 pp.23-24(695-696)
「技術の問題」<作家と技術1> 『アトリエ』第16巻第7号 1939年7月 pp.14-16
「美学的に見た映画スタア」 『映画朝日』第16巻第7号 朝日新聞社 1939年7月 pp.98-99
「浅原君に就て」 『浅原清隆個人展(パンフレット)』 画廊(神戸市元町駅下鯉川筋) 1939年7月 (頁なし)
「マックス・エルンスト」 『美術文化』第1号 美術文化協会 1939年8月 pp.4-6
「現代の前衛美術を如何に進めていきたいか」 『美術文化』第1号 1939年8月 p.10
「作家になった動機」 『美之国』第15巻第8号 1939年8月 p.37
「現代絵画の問題」 『中央公論』第54年第9号(第624号) 中央公論社 1939年9月 pp.185-192
「戦争画」 『文芸』第7巻第9号 改造社 1939年9月 p.37
「無限の追究」 『阿々土』第28号 阿々土社 1939年10月 pp.12-13
《洪水(B)》 『阿々土』第28号 阿々土社 1939年10月 p.88
「二科の特殊性」<アンケート 二科・美術院・青龍社> 『アトリエ』第16巻第11号 1939年10月 p.27
「美術文化協会の理想」<新時代の動向(一)> 『現代美術』第7巻第1号 1939年10月 pp.68-71
《ナルシス》 『美術』第14巻第11号 1939年11月
《風景》(30號 昭和13年4月作 福沢一郎 個展) 『原色版 現代洋画家選(1)』 アトリエ社 1939年11月20日 No.13
《馬達》 『みづゑ』第421号 1939年12月
「時代に先行する前衛的芸術運動」<我が団体の抱負を語る(三)> 『美術通信』第1443号 日本美術通信社 1940年1月21日 2面
「北支行」 『美術殿』第8巻第1号 1940年1月 pp.40-41
「北支行」(絵と文) 『改造』第22巻第2号 1940年2月 pp.124-127
「随筆以前」 『日本映画』第5巻第3号 大日本映画協会 1940年3月 pp.79-81
《風景》 『新作洋画選 下巻』 アトリエ社 1940年3月
「山西の写真」 『アサヒカメラ』<春の素描(デツサン) 写真随筆集>第29巻第4号(通巻第168号) 1940年4月 pp.582-583
《山西図》<紙上美術展> 『東京朝日新聞』夕刊 1940年4月18日 3面
《山西》<作品集> 『美術文化』第3号 1940年4月 p.18
「我々の立場」<主張と感想> 『美術文化』第3号 1940年4月 p.37
《山西図》(美術文化第一回展) 『教育美術』第6巻第5号 1940年5月 教育美術振興会 p.78
《山西図》 『アトリエ』第17巻第7号 1940年6月
「美術文化展を終りて」 『アトリエ』第17巻第7号 1940年6月 p.41
《男》 『みづゑ』第427号 1940年6月
「新しいもの・古いもの」 『公論』第3巻第7号、1940年7月、pp.6-8
「魂を売る者」 『政界往来』第11巻第7号 政界往来社 1940年7月 pp.14-16
「追分より」 『美術文化』第4号 1940年8月 pp.13-15
「らく書」(上)<新体制下の美術> 『美術通信』第1639号 1940年9月18日 2面
「らく書」(下)<新体制下の美術> 『美術通信』第1640号 1940年9月19日 2面
「らく書 補遺」(上) 『美術通信』第1652号 1940年10月4日 2面
「らく書 補遺」(下) 『美術通信』第1653号 1940年10月5日 2面
「大政翼賛会文化部へ建策 ―青年の夢を育め」 『報知新聞』 1940年10月24日
「随感」 『文芸』第8巻第11号 1940年11月 p.158
「夢を育め」 『美術文化』第5号 1940年11月 pp.3-6
《村落 福沢一郎》<美術文化秋季展特集> 『美術文化』第5号 1940年11月 p.15
「再び美術団体新体制に要望する 集団と個人の位置について」 『アトリエ』第17巻第12号 1940年11月 pp.41-42
「アシュラ(青邨)」<一作一人評> 『美之国』第16巻第12号 1940年12月 p.28
《素描》2点 『歴程詩集 紀元弐千六百年版』 山雅房 1941年2月 p.298(二九八ノ二、二九八ノ三)
《風景》 『美術殿』第9巻第6号 絵画教習会 1941年6月 頁なし
「小品展に際して」 『第二回美術文化小品展出品目録』 美術文化協会 1941年12月
「安孫子君」 『安孫子眞人作品集』 美術工芸会 1942年2月15日 p.1
「美術文化の第三年」 『美術文化 第3回展集』 美術文化協会 1942年5月28日 p.2
「企劃畫に就て」 『美術文化 第3回展集』 美術文化協会 1942年5月28日 p.54
《狂乱のエクゼター(ジヤバ沖海戦)》《花》 『美術文化 第3回展集』 美術文化協会 1942年5月28日
《帰雁》 『画論』第11号 造形芸術社 1942年7月
《海》 『新美術』第11号 春鳥会 1942年7月
「戦争画の矛盾」 『新美術』第11号 1942年7月 pp.13-14
《帰雁》〈第三回美術文化協会展〉 『生活美術』第2巻第7号 アトリエ社 1942年7月
《渡り鳥》 『旬刊美術新報』第44号 1942年12月1日 図版頁
《海》 『生活美術』第2巻第12号 原色版(個展)
「美術文化の第五年」 『美術文化第四回展集』1943年5月 pp.2-3
「對岳語」 『美術文化第四回展集』 美術文化協会 1943年5月 pp.9-10
「歩兵学校見学記」 『美術文化第四回展集』 美術文化協会 1943年5月 p.24
《國引き》(第四回美術文化協會展作品) 『旬刊美術新報』第64号 1943年6月20日 図版頁
《國引き》〈美術文化展〉 『新美術』第25号 1943年8月 p.39
「中津川といふところ」 『生活美術』第3巻第8号 アトリエ社 1943年8月 pp.28-30
「美術文化の第六年」 『第五回美術文化展出品目録』 美術文化協会 1944年4月 pp.1-3
《船舶兵基地出発》 『美術』第2巻第4号 日本美術出版社 1945年4月
「芸術院の廃止が先決 仮装民主化の日本美術展」 『読売報知』 読売新聞社 1945年11月18日 2面
「美術における戦争責任」 『民主文化』第1巻第1号 中外出版 1946年1月 pp.18-19
「松上の雪(絵と文)」 『建設青年』第1号 旺文社 1946年1月 pp.2-3
「国宝のことども」 『新生活』第2巻第2号 新生活社 1946年2月 p.12
「離山荘記」<随筆> 『美術及工芸』第1巻第2号 日本美術及工芸会 1946年2月 pp.16-18
「かく思ふ」 『美術』第3巻第2号 1946年2月 pp.28-29
「反逆精神」 『カルトン』創刊号 1946年3月1日 新文化普及会 頁番号なし(見開き2頁)
「ハガキ回答 身近かな封建性について」 『科学と芸術』第1巻第2号 日本科学芸術協会1946年6月 p.22
《世相群像》〈「美術文化」展より〉 『自由美術』第1巻第3号 1946年6月 p.4
「鍬と絵筆」 『新生活』第2巻第7号 1946年8月 pp.8-9
「引揚者のための施設:東京上野」 『新建築』第22巻第7号 新建築社 1947年9月 p.16
「世紀の悪をあばく」<絵と文> 『真日本』第2巻第4号(通巻第9号) 真日本社 1947年9月 p.31
「山(絵と文)」 『四国文化』第1巻第2号 愛媛新聞社 1946年9月10日 p.28
《ダンテ神曲地獄篇による幻想より》 『アトリエ』第246号 1947年3月
《憂川(“ダンテ神曲による幻想”より)》 『みづゑ』第501号 日本美術出版 1947年6月 p.23
「アメリカの児童画展」 『教育改造』第11号 成城教育研究所 1947年11月 p.56
「描写の世界性」 『光 CLARTE’』第4巻第1号 光文社 1948年1月 p.1
「網にかゝつた女(絵と文)」 『読売新聞』 1948年1月5日 2面
「モダン・アート」 『読売新聞』 1948年2月23日 2面
「巴里の女二題:見える巴里と見えない巴里」 『女性クラブ』第2巻第2号 婦人読書クラブ 1948年3月 pp.2-3
「キュービズム」 『創美』第5号 創美書院 1948年4月 pp.7-9
「髭のある女」 『アトリエ』第256号 1948年4月 pp.25-26
「モダンアート展より(1):争ふ群像」 『美術と工芸』第3巻第4号 寶雲舎 1948年4月 p.3
「アンケエト:私は何を読むか」<PROMENADE LIVRESQUE> 『書評』第3巻第6号 日本出版協会 1948年6月 pp.4-5
《争ふ群像 福沢一郎(モダン・アート展)》 『アトリエ』第259号 1948年7月 p.40
「私は学校にのぞむ」 『教育改造』第15号 1948年7月 pp.51-52
「人の群れ(銀座街頭)/我々の立場-絵のアバンギャルド-」<敗戦第三年の表情> 『週刊朝日』第53巻第7号 1948年8月15日 p.11
「きつね色の娘」 『南日本新聞』 南日本新聞社 1948年8月15日 4面
「わがスタイルブック」 『ジョーカー』第1巻第1号 1948年1月 p.5
「亜流論」<アトリエにて> 『芸苑』第5巻第9号 厳松堂書店 1948年10月
「時代感覚に乏し/独立・二紀会・自由美術展を見る」 『読売新聞』 1948年10月4日 2面
「わが魂の遍歴/反逆の線に沿うて」 『読売新聞』 1948年11月29日 2面
「ダリをめぐって」 『美術手帖』 美術出版社 第14号 1949年2月 p.2-5
「新しき芸術に非ず -「日射し」を見て-」(第1回日本アンデパンダン展関連記事) 『読売新聞』 1949年2月26日 4面
「花」 『草月人』第1巻第1号 流風社 1949年5月 pp.10-11
「ピカソ-ピカソとキュビズム」 『ニューエポック』第1巻第2号 東西出版社 1949年5月 pp.66-79
「モダン・アート」 『文化論ノート』 河出書房 1949年6月 pp.157-159
「近代絵画の技法」 『世界美術』創刊号 吾妻書房 1949年7月 pp.2-16
「芸術の前衛 モダニズムとリアリズム(カット共)」<文化> 『読売新聞』 1949年7月25日 2面
「初入選」<初入選> 『美術手帖』第21号 1949年9月 p.29
「奥秩父」〈写生地〉 『別冊アトリエ 第1集』 アルス 1949年10月 pp.44-47
「シュールレアリスム」 『洋画技法講座』第6巻 美術出版社 1949年
「またまた巴里噺」 『眞赤土」第5号 眞赤土工藝會 1950年
「冷たい平和」 『人間』第5巻第1号 目黒書店 1950年1月 p.64
「前衛写真の在り方」 『フォトグラフィ』第2巻第1号 フォトグラフィ 1950年1月 pp.72-74
「私の敬愛する画家-レンブラント・坂本繁二郎」 『美術手帖』第26号 1950年2月 p.38
「自叙伝」 『アトリエ』第277号 1950年2月 pp.62-64
「大いに野心を持て」<第二回日本アンデパンダン展> 『読売新聞』 1950年2月22日 4面
「影響・流派・展望」<アンケート> 『BBBB』第278号 冬芽書房 1950年3月 p.38
「わがレアリテ」 『アトリエ』第278号 1950年3月 p.36
「モチーフに就て 技術ノート」 『美術手帖』第28号 1950年4月 p.21
「西遊記」 『美術手帖』第32号(7月増刊号) 1950年7月 pp.66-67
「寒い釧路(画と文)」 『読売新聞』 1950年7月10日 2面
「現代世界美術展」<季節風> 『展望』第58号 筑摩書房 1950年10月 pp.27-28
「反撥しながら惹かれる」<洋画家の見た南画> 『国立博物館ニュース』第42号 東京国立博物館 1950年11月 p.3
「私のキャンバス」 『美術手帖』第36号 1950年11月 p.49
「自画像」 『美術手帖』第37号 1950年12月 p.25
《西遊記》 岡本太郎『アヴァンギャルド芸術』 美術出版社 1950年 no.10
「美術文化」 『美術手帖』第38号 1951年1月 p.95
「抽象・具象と私」 『アトリエ』第295号 1951年7月 pp.22-23
「ピカソ」 『読売評論』臨時増刊 読売新聞社 1951年9月15日
「ピカソのグワッシュ、クレヨン、石版画」 『みづゑ』第554号 1951年10月 pp.35-37
《女史箴図》 『アトリエ』第300号 1951年11月
「ピカソの技術」 『みづゑ』第555号 1951年11月 pp.9-12
「ピカソ」 『PICASSO』(LE YOMIURI) 1951年 pp.1-9
「今年はこんな仕事がしたい/美術▽音楽」 『読売新聞』 1952年1月14日 4面
「ロートレックとモンマルトル-ロートレック50年祭記念展を見て」 『美術手帖』第53号 1952年2月 p.50
「『つららの町』=福沢一郎」 『朝日新聞』 1952年3月1日 4面
「十和田幻想(絵と文)」 『旅』第26巻第4号 日本旅行協会 1952年4月 pp.22-23
「私のこと」 『みづゑ』第560号 1952年4月 p.22 図版pp.23-30
「人物画の構図」 『別冊アトリエ 第17集 構図の研究』 婦人画報社 1952年5月 pp.18-28
「パリあれこれ」 『毎日新聞』 1952年8月3日 2面
「闘牛拝見(絵と文)」 『読売新聞』夕刊 1952年8月20日 4面
「精選された企画-廿世紀傑作祭の全貌」 『自由の旗のもとに』第1号 日本文化自由委員会 1952年9月 pp.25-26
「メキシコ便り(絵と文)」 『毎日新聞』 1954年1月26日 8面
「メキシコ美術の現状」 『読売新聞』 1954年5月12日 8面
「居眠りの“共通感覚” 都電内のメキシコ裏通り」 『朝日新聞』(東京版) 1954年7月4日 8面
「建築・彫刻・壁画」 『東京新聞』 1954年7月7日 8面
「メキシコ紀行」 『カメラ毎日』第1巻第4号(通巻第4号) 毎日新聞社 1954年8月 p.56-59
「民族のエネルギー」 『国際建築』第21巻第8号 国際建築協会 1954年8月 p.12
「メキシコ建築」 『国際建築』第21巻第8号 1954年8月 pp.13-22
「特集・メキシコ」 『美術手帖』第84号 1954年8月 pp.31-63
「友」 『毎日新聞』 1954年9月3日 5面
「のんきすぎる程の国民性 固有な風俗の面白さ」〈世界の空の下ビールは溢れる(メキシコの巻)〉 『ほろにが通信』第49号 朝日麦酒株式会社 1954年9月 pp.4-5
「メキシコへの旅」 『丸』第7巻第9号 潮書房 1954年9月 pp.42-51
「写実と抽象」 『アトリエ』第332号 1954年10月 pp.10-11
「美術文化協会は如何にあるべきだろうか」 『美術批評』第34号 美術出版社 1954年10月 pp.5-7
「フランス風の工場」〈豆風土記〉 『毎日新聞』 1954年11月9日 5面
「メキシコの美術」 『現代世界学童美術全集 1 南北アメリカ』 河出書房 1954年 pp.10-12
「超現実主義との接触」<特集・摂取から交流へ> 『美術手帖』第90号 1955年1月 pp.74-77
「ウソ発見器」 『美術手帖』第90号 1955年1月 p.84
「ブラジル、メキシコの旅から」 『Hotel Review』第58号 日本ホテル協会 1955年1月 pp.10-12
「美術文化協会の再建」 『美術文化 1』 美術文化協会 1955年2月15日 p.1
「前衛鉛筆がき」 『造形』第1巻第3号 造形同人会 1955年4月 pp.23-24
「超現実主義の建築家-ゴウディのこと-」 『芸術新潮』第6巻第6号 新潮社 1955年6月 pp.148-151
「龍・子・芸・術」〈龍子の歩み〉 『週刊美術』第120号 1955年6月20日 1面
「メキシコ紀行」 『ニューエイジ』第7巻第6号 毎日新聞社 1955年6月 pp.48-52
「画人ヘンリー・ミラー」 『芸術新潮』第6巻第7号 1955年7月 pp.107-109
「メキシコ」<第三回日本国際美術展特集> 『美術手帖』第97号 1955年7月 pp.42-47
「メキシコ展への招待」 『芸術新潮』第6巻第9号 1955年9月 pp.63-65
「パリ人類博物館」 『国立博物館ニュース』第100号 1955年9月 p.2
「メキシコ美術展」 『読売新聞』 1955年9月7日 9面
「心象風景への郷愁-壁画的様式の稀薄化」<メキシコ美術展より> 『三田新聞』 1955年?9月4日 4面
「19世紀絵画と現代美術 」<特集メキシコの美術> 『美術手帖』第101号 1955年10月 pp.6-21
「メキシコの民芸品」 『民藝』第34号 日本民芸協会 1955年10月 pp.2-5
「むかしを偲ぶ旅人の回想/メキシコ美術紹介の二書」 『日本読書新聞』 1955年11月14日 3面
「安井さんの死」 『読売新聞』 1955年12月15日 8面
《憂川(ダンテ「神曲」による幻想》 国立近代美術館監修、今泉篤男、石川公一編『近代洋画の歩み:西洋と日本』〈近代美術叢書〉 東都文化出版 1955年 p.48
「飯田操朗(解説)」 『現代日本美術全集』第10巻 角川書店 1956年 pp.31-32
「ゴヤの魔性」 『みづゑ』第606号 1956年1月 pp.39-44
「箴言」<作品紹介> 『美術手帖』第105号 1956年2月 pp.104-105
「2 宣伝時代」<黒い漫画> 『読売新聞』 1956年2月22日 8面
「ピカソの素描における技法と人間的なもの」 『アトリエ』第350号 1956年4月 pp.1-4
「BOOK DESIGN」 『広告 博報堂月報』第97号 博報堂 1956年4月 p.33
「秩父両神山の周辺」 『旅』第30巻第4号 1956年4月 pp.78-79
「解説 名画の部分 グリュネワルド 祭壇画「誕生」」 『美術手帖』第107号 1956年4月 pp.12-13
「おうむのいる群像」<作品紹介> 『美術手帖』第107号 1956年4月 p.88
「彫刻のモデルと」<わが青春記> 『東京新聞』夕刊 1956年4月18日 8面
「美術の普及と前衛美術」『愛媛新聞』1956年5月27日 4面
「BOOK DESIGN」 『広告 博報堂月報』第98号 博報堂 1956年5月 目次前頁
「素描の技術」<スケッチ読本> 『知性』第3巻第6号 知性社 1956年5月 pp.196-197
「BOOK DESIGN」 『広告 博報堂月報』第99号 博報堂 1956年6月 p.33
「メキシコ」〈世界カメラの旅〉 『中学初級コース』第1巻第3号 学習研究社 1956年6月 pp.63-69
「岩壁のシワ(絵と文)」『福井新聞』1956年8月8日 4面
「知床半島のこと」<随筆 海と画家 > 『美術手帖』第113号 1956年8月 p.38
「紅葉の味」 『山と渓谷』第208号 1956年10月 p.70
「期待できる日本作家−国際主観主義写真展をみる」『産経新聞』1956年12月15日 6面
「晩秋初冬の思い出」 『ハイカー』第14号 山と渓谷社 1956年12月 pp.18-19
「踊り」<作品と作家のことば> 『美術手帖』第118号 1956年12月 p.132
「編集局群像」『新聞協会報』1957年1月1日 1面
「東海讃歌(え)」 『読売新聞』 1957年1月1日 17面
「A.作家はこう考える 出品者の場合」<アンケート 世界・今日の美術展を観て> 『みづゑ』第618号 1957年1月 p.67
「岩間正男君」 『美術批評』第62号 1957年2月 pp.24-25
「美術文化展に就て」〈五月の美術展〉 『愛知県文化会館 美術館ニュース 窓』第22号 1957年4月25日、p.4 (p.1に「人物」(《メキシコの男》)図版)
「怪物・ピカソ」〈ピカソ・天才の秘密■特集批評〉 『キネマ旬報』第176号 1957年5月 pp.63-64
「現代作家の製作方法 事実の説明よりも表現性を」 『美術手帖』第127号増刊号 1957年6月 pp.93-95
「美術作品の感覚 複製と写真のもつ意味を追ふ マルロオ著 小松清訳「東西美術論」」〈読書」 『読売新聞』夕刊 1957年7月24日 3面
「第4回日本国際美術展「埋葬」」<作品と作者のことば> 『美術手帖』第128号 1957年7月 pp.80-83
《埋葬》 『みづゑ』第624号 1957年7月 p.69
「絵と文 メキシコの山 ポポカテペトル」 『山と渓谷』第217号 1957年7月 p.71
「スペイン=福沢一郎」<夏のペン> 『朝日新聞』 1957年8月7日 6面
「中南米都市遊記」 『市政』第6巻第9号 全国市長会館 1957年9月 pp.82-86
《少女》(個展から、東京銀座・兜屋画廊) 日本経済新聞 1957年10月29日 12面
「リベラの死」 『読売新聞』 1957年11月26日 2面
《小女》 『三彩』第94号 三彩社 1957年12月 p.57
「私の母」 『子どもに聞かせたいとっておきの話』 英宝社 1957年 pp.211-214
都瑠美保子・福沢一郎「メキシコ」 『世界の女性』読売新聞社婦人部編 ダヴィッド社 1957年 pp.157-161
「造形写真のために」 『カメラ毎日』第46号 1958年2月 pp.116-121
「原始と野性のよびかけ」<特集・現代美術の源流を探って> 『芸術新潮』第9巻第2号 1958年2月 p.150
「リヴェラの位置」 『みづゑ』第631号 1958年2月 pp.4-9
「三岸好太郎と北脇昇」 『異端の画家たち 読売アンデパンダン十周年記念』展覧会カタログ 1958年2月(頁番号なし)
「中南米の食物(えと文)」〈季節のことば〉 『衣食住』第1巻第3号 甲鳥書林新社 1958年3月 p.44
「わが思い出」 『稲含』第10号 群馬県立富岡高等学校生徒会 1958年3月10日 pp.9-10
「壷 すぐれた工匠的感覚」<インカ文化展から> 『読売新聞』夕刊 1958年5月12日 3面
「福沢一郎『祈り』」<現代日本美術展から> 『毎日新聞』 1958年5月16日 8面
「魔法と呪術のわが美術館」<特集・魔> 『芸術新潮』第9巻第6号 1958年6月 pp.138-141
「大賞は夜つくられる ビエンナーレ国際美術展報告=ベネチアで」 『朝日新聞』 1958年6月23日 6面
「受験虎の巻」(絵と文) 瀬沼茂樹編『若い日の読書のために』<知性選書> 知性社 1958年7月15日 p.81
「1 鮮烈な風景(絵と文)」<インド素描> 『読売新聞』夕刊 1958年12月16日 4面
「2 相愛の姿態(絵と文)」<インド素描> 『読売新聞』夕刊 1958年12月18日 3面
「3 ヒンズー教的壁画(絵と文)」<インド素描> 『読売新聞』夕刊 1958年12月22日 3面
「古いもの新しいもの」『毎日新聞』 1959年1月5日 5面
「豊富な写材の魅力 棚橋紫水写真集「メキシコ」」〈読書」 『読売新聞』夕刊 1959年1月14日 3面
福沢一郎「特異な人間像 滝口修造・著『幻想画家論』」〈読書〉 『東京新聞』1959年2月16日 6面
福沢一郎「着物を着た女房」〈新章〉 『婦人文化新聞』 1959年3月10日 1面
福沢一郎「人間探求の踏査記 人類学の立場から描く 中根千枝著『未開の顔・文明の顔』」〈読書」 『読売新聞』夕刊 1959年3月18日 4面
「モンマルトルの丘」<特集 これからのカラー写真> 『カメラ毎日』第61号 1959年3月 pp.11-12
「ヒンズウの幻想 インド紀行、コナラックの旅から」 『美術手帖』第154号 1959年3月 pp.66-71
「みなさんの図画教室」 『こだまぶっく』第1巻第1号 1959年4月 p.35
「ふるさとの街富岡」(絵と文) 『市政』第8巻第4号 1959年4月 pp.50-51
「よみがえる新鮮な感触 中国古代彫刻展」 『読売新聞』夕刊 1959年5月4日 4面
「カメラで描いた絵」 『芸術新潮』第10巻第5号 1959年5月 pp.104-109
「みなさんの図画教室」 『こだまぶっく』第1巻第2号 1959年5月 p.71
「インドのスケッチ帖から」〈随筆〉 『週刊明星』第2巻第19号(通巻42号) 1959年5月 p.8
「“脱皮”する作風」<きのう・きょう> 『読売新聞』夕刊 1959年6月24日 3面
「国際美術展で見られなかった世界の新鋭」 『芸術新潮』第10巻第7号 1959年7月 pp.57-63
「濁る青きドナウ ウィーン」<世界の旅> 『東京新聞』夕刊 1959年7月10日 8面
「古いもの新しいもの」 『毎日新聞』 1959年8月11日(未確認)
「独自の試み」<特集・秋の問題作を探る> 『芸術新潮』第10巻第9号 1959年9月 p.68
「とびら」<今日の写角> 『読売新聞』夕刊 1959年9月9日 3面
「壁」<今日の写角> 『読売新聞』夕刊 1959年9月19日 3面
「抱擁」<今日の写角> 『読売新聞』夕刊 1959年9月29日 3面
「東西画家気質」『西日本新聞』 1959年10月3日 10面
「東西画家気質」『北海道新聞』 1959年10月8日 9面
「レオナルド一辺倒への反論」<特集・美の典型 2. ダ・ヴィンチ> 『芸術新潮』第10巻第10号 1959年10月 pp.65-71
「住居(すみか)のこと」〈暮しの随筆〉 『婦人生活』第13巻第10号 1959年10月 pp.238-239
「東西画家気質」『新潟日報』 1959年11月3日 4面
《花と闘魚》 『日本経済新聞』 1959年12月16日 12面
「剛直な意志への共感」<特集 ポール・セザンヌその芸術から何を享けたか?> 『美術手帖』第167号 1960年1月 pp.66-67
「1 熱帯魚とネオンサイン」<1月の版画> 『読売新聞」夕刊 1960年1月5日 3面
「汚れなき子供たちーパリー」〈旅情・44〉 『朝日ジャーナル』第2巻第2号 1960年1月10日 pp.42-45
「2 インド・ハゲタカ」<1月の版画> 『読売新聞」夕刊 1960年1月11日 3面
「ハインツ・ハイエク・ハルケ抽象光画展」 『東京新聞』夕刊 1960年1月15日 8面
「3 インド・踊る女」<1月の版画> 『読売新聞」夕刊 1960年1月19日 3面
「4 インドの男」<1月の版画> 『読売新聞」夕刊 1960年1月27日 3面
「作家言」<特集・福沢一郎> 『造形』第53号 1960年2月 p.5
(作品図版/デッサン5点) 同上 p.4,5,6,39,49
《かちどき》ほか(個展会場風景) 同上 p.8
《地獄門》 同上 p.19
《地痕》《乱れ》 同上 p.20
《魚》《人》 同上 p.21 (《人》は《網にかかった人》(富岡市蔵)か)
《仮面に囲まれた人》 同上 p.22
《初めに行為ありき》《かちどき》 同上 p.23
《魔法使たち》 同上 p.24
《人》 同上 p.25
《人》 同上 p.26
《魚》 同上 p.27
《糞石学由来》《とびら》 同上 p.29
《人》 同上 p.30
《血》《ねはん》 同上 p.31(「編集後記」にて《血》は《魚》の誤りと訂正 p.54)
《阿修羅(インド)》 同上 p.32
《漂泊》《糞石学由来》 同上 p.33
《イヴ》 同上 p.34(《エバの誕生》(富岡市蔵)か/方向違い)
《地痕》《人》 同上 p.35
《雪男》 同上 p.36
《行者(インド)》 同上 p.37
「独立美術と超現実主義」 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第65号 国立近代美術館1960年4月 pp.3-4
「ベナレスの水浴」 『読売新聞』 1960年4月10日 8面
「主題を求めて」<作家の記録> 『美術ジャーナル』第8号 美術ジャーナル社 1960年5月 pp.18-23
「スケッチブック拝見、デッサン」 『美術ジャーナル』第8号 1960年5月 pp.24-25
「聖なるエロティシズム」<特集 印度に何を見つけたか> 『芸術新潮』第11巻第8号 1960年8月 pp.94-101
「太陽と死と戦争と 現代メキシコ版画展」 『毎日新聞』 1960年8月4日 7面
「アンケート」〈特集“人間と政治”〉 『政治公論』第40号 政治公論社 1960年10月 p.62
「国際版画ビエンナーレ展」 『読売新聞』夕刊 1960年11月29日 3面
《新春桜島》 『上毛新聞』 1961年1月1日 3面
《コナラックにて》(第4回現代日本美術展) 『美術手帖』第184号増刊 1961年1月、図版頁
「美術は美術のために」<今日の時点-その社会的側面> 『美術手帖』第184号増刊 1961年1月 pp.63-64
「 メキシコの二つの町」(写真と文)(他の記事にも写真を提供) 『写真集 世界周遊III』 修道社 1961年2月 p.?
「アフリカ美術展から1 仮面ペンダント」 『読売新聞』 1961年4月5日</P
「富岡」〈都市スケッチ〉 『市政』第10巻第6号 1961年6月 pp.??-??
「サロン・ド・パリ展を見て」 『東京新聞』夕刊 1961年10月1日
「『現代絵画の展望』展 出品作の思い出」 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第87号 1962年2月 p.7
「情熱の余り倒れそう メキシコ歌舞団を見て(えと文)」 『毎日新聞』 1962年3月30日 10面
「アンケート・美術展覧会の現状に思ふ」 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第89号 1962年4月 p.4
「王侯にまさる自由の魅力-美術へのめざめ」 『美術手帖』第204号 1962年5月
「書評『近代美術』滝口修造」 『東奧日報』 1963年4月14日
「あやしいエキゾチズム」〈鑑賞席 アフガニスタンの古代美術〉 『朝日ジャーナル』第5巻第35号 1963年9月1日 p.26
《浅間の鬼押し出し》『読売新聞』 1963年9月15日 17面
「私の本-旧著より未刊の一書」 『読売新聞』 1963年10月13日 18年
「インド古代美術展」 『読売新聞』 1963年11月16日
「写実と幻想と」 『三彩』第170号 1964年2月
「変わったのは政府であって、私ではない」〈私の20年〉 『三彩』第181号 1965年1月 p.22
「絵画史上のエポック」〈私の昭和史〉 (共同通信?) 1965年2月17日
「ブラジルの美術」『これが新しい世界だ13 南アメリカ(1) ブラジル』 国際情報社 1965年4月 pp.134-135
「ようかん」〈思い出の菓子ーアンケートー〉 『あまカラ』第173号附録 甘辛社 1966年1月 p.15
「シカゴ・ニューヨーク」 『自由』第8巻第2号 1966年2月
「壁画運動のにない手たち」『これが新しい世界だ15 メキシコ 付中央アメリカ』 国際情報社 1966年4月 pp.134-137
「これでよいか芸術院」 『読売新聞』 1966年6月4日
《うごめく群れ》《坐り込み》《あえぐ群像》〈美術散歩〉 『文藝春秋』 第44巻第6号 1966年6月 グラビア頁
「魔術的な演技」〈鑑賞席 ミロの陶芸〉 『朝日ジャーナル』第8巻第37号 1966年9月4日 p.26
「シュールレアリスト逮捕の頃-千円札模造事件によせて- 」 『東京大学新聞』 1966年10月17日
「オーストラリア画信-アリス・スプリングスで」 『読売新聞』 1967年7月6日
「犬二題」〈茶の間〉 『毎日新聞』 1968年7月8日夕刊 2面
「ふるさと博物譚」 『国立博物館ニュース』第260号 1969年1月
「忘れ得ぬ人からの絵はがき」<ぴいぷる> 『芸術新潮』第20巻第11号(通号第239号) 1969年11
「ドームのあるわが家」<ぴいぷる> 『芸術新潮』第21巻第11号(通号第251号) 1970年11月
「画家の見たインド-伝統と現代の交錯」 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第192号 1970年11月
「個展に寄せて」 『美術グラフ』第19巻第10号 1970年12月
「1930年」 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第197号 1971年4月 p.5
「かつら」 『芸術新潮』第22巻第1号(通号第253号) 1971年1月
「わが作品の記」 『富岡高校七十五年史』 同編纂委員会 1971年11月
「ボルドー美術展から(1)」 『東京新聞』夕刊 1971年11月11日
「アンケート」 『三彩』第280号増刊号 1971年12月
「エロスに当惑」<特集・ピカソ最後のエロチカ> 『芸術新潮』第24巻第6号(通巻第282号) 1973年6月
「地獄図由来」<特集・福沢一郎> 『三彩』第305号 1973年7月
「防弾ガラスで被覆されたステンドグラス」<ぴいぷる> 『芸術新潮』第24巻第9号(通巻第285号) 1973年9月
《銅釜地獄》《餓鬼》《雨炎火石地獄》 「ポスト・コレクション」(文:瀬木慎一) 『週刊ポスト』第5巻第54号(通巻第277号) 1973年12月 ノンブルなし
「美の美-レンブラント自画像」 『産経新聞』 産経新聞社 1974年2月28日
「勝手・便所に類する書棚」<ぴいぷる> 『芸術新潮』第25巻第5号(通巻第293号) 1974年5月
「激しくドラマチックな群像」<特集・群像> 『日本美術 第118号 日本美術新社 1975年5月
「ドイツの機具」<ぴいぷる> 『芸術新潮』第26巻第3号(通号303号) 1975年3月
「人間を求めて」 『ライフ・タイムス』 ? 1975年9月14日
「シュルレアリスム展に因んで(アンケート)」<特集・1930年代の思索と製作> 『美術グラフ』第24巻第11号 1975年11月
「随想 あの頃」 『VISION』第6巻第1号 ビジョン企画出版社 1976年2月
「タマヨ展から-メヒコの叙情」 『東京新聞』夕刊 1976年4月10日
「ゲーテ」 『日本経済新聞』 1976年6月20日
「思い出」<追悼 高畠達四郎> 『三彩』第348号 1976年8月
「仕事は生きる張りを与える」 『現代群馬の百人』 育英出版社 1977年
「闘牛の絵」<特集・スペインの旅・闘牛> 『三彩』第375号 1978年12月
「米倉君の人と仕事と」 『米倉壽仁展』図録 山梨県立美術館 1979年
「仲栄真洋のオデュッセウス的冒険」 『季刊芸術』第13巻第3号(通巻第50号)1979夏号 1979年7月 pp.150-154
「裸婦今昔」 『京都新聞』 京都新聞社 1979年1月5日
「旅 思い出すまま」 『教育改造』第68号 成城学園初等学校 1979年2月 pp.64-66
「キリスト教美術」<今日の展覧会から> 『繪』第184号 日動画廊 1979年6月
「牧神」 『Print communication 版画センターニュース』No.54 現代版画センター 1980年1月
「私と糸園和三郎との出会い」 『アート・トップ』第11巻第3号(通巻第57号) 1980年6月
「壁画失楽園」<特集・福沢一郎壁画 失楽園> 『三彩』第394号 1980年7月 pp.37-48
「福沢一郎が推す小牧源太郎」<特集・「よい画家」が推す「良い画家」> 『芸術新潮』第31巻第8号(通巻第368号) 1980年8月
「制作の意図」 『山梨県立美術館だより』第2号 山梨県立美術館 1980年9月
「鈴木保徳君の事」 『三彩』第397号 1980年10月
「「魏志倭人伝」及び「騎馬民族征服王朝説」をどう描いたか」 『三彩』第402号 1981年3月
「毒は創作の砦 これで凡俗と陳腐を防ぐのだ!」<特集・芸術の毒杯> 『芸術新潮』第34巻第8号(通巻第404号)1983年8月
《(タイトルなし)》「傑作オモシロうし図案集30」 『太陽 臨時増刊 丑歳年賀状図案集』 第271号 平凡社 1984年12月 p.27
「巴里の森口さんと私」 『森口多里論集 美術篇』 第一法規出版 1986年3月
「若い日の私」 『毎日新聞』朝刊 1986年9月12日 4面
「杉全君の仕事」 『杉全直展』図録 O美術館 1987年
「自由な画業から湧く無上の楽しみ」 『21世紀への直言 「地球人」にとどけ尚志のこころ』 二高尚志同窓会記念誌編集委員会 講談社 1987年 pp.254-260
「花と裸婦」 『上毛新聞』 1987年1月1日
「特集 福沢一郎」 『個性派 ハヤシ画廊』季刊第54号 1991年1月1日 pp.2-7.
小松清、清水多嘉示、福沢一郎、高橋新吉、土方定一 「新人の帝展合評会」 『文化集団』第2巻第12号 文化集団社 1934年12月 pp.68-81
安井曾太郎、中村研一、福沢一郎、司会豊田三郎 「現代絵画を語る」<座談会> 『行動』第3巻第5号 1935年5月 pp.161-175
「二科展対話」(川口軌外と) 『美術』第10巻第10号 1935年10月 pp.2-8
中島健蔵、徳永直、福沢一郎、亀井勝一郎、舟橋聖一、豊田三郎、小松清 「欧羅巴精神と日本精神」<座談会> 『行動文学』第1巻第3号 1936年8月 pp.58-72
山根銀二、蘆原英了、林房雄、福沢一郎、岸田国士、村山知義、今日出海、横光利一、舟橋聖一、六車修、河上徹太郎、小林秀雄 「現代芸術の分野」<座談会> 『文学界』第4巻第1号 文藝春秋 1937年1月 pp.278-303
阿部知二、中島健蔵、福沢一郎、小松清、正木雅二郎、野口富士男、豊田三郎、舟橋聖一 「小説家を語る」<座談会> 『行動文学』第2巻第1号 1937年2月 pp.42-56
荒城季夫、福沢一郎、長谷川三郎、吉岡堅二、福田豊四郎 「絵画は何処へ行く」<座談会> 『アトリエ』第14巻第9号 1937年9月 pp.40-50
勅使河原蒼風、福沢一郎 「華道とオブジェ」<対談> 『アトリエ』第15巻第10号 1938年8月 pp.56-65
伊藤深水、伊原宇三郎、川島理一郎、川路柳虹、田中咄哉洲、中村岳陵、 中川紀元、中山巍、中村研一、牧野虎雄、福沢一郎、児玉希望、木村荘八、広島晃甫、森白甫 「昭和画壇一五年 日本画家・洋画家合同春宵座談会」 『美之国』第15巻第4号 1939年4月 pp.5-15
石井柏亭、伊藤深水、今泉篤男、豊田勝秋、上泉秀信、加藤顕清、吉村忠夫、福沢一郎、安藤照 「座談会 国家と美術を語る」 『美之国』第17巻第3号 1941年3月 pp.22-41
石川達三、河村敬吉、神田重隆、竹中久七、辻二郎、中谷博、打木村治、松尾隆、福沢一郎、佐々木斐夫、清水多嘉示「科学と芸術」<座談会> 『科学と芸術』第1巻第1号 日本科学芸術協会 1946年4月 pp.27-31
福沢一郎・吉川逸治・植村鷹千代 「ピカソと現代絵画」<鼎談> 『アトリエ』 第264号 1949年1月 pp.35-48
土方定一、福沢一郎、本郷新 「廿世紀のレアリズムとは?」<座談会> 『BBBB』第2号 1950年1月 pp.16-26
野間宏、本郷新、福田恆存、福沢一郎、中島健蔵 「変革期のリアリズム」<討論> 『改造文芸』第2巻第5号 改造社 1950年5月 pp.88-107
瀧口修造、長谷川三郎、土方定一、福沢一郎 「日本作家の海外出品をめぐって」<座談会> 『美術批評』第2号 1952年2月 pp.19-25
「サロン・ド・メ批評」<座談会> 『美術批評』第12号 1952年12月☆(トル)
福沢一郎、植村鷹千代、瀬木慎一 「メキシコの現代美術-位置とその特殊性-」<座談会> 『美術批評』第31号 1954年7月 pp.15-27
福沢一郎、土方定一、江上波夫、久保貞次郎「メキシコ展」<座談会> 『芸術新潮』第6巻第10号 1955年10月 pp.173-194
「福沢一郎」<美術芸談> 『東京新聞』夕刊 1957年6月11日 8面
桑木務、園部三郎、福沢一郎、向井啓雄、美川徳之助、司会沢寿次「世界の女性と日本の女性」(座談会) 『世界の女性』読売新聞社婦人部編 ダヴィッド社 1957年 pp.157-161
今泉篤男、海老原喜之助、福沢一郎、向井良吉 「第5回日本国際美術展をめぐって」<座談会> 『みづゑ』第649号 1959年6月 pp.47-56
福沢一郎、末松正樹、岩崎鐸 「鎖をたちきった絵画-作家の見た国際美術展-」<座談会> 『美術手帖』第160号 1959年7月 pp.26-32
西脇順三郎、福沢一郎、江原順 「座談会 詩と絵画の問題-主としてシュルレアリスムをめぐって-」 『無限』第4号 政治公論社 1960年5月 pp.100-117
大平善梧、福沢一郎、草野心平、鮎川信夫 「知識人の政治行動について(座談会)」 『政治公論』第40号 政治公論社 1960年10月 pp.64-98
「壮大な叙事詩をうたう」<対談> 『アトリエ』第662号 1982年
陰里鉄郎、福沢一郎「作家と語る 福沢一郎とその作品」<対談> 『みづゑ』第933号 1984冬号 1984年
今井信吾、原光子、福沢一郎 「福澤一郎先生訪問記」 『独立美術協会第60回展記念 第1回独立展のころ』 独立美術協会 1992年10月 pp.20-31
「帝展一覧」〈美術の秋 帝展の開會と自由畫壇未來派協會の反抗的展覧會對立〉 東京朝日新聞 1922年10月18日 4面
「彫刻入選 富岡の福澤氏」 『上毛新聞』 1922年10月23日 3面 8〜11段中央
石井柏亭 「帝展一巡記」 『中央美術』第8巻第11号(通巻第86号) 1922年11月 pp.129-139
「帝展に入選す 彫刻の天才」 『上毛及上毛人』第68号 上毛郷土史研究会 1922年12月 p.51
斎藤素厳 「東台彫塑会を評す」 『国民新聞』 1923年5月17日 5面
エッチ・デルスニス 「フランス人の見た東台彫塑会」(完) 『読売新聞』 1923年5月17日 7面
「美術界の天才として サロンに入選した福澤氏」『上毛新聞』1924年11月28日 5面
「去年より千点多い/締切を三時間延した二科搬入」 『読売新聞』 1929年8月27日 7面
荒城季夫 「二科の展望」 『美之国』第5巻第9号 1929年9月 pp.88-91
川路柳虹 「二科を観る」(三) 『読売新聞』 1929年9月6日 4面
森口多里、中川一政、小寺健吉、中川紀元、小山敬三 「二科合評」 『アトリエ』第6巻第10号 1929年10月 pp.6-31
高畠達四郎 「二科会評」 『美術新論』第4巻第10号 1929年10月 pp.43-51
外山卯三郎 「日本洋画界と二科の価値」 『美之国』第5巻第10号 1929年10月 pp.22-26
荒城季夫、青柳正廣、江川和彦、三輪鄰、田中泰祐、薄金兼次郎 「二科を語る」<座談会> 『美之国』第5巻第10号 1929年10月 pp.27-31
志保谷達郎 「二科展評」 『美之国』第5巻第10号 1929年10月 pp.32-36
外山卯三郎 「一九三〇年展評」 『みづゑ』第300号 1930年2月 pp.9-13(81-87)
小林和作 「一九三〇年協会展覧会評」 『アトリエ』第7巻第3号 1930年3月 pp.62-67
里見勝蔵 「一九三〇年展評」 『アトリエ』第7巻第3号 1930年3月 pp.68-78
堀田清治 「第四回一九三〇年協会展批判」 『美術新論』第5巻第3号 1930年3月 pp.113-120
「独立美術協会結成」 『東京朝日新聞』 1930年11月2日 11面
「「独立美術協会」生る」 『読売新聞』 1930年11月2日 7面
外山卯三郎 「福沢一郎」 『日本洋画の新世紀』 金星堂 1931年
「独立美術展の入選者発表さる 厳選の結果271点を採用 11日から上野で開会」 『東京朝日新聞』 1931年1月10日 3面
「独立美術協会 入選者発表」 『読売新聞』 1931年1月10日 7面
「けふ開幕 独立美術展」 『読売新聞』 1931年1月11日 7面
仲田勝之助 「独立美術展評」(上・中・下) 『東京朝日新聞』 1931年1月15-17日 各5面
中川紀元 「独立美術協会を見る」 『読売新聞』 1931年1月18日 4面
柳亮 「独立美術協会展 所感と其他」 『アトリエ』第8巻第2号 1931年2月 pp.130-135
中山巍 『独立展評(福沢一郎及び公募作)』 『アトリエ』第8巻第2号 1931年2月 pp.136-140
上野山清貢 「独立展会場にて」 『美術新論』第6巻第2号 1931年2月 pp.117-118
外山卯三郎 「第一回独立美術展評」 『美之国』第7巻第2号 1931年2月 pp.38-41
峰岸義一 「独立美術展 -所謂里見・児島イズムの汎濫-」 『美之国』第7巻第2号 1931年2月 pp.42-48
「滞佛七年間 美術研究に精進 福澤一郎氏久しぶりで歸朝 富岡町で歡迎宴を開く」『上毛新聞』1931年5月30日 夕刊2面
「福澤氏歡迎會」『上毛新聞』1931年6月9日 夕刊2面
「天才彫刻家 富岡の福沢一郎氏」 『上毛及上毛人』第171号 1931年7月 p.57
森口多里 「独立美術展評」 『東京朝日新聞』 1931年9月26,28日 26日=9面、28日=5面
「独立美術の秋季展」<アトリエ・グラフ> 『アトリエ』第8巻第11号 1931年11月 p.4
「独立美術展 入選者発表」 『読売新聞』 1932年3月18日 7面
児島喜久雄 「独立展を観る」(一〜四) 『東京朝日新聞』 1932年3月20, 21, 22, 23日 21日=9面、その他13面
荒城季夫 「独立展を観る」 『アトリエ』第9巻第4号 1932年4月 pp.42-47
柳亮 「解説独立美術展記」 『アトリエ』第9巻第4号 1932年4月 pp.47-52
「独立美術秋季展」 『東京朝日新聞』 1932年10月7日 9面
伊原宇三郎 「独立秋期展評」 『アトリエ』第9巻第11号 1932年11月 pp.47-48
伊藤廉 「独立秋季展批判」 『セルパン』第21号 1932年11月 pp.47-49
「アトリエを訪ねる(45) 福沢一郎氏」 『アトリエ』第10巻第3号 1933年3月
森口多里「独立美術展評」(一〜三) 『東京朝日新聞』 1933年3月14日 各9面
川路柳虹 「独立美術展を観る(中)」 『読売新聞』 1933年3月16日 4面
田口省吾 「独立美術展感想」 『アトリエ』第10巻第4号 1933年4月 pp.55-57
伊原宇三郎、伊藤廉、林重義、中山巍、福島繁太郎、佐分真、宮田重雄、岩佐新 「独立美術展を中心とする座談会」 『美術新論』第8巻第4号 1933年4月 pp.2-16
「独立美術秋季展」 『東京朝日新聞』 1933年10月20日 15面
荒城季夫「独立展を観る」(一〜三) 『東京朝日新聞』 1934年3月27-29日 各9面
外山卯三郎 「独立春季展を観る」 『セルパン』第38号 1934年4月 pp.43-45
鳥海青児 「独立展評」 『アトリエ』第11巻第5号 1934年5月 pp.32-33
宮本三郎、向井潤吉、清水刀根、酒井亮吉 「独立展合評」 『アトリエ』第11巻第5号 1934年5月 pp.34-38
れぱあど 「「独立美術展」観」 『行動』第2巻第5号 1934年5月 pp.175-177
横川毅一郎 「造形文化新段階」 『みづゑ』351号 1934年5月 pp.6-8(298-300)
「福沢一郎氏個展」 『東京朝日新聞』 1934年7月11日 9面
三浦「福沢一郎氏個展」 『セルパン』第42号 1934年8月 p.32
「福沢一郎氏個展」 『中央美術』復興第13号 1934年8月 pp.16-17
「独立美術秋季展」 『東京朝日新聞』 1934年11月23日 9面
石井柏亭 「独立秋季展」<美術界彙報> 『中央美術』復興第18号 1935年1月 p.6
荒城季夫 「独立展評」(一〜三) 『東京朝日新聞』 1935年3月9-11日 各11、13、9面
「二科の満州進出」 『東京朝日新聞』 1935年3月29日 11面
今泉篤男 「独立展の感想」 『アトリエ』第12巻第4号 1935年4月 pp.30-32
柳亮 「「独立」の日本主義とエスプリ・モデルン」 『アトリエ』第12巻第4号 1935年4月 pp.33-37
宮本三郎 「独立展評」 『アトリエ』第12巻第4号 1935年4月 pp.38-42
上田保 「福沢一郎氏の絵画 ー独立美術展第五回」 『詩法』第9号 1935年4月 p.?
栗原 信 「独立展評」 『みづゑ』第362号 1935年4月
石井柏亭 「独立美術展」<美術界彙報> 『中央美術』再刊第21号 1935年1月 pp.1-3
「新興藝術座談會 三畫伯を中心に在連洋画家集る」 『満州日報』 1935年4月19日、9面
「福沢一郎氏の素描展」<展覧会月評> 『アトリエ』第12巻第5号 1935年5月 p.60
高橋新吉「福澤一郎氏素描展を見る」 『畫壇』第1巻第1号 1935年6月 p.81
「独立秋季展」 『東京朝日新聞』 1935年10月11日 9面
内田巌 「独立秋季展を見る」 『みづゑ』第369号 1935年11月 p.35(395)
「独立の満蒙展」 『読売新聞』 1935年11月5日 5面
矢野文夫「ボオドレエル『悪の華』の翻訳」〈特集・翻訳文学の展望〉 『書物展望』第6巻第4号、1936年4月、pp.127-129
清水刀根 「独立を観る」 『アトリエ』第13巻第6号 1936年6月 pp.19-21
富澤有為男「独立美術展評」 『東陽』第1巻第3号、1936年6月、pp.17-22
四宮潤一 「独立展前衛作家評」 『美術』第11巻第6号 1936年6月 pp.12-14
猪熊弦一郎、佐波甫、佐藤敬、藤本韶三 「独立展合評」 『アトリエ』第13巻第6号 1936年6月 pp.22-29
石井柏亭 「独立美術展」<美術界彙報> 『中央美術』再刊第35号 1936年6月 pp.3-6
「街の美術展」(下) 『東京朝日新聞』 1936年11月6日 8面
佐波甫 「福沢一郎氏とヒューマニズム」 『みづゑ』第385号 1937年3月 pp.27-35(255-277 )
硲伊之助 「独立展評」(下) 『読売新聞』 1937年3月17日 5面
児島喜久雄 「反省を希望 独立展評(三)」 『東京朝日新聞』 1937年3月20日 14面
内田巌 「独立前衛作家論」 『アトリエ』第14巻第4号 1937年4月 pp.5-8
宮本三郎 「独立展を見る」 『アトリエ』第14巻第4号 1937年4月 pp.9-11
長谷川三郎 「独立展評」 『アトリエ』第14巻第4号 1937年4月 pp.12-15
佐藤敬 『第七回独立展評」 『美之国』第13巻第4号 1937年4月 pp.27-35
林道郎 「独立展の新絵画性とは」 『美之国』第13巻第4号 1937年4月 pp.35-43
吉岡堅二 「独立展雑感」 『美之国』第13巻第4号 1937年4月 pp.44-45
宮本三郎 「独立展評」 『みづゑ』第386号 1937年4月 pp.17-19(357-359)
瀧口修造 「独立展前衛絵画について」 『みづゑ』第386号 1937年4月 pp.20-21(通巻pp.360-361)
猪熊弦一郎、伊勢正義 「独立美術協会第七回展合評」 『みづゑ』第386号 1937年4月 pp.22-26(通巻pp.362-366)
荒城季夫 「福沢一郎」<現代作家人物論> 『美術』第12巻第5号 1937年5月 pp.46-47
「飯田操朗氏遺作展」<絵画> 『東京朝日新聞』 1937年5月21日 15面
佐波甫 「日本前衛派作家論」 『アトリエ』第14巻第6号 1937年6月 pp.67-70
相良徳三 「前衛芸術の関心」<槍騎兵> 『東京朝日新聞』 1937年6月16日 9面
荒城季夫 「美術団体の分解作用」(下) 『東京朝日新聞』 1937年8月24日 9面
尾川多計 「果してシユール派の勝利か?-独立展解体の危機-」 『美之国』第13巻第9号 1937年9月 pp.6-7
「独立協会騒動」<トピツク/レヴユウ> 『美之国』第13巻第9号 1937年9月 pp.66-68
荒城季夫 「独立展評」(1〜2) 『東京朝日新聞』 1938年3月19-20日 各7面
内山義郎 「猪熊弦一郎と福沢一郎」 『アトリエ』第15巻第5号 1938年4月 pp.8-15
土方定一 「独立展評」 『アトリエ』第15巻第5号 1938年4月 pp.48-51
宮坂勝 「独立展を形式から見る」 『美之国』第14巻第4号 1938年4月 pp.56-57
佐波甫 「今年の独立展」 『みづゑ』第398号 1938年4月 pp.8-11(262-287)
米倉寿仁 「人物ハンドスケッチ 福沢一郎」 『アトリエ』第15巻第6号 1938年5月 pp.37-38
(龍)「福沢一郎個展」 『東京朝日新聞』 1938年11月25日 7面
内山義郎 「第八回独立秋季展」<展覧会評> 『アトリエ』第15巻第17号 1938年12月 p.93
芝清福 「福沢一郎個展評」 『美之国』第14巻第12号 1938年12月 p.70
瀧口修造 「福沢一郎近作個展」 『みづゑ』第409号 1939年2月 p.49(253)、図版pp.48-49間(245-252)
富永惣一 「独立展評」(上・下) 『東京朝日新聞』 1939年3月20, 21日 各7面
柳亮 「指導的役割完了の−独立展評−(上)」 『読売新聞』夕刊 1939年3月23日 2面
尾川多計 「独立展評」 『みづゑ』411号 1939年4月 p.2-5(416-419)
瀧口修造 「独立展印象」 『改造』第21巻第4号 1939年4月 p.408-411
「独立美術の福沢氏 突如脱退を決意 新団体を結成するか」 『東京日日新聞』1939年4月6日 7面
「福沢氏の脱退で若手は動揺か きのふ声明書を発表」 『東京日日新聞』1939年4月7日 7面
「福沢画伯独立展脱退」 『読売新聞』 1939年4月7日 7面
「福沢氏を除名処分」 『東京朝日新聞』 1939年4月8日 11面
北川民次「東京の畫壇」〈繪と文 二科會員 北川民次〉 『琉球新報』1939年5月26日 3面
「美術文化協会結成」<雑録> 『アトリエ』第16巻第6号 1939年6月 pp.59-60
「美術文化協会の設立に就て」 『美之国』第15巻第6号 1939年6月 pp.74-75
四宮潤一 「独立美術協会第九回展覧会」 『阿々土』第28号 阿々土社 1939年10月 p.90
「北京で興亜美術展」 『東京朝日新聞』夕刊 1939年10月5日 2面
「北京の“興亜美術展”」 『読売新聞』夕刊 1939年10月5日 2面
冬木純「《エルンスト》画集 福沢一郎氏著」 『カルト・ブランシュ』第16号 1939年12月 pp.83-84
大口登 「『エルンスト』福沢一郎著」 『美術文化』第2号 1939年12月 p.23
瀧口修造 「シユルレアリズム十年の記」 『アトリエ』第17巻第1号 1940年1月 pp.43-49
「美術の春、花と共に上野に開く3展覧会」 『東京朝日新聞』 1940年4月7日 7面
今泉篤男 「洋画を理解するには……」〈教養問答〉 『東京朝日新聞』 1940年4月17日 夕刊 3面
阿部芳文 「福沢一郎氏のアルバムから」 『フォトタイムス』第17巻第5号 フォトタイムス社 1940年5月 p.18-21
瀧口修造 「美術文化協会第一回展評」 『みづゑ』第427号 1940年6月 pp.42-44(722-724)
尾川多計 「美術文化展その他」〈美術月旦〉 『ホーム・ライフ』第6巻第6号 p.57
田中一松 「本年度上半期の画壇の動向」(1) 『東京朝日新聞』 1940年6月21日 6面
「美術文化秋季展」 『読売新聞』夕刊 1940年11月27日 3面
「美術文化秋季展」 『朝日新聞』 1940年11月29日 5面
瀧口修造 「美術文化協会展に就て」 『みづゑ』第434号 1940年12月 pp.48 (120)
「美術文化展」 『読売新聞』夕刊 1941年5月3日 3面
「美術文化展」 『東京朝日新聞』夕刊 1941年5月6日 4面
新田俊 「美術文化展を観て」 『画論』第11号 1942年7月 pp.26-27
「美術文化展」<旬報> 『旬刊美術新報』第29号 日本美術新報社 1942年7月1日 p.17
「美術文化協会 同人秋季小品展」〈旬報〉『旬刊美術新報』第35号 1942年9月1日 p.10
「福澤一郎個展 近作廿数點に期待」〈旬報〉『旬刊美術新報』第39号 1942年10月10日 p.18
森口多里 「5 洋画壇の新陳交替(第七章 昭和時代)」 『美術五十年史』 鱒書房 1943年 pp.522-540
「美術文化第四回展迫る 主宰福澤氏、神話取材の大作出品」〈豫報〉 『旬刊美術新報』第61号 1943年5月20日 p.12
「群馬美術献画展 全會員四十氏の努力作」〈豫報〉 『旬刊美術新報』第63号 1943年6月10日 p.14
「群馬美協篤志 郷土部隊へ献画」〈豫報〉 『旬刊美術新報』第67号 1943年7月20日 p.13
柳亮 「陸軍美術展評 向上した戦争画」 『朝日新聞』 1944年3月10日 4面
「天覧台覧の光栄 大東亜戦争作戦記録画」 『朝日新聞』 1945年4月9日 2面
植村鷹千代 「福沢一郎個展について」<寄書> 『美術』第3巻第1号 日本美術出版社 1946年1月 pp.39-40
「美術文化の第八年」 『第六回美術文化展出品目録』 1946年5月?
村川彌五郎 「五つの展覧会から」 『自由美術』第1巻第3号 1946年6月 pp.22-23
宮川謙一 「行動、二科、美術文化展」 『美術』第3巻第6号 1946年6月 pp.52-53
米倉寿仁 「アーニー・パイルの美術文化展」 『みづゑ』第498号 日本美術出版 1947年2月 p.49
瀧口修造 「人間像について 福沢一郎個展の感想」 『アトリエ』第246号 1947年3月 pp.23-24 図版pp.24-25間
「美術文化協会再出発」 『読売新聞』 1947年4月3日 2面
「福沢、岡本両氏の作品、米仏へ」 『読売新聞』 1947年5月6日 2面
レイ ド モンド 「日本絵画の新傾向」 『北米新報』 The Japanese American News Corp. 1947年5月8日 5面
三輪鄰「現代美術展評」 『読売新聞』 1947年5月9日 2面
「移転/福沢一郎氏」<よみうり抄> 『読売新聞』 1947年5月9日 2面
GROUPS AND SIGNLY Landscapes of Four Centuries – Recent Japanese Paintings – Sculpture, New York Times, May 11, 1947 p.X7
「ニューヨーク地下鐵画廊の日本繪畫展 人氣よぶ『廣島』」『文化新聞』 1947年5月26日 ?面
Ray de Monte, New Trends in Japanese Painting, Tribune of Art No.9, May-June 1947 pp.1-2
Modern Japanese, Art News, vol.XLVI, no.4, June 1947 p.43
Alonzo LANSFORD, Post-War Nippinese, Art Digest vol.21, no.17, June 1, 1947 p.10
土方定一 「福沢一郎論」 『みづゑ』第501号 1947年7月 pp.25-29
荒城季夫 「美術/ベストスリー 1947年の芸術」 1947年12月29日 2面
「美術ベストスリー」 『現代の芸術』1948年版 読売新聞社 1948年 pp.211-213
植村鷹千代 「アメリカへ渡つた現代日本絵画」 『女性クラブ』第2巻第2号 1948年3月1日 pp.22-23
四宮潤一 「モダニズムと美術/モダン・アート展を見る」 『読売新聞』 1948年3月8日 2面
勅使河原蒼風 「花と人」<第2回美術団体連合展を見る> 『第2回美術団体連合展』図録(毎日グラフ特集号) 毎日新聞社 1948年7月 p.31
田近憲三 「アンデパンダン展評」 『読売新聞』 1948年12月6日 2面
中山巍 「ロルヌ街のアトリエ生活」<PARIS> 『美術手帖』第13号 1949年1月 pp.52-53
「搬入、一千を突破 アンデパンダン展」 『読売新聞』 1949年2月9日 2面
植村鷹千代 「目立つ新人/咲き競う美の花一千 人気沸くアンデパンダン展」 『読売新聞』 1949年2月13日 4面
植村鷹千代 「樹海 福沢一郎作」(図版有)<アンデパンダン展より> 『読売新聞』 1949年2月21日 2面
高橋通方 「作品評/美術批評のアンデパンダン」 『読売新聞』 1949年2月21日 2面
柳真一 「近代絵画の勝利」<アンデパンダン展評> 『読売新聞』 1949年2月28日 2面
寺田千墾 「アンデパンダン展について」 『美術手帖』第16号 1949年4月 pp.68-69
「ピカソの鳩」<社会ノート> 『思索』第24号 思索社 1949年7月 p.5
「福沢一郎氏はこのほど美術文化協会を脱退」<学芸便り> 『朝日新聞』 1949年7月12日 2面
「笠置シヅ子と画家」<娯楽> 『読売新聞』 1949年7月31日 4面
「福沢一郎個展評」 『朝日新聞』 1949年9月4日 2面
「福沢一郎新作油絵展」<よみうり抄> 『読売新聞』 1949年9月8日 2面
「福沢一郎個展」 『朝日新聞』 1949年9月14日 2面
久我五千男「坂本繁二郎先生のこと」 『新日本美術』第3号 新日本美術社 1949年9月15日 1面
阿修羅 「秋の美術展評」 『読売新聞』 1949年9月26日 4面
土方定一 「二十世紀のレアリズム」<文化> 『読売新聞』 1949年10月3日 2面
「現代美術の十五人 春を飾る本社主催代表作展」 『読売新聞』 1950年1月1日 4面
「現代美術 自選代表作 十五人展」 『読売新聞』 1950年1月10日 4面
「追加陳列に賑う 安井画伯の名作も登場/十五人展」 『読売新聞』夕刊 1950年1月25日 2面
「福沢一郎作「群像」/十五人展」 『読売新聞』夕刊 1950年1月29日 4面
「総出品数一千三十点 国際色も濃厚に/第二回日本アンデパンダン展」 『読売新聞』 1950年2月18日 3面
植村鷹千代 「新しい作家」<第二回日本アンデパンダン展> 『読売新聞』 1950年2月22日 4面
「出品作品焼く 「現代美術」の四点」 『読売新聞』 1950年3月30日 2面
瀧口修造 「福沢一郎個展を見て」 『読売新聞』 1950年12月11日 4面
瀧口修造 「福沢一郎個展評」 『美術手帖』第39号 1951年2月 p.83
植村鷹千代 「春の展覧会 第1陣」 『読売新聞』 1951年2月12日 4面
「競う世界の美!日本アンデパンダン展27日開幕 米・仏から続々参加出品」 『読売新聞』 1951年2月19日 4面
中河与一 「独自の画家 福沢一郎」 『みづゑ』第546号 1951年4月 p.66
今泉篤男、大久保泰、徳大寺公英 「現代日本画壇のピークを語る」<座談会> 『アトリエ』第300号 1951年11月 pp.9-15
「16画伯が出品 パリの“20世紀傑作展”へ」 『読売新聞』 1952年2月26日 3面
「福沢一郎個展」<美術評> 『朝日新聞』 1952年3月1日 4面
「20世紀芸術展参加作品の展示会始まる」 『読売新聞』 1952年3月5日 3面
「新感覚の作品 20世紀美術展参加の展示会」 『読売新聞』 1952年3月5日 3面
柳亮 「福沢一郎 海老原喜之助展の示唆するもの」 『美術批評』第4号 1952年4月 pp.42-43
瀧口修造 「福沢一郎論」 『みづゑ』第560号 1952年4月 pp.31-34
「福沢一郎・海老原喜之助展」<展覧会の印象> 『アトリエ』第306号 1952年5月 pp.68-69
「メキシコ美術展 二十世紀傑作展など」<ニュース> 『美術批評』第7号 1952年7月 p.45
Sur une exposition à Paris d’Ichiro Fukuzawa, PREUVES no.23 1953年1月 pp.86-87
植村鷹千代 「福沢一郎「西遊記」」<国立近代美術館「抽象と幻想展」案内> 『美術手帖』第78号 1954年2月 p.10
「福沢一郎氏(画家)」<近況> 『朝日新聞』 1954年5月28日 5面
「14 福沢一郎自己革新への期待」<第一線> 『読売新聞』 1954年11月3日 6面
「福沢一郎著「アマゾンからメキシコへ」美しい旅の記録」 『読売新聞』 1954年11月27日
「福沢一郎著「アマゾンからメキシコへ」面白い中南米の紹介書」 『朝日新聞』 1954年12月6日 5面
「福沢一郎」<特集19人の作家訪問> 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第4号 1955年3月 p.6
「第7回アンデパンダン展から」 『読売新聞』夕刊 1955年3月11日 1面
瀬木慎一 「福沢一郎(作家訪問)」 『美術手帖』第93号 1955年4月 pp.25-31
瀬木慎一 「福沢一郎「パチンコ玉のある人物」(美術文化展より)」 『美術手帖』第93号 1955年4月 p.84
「メキシコ大美術展 今秋9月、日本へ招く」 『読売新聞』 1955年7月25日 7面
「メキシコ美術の夕開く」 『読売新聞』 1955年9月6日 7面
「メキシコ美術 充実した特集」 『読売新聞』 1955年10月1日 8面
「山日芸術祭 メキシコ美術と音楽、舞踊/講演「ブラジルよりメキシコへ」福沢一郎」『山梨日日新聞』1955年10月16日 1面(10月28日、甲府、県会議事堂)
「福沢一郎『樹海』」〈所蔵作品の紹介〉 『現代の眼』第12号 1955年11月1日 pp.3-4
「4画伯が舞台装飾 お正月のミュージック・ホール」 『読売新聞』夕刊 1955年12月29日 4面
岡本謙次郎 「福沢一郎」 『現代日本美術全集』第9巻 角川書店 1956年 pp.58-60
「向上した新人のレベル 日本美術会アンデパンダンと美術文化展」<展覧会週評> 『読売新聞』 1956年2月9日 8面
瀧口修造、瀬木慎一、針生一郎、今泉篤男 「「読売アンデパンダン展」を見て」<座談会> 『読売新聞』 1956年3月14日 10面
瀬木慎一 「美術時評(3)」 『アトリエ』第350号 1956年4月 ノンブルなし 作品図版《箴言》
植村鷹千代 「美術文化展総評」 『美術手帖』第107号 1956年4月 p.87
「“安全第一”を戒める 国際美術展」<展覧会週評> 『読売新聞』夕刊 1956年6月1日 3面
「努力の結晶 千三百余展 県総合美展の審査終了」『秋田魁新報』 1956年6月5日 3面
「巴里−中南米−(下)−知られざる美を求めて− 浜松クラブ主催 福澤一郎氏の講演」『遠州新聞』 1956年7月29日 4面
中村義一 「日本のシュールレアリスム」 『美術批評』第55号 1956年7月 pp.30-41
岡本謙次郎 「福沢一郎(現代作家小論)」 『美術手帖』第114号 1956年9月 pp.41-48
「メキシコの風俗を描く 福沢一郎展」 『美術グラフ』 時の美術社 第5巻第8号 1956年10月 p.24
滝口修造「亜熱帯旅行の収穫 福沢一郎個展をみる」『読売新聞』夕刊 1956年10月4日 3面
(隆) 「福沢一郎個展」<画廊から> 『朝日新聞』 1956年10月5日 5面
岡本謙次郎 「福沢一郎個展評」 『東京新聞』夕刊 1956年10月6日 8面
土方定一 「亜熱帯の明るい色彩 福沢一郎展評」 『毎日新聞』 1956年10月6日 3面
「福沢一郎個展」『週刊美術』第158号 1956年10月10日 2面(10月2日-7日、渋谷東横)
善晃子「野人の生活描く 福沢一郎個展をみて」『美術新聞』第682号 1956年11月24日 2面
瀧口修造 「亜熱帯の人間追求 福沢一郎の近作展」<二つの収穫・II> 『みづゑ』第616号 1956年11月 pp.68-71
徳大寺公英 「個展・グループ展評」 『美術手帖』第118号 1956年12月 pp.130-131
瀧口修造 「1957年ベスト・スリー 美術」 『読売新聞』夕刊 1956年12月25日 3面
「行方不明の前衛精神 「美術文化展」ほか」<展覧会週評> 『読売新聞』夕刊 1957年2月1日 3面
「3 抽象・幻想派の時代 美術界革新めざす前衛運動」<画壇新地図> 『読売新聞』夕刊 1957年2月22日 3面
瀧口修造 「越えよ表現の危機 読売アンデパンダン展をみて」 『読売新聞』夕刊 1957年3月1日 3面
「臼井氏ら9人、1団体 芸術選奨受賞者きまる」 『読売新聞』夕刊 1957年3月27日 5面
徳大寺公英 「第十七回美術文化協会展」<春季展覧会その1> 『美術手帖』第124号 1957年4月 pp.125-126
「合理性からの移行 前衛芸術に共通の傾向 3つの展覧会から」<展覧会週評> 『読売新聞』夕刊 1957年5月17日 3面
針生一郎 「力強い民族的体質 「日本国際美術展」をみて」 『読売新聞』夕刊 1957年6月3日 3面
三輪鄰「国際展の日本作品=人間探求の底流=」〈日本国際美術展展望〉 『週刊美術』第177号、1957年6月10日 1面
「福沢一郎 土民芸術から発想」〈美術芸談〉 『東京新聞』夕刊 1957年6月11日 8面
徳大寺公英 「日本の現代版画 ビエンナーレ展出品作を見て」 『読売新聞』夕刊 1957年6月13日 3面
富永惣一、田近憲三、河北倫明、岡本謙次郎、瀬木慎一 「第5位・福沢一郎 第四回日本国際美術展ベストテン」<座談会> 『芸術新潮』第8巻第7号 1957年7月 pp.120-121
岡本謙次郎 「日本国際美術展評」 『みづゑ』第624号 1957年7月 pp.30-34
「日本国際美術展 福岡展を見て②」『毎日新聞』福岡市内版 1957年8月18日 10面
針生一郎 「福沢一郎(国際美術展最優秀賞)」<特集・二人の大賞作家> 『芸術新潮』第8巻第8号 1957年8月 pp.111-115,119-125
(隆) 「力こもる福沢一郎個展」 『朝日新聞』 1957年10月26日 7面
岡本謙次郎「珍しい小品の叙情詩 福沢一郎近作展・評」『東京新聞』夕刊 1957年10月26年 ?面(〜10/30 兜屋画廊
船戸洪吉 「福沢一郎近作展」 『毎日新聞』 1957年10月27日 10面
中原佑介 「転機の福沢一郎個展」 『読売新聞』夕刊 1957年11月1日 3面
鈴木敬「内面に掘下げ 福沢一郎個展」『読売新聞』夕刊 1957年12月4日 4面
「個展二つ」〈学芸〉 朝日新聞 1957年12月5日 5面(梅田画廊)
杉本亀久雄「福沢一郎個展」 『毎日新聞』 1957年12月6日 3面
「大胆な構図が目立つ 福沢一郎油絵展」大阪日日新聞 1957年12月7日 8面(12/7、梅田画廊)
「好調の福沢一郎 今週の個展から」〈美術〉 『サンケイ』1957年12月7日 7面
滝口修造「福沢・原始的な生命力 非具象へ今井の決定打」〈1957年ベストスリー/美術〉 『読売新聞』夕刊 1957年12月26日 4面
中原佑介 「福沢一郎小論」 『三彩』第94号 1957年12月 p.56
東野芳明 「福沢一郎近作展」<個展・グループ展> 『美術手帖』第134号 1957年12月 p.143
植村鷹千代 「福沢一郎個展」 『みづゑ』第629号 1957年12月 pp.78-79
瀧口修造 「1957年ベスト・スリー 美術」 『読売新聞』夕刊 1957年12月26日 4面
志田勝次郎 「福沢一郎氏の半面」 『日本現代画家選月報』 1958年(未確認)
土方定一「みごとな開花 純粋な画歴、福沢・浜口両氏」〈毎日美術賞〉 毎日新聞 1958年1月16日 4面
「たつた一度の毎日賞」<美術> 『芸術新潮』第9巻第2号 1958年2月 p.16
竹林賢 「福沢一郎」<ぶらり見参> 『美術手帖』第137号 1958年2月 pp.6-12
「多彩な日本調を出す ベニス・ビエンナーレ美術展 国内展示」<展覧会週評> 『読売新聞』夕刊 1958年3月6日 4面
瀧口修造 「福沢一郎」<今週の顔> 『読売新聞』夕刊 1958年3月17日 3面
中原佑介 「シュールレアリスムの運動-1-」<日本近代美術史11> 『美術手帖』第140号 1958年4月 pp.97-103
中原佑介 「シュールレアリスムの運動-2-」<日本近代美術史12> 『美術手帖』第141号 1958年5月 pp.116-122
瀧口修造 「慣例破った両大賞 ベニス・ビエンナーレ展に出席して」 『読売新聞』夕刊 1958年6月23日 4面
中原佑介 「10年間の個性美 戦後の秀作展をみる」 『読売新聞』夕刊 1959年2月2日 3面
三宅正太郎 「福沢一郎」〈パリ時代 連載(5)〉 『季刊 真珠』第7号 週刊美術社 1959年9月 pp.11-19
三輪鄰「両個展に見る動き 福沢個展と希望個展」〈美術時評〉 『週刊美術』第224号 1959年12月10日 2面
「福沢一郎画伯 個展を了えて一息」〈画家をたずねて〉光亞新聞 1959年12月第4集号(12月18日) 4面
外山卯三郎「福沢一郎氏個展 激しい精神的表現を探求」『美術新聞』第1074号 1959年12月19日 2面
中原祐介「奔放な人間の生 福沢一郎デッサン展」『読売新聞』夕刊 1959年12月19日 3面(国際画廊 1〜23日)
江原順 「福沢一郎の変貌」 『三彩』第121号 1959年12月 p.50
植村鷹千代 「福沢一郎「地獄門」」<特集・第5回日本国際美術展/作品 絵画 秀作18を選ぶ> 『美術手帖』第160号 1959年7月 p.19
「海老原喜之助個展・福沢一郎個展」<画廊から> 『朝日新聞』 1959年11月13日 6面
中原佑介「福沢一郎個展 野放図さと無神経さの境界」 『読売新聞』夕刊 1959年11月13日 4面
「奔放な人間の生 福沢一郎デッサン展」 『読売新聞』夕刊 1959年12月19日 3面
針生一郎 「福沢一郎個展」 『芸術新潮』第11巻第1号 1960年1月 pp.210-211
植村鷹千代 「福沢一郎個展」<展覧会選評> 『美術手帖』第167号 1960年1月 pp.150-151
<特集 福沢一郎> 『造形』第53号 1960年2月
外山卯三郎 「福沢一郎論」 pp.10-15/三宅正太郎 「福沢一郎小論」 pp.16-17/勅使河原蒼風 「福沢さんのこと」p.18
植村鷹千代 「福沢一郎と矢橋六郎の近作」 『みづゑ』第658号 1960年2月 p.72
「福沢一郎個展」<京阪の美術> 『三彩』第148号 1962年3月
高橋新吉「福澤一郎」〈人物スケッチ〉 『日本読書新聞』 1960年4月4日 1面
Jacque Amano, Dauntless Pasture Of Avant-Garge;Recent Works By Ichiro Fukuzawa [In the Galleries] The Mainichi, Apr.15, 1960, p.2
「画歴五十年の結晶…梅原 近作に見せる意欲…福沢 二大家の作品展」『神戸新聞』1960年4月18日 3面(《行者》図版あり)
(隆)「福沢一郎近作展』<画廊> 『朝日新聞』 1962年5月12日 13面
(桑)「福沢一郎近作展」 『東京新聞』夕刊 1962年5月12日 8面w
中原佑介 「黒い幻想の世界 福沢一郎の近作展」〈美術〉 『読売新聞』夕刊 1962年5月12日 7面
江川和彦 「福沢一郎個展」 『三彩』第151号 1962年6月
解説・大河原元「現代日本美術展から」(《コナラックにて》掲載) 『サングラフ』第10巻第7号(通巻第102号) 1962年7月 頁なし
植村鷹千代 「福沢一郎個展」『みづゑ』第688号 1962年7月
本間正義 「福沢一郎氏」<作家訪問> 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第92号 1962年7月 p.6
里見勝蔵 「野獣の魂 ヴラマンクとの遭遇」 『美術ジャーナル』第35号 1962年12月
「思い出の山 三岸節子、吉岡堅二、野口弥太郎、福沢一郎」(特集記事) 『朝日新聞』 1963年7月13日
「洋画家 福沢一郎」 『上毛人物めぐり』? 1963年8月
「群馬県(19)」<新・人国記> 『朝日新聞』夕刊 1964年1月29日 2面
富山秀男 「福沢一郎『埋葬』」<東京五輪芸術展示> 『信濃毎日新聞』 1964年7月1日
本間正義 「福沢一郎『埋葬』」<名作とその周辺 近代日本の名作展から> 『現代の眼 国立近代美術館ニュース』第119号 1964年10月 p.4
「建たぬ建物」 桑原住雄『東京美術散歩』〈角川新書 184〉 1964年 pp.155-157(作品図版p.156)
中河与一 「福沢一郎展をみて-「黒人有情」の世界」 『美術グラフ』第15巻第4号 1966年5月
植村鷹千代 「画廊から」 『みづゑ』第735号 1966年5月 pp.94-95
「福沢一郎『自画像』」 桑原住雄『日本の自画像』 南北社 1966年5月20日 pp.85-88
河北倫明 「福沢一郎個展」<美術散歩> 『文藝春秋』第44巻第6号 1966年6月 p.202
弦田平八郎 「よき料理人たち」 『別冊みづゑ』No.46 1966年7月
「メキシコの男」<群馬の美術(2)> 『上毛新聞』 1968年5月21日
瀬木慎一 「福沢一郎の世界」 『読売新聞』 1968年9月20日
「福沢一郎展」<美術評> 『朝日新聞』 1968年9月25日
(丈) 「大作が並ぶ「福沢一郎展」」 『読売新聞』 1968年9月27日
「心ゆさぶる野生味・福沢一郎展」<美術評> 『朝日新聞』夕刊 1968年9月28日 9面
相良守峯 「作家登場 福沢一郎」 『みづゑ』第765号 1968年10月
植村鷹千代 「近代洋画史に生きる福沢一郎」 『自由』第10巻第11号 1968年11月
中村義一 「超現実主義の日本的展開」 『みづゑ』第722号 1969年5月
「福沢一郎個展」<美術評> 『朝日新聞』夕刊 1969年5月14日 7面
「福沢一郎氏 洋画家」<東京の上州人(6)> 『上毛新聞』 1969年6月5日
江川和彦 「福沢一郎『蟹のよこばい』」<書評> 『芸術生活』第23巻第8号(通巻第252号)1969?70?年8月
「福沢一郎氏原画のステンドグラス完成」<点描> 『朝日新聞』夕刊 1969年10月7日 7面
「福沢一郎画集「蟹のよこばい」」<読書> 『朝日新聞』 1969年10月14日 21面
「蟹のよこばい 福沢一郎画集」 『信濃毎日新聞』 1969年10月20日
「福沢一郎画集 蟹のよこばい」 『中国新聞』 1969年10月20日
「鮮烈な半世紀の歩み 福沢一郎画集「蟹のよこばい」」 『東京タイムス』 1969年10月31日
「福沢一郎画集『蟹のよこばい』」 『読売新聞』 1969年11月7日
「福沢一郎画集『蟹のよこばい』」 『読売新聞』 1969年11月14日
「福沢一郎芸術の集約 福沢一郎画集『蟹のよこばい』」 『日本経済新聞』 1969年11月28日
江川和彦 「福沢一郎『蟹のよこばい』」<書評> 第252号 1969年12月 pp.84-85
「特集 福沢一郎」 『求美』第3号 1970年新緑号 求美編集室 1970年
「福沢一郎展」<美術評> 『朝日新聞』夕刊 1970年11月4日 7面
(丈) 「福沢一郎個展」 『読売新聞』夕刊 1970年11月5日
寺田千墾「力強い生命感を表現 福沢一郎展『神曲』の地獄篇をテーマに」〈美術展〉(図版《追われる亡者達 150号) 『東京新聞』夕刊 1970年11月6日 6面
「現実批判もこめて 福沢一郎展/緊張感あふれる無言劇 鴨居玲個展」<美術>(図版:福沢一郎「氷にとざされた亡者達」=「地獄門」から) 『朝日新聞』夕刊 1971年11月10日 5面
「福沢一郎展」 毎日新聞 1970年11月11日
藤本韶三 「画室訪問 福沢一郎」 『三彩』第266号 1970年12月
「福沢一郎」<CLOSE UP・美術> 『芸術生活』第257号 1971年1月
岩崎吉一 「1930年の油絵 ーフォーヴィスムからプロレタリア美術までー」 『現代の眼 東京国立美術館ニュース』第197号 1971年4月 pp.2-3
村木明 「福沢一郎」 『読売新聞』夕刊 1971年10月29日
「福沢一郎展」 『毎日新聞』夕刊 1971年10月29日
「福沢一郎展」 『毎日新聞』夕刊 1971年11月5日
(寺田千墾)「力強い生命感を表現 福沢一郎展『神曲』の地獄篇をテーマに」〈美術展〉(図版《追われる亡者達 150号) 『東京新聞』夕刊 1971年11月5日 6面
「福沢一郎の「地獄門」展」 『読売新聞』 1971年11月7日
「現実批判もこめて 福沢一郎展/緊張感あふれる無言劇 鴨居玲個展」<美術>(図版:福沢一郎「氷にとざされた亡者達」=「地獄門」から) 『朝日新聞』夕刊 1971年11月10日 5面
(杏) 「福沢一郎展-現代の地獄門」 『アート』20の1号 1972年4月
「福沢一郎画集「人間を求めて」」<読書特集> 『朝日新聞』 1972年7月24日 11面
「たくましい造形 福沢一郎『人間を求めて』」<書評> 『東京新聞』夕刊 1972年7月25日
三宅正太郎 「絢爛たる実在の世界(福沢一郎の「魚とネオンサイン」)」 『SD』第97号 1972年10月
(淡) 「福沢一郎の<素描X>」 『三彩』第295号 1972年11月
「ステンドグラスの美 東京駅を彩る天地創造 壁画では世界最大」 『毎日新聞』 1972年11月24日
「ぐんまの顔 福沢一郎さん」 『朝日新聞』(群馬版?) 1973年1月15日
加藤貞雄 「福沢一郎展」 『毎日新聞』夕刊 1973年5月11日
「福沢一郎展」 『日本経済新聞』 1973年5月11日
小川正隆 「地獄を描く 福沢一郎近作から」<美術> 『朝日新聞』夕刊 1973年5月12日 7面
「訪問 福沢一郎氏」 『西日本新聞』 1973年5月15日
村木明 「福沢一郎展」 『読売新聞』夕刊 1973年5月16日
寺田千墾 「福沢一郎展」 『東京新聞』夕刊 1973年5月18日
菊池明子 「福沢一郎の「地獄への誘い」」 『美術グラフ』第22巻第6号 1973年7月
佐々木静一 「福沢一郎の地獄への誘い」 『三彩』第305号 1973年7月
「個展評」 『読売新聞』夕刊 1973年7月20日
「福沢一郎の自選展」 『朝日新聞』 1973年7月20日
(池) 「福沢一郎自選展」 『朝日新聞』夕刊 1973年7月25日
「福沢画伯初の自選展開く」 『毎日新聞』 1973年7月25日
本間正義 「福沢一郎「埋葬」」 『現代の眼 東京国立近代美術館ニュース』第225号 1973年8月
「山口・福沢画伯の作品が寄贈 県立美術館の目玉に」 『上毛新聞』 1974年4月20日
「ひたすら描き続ける 福沢一郎さん」 『ぐんまの顔』 朝日新聞社前橋支局編 煥乎堂 1974年6月
堀利貞 「私の地獄絵 福沢一郎氏に聞く」 『毎日新聞』夕刊 1974年7月8日
「カンバスににじむ風刺 東京・銀座 人気集める’74福沢一郎展」 『上毛新聞』 1974年11月16日
加藤貞雄 「福沢一郎展」 『毎日新聞』夕刊 1974年11月18日
(丈) 「福沢一郎展」 『読売新聞』夕刊 1974年11月18日
「福沢一郎展」<美術評> 『朝日新聞』夕刊 1974年11月20日 3面
寺田千墾 「福沢一郎展」 『東京新聞』夕刊 1974年11月22日
「福沢一郎展」 『日本経済新聞』 1974年11月22日
林紀一郎 「福沢一郎」<作家訪問> 『中美』第237号 中央美術学園出版局 1975年1月
「福沢一郎個展」 『アサヒギャラリ』第5巻第1号 サンポウジャーナル 1975年1月
松原叔 「福沢一郎’74年展」 『三彩』第327号 1975年1月
「福沢一郎の闇」 『芸術新潮』第26巻第1号(通巻第301号) 1975年1月
「福沢一郎 聞き手:福岡晟」<この人と語る> 『VISION』第5巻第2号 1975年2月
「福沢一郎画伯「フランシスコの町」建設資金集めに善意の個展」 『上毛新聞』 1975年2月27日
西村規矩夫 「福沢一郎近作大個展に寄せて(上)」 『上毛新聞』 1975年3月7日
西村規矩夫 「福沢一郎近作大個展に寄せて(下)」 『上毛新聞』 1975年3月8日
坂本哲男 「福沢一郎「科学美を盲目にする」」<郷土作家シリーズ5> 『群馬ジャーナル』第159号 1975年4月
「福沢一郎」<カメラ訪問> 『日本美術』第118号 1975年5月
「我が国前衛絵画の先駆者 福沢一郎」 『群馬ジャーナル』第160号 群馬ジャーナル社 1975年5月
山田烈 「福沢一郎「牧神とニンフ」」<郷土作家シリーズ6> 『群馬ジャーナル』第160号 1975年5月
「館蔵品紹介「科学美を盲目にする」」 『群馬の森美術館ニュース』第2号 1975年8月
林忠彦「ALBUM COLOR 福沢一郎氏」〈日本の画家(47)〉 『日本カメラ』第367号 1975年11月 pp.24-25
小川正隆 「福沢一郎回顧展-福沢一郎の世界 充実した郷里・群馬での回顧展」<美術> 『朝日新聞』夕刊 1976年4月21日 5面
「反響呼ぶ福沢一郎展」 『上毛新聞』 1976年4月29日
坂本哲男 「福沢一郎の世界-回顧展に寄せて」 『毎日新聞』 1976年4月29日
坂本哲男 「人間存在への深い執着-画業50年の回顧・福沢一郎展-」 『新美術新聞』第91号 1976年5月1日
坂本哲男 「福沢一郎展」 『VISION』第6巻第4号 1976年6月
古沢岩美 「福沢一郎展」 『VISION』第6巻第4号 1976年6月
小川正隆 「現代の証人・福沢一郎の画業」 『VISION』第6巻第4号 1976年6月
本間正義 「はじめに男ありて 現代絵画への招待」 『朝日新聞社』 1976年6月
「福沢一郎の人と芸術(本間正義 福沢一郎展記念講演会要旨)」 『群馬の森美術館ニュース」第5号 1976年6月
「福沢一郎インタビュー」 『R』第3号 サロンデザンコニュ『R』編集部 1976年7月
坂本哲男 「福沢一郎展を終えて思うこと」 『群馬の森美術館ニュース』第7号 1976年12月
土方定一 「福沢一郎の世界-リュベンス的体質をもつ反抗人間-(『蟹のよこばい』1969年より再録)」 『土方定一著作集8 近代日本の画家論III』 平凡社 1977年
土方定一 「福沢一郎(『みづゑ』1947年6月号より再録)」 『土方定一著作集8 近代日本の画家論III』 平凡社 1977年
匠秀夫 「福沢一郎」 『現代人物事典』 朝日新聞社 1977年3月
(F) 「福沢一郎展」 『京都新聞』 1977年3月23日
「福沢一郎 船舶兵基地出発」 『戦争記録画修復報告』 東京国立近代美術館 1977年 p.244
塩田昌弘 「『地獄絵・福沢一郎の世界』展雑感」 『VISION』第8号第5号 1978年7月
荻原進 「福沢一郎」 『郷土歴史人物事典 群馬』 第一法規 1978年10月15日
「文化功労者に福沢一郎氏ら「まだまだ仕事が….」」 上毛新聞 1978年10月29日
(雅) 「福沢一郎展 世相風刺の人間模様」 『読売新聞』夕刊 1978年11月24日
「闘牛テーマに24点 東京で福沢さんの個展」 『上毛新聞』 1978年11月25日
瀧梯三 「福沢一郎展」 『日本経済新聞』 1978年11月28日
「福沢一郎氏」<人 仕事> 『日本経済新聞』 1978年11月28日
「福沢一郎個展」<美術評> 『朝日新聞』夕刊 1978年11月29日 7面
寺田千墾 「福沢一郎展」 『東京新聞』夕刊 1978年11月29日
加藤貞雄 「福沢一郎新作展」 『毎日新聞』 1978年11月29日
「福沢一郎油絵小品展」 『点描』第128号 美術報知社 1978年12月
米倉守 「精神の腕力 福沢一郎の光景」<特集・福沢一郎=闘牛シリーズより> 『VISION』第8巻第10号 1978年12月
「文化功労者・福沢一郎」<時の人> 『芸術新潮』第29巻第12号 1978年12月
「自作「闘牛」富岡市に寄贈 福沢画伯」 『上毛新聞』 1978年12月22日
菊池芳一郎 「福沢一郎 うごめく群」<作家小論> 『戦後美術史の名作 洋画篇』 時の美術社 1979年
増田洋「戦後版画の創世期展 欲しかった地方の状況への配慮」 『読売新聞』夕刊 1979年6月15日 ?面
(F)「原点ふり返る意義 戦後版画の創成期展」 『京都新聞』 1979年6月16日 ?面
「版画の源流をたどる 「戦後版画の創世期展」」〈手帳〉 『読売新聞』夕刊 1979年6月26日 ?面
三木多聞「変わらぬ清新な魅力 「戦後版画の創世期展」を見て」『信濃毎日新聞』1979年7月7日 9面
室伏哲郎 「ガラスの壁(福沢一郎 アトリエ・インタビュー)」 『版画芸術』第27号 1979年秋号 阿部出版 1979年
「福沢一郎」<馬耳東風> 『東京新聞』夕刊 1979年7月25日
池野凌二 「タブロー作家の版画-福沢一郎「スペイン闘牛」を見て」 『版画センターニュース』第50号 1979年9月
匠秀夫 「福沢一郎の芸術」 『版画センターニュース』第51号 1979年10月
加太こうじ「福沢一郎作 洪水」〈忘れえぬ名画 18〉 『月刊ボザール』第23号(通巻66号) 1979年11月 pp.18-19.
「福沢一郎 現在進行形の八十二歳」<アトリエ訪問> 『一枚の繪』第99号 1980年1月
(本)「福沢一郎『神曲・地獄篇』27点の絵画を収録」 『上毛新聞』 1980年7月7日
「福沢一郎壁画 失楽園」<特集> 『三彩』第394号 三彩社 1980年7月 pp.37-48
「「激励の絵です」中曽根氏に福沢一郎画伯の油絵届く」 『上毛新聞』 1980年8月1日
「福沢一郎画伯、赤城を描く」 『上毛新聞』 1980年11月1日
「画家福沢一郎氏 ようこそ上州へ」 『上毛新聞』 1980年11月14日
寺田千墾 「福沢一郎壁画「失楽園」制作資料展」 『東京新聞』 1980年4月
匠秀夫 「福沢一郎と新作「魏志倭人伝」について」 『アートビジョン』第11巻第2号 ビジョン企画出版社 1981年3月
「福沢一郎氏「魏志倭人伝」を描く 4月9日から高崎で個展」 『上毛新聞』 1981年3月25日
加藤貞雄 「福沢一郎展」 『毎日新聞』夕刊 1981年3月27日
瀧梯三 「福沢一郎魏志倭人伝」 『日本経済新聞』 1981年3月27日
「ロマン漂う魏志倭人伝展」 『上毛新聞』 1981年4月10日
「福沢一郎の壮気-魏志倭人伝展」<ART NEWS・美術> 『芸術新潮』第32巻第5号(通巻第377号) 1981年5月
「「戦後美術35年の歩み」展 福沢一郎、難波田龍起、小牧源太郎、古沢岩美」 『朝日新聞』夕刊 1981年9月9日 5面
「西口は福沢画伯のダルマ壁画」 『上毛新聞』 1982年2月3日
「時の話題」 『上毛新聞』 1982年2月27日
「福沢画伯の壁画飾る 開館準備進む市立図書館」 『上毛新聞』 1982年3月4日
「(223)福沢一郎 豊田有恒 相沢忠洋 松島栄治 伏島武一」 『朝日新聞』夕刊 1982年3月18日 1面
「「ゲルニカ」の向うをはる大壁画-84歳でなお衰えをみせぬ”前衛画家”福沢一郎」 『FOCUS』第2巻第20号 新潮社 1982年5月
「福沢画伯自ら点検 来月開館の前橋文化会館・壁画」 『上毛新聞』 1982年10月16日
染谷滋 「福沢一郎」 『群馬県人名大事典』 上毛新聞社 1982年11月
「”伝統の前衛画家”福沢一郎を訪ねて」<FOCUS> 『アートビジョン』第12巻第10号 1982年11月
長野柊二「福沢 一郎『よき料理人』」<食のある風景(7)> 『食生活』第76巻第11号 1982年11月 pp.64-65
寺田千墾 「福沢一郎展」 『東京新聞』夕刊 1983年1月14日
田中幸人 「福沢一郎展」 『毎日新聞』夕刊 1983年1月21日
(米) 「福沢一郎展」<美術評> 『朝日新聞』夕刊 1983年1月26日 5面
(今田) 「福沢一郎展」 『アートビジョン』第13巻第3号 1983年4月
大沢昌助、三木多聞「作家と語る 大沢昌助とその作品」 『季刊みづゑ』第928号 1983年 pp.76-93
「福沢画伯の壁画「騎馬民族征服王朝説」伊勢崎文化会館にかかる」 『上毛新聞』 1984年3月26日
門田秀雄 「日本シュールレアリズム運動の自壊と批評(前)-福沢一郎の場合-」 『構造』第4号 1984年6月
「館蔵品紹介「他人の恋」」 『群馬の森美術館ニュース』第37号 1984年6月
児島喜久雄 「独立展を観る(再録)」 『ショパンの肖像-児島喜久雄美術論集』 岩波書店 1984年
「来年こそは文化勲章を 文化功労者 洋画家福沢一郎氏<名誉しみん訪問> 『上毛新聞』 1984年10月28日
「“変わり者”生む上州気質(談)」<私のふるさと> 『カンガルー・ムック 美術家とふるさと』 産業報知センター 1985年
「23日から福沢一郎展」 『上毛新聞』 1985年2月20日
「油絵・版画の小品25点 前橋で「福沢一郎展」」 『上毛新聞』 1985年2月24日
「福沢一郎」<特集・三彩450号記念 戦後美術の名作> 『三彩』第450号 1985年3月
「「ノアの箱舟」を連作 福沢一郎氏が個展」 『上毛新聞』 1985年4月27日
「大壁画中心に迫力ある群像作品 福沢一郎展」 『新美術新聞』 1985年5月11日
「洋画界の巨匠 福沢一郎氏の人間像を映画化」 『上毛新聞』 1985年5月21日
門田秀雄 「日本シュールレアリズム運動の自壊と批評(後)-福沢一郎の場合-」 『構造』第5号 1985年6月
「米寿記念してリトグラフィ 福沢一郎氏「ギリシャ神話」素材に」 『上毛新聞』 1985年8月20日
芥川喜好 「日本前衛美術に欧米注目 発展過程のイメージ化を狙って」〈視点’86〉 『読売新聞』 1986年1月10日夕刊 7面
「高崎駅西口 福沢一郎「だるまの詩」」<街の芸術連載第5回> 『アート・トップ』第91号 1986年2月
「創作への情熱盛ん 福沢一郎画伯 米寿記念し個展」 『上毛新聞』 1986年3月5日
(米)「やむことない知的好奇心 福沢一郎展」 『朝日新聞』夕刊 1986年3月12日
「回春の大作 福沢一郎」<STARDUST> 『芸術新潮』第37巻第4号(通巻第436号) 1986年4月
「福沢画伯故郷で個展」 『上毛新聞』 1986年6月21日
斉田朋雄 「「福沢一郎展」に寄せて」 『上毛新聞』 1986年7月1日
「福沢一郎展始まる」 『上毛新聞』 1986年7月6日
「福沢一郎さん 88歳、衰えぬ創作意欲」<人きのうきょう> 『朝日新聞』夕刊 1986年7月9日 2面
海藤和 「福沢一郎「敗戦群像」<シュルレアリスムと戦後の展開>」 『アール・ヴィヴァン』第21号 西武美術館 1986年8月
浅野徹 「日本のシュルレアリスム絵画」 『みづゑ』第940号 1986年秋号 美術出版社 1986年
「山口薫と福沢一郎-モダンアートの二人-」 『日本の美術館2 関東』 ぎょうせい 1987年
加太こうじ 「日本画人伝-3-石井柏亭、福沢一郎」 『思想の科学』第7次97号(通巻第430号)1987年9月
「日本の画家-洋画家・福沢一郎」 『Pour la Vie』 1988年2月?
熊井啓 「美 私の一点 福沢一郎「敗戦群像」」 『信濃毎日新聞』 1988年2月8日
「シュールレアリストたち 福沢一郎」 『スタジオボイス』?巻?号 1988年4月 pp.36-39
「みる-高崎の生誕90年福沢一郎展」 『毎日新聞』群馬版 1988年4月15日
「生誕90年で作品展 きょうから高崎で 洋画家福沢氏の87点」 『朝日新聞』群馬版 1988年4月16日
「生誕90年で作品展 きょうから高崎で 洋画家福沢氏の87点」 『読売新聞』群馬版 1988年4月16日
「盛大にレセプション 高崎 福沢画伯が作品説明」 『上毛新聞』 1988年4月16日
「福沢一郎展が開幕」 『上毛新聞』 1988年4月17日
芥川喜好 「90歳 あふれる想念 白熱の筆」《悪のボルテージが上昇するか21世紀》〈日本の四季〉 『読売新聞』 1988年5月22日 29面
「90歳のスサノオ 大蛇と闘う」<STARTDUST> 『芸術新潮』第39巻第6号(通巻第462号) 1988年6月 p.90
橋本善八 「自己-美学を貫徹し続ける画家」 『三彩』第489号 1988年6月
「表現でなく発明 福沢一郎展」 『朝日新聞』夕刊 1988年6月22日 9面
秋山庄太郎 「現代日本の作家たち….福沢一郎」 『月刊美術』第14巻第8号(通巻第155号) 1988年8月
「1930年協会と独立美術」「福沢一郎と美術文化協会」〈昭和美術の十大事件〉 『美術の窓』第75号 1989年2月 pp.30-43
橋本善八 「クローズアップ・福沢一郎」 『アート・トップ』第110号 1989年4月
芥川喜好 「福沢一郎さんに聞く」1〜5 『読売新聞』 1989年11月13〜17日夕刊 13,15,15,11,15面
「わが芸術を語る 第5回 斎藤長三」聞き手・桑原住雄 『武蔵野美術大学 研究紀要』第20号 1990年(1989?) pp.3-22
「『池袋モンパルナス』宇佐美承著」<話題の本> 『朝日新聞』 1990年6月24日 16面
「特集・福沢一郎」 『月刊大樹誉』第111号 1990年8月
「500号の大作を3週間で完成させる福沢画伯の“没頭”」<PEOPLE> 『文藝春秋』第68巻第9号 1990年8月
「富岡市の民俗美術館建設計画 近く建設検討委員会を発足」 『上毛新聞』 1990年12月3日 ?面
「伊勢崎市が福沢一郎画伯の絵購入 市議会に取得案を提出」 『朝日新聞』群馬版 1990年12月5日
「伊勢崎市が福沢一郎画伯の絵画8点を購入」 『上毛新聞』 1990年12月5日 ?面
「92歳「哲人画家」の全容紹介の第1弾 福沢一郎展」<美術> 『朝日新聞』夕刊 1990年12月12日 9面
「初公開14点含め60点 「近代人物画の表現」展 奈良県立美術館」 『朝日新聞』奈良版 1990年1月8日
「大塩湖に石碑のある公園設置 富岡」 『朝日新聞』群馬版 1991年1月27日
「「民俗美術館」建設の検討委近く発足 富岡」 『朝日新聞』群馬版 1991年2月6日
速水豊「日本シュルレアリスム絵画の発生−イメージの移入とその影響」 『日本美術のイコノロジー的研究−外来美術の日本化とその特質』平成元年度・二年度科学研究費補助金【総合研究A】研究成果報告書(研究代表者 百橋明穂) 1991年3月 pp.34-51
「93歳-福沢一郎の生きざま」 『一枚の絵』第235号 1991年4月
「新たな制作に意欲 洋画家の福沢一郎氏が上毛新聞社を訪問」 『上毛新聞社』 1991年7月11日 20面
「創造する空間 現代の巨匠 福沢一郎氏のアトリエを訪ねて」 『上毛新聞』 1991年9月26日?
「文化勲章、森繁久弥氏ら5人に」 『朝日新聞』夕刊 1991年10月25日 1面
「91粘土文化勲章受賞者の横顔」 『朝日新聞』夕刊 1991年10月25日 22面
「文化勲章森繁久弥氏ら五人、現代演劇映画俳優で初、文化功労者司馬、梅棹氏ら15人」 『毎日新聞』大阪版夕刊 1991年10月25日 1面
「文化勲章受章者に森繁久弥さんら5氏、文化功労者は梅棹忠夫、司馬遼太郎氏ら15人」 『毎日新聞』東京版夕刊 1991年10月25日 1面
「91年度文化勲章受賞者の横顔」 『朝日新聞』夕刊 1991年10月25日 22面
「文化勲章受章 福沢氏に聞く」 『上毛新聞』 1991年10月26日 24面
「富岡市出身の洋画家・福沢一郎氏に文化勲章 壮大で独自な画境」 『上毛新聞』 1991年10月26日
「大先輩の偉業たたえる 高崎 福沢画伯の受章を祝う会」 『上毛新聞』 1991年10月29日
「文化勲章、5人に伝達」 『朝日新聞』 1991年11月4日 3面
「文化勲章伝達 福沢画伯がお礼の言葉」 『上毛新聞』 1991年11月4日 1面
「文化勲章伝達式 皇居の宮殿「松の間」で」 『毎日新聞』大阪版 1991年11月4日 22面
「森繁久弥さんらに文化勲章伝達」 『毎日新聞』東京版 1991年11月4日 22面
「福沢一郎さんの壁画を公開 文化勲章受章祝い箕面学園高校」 『朝日新聞』大阪版 1991年11月7日
「文化勲章受章記念し福沢一郎展」 『上毛新聞』 1991年11月13日 18面
「画家の福沢一郎さん、文化勲章記念式典 富岡で400人が祝う」 『朝日新聞』群馬版 1991年12月3日
「創作意欲おう盛 福沢氏の文化勲章受章祝う 富岡」 『上毛新聞』 1991年12月3日 20面
「福沢一郎氏を名誉県民に 小寺知事前向き 群馬」 『朝日新聞』群馬版 1991年12月11日
「富岡市教委 所有絵画25点を初公開」 『上毛新聞』 1992年1月12日 22面
「福沢一郎画伯 喜び二重 94歳の誕生日に文化勲章受章祝賀会」 『上毛新聞』 1992年1月19日 1面
「500号の大作など23点 富岡 福沢・故大久保氏の絵画展」 『上毛新聞』 1992年1月22日 14面
「福沢氏に対し名誉県民称号 あす選考委」 『上毛新聞』 1992年2月11日 1面
「文化勲章の福沢一郎さん名誉県民の候補に 「選定委」決める 群馬」 『朝日新聞』群馬版 1992年2月13日
「洋画壇の最高峰 福沢一郎画伯が4人目の名誉県民に」 『上毛新聞』 1992年2月13日 1面
「画家・福沢一郎の足跡たどる」<NEXT・WEEK> 『朝日新聞』夕刊 1992年2月22日 13面
「11日に名誉県民で福沢画伯を顕彰」 『上毛新聞』 1992年2月28日 1面
「日本の顔-福沢一郎」 『文藝春秋』第70巻第3号 1992年3月
「名誉県民の称号贈る 文化勲章受章の福沢一郎氏 群馬」 『朝日新聞』群馬版 1992年3月12日
「名誉県民の福沢一郎氏 県庁で顕彰式」 『上毛新聞』 1992年3月12日 1面
「近作35点披露 福沢一郎文化勲章受章記念展」 『上毛新聞』 1992年5月8日 17面
「福沢氏の「闘牛」展示 あすまで所蔵展 太田社会教育総合センター」 『上毛新聞』 1992年5月16日 22面
「文化勲章受章記念 福沢一郎展 14日から県立近代美術館」 『上毛新聞』 1992年6月8日?
「文化勲章受章記念「福沢一郎展」 14日から高崎・県立近代美術館で」 『朝日新聞』群馬版 1992年6月11日
「福沢一郎記念館も併設 富岡市美術博物館建設へ検討委発足 群馬」 『朝日新聞』群馬版 1992年6月13日
「きょうから「福沢」展 高崎でレセプション」 『上毛新聞』 1992年6月14日 20面
「100歳まで描き続ける!福沢一郎の壮大な”晩年”」 『芸術新潮』第43巻第8号(通巻第512号) 1992年8月
「東京国際美術館・福沢一郎記念室《レダ》」<Art Travel 個人美術館の「一点」》 『現代』?巻?号 1992年9月 p.3
「福沢一郎氏が死去」 『朝日新聞』 1992年10月17日 31面
「福沢一郎さん死去 「至宝」惜しむ声次々」 『朝日新聞』群馬版 1992年10月17日
「福沢一郎画伯 突然の逝去 深く郷土愛した”巨人”」 『群馬よみうり』 1992年10月17日
宝木範義 「福沢一郎氏の死を悼む」 『上毛新聞』 1992年10月17日?
「日本洋画壇の最高峰 福沢一郎氏が死去」 『上毛新聞』 1992年10月17日 1面
「超現実主義を紹介 文化勲章受章の福澤一郎画伯 死去」 『毎日新聞』大阪版 1992年10月17日 1面
「洋画壇の最長老 文化勲章受章の福澤一郎氏が死去」 『毎日新聞』東京版 1992年10月17日 1面
「県民に深い悲しみ 福沢画伯死去「偉大な存在失った」」 『毎日新聞』群馬版 1992年10月17日
「巨匠しのび弔問客次々」 『上毛新聞』 1992年10月18日 18面
針生一郎「福澤一郎氏を悼む 生命感あふれた人類史的ヴィジョン」 『毎日新聞』東京版夕刊 1992年10月19日 6面
中山公男 「天国と地獄視野に入れた福沢画伯」 『上毛新聞』(号外?) 1992年10月26日
「ぶんか-追悼・福沢一郎画伯」 『上毛新聞』(号外?) 1992年10月26日
「献花次々…業績しのぶ 故福沢氏お別れの会に400人」 『上毛新聞』(号外?) 1992年10月26日
「富岡出身の福沢一郎さんお別れの会 一般のファン含め400人参列」 『朝日新聞』群馬版 1992年10月27日
「芸術の神髄 永遠に 没後初の福沢一郎展、画伯しのぶ 伊勢崎」 『上毛新聞』 1992年11月1日 18面
「故福沢一郎氏の富岡市葬29日に 群馬」 『朝日新聞』群馬版 1992年11月7日
「1200人が永別惜しむ 富岡で故福沢氏の市葬」 『上毛新聞』 1992年11月30日 17面
本間正義 「福沢一郎氏を思う」 『美術手帖』第45巻 第664号 美術出版社 1993年1月
「福沢芸術の変遷一目で 古里・富岡 5日から追悼展」 『上毛新聞』 1993年1月30日 14面
「”福沢芸術”の足跡たどる 郷土で初の追悼展」 『上毛新聞』 1993年2月6日 19面
「福沢画伯没後1周年展 3日から高崎」 『上毛新聞』 1993年9月28日 17面
「福沢一郎氏死去から1年 遺作前に面影偲ぶ 東京」 『上毛新聞』 1993年10月17日 17面
「記念館つくり出版も 福沢一郎氏一周忌 事業推進の財団設立」 『上毛新聞』 1993年10月31日 18面
「未公開の名画も きょうから福沢一郎展 伊勢崎」 『上毛新聞』 1993年11月5日 18面
芥川喜好 「よき料理人」 『読売新聞』(日曜版) 1993年@月16日
「福沢記念館に作品群 300点 富岡 遺族が絵画など寄贈 人柄しのばれる書簡も」 『上毛新聞』 1993年12月7日 19面
「福沢芸術親しんで 富岡 未公開作品を一堂に」 『上毛新聞』 1994年2月22日 15面
「「福沢芸術」ひと目で 東京の自宅記念館オープン アトリエ公開記念展示 9日まで」 『上毛新聞』 1994年12月7日 20年
大谷省吾「福沢一郎とコラージュ−1930年代初期の日本におけるシュルレアリスム受容をめぐって」 『東京国立近代美術館研究紀要』第5号 1995年3月 pp.55-76
「アトリエ復活 福沢一郎記念美術館が8日オープン」 『上毛新聞』 1995年7月27日 1面
「福沢一郎・美の世界 1日から没後3年記念展 宮城クローネンベルク青春の美術館「福沢一郎の世界」8/1-11-31」 『上毛新聞』 1995年7月30日 14面
「市立美術博物館、きょう開館 故福沢一郎画伯の作品など収蔵」 『朝日新聞』群馬版 1995年8月8日
「開館記念式典に250人 きょうから一般公開」 『上毛新聞』 1995年8月8日 15面
「郷土の画家に光を 姫路で飯田操朗展(美術)【大阪】」 『朝日新聞』夕刊 1996年3月22日 15面
「定めなき世に定めなき小夜衣明日は誰が身の妻ならぬかは(「飯田操朗と前衛の時代展」から:2)/兵庫」 『朝日新聞』兵庫版 1996年3月7日
伊藤佳之「福沢一郎《世相群像》及び同時代の作例について」 『調査報告書』第1号 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 1996年3月 pp.1-26
「福沢一郎作「ハドソン河岸」30年ぶり帰郷 米知人に贈った作品 未亡人が美術館へ 展示見ぬまま他界」 『上毛新聞』 1996年3月30日 16面
「福沢作品里帰り 「ハドソン河岸」展示 富岡」 『上毛新聞』 1996年4月14日 13面
「福沢画伯の風景画 ブラジルから“帰郷” サンパウロの農園経営者 富岡市に贈る」 『上毛新聞』 1997年4月12日 24面
山梨俊夫「福沢一郎」<近代日本美術家列伝(112)> 『美術手帖』 1997年11月6日
「福沢一郎など伊勢崎市収蔵美術展 29日から/群馬」 『朝日新聞』第745号 1997年8月 pp.198-199
伊藤佳之「コラージュ絵画から主題絵画へ−福沢一郎の戦前における「空白期」の作品について」 『研究紀要』第1号 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 1998年3月 pp.1-19
伊藤佳之「 福沢一郎のあしあと−リュ・ドゥ・ロルヌのアトリエ」<コラム> 『研究紀要』第1号 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 1998年3月 pp.34-41
「故福沢氏の画業一挙公開 今秋に生誕100年記念展 富岡市立美術博物館」 『上毛新聞』 1998年1月1日 1面
「福沢一郎の版画11点 あすまで前橋 生誕100年で記念展」 『上毛新聞』 1998年4月6日 14面
「福沢一郎を語る講演会 東京」 『上毛新聞』 1998年4月25日 21面
「福沢画伯の絵 富岡里帰り 伯滞在中に制作 在伯県人会・新井さん寄贈」 『上毛新聞』 1998年5月13日 18面
「福沢一郎のステンドグラス」《東京駅再発見》(3) 『上毛新聞』 1998年6月10日 26面
「福沢一郎生誕100年記念展 代表作150点一挙に公開 来月12日から富岡市立美術博物館」 『上毛新聞』 1998年8月23日 15面
「福沢一郎生誕100年」《文化》 『上毛新聞』 1998年8月31日 8面
「故福沢一郎画伯の生誕100年記念展 富岡で作品・資料展示/群馬」 『朝日新聞』群馬版 1998年9月6日
「65年の画業よみがえる 福沢一郎の生誕100年記念展 富岡」 『上毛新聞』 1998年9月13日 14面
「福沢一郎生誕100年 主題へのまなざし(1)」 『上毛新聞』 1998年9月21日 8面
「生誕100年祝い福沢一郎展 あす富岡でシンポ」 『上毛新聞』 1998年9月25日 19面
「福沢一郎生誕100年 主題へのまなざし(2)」 『上毛新聞』 1998年9月28日 10面
「福沢一郎生誕100年 主題へのまなざし(3)」 『上毛新聞』 1998年10月5日 10面
長谷川善和「地質学にみる福沢一郎」《視点・オピニオン21》 『上毛新聞』 1998年10月16日 19面
「福沢一郎生誕100年 主題へのまなざし(4)」 『上毛新聞』 1998年10月19日 10面
日下部甲太郎「国立公園名画の視点を訪ねて その11 奥秩父両神山・福沢一郎」 『国立公園』第571号 国立公園協会 1999年3月 pp.16-17
伊藤佳之「福沢一郎関係資料 福沢一郎宛書簡に関する調査 その1 滞欧期の絵葉書(1)」 『調査報告書』第2号 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館 1999年3月 pp.2-15
「前衛的美術の軌跡生き生き」<ナビゲーター> 『朝日新聞』夕刊 2000年6月17日 10面
「新たに福沢画伯の油彩画2枚 不明作品調査中に 記念館も確認 新町の医師が所持」 『上毛新聞』 2000年12月9日 22面
「シュール変革期の若者たちの苦闘」<ナビゲーター> 『朝日新聞』夕刊 2001年1月6日 8面
「館林美術館 コレクションへの扉より(2) 既成概念への反逆 福沢一郎 無敵の力」 『上毛新聞』 2002年3月5日 16面
「近・現代画に見る人物表現 日本人画家の70点 県立美術館/奈良」 『朝日新聞』奈良版 2003年1月31日 25面
「独自の画風、追い続け 独立美術協会70周年記念展「輝け日本油画」」 『朝日新聞』 2003年2月26日 32面
「人物ミュージアム紀行(23)富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館(群馬県富岡市黒川)–多彩な表現で観るものを驚かせたシュルレアリスム絵画の先駆者」 『あさひ銀総研レポート』第17巻第2号(通号191) あさひ銀総合研究所 2003年2月 pp.61-64
正木基「発見! 福澤一郎のリトグラフ–油彩のためのエスキース、色彩と空間の再考」<特集 版画NOW2003 新作版画200点頒布−版画トピックス2002〜2003> 『月刊美術』第29巻第3号(通巻第330号) サン・アート 2003年3月 pp.46-48, 63-64
芥川喜好「「ノアの箱舟に見る現代社会」展」<芥川記者の展覧会へ行こう> 『読売新聞』東京版夕刊 2003年5月17日 5面4段
「県立館林美術館特別展示 「福沢一郎の世界」から(上)」 『上毛新聞』 2003年6月23日 8面
「県立館林美術館特別展示 「福沢一郎の世界」から(下)」 『上毛新聞』 2003年6月30日 10面
「伊勢崎市ホームページに「インターネット美術館」」<青鉛筆> 『朝日新聞』 2003年9月3日 35面
伊藤佳之「「日本的なるもの」と福沢一郎−前衛芸術の擁護者は、どのように「日本」と向き合ったか」 『群馬県立館林美術館研究紀要』第2号 群馬県立館林美術館 2005年3月 pp.3-18
伊藤佳之「終戦直後の福沢一郎作品に関する研究–ニューヨークでの展覧会を手がかりとして」<「美術に関する調査研究の助成」研究報告 2005年度助成> 『鹿島美術財団年報』別冊[2005年度版] 鹿島美術財団 2006年 pp.114-125
「(2)開戦前夜」<戦争と画家 小川原脩の生涯> 『朝日新聞』北海道総合 2006年8月13日 28面
西田健作「戦争前夜の「不安」共有 「夢のなかの自然」展」<ナビゲーター> 『朝日新聞』夕刊 2006年11月7日 7面
大谷省吾「シュルレアリスムと行動主義–小松清、福沢一郎、矢崎博信を中心に」<特集 昭和の美術> 『近代画説』第15号 明治美術学会 2006年12月 pp.36-47
「1972年 鉄道100周年記念ステンドグラス 東京駅「天地創造」 原画:福沢一郎」<クレアーレ アーカイブス> 『くれあーれ にゅーす』第1号 財団法人 日本交通文化協会 くれあーれにゅーす編集室 2007年7月30日 pp.14-15
伊藤佳之「ニューヨークの「戦後日本の15人展」について−福沢一郎の「Hiroshima」と呼ばれた作品群を中心に」 『群馬県立館林美術館研究紀要』第5号 群馬県立館林美術館 2008年3月 pp.3-12
大谷省吾「戦前と戦後の前衛絵画をつなぐもの−福沢一郎、鶴岡政男、北脇昇を例に」 『藝叢』第25号 筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術学研究室 2009年3月 pp.29-52
速水豊著『シュルレアリスム絵画と日本 イメージの受容と創造』(NHKブックス1135) 日本放送出版協会 2009年5月
呉孟晋「民国期におけるシュルレアリスムの夢と現実ー中華独立美術協会の「超現実主義」について−」『現代中国』第83号 日本現代中国学会 2009年9月 pp.95-108
山口泰三「瀧口修造と福沢一郎の検挙・釈放日」『美術運動史研究会ニュース』第113号 美術運動史研究会 2010年7月28日 pp.1-8
弘中智子「前衛絵画は問いかける [1] コラージュ絵画「他人の恋」福沢一郎」『上毛新聞』2011年4月23日 14面
弘中智子「前衛絵画は問いかける [2] 満州で創作「牛」福沢一郎」『上毛新聞』2011年4月30日 12面
弘中智子「前衛絵画は問いかける [6] 人間描く意思表示「敗戦群像」福沢一郎」『上毛新聞』2011年6月4日 12面
本間岳史「画集・福沢一郎と地質学−画集『秩父山塊』から−」『地学教育と科学運動』72号 2014年6月 pp.83-91
横尾忠則「福沢一郎先生、大林宣彦さんの生命エネルギー!」〈ぼくの内側 日常の向こう側 no.346〉 『週刊読書人』第3245号 2018年6月29日 3面
[1. 単行書]
[2. 画集]
[3. 個展カタログ・目録]
[4. グループ展カタログ・目録]
[5. 挿画、装丁]
[6. 福沢一郎執筆記事・図版掲載]
[7. 対談、鼎談、座談会]
[8. 福沢一郎関連記事・文献]